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ぼくはパーティが苦手です。いや、もしかすると今では以前ほどは苦手じゃなくなったのかもしれません。どうして苦手だったのか。今ではどちらが主流なのか知らないけれど、特に苦手に思っていたのが立食スタイルでありました。ビュッフェでもバイキングでも呼び方はどちらでもいいけれど、基本的に早い者勝ちというのが気に入らないのです。本当なら美味しいお店の料理が並んでいるのであれば片っ端から味をみたいのです。でも乾杯が終わってわれ先に列をなすのがみっともないように思えるし、そうみられるのも嫌だったのです。自意識過剰と言われそうですが、そんなことはない。実際にガツガツした連中というのは非常に目立つものであるし、やはり恥ずかしいことなのだ。いくら好きだからって、例えばローストビーフに何度となく並ぶというのはカッコが悪いものです。それなら着席スタイルでくじ引きで席を決めたりして周囲が全く知らない人たちばかりの方がまだしもマシだと思っています。マシというかじっくりと食事を堪能するならむしろ誰の邪魔もない方がむしろ助かるというものです。コロナ明け(?)で世間では大々的なパーティ(というか呑み会)が少なくなったようで、それはそれで有難いのですが、人との交流がより活発化される傾向のある立食よりも着席が基本となっているんじゃないだろうか。今のパーティはぼくにとっては落ち着いて呑み食いできるスタイルなのです。 そんなパーティがアーバンネット大手町ビルなる全く縁も縁もなかったビルの21階で行われることとなり、然るべき会費を支払って参加することになりました。本当は面倒なのですが、東京會舘の別館であるLEVEL XXというちっとも風情のない環境ではありますが、料理自体は本館の「レストラン ベラージュ」のものと一緒であるとのことなので期待は高まるのです。ちなみに今ではビルの21階といってもさほど高い感じはしないのですが、実際に見上げたり見下ろしたりするとやはり背筋がゾクリとはするのです。そういえば先達て仙台大観音でも同じような経験をして、似たような写真を撮ってしまいました。特に見下ろす場合の撮影はゾクリとするだけでなく万が一にもスマホが手から滑り落ちるようなことがあってはならないと非常な緊張を強いられたものです。ともあれ、会場に入ってしまうと味もそっけもないパーティルームでしかないので、あとは食事と酒に集中するしかなくなります。個々の料理について書くのは面倒なので端折りますが(一言だけ、デザートはちょっと残念、ここのサヴァランやモンブランは大好きなんですけど)、結論としては非常に美味しくてさすが東京會舘といったところです。酒も会費の割には酒類も豊富で途中品切れとなることもなく存分に呑むことができたのです。このレベルの料理と酒の用意があるならパーティも悪くないし、雰囲気がイマイチでも文句はないかなあ。ただ一つ難を申し上げるとするとサービスの人たちがご高齢の方たちが多く、食べてる最中の料理を下げられそうになったりとベテランな割にはちょっと乱暴な応対もあったように思えますが、それもまあ容認の範囲内でした。
2023/10/13
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かつて御茶ノ水で数年間仕事していたことがあって、そこで毎晩のように通い詰めていた酒場があります。そこには様々な人たちと訪れていますが、週に三日は一緒だった年長の方がいました。ここで過去形を用いたのは、その方が亡くなったからなのです。大酒呑みのその人は、若い頃に胃を全摘していたため、食が細くてここではいつもお新香だけで呑んでいました。思えばぼくが酒の肴などほとんど摘ままずに呑むようになったのはこの人の影響を多分に受けているように思えます。年間100日近くはここで2人、時には3人でひたすら呑み続ける日々が4年程度続いたでしょうか、ぼくはその人を残して勤務先を変えることになったのです。勤務先を移してからは、御茶ノ水を訪れることも少なくなってしまいましたが、訪れた際には極力その酒場を訪れるようにしていました。そんな時には誰を誘うでもなく、独りで店を訪れました。きっとまたその人が半地下の隅の席で一人ぼんやりと呑んでいると確信していたからです。そんなことが数年続いた後に突然その人の訃報を耳にしたのです。店の人に聞くところによると亡くなるまでの数年はほぼ一人で夜を過ごしていたらしく、やせ細った身体はさらに補足なっていたようです。たまに同席した人は、ぼくに向けて「彼が若くして死んだことの原因の一端はわれわれに起因するだろう」と語りました。それでもぼくは今でも思うのです。その人は、きっとぼくと呑むことを嫌だとは思ってなかったし、そこで過ごす時間も好きだったに違いなかったと。だからぼくは後悔など全くないのです。 その酒場は「徳兵衛」です。先般、えんしさんが神田に移っても以前と似たような雰囲気を留めていると仰っていただけていたので、いずれ一度は行きたいと思っていたのですが、たまたま大手町で会合があって思いがけず早々に出向く機会を得たのです。その気になればいつだって行けるとはいえ、そこを目当てにするのは近頃日和気味のぼくには、少なからずの気合を要することだったのです。店は地下にあるのですね。御茶ノ水の常連は地上派と地下派に分かれていて、ぼくは地下派だったので違和感なく店に入ります。トリハイとポテトフライ、のりチーズ、お新香を注文します。こんなに一挙に注文するのは珍しいことです。最も訪れたかった理由は前店で地下を担っていたあんちゃんと会うためですが、カウンターのない今の店舗ではゆっくりと言葉を交わす暇もなく寒々しい気持ちになってしまいました。せっかく勧めていただいたえんしさんには申し訳ないのですが、ぼくにはかつての雰囲気を汲み取ることはどうにもできかねたのでした。思い出に浸ることはできなくてもここのトリハイは不思議なことに身体に刺さる訳で、目が覚めたのは前夜訪れたばかりに西川口駅だったのでした。
2023/10/09
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神保町には、どの程度に地元の住民が実際に生活を送っているのだろう。都の特別区でもとりわけ高額な地価で知られる千代田区で古書店や居酒屋を営み続けるのは恐らくとても大変な事なんだろうなあと思うのです。当然、住み続けるのも並大抵でない苦労がありそうです。統計など確認した訳ではないけれど、住民は減少し続けているのではなかろうか。ぼくは、都心部にある企業や役所関係の人々が主たる顧客である酒場よりも地元住民が客の大半を占めるような酒場が好きなのです。だから、神保町にもそれなりに雰囲気のいい居酒屋があることは知っていますし、でもそれらがじわじわと店仕舞していることを嘆くしかないのです。今、残っている居酒屋はいくら雰囲気が良くてもその大部分が地元住民の方よりは仕事つながりの人たちが呑むための店のように感じられるのでした。だからたまには神保町で呑んだりもするけれど、心からリラックスすることは出来なさそうだし、だから通うこともないのだろうと思わざるを得ないのです。 でも、無知であることは愚劣な思い込みをもたらすもののようで、「多幸八」を知っていたら、前段のような判ったような誤った認識を吐露せずに済むはずなのです。日中だとこの酒場は見過ごしてしまっても仕方ないのかもしれません。赤提灯と小豆色の暖簾が出されたからこそこの酒場に足を踏み入れようと思ったけれど、周囲にすんなり馴染んでしまうありふれたビルに緑のテントがせり出しているだけなら、近隣に少なくない印刷所などと見分けがつかなかったかもしれない。恐らくは建物の老朽化に伴って立て替えられたのだろうけれど、かつての店の指標となったほんの少しのアイテムを表に出すだけでも酒場としての存在感が浮き立つのは大したものだし、不思議な事です。さて、店内は木製の卓席とカウンターが古いお店らしい風情だし、凝った椅子の造作にも内装に拘ったらしいことが伺えるのです。酒や肴も界隈ではとてもお手頃に思え、しかも季節感を大事にした旬の食材を用いた品書きが並ぶのです。こごみのお浸しや筍の胡桃味噌和えに加え、この店の看板であるもつ焼きともうぼくにとっては豪華絢爛で酒量も畢竟増すというものです。ぼくの場合、神保町はそうちょくちょく行ける状況にありませんが、ここには是非また訪れたい。こういう酒場と出会えるからどんな町に対しても偏見を持つのはいかんことだし、勿体ない物なのだとつくづく思うのです。
2021/06/23
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以前、神保町の界隈は、映画を見に来たり、古書を探しに来たり、職場が近かったこともありました。だから呑みに行く機会は少なくなかったけれど、大体決まり切った酒場で呑むことが多かったし、当時は今以上に金額にシビアだったので、迂闊な酒場になど入れなかったのです。つまりは、立地の関係も当然あるんでしょうが、お値段がお高めな訳なのです。庶民的な居酒屋を謳いながらも若い頃(今でも?)のぼくにとっては、そのお勘定はとても居酒屋で支払う金額とは思えなかったのであります。そうした若かりし頃の記憶が未だに澱のように沈殿していまして、神保町にやってくるとそんな澱が記憶の上層に浮き上がってくるのでした。苦手意識など負の記憶というのは、例え一定の歳月を経て海の藻屑となり失せたようでいても、ほんのわずかな呼び水で攪拌されて浮上してくるもののようです。でも、ぼくが年を取れば当然町も変わっていくものです。人が老化をいくら抑え込もうとしてもせいぜいが減速させるのが限度ですが、まだこの町の新陳代謝は劣化を免れているようです。「Tommy 阿波屋酒店」もまた、恐らくは古くからこの地で酒屋として営業しておられたのでしょうが、巨大な墓石のようなモダンなビルの1階で再生を果たしたのであります。何だか今回はぶきっちょな文学臭が放たれていますが、お気になさらず読み飛ばして頂きたいのであります。それはともかくとして、「Tommy」のことに早々に触れるべきですが、その前に一応記録に留めておきたいのが、「JOLLYS 阿波屋酒店」というのが恵比寿にあるみたいなのです。どう考えてもこの2軒は縁故がありそうです。ってか調べれば容易に事の真偽が明らかになりそうですが、それは割愛し、備忘として残すだけにします。さて、コンビニ風の無機質な店内に角打ちの風情を求めるのはさすがに無理があろうというもの。そりゃまあ風情があれば何よりなんでしょうが、とりあえずは安価に酒を呑めるんだからそのことは素直に歓迎したいと思うのです。しかも品書きを見ると手製の肴まで出るのだから殺風景な内観には目を瞑ろうというものです。乾き物で酒が呑めさえすればいいというのなら路上呑みと何が変わるというのだろう。でも一方で、この環境で酒を呑むのならローカルな気配のある宇都宮線や常磐線の車中で呑む方が楽しそうだなあなんて思ったりもしてしまうのでした。
2021/06/07
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今朝のテレビで一連のコロナ騒動で町並みが一変したというニュースが流れていました。水道橋は、学生の頃は通りすがりの町でしかなかったのですが、就職して以降は頻繁とまではいかぬまでも月に何度かは呑みに立ち寄る町となりました。単純に学生の頃はいつだって金欠だったし、就職したからといって金回りがすごく良くなったわけじゃないけれど、まあ安酒場で呑む程度の小遣いを持てるようになっただけのことなのです。水道橋を訪れるのは専らアテネフランセ文化センターに映画を見に行ったその帰りでした。急坂を登り切り、さらにセンターの4階までの階段をふうふう言って上がり、字幕すらないことの多い外国映画を見ることが多かったでしょうか。映画が終わる8時とか9時とかに元来た道を今度は下って水道橋に戻ってくるとようやく一日を終えたような安心感を携え居酒屋に足を向けるのでした。映画を見ることは大概が苦痛であることが多く、たまにそれがとんでもなく素晴らしかったとしても、映画館―というかこの場合はホールですが―から抜け出る時には相当な解放感を味わったものです。水道橋ではここと決まった居酒屋があったわけではないのですが、それでも行き場に迷ったときに思い出したように足を向けた居酒屋があります。 この夜は、当時からの付き合いで一緒に―といっても示し合わせたわけではないし、当然隣り合わせとなったこともないけれど―映画を見ることもしばしばであったS氏と、当時時折訪れた「大衆居酒屋 蔦屋」に向かったのでした。当然、S氏とも来ているものと思っていたけれど、意外やこれが初めても来店であったようです。雑居ビルの2階に随分昔から営業しているお店でありまして、水道橋でも古参の居酒屋であるはずですがその実態は未確認です。ぼくが学生の頃はこういう昔ながらのチェーンではない普通の居酒屋はいくらだってあったんだけどねえ、今となってはむしろ懐かしく貴重な感じがします。当時は有難味も感じずに訪れていたけれど、その頃からいたような女性はもしかするお女将さんなのだろうか。向こうもこちらに気付いたようで、あらまあ久し振りねえとしばし亡くなった共通の知人のことやら、今も健在で時折来られるという人の現況を報告しあいます。以前は煩わしいと思えたそうした言葉を交し合うことが今ではとても感情を昂らせてくれるのでした。さて、こちらは安い食材をひと手間掛けることで他店とはちょっと違った凝った料理―でも手早く作れる―として提供してもらえるのが楽しいのです。いつもは肴など酒のおまけでしかないとか語るけれど、さすがにいつも決まり切ったものばかりでは飽きてしまいます。ここはひと手間を惜しまないことで夜な夜な訪れても飽きさせない工夫があります。水道橋で呑むならまたこちらにお邪魔してしまうのかなあ。ネオンが消えたお店の一軒がここでないことを願います。
2021/06/02
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神保町というのは、どうなんでしょうかねえ、居酒屋という商売をするのに適 した土地なんでしょうか。よくは知りませんが、千代田区という場所柄からして 地価はけして安いはずもなく、店を構えるという時点で大きな障害があるように 思えるのです。それから神保町といえば古書店の町というイメージが定着してい ますが、もしそうだとすると古書店が店を閉めたタイミングでその日の成果をす ぐにも確認したい古書マニアたちが居酒屋を利用するということもありそうです。実際にそうした方もおられるようですが、実態としては少数派であるように思われるのです。古書は酒場より喫茶店の方がしっくりときます。かつてはぼくもそこそこの古書好きでありました。ぼくが古書好きだった頃は.まだまだインターネットも普及しておらず地方都市の町を歩いては町の古書店を訪ね歩いては、意中の古書を買い求めたものです。投宿し旅装を解いた後にもカバンに収穫した古書を収めたままにし、出来る限り空いていてそれなりのスペースを確保できそうな酒場に赴いて、大事に古書の頁を繰ったりしたものです。ああ、そんな優雅な時代もあったんだなあ。ってすっかり懐古気分に浸りそうになりますが、神保町界隈の狭いお店でそれも落ち着かなさそうです。しかもこの夜目指したのは立呑みだしねえ、とすっかり冒頭の話から遠ざかってしまいました。 この夜、お邪魔したのは、「あつ盛」であります。靖国通りと専大通りの交差する角地という一等地に店を構えられるなんてすごいなあ。テラス風の席もあるけれど、基本はカウンタースナックのような構えでありまして、店内は6名程度で目いっぱい。目の前で若者5人組が入ってしまったから、A氏とぼくとは入口の隅に身を寄せ合うことになりました。なるほどやはり神保町ではこれ位に密にならざるを得ないだろうなあ。しかも評判のお店だけあって入りも大層よろしいようです。なので、短期決戦を決めねばならぬと即判断を下し、欲張ってしまったところグラス類は使い回すことで人手をカット、独りでこなせるようになっていて、大量の焼酎を持てあますことになりますが、そこはそれなりの経験値を活かして上手く乗り切ることができました(単に焼酎半量を移し替えただけ)。こちらは酒よりもむしろ圧倒的な肴のコスパとセンス、旨さに依存しているようです。しばらくすると、常連さんらしき勤め人たちがわれわれや若者たちが早々に立ち去るであろうことを見越して、特段慌てる風もなくゆったりと構えて席に空きができるのを待っておられます。うむむ、それは非常に正確な見立てであります。あちこちと酒場巡りをしても、初めての店、特に立呑み屋では一見客に長居はきついものなのです。こちらで長居するにはこの界隈の勤め人にならざるを得ないだろうなあ。でもまあ、若い店主はいつまでもこの狭いお店を続けているかというとどうなんでしょうねえ。もしかするとここの美味しい肴を堪能できるのはそう長くないような気がします。
2021/05/28
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神保町、須田町と呑み歩き、どちらも大いに満足するのでありましたが、しかしこれで引き上げる訳にはいかぬのです。自粛期間中気掛かりな酒場は少なくなかったけれど、やはり最も気になるのは通い詰めた酒場たちなのです。気になるなんて言い方では役不足でした。気掛かりをさらにずっと凌駕して、心配で心配で仕方がない酒場が何軒かあるのです。ご覧頂いていれば敢えて告げるまでもないけれど、ぼくは元々の性格が浮気性でありますので、つい好奇心の赴くままにフラフラと節操なく振舞ってしまうのです。でも浮気心というのは、実際には心底惚れ込むためには欠かせぬ要因ではないかと考えてみる。浮気の虫がムズムズしだしてチラリとその気持ちに流されてみる。それが酷ければお話にならぬけれども、とても良かったと感じた時に不意に浮上するのが本命なのであります。今まさに浮気している時に浮上してきた本命を瞼の裏に浮かべてみると、あゝやはり己の本気はここにはなかったのだなんて思いに至るのです。浮気というのは本命を確固たる存在に強化するために予め本能に組み込まれているに違いないのです。だから、いくら素晴らしく満足のいく出逢いがあったとて、馴染みこそがしっくりくるものなのであります。 とあれこれお題目を述べてはみましたが、何度も登場させてしまっている「大衆酒場 徳兵衛」を尤もらしく引き出すにはこの程度の言い訳をしておかなくては、毎日掘り出し物が混じってはいないかとチェックしてくださっている方々ー実際にどの程度おられるかどうかは把握できていませんけどーに申し訳が立たぬのです。ということで、その安否を杞憂していたのですが、全く無用だったみたいです。外観は周囲の変化に呼応するように幾分かケバケバしく変貌していますが、もとより酒場としては異色な黄色を基調としていたのだから、多少のお化粧直しなど何程ではないのです。変わらずあり続ける酒場への渇望は尽きることはないけれど、コチラのように時代とか周囲の変化に柔軟に応対できる店というのはやはりとんでもなくしぶといもののようです。顔馴染みの兄さんに変わりなかったかと尋ねるのだけれど、何それみたいな全く動じなかったことを飄々としてちっとも凄ぶらず語って聞かせてくれるのに胸を撫で下ろすのでした。カウンター席は程々に埋まっているからか卓席を勧められました。ここではほとんどいつだってカウンターの決まった席に着いたものですが、夜な夜な通った時代とは世代が変わったのだから席を譲るのは仕方のないことなのです。
2020/07/17
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神田の淡路町・須田町には、「かんだやぶそば」や「神田まつや」といった蕎麦屋や「松栄亭」、「トプカ」などの洋食店やカレー屋、「近江屋洋菓子店」に喫茶「ショパン」などなど挙げればキリがない位に老舗が立ち並んでいて、明治30年頃創業の鳥すき焼き屋「ぼたん」の通りには古くからある建物が多く並び健啖で懐具合に自信があるなら一日遊んでも飽きぬほどに充実しています。昭和5年創業の甘味処「竹むら」の向かいにはあんこう料理の「いせ源」があったりとヴァラエティも豊富で飽きさせません。でもこういうのってそうそう毎日頂くものではないわけで、やはり普通の居酒屋が恋しくなるものです。ぼくの場合は健啖さにも懐具合にも自信がないので、いつかここいら辺の老舗をちゃんと楽しみたいと思いながらちっとも果たせぬままに日々を過ごしていて、だから近隣で勤めていた際もめったに近寄ることはなかったのです。このエリアにぼくなどが立ち寄れる店などあるはずがないと思い込んでいたのです。しかし、その思い込みがなんと愚かしいのだろうと今になって悔やむことになろうとは思ってもいなかったのでした。しかも存在を教わったのが昨年の暮頃だったのだから、その後、その気になりさえすれば時間のやり繰りなどにも苦労するまでもなく訪れることだって出来たのです。それを躊躇わせたのは、店名の緩さもあったし、大体において果たして未だに営業を続けていてくれるかという懸念が拭えなかったからです。実際開発の波に今更に晒されつつるあの界隈にあって、余りにも情報が希少なのです。ネットにもごく僅かな情報が流布されているばかりで、それもけして新しくはないからコロナ禍の第一陣を乗り切れたかなど知りようもなかったのです。 でもこういうのは情報なんぞに振り回されず実際に赴くべきですね。「ハロー」は世間がいかなる状況に晒されようとそれにお構いないという風に何も変わってはいないという様子でそこにあったのです。気のせいかもしれぬけれど神田界隈の居酒屋では卵型というか樽状の赤提灯よりこういう筒型のタイプが多いように思います。多いというよりむしろ似つかわしいと言うのが適当かもしれません。赤が際立ち店名も黒で控え目とし目立たせるためというよりは分かる人にだけ目に止まれば良いというように、今晩も変わらずやっている事を知らせるための符丁として機能し、それ以上を求めないという慎ましい思いが感じ取れるようです。さて、店内は卓席2つとカウンターだけの外観を裏切らぬ慎ましさで、席に着くと酒場通いを始めてから初めて経験した自粛から少し解放されたような、酒場旅情を全身を持って感じるに至ったのでした。酒場旅情を全身を持って感じるに至ったのでした。病気を患って退院してから医者のお墨付きでようやく呑みに行けた時は、こんな気分なのかもしれません。こんな瞬間を感じられるなら呑みに行くペースを落としてみるのも一策かと書いてはみたけれど、酒場への憧憬も重要ですが、それ以上に日々の習慣こそが大事だということは当然わかっているのでした。さて、聞くところによるとこちらはおでんが名物らしいのですが、この季節だからメインはやきとりということになるのでしょう。女将さんが丁寧に焼くそれはとても穏やかで優しい味わいでした。加えてお通しでいただいた鳥もつ煮がおいしくて、くどくなくしょっぱくなく強い主張はないのせいか、その味わいは思い出せぬけれど、思い出すためにもまたいただいてみたくなる、そんな味だったのです。オヤジさんもいたけれど、ご夫婦なのでしょうか、というのも食品衛生責任者だったか、こちらの名宛が女将さんだと思うのですが、女性の名前だったからです。そんなことも伺ってみたかったけれど、女将さんは常連さんとお喋りしており割り込む気にはなれません。まあ、また次にお邪魔してお聞きすればいいのかな。思い出すたびに通いたくなるような、ちょっと距離感を置いてお付き合いしたいようなお店でした。
2020/07/15
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神保町は馴染みの深い町です。ぼくが初めて東京に連れてきてもらった時も独りで遊びに来た時も立ち寄ったものでした。ご想像通り目当ては古書でありまして、ぼくが目当てにしたのはマンガやミステリ、後には映画関係の古書でした。といっても古書マニアの方達が追い求めるようなそんな大層なものではなくてマンガでも上手くすれば地方の古本屋で棚売りされているようなものばかりで水木しげるの貸本時代の著作を欲したりはしなかったし、ミステリなら早川書房のポケミス、映画は山田宏一の文庫のみの評論集とかそういったものを揃えたいだけでした。当時からぼくは本に関してはどうしても欲しい物だけを手元に置いて安心していたかったという考えで、だから今ではできる限りデジタル化されたデータが良かったりするわけで、少しも愛書家というのではないのです。かつては書籍の体裁で持つしかなかったから可能な限り文庫が良かったのです。そのせいで、随分と多くの貴重な本を売り払ってしまったけれど、それを酒代に充てたりもしたのだからまあ悔いはないとしよう。とまあ、古書だけが神保町との関わりではありませんが、私的なことをあまりくどくどしく語っていても切りがなくなってしまいます。言いたいのは神保町はランチには適しているけれど、夜、特に呑みの土地としては不向きと思っていたのです。そんな中では数少ない庶民は酒場であった「酒蔵 酔の助 本店」は、国民的人気ドラマーとか言いつつぼくは見たことがないのでしたーでしばしば登場したというが、そんな小ネタ抜きでも充分にいいお店でしたが、新型コロナの影響により残念な事に閉店してしまったのでした。店主の嘆きとやり場の無い怒りをグッと呑み込んでの取材への対応は見ているのが辛かったのを思い出しますーこの久々に神保町を訪れた日には「包子餃子 スヰートポーヅ」も閉店していましたー。そんな夜に訪れることの少ない神保町ですが、老舗酒場として認知もしていたし、よく知られもする一軒が未訪のままとなっていたことを思い出し行ってみることにしたのです。 結論から語ると地元の方なら「浅野屋」を贔屓にしたくなるだろう気持ちを深く得心したのです。4時の開店後すぐにお邪魔したのですがすでに常連らしき女性が一人、手酌でビールを召し上がっておりました。今時、女性が一人酒場で呑んでいるとていちいち感嘆の声を上げるのも時節を逸している感があるけれど、やはりそれでも女性が独りで気分よく呑める酒場というのは貴重だし、なかなかにすごいことだと思うのです。まっさらに磨かれた白木一枚板のカウンターが実に良くて、普段通っている煮染めたような黒光りしたのもいいけれど、現下においてはこうした清潔感が漂ったのが安心もできて気分のいいものであります。酒も肴もお値段は若干普段使いの店よりはお高めではありますが、それでも週に一度位のペースでなら通えそうな雰囲気です。近隣のご隠居さん風のオヤジさんたちが一人、二人とのんびりと姿を見せ始めると店は俄かに活気付くように思えます。皆さん、自粛生活を耐え忍んでいたらしく、大袈裟に快哉を上げたりはしませんが、その表情にはまだまだ油断はならぬけれどそれでも少しだけ気を抜いたような多幸感に満ち満ちているようで、等しく笑顔を振り撒いていてここにいる皆が幸せに感じられるのです。料理も特別なものではないのですが、ひとつひとつがちゃんと美味しい。なんてことはないのだろうけれど、いちいち細かなところに気を抜いていないのだろうということがはっきり感じられます。こういう普通の肴を旨いと思えるようになったということは、ぼくもようやくして大人の酒場に馴染めてきたということでしょうか。そして神保町の酒場にもやっと受け入れられたようにも思えて、今後ちょくちょく訪れることにもなりそうです。
2020/07/13
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秋葉原はすっかり変わってしまいました。ぼくがはじめてこの町を訪れたころにはオタク臭はまるでなく―いや、まあ電子機器が好きな連中もオタクと呼ばれるとしたら今よりはずっと昔のオタクは硬派だったのだなあ―、ひたすら電子機器の町であったのです。だから何だという話でありますが、実はまったく興味を失くしてしまったけれど、実はぼくも幼少期は電子工作に対して強い憧れを抱いていたのでありまして、秋葉原はそんな憧れを現実化した町だったのです。当時、親せきを頼って上京した際にせがんで連れて行ってもらった町のひとつが秋葉原だったから、数多くの町を擁する東京でも特別な町のひとつであるのです。でも町も生き物のようなもの、ぼくのかつての憧憬の町はその憧れの源泉を失ってしまい、実際には色彩に溢れているはずなのにぼくには色褪せて感じられるのでした。でも、こんな町にも古い渋い酒場や喫茶店が残っていることを知り、再びぼくの関心を誘うことになるのですが、それもそう多くはないわけですぐにまた疎遠な町になってしまったのでした。 とまあ、ぼくのチンケな人生において秋葉原は数多ある東京の町で確固たる存在感で居座り続けていたのでありますが、それを言い出すと例えば池袋や大井町、亀有なんかもそうだなあ思いれのある町などいくらでもあるけれど、どこもまあねえ、ちょっと場末めいた地名ばかりが脳裏に浮かんでくるのです。そんな中では秋葉原はいくぶんかかつてよりイメージは良くなっているかもしれません。また、山手線と総武線が交錯する便利な土地柄ということもあって、新しい酒場もじわじわと数を増やしているように思えます。というかこれまで呑み屋が少なかったほうがどうかしていたように思えるのです。「金子屋」もそんな一軒でありまして、どうやら五反田の「かね将」と姉妹店的な立ち位置であるらしいのですが、「金」と「かね」でつながってるのは分かりますが、屋号だけでその類縁性を読み解ける人はまずいないだろうと思うのです。まあ、それぞれが独立採算でやっているのだろうし、系列であろうと独自路線を突き進んでくれるほうがぼくにとっても楽しみがあるというものです。ここにお邪魔したのは端的に4時から営業しているからでありまして、5時過ぎだったら他所にお邪魔していたかもしれません。というのも外観が見るからに新しいし、店内がむき出しのオープンな造りなので、ワクドキ感に欠けるところがあるからです。でも入って通された席に着いてみるとなかなか大衆酒場らしくていいではないですか。それにしても空いているのだから、わざわざ窮屈な席に押し込まずもう少しゆったりできる席に通してくれても良さそうなものだけれどまあ初めての店だから文句は言うまい。さて、定番のもつ焼はまあそこそこに美味しいし、ホッピーも中がコップで提供されるのは愉快な気分になるけれど、勘定が疑念を抱くほどに高かったのはどうしたことか。知らぬ間に呑み過ぎたとしてもいささか度を越した勘定書きでありました。どこからの伝票と間違えられたのだろうかとお聞きすれば良かったのだけれど、普段はかなり厚かましいほうなのにこういう時に限っては控えめになってしまうのです。この性格はなんとかしなくては、これから先の生き馬の目を抜くような日々を乗り越えられそうにありません。
2020/07/09
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駅の改札を出ると出ないでは、同じ駅に出向くとしても気分には雲泥の差が生じるものです。その理由の一つとして誰しもが思い至るのが運賃が不要であるということです。これはきっとやり方次第ではキセル扱いとされる行為だろうから、運賃を未払いのままなのはルール違反となるかも知れぬので注意が必要です。ぼくがもし仮に鉄道オタクの特にこういうタイプのマニアを何オタクと呼ぶのかそもそもそんなマニアなどおらぬのか知らぬけれど、とにかく駅構内の飲食店を巡るようなタイプの人がいたとすれば、そうした最短距離の切符で遊び尽くそうと思うに至っても不思議はないけれど、生憎、現代の駅構内飲食店にぼくの琴線に触れるような店は余りなさそうです。この自信の無さは無知がもたらすもので、案外調べてみたら面白そうな店もあるかもしれないななんて思ってみたりもするのです。少なくともそこで酒が呑めるようなら訪問店の候補に加えるのも悪くないかもと思い始めているのです。 さて、神田駅構内にもそうした呑ませる店があったのですね。池袋駅にもパブがあったりと多忙を極めるサラリーマンなんかにとっては案外利便性の高さで人気なのかもしれぬから、今ではほうぼうにこうした店があるかもしれぬとあっさりと駅ナカ酒場リサーチをしてみる決心を固めたのでありますが、取り急ぎ語るべきは神田駅の「ほぉーバル」であります。駅の構内にバルのようなさくっと呑んでだらだらと長居しないで済むようなタイプのお店が多いのは当然といえば当然のことです。でもひと昔前のアイルランドのパブを舞台にした映画がありましたが、そこでは金はないけど、有り余る時間を持て余した老人たちが一杯のギネスをのらりくらりと舐めるように呑んでいる姿がユーモラスに描かれていましたが、ここ神田駅構内のパブも眺めていると長居するお客が多かったように思います。それが分かるのはわれわれも結局閉店の時間まで居座ってしまったからでありまして、メガジョッキと380円の大盛ポテトフライで粘ったのでした。こんな好立地で手頃な価格帯で商売できるのは、この営業母体がどうやらジェイアールの関連会社だからなのだろうなあ。一日を通して一定の集客を見込めることもあり、終日の営業というのも結局、値段の引き下げに一役買っているように思われますそれはそれでありがたいのですが、そのせいで近隣の古い酒場が煽りを受けるようなことになっては元も子もないなあ。
2019/12/18
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神田という町との向き合い方に最近変化が生じていることは、前回書きましたが―ってそれ程明確には記していなかったかも―、それとは別にサラリーマンに対する共感の持ちよう次第でその印象も結構変化する気がします。酔ってヘラへろになったサラリーマンの時に愉快でもあり、場合によっては不快でもある彼らに対する気分の変化が神田をその夜の呑みの現場とするかせぬかのバロメーターとして機能するようです。つまりは今のぼくは彼らに幾らか寄り添った気持ちで生活しているということなのだと思うのです。ところで、企業戦士だったり落ちこぼれだったり大体いずれかに属するであろう彼らでありますが、その出自は見た目では容易には判別できぬけれど、概して言えるのは神田辺りを徘徊するほとんどの人達が田舎者なのだという事です。無論、東京生まれの東京育ちだっているだろうけれど、東京者の案外多くが実家の近所しか知らぬ都内不案内者であるように思われるし、大体が東京の奥の方は地方の町より余程辺鄙だったりするものです。だからかどうか知らないけれど、この町にはご当地酒場をよく見かける気がするのです。神田に限らず、東京、有楽町、新橋など地元の住民というのが極端に少ないであろう町には田舎者が田舎らしさを求めるのが必然なのかもしれません。 かくいうぼくも田舎者の端くれなのでありますが、不思議と自分とゆかりのある地方のご当地酒場に行った記憶があまりないのであります。ご当地酒場の対象となる都道府県というんは案外限定されるものなのかもしれません。ぼくの過ごしたことのある土地でそうした対象となるのは秋田位じゃないだろうか。三重県や和歌山県などでも過ごしたけれどまずこの辺の郷土料理を食べさせる店は見掛けぬのです。やはりご当地酒場は雪国もしくは南国が似合うようであります。同じ東北地方でも宮城県をあまり見ることがないのも雪国ではないからかもしれません。この夜お邪魔した「このじょ」は、山形の郷土料理を提供してくれるお店でした。雑居ビルの奥にあるという立地の妙に惹かれてお邪魔することにしたけれど、入ってみればすっきりと清潔などうということのない店内です。カウンターに置かれた赤べこを見て、山形で赤べこなのという呟きを耳ざとく女将に聞かれて、お客さんにいただいたことをお伺いしました。山形料理といってもそれほど種類はないのですが、背広姿のお客さんたちは山形ご出身の方ばかりでした。東京生活の長い方が多いようでご当地言葉を耳にすることもなく、ちょっと残念なご当地呑みとなりました。
2019/12/10
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近頃、少し神田が好きになった気がします。もう結構な以前の事になると思うけれど、週に一度行くか行かぬかという適度なペースで呑みに通っていた時期がありました。いつしか神田の騒々しくて仲間内の呑み会といったグループ呑み連中の多さに、職場と地続きのような息苦しさと憐れさを感じるようになって以来、めっきり神田に立ち寄る回数は減ったのだけれど、まあぼくの性癖でもありますが、思い出したら麻疹のように繰り返し出向くのでした。ただし、同じ神田でも出向く方向性は徐々に変化してきたように思います。最初は呑み屋が密集したメインストリート、次にガード下、今ではオフィス街に紛れるように忘れ去られたような酒場を好むようになりました。この夜出向いたのもそんなわびしいオフィスビルの地下にありました。 古い雑居ビルの地下に「ふるさとの味 居酒や 車屋 神田南口店」は、あります。地下街にもその規模の程度次第で興味の持ちように変化が生じるものです。もっとも関心があるのはやはり、新橋駅前ビルのようなちょっとした迷宮のような地下街に魅力を感じるのは間違いないけれど、余りに規模が大きいと必然的に人も多く集まるわけで、見掛け上の愉快さに比して現場は窮屈なことが多かったりするものです。ぼくが近ごろ好きなのはせいぜい5、6軒程度の小規模な地下飲食街です。店子が抜けて歯抜けになっていたりするのも寂寥感があっていいものです。こちらのような地下にテナント1軒だけというのは少しばかり物足りなさを感じさせますが、ここのように古いビルの地下だと味わいは格別なものとなります。店内に入ると奥が全面鏡張りになっており、店内を広く見せる演出なのだろうとは分かるのですが、店内が若干ごちゃついているせいかさほど上首尾な効果がもたらされているとは言えないかもしれません。それはともかくとして、この居酒屋、チェーン店なのかどうかは知らぬけれど、とても懐かしい気分に浸らせてくれます。肴の定番なところにも惹かれます。定番が揃っていることを喜ぶのもどうかと思うけれど、余り迷わずに済むところが有難いのです。そして、こちらで取り分けお勧めなのがハムカツであります。たっぷりサラダにゴツイカツが4枚も付いているので、一人だと当然持て余すこと必至です。しかも値段は400円だったかな。ここは明らかに職場の仲間などで連れあってくるようなお店です。とても独りでは食べきれません。そういやカウンター席は荷物置きと化していますね。近頃、職場の人と呑むことが少なくなったせいなのが、どこか回顧的な気分になった所以かもしれません。
2019/12/05
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神田の町は、路地の裏に入り込めばまだまだ掘り出し物が潜んでいることを確信しています。確信はしているけれど、近頃駅を中心に大きく変貌を遂げつつある神田駅を見るにつけ、あまりの速度にそれを見届ける気分にもなれず、このところめっきり寄り付かなくなった町のひとつです。町だってほとんど生き物のように変化し続ける宿命なのだから、発展といった方向で変わることは本来であれば喜ばしい事態であるはずなのであります。駅前が駐車場やマンション、下手をすると更地にされてしまうようなむごたらしい事態に比するまでもなく、発展的な変化はそれを受容する側の心構えひとつで大いに祝福しうる出来事に違いないのであります。その変化の過程を楽しむという受容の仕方もあるはずなのですが、どうもぼくにはそれに対する適性が決定的に欠如しているようです。 お邪魔したのは、見るからに風格があり構えの立派さに怖じけをなさしめる「尾張家」であります。普段なら見向きもしなかった―というか実際ここが放映されるまでこの居酒屋が視界に入り込むことはなかった―、そういう類のお店です。大抵の場合、番組を見てから現場に出向くという事は少ないのですが、今回はたまたま暇だったのか番組を見て、安くはなさそうだけれど案外リラックス出来そうで、悪くないじゃないかという事で、放映されてすぐの金曜というリスク―視聴者が大挙して押し寄せるというリスクですね―も省みず、ヒョコヒョコと出向いたのであります。現地についてもその敷居の高さは明らかですが、何、勝手は知っているから恐るるには至らぬのです。店内に果敢に足を踏み入れるとコの字のカウンター席はほぼ埋まっているけれど、うまい具合に2席空いています。2席というのはT氏を伴っていたからですが、これで予約が入ってますなんてことにならねば良いのだがという杞憂もすんなりと通過しました。お隣りは老女お二人と、世代を超えて好まれているのは安心感を助長してくれます。席に着いて早速ビールを注文。その間に肴を見繕おうという寸法ですが、ここはおでん屋だからそれを中心に頼めばいいから気も楽です。そのおでんが思った以上に大振りで値段は予習済みだからまあこれならいいかと思えるコストパフォーマンスだななんてT氏とひそひそ感想を述べ合います。その後も次々とお客さんが訪れて,これはテレビ効果ではなくもともとが繁盛店なのだろうなあなんて思うのでした。こういう居酒屋に普通の素振りで呑みに行けるようなそんな大人に早くなりたいものです。
2019/11/29
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かつて数年間をお茶の水で過ごしたことがあります。当時のぼくは諸々の事情からいつも決まりきったコースを代わる代わるで吞み歩かざるを得なかったのであります。当時も飽きっぽい性格は変わらなかったので、ホントに嫌気がさしていたりもするのだけれど、今でも当時と変わらずふと気が向くと足を向けることがあります。かつてからの店の方の顔ぶれが変わらぬのもうれしいところ。この夜はそんな定番の呑み屋をハシゴすることにしたのでした。 と書いたけれど、ハシゴするつもりはもともとはなくて、この前夜に「大衆酒場 徳兵衛」にお邪魔した際に忘れ物をしてしまい取りに行くことにしたのでした。いつもは馴染みのある半地下の店舗にお邪魔するのですが、生憎の満席で中2階のほうに席の空きがあったのでそちらで呑んだのした。こちらを訪れるのは何年ぶりになるだろうか、というかそもそも片手に余る程度しか入ったことがないかもしれません。上のフロアは、店の主人がいて昼間に煮込みの下ごしらえで大量のもつを茹で溢して油の浮きまくったお湯を側溝に廃棄している姿をよく目にしたものです。ほとんど顔を合わせたことがなかったのですが、忘れ物をしたことを告げると気のいい笑顔を浮かべてくれるので、そのつもりはなかったけれど、つい立ち寄ってしまうのでした。ぼくの通った頃は大概が閑散としていたものですが、今ではこうした古酒場を求める客が押し寄せて大変な混雑となっています。嬉しいことではありますが、自分のお茶の水の居場所を奪われたようで少し複雑な気持ちでもあります。 仕事が遅くなった夜などには、お茶の水を通る多くの路線からもアクセスのいいお茶の水サンクレールをよく利用したものです。特に頻繁に立ち寄ったのが、そば屋が本来の業態である「げんない」でした。そうはいっても夜にお邪魔してちゃんとそばを食べている客は見たことがありません。そばは見なかったけれど、北海道でよく食べられるというラーメンサラダはほとんど毎回のように食べていた、いや食べさせられていたことをよく覚えています。その「げんない」ですが、知らぬうちに「そば酒房 笹陣 お茶の水店」と店名を変えたようです。その割に内装はカウンター席がなくなったり、食品ショーケースが小さくなったりといくらかの変更はありそうですが、テーブルや椅子、おばちゃまたちはそのままに何のための改称かよくわからぬままに引き継がれているようです。しかし、ラーメンサラダに準じてよく食べた、わらじコロッケは品書きには見受けられませんでした。ということで、間違い探しのような微妙な変化を探りながら呑むと話題に事欠かぬのでありました。
2019/09/19
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市ヶ谷っていう町は、きっと住むには良いんだろうなあ。一歩通りを裏手に入るだけで閑静で人通りも疎らな落ち着いた暮らしを得られそうです。しかも最近はそういう新しい住民たちをターゲットにしたスーパーマーケットなんかも案外充実してきているようです。かつては都心は交通の便は良いけれど、生活するには不便も多そうだななんて思っていましたが、今だったらさほど不便を感じずとも生活できそうに思えます。だったら住めばいいじゃないかということになるかといえば当然にそうはいかなのです。敢えて書くまでもないのですが、とてもじゃないけれどここらの住宅価格は庶民に手が届くはずもないのであります。住宅事情はおハイソ仕様だけれど、食料品などの物価に関してはそれなりに庶民的という矛盾は、朝晩で町を利用する人たちの差異と考えるとそう不思議ではないのかもしれない。だけれども、飲食店も案外お手軽価格が主流なのだ。地元民より勤め人に利用されることが多いであろう居酒屋なんかはひとまず置いておくこととして、イタリアンやら中華料理店、インド料理店なども押しなべてお手頃価格なお店が多いようです。おハイソな町である割に食に関しては案外質素な印象があります。まあ、銀座や赤坂なども近いから地元にぶらりと食事しに行くという機会自体が少ないだけなのかもしれません。 さて、ビストロにもお手頃価格帯のお店があることは、随分以前から知ってはいました。しかし、どうも夜の市ヶ谷というのがゾッとしないのです。どうしてゾッとしないかはご想像にお任せすることにして、とにかく市ヶ谷をどうしようもなく嫌悪する自分を知っているので、なかなかそのビストロにも足を向ける気にならなかったのです。どうして今になってその気になったのか、それを説明するには例のごとく紙幅が足りぬので割愛させて頂くのです。四ツ谷「パサパ」系列である「ラベイユ(Restaurant L'Abeille)」です。この系列のお店というのはどこもいつだってすごい繁盛していて、それも敬遠したくなる所以なのですが、小奇麗だけれど味もそっけもないこのお店は寂しい位に空いていました。空いてるというか他に常連さんがカウンター席にいるのと、奥のテーブルにフランス人らしき女性を伴うカップルがいただけです。混んでると鬱陶しいとか言うのに空いてるとそれはそれで侘しいとは身勝手な事であります。さて、フランクな感じのフロアー担当のお姉さんに早速オーダーします。いつもはくよくよと悩むところですが、この夜は決断が速かった。ワインも赤の一番安いのを躊躇なく注文。すぐにワインとバゲットにリエットのアミューズが届けられます。この系列の定番ですね。大したもんじゃないけど、これがあるとないとで格段に楽しさに差が出ます。一皿目のオードブルはエスカルゴときのこのクリーム煮、たまに無性にエスカルゴ食べたくなる時があるんですね。エスカルゴのプニプニと各種きのこの食感のハーモニーが愉快だと言ってみたりする。次のメインは牛ほほ肉の赤ワイン煮、はじめての店ではなるべく大定番をいってみる。自宅でも作れぬことはないけれど、えらく時間と労力を要するため家事労働の対価に見合っているとは言えぬのであります。こうした料理は大人数の分量を一挙にドカッと拵えることが本来であれば求められるものです。というわけで自分で調理すると、やはりどこかしらで手を抜いてしまいがちなところが微塵もなくやっぱりプロの料理なのであります。ぼくにはすこしばかりゼラチン質が残り過ぎに思えたんですけど、これはシェフごとにそれぞれ拘りがあるようで、ここはこういうものだと思っていただくべきでしょう。デザートも3種盛りが手頃でいいですねえ。とすっかり満足し切った様子ですが、実は食後にひどく胃がもたれました。単に己の胃腸の分解能力の低下に理由を求めることも可能でしょうし、大体において重いソースの料理を並べているから仕方ないと言われたら項垂れるしかないのです。しかし、どうもそれだけではないのです。今振り返って思うと、一皿の味わいがひと匙目から最後の一口まで味に広がりとか変化が余りなく思われるのです。だからどうしても食べていて飽きてきてしまうということになるようです。これはちょっとばかり勿体ないと思うのだけれど、これは客の嗜好とすり合わせた末に至ったものなのだとすれば悪いのはぼくの味覚ということになりそうです。ここの客がどうやら多くが近隣住民だとすれば市ヶ谷の人たちは案外濃厚な料理を好むようです。だとすると市ヶ谷のビストロは、ぼくには少しばかりキツイみたいです。
2019/04/11
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いつまでも変わらぬ事は、尊いものと思っています。しかし、いつまでもという様な大仰な物言いをしてみたところで、所詮は己の把握しうる程度な期間のことをいつまでもと称しているのであるのです。それで十分なんじゃないかと思うのです。生まれる前の事など正しく知りようもないし、それが出来立てホヤホヤだとするともとより興味を覚えることもなさそうです。死んだ後の事となるとそれこそ知ったことではないというものです。だからぼくの生きている限りにおいては、叶う事なら町も余りに変わらずいて欲しいし、そこに根付いた酒場もぼくを受け入れてくれると嬉しいと思うのです。その反面で余りにも変わらぬのも退屈です。だからぼくは通う町にはなるべく片手程度のお店を確保しておいて、代わりばんこに通っているのです。マンネリをマンネリと認知してしまうと、かつて抱いていたはずの愛着をいとも容易く引っくり返し思い出すのも嫌ということに変容させかねぬのであります。御茶ノ水の夜もそんなマンネリズムに陥りつつあります。かつては日を置かずに通ったあの酒場にかつての愛情を注げなくなるように感じたのは気のせいではないと思うのです。 いや、けして「銀座アスター お茶の水賓館」に通い詰めていたんじゃありません。何かしら事あるごとにここで会合が持たれ、好むと好まざるに関わりなく高い会費を払うということもありむしろ愛情とは縁遠いと言ったほうが相応しいかもしれない。というか、ここは些かもプライベートなお店などではなく、むしろオフィシャルに利用するのが適当なお店なのだから、ぼくの関心を引かぬのも無理からぬところなのです。だからこういう時には、早いうちにオフィシャルな振る舞いは済ませてしまって、後は徹底して眼前に並べられる普段よりワンランク程高価な料理と呑み放題に邁進するべきなのであります。この日は中華料理のメリットでありデメリットでもある大皿ではなく、個別に取り分けられているのも大変結構です。会費の内訳を知らぬ以上、面倒よりも金銭で厄介事を回避するのが、こうした場合には都合がよろしいのです。いちいち料理名を書き写すつもりもないし、そもそもメニューを後生大事に保存しておくだけのマメさとも無縁だから、結論としていつもより美味しい気がしたと書くことにしようかな。かつてはここの料理に対しては、日本ナイズされた中華料理と批判的な感想ばかり述べていたが、それは相応の金額を支払っていなかったからか、はてさてぼくの味覚があっさりを好むという高齢化の傾向にあるからかは定かではないが、とにかくこれまでに感じたことのない好感を覚えました。おっちゃんやおばちゃんがこのメジャーな高級中華料理店を好む理由が少しだけ分かった気がします。まだプライベートで来たのは一度きりだけれど、いつかまたプライベート利用する時があるのだろうか。 以前から「銀座アスター」で呑んだ後は、きまって「大衆酒場 徳兵衛」を訪れたものでした。この夜もいつもの流れに沿って迷うまでもなくここを目指したのでした。客たちの顔触れは一新されていて、当然かもしれぬけれど見知った顔などないのでありました。いや、半地下のフロアと決め込んでいるのでここにも自然と足が向かうのでありますが、見知った店の兄さんの姿は変わらず健在でした。店は大層賑わっていて、以前はたまには入れぬことがあっても大概は閑散としていた記憶があるけれど、この夜は盛況だったので、兄さんに混んでるねえと声を掛けるといやいやこんなもんでしょ、昔だってそうだったよとごく稀に姿を見せるようになった者と毎夜務める者とは印象がこうも違うのだなあ。この夜は当然だけれど少しも食欲がなかったのでひたすらにトリハイを呑みました。ここの強いトリハイ―に限らぬけれど―は旨いんだか不味いんだかなんとも言えぬけれど、とにかく手っ取り早く酔えることは間違いないのです。しかし、やはり年齢のせいなのか酔いが回るよりも先に胃のむかつきが到来したのです。ここの酒はぼくにはもう潮時なのかもしれぬ。かといってこの先どこへ行けばいいというのだ。やはり御茶ノ水ではこれからも同じ行動を繰り返すのしかないのかもしれません。
2019/02/28
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どうしてまた九段下で呑もうと思い立ったのか。東京のど真ん中、九段下などにどうして気を許せる酒場があろうものか、と本当のところは気持ちは飯田橋方面に向かっているのでした。しかし、歩いてみると要所要所に良さそうな雰囲気の飲食店が佇んでいるのです。なんだよ、こんなにいい店があるならもっと早くから来ていたのに。こういう先入観に基づき取りこぼしているお店があるんだろうなあ。と、結局いつもの何ら生産性も創造性にも欠ける結論に至るのでありました。結局、横着する者は幸運からも見放されるということであります。 そんな気になるお店の中から一軒、「お食事の店 まさみ」をセレクトしました。格式こそいかほどのものか知らぬけれど、巨大であることは間違いのないホテルグランドパレスとホテルメトロポリタンエドモントに挟まれるというそんな強烈な立地によもや古色蒼然たる定食屋が居座り続けられることがまずは驚愕です。しかしこういう都心の町のエアポケットのような店は近隣のサラリーマンたちの格好のたまり場となることも少なくないので、感慨もそこそこに暖簾をくぐることにしました。幸いかなお客さんは独りもおりませんでした。が、こういう場合困るのがカウンター席に腰を落ち着けるべきか、あえてテーブル席にしておくかであります。カウンター席は常連の指定席となっていることも予想されるし、テーブル席は近隣の背広族のために空けておくべきという気もする。特に指示もないので、選択したのはカウンター席。特に文句も言われずホッとします。こんなに気を遣って、そこは常連の席なのよなんて嫌味を言われたりしたらここまでの好印象がぶち壊しになるところでした。それにしてもホッとするなあ。ビールは缶になるのだな。構わん構わん。酒は生酒なのね、一向に構わんです。コロッケはいかにも手作りで大変結構。マカサラはう~ん、業務用かしら、ちょっと残念だけど、やはり構わんのであります。今のところお客さんは増えそうにもないのだけれど、店のお姉さんたちはじわじわと3名になっておりました。個性もさまざまで最後にお越しになったお姉さんは実によくしゃべるお方で非常に愉快でありました。九段下はまだまだよさそうなお店があるので、再訪必至でありましょう。
2018/12/26
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市ヶ谷って町はホントに面白くないなあ。って愚痴ばかり言ってみても仕方がないのであるけれど、呑みにはどうも適さぬ町であるのは事実なのであります。しかし市ヶ谷を悪く語るのは本当は筋違いかもしれぬのであります。今、市ヶ谷がつまらんとかなんとかエラソーに門外漢が語ってみせている、その市ヶ谷はJRの駅がある、つまり市ヶ谷駅の界隈それも外堀と皇居に挟まれた一帯を主に指して語っているわけでありますが、住所としては四番町だったり五番町、六番町もしくは九段北とか南だったりするのです。では市ヶ谷とはどこにあるのか。外濠を通る靖国通りの北側のかなり広範なエリアに市谷××といった地名が残っています。防衛相や大日本印刷などの国の施設や大きな企業・工場があるだければなく歴史的な町並みも少なからず残っているのです。地名を眺めるだけでも想像力を掻き立てられるエリアなのだ。柳田國男の旧居跡があるのも市谷加賀町であるし、市谷山伏町にある市谷小学校の裏手には住所こそ違えど泉鏡花も居を構えていたそうであります。そんな歴と文化の薫る市谷を散策してみてはいかがでしょう、などと出来損ないのパンフレットのようなことを書いてみても仕方ないけれど、日中はこの界隈は散策すると案外楽しめるのです。 しかしそんな小粋な愉しみを味わう余裕のない貧乏性のぼくにはJRの駅の界隈、市ヶ谷の方が似合っているのかもしれぬ。ということで、昼下がりに「そば処 瓢箪」にお邪魔したのであります。ここには昔よく通ったものです。そばの印象は余りなくて専ら気に入って食べていたのがミニカレーなのであります。絶賛するとかそういったものではないのでありますが、しみじみと空腹を満たしてくれる腹っぺらしのぼくには有り難い味方でした。しかし時遅く、すでにご飯切れてしまったようです。しからばカレーそばでもよかろうと頼んでみるとカレーも切れているとのこと。だったら最初からご飯もカレーも切れてると言って欲しいものです。それに追い打ちを掛けるように食券を買い求めてくださいな、それで品切れかどうかわかるからだって。なんて気まずい思いをさせるのだよ、おばちゃん。店のスタイルが変わったんだろうか。なので、かき揚げを浮かべたそばを頂きました。最初からこれと決めていれば間違いなく旨いのだけれど、食べたいものが食べられないとなるとどうも満足は出来かねぬのでありました。 と、「瓢箪」のことを記録するためのダシとして「おかってや 市ヶ谷店」のことは書くのであります。そう、チェーンの面白味のないお店の感想を述べようとしてもやはりどうやっても面白くなどなりはしないのであります。靖国通りの地下にある小奇麗なお店で、まあ魚介類が豊富で新鮮との触れ込みで一部のオヤジたちが好むタイプのお店なのであります。世間的には立派にオヤジなぼくではありますが、気持ちはまだまだ若いつもりのぼくにはこういうしっぽりと気取った店はどうも性に合わぬのであります。絶対独りではいかないだろうし、大体においてこちらのお店は独り客をあまり想定していないようなのです。まあ刺身などたまにしか食べないぼくには、刺身があるというだけで新鮮な気分になれるのだからたまにはよかろうと思うのです。でもまあやたらと暗いなあという印象しかない、まあそんな大人の居酒屋なのでありました。
2018/12/21
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たまにはぼくのような者だって気取ってみたくなることがあるのです。そういう時は大概が迷いとか苦悩とかいうネガティブな因子が根底にはあるのですが、時には意味もなく気取ってみたい、そんな余波があるものだし、それさえないというのは壮年男子としては問題があるのではなかろうか。というのが前夜の結論だったらしいが、なんだかよく分からぬ。少なくともバーで呑むという所業はカッコいい事だということらしい。この場合、世間様がどう思おうかという事など委細構わぬのであります。当の本人の思惑が全てなのであります。バーでカッコつけている時に、仮に美女がすり寄ってくるなどという事態が生じようともけしてがっついてはならぬのです。そんな時にはグラスに残るバーボンなりの残りをグイと呑み干し、直ぐ様にバーテンダーにお替りの合図を送るべきなのだ。女になど脇目も振らぬという厳然たる意志を貫くしかないのです。さのストイックな姿勢に熱い眼差しを向けるようなら、お替りもグイと空けて席を立つべきであります。勿論、その際にはさり気なさを装い視線をちらり投げ掛ければ良いのです。気前よく彼女の分の支払いを済ませれば首尾は万端整っている。しかしそう上手くはいかぬのが現実です。だからこそ孤独な自分に酔うというのがバーでの一般的な振る舞いなのであります。ぼくなんぞが男を代表して語るのはどうも不遜な気がするけれど、そうした孤独な男の大部分は助平な事を考えているはずです。居酒屋で独り呑む男で助平な事を思う客は半数に及ばぬと思うが、バーだとその八割は助平な夢想に耽っているはずです。つまり、バーとは男が独り誰も見てなどいないけれどカッコつけながら助平な事を考えるという実に不健全でファンタジックな空間なはずなのです。 なのに、市ヶ谷などという不粋な土地柄で呑むということになるとそうもいかぬのです。靖国通りの退屈な雑居ビルを奥に進むと「BAR 9DAN SLEUTH(バー・クダンスルース)」という思いがけずオーセンティックな割といい感じの空間が広がっていたのです。それにしてもこれは少しばかりキャパシティを取り過ぎではなかろうか。この町は散策に値するほどの愛想もないし、かといって閑静な住みたい町と呼ばれることもない、まあ無機質で退屈な町だからこの辺で勤務する連中は恐らくは夜になると町を移るのだろうと思う。だからここにこんな広い店は贅沢に過ぎるのではないか。まあ、贅沢は嫌いではないが当然他力に本願することになります。などと悠長な事を述べるのは、前段の男としてのバーでの振る舞いに完全に背く所業を犯したからなのであります。そう、仕事関係のおぢさんたちとグループで呑むということになったのです。しかも場所はバーなのだから己の流儀はどこへいってしまったのであろうか。幸いにも写真にそのオヤジたちの姿は認められぬから、何もかも無かったことにしてしまうという方策も取りうるわけですが、根が正直なぼくとしてはそれは避けたい。みっともない所業を為してしまったけれど、それを繕ってみせるのは潔くないのではないか、とここに来てまたもやカッコつけてみせるけれどやはりちっともカッコよくはないのでした。さて、仮にここで独り訪れたとしたらどうだろう、と夢想してみる。きっとカウンターに控えるバーテンダーなど気にも止めず、ひたすらにお二人のキレイな娘さんをチラ見してしまうことだろう。チラ見がバレぬと思うのは当の本人だけなのは知っているけれど、きっとそうしてしまうだろう。カッコつけの道はかくも険しいのであります。
2018/11/29
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神保町はかつてのぼくにとって憧れの町でした。中学生の頃、当時は仙台、いや新潟に住んでいたんだっけ、そんな昔の事は今となってはどうでもいいのだけれど、とにかく神保町を散策するためだけに東京にやって来たことがありました。その頃はまだ映画に目覚めて間もない時期で、まだ見ぬ黒澤明やオーソン・ウェルズなんかに幼いながらも憧憬を抱いていたものです。何も神保町で映画を見たかったという事でもないから、映画の事は置いておきます。当時はそう、本に夢中になっていたのです。聞くところによると神保町には世界一の規模を誇る古書店街があって、そこで入手できぬ出版物はよその何処でも入手困難であろうという、今でもその真偽の程は定かならぬ風評に促されるがままに上京し、無残にもその夢は砕かれるに至るのですが、そんな私的な思い出はともかくとして、とにかく今に至るまで神保町は古書の町であり続けるのです。永年追い求めてきた稀購書を手に静かで適度なプライベートを確保できる喫茶店で紐解くなんてのは愛書家の至福のひと時であろうことは想像に難くないけれど、今のぼくなら落ち着ける居酒屋でひとりほくそ笑みつつ祝杯を上げたいところなのであります。 と書くとさもすごい珍品でも入手したのかと身を乗り出す方もおありかもしれなので早いうちにそんな幸運な出来事に遭遇などしておらぬことを語っておくことにします。さて、何度もトライして入れぬ喫茶、「バロン」は貸し切り営業とのこと。「喫茶 プペ」もまた目の前で閉店してしまいました。順番が逆なら入れていたのにねえ。やむなく生硬で手堅い「イトウコーヒー店(Coffee ITO)」な入りましたが、特に語るべきことも無し。 本来の目当てとしていたのは中華飯店の「成光」なのでありました。神保町には、古くからの飲食店が数多くあって、事ある度に暖簾をくぐって来ましたが、かつては映画鑑賞や古書探しで時折訪れてはいたけれど、初訪時の町の印象と思い描いていた町並みとのギャップを未だに埋められぬ思い込みの激しい者としては、どうも好んで訪れるまでにはなれぬのです。この日もたまたま近くに出張したから立ち寄ったまでです。そして、若い頃にはお世話になった「いもや」が閉店したりと、いつまでもこの町がこのままではおられぬ事を思い知らされると個人的な好き嫌いなどに構ってはおられないのです。この古い中華飯店も後何年続けられるものやら。調理するのはぼくとも同世代の若い方だったから後継ぎには事欠かぬかもしれぬけれど、店が消え去るのは後継者問題だけが理由ではないのであります。そして味は二の次のぼくにとってはこの風情を留めてくれるのが味を継承することよりもずっと切実な望みなのであります。赤を際立つ店内はいかにもな中華飯店のそれで、こういう伝統に則った店は喫茶だとフォーマットに則っているばかりと否定的な言葉を弄したくなりますが、酒場や中華飯店、大衆食堂では鋳型にハマっていながらもよくよく観察してみると、細やかながらも差異が見て取れるものであり、その僅かな差異にこそ着目しべきと思うのです。とか書いておきながら今改めて写真を眺めると、思ったよりも赤くはないのですね。こうして見ると大衆食堂っぽさの方が濃密な印象かもしれません。嬉しいことにこちらのお店、酒の肴が充実しています。まずは焼売などいただきながらチューハイをいただくことにしましょう。テーブル席ではやはり同胞が豚の角煮など立派な皿を三枚並べて豪勢な中華呑みに徹しています。なかなかに羨ましい御身分であられるようです。こういう店で長居は無用と思われるのですが、我々以外にお客さんもおられぬようなので、こうした優雅な呑みにも案外重宝するのかもしれません。
2018/07/23
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竹橋という町は、一瞥した限りにおいてはビルばかりの味も素っ気もない退屈な町に思われるけれど、ビルという着ぐるみを剥ぎ取ってみた途端に隠された町が正体を顕にするのであります。ビル地下の飲食店街を入念にリサーチしてみたい誘惑に駆られることがあるけれど、それはなかなかに労力を要することであり、近頃はそれはもう諦めて偶然に頼ることにしました。ネット上の情報などアテにならぬことが多いのもありますし、偶然見つけたという勘違いこそがこうした町歩きの醍醐味ともいえなくもなかろうかと思うのです。無論、マメな方が丁寧にリサーチしてくれたHPなとあるようなら喜んで参考にさせていただくのにやぶさかではないのでありますが、残念ながら今のところそこまで執着のあるページとは出逢えていないのでした。 これまで見過ごしていたようですが日本教育会館が入ったビルにも地下に小さな飲食店が並んでいて、「喫茶 ばーんせっと」なんてのがありました。外観とちょっと中を見て、これはまあいいかと思ったけれど店の方と目が合ってしまっては、素通りできぬ気弱さと律儀が如何ほどにぼくの足枷となってきたことか。 さて、そんな竹橋のビル飲食店街を代表するのが毎日新聞社本社ビルということにそうは異論を挟む方も少なかろうと思いますが、異論があったとしてもぼくの無知を笑って頂く事としてここはそういうことにしておいてください。この地下の飲食店街、確かに充実していて活気もあるし悪くないのだけれど、どうも満たされぬ気持ちになるのはやはり過去の遺物と化しつつあるという哀感が希薄なのであります。こあした地下の酒場は廊下には人気もなく店内も見通せぬような危う気な気配を隠さぬ程度にはうらびらていてくれたほうがしっくりとくるのです。だから「おきらく食堂 竹橋店」は、風通しの良い―とは地下の店舗にかほどに似つかわしくもない表現はなさそうなものですが―丸見えの店内を眺めただけでまあ良いかという気分になったのは先の喫茶と同様なのでありました。それでもこの夜は呑みの約束があり、時間もたっぷりと残されているからここで時間を潰すことにしたのでした。でまあ、おっさん五人組が焼酎ボトルを入れてホッピーを呑んでいるのでそれに倣うことにしたのでした。まあ習う必要もないのだし、正直に中が100円という魅力に抗えなかったと語るに留めます。しかし、中が下手に安いというのも考えものなのです。ついケチ臭くなり焼酎が圧倒的に多めのバランスを欠いた呑み方になってしまうのでした。豚ジャブのおろし和えが大変なボリュームでこれは誰がどうしたって美味しく作れるものだから普段よりもハイペースで食べることに専念しても、食べ切るには中を3回お代わりの計4杯を要してしまうのでした。
2018/06/26
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神田という町は、古くからの下町という事もあるせいか細かに地番が決められているので、標題では神田と大雑把に書きましたが、この日の目的地はむしろ小川町駅や淡路町駅、新御茶ノ水駅を中心とした一帯です。この界隈には戦前から続く老舗店が数多く現存しかつ営業を続けています。この日、誕生日を迎える老嬢の誕生祝いということで、都内の町の何軒かを候補に挙げたところ、交通の便もよく存在は知っているけれどこれまで足を運ぶ機会のなかったこの界隈をセレクトしたのでした。さて、それ以外にもあれこれと条件があります。魚や肉はそうは食べられないし、でもちょっとした物を少しづつ摘みたいといあ要求なので必然的に選択肢は狭められるのです。そういう訳でリクエストにお応えするため頭を捻って出した答えは大定番と相成ったのです。大定番といえどぼくにしてもずいぶん長いことご無沙汰しているので日が迫るに従い、その日が来るのが待ち遠しくて仕方がなかったのです。 御茶ノ水駅に着いたのは待ち合せの一時間も前、しばらく時間があるので駅前の懐かしい「SALON DE CAFE いしい」にお邪魔することにしました。純喫茶と呼ぶには余りにも開放的なのが残念なのですが、その開放感が嫌いではありません。平日は賑わうこのお店も土曜日の昼下がりは落ち着いた表情を見せてくれて、やはりなかなか悪くないのです。 東京メトロの改札で老嬢をピックアップして向かったのは、「神田 藪そば」です。明治13年創業という界隈でも最古参のお店の一軒です。近くにもう一軒、これ以上に愛着のある歴史と人気を兼ね備えた蕎麦屋もありますが、そこだとうっかり呑み過ぎてしまう事になりかねません。そして、数年前のこちらの火災とその後の再開後に訪れることが出来ずにいたので、再開後の様子を確認するにもちょうど良いのでした。表から眺めると、おおなかなかにかつての風情を上手く留めているようだと胸を撫で下ろすのです。店内もこざっぱりとゆったりとした造りもそのままでとても良いなあ。ここではお銚子にサービスで着く辛味噌でも舐めてチビチビする程度に抑えておこうか、締めにはもりを頂けば十分です。いやまあ、ここのは非常に盛りが上品なので一枚では到底足りぬのですが、次があるからね。かつてはそれほど感心しなかったここのそばですが、今頂くと品の良いキレイな蕎麦が微かに香るのが贅沢に感じられます。隣の席では若い男が後輩らしき娘さんに東京の蕎麦の歴史を得意気に語り聞かせています。そういう光景を見ても寛容になれるこの年になって初めて、ここの蕎麦を味わえるようになるのかもしれません。 お土産に「近江屋洋菓子店 神田店」に立ち寄りました。惜しくも本郷店は昨年だかに店を閉めてしまいましたが、神田店は未だ健在なのが幸いです。明治17(1884)年創業という先の蕎麦店とも比肩する歴史があるのに、ここ位に良質な洋菓子やパンを出し続けるお店はそうないのではないか。というか、ぼくも以前はパティシエブームに踊らされて随分と浮気してしまったけれど、今では基本的にここがベストと決めています。いつまでも続けて欲しい名店です。 向かったのは、「みますや」です。普段ならまずもって予約などすることはありませんが、この日ばかりはお祝の席ということもあり、面倒だけれど気合を入れて事前の予約をしておきました。明治38年創業の銅版建築はいつ見ても素敵ですが、店の前にはすでに多くのお客さんが列をなして気色ばっています。開店のどれ位前から群れをなしていたかと思うと、ご苦労なことと感心するやら呆れるやら。そんなに気張るんだったら予約しておけばいいと思うのだけれど、この感想は大いに甘かったのです。なぜなら暖簾が下げられると人々は我先にと店内へと押し寄せるのでありますが、その店内は予約の張り紙で埋め尽くされていました。皆さん、どうやら当然のように予約を済ませていたようですが、それでも心配が抑え切れずに早めにやって来られたようです。そんな総毛だつような争いに巻き込まれたくないので、ひと段落してから落ち着いて店内へと足を踏み入れましたが、何のこともなく、皆さんきっちり席を確保できてまだ余裕もあるようでした。その余裕もすぐに埋まってしまうからあまりのんびりはできなさそうですが、それでも泡を食うようにして駆け付けることはなさそうに思えました。まあこんな感想は確実に席を確保できたからこその意見で、ぼくも現場で入れてもらえないなんてことになったらこんな余裕な態度はできなかったはずです。さて、何度も訪れているけれど、大きなテーブルを知らぬ者同士で囲むこの流儀は東京の古い酒場の正統という感じでなんともいいものです。カウンター席がもてはやされていますが、ぼくにはこちらの方が酒場らしくてしっくりと来ます。定番の酒に肴、しかもホントは食べたいどじょうなどは老嬢は好まぬし、おからは容易がなかったりしたけれど、そんなことなどこの酒場の風情に浸れるならどうということもないのです。また来よう。
2018/04/21
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水道橋駅って映画の帰りに神保町や御茶ノ水方面から歩く事はあってもここを目的に訪れる事はほとんどなかったと思います。近くには東京ドームっていうか後楽園があるけれど、そこにはもっぱら後楽園駅を利用していたからますます縁がない。大体において中央線の山手線の内側の駅って呑みには不向きな町ばかりです。新宿、神田は山手線の内側というのは若干無理があるし、この2駅を加えたらこの話題自体が無意味になってしまう。四ッ谷と飯田橋以外は何処も酒場事情はお寒い限りです。まあそれはこの辺りが企業の入り込む隙がなくて、呑み屋の主たるユーザであるべき勤め人の絶対数が足りていないのだから、店側も無闇と出店するのを躊躇う筈であります。水道橋駅もご多分に漏れず先に書いた後楽園という大遊技場と駅の南側には多くの学校があるから必然酒場の選択肢が限られるのであります。なのになぜだか立ち呑みの優良店が多いのは場外馬券場からの流れ客を当て込んでいるのでしょうか。ともかく手頃な立ち呑みは結構ある割に普通の酒場はそう多くないのがこれまでのぼくの観察でした。ところが見落としていたのですが、やはりあるのですね、古い酒場が。 そこは数軒の酒場が寄り添うように固まったビルとビルの狭間、細い通路の奥にありました。町の真ん中にありながらも町のどんづまりに来てしまったかのような印象を受けます。いやいや、見た目こそ古ぼけているけれど、こここそが水道橋の最深部なのかもしれぬ。いや、「島っ子」という店名を思えば、ここはさに陸の孤島をイメージしているのかもしないなあ。この通路の先にあるそこに到達すると二度と現世に戻れないんじゃないか、そんな一抹の不安と期待を伴った冒険心を喚起させてくれるような場所がよもや水道橋に残されていたとは。いやいや、かつてのぼくなら酒場などよりずっと危険な店にだって果敢に立ち向かったものたけれど、それは単なる無謀さでしかないのだ。いい大人はこの程度のささやかな冒険で探究心を満たすのが良い頃合いに違いないのです。さて、店に足を踏み入れると怖いくらいに静まり切っています。しかし、何処か地方出張で夜遅くに立ち寄ったホテルそばの居酒屋という感じで、飾り気もないそのストイックな雰囲気が妙に感傷的な気持ちを昂ぶらせてくれるのです。カウンターの中で所在なさそうに腰を下ろし、客が来ようが来まいが一向に構わぬという頑なな表情の店主でありますが、口下手なだけで悪い方でないようです。むしろ酒場の主人は寡黙な方のほうが都合が良かったりするのだ。酒場では人は日頃口に出せぬ言葉を発するものであります。酒の肴はどうも揚げ物に偏向しているようで、選択に迷いますが鶏唐揚や山芋揚げは揚げ過ぎなくらいにカリカリになっていて、それで逆に脂が抜け切ってこれはこれで酒が進むものであります。オッサン二人が額を寄せ合い密談を交わすに適する秘密めいた場所を見つけました。
2018/01/17
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都心の中でも特に竹橋となると、酒場巡りには不向きな町という印象がありますが、さにあらず、人のいるところに酒場ありな訳で、しかしやはりそこは都心らしく独特な呑み屋街を形成しているのでした。といかにも早速に本題に突入するかに思わせて肩透かしを食わせるというパターンを踏襲するのであります。またもや思い出話に花を咲かせることになるのは至極恐縮ですが、ぼくにとっての竹橋は毎日新聞でもなんでもなくて、東京国立近代美術館なのであります。これは意外なことを言いだしたなと慌てることなかれ。今は京橋にあるフィルムセンターが1995年のリニューアル前の一時期に竹橋の同館にて上映会を催していたことをご記憶の方は少なくなってしまったかもしれません。もともと京橋のフィルムセンターは1970年にオープンしたらしいのですが、1984年にフィルムセンター収蔵庫から出火しており、つい今しがたまでてっきりこの火災によって建替えを行ったものと勘違いしていました。実際には1991年に老朽化に伴っての建替えとなったのですね。ということは1991年から1995年に掛けて竹橋に通っていたということになるようです。さて、こんなウィキペディアで検索すれば分かる事実はともかくとして、思い出深いのが幻の名作として知られた『忠次旅日記』が復元され上映されたことです。復元後の上映会は新聞に掲載されたりニュース番組で放映されたりと大変話題になったものですが、若かりし頃のぼくもそんな熱狂の渦に巻き込まれて駅まで続かんという程の長い行列の一端を担ったものです。さて、そんなだから竹橋は今でもぼくの記憶の中では映画の見れる町という印象しかなく、後は横目で通り過ぎるだけの毎日新聞東京本社のみが印象に残っていて、町を歩いていても酒場をついぞ見掛けることもせず、いつしか足が遠のいていたのでした。 そんな竹橋とは無縁の生活を送ってきたぼくが再び足を向けたのは喫茶店巡りの熟練者であるお馴染みの方のHPを拝見したからです。毎日新聞東京本社のあるパレスサイドビルディングに「ティールーム 花」があるというのです。そうだよなあ、あれだけの規模のビルだもん、喫茶店の一軒や二軒が店子でいたって不思議じゃないよなあ。なんて訳であまり気乗りはしないのだけれど行ってきました。これが思いの外に良かったのですね。家具はウッディな感じであまり好みではなかったけれど、壁に貼り付けられたタイルのモザイク画がなかなかカッコいいのです。古いビルの喫茶店にこうしたセンスの良いデザインが多いのはこうした複合ビルが建設ラッシュの時代の勢いを反映しているのでしょうか。この喫茶店、見つけるのに少しばかり難儀してしまいました。裏通りにあったのですね。ビルの住民に伺っても埒が明かず根性で探し当てることになりました。ビルの外の看板では9階にあるような記載もあって9階まで行ってしまいました。しかしまあここのビルはそれ自体がカッコいいですね。迷子になって正解だったのかもしれません。エレベーターホールなんて痺れるばかりだし、便所すらがスタイリッシュでこんなビルで働けるサラリーマンが羨ましい限りです。 そんな感じで迷子になりながら地下なども歩いてみたのですが、多くの飲食店んもあって、酒を呑ませる店も多いようです。お得な晩酌セットなどを提供するお店もあり目移りしますが、なんかごてごてして如何わしげな「コイン酒場 百人亭」にお邪魔することにしました。食券式のお店であるだけでなく、酒も硬貨で量り売りしているのですね。たまに見かけますが、それなりに楽しくて、余興程度には目新しいです。本日のお勧めはカウンターに自分で取りに行く式となっていて、マーボー豆腐など指さしてしまいました。しばらくしてチンされたそれが運ばれてきたのですが、味はまああえてどうこういうようなモンではなかったかな。他の品も似たようなものでしょうが、乾き物をサービスで出してくれたりちっちゃなサービスだけど気が利いています。店のお兄さんたちも面倒見がよく親切で好感が持てます。こんなビルで働けるサラリーマンが羨ましい限りです。いやそれ程でもないかな。
2018/01/11
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秋葉原といっても神田川を渡った場所に向かうので、最寄駅は岩本町駅になるのでしょうが、例によって都営線は運賃が高いから利用はしないのでありました。岩本町には滅多なことで足を向けることはないのですが、どうした目的で行ったか今となっては思い出せもしないのになぜだかその時のことだけは記憶に鮮明なのでした。その日の岩本町は人気は捌けてしまっていたもののいつもは静寂に包まれた問屋街が多少飾り立てられて、どこか華やいでいた気がします。華やぐといっても場末の町のダンススクールとか歌声喫茶のようなどこか終末感が漂っていたようにも記憶します。それはどうやら岩本町・東神田ファミリーバザールだったようです。寒空を暗くなり行く中、歩き回った後に辿り着いたのが岩本町だったという訳です。そんなイベントがあることなど知らぬ田舎者のぼくはその日の町のインフルエンザのような病気じみた熱気に中てられ、ウールのロングコートを購入したのでした。そのコートにも一度だけ冠婚葬祭時に袖を通したきりで、今では親戚の日常着へと落ちてしまったのですが、まあその程度の記憶しかこの町にはないのでありました。 そんな岩本町の問屋街入口に「岩本町スタンドそば 秋葉原店」があります。ここはアド街などでも紹介され、六文そばの系列として路面そば屋マニアにも良く知られたお店です。しかしここは酒場マニアたちにもそれなりに知られているようで、ぼくなどもいずれと思ってここまで引っ張ってしまいました。秋葉原界隈って近いけれどわざわざ行くのは面倒なんですよね。こうした立ち食い寄りのそば屋で酒を呑むには閑散期を狙うのがマナーと考え、それが訪問を遅らせた原因ともなりますが、この日は平日の午後3時頃という絶好のタイミングを確保できました。それでもそれなりにお客さんはいて、店に入ると奥のちょっと広くなったスペースでのんびりやりたかったのですが、そこにも人がいるので入口付近で諦めることにしました。それでも席に着いてしまえばまったりとした気分が訪れますが、店の方はそんなことお構いなしに注文を待ち受けます。お好みの天ぷらでちょっと呑むという定番コースとするつもりが慌ててつい、カレーのセットをオーダーしてしまいました。あと缶チューハイももちろん忘れません。温かいそばとカレーライスで酒を呑むなんて、邪道っぽくはありますがぼくは大好きなんですね、炭水化物で酒を呑むのが。食べ終えた後、満腹で苦しむことは目に見えているのに単品よりお得に思えるセットメニューをつい頼んでしまうのが貧乏性なんですね。冷静に計算してみることは避けるべきです。お得なセットメニューと書かれていても計算すると10円程度のお得だったりするのを知るのは興覚めでしかないですから。というわけで今度は迷わず天ぷら数個で酒を呑んでからそばで〆るというコースを愉しみたいと思うのでした。
2017/12/26
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それなりに長いことブログなんてものを書いていると、時として書かずにそのまま放り投げてなかったものにしたくなるような題材もあったりします。その筆頭は、飽きてしまった酒場についてであり、田端の立ち呑みなどは一度や二度は書いたかもしれぬけれど、そこについて書くのは自主規制しています。そういう意味では正確には飽きたというよりも書き飽きたと限定しておくのが良さそうです。酒場そのものに飽きるということもありますが、それこそ町の歴史やら思い出なんてもので、文字数を稼ぐことすら、町自体に飽き飽きしてしまうと手を着けるのが億劫になってしまうのです。さて、愚痴っていても始まらぬので突如本題に踏み込みますが、御茶ノ水には少なからずの思い出があるし、語ろうと思えばそれなりに語ってしまうのであろうけれど、どうも気乗りしない。何より興味の中心となるべき酒場に関すると、少なくともぼくの好みの酒場は極めて少ないのであります。 だから会合なんかで俗な「銀座アスター お茶の水賓館」に行かざるを得ないなんてことにならぬ限りは、まずもって滅多なことで足を運びはせぬのであります。かつてはこの日本ナイズされた大衆派高級店―矛盾しているようですが、そこは意図を察していただきたいのです―の入る、高層ビルからの夜景なんかにプチな贅沢感なんぞを感じたりもしたものですが、それは個人的な利用に限定されました。宴会場での会合なんぞに参加を余儀なくされて時折足を運ばざるを得ないという境遇を唯々諾々と受け入れなくてはならなくなると、ここに対してかつては抱いたこともあった憧れとか優越感とかは、そうこうするうちにどういった感情であったか定かな像をもたらさぬようになってしまいました。そういえば気付いてみればこのビルの周辺はかつてはそれほどには高層な建物は立ち並んではいなかったけれど、今では下手すると見降ろされたりするようになっていたりもするのかな。あまり夜景を眺めるなんてこともしなくなってしまったなあ。さて、ここに来てあれが旨い、これがイマイチなんてことを語ってみても仕方がないこと。一言で済ませるとすれば、まあちゃんとおいしいけれど、団体向けコース料理は残念な感じがするし、量も上品すぎるとだけ語るに留めます。安価なコースの紹興酒も悪酔いしそうです。そんなこんなでようやく解放されてようやく自由な時間の到来です。ここの宴席は決まって呑み放題なので、けっこう出来上がってますが、もちろんこのままでは帰れません。 やはり、御茶ノ水に来たなら「大衆酒場 徳兵衛」には寄っておかないわけにはまいりません。でもいつもここで呑んだ翌朝にはひどい目に遭うのだから、すでに大酒をくらっている状況で行ってしまって大丈夫なのだろうか。なんてことにすら思いは至らなくなっていたようで、迷うこともなく行ってしまったようです。ここのお客さんの多くは、中2階派と半地下派に分かれていて、ぼくなどは大体が半地下の方にお邪魔したものです。訪れるのは今では年に2度あるかないかという体たらくにも関わらず、地下の主であるお兄さんは笑顔で出迎えてくれるから嬉しいのであります。同伴者と最後にここの濃いウーロンハイだったかトリハイを半分個しようかなんて相談していたら、二つ作ってあげるよと、ジョッキ2つになみなみと注いでくれたのでした。サワーなんかは焼酎を好きなだけ注いであげるよといたせりつくせりでこれじゃ酔っ払う訳だ。彼がいなかったらもうここには通うのはやめていたかもしれません。普段は雰囲気重視のぼくですが、こうした人情に触れると店の方の人柄もやはり大事なんだなあとしみじみと酩酊するのでありました。そうそう、今思い出しましたが、久しぶりにここの揚げ物セットを頼みました。ここの鶏の唐揚げは無茶苦茶脂っこいんですよね。それになくても良さそうなカレー粉をまぶしてあったりするんですけど、けして旨いわけじゃないけれど、不思議とこの店の味になっていてなんだか妙に懐かしい気がするのであります。
2017/08/17
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小川町の駅を上がるとそこは靖国通りです。先には神保町のスポーツ店や古書店街が立ち並びさらに進むと靖國神社や日本武道館、などという観光案内などここでやる意味などまるでないのだった。町案内なんてものはほんとにこだわるものが無い退屈な連中が暇粒増しのためにでもやっていればよろしいのである。観光のためのガイドマップというものの役割は、語りたいこともないくせに語り続ける連中の手慰みでしかないのだし、それに嬉々としてあやかる人たちは観光業界の格好のカモで有るしかないのだ。しかしこういうカモたる方たちは、とある因縁で我々のような好事家のために寄与してくれているものだから一概に批判できぬのであります。といったところまで昨夜書いていたらしいのだけれど、ほとんど何を言いたいのか分からぬ、というか安易な展開になだれ込みそうなので、この先を続ける事は潔く放棄しようと思うのです。恐らくご異論もないことと思いますので、小川町の靖国通りの話に戻ることにします。しかし肝要なのは靖国通りの裏手の路地にこそ大雑把に神田界隈と括ってしまいますが、この辺の楽しみは残されている。いや、それじゃちょっと言葉足らずで取り残されているというのがより近い気がします。 そんな一軒が「中華料理 福すい」です。渋いといえば渋いけれど、これが都心でなければそんなに目に付く存在ではなさそうな、まあ古くて奥に深いカウンターのみの中華料理店でありました。昔来たことのあるようなないような、飾り気もなくそれなりに衛生面に配慮してさえいれば、内装などへのこだわりや気配りというものの片鱗すら見当たりませんが、町の中華料理店なんてそれで十分なのであります。変に飾り立ててしまっても掃除が大変になるばかりです。実際に手が回らなくなって異様に滑り易くて足元が覚束なくなる店ー昔々おデートの際にそういう店で3度見苦しく尻餅をついた苦い思い出があるーだったり、逆に粘ついて足を引き剥がすのにいちいちペリメリと耳障りな音を立てたりとかするような店なんかは避けたいものであります。例を挙げればキリがないのですが、ここはカウンターに肘を付くにも恐る恐る状態を観察するような事にはならないのであります。素っ気のなさは合理性と真の快適さにしっかり寄与しているのであります。ところで嬉しいのは300円の酒の肴メニューが充実していることです。中国の人が経営する料理店ーこうした店の適当な呼び方をなかなか思い付かぬので安直ではありますが中国料理店とこれからは呼ぶことにしよう、なんてすぐに忘れてしまいそうですけどーでは珍しくもないことですが、中華料理店では肴となると餃子かせいぜい野菜炒め程度しか選択肢がなくて、一品料理となると酢豚や肉団子などの定番があったりもするけれど1000円超えとお高めなことが多く、しかも量もあるので独りでは持て余してしまう。こういうの有り難い。お隣りのリタイア前のオヤジ二人は二人で濃い目のここのサワーを二人で15杯も呑んだらしいから恐るべきであります。しかも当然のように〆のラーメンを平らげ、さらには店の娘さんが土産で持ち帰ったドーナツを確か三つペロリと胃に収めるのでした。その旺盛な食欲にげんなりしながらも見入っているうちに店を仕舞う時間になりました。これが彼らの二人での最後の呑みとなるかもしれぬのだと思うとそれはそれで滑稽なのです。
2017/06/17
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神田で呑もうということになると、いつも悩んでしまう。確かに有名店も老舗店も多い。だけれど本当に好きな酒場というのがどうも浮かんでこない。それはどうもぼくの気のせいばかりでなくて、実際に食べログなどをチェックしてみてもここぞという店があるわけじゃなさそうだ。呑兵衛は神田が好きな割に本当の自分の居場所を見いだせていないのであろうか。いやいや、そんなことはなさそうだ。皆さん、迷いもなく足取りもしっかりと目的地を目指している。きっと向かうべき酒場が定まった、幸福で退屈な日々を飽きもせず繰り返しているはずなのです。ネットでは調べの付かぬ名酒場があるんじゃないか、この街を根城、いや根城は適当ではないが呑城とする客たちはその位置をあえて語らずにいるのではなかろうか。確かにそれはあり得べきことであります。真に大事に思う酒場について、いや己の安住の地を奪われるリスクを犯すバカ者はこの街にいないということか。いやそんなはずは無い。むしろ特別に特筆すべき店でなくとも、人を寄せ付けぬ聖域として己のうちに留めておきたい酒場というものがあってもおかしくない。そして神田を歩いてみればまさにそのような秘めた思いを孕む酒場にしばしば遭遇するのです。 この夜のスタートは小川町でした。地下鉄からの階段を上がり、地上に出るとすぐに人混みを嫌い路地に入ります。すぐに「立ち飲み処 Good One」というのがあります。う~ん、どうってことのない構えのお店で少し迷いますが、近頃は迷う時間こそがもったいないと感じます。後の話になりますが、やはり初めてのお店とチェックしていたら過去のメモに「立ち飲み処 good one」というのがありました。大文字、小文字の差異が検索ではねられたようです。まあそんな事どうでもいいや。ぼくのおぼろげな記憶ではここは確かうどんとかを食わし、日本酒をメインにしている店だったと思うのだけれど、かつてと受ける印象が違います。銘酒の取り揃えはそこそこですが、うどんはなかったような。多少の経営方針の変更があったのでしょうか。オススメはカレー味の串付き煮込みのようです。オススメというのはそういう品書きがあったということではなく、主人自らが、うち来るの初めて?来たことあるかも?そう、煮込み食べた?美味しいよ、と気さくに語りかけるのでした。小瓶のビールがあるのは嬉しいなあ。近頃はこの位がちょうどいい。中華料理店では大瓶が未だに主流だけど、独りではあれはちょっとばかり多過ぎる。関西のおっちゃん達は平気であれを数本呑み干しているけれど、いつも感心させられる。いや、呆れ驚いているというのが適切な感想か。特に大阪ではビールの大瓶は総じて安価でありますので、必要が身体を頑強にしているのだろうけれど、そればかりでなく見ていると分かるがじっくりと時間を掛けて呑まれているようなのです。腹に溜まった炭酸さえ追いやる事ができればまあそれなりに量はいけるかもしれんけど、栓を抜いたあとはいかに速く呑み干すかで味に格段の違いが出るからそう悠長に構えるわけにもいかぬのです。関西のオヤジはキレとか喉越しを楽しもうなんて考えは希薄で、とにかく安く呑めりゃいいという現実路線に徹しているのかもしれません。回り道しましたが、小瓶を最初はぐいっとあとはゆるゆると呑んでいると煮込みが到着。清水のカレー煮込みはよく知られていますが、個人的にはそれよっかずっと旨い。残念なのはぬるい事です。熱々ならもっと良かったはずです。 さて、ここでT氏と合流。「家庭料理 みずむら」にお邪魔することにしました。「みますや」の客は定評のある日本で指折りの古参酒場に一目散で周囲のことなど視界に入らぬようでありますが、この界隈って実はそこそこ古い酒場が案外残っているんですね。来る度に少しづつ摘んでみてはいるけれど、それでもまだ未訪の店が少なくないのです。ここは合流地点を目指す際にたまたま目にして、落ち合うや引き返してきたのですが、その道中にも気が惹かれる店がちらほらあります。ここいら辺では、近いうちに集中的に呑みたいと思いますが、ひとまずは目の前の店に専念することにしましょうか。一軒家なのがまずは魅力的です。この地で一軒家で商売を続けるのは容易なことではないでしょう。それでも取り残された感じがしないのは、周辺にも同様に一軒家の店舗が散見されるからです。人気のないオーラが漂う店内はまさにその通りで女将さん以外は不在です。カウンター席が5席程度に茣蓙の敷かれた小上がりが近頃あまり見かけません。品書はせいぜい十種を超えるかどうかという程度で、鍋物もやっているようですが、この暑さで鍋物という気にはならぬなあ。なんて冬でもまず頼まぬけれど。関西では一人鍋の店があちこちにあって羨ましいと思っていたけれど、近頃は都内でも時折見かけるようになりました。この冬は一人鍋に嵌りそうな予感と気の早いこと夥しい。コマイやら揚餅などの簡単な肴が何だか嬉しいのです。いずれも300円だったか350円だったか、何れにせよお手頃です。酒の値段がわからぬのがやや不安ですが、いくらかその不安は現実のものになりましたが、まあとやかく言う金額ではなかったはず。オヤジさんらしき人が時折店の奥から姿を見せるがどこかにふらりと出ていくと、すぐ戻ってきて奥に引っ込んてしまう。現役を退いたか、鍋物の時にだけ活躍するのかも。どうということはないけれどなんかホッとできるお店でした。
2017/06/06
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秋葉原は苦手です。できる事ならあまり歩き回りたくない。その理由は語るほどの理由ではないので割愛させていただきます。だからつい敬遠してしまうものだから、毎度毎度出口を間違って自分の立ち位置を認知できないで苦労するのです。しかも悪いことにそこで立ち止まって地図を眺めたりはしない。ひたすら歩き回ることで突破口を探ろうという結果として不効率極まりないやり方で打開を試みるのです。苦手だから敬遠する、敬遠するから土地勘も身に付きはしない、だから迷ってしまいさらに嫌いになるという負のループに取り込まれているのです。それは今でも事情は変わらぬのでありますが、それでも耳寄りな情報を聴き込むと苦手な町でも降りないといけないと思えるのがまあぼくの数少ない取り柄と言えるかもしれません。好き嫌いより好奇心を優先させる事ができるのです。さて、GW特集などともっともらしい理屈を捏ねて報告の機会を逸していた秋葉原の大衆食堂をご報告します。タイトル通りに酒は一切提供していないお店なので、そんな店など興味はないよという方はどうぞ読み飛ばしてください。 秋葉原は、ヲタク趣味のないオッサンにとっては縁のない町かというとさにあらす、実に多くのリーマンたちがほっつき歩いているのです。彼らが何故に違和感むき出しの背広姿で闊歩しているか良くは知らんのですが、恐らく案外多くの企業がこの町に潜んでいるのでしょう。実は秋葉原には案外クラシカルな酒場なり食堂なりが現存してるんですね。オフィス街ってそういうのあるらしいのだけど、昼飯なんぞに極力無駄金を投資したくなかったぼくのような吝嗇家には「あきば食堂」は意を決して向かう店だったのです。行ってみるとそこは倉庫みたいな安普請の造りのお店でまずは期待したとおりでした。メシを出す側にしても食らう側にとっても最低限の設備さえあればそれで充分なのだと主張しているようでイサギが良いように思われました。正直あまりに前の訪問なので何を食ったかどころか旨かったか不味かったかさえ記憶からはこぼれ落ちてしまっています。でも旨かったことの記憶が存外記憶に留まらぬ一方で不味かったという体験はいつまでも取り出しやすい記憶として踏ん張り続けるもののように感じられます。逆説めいていますが、旨いものを食べてもまた食べたくなるというのはそれが明確な記憶として保存されぬからではないか。だから思い出作りに余念のない方であればまずい店に行くことをオススメします。きっとその店は老後も記憶を揺さぶる貴重なエピソードとなるはずです。ということでこの食堂は結構なお味だったと結論付けるのです。こういう枯れたお店には背広姿のおぢさんがホントよく似合うんだよなあ。 さて、もう一軒、こちらは記憶にも新しい「牛丼専門 サンボ」です。こちらも前々から一度は来ておきたかったお店です。外観は黄色い大きな看板が目立つまあありふれた飲食店でしかないけれどその大きな看板は店舗の老朽化に寄与しているんじゃないかと思われる程に店内は枯れた風情があって古い食堂に来たのだなあと、思わせてくれる良いムードです。食券を購入するとカウンター席に向かいます。テーブル席にも余裕がありますが、独りでテーブル1卓を独占するのはやはり気が引けるものです。贅沢して味噌汁も付けてしまいました。生卵食べれぬわけではないし、温泉宿にたまさかに宿泊して生卵が添えられていたら喜び勇んで白飯に掛け回すところですが、あえて牛丼に必要なものとは思えぬのです。あとの商品は肉を別盛りにした肉皿だけてす。その潔さが嬉しいじゃないです世間を見渡すとチェーンの牛丼店がもしかするとこれこそが国民食なのではなかろうかと信じたくもなるくらいに存在しますが、それらのお店では今ではダイエットメニューなどおよそ牛丼屋とは思えぬ品まで揃える始末です。割高とはいえぼくなら迷わずこの店を選びます。今、割高と書きましたが、100円程度の値段の開きにも関わらず、肉の量は倍以上はありそうで、普通盛りでもそこらの店の大盛り位はありそうです。これからは腹がモーレツに減っていたら迷わず直行してしまうことになりそうです。ダイエット中なのに困ったことだ。 ところで秋葉原には「かん多”食堂」というお酒も呑める良店もあって、都心のオフィス街も捨てたもんじゃありません。
2017/05/04
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秋葉原は苦手です。できる事ならあまり歩き回りたくない。その理由は語るほどの理由ではないので割愛させていただきます。だからつい敬遠してしまうものだから、毎度毎度出口を間違って自分の立ち位置を認知できないで苦労するのです。しかも悪いことにそこで立ち止まって地図を眺めたりはしない。ひたすら歩き回ることで突破口を探ろうという結果として不効率極まりないやり方で打開を試みるのです。苦手だから敬遠する、敬遠するから土地勘も身に付きはしない、だから迷ってしまいさらに嫌いになるという負のループに取り込まれているのです。それは今でも事情は変わらぬのでありますが、それでも耳寄りな情報を聴き込むと苦手な町でも降りないといけないと思えるのがまあぼくの数少ない取り柄と言えるかもしれません。好き嫌いより好奇心を優先させる事ができるのです。さて、GW特集などともっともらしい理屈を捏ねて報告の機会を逸していた秋葉原の大衆食堂をご報告します。タイトル通りに酒は一切提供していないお店なので、そんな店など興味はないよという方はどうぞ読み飛ばしてください。 秋葉原は、ヲタク趣味のないオッサンにとっては縁のない町かというとさにあらす、実に多くのリーマンたちがほっつき歩いているのです。彼らが何故に違和感むき出しの背広姿で闊歩しているか良くは知らんのですが、恐らく案外多くの企業がこの町に潜んでいるのでしょう。実は秋葉原には案外クラシカルな酒場なり食堂なりが現存してるんですね。オフィス街ってそういうのあるらしいのだけど、昼飯なんぞに極力無駄金を投資したくなかったぼくのような吝嗇家には「あきば食堂」は意を決して向かう店だったのです。行ってみるとそこは倉庫みたいな安普請の造りのお店でまずは期待したとおりでした。メシを出す側にしても食らう側にとっても最低限の設備さえあればそれで充分なのだと主張しているようでイサギが良いように思われました。正直あまりに前の訪問なので何を食ったかどころか旨かったか不味かったかさえ記憶からはこぼれ落ちてしまっています。でも旨かったことの記憶が存外記憶に留まらぬ一方で不味かったという体験はいつまでも取り出しやすい記憶として踏ん張り続けるもののように感じられます。逆説めいていますが、旨いものを食べてもまた食べたくなるというのはそれが明確な記憶として保存されぬからではないか。だから思い出作りに余念のない方であればまずい店に行くことをオススメします。きっとその店は老後も記憶を揺さぶる貴重なエピソードとなるはずです。ということでこの食堂は結構なお味だったと結論付けるのです。こういう枯れたお店には背広姿のおぢさんがホントよく似合うんだよなあ。 さて、もう一軒、こちらは記憶にも新しい「牛丼専門 サンボ」です。こちらも前々から一度は来ておきたかったお店です。外観は黄色い大きな看板が目立つまあありふれた飲食店でしかないけれどその大きな看板は店舗の老朽化に寄与しているんじゃないかと思われる程に店内は枯れた風情があって古い食堂に来たのだなあと、思わせてくれる良いムードです。食券を購入するとカウンター席に向かいます。テーブル席にも余裕がありますが、独りでテーブル1卓を独占するのはやはり気が引けるものです。贅沢して味噌汁も付けてしまいました。生卵食べれぬわけではないし、温泉宿にたまさかに宿泊して生卵が添えられていたら喜び勇んで白飯に掛け回すところですが、あえて牛丼に必要なものとは思えぬのです。あとの商品は肉を別盛りにした肉皿だけてす。その潔さが嬉しいじゃないです世間を見渡すとチェーンの牛丼店がもしかするとこれこそが国民食なのではなかろうかと信じたくもなるくらいに存在しますが、それらのお店では今ではダイエットメニューなどおよそ牛丼屋とは思えぬ品まで揃える始末です。割高とはいえぼくなら迷わずこの店を選びます。今、割高と書きましたが、100円程度の値段の開きにも関わらず、肉の量は倍以上はありそうで、普通盛りでもそこらの店の大盛り位はありそうです。これからは腹がモーレツに減っていたら迷わず直行してしまうことになりそうです。ダイエット中なのに困ったことだ。 ところで秋葉原には「かん多”食堂」というお酒も呑める良店もあって、都心のオフィス街も捨てたもんじゃありません。
2017/05/03
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近頃、神田で呑むことがめっきり減っています。いやそれは神田に限った話ではなく、新橋や浜松町、新宿や渋谷とか池袋もあまり行っていないなあ。とにかく人混みがうっとおしくて今挙げた町にはできることならあまり近寄りたくない。こんなことを書くと、じゃあ繁華街に住むじゃないよと身近な人にはよく言われるし、ブログを書いてることを知る知人は都内を代表するこれらの繁華街を避けて呑み屋巡りのブログなど書いていて満足なのかなどと、人の趣味をどういう権利を行使してか揶揄したりする輩もいたりするのです。そんな個人的な愚痴はとりあえず捨ておくとして、いずれの町も近頃足が遠のいているとはいえ、結構な軒数を経巡りしてきました。でもそれでもやはり見落としがあるようで、それも近いうちに行っておくべき宿題としてしっかりメモしていたにも関わらず、身に余るほどの宿題の渦に呑み込まれて、つい先ごろまでその存在を失念していたお店があるのでした。メモというものは、億劫がらずに翻って繙いてこそ価値が生まれるものであって、冷蔵庫に貼りっぱなしにしたり、データとして保存しておくだけでは一時の自己満足と安心感しかもたらさぬのです。 さて、メモには「巴家」という店名が記されていました。JRの神田駅からも地下鉄の小川町駅からも5分程度と交通網の過密な都心部だけあってさほど不便でもないのにこれまで来ていなかったのは、怠慢だと謗られても反論の余地がありません。それでも無くなる前に来れたのだから自分的には満足です。かつて御茶ノ水に勤務していた頃に訪れていれば何もこんなに慌てふためいて来る必要もなかったとどこまでもいじけた発言をしてしまうのです。やって来たのは昼下がりで、昼食時を大いに経過していました。この時間帯だと空いていて店を独り占めしているようで、気分が良いに違いありません。ぶっ通しの営業であることを調べてはいましたが、やはり店の前に来るまで不安でした。オフィス街の食堂なのでサラリーマンのいない土日や祝日にはやっていないのもこの店を訪れる機会を減ずるには十分な理由であります。ともあれ、外観からして神田界隈らしい風情溢れるもので、期待はグンと高まります。いそいそと引き戸を開けると想像以上に開店当時の面影を留めたー実際には開店した頃のことなど知る由もないのですがー店内の景色にまず見惚れてしまいます。本当ならじっくりと品書も見定めたいところですがそれどころではありません。清酒とランチセットを手早く注文すると、すぐに運ばれて来た菊正宗のガラスのお銚子にさえ嬉しくなりながら、ゆるゆると盃を口に運びます。店の方も暖簾の奥にチラホラ姿が見え隠れしますが、基本的に静謐な自分だけの時間を堪能します。こんなに優雅なひと時などそうそうありはしません。名物らしき焼売の付いた半ちゃんラーメンも届きました。焼売は普通に美味しい、大体焼売というのは100円ローソンのものだってそれなりに食べられるものだから良くできた食品なのであります。ラーメンは彩りのナルトやホウレン草が鎮座なさらぬのは、ちょっと寂しい気もしますが他の2品でバランスが取れていると見做しましょう。この麺が独特な食感で楽しいのです。プニっとした噛み心地の後には、唐突の歯切れの良さが待ち受けていてプニっ…プツンを繰り返すともう止まらない。焼売も炒飯も放り出してひたすらラーメンに突進です。辛めのそば出汁みたいに素っ気ない汁もコショーを大量に投下すると瞬く間に懐かしの中華そばに変貌します。常々、町の中華屋さんには特にコショーでお世話になっています。一転して炒飯は濃い目の味付です。どうでもない感じですが、でもまあ家じゃこの味出せないんだろうなあ。酒を挟みながらもほとんど一心不乱に一気食いしてしまいました。やはり前々から来ておけばよかったとシミジミと後悔するのでした。
2017/01/31
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神保町には、実は秘めたる宿題としている酒場が何軒かあります。弁えているんであればとっとと行ったらいいではないかってな準備も万端なのですが、それは場所や営業時間といったただで得られる情報ばかり。先立つものがなければ実行には移せぬのです。だったら一日二日位、酒を抜いてまっすぐ帰宅するとかどうしても呑みたきゃ外呑みをやめて家呑みで堪えればいいだけの事ではないかとの指摘は折角ですが御免被りたい。それとこれーそれと言うのは予算オーバーの分布相当な店に行くこと、これというのは毎晩安酒場に甘んじることーとは話は別なのです。帰宅前に独り呑む酒は格別なのです。家呑みも悪くないけど、どうしてもピッチが早くなったり、食べ過ぎてすぐにグロッキーとなり一日のお終いを迎えるには物足りないのです。だから外で呑む、帰ってからも呑むけれどそれはまた別物なのです。 なのでチェーン店というのはどこか家呑みに近いところがあるような気がします。それの類似点を挙げることは面倒なので省略しますが、そもそもが的外れかもしれぬ。でもこうして書いていてフト思ったので、きっとそういう一面があるのでしょう。「大衆酒場 神保町トンちゃん」は、チェーン店がどうか実は知らない。でも「大衆酒場トンちゃん」で済ましたほうが良さそうなところをあえて神保町の地名を挟み込んでいるからには、まあ九分九厘系列店があると思って良さそうです。でも近頃はかつての居酒屋ブームとはまた違ったレトロ感をあざとく演出した、それが逆に画一されたイメージに支配されることすら戦略化したような不快なお店が増加していて、ぼくのような静かに怒れる男にすらこうした怒りを表面化させるほどなのです。それはともかくとしてこちらのお店は大衆酒場らしさとは徹底して無縁なところが爽快なほどであります。大体もつ焼屋なのに巨大で高級感漂うビルヂングのテナントとなるなんて異様なことなんじゃないか。好ましいのは、レトロと称されたりもする愚の符牒はもちろん見当たらぬのです。壁はもつ焼を主力商品に据えているくせに真っ白と思い切ったものです。そうか、ここはチェーン系居酒屋というよりファミレスに近いのかもしれません。焼き場からの排煙はどうなっているのだろう。入ってすぐに気付くのが少しも煙たさを感じないこと。鰻と比べるのは酷ですけれど、もつから滴る脂が炭に落ちて発する煙が、われわれ呑兵衛に浴びせる攻撃的なまでの芳香攻撃にはかなり強烈な効果を認めない訳にはいかぬはずです。それをハナから捨て去るのだから、もはやもつ焼を食べる必要はありません。と長々書きますが、都心の居酒屋はこれからこんな風になるのだろうと考えると暗澹たる気分となるのは避けられません。 だからといってもつ焼は好物だし、ちょっとは食べたい。「新橋やきとん 神田神保町店」に移動です。ところがここも少しも臭わないのですね。新橋でやきとんなんてまさに大衆酒場の代表格のような店名ですが、これでいいのだろうか。でも少なくともこちらのお店は先の店よりお手頃だし、結構旨いからまあいいか。従業員のお兄さんが素人くさいのもにこやかさを絶やさない点を考慮すると好ましいのではなかろうか。この界隈ではお手頃な店ですが混み過ぎず空き過ぎず適度に混んでるのもちょうどいい。なんだか褒めまくっている気もしますがくれぐれも誤解されたくないのは、町がこればっかりになるのだけは勘弁してほしいということなのです。あと細かいことをもう一つ。こちらのスツールは座りにくいなあ。ぼくは175cmというほどほどの体格ですが、これは酔っ払うと転げ落ちちゃいそうです。
2017/01/28
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初めて神保町を訪れたのはいつのことだったか。小学生だか中学生の頃だったか定かでないものの古書の町と聞いて胸をときめかして神田駅から歩いたことを今でも時折ボンヤリと思い出します。ゴミゴミしたこんな町に果たして古書店が林立しているものだろうかと、不審に思ったものです。そうして辿り着いた町に立ち並ぶ古書店はガキのぼくにはいささかに敷居が高くて、思い描いていたそれとは違っていたのでした。古書センターの混沌としたピルを上がるにつれ、手にとってみる古書は増えていって本好きだったガキの頃のぼくの矜持はなんとか保てるのですが、それでもこれぞという古書に殴り書きされた価格は当時のぼくの懐からはとても手を出せる代物ではなかったのであります。据え膳食えぬ歯痒さに、古書を求めるときは早稲田辺りを物色することになったのですか、それでさえ高く思われてもっぱら地方都市の古書店を猟色するようになるのでした。まあその後は好まざるとに関わらずたまには行かざるを得なかった岩波ホールで映画を見たりと、それなりに縁が切れることはありませんでしたし、職場が近かった頃はそれなりに呑み歩いたりもしたものです。でも駅からすぐのこんな路地裏にちょっと気の利いた酒場があったとはついぞ知りませんでした。 「兵六」かと思わせておいて実は違います。実はとはもったいぶった物言いですが、酒場放浪記を愛視ー愛聴という言葉は目にするが、果たしてこのような単語があるものかは不明ーしている方なら凡その察しはつこうものです。「和食と酒 卯佐」にやって来たのでした。実のところこのお店はこの夜の三軒目なのです。満席続きでラストオーダー30分前になってなんとか三度目の正直で滑り込みお邪魔できたのでした。前の二軒はいずれまた書くことにします、って最近このパターン多いなあ。ぼくには例外的なことですが、店に入る前に頼む肴は決まっていました。だって店の前に干物用の網の中にプリンとしてきれいなカラスミが鎮座しているのだからこれを頼まぬ手はない。席に着くと同伴者に目配せして迷わず注文しました。店側にとっても店を仕舞う前に手間の掛かる品は良い迷惑となるしょうし、まずはファインプレーと言えましょう。呑むのは当然温めに燗した清酒です。きれいに手入れされた白木のカウンターからはこの店の年季は図れませんが、店主夫婦の年齢から推し量るにまだ新しいお店なのかもしれない。それだけれど、既にして確固たる店のスタイルを確立しているというのは立派なことであります。近隣の出版社の連中が、すっかりメジャーになった「兵六」に飽き足らずこちらを隠れ家としてみたものの、時すでに遅し似たような考えの持ち主が早くも通い詰めて第三の酒場を探索しているという事態が生じているのかもしれません。しかしまあ、どちらもそうですが、神保町のサラリーマンというのは良い給料を貰っているものだなあと下世話なことで感心するのでした。
2016/12/30
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と言ってもー標題からの続きー、御茶ノ水という町は昼呑みを希求する者の要望にすんなりと答えてくれる町ではないのであります。そりゃ、単に呑めさえすればそれで満足できるのであれば苦労はない。駅前には飲食店が立ち並び、そのいずれに飛び込んでもそりゃまあ単に呑むことは少しも難しくもなかろうと思われるのです。でも昼飯時で付近の勤め人たちがわれ先にと空席を求め歩き、下手を打った人なんかはランチ難民と化してうつろな目付きでコンビニに甘んじたりもするのだから、少なくとも混雑した店は昼酒をかまそうとする無頼の徒は昼酒難民と化してうつろな表情で町を彷徨うのでありました。 やがて観念して「とんかつ かつ家」というそれなりに年季のある構えのお店で手打ちすることにしたのです。お茶の水から坂を下り切った辺りに飲食店が固まっていて、その一軒が行き着いた店です。貼り紙を見るととんかつ屋さんとしては、お手頃そうなのも選択の理由です。東京のカルチェラタンとか呼ばれて学生街として名を馳せるお茶の水ではありますが、実際には往来するのは学生より勤め人が目立つオフィス街でもあります。カウンター席には、学生らしき姿はなくて皆がみなスーツ姿なのでした。奥にテーブル席があるようなので、学生たちは奥でゆっくりと休み時間を過ごすつもりなのかもしれません。若い頃はとかく群れたがるものですからね。いずれそう遠くない将来に無駄口ばかり叩いて無為に時間を浪費したことを懐かしむか後悔するかは、まだ思いの至らぬのでしょう。さて、目の前にはランチが届きました。ハンバーグに鶏の唐揚、串カツにコロッケとあれこれ食べたいぼくには楽しいラインナップです。ランチ時なので単品をお願いするのを躊躇ってしまいましたが、ここは単品にしておくべきだった。ご飯は無論食べ切れるぐらいには胃の収容力はありますが、結果たらふくとなってしまいました。カウンターの端っこに大量の千切りキャベツがあって、これは追加しても良さそうです。自宅では千切りキャベツで酒を呑むくらい好きなので、ご飯がなければ間違いなく手を伸ばしたはず。串カツ屋が起源らしき千切ったー漢字変換して気付きましたがせんぎりもちぎるも同じ綴りなんですね、それぞれの調理過程による仕上がりは全く別物なのにーキャベツ、ぼくはあまり好きではないのであります。あれを無理やり食べさせようとするのは是非やめていただきたい。町場の酒場でも千切りでなく千切りキャベツをツマミにしてくれないかなあ。
2016/09/20
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秋葉原も嫌いな町の一つです。といきなりネガティブな物言いで、うっかりすると物議を醸す事にもなりかねませんが、正直な気持ちなので致し方ありません。いや、嫌いと言っては語弊があるな、好きな喫茶店や酒場も少なからずあるのにこう言い切ってしまうのはやっぱり抵抗があるかも。嫌いじゃなくて苦手だと訂正させていただき、苦手なその理由はあまりにも分かりやすくてつまらないのでご想像にお任せすることにします。そんなこともありまして、好んで秋葉原を訪れることはそうそうないことで、この夜秋葉原に降り立ったのはたまたま乗車していた常磐線が止まってしまい当分復旧の目処が立たぬということで、ちょうど南千住駅にいたぼくは、つくばエクスプレスに振替乗車で乗り換えることになったからなのです。そんなわけで秋葉原駅に到着し、JRに乗り換えるその隙間時間で駅そばの酒場を探すことにしたのでした。もう酒が入っていたのでそんなにたくさん呑もうとは思ってはいないのですが、折よく手っ取り早く呑めそうな店があったので行ってみることにしました。 なんの事はない、近頃流行りの唐揚げ屋のやってる一杯呑み屋「からあげ酒場 あげばか」というお店に入ることにしたのでした。実のところこのお店のことについて語るべきことはほとんどないのであります。それはこのお店が各地で見られる同タイプとさほど変わらないということもありますが、何よりそれなりに酔っ払っていたということも大きいという誠に情けない理由もあります。でも覚えていることが幾つかあります。オープンなテントばりのテラス風の店内はカジュアルで開放的と言えなくもない。酒場として年季を積んでいこうという野心のなさがありありとしており、流行りに乗じてひと儲けしたら時代に応じて転業してしまわんとする理に敏いところは、案外好感が持てるのです。そんな心映であればテントは合理的なこと間違いなしです。それからこれはちょっと文句になるのだけれど腹は減ってなかったので唐揚は三個で頼んだはずなのにどうしたものか五個出てきたのです。これは良くない。卑しいぼくのことだから間違いなく食べきってしまうのだ。実際それなりに美味しいものだから食べられてしまうのですが、その後がいけない、たらふくの腹を抱えて帰宅するのは気分まで重くなるのです。ましてやさほど酔ってもいないのだからなおさらです。何れにせよ、日本人はどうしてここまでも唐揚が好きなんだろう。ぼくのようにたまたまランチとかに入ってない限りはまず食べないのは例外的なのかしら。
2016/08/10
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市ヶ谷で呑みたいなんて思うはずもありません。いやいや実は昔その愛想の欠片もない退屈極まりない町に通っていたこともあります。今のようには貪欲に酒場を訪ね歩こうという意識も希薄で、上司なり友人なりに誘われるまま約体もない酒場で飽きもせず呑み明かしたものです。当時からと過去を振り返るのは愚かしいばかりでなく虚しいばかりなのでそれは懸命に避けおくこととして、それでも年に一、二度は市ヶ谷で呑まざるを得ないという状況に追いやられるのです。それがいいことか恥ずべきことか省察するような高邁な思考回路はないながらも、それでも素直に喜べぬのであって結構な頻度で店選びを任されるということになります。しかし、市ヶ谷でそれを任されたところでさして嬉しくもない。大体において任すとかなんとか言っておきながら歩きたくないという条件が大抵の場合付いてくる。 だから悩みに悩んで歩いた挙句に駅に隣接した、それても地下にあるから直結していないだけが救いの「河岸番外地 市ヶ谷店」に入れたのはまあ良しとすべてしようか。なんで良しとするか、見ての通り市ヶ谷店とあるからまあ何点かある一店舗であるというだけなのに、しかもここは知っているだけでも何度か店が変わっていて、しかしニユートーキヨー系列であることだけは変わっていないのだから。それは端的にこのチェーン店に入るのが初めてだったからに過ぎないのであって、それなら他にもいくらでも選択肢はありそうものですが、実は殆どのチェーン系居酒屋に入っているのでした。それも他の場所にある店舗ではなく市ヶ谷店に限定してさえそうなのだからまったく市ヶ谷という場所はなあ。無論まだ未訪の店などいくらもあるだろうけどもういい。そんな投げやりにさせられる退屈さが間違いなく市ヶ谷にはある。ともかくこの夜のスポンサーはこのお店が大変気に入っているらしく500円ちょいで升にみっしりと詰め込まれたツマの上に刺身が盛りつけられるというどうでもいい趣向の品は確かに値段に比して満足度が高いし、メガジョッキにしたところでお得であるかどうか極めて疑わしい品もここでは通常のジョッキよりは間違いなくお得に思われるし、加えて通常は値段に開きのある各種サワーもメガ化することで均一料金となるのだから高めのサワーをメガで貰うのが賢い消費者というもの。もう一つ評価したいのは、おひとり様向けのカウンター席が充実しているのは好ましく思われます。とまあ褒めてはみましたが独りで来ることがあるかといえば!まあまずないでしょうという答えになります。 市ヶ谷で一番愛着のあるチェーン系居酒屋といえば「ニュー浅草 市ヶ谷店」になると思います。最近でこそ市ヶ谷にもそれなりにチェーンではあるものの居酒屋ができていて、一昔のぼくであればどこに入るかでそれなりに迷いもしたはずですが、今となってはもう迷うこともなくここを選ぶことになります。と書いてはいますが、数年ぶりに訪れることになりました。このチェーンは浅草に本店がある以外は高田馬場などごく限られた店舗しかない希少性も通好みな点でありますが、小規模居酒屋チェーンの特徴でもある全般に値段がお手頃なところも好ましい。実は店を出るときにかつて貧乏臭い呑み方を指南してくれた元上司を見掛けたのでした。ところが店内に入って見渡すとどうも印象が違っている。端的に改装されてしまったらしく以前あったかつての居酒屋らしい風情はもはや少しも留めていない。早々に結論を言ってしまうと、ぼくはもうここに来ることはまずないはずです。良き日の記憶をあえて上書きする必要もないからです。まあ誘われたらホイホイと躊躇なく付き合っちゃうんでしょうけど。
2016/06/14
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有楽町駅から東京駅に向かうガード下は、新橋方面がオープンな気取らない感じが信条とすれば、東京駅方面はこぢんまりとした隠れ家感が持ち味と言っていいかもしれません。その秘密めいたところが多くの若い客を惹きつけるためなのか、実際のところはちっとも秘密めいておらず、しかも何処も繁盛しているのはどちらも変わらないところです。しかも綺麗な店よりいかにもガード下の酒場といった古ぼけた店の方が入りが良いようです。中でも味のあるのが丸三横丁に数軒ある酒場ですが、何処も大繁盛で気分が萎えてしまうのですが、せっかくなので何としても入ることにします。 うち一軒、「さつまや」が不思議と空いているので、幾分訝しむ気持ちはありましたが贅沢を言っている状況ではなさそうです。ところがここがなんとも注文の多い居酒屋でありまして、戸を開くと主人らしき案外若い男が戸の貼り紙を読んで良ければ入ってくださいとのことー禁煙など、どうでもない書付があるだけー、その態度は客の扱いとしては最低レベルと言っても過言でない程であります。しかしそれも話の種と入ってみることにしました。ここまでは苦笑して流していれば済むことですが、余りにも不愉快すぎて忘れたいくらいであります。とにかく一言で言えば普通の町の焼鳥屋の価格帯としてはあり得ない金額を取るのです。確かに焼鳥はそれなりに美味かったがこの金額なら当然のこと。これなら銀座辺りの高級店で食べたほうが良いくらい。余りにも悔しいので同行したT氏ともども酒のお代わりだけはせぬというのが我々にできるせいぜいの抵抗なのが惨めなのでありました。
2016/02/11
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東京で生まれ育った人たちよりもきっと地方から上京して来た人の方がきっと東京駅に対する思い入れがずっと深いのではないでしょうか。かく言うぼくも人生ー年齢不詳を通していますが、人生を語ってもいいくらいの年齢にはなったかなーの節目節目で東京駅が登場しています。その思い出を語ってみても気恥ずかしいばかりなので、ここでは語らぬことにしますが、この夜に伺ったお店は本当であれば人生にとって某か鮮明な印象に残りかねないお店になったかもしれません。 そのお店は「三富」です。東京駅の丸の内口を出て、京葉線の秘密の通路のような出入り口のある有楽町方面に進むと、東京ステーションホテル、鳩バス乗場とどちらも語りたくなるような思い出深い施設があったりしますがさらにそこを過ぎると、そうそう忘れていたけどここには雀荘やら中華料理店なんかが残っていたんだ。その一軒に今回訪れることになったのです。もちろんここが一軒目だったわけではなくて、この夜の最初の店のあまりのひどさに我慢ならず、現場では発せずにいた不満をもうそれこそどこでもいいからぶちまけ合おうということで立ち寄ったのでした。ガード下のガラス張りの店内はこれ以上ないくらいに開放的で、地方から上京したばかりの田舎者を優しく迎え入れてくれます。でも店内は背広姿の酔っぱらいばかりで、田舎者はカウンターに席を求めることになります。でも東京での生活がこれまで過ごしたどこよりも長くなり、すっかり東京人ぶった我々ーそうそうこの夜はO氏と一緒、この人は埼玉在住の東京人ーは、テーブル席に落ち着くのでありました。この界隈はやけに値の張る気取った店が多く、そうした店のオーナーなんかはこうした景観を損ねるーと彼らは考えるのではないかという偏見含みの想像ー古臭い店を好ましく思っていないのではないか。料理もごく平均的だし、目玉となるような商品もないけれど、ホントに庶民的で安心して使えるすかした町の中のオアシスみたいな店でした。他のお客さんもきっと殆どが田舎モンでここでの一時は、故郷に帰った気分なんだろうなあと決めつけたくなるのでした。
2016/02/05
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秋葉原は面白い町ですが嫌いな町です。昔々、PCがマイコンと呼ばれた時代に秋葉原を初めて訪れた頃の記憶はまだ鮮明に想起することができます。と言うとひた隠しに隠してきたーって映画館の話なんかを不用意にしているので分かる人には容易に察せられるはずですけどー、年齢さえ悟られそうです。と言いながら数年勤務した御茶ノ水に勤務地が変わってからは、度々秋葉原を訪れるようになったものですがかつて感じた親密さはすっかり影を潜め、近寄りがたい違和感ばかりが不愉快な疎外感をぼくに植え付けさせるのでした。さあ秋葉原駅前に降り立ったと書けば威勢がいいのですが、正直言えば仕事があったからやむを得ず下車しただけです。でも折角職場から支給される交通費で近頃近寄らなかったーという割には先日来ているではないかとツッコまれる方はよい読者でありますー町をみすみす無視するわけにはいきません。 でもやって来たのは、酒場放浪記に出たというだけで、これまで間違いなく何度となく素通りしてきたなんてことない「とり善」というお店だったのはまこと不甲斐ないことです。仕事が早く片付いたので、訪れた時はまだ一人として客はいません。カウンターの隅っこに腰を下ろしまだ人のいない店内を体をひねって横目に眺めると案外広い店内がより広く感じられて案外清々しい気分になるのでした。空いている酒場を好むのはあまり褒めれられた趣味ではありませんが、このお店、然るべき時間になればひっきりなしに客が押し寄せるという確信めいたものがありますので、この清々しい気分は一番乗りした特権と受け止めることにします。変わり種のアレンジ系焼鳥のセットは値段は幾分高めですがまあ良しとします。実際美味しかったし。アルバイトの女性が来ると主人が先に食事しちゃいなよ、空いてるうちに、○○さんうなぎ大丈夫だよね、今日いいのが手に入ったんだ、だってさ。うなぎと聞かされると焼鳥、それもチーズが挟んであったりの紛い物が急にわびしく思われてきて、結局他の客の来る前に勘定を済ますはめになるのでした。 すぐそばに秋葉原らしからぬ枯れた立ち呑み屋がありました。と見知らぬお店の事のように書きましたが数年前に一度来たことがあるようです。そのメモによると好印象だったようですが、それなのにまるで記憶がないのが恥ずかしい。「きらく」なのですが、ちょうどテレビでは相撲中継をやっていて取り組みも終盤となっています。気持ちの中でいい店だけど中継が終わるまでのちよいの間を軽く呑んだら店を出ようと肴は控えめに枝豆にします。馴染みの先客2名はボトルを入れていたような。彼らも熱心に相撲に見入っています。枝豆盛りもいいし結構なことです。チューハイをお代わりしてこのお店はここまでにします。中継とタイミング合わせて呑み終えて勘定すると驚愕の発言がぼくを見舞うことになります。けして血気盛んなというタイプでもなさそうな店主の口からへは、うちは呑み屋なんだからもう来ないでと言うのである。思わずこんなにさっと呑んで引き上げるのがいけないのかと訴えてはみるものの聞く耳持たずなのでした。憮然として店を出たぼくではありますが、気を取り直して御茶ノ水の馴染みの店を訪ねるのです。
2015/10/02
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秋葉原とはどうも相性が合わないらしく、たまに訪れている割にはいつの間にかハシゴするうちに御茶ノ水に移動していたりして、何としても急いで立ち去りたいという気分を拭えないようです。無論、数軒は気に入っている酒場もあるのですが、たまにしか訪れないとなると、当初の想定ではかねてから狙っていた酒場に立ち寄ってから昔馴染みの酒場へとハシゴするというつもりでいるのです。いるんですが、どうしても見知らぬ酒場を見掛けてしまうとそちらを優先してしまいがちになるのでした。 東池袋のサンシャインシティアルパの地下飲食店街にある(あった?)「万世橋酒場」にはお邪魔しているのに、本家本元には幾度も機会があったにも関わらず訪問のチャンスを逸していたのてす。大体において万世ビルにすらもう10年近くは行っておらず、その際連れて行ってくれたご老体も九州の田舎に引っ込んでしまい再開を約しながら未だその約束を果たせておらず、同行した生涯付き合えると思っていた後輩くんともパッたりと没交渉ということに相成ってしまいました。そんななんだか心の痛くなるような思い出があるものだから、なかなか万世橋そばにあるこのビルに近付かずに過ごしてきたのでしたーところで余談ですがここから「近江屋洋菓子店」に向かって歩いていくとかつて「とん吉」という渋い名店があったのですがそこも再開発で店を閉めて久しくなりましたー。さて、思い出に浸るのはこの程度にしておき、肝心の立ち呑みですが、長い真直ぐなカウンターだけと外見から思い込んでいましたが、店内奥深くに通された所にあるコの字にぐるりのカウンターはなかなか雰囲気は良いし、唐揚げも味はともかくすごいボリュームで悪くありません。でも飽きられてきたのでしょうか、思いの外、客の入りが良くありません。万世びるならもっと肉に特化した酒場の方が人気が上がるのかもしれません。 続いて通い慣れた酒場に向かって歩いていくと、あまり見覚えのない酒屋さんがあって、しかも多くの人で賑わっています。そこは「アキバの酒場」というなんだか捻りの一つもない店名のお店でした。日本酒の銘柄も数多く取り揃えていて、さすが酒屋直営と言いたいところですが、実際には町の酒屋よりそこらの居酒屋の方がずっと日本酒の品揃えが多いものです。ともあれ、駆け付けて買ってもわからぬのでとりあえずウーロンハイをもらい肴もポテサラといい加減に選んでしまい、ああ日本酒にポテサラはないよななんて思いながら、これが結構上手くて、しかも日本酒にも案外合うのでした。で、振りの文章に戻っていくのですが、実はこちら、以前訪れたことがあったようです。悪くないのですが店の雰囲気に個性がなさすぎてまるで印象に留まらないのです。記憶力の欠如と言われるとそれまでですが。あと、やけに混雑しているのと、必要以上に常連ヅラをする愚かな客がおおいのも気分を萎えさせます。
2015/08/19
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どういうことなのかと尋ねられても上手く答える用意はありませんが、飯田橋の町に来るとせっせと散策して、まだ見ぬ酒場探しに執心するといった気迫がまるっきり湧いてこず、どうやらこの町のことがあまり好きではないのだというのが答えられる端的な理由になるのでした。無論隣の市ヶ谷や水道橋の退屈さに比すると好ましいことは間違いなく、だからこそ市ヶ谷でもなく水道橋でもなく飯田橋を目指すことになるわけですが、そう言ってみたところでたまには神楽坂から牛込方面に足を伸ばしてみようかという気分にはなれないわけでJRからほど近い酒場で良しとすることになるのでした。 この日訪れたのは「築地食堂 源ちゃん 飯田橋店」というお店で、実のところは飲食ビルのフロアー違いの店で出しているハッピアワーのポスターをここのものと勘違いして入ってしまったまでであり、最近よく見かける大衆的な装いをことさらにして見せた24時間営業の魚介系酒場にも似たなんの変哲もない酒場だったわけですが、こらが思ったより良かったのでした。ドリンク一杯に枝豆、刺身に焼魚が付いて1,000円だったでしょうか、これだけの肴があればホッピーを追加―金宮のボトルもお得だったはず―すれば、充分に満足できました。こうした優良店が増えると地元のお店も常連だけをアテにしてうかうかとした商売をしていられないだろうな、とそらを証明するように大変な盛況ぶりなのでした。 もう少しだけ呑んでいくことにしましょうかと立ち寄ったのは「スタンド居酒屋 立呑み やまじ」でした。いざとなればここがあるということもあって飯田橋では、無理矢理歩き回ることもあるまいと思わせるということで言えば、便利で好きな酒場であることは間違いないのですが、ぼくを怠惰の罪に突き落とす原因ともなる困ったお店でもあるのです。店の雰囲気、値段に肴の豊富―特に他所ではあまり見掛けぬ品が楽しめる―さといずれも文句などあろうはずもなくて、実際はそう頻繁に来れるわけでもない飯田橋ではなく、駒込あたりにあってくれれば週一回ペースで通うのだけどなと贅沢かつ我儘な要望をぶつけたてみたくなるのでした。
2015/06/23
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いつものことながらベロンベロンになって辿り着いたのが市ケ谷のとある酒場、見るからに今時のレトロさというスパイスをまぶすことで、客の感興を喚起せんとするあざといーしかしそんなことはお見通しの客ばかりが蔓延るという鬱陶しいタイプのお店です。「市ケ谷店」 店名はといい、なんだか地名が重複してみっともないことになっています。これが「伊勢元」とか「加賀屋」といった古い地名と結びつけばそれなりに様になるようですが、「日本橋 紅とん」を剽窃したのでしょうか。まあ「日本橋 紅とん」もチェーン展開を始めた当初に神田のお店に初めて行った頃には、何とも言えぬ違和感を感じたものですが、今ではもうすっかり慣れっこになってしまいました。それにしても高級感を換気する「日本橋」を大衆酒場の典型のもつ焼屋が標榜するとは思い切ったものです。肝心の二番煎じ店ですが、どうも本家には遠く及ばぬようで、職場の同僚数名がどうも険悪な雰囲気だったことも作用してか、いまいち盛り上がらず食べるのはほっぽり出してひたすら呑みに徹することにしたのでした。
2014/12/23
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秋葉原に集まる人種っていうのがどうにも相性が悪くって、余程のことがない限なりは好き好んで来ようとは思わないわけですが、先日生き漏らしていた喫茶店を巡っている際にどうにも気になる昔風の居酒屋というかおでん屋さんを見かけてしまい、 矢も盾もたまらず訪れることにしたのでした。 でもその前に前々から行きたいと思っていた角打ちに立ち寄ることにしました。けれど同行したT氏には、角打ちであることは内緒です。彼はこれまでもそこそこの軒数の角打ちに行っているのですが、ごく限られた角打ちを例外にあまりいい印象を抱いていないからです。その気持ち分からなくもないのですが、ぼくは彼よりずっと好奇心が旺盛なのだからしようがない。暗がりの中に酒屋さんがぼんやりと見えてきました。どうやらあれらしい。T氏はまだ気付いていません。酒屋を曲がった路地側が角打ちスペースとなっているようです。これでぼくは条件クリア。角打ちは酒屋から独立している、もしくは同一店内であってもカウンターなど飲食場所であることがはっきりしていてくれないと、満足できないのです。東京の角打ちの多くが通常の酒屋とまるっきり同じ表情で、ただ違っているのが店の中でオッサンが酒を呑んでいるというのではひとつも興奮できません。この点はO氏も一緒。加えての第二関門はハードルが高く、乾きものと缶詰以外に、一品でもいいので手作りの肴があること。これもこちらはクリアしています。ということなので安心して店名を公表するととっくにお分かりの方も多いことでしょうが「ちょっと寄ってよバー やまと(伊勢権酒店)」なのでした。ゴマイワシなどをもらいましたが、これは間違いなく市販されているものだけど、他に手作りの品があれば問題なさそうね。てっきりかなりの盛況で立ち入る隙もないのではという危惧は、不要なもので先客はお一人だけ。壁に隙間もないくらいに張り巡らされた神田祭の写真の仲間のようです。賑やかな喧騒の中で飲む覚悟をしていましたが意に反し、しんみりと呑むことができました。 秋葉原駅方面に向かう暗い路地に「百萬石」があります。町で一軒ここだけが取り残されたようなうらびれた風情にたまらない哀愁を感じてしまったのでした。これが住民流出の現状を経験している町であったならばあまりにもしっくりとしてしまってこれほどの印象強さはなかったのかもしれません。先日通ったのは陽がまだ高い時間帯だったのですが夜になると煌々と明かりが灯され、人通りとてまるでない真っ暗な通りにあっては眩いほどです。白色の照明に照らされても店の古さは隠しようもなく、厚化粧の老女のごとき妖しさを晒しています。引き戸を開け店内に入ります。テーブル2卓にL次のカウンターというチェーンではない居酒屋としては至って平凡な配置なのですが、一言で言ってしまうと年季だけが産み出せる息苦しささえ覚えるまでの濃密な光と影が、実際は綻びだらけなはずの店内に美的な印象をもたらします。木製の椅子それ自体はこれといった特徴があるわけではないのですが、そこに擦り切れたゴザの座布団をおいてみるだけで鑑賞にも値するまでの効果を与えるというのは、どこかしら純喫茶の魅力にも通じるところがあるようです。けして若くはない女性お二人でやっておられるのも古くとも清潔さを維持できている所以かもしれません。などと女所帯をすんなり受け入れて腑に落ちたと勝手に納得していたのですが、便所に入るとその壁一面には原節子から始まり、山口百恵から果ては沢尻エリカのセミヌードまで夥しいまでに貼り巡らされているのでした。一部、イチローなど男も混じっているのはどうしたものか。おでんは具材が大振りで、食べ応えあり、ゆめゆめ頼みすぎぬことをご注意させていただきます。
2014/09/23
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かつて御茶ノ水には学生時代はアテネフランセ文化センターに映画を見るためにうんざりするくらいに通い詰め、駅からセンターまで駆け付けると、階段を4階まで一気に登っては空調も今ひとつ効かぬ、座り心地も今ひとつの席でひたすら映画の画面に目を凝らしました。就職後は徐々に通うことも減っていき、御茶ノ水はぼくにとって過去の町となりつつありましたが、たまたま仕事の配属先がこの地となったことで改めての付き合いが始まりました。ここでの勤務を終える際に送別の会をしてもらったのがこの夜の一軒目、このブログの店としては異色の中華料理店なのでした。 「銀座アスター 御茶ノ水賓館」です。こちらにお伺いするのは何度目になるでしょう。回数は定かではありませんがひとつ言えることは、ここを訪れると必ずや何かしらの転機が到来するということです。しかもその転機が多くの場合悪い方向に向かうということです。まあ、それが本当に誤った方向であったかは、もっと先、もしかすると今際の際まで持ち越しになるのかもしれませんが、今回の訪問が悪いジンクスを取り払ってくれる結果となることを期待したいものです。ところでこちらでは飲み放題のコースを頂いたわけですが、見せのレベルとしてはもう少しマシな紹興酒を出してもらいたかった。料理も上品ながら本場に近い中華を近場で気軽に食べれるようになった現在では日本人の味覚に寄り添った料理ではいささか物足りなく感じられるのでした。 続いては、こちらもやはり中華料理店の「とちぎや」です。こちらにお邪魔したのは本当なら御茶ノ水、唯一の酒場と言ってもけして過言ではなかろうお店に伺うつもりが珍しくも満席だったため、お向かい二階のこちらを選んだだけのことでした。ここには勤めていた頃は、たまに昼食を取りにお邪魔することがほとんどで、ごくまれに残業で遅くなった夜に5、6人位で来ては焼酎のボトルを入れて呑むという使い方をしていました。「銀座アスター」での宴会の流れで、今回もまさにそのような利用になりました。こちらもさほどおいしいとは言えませんが少なくとも庶民的な中華食堂の風情があるのでまだしもくつろげるのが良いところでしょうか。でも値段は消して安いわけではないのが厳しいところ、御茶ノ水だからとすんなり納得はしたくありません。ここの写真どういうことだか残ってないですね。 もう呑めないくらいに呑んでるのに来ちゃいました「徳兵衛」です。お向かいからも客の流れがなんとなく窺えるので、狙いすましての入店でしたが、実のところ記憶は全くの不鮮明。3名でお邪魔したことは覚えていますが、何を摘み、何を呑んだのやら。酒はきっとトリハイなんだろうな、ここの酒は何を飲んでも後から痛い目に遭うことは分かっているのにまったく懲りないことです。それでもやはりここはどうしても立ち寄らざるを得ない大事な酒場なのです。こちらも写真なし,さびしいので過去の写真を。
2014/07/17
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半蔵門は好きになれないとかすい先だって言っていたばかりだというのにまたもやちょっとした用事で出向く羽目になりました。今回は急な出張ではなかったので事前にじっくりと下準備して出向くことにしました。ちょっと感じのいい角打ちが2軒ほどありますが、角打ちはできることなら1軒目でさっくりと立ち寄って、2軒目は落ち着いたじっくり呑める酒場としたいところ。ところが調べどもこれぞという店が見つからぬまま当日を迎えてしまいました。そうと決まれば角打ちハシゴも悪くないものだと心に刻んでせいぜい楽しむことにしたいものです。 まずお邪魔したのが屋号の渋さから歴史ある酒屋さんであることが期待できる「相模屋平助商店」にお邪魔することにしました。いそいそと店に向かいますが、それらしき酒屋さんが見当たりません。しばし迷ってうろきょろしますが、何度となく通過した洒落た雰囲気のお店がそこだったのでした。どうやら最近になって改装したばかりらしく、すっかりモダンな酒屋にリニューアルされています。一瞬店に入るのを躊躇しましたが、せっかくやって来たのでし、半蔵門をむやみに歩き回ったところでこれといった酒場に行き当たる可能性は低いと判断、お邪魔してみることにします。店は思った以上に広くて奥には巨大なテーブルが設けられています。角打ちといっても上品なカフェのような雰囲気で、ここで酒をいただくのだなと思うとちょっとだけゲンナリした気分になります。角打ちの人とは思えぬ、若くてきれいな女性や可愛いお兄ちゃんたちが従業員として働いているのもなんだか違和感を感じるばかり。そしてそうして彼らの目に日の暮れかかった早い時間帯に独りわびしく酒を呑むぼくはいかように見られているのだろうと、意識がぴりぴりするのを感じます―実際彼らはぼくのことなど単なる客の一人としてしか見ていないのでしょう―。店の雰囲気のせいか、身なりのよろしい中高年サラリーマンに混じって女性客も目立ち、ますます自分が孤立しているのではないかと言う焦燥に駆られて、1杯の生ビールを飲み干すと逃げるように店を出たのでした。 次の角打ちもこんな風だと辛いなあと思いながらも急ぎ足で向かいます。「麹町 いづみや」を目指しているわけで、あまり酒屋っぽくないその屋号に不安を感じつつも向かうしかないという悲壮感が心に貼りついています。実際店を目の前にするとあまり酒屋さんらしくないのは同じですが、しっかりと立呑み屋さんっぽさがあってああこれはいいなあとちょっとほっとします。ところが店に入るとほっとした気分はどこへやら驚くほどの盛況ぶり。むりくり配置された壁と棚中に日本酒などが並べられ、どうやら奥にあるらしきレジカウンターまで辿り着くのに一苦労します。しかも首尾よく酒を購入したところで呑むための立ち位置を見出すのも難しそうです。しかしここであきらめる心境にもなれず、まずは酒を求めてからなんとかしよう、なんとかなるだろうと勢いのまま酒を購入。呑み場所を求めて店内をうろつきます。するととある美女が独りで呑んでいて、しかもその対面が空いているではないですか。これ幸いとその狭い場所を目指すと向かいにもグラスが置かれていたのでした。ツレがいたようです。やむなく棚の空いている箇所に陣取って、窮屈な思いのまま酒を呑むしかないのでした。ああ、やはりここも自分のいるべき場所ではないようです。もはや麹町にはまったくの未練を感じず、急ぎ足でいつもの馴染のお店に直行したのでした。
2014/04/30
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麹町界隈は以前職場が近かったのでよく歩いたのですが、こと呑み屋に関してはまったくの不毛地帯であることはわかっていました。たまたま出張で近くを通ったので、変わり映えせぬビルばかりが続く通りをくねくねしながら歩いていたところ、ビルの中2階の店舗でどうやら酒を呑ませているらしいので入ってみることにしました。店内に焼酎の甕らしきものが見えるので焼酎のお店でしょうか。 先客は1人おりましたがほぼ入れ替わりに席を立たれてしまいました。「大甕屋十郎太」という店名のようです。やはり焼酎の甕のようです。こざっぱりしたカフェのような店は正直まったくつまらない。焼酎を呑ませようという店でこの内装はいかがなものかねなんてことを思っていたら、お店の方がやって来ました。焼酎呑ませていただけるかお尋ねすると量り売りでお呑みいただけるとのこと。丁重な応対をしてくださるご主人によると焼酎の直売所が八王子にあって、ここでは店内にて召し上がっていただけますがお持ち帰りいただけないとのこと。そうですか、この焼酎のど越しが柔らかでおいしかったんですけどね。こうしてのんびり呑み始めてみるとこの小奇麗な店内も独りしっぽりと呑むには案外悪くないものだなとゆったりとした心持になるのでした。ちょっとした酒の肴も気の利いたものが揃っており、実はこちらラーメンが目玉らしいのでした。先客もラーメンを召し上がっていたようです。 これといった酒場もなく地下鉄でどこか移動しようかと麹町駅方面に向かうと「定食 あさひ」という食堂がありました。創業はけっこう古いようで、看板に記載がありましたがすっかり忘れてしまいました。店はピカピカで開店当時の面影は何一つ残っていないようです。記憶を留めているのは店の高齢のご夫婦だけなのでしょうか。これから本格的に残業に取り掛かろうというムードをムンムンと発散するエリート風サラリーマンたちが食べるのはごく平凡な定食だったのには、ぐうたらサラリーマンのぼくを安心させます。場所柄なのでしょうか、まだ時間帯が早いからかもしれませんが、酒を呑むのは店の奥の広めのテーブル席のぼくとおっさんが独りだけというのはややこころもとありませんが、開き直ってまったりと呑んでいると、自分がまるで定年後のじいさんのような気分になって、それはそれで贅沢な気分なのでした。
2014/04/22
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仕事の都合で市ケ谷にやって来ました。市ケ谷にはちょくちょくやって来るのですが,用件さえ終えると早々に酒場不毛地帯の市ケ谷を離れてどこかよその町に移動することにしているのですが,この夜は仕事絡みのメンバーで呑む羽目になりました。まあたまにはそれもいいのですが,完全アウェイの町なので,呑み屋の選定には一切関われないのが不満。もっとも心躍る呑み屋探しの愉しみを奪われているので,それはそれでどこに連れて行かれるのか期待感もあるには違いありませんが,市ケ谷で目新しい酒場などなかろうという諦めが優先しています。 指定された行き先はアルカディア市ヶ谷のすぐそばの地下にある「おかってや 市ヶ谷店」です。以前とは違う店になっています。「おかってや」なんて知らないなあ,でも市ヶ谷店とあるのでチェーン店ではあるようです。魚の旨いと看板にあるので魚介系がメインの居酒屋のようです。調べてみると御徒町の本店をはじめ10店舗ほどはあるようで,頻繁に出向く町にも店があるようですが,まったく知らなかったとは不覚というより,チェーン店的な店の存在にはまったく鈍感となっているようです。ビルの地下ということもあって店内はかなり広くしかも繁盛しています。基本的にグループ客を対象としているらしく,われわれは小上がりの掘りごたつ式変形テーブルを囲むことになりました。これまた居酒屋チェーンではありふれていますが,さすがにここでは独り呑みはわびしくなりそうです(実際数名が読書をしながら呑んでいますが肩身が狭い感じでした)。魚が旨い店という触れ込みもあって,お通しはなんと握りの寿司が出されます。う~ん,たとえ少量とはいえお通しが寿司とはなんとも気が利かないななんて思ってしまいます。まあこれが気に入っている人もいるのでしょうが,呑む前に食べるというのは,ぼくにはなんとも違和感があります。さて,ひさびさの大人数で呑んだのですが,うち半分はここに頻繁に足を運んでいるようで,お勧めはというと口々にもやし炒めを挙げるのでした。当のもやしは悪くないのですが,家庭でも十分出せる味のようで,わざわざ魚介系の居酒屋で頼むのもどんなものかと疑問を呈したくなるのでした(なんとお替りで2個を追加しました)。 10名近かったメンバーが一気に3名となり,次に向かったのは「叶家 越山 市ヶ谷店」というお店です。こちらもビルの地下にある,新潟名物のへぎそばが売りの和風居酒屋です。こちらも広いお店ですが,入りはぼちぼちといったところでしょうか。市ヶ谷店ということなので例のごとく調査してみたのですが,屋号を同じくする店舗はなさそうです。飯田橋の「南蛮渡来」が姉妹店とのこと。市ヶ谷店とは今後店舗を拡張しようという意気込みの表れというところでしょうか。店は落ち着いたムードで「おかってや」に比べるとワンランクほどグレードが高い印象で,お値段もそれに応じたものとなっています。客層もやはりちょっと偉そうなちょっとだけ高級そうなスーツを着込んだオヤジが中心で,女性客がほとんどいないという点に関してだけは下町酒場と共通するところです。が,まあこの客たちが偉ぶって,必要以上に大きな声で社内情報をべらべらと漏洩しているのはみっともいいものではありません。名物のへぎそばはやはり呑みの〆にはばっちりです。3人で1へぎ(へぎというのは剥ぎ板で作った大きな四角いセイロ)をぺろりと平らげ,まだまだいけそうな位です。もっとへぎそばを出すお店が都内でも増えるといいのに。その点では貴重なお店であります。
2014/02/22
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日頃、しょぼい呑み方ばかりを披露していますが、たまには有楽町で呑むこともあるのです。それもガード下なんかじゃないのですよ。ストーとは日比谷なのです。 まずは日比谷を振り出しにしましょう。繰り返しますがガード下ではありません。有楽町電気ビルの地下1階にある「立呑み もつくし 有楽町店」なのでした。これじゃいつもと変わりないじゃないか。でもきっとこの立飲み屋は丸の内OLなんかで賑わっていて、いつものおっさん天国とは雲泥の差があるはず。うきうきと目的地に向かいます。う~ん、さほど味わいのない店ですねえ、でもここが日比谷だと考えればまあ上出来でしょうか。早速店内に、うっ、なんてことだ、いつも行く酒場とまるで変わり映えしない背広オヤジ族ばかりではないか。店内でただ一人の若い女性店員はぼくのオーダーを受けるとそのままトイレ休憩へ。まさしくオヤジばかりになってしまったのでした。やはり日比谷でもぼくが行くのはこんな店ばっかりなんでしょうか。まずまず日比谷としては安心価格のお店ではありましたが、まったく消化不良のまま店を後にしたのでした。 ところが、次なるお店はなんと東京會舘にあったのでした。実はここで報告はしませんでしたが、つい先日も同舘1Fにある「東京會舘 カフェテラス」でお茶をしてから「シェ・ロッシニ(Chez Rossini)」にてシェ・ロッシニコース:5,000円也をいただいたばかりだったのでありました。エスカルゴときのこのかる~い煮込み ブルターニュ風に始まり黒むつの網焼き アンチョビ香る ブールブランソース サンマロー風、フィレビーソテー グリーンペッパーソース、パティシエからの甘い誘いと流れるような料理の数々に舌鼓を打ったばかりでありますが、これは当然ながら自腹ではないのでありました。さて、この夜は地下1Fにある「中国料理 東苑」が会場なのでした。フランス料理では気の済むまで呑むことは予算上困難であったため、せっかくの料理も十分に堪能できなかったのですが、今回はビールと紹興酒がメインなどが呑み放題ということもあり存分に酒と肴を満喫できるはずです。結論としては堪能しすぎてすっかりご機嫌さんになってしまい会合の終盤にはへろんへろんとなってしまうという体たらく。まあ仕事がらみではあるもののさほど業務とは関係のない集まりであったのが幸いです。やはりぼくのように賤しい傾向のあるものには呑み放題コースなどというシステムは却って楽しめないのでありました。帰宅後の翌日の不況を思い浮かべると通勤の足取りも重くなるのです。ところで、東京會舘をそれほど利用したことがあるわけではないのですが、これまでの乏しい経験から言えることは値段の割には料理の味はいいもののサービス面にはがっかりさせられることが多かったように感じられます。ウェイター、ウェイトレスともにあまりにも未熟さが目立つのでした。まあわれわれの顔ぶれを見てあえてベテランを外してきただけなのかもしれませんが。
2014/01/09
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有楽町駅のガード下というと南側の「西銀座JRセンター」がメジャーで今では婦女子の姿も珍しくなくなっています。どのお店もサラリーマンやOLなどがグループでやって来ては大声自慢でもしているかのような喧騒の中ではとても独りで呑めたものではありません。一方で北側に広がる「有楽町高架下センター商店会」は最近こそ出向くたびに新しい店舗ができて装いを新たにしつつありますが,以前はそれこそ寂れきっていた印象があり,女子供が足を運ぶことなどあまりなかったように記憶していますが、今では新しい店舗も続々と進出して以前のわびしくひとりおっちゃんが呑むという姿が似合わなくなってきたように感じられます。そんな代替わりしつつあるガード下で一昔前の面影をそのままに残す通りがいまでもかろうじて残されています。そのガード下のさらに小さな横丁は丸三横丁と呼ばれる横丁があって小さな酒場5,6軒程が軒を連ねています。これまでどうしてだか訪れる機会を逸していたため、満を持しての初訪問となります。 昭和22年から営業を続けている「銀楽」にお邪魔することにしました。休業していたはずですが、いつの間にか再開したようです。この夜は珍しくも喜ばしくフレンチなど食した後だったので、正直どこも似たり寄ったりの廃墟すれすれのボロ店舗でどこに入ってもよかったのです。実際、時間は9時を回ったばかりだというのにいくつかの店はすでに店仕舞いの準備中です。こちら「銀楽」は場所柄もあってか全品500円というのがちょとばかり懐が痛いのでありますが、やむをえないことでしょう。総勢4名のわれわれおっさんたちはカウンターにずらりと並びます。オヤジさんはカウンターの中でうろうろしているばかりでなかなかオーダーに応じてくれないのはどうしたことでしょうか。まあ時間もありますし、しっかり店の歴史を感じ取ろうと観察させてもらいます。肴は呑兵衛好みの簡単なものばかりですが、そんなことはどうでもいいのです。ただこの東京どころか日本を代表する商業地域のど真ん中にこれほどまでに古くて時間を忘れて呑み続けたくなるような酒場が現存していることにひたすら感動したのでした。 一人になり、東京駅方面に向かって歩きます。ミルクワンタンの「鳥藤」などにも久しく行っておらずそそられましたが、この夜の次なる酒場は「もつやき 川上」とすることにしました。ここも幾度も通りかかりながら入店の機会がなかったお店です。あと15分程度で店仕舞いだよとの悲しいお達しにもめげず、一杯飲むだけでもいいからとカウンターに通してもらいました。お隣では30代の女性が独り煙草をくゆらせながらサワーを呑んでいます。いずれともなくなんとなく会話を始めます。彼女はJR京葉線の沿線住民で地元には酒場がまったくなく、毎夜ここを訪れては独り呑んで帰宅の途に就くということです。確かに同じJRの東京駅を起点としているにも関わらず、京葉線の乗り場は大きく駅構内の外れにあって、ちょうどこの辺りだと乗車にも便利なのでした。この酒場の常連の多くが京葉線沿線の埋め立てられた殺伐とした自宅に帰るまでのひとときを過ごしているのではないかとさびしい想像を働かせてしまうのでした。それでもこの女性は、夜な夜な訪れるさまざまな客たちと親しく会話を交わすことで一日の疲れを癒しているのだなあと有楽町のガード下の南側とは違った別の一面を見せてもらった気がしました。
2014/01/04
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