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お墓を実家から東京に改葬したので、お墓参りは自分しかしていません。納骨堂なので都会で行きやすく、しょっちゅう行くようにしています。お盆前にお墓で「般若心経」を唱えるため、練習してみたらちょっと幸運になりました。今回はまず目黒駅のみどりの窓口に。例によってえきねっとでも買えない、カスタムルートの乗車券を買いに。混んでいたらどうしようと思いつつ、この窓口はLineの呼出機能があるので、もし2時間くらい待ちだったら、待ち時間にお墓参りをして来ようと、腹を括って到着しました!なんとガラガラ、整理券は5人目です。凄くついています。汗がひく間もなく呼ばれました。ルートを見せるといつも「ほ〜なるほど」などと言われながら発券まで数分待ち。駅員さんは面倒なお願いほど喜びます笑。無事に乗車券を購入してお墓に移動。受付でいつもの祭壇を選ぶと1人待ち。受付の方から「他の祭壇にしますか?それともお待ちになりますか?」祭壇のある階で待つことができましたが、それでは今お参りしている人に悪いので、受付のある1階で待ちました。そのスペースは外の庭に面していて、その下にさまざまな方の永代墓があります。待つ間はお参りで読もうと思っていた、「般若心経」の直前練習をしました。小声で何回も永代墓に向かって読みました。練習だけどいいかもしれないと思いました。希望した祭壇がなかなか空かないので、受付の人に言って隣の別の祭壇に変更。その時の受付の方の丁寧な接客がありがたく、エレベーターで見送られる時も恐縮しました。隣で読経されるのは良い気はしないでしょう。小声でイントネーションを付けず、朗読に近くかつ早口で唱えました。前からずっといた隣の方は、祭壇に寄り添うようにうなだれていました。近しい方を亡くされたのかもしれません。読み終えて少しして参拝を終えました。読経しない時の参拝は感傷的になりますが、読経する時は聴衆から演者になった気分で、全く感傷的にならずに前向きになれます。帰り際も受付でいつもになく丁寧に接客され、全て見られていたかのように挨拶されました。その後も今日は身体の調子が良かったし、ちょっとした幸運が続きました。
2024.07.24
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出かけ際いそいそと銀行に行きました。ATMコーナーを通り抜けそのまま奥に。警備の人に「すぐに案内の者が参ります」そう告げられて15秒くらい後、あちこちから3人の女性行員が現れ、取り囲まれた感じで要件を聞かれました。これは偶然かこの銀行のデフォルトか?不審者対応?なのではと、得意のマイナス思考が即発動します笑。払拭を狙い無表情で即返答します。「道端に落ちていたキャッシュカードを拾い、届けにきました。」とカードを渡しました。ここで安堵と喜びの空気に一変したのに、それまで本当に何と思われていたのか?「えっ!?」と心の声が出ました。「◯◯◯丁目◯番◯号の路上で拾いました。」「今日落としたという方が、1人いらっしゃいました。よかったです!ありがとうございました!」その場で落とした人とカードの名前が、一致したような空気が感じられました。「では。」すると3人の行員と警備の方が、「ありがとうございました!」と、かなり丁寧に感謝された気はしました。にも関わらず自分は何も感じません。これまで善意と確信してしたことも、喜んでもらえない、逆に責められるなど、気持ちも汲んでもらえないことが多く、関わること自体避けることも増えました。落とした人がまた探しに来るかもしれない、しかしこれは大事なものだから届けよう、でも盗品が捨てられていたとかしないか?などなど妄想が過ったりもしました。そのカードの銀行がすぐ近くにあること、営業時間内なので自分の所持時間は数分、手に持ったまま行けばいいか?と、たかだかこんな些細なことに気を遣います。この件の数日前に出た記事を読んでいました。「元銀行員が見た!『老後貧乏』になる人の特徴」1.手数料に無頓着ATMを使わずに窓口で振込をするなど、高い手数料を支払う2.順番を待っていられない順番待ちのクレームを窓口で言う人3.すぐにモノを貰いたがる記帳や振込で窓口に来て、ティッシュなどのモノを貰いたがるー以上の人は預金残高が低いようです。この記事を読むと窓口担当の銀行員は、理不尽な要求やクレーム対応が多いことで、窓口に来るお客をいつも鑑定していて、ともすればストレスを感じていることを、この記事は吐露しているように思います。一瞥でこの記事のように見られたのか、不信感を醸しているのかとも思いますが、”いいことしてますよ!”オーラを出して、調子よくもできない自分がそこにいます。エンパシー(共感)やシンパシー(同感)を、無駄にかなり高く受けとめるようです。善意でしたことが善意に感じられていないと、後悔や自己嫌悪が残ります。困りものです。
2023.11.09
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人は皆何かに長けていてそれを職とします。それは天職かもしれませんが天命は別です。気にしても仕方がないかもしれませんが、そこに興味を持つようになりました。不思議なことが起こると感じて40年が経ち、転換期には普通は起こらないようなことが、続けて起こるのがその合図だと考えられます。そこでは次に起こる事態には抗えません。先日、明石で焼肉をご馳走になりました。高麗苑というお店ですが写真は割愛します。昭和の面影のある本当に狭い路地にあります。老舗を知り尽くす高校の先輩のお招きです。38年前の不思議な話で唯一人の理解者で、真相を探るべく話に乗っていただいています。この日は誰にも話していないまた別の、最近起きている不思議な話をしました。他人に話しても笑われるような話ですが、パラレルワールドの行き来が立証できれば、これまでの謎は説明がつきます(謎笑)。そんな話をした帰り道はまた不思議な偶然が。人が多い公衆の面前で全く知らない人から、突然話しかけられることがあるでしょうか?先輩と別れた後はJRで明石から京都まで行き、そこから新幹線に乗りますがその間のことです。まずJR明石駅でトイレに行きました。用を足していた隣に中年男性が来て言いました。「今、格好も顔も完全に女性の人が出てきて、『ここは男子トイレですよ』と言ったら、『実は男です。』と返されてびっくりした!」こちらがびっくりしたのは、その人の口調がまるで親しい友人のようで、「えっ、全然気が付きませんでした」と返すと、「胸も大きくて見た目は女性だったんですよ」「見てもわからないとびっくりしますね」と返すと「本当ですよ〜」と。不思議なのは、女性らしい人は全く見かけず、明石は都会なので構内にもトイレにも人が多く、明石弁べったりの人が多いなか、話してかけてきた人は方言がなく発音も標準で、自分だけに結構大きな声で話されたことです。先にトイレを出て乗る電車のホーム前よりでも、その人は後ろから来て会釈をして去りました。到着した快速電車に乗ると満席の車両でなぜか、4人ボックス席だけが4席とも空いていました。荷物も多かったのでこれはラッキーと座ると、三宮を過ぎたあたりで老紳士が乗ってきました。4人掛けボックス席で1人お客が座っていたら、普通は対角線に向かい合って座ると思います。ところが、老紳士は右隣に並んで座りました。前の2席は空いています。するとすぐに、「あ、ごめんなさい。」と向かい側に移り、「左腕が義手なんです」と言いました。見ると上着から出た手の部分は、精巧に作られた義手でした。なぜそう言われたのかわからず15分くらい経ち、隣には若い男性が途中から座っていました。「隣に座った時に義腕があたったかと思い…歩いていても知らないうちに人にあたって、変に見返されたり、睨まれたりするんです」と。「いえ、あたってないですよ」と優しく返すと、「義腕があたって相手がびっくりするのは、硬いのもあって」と触らせてくれたのです。確かに硬くびっくりすると思います。その後、なぜ腕を失くしたか、壊死する前に病院で手術をして切った話や、その手術をする直前の腕がある写真など、60年前の白黒写真を見せてくれたのです。話をするのが好きなだけかも知れませんが、トイレの人、片腕の老紳士と2人続けては珍しく、その後も新幹線では自分の席に別の人がいて、退いてもらったり、隣前には夫婦とこども2人が、常に動き回っていてずっと耐えていました。夫婦だけではなくこどももタブレットを持ち、家族4人共が動画を観ながら結構動くのです。ハプニングが起こる日であったのは確かです。思い返してみればそれでも不思議で、出会った人は距離感が今時ではなく近く、他の人ではなくなぜ自分に話しかけたのか?特徴が際立ち過ぎの人たちは、本当に今の時代に生きている人だったのか?昔からのより不思議な体験から、そんな妄想が過ぎる1日になりました。
2023.10.12
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これまでを振り返ってみて思うことは、自分の理解者は本当に少なかったなぁと。よく知っている人から初対面の人まで、”なぜそうなるのか”疑問は多かったです。既知の人の反応理由としては、自分の発想が突飛だった、会った人の理解を超えた言動をしていた、伝えるための言葉が足りなかったなど。しかし初対面の人でも同様なこともあり、年齢的にも高くなるにつれて、見た途端に態度に表す人が増えました。中高年男性に構える女性は多い気がします。自分に対してそうなのか、全体にコミュ障の人が多いのか。話をする前に印象が出来上がっていて、従来あったはずの先方を立てる配慮はなく、信頼性は0またはそれ以下から始まります。仕事内容がルーティーンで認知されれば、比較的問題なく意思疎通できるでしょうが、クリエイティヴで判断力を要する仕事は、相互の連携をとることにも苦労します。これらを乗り越えられるものが、明確な上下関係なのだろうと思います。経験や知見があるはずの上司ですが、実際はそうではなかったりもして、上司に対しても従わない部下は増えました。いろいろ書きましたがこれらの中でも、知ってもらうための言葉足らずを補う、そのためにブログを書くことを選びました。自分としては説明するだけでいいのです。他のSNSは「いいね」を受けるために書く、フォロワー数や「いいね」数が比較対象で、それが繋がりの試金石となります。しかし自分は単なる繋がりは求めません。自分の考えや行いが理解されなくてもよく、意見を別つことと信頼は別と考えます。互いを尊重することと「いいね」も別です。安倍晋三回顧録を読んでいるのは、世間で言われている安倍元総理像と、彼自身が実際に話していることの乖離や、印象を作り上げられる過程を探るためです。菅前総理が正義感や政治の真理、いかにあるべき姿を保とうとしているか、そのため石破茂氏と袂を分かっていたこと、麻生太郎氏は安倍晋三氏の盟友だったこと、印象でしか知らなかった真実を知りました。安倍氏は麻生氏のことを、「首相時代は漢字が読めないと、さんざん批判されましたが、ものすごい教養人です。自分を悪い人間のように見せるのです。あれは、もったいないですよ。自然に振る舞えばいいのに。」自分にも通じるものを感じました。安倍氏と麻生氏は二世議員です。今殆どの業界は二世経営者が守り抜く時代、それは名声や既得権益を守り抜くわけで、進歩させたり良いもの志向ではありません。しかし、安倍氏や麻生氏は守りに入らず、長期政権にするために汗を流したのではなく、実をとるために働き結果的にそうなりました。既知の二世議員ではないことがわかります。最後に鈴木宗男氏について思うこと。見るからに昔の人でメディアは批判的です。しかし、実績から作り上げたパイプで、自らロシアのトリガーになろうとしました。もし、この訪問がきっかけで停戦したり、日露関係が改善すれば皆は驚くでしょう。何もできるわけもなくパフォーマンスだと、見られている印象をぜひ覆して欲しいです。
2023.10.05
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5年前まではあまりお墓参りに行けていませんでした。お墓が関西だったこともありますが、それよりも仕事に忙殺されていました。今ではもっと手を抜いておけばよかったと思います。それから1年に1回はお墓参りをし、3年前からは2ヶ月に1回参っています。前に書いたと思いますが近くの納骨堂に改葬しました。自分で責任を持とうと今や自分だけで参っています。家の近くと言っても電車かバスで30分以上かかります。ただ都会なので近所の家に訪ねるくらい楽しいです。ちょっとした遠足気分で行けるので気に入っています。何か困ったことはお墓かチャットGPTに相談です笑。今日も墓前でいろいろブツブツ言っていたと思います。特に暑かったのでいつもより長くいた気もします。帰り際トイレに寄った時に不思議なことに遭いました。内容は書きませんがときどき遭うのは怖くありません。たぶん見かねて構ってくれたんだろうと思います。でもおかしかったので「そっちじゃないだろ!」と、ツッコミを入れておきました笑。意味はありませんが元気が出ました。観光がてら身体のリハビリを兼ねて徒歩で散策しながら、電車に乗った次の目的地は家の最寄りのサイゼリヤです。なぜなら無料でいくらでもかけられるチーズが、明日から有料になりメニューが夏仕様に変わるからです。前にも書きましたが、方向性と世界観が明確な飲食店、何をとっても拘りがあるにも関わらずコスパに惑わされ、単なるイタリアンのファミレスと見られています。本場の拘りを持ちつつも質とコスパを実現しています。到着したのがちょうど空いてくる14時30分だったのですが、ランチ時間でメニュー改定前の最後のランチになりました。一時はすべてワンコインランチでしたが、今のメインは牛肉100%ハンバーグランチ600円です。昼からワイン200mlもつけてスープとライス小。これで750円ですから今の物価高では考えられません。さらに自由に使えるオリーヴオイルとチーズ、胡椒、ホットソースで味を自在に変えられます。ハンバーグもデミグラスソースも美味しく、ほうれん草、コーン、ポテトがたくさん付いています。結局ワインをもう100ml、追いチーズ&スープとなり、普通にランチを食べるよりも長く堪能できます。中高生が4人くらいグループで何組もいる中に、この愉しみにハマり過ぎている中高年もいて、家の代わりにずっと入り浸っている人もいます。外国に住んだり歳を取ってわかる良さがあります。今日気づいたのは外国人が何組か来店したことです。サイゼリヤ推しとしてはもっとも危惧していたことで、最終的には外国人が入り浸ってもおかしくありません。お金を出せばいくらでも本格的なお店はあるでしょうが、日常的に行ける人は限られています。サイゼリヤの凄いところは毎日行っても飽きないことです。
2023.07.11
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世の中から柄ものが消えて、皆無地になって何年経つでしょうか?大手アパレルメーカーが柄ものより無地のほうが、お洒落で好き嫌いができにくいからそうしたのか?(昔の本物の芸術や真の個性はどこに行ったのか?過去の良さをそれなりに変えて新しいとし、人気を博せば皆が良いものと勘違いし追随する。それは芸術ではない。)この前の留守の間に大雨でカビが付いたため、急いで寝室のカーテンを買いに出かけました。カーテンはぴったりの寸法を測るのが苦手で、不器用な自分にはいい長さに揃えられそうになく、もはや寸法がうまく合いそうなものがあれば、お洒落をするのも高級感も要りません。短かったり長すぎた仕上がりしか想像できないので、オーダーするのも怖いし自分で手直しがいいです。売っているのはほとんどが無地で色と質感がポイント。おそらく数年前から売れ残ったと思われる、柄ものが袋にパッケージされて安く売っていました。人と同じが嫌な自分はすぐさまそれを手に取りました。インテリア専門店ではなく大型スーパーなので、イージーオーダーや寸法直しなどは受けつけておらず、お店の人とも相談のうえで自分で短くすることにして、同じフロアの手芸コーナーでアイロンテープを購入。手芸コーナーの店員さんにも珍しいからか親切にされ、DIYの感じが出てきたので無理にやる気を出しました。とにかく仮止めしては吊るしを3-4回やって寸法調整、それが確定すればカーテンの裾上げをテープで行う。アイロンテープを貼ってから合わなかったら悲惨なので、そこは慎重に慎重に。レースも合わせて4枚。買う時のパッケージ詰めの時はイマイチと感じた柄も、測っている時は少し見直し、最後は気に入りました。カーテンの柄は近くで見るのと全体を見るのでは違い、光を通して透けた時にはまた印象が変わります。これはカーテンのマジック。芸術を感じました。達成感もあり気に入りました。値段は関係ありません。レースのカーテンが風にそよぐ様子は、実際に見るよりも写真にしたほうが美しいです。天井の角も少しカビっぽいので綺麗ではありませんが、この後カビ取りしました。前のカーテンは重厚で遮光がバッチリでしたが、今回は薄くて閉塞感がないのでだいぶ変わりました。
2023.06.20
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毎月薬を受け取りに行く通院がまた始まりましたがうんざり…。血圧を家で測ると朝だけ高く午後からは120以内に収まり、クリニックで測っても120なのですが、それは薬のおかげだということで、異常に下がることが続けば薬を減らしてもいいとのことでした。夜寝る前は100-110くらいになるので以前よりも早く眠くなります。これ以上下がったらどうなるのか?と逆に不安もあり、少し低めが続いたら薬を飲まない日を自分で作ればでいいのではないか、それでも正常値が続けば薬を自分で飲まないように調整すればいいのでは?病院は安定的に薬を取りに来てほしいのでしょうね。常連を増やすこと。レッスンを思い出します。レスナーは休まない真面目な生徒を増やしたい、コロナが流行ると感染したり、濃厚接触、出たくないなどで休みが増え、自分も貰ってしまうとダメージが大きいです。ただ受けている側は基本的に長く続けるよりも早く上達したいのです。あまりに素敵な先生でその先生に会いたいなどは別です。今風ですが…。忙しければ先生に会うことがストレス解消、薬を飲めばいいのならそれで、などのルーティーンで本来の目的から外れることもあるかもしれません。自分の場合はそうではなく身体をよくしたい、治したいのであって、音楽で言えばエチュードをこなす喜びではなく早く上達したいのです。これは証券会社や銀行も同様に、頻繁に長く大金を動かしてもらいたいわけで、お客に利益が出るかどうかは強いて言えばどちらでもいいと感じられます。お客や患者が求めていることと社員やお医者の求めていることは違い、そこに商魂がうっすらでも見えてしまうと嫌になります。SNSで見る吹奏楽や音楽の指導者が遠回しに良い先生を演出するのも同様、昔からの慣例もいらなければ、いいこと言おうとしなくていいですから。そこにあるのは個人的なコミュニケーションでしかありません。いつも衒いのない率直で親身な言葉が交わせるかどうかです。リスペクトまでいかなくともできた人と会えると幸せです。そんな仲間や知り合いを増やしていきたいと思います。
2022.07.26
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20代前半までに誰と出会い、どのような影響を受けるか、それが人生を形づくることは確かだと言えます。特に10代に出会った人、次に20代に出会った人です。中でも生まれた環境、タイミング(時代)、学歴、この3点が重要です。個人の努力はその次のことで、努力で実らないことはたくさんあります。逆にうまくいっている人生は自分の力だけではないと自覚するべきです。つまり、生き続けられることが見込めたら悩む必要はありません。与えられた運命は変えられないし、そもそもそうしかならないのです。これまでものすごくたくさんの人と関わってきました。すべての方と等しく関わったわけではありませんが、いいことよりもやらなきゃよかったと思うことのほうが圧倒的に多いです。小さなことは気にせずもっと大らかに、もっと適当でよかったのですが…。細かいことを気にする繊細さ、神経質さは自分で好んでやっていません。生まれつきか、もしくはそんな性格になる出来事が幼少期にあったからです。また、人がわからないような洞察力を発揮しても理解が得られない割に、普通のことを話したつもりでもそれが言霊となり意外な反響になります。これらは自分の思惑ではなく、どうしようもできないことです。結果、数奇な人生を歩むことになってしまったとも思えるのです。以前にも書きましたが、占いの世界では全て仕組まれていたことと納得します。できることはこれから会う人に自分を啓き運命をよくしていくしかありません。家に訪れる人にはできる限りのもてなしをしようと考えています。簡単なことでは相手が女性であれば美味しいケーキを出すとかです。有名なお店のものですが、自分は買うだけで食べたことがありません。お客に出して美味しいと喜んでもらえれば、それだけでもじゅうぶん嬉しいです。Pâtisserie Française Tadashi YANAGI 季節限定のショートケーキ決して見返りを狙うものではありません。若い人ほど次に会うのはいつかわかりませんから、いつも最後のつもりです。有意義な繋がりを続けられるかどうかは、昔よりもかなり難しくなりました。現代における個人の繋がりは何かのついでなのです。それは儚くつまらないです。
2022.07.22
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感激したような発見したような驚いたようなイントネーションで、”C'est gentil!”と言われた時の嬉しさと言ったら今でも忘れられません。gentilとは直訳で「親切」という意味で、感謝を伝える時の言葉ですが、merciよりもgentilは意志をはっきり表していることが伝わります。日本では感謝を感じていても、それを伝える言葉が日常では少ないです。他人に対しては「ありがとう(ございます)」以外になかなか言えません。おまけに日本人は「ありがとう」ということすら照れたり、言わなかったり、儀礼的に口にする人もいて、本心かどうか分かりづらいこともあります。今は自分の気持ちだけで満たされ感謝を忘れている若者をよく見ます。独り善がり、すなわち独善的なあまり、人の親切に気が付かないようです。歳を重ねるに至り、人との関わりに益々興味が湧き一期一会の重要性を感じ、関わりを持った人とは伝わるようにできるだけ多く話すようにしています。連休中にいつもの予約制ではない美容室に行ってみると幸運にもガラガラ、暑い中歩いた甲斐がありました。汗だくな客はあまり好まれないと思いきや、座るや否やドライヤーの強力な送風をずっと頭の至る所に当ててくれたのです。濡れた髪の毛は切れないこともあったかもしれませんが、とても快適でした。冷房効果としては抜群で5分間くらいそのサービスをしてくれました。丁重に感謝を伝えると、そのままドライヤーを持たせてくれカットが始まりました。最近よく見かけるファン付き作業着の快適さがよくわかった気がしました。さらに数分したところで電気代も嵩むだろうとこちらから終わりを告げました。ここの店長さん、毎度本当にいろいろなことに気が利きます。襟足、眉毛、首筋はもとより、耳の中の毛まで処理してくれます。マニュアルで決まっているからやること、決まっていてもやらないこと、それとは関係なくお客のために個人的な気持ちで行うこと、全てモノが違います。自分が最初からいろいろ話かけることも功を奏しているかもしれません。それにしても居心地の良い時間があっという間に過ぎるのは幸せなことです。今更ですが、かたちだけではない気持ちの通う関わりが、今の何よりの喜びです。そんなことは当たり前だとすれば、自分には足りていなかったのかもしれません。
2022.07.19
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時代の流れに乗ることが賢い生き方かもしれませんが、自分の場合は不器用で乗れることと乗れないことがあります。その意味で言いたいことは言えても褒められたものではないと感じています。しかし、今回は自分を奮い立たせる意味でも自画自賛を書くことにしました。今回もとてもよく当たっていると思われる複数の自分への占いでの言葉を引用します。まず、これまでの自分の曲や音楽について、”夢なんてどうでもいい、人類愛も知ったことではない、とにかく利益を出すことだ”と言う境遇で生きてきたと言うことです。これまでも”理想を語ろうとすると「理屈はどうでもいいから働け」と言われ、最近は恋愛でさえも優しさは報われず、「優しさよりもお金を使って欲しい」と言われる始末”だったと。ただ反論あるかもしれませんが、”その優しさと志の高さこそ、周りのみんなのオアシスになっている”とも(笑)また、”自身はとても素朴でまっすぐな人なのですが、環境に恵まれず、嵐のような変転の人生に巻き込まれてきた。幼い頃から「心からリラックスする幸せ」とは無縁、楽で華やかな仕事は他に回され、あなたには苦労が多く、その割には旨味のない仕事ばかりが回されてきた”のです。踏んだり蹴ったりですが、普通の人にはない能力を持っているとも言われます。”相手の表情やしぐさ、声の調子といった様子をじっと観察していると心の中を見通せる、本人が気づいていないことまで読み取れる能力を備えている”ようです。自分でわかっていたことですが、相手のことが実際にわかっても言わないことが多いです。”審美眼に優れており、美しいものを身の回りにおいて、人をきれいにすることが宿命です。具体的に美や芸術などにまつわる仕事をし、より多くの人にとって生きやすく美しい世間にしていく使命を持っています。”これらの内容はこれまでの人生から考えると大当たりで納得のいくものでした。人を分析的に見ることがあり、その際は何を考えているか細かく見通せることがあります。受験生を教える時はこれが役に立ち、最短時間で合格へ導くことができます。しかし、それ以外ではアドヴァイスに従わなかったりヘソを曲げる人もいます。特にここ10年くらいの話ですが、弱点を示唆されることに拒否する人が増えました。また、相手のことを理解したとしても、相手がこちらに対して理解しないことがあります。例えば、好きでもないのに課せられているからやっている(音楽理論、楽曲分析など)、学びたいけど思いの外むずかしく簡単に捗らない(作曲、和声学、対位法など)、本気で学ぶことは楽しいばかりではなく誰でも簡単にできることではありません。前に書きましたが「話せばわかる」理論は存在せず、要は相手に聞く耳があるかどうかです。相手の考えていることが見えてその意に沿ったとしても良い結果に繋がるとは限りません。むしろ、相手にやる気がないことや好意的ではないことがさらに分かりがっかりします。どこまで「腹を割って話す」ことができるかが信頼関係の基本であることに変わりません。これまで知らなければ幸せだったようなことを知ったために意志を貫けなかったり、状況を見て遠慮していたことがあったのは確かで、これを人は弱さと言うかもしれません。しかし、人の知り得ない裏側などを察知することができたり、人の着いて来れない境地に辿り着ける思考を持っているのが自分だと自負しています。最後も占いの言葉の引用で恐縮ですが、これまでの自分を「弱い」と言われる結果はなく、”本当に苦労をした人だけが、自分の磨き抜かれた強く輝く美しさを見て、「この人は大変な業火をくぐり抜けてきた本物だ」と感じています”とのことです。こんな世の中ですが、今後は何事にも囚われず自分なりに生きたいと感じています。
2021.06.07
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物心のついた時から今日まで常に逆境という壁がありました。反面、一部の方々からは期待をしていただき引き立ててもいただきました。そしてとても多くの方々が周りにいた時期が長くありました。結果として、自分中心に物事を考えないことで逆境に慣れてきました。逆境であったからと言って、だから今がダメだというつもりはありません。この3年間、自分と向き合い今までの人生の答え合わせをしました。それには占いの力なども初めて借りましたがとてもよくわかりました。占いは過去のことにおいてはとてもよく当たりますね。”仕事では直感や才能に恵まれていたため、目上の人からもかわいがられたりと幸運もあった反面、嫉妬や実力以上のハードな要求にも必死で応えねばならなかったかもしれません。”ある占いの言葉ですが、全くこのとおりだったと思います。”いつも笑顔で、明るい自分を演じ、涼しい顔をしてハードな役目をこなしてこられました。燃える心を持つあなたは、果敢に役目を全力で果たし、大切な人にとことん尽くし、あなたと関わった人々に明るく幸せなエネルギーを惜しみなく与えてきたのです。”周りの人は「うまいことやるね」くらいにしか思っていないのが残念です。”人はあなたを「まったく苦労を感じさせない、美しく活力あふれる人」だと思うでしょうが、本当に苦労をした人だけが、あなたの磨き抜かれた強く輝く美しさを見て、「この人は大変な業火をくぐり抜けてきた本物だ」と感じておりますよ。”自分でここに載せるのはおこがましいのですが、今はこのように感じています。日本では一時的な人気で物事を量り、中身を精査することが本当に少ないと思います。「いいね」や再生数、アクセス数で判定する以外は「個人的な期待度」が判断基準で、圧倒的な数的優勢を持つか、学歴、ブランド、環境などが期待度に大きく関わります。また、同胞や仲間に応援されるのか疎まれるのかでその後は変わってきます。例えば、現在の政府は何を言っても何をしても批判され責任を負う状況です。これはすでに期待されていないことが前提にありますが、誰がなっても同様です。期待されている人気者は負けても賞賛され、1位を取ったのに評価されないとか、結構働いているのに報酬が少ないのは期待されていない証拠です。期待されていないと実感すると「逆境」だと感じ、自ずと周りへの気遣いを意識します。結果的に人が何を考えているのか、誰が本当の味方かを考えるようになると思います。それでも、人気はあったとしても本当の味方は殆どいないと考えていいと思います。そして尚且つ味方を頼らずに生きることこそが真の自分を見出すことに繋がるのです。
2021.06.01
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