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夏でも涼しいことだけが取り柄の地元で汗だくになって歩いていると、もう帰ってくることの意味なんて何も無い気がしてきた。夕日の照り返しがひどいアスファルトはキャンバスの靴底を溶かしてもおかしくない。心なしかゴムの靴底が焦げる臭いがしたけれど、それは家々の前にある打ち水が蒸発する匂いにかき消された。「俺らが出会って、もう、10年になるんか」しみじみ、という副詞の模範的とも言える言い方で、カズヤが呟いた。ビールには一口しか口をつけず、2杯目の烏龍茶が入ったグラスを空にしていた。グラスを指差すと「烏龍茶」と答える。「高校のときと酒の強さが変わらない」と笑った。僕は高校の時と比べ物にならないくらい酒は強くなったけれど大学生の頃よりは弱くなった。そう言うと「歳だな」と周りが囃し立てた。10年。その数字がウソに思えるほど、信じられないほど目の前にある顔は変わらなかった。誰一人として、あの頃のままのように見えた。お盆や正月になると必ず声がかかり、こうして顔を合わせているからだろうか。中には滅多に顔を合わせないヤツもいた。カズヤもその一人で、考えてみればこうして顔を合わせるのは5年ぶりで、酒を飲むのは6年ぶりだった。カヨに至っては顔を見たのは高校を卒業するとき以来、つまり8年ぶりになる。少し遅れてきた彼女を見ると、おおー、という歓声が上がった。女性陣からは「キレイ!」「カッコいい!」という言葉が飛び交い、タバコを取り出して火を点けたときにも同じ声があがった。ただ、その賞賛の声を聞いて少し照れたように小さく笑った顔は、8年前と全く変わっていなかった。「タバコなんて、全然カッコよくないよ。肌にも悪いし」そう言って煙を吐き出し、焼酎のロックに口をつける姿は、確かに、カッコいいオトナの女性に見えたので、僕も「それ、カッコいいわ」と言い少し睨まれた。エイジとキヨトとナオヤ、サツキとそれからハルコは地元で働いていて、その他もみんな同じ県内に残って就職していて、僕とユウヤとカヨだけが遠く離れたところで就職していた。僕とユウヤは毎回顔を合わせていたけれど、ユウヤの方がみんなとよく連絡をとっているらしく、みんなの事情に詳しかった。時には地元に残っている人間より詳しい話を知っていて周りを驚かせた。そして、今回も。「はいはーい、注目ー」ビールの入ったグラスを片手に持ってユウヤが立ち上がった。「発表がありまーす」ニヤニヤと笑いながら、ハルコとナオヤを交互に見るものだから、すぐに何の事かわかった。「びっくりするなよー」もったいぶるユウヤに向かって言う。「結婚、するんだろ。ふたり」「え!知ってた!?」「いや、分かるよ、お前見てたら」ハルコとナオヤは高校の頃からずっと付き合ってて、だから今年で8年目か9年目になる。「おめでとう」軽くグラスを上げたところでユウヤの大声が響いた。「かんぱーっい!!」僕らは笑っていた。サツキが持ってきた高校のときの写真を見た。同じ顔で笑っていた。写真の顔は若くて、やっぱり顔は変わってしまっいたけれど全く同じ笑顔だった。仕事帰りのナオヤはスーツにネクタイだった。エイジは坊主だった髪を伸ばして、キヨトは親父になっていて、マサミは小麦色だった肌が真っ白になっていて、黒髪のストレートで真面目そうだったユリは茶色い髪を巻いて化粧をしていた。けれど同じ顔で笑っていた。明日も仕事だと言うナオヤはすぐ帰り、しばらくしてから人が減っていった。最後に残ったのは集まった15人中5人だけだった。3人は停めてあるキヨトの車に向かった。ここから歩いて15分のところに家がある僕は、ハルコが迎えの車を待つのに付き合った。タバコをもう一本取り出す。「歩きタバコ」ハルコが僕を指差し「立ち止まってるやろーが」ポケットから携帯灰皿を取り出して苦笑いした。覚えているこの街での夏の夜の記憶。忍び込んだ学校。花火。一晩で5ケースのビールを空にしたキャンプ。そのどれにも涼しい風が髪の毛や半そでの腕や頬を撫で付けていた。今は。じっとりとした空気がまだそこで淀んでいた。「ここは、変わらん」灯りの消えた商店街を見ながら言った。「うん、ちっとも変わらん」ハルコがしゃがんだ。「私は。私は来月、結婚する」「うん」「短い間だったけどね、外の街へ出て思った。私はこの街が好きなんだって」「そうやな、俺も、好きだわ」記憶の中の涼しい風とは似ても似つかない濁った温度の風が吹いた。「戻ってはこないの?ここに」「勤め先が無いし、それに」それに、退屈だ。それは言わなかった。「それに、もう少し、外の街を、あちこちに行ってみたい」「そっか」「好きやけどな、ここは。もう少ししたら帰ってくるかもしれない」帰ってくるかもしれないし、帰って来ないかも知れない。「結婚してね、きっと、ずっと私はここにいる。だから、さ」そう言って立ち上がって伸びをした。もう一度風が吹いた。さっきより幾分、気持ちの良い温度が流れた。「いつでも、帰っておいでよ」「おお」携帯灰皿にタバコを押し付ける。手のひらに熱が伝わる。それと同時にハルコの電話の着信音が鳴って「うん、分かった。そっちに行くね」ひとことで電話を切った。「それ、じゃね。結婚式の2次会の案内出すから」ひらひらと手を振って灯りの消えた商店街を走っていく姿を見てもう一本タバコを取り出した。風はもう吹かない。街灯の下にいる自分の姿がショウウィンドウに映ってさっき見た写真の笑顔を作ろうとして、やめた。変わってしまったこと。変わらないこと。写真の顔と同じ顔で笑えなかったら、ってことを考えると、少し恐くなったことも少しあったし、何より。実家に帰って明らかに肥ったことに気付かされたたから。
2006.08.24
「よぉっ」「おお」景気良く上げた右手の調子に合わせて、思わず自分も右手を上げてしまった。向い側から歩いてくる姿は、普段通りの姿で、もう少し正確に言うと『普段通り過ぎる』姿だった。つまり、彼女はすっぴんに近いメイクでTシャツにジーンズとスニーカーだった。「よぉっ」僕の目の前に立って、エリはもう一度同じ台詞と同じ動作をした。右手を上げて、それから薄い唇をめいっぱい横に広げてその端を上げた。「お待たせ」ちっとも待たせたことを悪びれない様子で言った。「7時を15分ほど過ぎてるんだけど」「ごめん、悪かった」「まさかとは、思うけど」「まさかとは、何さ」「寝てた?」目をそらして口笛を吹く真似をしたワザとらしい姿は図星だと認めるのと同義だ。エリは、もちろん、口笛を吹けない。それから、昼間から2通送ったメールの返信が無かったことからもそれは割と簡単に想像できた。そして、何より、彼女は昨日、朝まで飲んでいたはずだった。「寝癖」「うそ!?どこ!?」「うそだよ、やっぱ寝てただろ」その指摘を無視するように、彼女はまくしたてた。「聞いてよ!」「いいから、聞いて」「何だよ」「起きて、携帯を見たら、何時だったと思う?」「知らんよ」「6時半過ぎてたんだよ!それから顔洗ってちょっとメイクして服を着替えてバスに乗って来たんだ。偉くない?すごくない?」「7時に待ち合わせで6時半に起きる時点で偉くない」「あ、お金下ろしてきていい?」都合が悪くなると、すぐ僕の言葉を無視する。ワザとらしく首をすくめて両手をあげた。エリが到着する寸前に、予約したお店には30分遅れることを伝えた。平日だったこともあってか、それとも単に人気の無いだけか、アッサリ了承を得ることが出来た。銀行からダイニングバーはすぐ近くだった。先に立ってスタスタ歩き出したエリの着てるTシャツが、僕が見たことのないものだったことに気づいた。いつもの古着じゃなかった。首元にラインストーンがあしらわれていて、たぶん、それは新品だった。遅刻したなりにもおしゃれしたつもりだったらしい。それが良かった。きっと、彼女には巻き髪とバッチリメイク、ワンピースとミュールよりもそれくらいのおしゃれの方がずっと似合う。「それじゃー、乾杯!」景気よくジョッキを鳴らした。うだるような暑さの中を歩いた後の生ビールは、よくのどに染み込んだ。ジョッキの半分を空けた僕を見て、エリはレモンサワーを更に飲んだ。彼女は変なところで僕に張り合う。「っあー、うめー」ジョッキを置いて言う。本当に、それはうまかった。「オッサンじゃん」「うるっせーな」僕の言葉に、エリはまた、唇をめいっぱい横に引いた顔で笑う。僕は、その顔がすごく好きだった。飾りっけのない、媚びた感じの全くしない、その笑顔が。僕は何度かそれをエリに言ったことがある。その度、同じ顔をした。恥ずかしがることは無かった。むしろ得意げだった。「小さいころから、笑顔が良いって何度も言われてたから。必殺スマイル、ってヤツだね」なにが『必殺』なのか分からないけれど、少なくとも僕はその笑顔にやられた訳だから、まぁ、ある意味『必殺』か。「あ」「なに?」「いやいやいや」テーブルにくっつきそうなくらい顔を下げてニヤニヤしながら僕の顔を見上げる。「なに?」「間違えましたよ」「ああ?」置いたばかりのジョッキをもう一回持って、僕に向かって差し出した。「誕生日、おめでとう!かんぱーいっ!」笑って僕もジョッキを差し出した。ガチン。景気の良い音がもう一回鳴り響いた。今日は、僕の、誕生日だった。彼女と過ごす、初めての誕生日。その割には自分でお店を予約して、あげく彼女は遅刻し、Tシャツとジーンズとスニーカーで現れた。それでも、いい気分だった。だって、目の前にいるのは、時間にルーズで、Tシャツとジーンズとスニーカーが似合って、とびきりの笑顔を持っている大好きな彼女だったから。「はいはい、それじゃ、お待ちかねお楽しみのプレゼントタイムですよ」カバンからヴィレッジバンガードの袋を取り出して僕の目の前に差し出す。それを受け取って、プレゼント用の包装紙にくるまった包みを出す。包装紙を開けると、無意味に大きい目覚まし時計が出てきた。「これ、どっちかと言うとエリのほうが必要だよな」「いや、喜べよ」「ん。ありがと、な」僕に家にはすでに目覚し時計が2つほどあるのだけれど、更に朝が騒々しくなるだろうことを想像した。この無意味に大きな目覚し時計は特に大きな音を立てて、僕を夢の世界から引きずり出すだろう。それはエリが僕を起こすときによく似ていると思った。僕の家に泊まるとき、エリは僕をバシバシ叩いて起こした。「朝だー!」僕をバシバシ叩いて大騒ぎして僕を起こした後、いつも自分は2度寝した。「さ、私の誕生日には、何が出てくるのかな」プレゼントを渡したことで、僕のお祝いはすでに彼女の中で終わったらしい。彼女は半年後の自分の誕生日のことを話し始めた。必殺スマイルで。*****今年の誕生日も一人で迎えました。8月12日。ハッピーバースディ、自分。(誕生日プレゼントは随時受け付けております)*****【追記】「祝え」と言わんばかりの恩着せがましい内容の更新にもかかわらず、おめでとうメッセージを何通かいただきました。本当にありがとうございます。現金の方が良かったなんてことは心の切れ端にも思いません。いま現在、自宅からは離れた場所(ヒント:漫画喫茶)に居りまして、この先はいつPCが触れるか分からない状況にありますが、きっと、いつか、必ずお返事をいたします。まことに失礼ながらこの場を以ってメッセージを頂いた方に御礼申し上げます。ありがとうございました。あんまりうれしいので、来月も誕生日とか言い出すかも知れません。
2006.08.12
そのときも、僕は約束を守れなかった。10分。彼女が10分の間、恨みつらみを言った後に、それ以上には絶対に何も言わない。だから、僕らはやってこられた。そして。だから、僕らは終わってしまった。きっとそうなんだと思う。僕は約束を守れないことが多くて、彼女はそんな僕を結局いつも許した。花火。花火に行けなかった。否、行かなかった。人ごみが嫌いで、暑いのも嫌いだった。高いだけで不味くて不衛生な出店も、甚平を着て歩く金髪も、好きじゃなかった。つまり、僕は花火が、花火大会が好きじゃなかった。彼女も、マナミも実は、僕と同じだった。人ごみも暑いのも出店も甚平姿の金髪も嫌いだった。違ったのはすごく花火が好きで、そして、好きな人とそれを見るのを、僕が理解できないくらいに楽しみにしてたこと。それは、僕が真夏のカンカン照りの中で汗まみれになりながらロックフェスに行くことを、彼女が理解できないのと同じ理由だと僕は言った。「浴衣」その日も例外なく暑かった。2回目のカフェでの休憩の後。夏休みは5割増になる人通りの中に浴衣の女の子が二人いた。キャミソールから出た細い腕を伸ばして、真っ直ぐに指を差した先に。「ゆーかーたー」「はいはい」「いいな」「いいね、俺も好き。浴衣。帯でグルグルーって」「あーれーお代官さまーってね」「良いではないか良いではないか」左手のマナミを見た。冗談を言ってるときの顔じゃないことはすぐに分かった。「いいな」もう一度言って、指していた指を僕の左手に絡ませた。僕は彼女の顔を見るのをやめた。富田林で花火があったのを聞いたのは、その夜のニュースだった。10万発の花火。日本一の。10万という数字がよく分からない。大学の友達が言うには見なきゃ分からない迫力だって。じゃあ、僕にはきっと一生分からない。洗い物が終わってマナミがソファの下に座った。僕はまたマナミの顔を見なかった。彼女は何も言わなかった。責めてるように感じた訳じゃなかった。けれど、僕は思わず口にした。花火に、行こうって。「嫌いでしょ、花火大会」「まぁ、好きじゃない」「うん、去年ずっと言ってた」「付き合いだして、すぐな」「わたしが、好きな人と花火行くのがすごい楽しいって言ったときに」「じゃあ、行こうか」「覚えてないの?」「何を?」ソファの下からマナミが僕を見上げた。責めてる訳じゃなさそうだった。けれど好意を持った顔じゃないことは確実だった。「何を?」もう一度尋ねて、僕がとぼけてる訳じゃないことに気付いたように諦めた顔になった。「去年も、そう言った。じゃあ、行こうか、って」富田林で日本一の花火があがった何日かあとに、淀川の空で花火があがる。バイトのシフトを確かめた。見事に。シフトが入ってた。2度確認したから間違いない。携帯を開いてマナミにメール。10秒もしないうちに着信音が鳴った。「ばーか」絵文字も入れずに返ってきたメールを見て、さて、どうやってなだめようか迷った。すぐに折り返した電話が留守電に繋がった。中途な約束はするもんじゃない。何回目かのおんなじ反省をしたあとに、大学の研究室へ向かった。夏休みは、4年生には関係が無い。研究には、関係が無い。世間が休みだろうが、暑かろうが、花火があがろうが、彼女を怒らせようが。「と、言うことで、実家に行って浴衣を持ってきた」研究室からバイトに行って、夏休みはどこ行ったって感じの1日を終えたところに、マナミから電話が入った。原付をとめてすぐに着信音が鳴った。「浴衣、って。誰かと花火行くのか?」「誰かって、あんたやん」「だから、バイト」「だから、淀川じゃないって」なにが「だから」なんだ?「淀川じゃなくて、宇治川。それに行こう」マナミの実家は住んでるアパートから片道2時間半はかかる。往復5時間かけて、浴衣を取りに行った。どうしても、今年は行くんだって。こうして僕は後に引けなくなった。遮断機の下から見た花火は、富田林にあがる10万発の花火の10分の1もないんだって言う。それでも浴衣のマナミの右手を握って、首が痛くなるくらい近くで見た花火は、じゅうぶんにすごかった。もう、表現力が乏しいにも程があるんだけれど、何年ぶりかに見た花火はすごかった。そして、マナミが花火を見たかった理由が、好きな人と花火を見たかった理由が分かり過ぎるくらい分かった。花火が上がってる間、ほとんど僕らは喋らなかった。暑かった。人も多かった。もちろん、甚平を来た金髪も何人もいた。高くて不味いタコ焼きも食べた。それでも、僕は左手をマナミは右手をずっと離さなかった。花火が終わり、人が流れて、息が詰まるくらいの人ごみの駅、それから駅を降りて、マナミのアパートに着くまで。何を喋ればいいのか、と言うより何か喋るのがもったいないというか。ただ、マナミは今にも笑い出しそうな顔をずっとしてて、僕もきっと同じ顔だった。「来年も、行こうね」ふたり、きっとずっと帰り道の間思っていたことを、部屋についてからマナミが言って、「おお、行こうか」僕は缶ビールを開けながら言った。そして、また僕はその約束を破った。いや、破ったのはマナミも一緒か。僕らが、二人で花火の咲く空を見上げることは、もう、無い。僕は富田林で10万発の花火があがったのを、今年もニュースで知った。
2006.08.03
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