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放課後の図書室、それも夕方の図書室は何か秘密めいたことが起こるにはすごくうってつけの場所なんだと、思春期を迎えて少したった頃には思っていた。心のどこかにある ものすごく甘ったるくてそれでいて胸が締め付けられるように酸っぱくて苦しくなるものと、あと、憶えたての恥ずかしくも興味があって仕方の無い少しヨコシマな気持ち。それこそまさにその図書館で読み漁っては想像の中でしか存在しない「少し気が強くて冷たい態度を取るんだけど、どこか主人公に惹かれてるところがあるヒロイン」と、二人だけしか知らないキスに、口ではバカバカしいと思いながら期待していた。図書室のカウンターに座り、そういうことが起こる事を期待してみたりそんな自分がバカだと思ったりを繰り返した。その時の僕には読んだ本の女の子とは少し違うけれど、好きな子がいた。肩の長さくらいに切りそろえられてストンとおりた黒い髪の子。笑うと右の八重歯だけ見える子。バカだと思われても仕方ないけど、僕は彼女と同じ図書委員になるだけで、何か「そういうこと」が起こる気がしていた。ただ、あの子にはずっとカレシが居て、それは違う学校のサッカー部だって聞いていた。他のヤツからは同じ学校の男子バレー部のキャプテンと付き合ってるって聞いて、そしてあの子の親友は「好きな男は同じクラスに居るんやって」と僕に言った。あの子の親友の美菜は、僕があの子を好きなんだろうって言った。僕は違う、とだけ言ってそれを見て「ふうん」と笑った。その言葉に希望を持ったり、また学校の裏山の神社にある公園で男と二人で居たのを見た、キスしてたって話を聞いて絶望したり。「思春期」は忙しい心の浮き沈みをひとことで片付ける、そんな便利な言葉なんだろうけど、じゃあまさにその時の僕は「思春期」そのものだったんだろう。そして放課後の図書室カウンターに僕と彼女が一緒に座ることは、ついに最後まで無かった。図書室の本の匂いは嫌いじゃなかった。紙の匂い、かどうかは知らないけれど。比較的新しい校舎の中にあるからカビ臭さや暗さは無かった。陽がよく差し込む図書室で、本が傷まないように本棚はうまく窓に背を向けるように並んでいた。都合よく本棚が囲うようにして、入り口や机の並んでいる場所からは見えない一角に、その日、僕と何故か美菜がいた。「ちょっと。いい?今からここに呼んでくるから。ここまでお膳立てしといて何も無いとか、それは無しだからね」なんで女子ってこうなんだろう。おせっかいも度を越すと嫌がらせとしか思えない。僕は嫌に冷静に考えてため息をついた。あの手のタイプは何を言っても聞きやしない。いまからあの子が来るって考えるとどうしたって心拍数は上がるけど、でも、何か委員会の話でも何でもしてやり過ごせばいいと思った。僕は、その、変に大人ぶってカッコつけで。告白なんて、男子からするものじゃなくて女子からするもんだと硬派ぶったことを思っている、結局 意気地無しで。あの子がやって来て、「今度の図書月間のポスター、係は水田と西口とやんな?2枚だけでええんやろ?」と言った。きょとんとした顔でこっちを見て、「そうやけど、用ってそれだけ?」「おう」「えぇー。美菜が『何か話があるらしい』なんて言い方するから。告白とか何かかと思うやん」そう冗談言って笑った口に八重歯が見えた。「そうやで、告白や」そう口から出してしまえばその、思い描いてたシーンみたくなるのかなと少しだけ思った。思っただけ。そのまま「告白といえば中家と福岡が付き合い始めたってホントなん?」とか喋りながらカウンターに向かった。美菜が居てにやにやしてた。「ばーか」と口だけ動かして、美菜が大げさにため息をついた。その、僕が好きだった女の子もその子の親友の美菜も僕とは違う高校に進んで、僕は高校では図書室へ行くことも本を読む事をしなくなった。卒業間際の2月から美菜が少し離れた高校に通いだした5月まで、僕は何故だか美菜と付き合うことになった。あの肩までの黒髪の八重歯の女の子と図書室で、じゃ無くて駅から少し歩いた公園で僕は美菜とキスをした。思えばあのとき読んだ本のヒロインは美菜の方がイメージ通りだった気がした。そのことは言わなかった。きっと「ばか」としか言わないだろうから。美菜は忙しくてなかなか会えなくなるから、友達に戻った方がきっとおたがい楽だと思うんだ、と言い、教えてもらったポケベルの番号にその後 僕から何か連絡を入れることは無かった。忙しく浮き沈みする気持ちと裏腹に大人ぶってカッコつけた思春期の僕は図書室の奥に残ったままで、変に物分りが良くて口から出まかせみたいな軽口を叩く僕だけが高校に進んだ。数え切れないくらい「付き合って」と言ってそれとほぼ同じ数だけ断られた。きっとあの図書室にいる僕がもっとも嫌いで、でも羨ましがるであろう男になっていた。それが、いまの僕です。こんにちは。
2006.05.28
フランス映画の何がいいのか僕はよく分からない。暗い主人公がぼそぼそと喋るフランス語は聞き取りにくくて抑揚の無いストーリーは退屈そのもので、何よりモノカラーの画面が映画の重苦しさを更に増した。映画が始まって10分後には5回目だか6回目だかもう分からないあくびをして手元のレポート用紙にさっき映った髪の長くて暗い陰気な青年が乗っていた自転車の絵を描こうとしてすぐにやめた。僕に絵心なんてこれっぽちも無かったのだし自転車の形がおしゃれだなって思った以外にその自転車に対して何の思い入れも無かった。映画が終わってカーテンが開くと教室の半分以上の学生が伸びをしてその中のひとりに僕も含まれていた。後半、と言うか3/4以上は記憶が無くてそれは伸びをした連中がみんなそうだろうと思った。少しヒステリックの気がある中年のフランス人女性講師が「退屈な映画でしたか、みなさん」と皮肉を言って僕はレポート用紙にどんな感想を書こうか悩んだ。自転車がオシャレだった、と書いてすぐに消した。となりのユカを見るとレポート用紙の半分くらいをすでに埋めていて僕は苦笑した。「空気、っていうのかな。意味とかストーリーなんかより、空気が好き」フランス映画の何がいいんだって僕はユカに聞いて、講義の後に食堂に向かう道でユカが答えた。僕は自転車を押しながらまたひとつあくびをした。空気、ねぇ。空気か。僕が同じ学科の連中の大半が取っていたスペイン語じゃなくて第2外国語の単位をフランス語で取ろうとしたのに大した理由なんか無かった。フランス語の講義は毎回の出席代わりの小テストだけで期末試験が無い、それと昔に父親が学生時代にフランス語を専攻していたという話が頭の片隅にあっただけ。もちろん父親は今じゃbonjourだってうまく発音できやしない。語学はどうせ毎回出席しなきゃいけないのだから、期末試験が無い分だけ楽だと思った怠け心だった。蓋を開けてみれば小テストは毎回の授業内容を聞いてノートに取らなければとても及第点が取れないような内容で、僕は毎回のカンニングで(一度はあのヒステリックなフランス人女性講師に見つかり単位を無くしかけた)何とか及第点を取れていた、といった具合で怠けも何も無かった。それにイマドキの若者が最も苦手とするところの「コミュニケーション式の授業」があり、大声でお互いの興味のあるものとその理由をフランス語で言い合うなんて授業が始まった時には、その講義に友達もおらずたったひとりで受けていた僕は逃げ出したい気分でいっぱいだった。「ユカ、彼のパートナーになってあげてください」みんなが次々とペアを作る中で、どうやってこの居心地の悪い空間で存在感を消すか考えてできるだけ身をかがめていた僕の姿は、アッサリとフランス人女性講師に見つかり、細いジーンズを履いて少し派手な色の花柄シャツを着た背の高くて長い茶色の髪の女の子を僕の前に連れてきた。彼女のことは知っていた。たぶん、デザイン課の学生で(デザイン課の知ってる女の子と一緒にいるところを何度か見たことがあったから)、講義が終わると講師のところに毎回何か話をしに言ってた、言わば講師お気に入りの生徒だった。「ん。じゃ、やろっか」手元の自分の趣味が書かれたプリントを僕に渡し、彼女は、たぶんすごく流暢な発音でフランス語を喋った。そのあと僕を見たときに彼女が茶色いカラーコンタクトをしていることに気付いた。その後、フランス語の講義で僕はユカと喋ったり喋らなかったりした。喋った、と言ってもカンニングがばれて一番前の席が指定席になった僕のとなりに彼女が座っていることが多くて、何かペアになってやる授業のときには必ずユカとペアを組まされたからだった。変な話、僕はその授業の内容のおかげで、なんでユカがフランス語の講義を取っていてなんでフランス語がうまいのかを知った。彼女は、小学生の頃に父親が見ていたフランス映画の虜になって、いつかフランスへ行ってフランス人になりたいと真剣に思ってる、そんな女の子だった。デザイン課に進んだのも、フランス留学を視野に入れてのことだと。僕はフランス語を取った理由がまさか小テストとは言えず、「父親が、フランス語を勉強していたから」と答えた。彼女はそれがとても嬉しかったらしく「お父さんも、フランス語が好きなんだ」と言った。僕はわざわざ否定することをしなかった。「も」って言葉は気になったのでそこだけ訂正したかった。僕はフランス語が好きで講義を取ってるわけじゃない。昼食前の講義だったので、フランス語の講義が終わると学生は一斉に食堂のある方向に向かった。僕はユカがひとりで食堂に向かっている姿を毎回見かけた。その日もユカは食堂に向かい、僕は校舎の前に停めていた自転車を押しながらユカの少し前を歩いた。「別に、俺はフランス語が好きな訳じゃないんだけどな」「なんで?」ユカは足を止めずに僕の方を向く。日差しが強い日だったのでユカのカラーコンタクトがもっと明るい茶色に見えた。僕は「なんで?」の意味が分からずに少し言葉に迷って、それを「なんで好きじゃないのにフランス語の講義を取ってるの?」と言う意味だと解釈して答えた。「大学の勉強なんて、全部好きでやってる訳じゃないっしょ」「まぁ、ね」肩から提げたキャンバスのショルダーをくるんと反対側に回して彼女が言って、僕はそのまま自転車にまたがって先に食堂に向かった。そのとき、ユカがどんな顔をしていたのか、僕は知らない。月に一度、講義でフランス映画を見せられた。「フランス映画は、文化としてとても優秀なのです」満足そうに講師が言って見せられる映画は全部同じものに見えた。感想文のレポートはある意味、毎回の小テストよりもきつかった。感想なんて何ひとつ無かった。僕がユカにフランス映画の何が良いのか聞いた次の月にも、白黒の画面の中で暗いピアノの曲が流れた。「退屈」と僕はレポート用紙の端に書き、僕は机に伏せた。書いてある字までは読めなかっただろうけど、講義が終わって食堂に向かう途中でユカが「また退屈そう、だったね」と話しかけてきた。「逆に、退屈じゃないヤツの気が知れない」と言いかけてやめた。自分が好きなものにケチをつけられるのは気分のいいものじゃない。「じゃ、今度。退屈じゃないフランス映画見せてあげるよ」きっと来ないであろう「今度」の約束をユカが口にして、僕はそうか、とだけ言った。「今度」って言葉がどれだけ薄っぺらなものか、僕は知っているつもりでいた。その時に交換したメールアドレスが少しだけその言葉の意味を重くしたとしても。夏休みあと少しの7月にユカから「今度の水曜の夕方から暇?」とメールが入って、そのときに「今度」の約束をすぐに思い出した。彼女にとっての「今度」は少なくとも僕の「今度」よりもちゃんとした形で残っていた、と言うよりもちゃんとした約束のつもりだったんだろう。バイトのシフトは水曜と木曜が空きで「暇だけど」とメールを返し、次の日に約束の映画を見せてあげるというメールが返ってきた。待ち合わせ場所は繁華街から少しだけ離れた場所で、僕はそこに映画館がある事を知らなかった。結論から言うと、僕はユカと一緒に映画を見ることができなかった。待ち合わせ場所にメールで来た時間より少し遅れて到着しそうなときにメールが入った。講義の関係で間に合いそうも無いという内容だったと思う。僕はそのまま行ったことがなかったけどすごく有名で美味しいという評判のラーメン屋に30分くらい並んでラーメンを食べた。その味は今では思い出せないくらい何でも無かったものだった。お詫びに、とラーメン屋から出ようとした時に彼女からメールが来て、今から飲みに行かないかと言ってきた。僕はそれを丁寧に断って、その後にもう一度「それじゃ私の気が済まないから」というメールが届き、僕はしばらく繁華街の端にあるコンビニでどうでもいい雑誌を立ち読みをしながら彼女を待った。ごめんね、を繰り返すユカに僕は別にいいよと言いながら正直フランス映画を見なくて済んだという気持ちも少しあった。うんざりするほど何も無くて長い夏休みが終わって。それから僕はユカの姿を見ることが無かった。進級する時に何かの拍子にユカのことが耳に入ることになった。苗字もそういえばはっきりと憶えていなくて携帯に「ユカ」とだけ入っている彼女が、僕より2つも上の学年で夏休みの途中から念願のフランスに留学に行ってしまったことを、その時に初めて知った。確かその話を聞いたのは僕の知り合いのデザイン課の女の子からで、彼女とユカは同じサークルに入っていて、その時はサークル同士の新入生勧誘合戦の最中だったと思う。僕は自分のサークルの宣伝のチラシの束を持ちながらその話を聞いて彼女の白い肌とかカラーコンタクトの入った大きな目とか、ヒールを履くと僕と同じかそれより身長が高くなることとか、あの日見れなかった映画のこととか、飲みに行った時に何も彼女が言わなかったことを思い出した。けれど、彼女が何も言わずにフランスに行ったことを何故だろう、とかましてや責めたりする気持ちは生まれなかった。きっと僕にとっても彼女の存在はそれだけだったのだろうと、後から思ってみたりもした。けれど、何かの拍子にフランス映画と聞くと決まって思い出すのは彼女のことで、でも僕はそれからフランス映画を見たことは無かったし、これからも無いのだろうと思った。いま、僕に残っているのはそれだけの記憶と、その後に買ったあのとき映画に出ていた自転車によく似た自転車だけ、で。そして。この何も抑揚の無くてオチも無い話は、すごくフランス映画みたいだなと思った。
2006.05.23
「セックスがしたい」すごく真顔で僕は答えて、きょとんとした顔の後に彼女は大声で笑い出した。「ちょっとー。いくら何でも正直すぎ。はー、おなか痛い」涙を流すくらいに笑って、ひとしきり大きな笑い声で笑って、その後に僕に向かって言った。さすがにここまで笑われるとムっとする。「正直に言えって言ったの、ゆっこさんじゃないですか」真顔のまま言い返した。ゆっこさんに飲みに連れてかれるのは珍しいことでもなんでもない。塾講師のバイト仲間で授業が終わった後にダラダラ講師控え室で喋っていると、「はーい、今から飲みにいくひとー」って社員のゆっこさんがドアから顔を覗かせる。「就職活動がめんどくさいから」って理由が本当かどうか知らないけど、ゆっこさんは塾の講師のバイトからそのまま社員になった「変わり者」で、(僕らバイトはみんな、社員の給料や待遇を目の当たりにしていて「ここの社員になるなんてありえない」と常々口にしていた)その変わり者は生徒にもバイトの講師にも人気がある「お姉さん」的な存在だった。だからゆっこさんの誘いがあればみんな ゆっこさんを囲むようにして「Earth」に飲みに行った。その日、ゆっこさんが講師控え室に顔を出したときには小テストの採点をしていて遅くなってしまった僕以外には誰も居なくて、「なーんだ、ひとりしかいないのか」ってそれだけ言ってドアをぱたりと閉めた。「なんすかー、俺ひとりじゃ不満ですか」とっさに僕はそう言って。まぁ、聞こえないように言ったつもりだったんだけど。その後に小テストの採点を続けようとした。そこで気が付いたのは、確かゆっこさんは今日の仕事は休みだったんじゃないか、ってこと。あれ?そう思ったところでドアが開いた。「べつに不満じゃないですけどー。行く?」ゆっこさんがジョッキを飲むフリをして、僕は頷いた。今月はちょっと苦しいんだけど、ゆっこさんが今日ここに来たのが何か気になったから。さっさと採点を終わらせて、「Earth」に向かって自転車をひきながらゆっこさんと歩いた。ゆっこさんは一言も喋らなかった。普段は四六時中喋ってるくせに。「何かあったんすか?」って聞こうとしたけど、「Earth」に着いてからでいいかと思ってそのまま歩いた。「Earth」に着いてからは、それはもうすごかった。生中をイッキに飲み干した後、急に叫びだした。「おらー!今日は飲むぞー!!」ええー、いつも飲んでんじゃん。その後バーテンのケイちゃんに次々とメニューにないものを頼むわ、断られる度に騒ぐわ、僕はゆっこさんが仕事休んだのに顔を出した理由とか、Earthに向かう途中に無言だったこととか聞くことを忘れていた。一通り「暴れ回った」後に、ゆっこさんは長いため息をひとつついて、3杯目の黒丸のロックを飲み干した。「ねー、ゴメンね」「なんすか、急に」「やー、ほら。付きあわせちゃって」「ホントですよ」ちょっと間が開いてゆっこさんは笑い出した。ロックグラスを置いて手を叩いて。「うん、ほんと。そのさ、正直なとこ。けっこう好きだよ」「そうですかー、ありがとーございます」箸でチャンジャをつつきながら答える。まったく。何があったかなんて聞く気はもう無かった。どうでも良かった。目の前のずっと大人なくせに僕よりずっと子供に見えるゆっこさんの相手に本当に疲れてた。「聞かんの?」「何をっすか」「や、うん。ほら私がさ、飲んだくれてる理由とか」「最初は気になってましたけど今は別に」「そか…」「…フラれた、とかですか?」グラスに残った氷を口に含んでゆっこさんがじっとこっちを見る。さっきまで暴れまわって疲れたのか落ち着いたのか分からないけれど、ゆっこさんが妙に落ち着き払ったと言うか静かな口調でちょっと居心地悪くて僕は言うべきじゃないことまで言ってしまったような気がして「しまった」と思った。いくら僕でもこういうときに核心を突くようなストレートな言葉はマズイと思った。泡が消えてしまった生のジョッキに口を少しつけながら恐る恐るゆっこさんの顔を見ると氷を左右の頬に行ったり来たりさせながらこちらをじっと見ていた。「すいません、余計なこと言いました」僕が言ってゆっこさんが氷をパキリと噛み砕いた。「あのさ、私がなーんでも言うこと聞くとしたら何したい?」「へ?」って言うようなそんなマヌケな声が出たと思う。全く予想も何もしてなかった言葉だったから。「いや、急にそんなこと聞かれても」「正直に、言ってよ。遠慮とかせずに」僕は困ってゆっこさんの目から視線を外した。ゆっこさんは胸元が少し開いた服を着てて、さっきからちょうど僕が持ってたジョッキに目をやると視界に入ってた。とっさに口を開く。「セックスがしたい」きっと、すごく真顔で僕は答えて、きょとんとした顔の後にゆっこさんは大声で笑い出した。「ちょっとー。いくら何でも正直すぎ。はー、おなか痛い」涙を流すくらいに笑って、ひとしきり大きな笑い声で笑って、その後に僕に向かって言った。さすがにここまで笑われるとムっとする。「正直に言えって言ったの、ゆっこさんじゃないですか」真顔のまま言い返した。「うん、やっぱいいわ、その、バカがつくくらい正直なとこ」口元がまだ笑ったまま、ゆっこさんがそう言って僕は何も言わなかった。「そうやって、みんな正直だったらすごく楽なんだろうね」独り言みたいにつぶやいているのを聞いて、やっぱり恋人と別れたのかなって思った。でも「正直」じゃなかったのはゆっこさんなのか、相手の彼氏だったのかは分からなかった。僕はゆっこさんはすごく正直で真っ直ぐだと思ってたけれど、それはそういうフリをしてるだけなのかなって、何故だかその時に思ったりもした。「ありがと、ね」ゆっこさんがEarthを出た所で振り向いて言った。飲み代は「お礼だ」って言ってゆっこさんが全部出そうとして僕は断った。あれだけ飲んだくせに、僕よりも足元がしっかりしてた。「ねぇ、セックス、したいんだ?」にやにやしながら聞いてくる。僕はなんだかさっきとっさに言った自分の言葉が恥ずかしくて「別に」とだけ言った。本音を言うと本当にセックスしたいって思った訳じゃなくて、でもあの時口から出たのはその言葉だった。そりゃ全くしたくないって訳じゃないけど。「不健康だぞ、青少年!」「別にゆっこさんじゃなくても、相手はいますから」居もしないのにぼくは強がりだか照れ隠しだか分からない言葉を言って「そっか、そうだよねぇ」ってゆっこさんは妙に納得したように言った。バカみたいに正直なのって、どうなんだろう。「大人」になって僕はたまに思ってみたりもする。バカ正直が通用するのは「社会」に出る前までって、あのころの自分だって知ってた筈だけれど。「正直」が余りにも無い現実を見てるとそれが少し恋しくもなって、それだけじゃ生きていけないのを知りながらも。ゆっこさんに言われた僕のあの頃の「バカ正直」は、いまになってみると「好きだ」って言ったゆっこさんの意味が分かるような気がしてた。今の僕には言えるのかな。バカ正直が。「セックスしたいです」って。
2006.05.10
お金について少し真剣になってみた。⇒消費≒浪費
2006.05.07
国道16号に差し掛かった時にいちいちざわつく感情が嫌だ。邪魔だ。だから16号を走るのは好きじゃない。高架をくぐって見えてくる景色のコンビニだとかガソリンスタンドだとかゲームセンターだとか。でも、これが無くなるのも嫌だ。僕が彼女に逢いに行くには、この大きな国道を走る他に行き方を知らなかった。バイクでぶっ飛ばして逢いに行く。僕が逢いたいって思うのはいつも突然で、「いま近くにいる」って電話をすると「そっか。じゃあ仕方ないね」って顔は見えないけれど、きっと苦笑している彼女の声が聞こえる。それは今考えたら本当にはた迷惑なことだった。僕は彼女の都合なんかお構いなしにバイクを走らせた。休みの日の夕方だとか時には夜遅くだったりもした。お土産に彼女の好きな生クリームの乗ったプリンをコンビニで買って、それを彼女の淹れてくれた紅茶を飲みながらいつも食べていた。僕は彼女の部屋で彼女に触れることはなかった。どういった感情をそのとき持っていたのか。実はそれをハッキリと思い出すことが出来ないでいる。憧れなのか恋心なのか分からなかった。ただ僕には彼女といる時間がとても必要だったことはハッキリしてる。彼女の感情がどうだったのか、それを確かめる術はもう無い。ただ、僕と一緒にいるときの彼女の顔は笑顔でしかなかった。「これで最後、にしよ」電話をかけて初めて彼女が少し渋った日。紅茶を飲んでプリンを食べて僕が言う下らない冗談に一通り笑って、それから彼女の部屋を出ようとした僕に彼女が言った。その言葉を聞いて何の疑問も持たなかった。僕はそれでもいつものくせで「またね」と言った。彼女も「またね」と言った。彼女には大切な人が居て、僕にはそういう人が居なかった。僕が大切だったのは彼女と居る時間でそれがとても必要だったことはハッキリしてた。それでも僕は頷いて部屋を後にした。僕は大人なんだからと自分に言い聞かせて笑って部屋を後にするんだとずっと決めていたから。バイクを走らせる16号線は雨で濡れて、僕もバイクもずぶ濡れになった。涙が出たのかどうかなんて分からないくらいにずぶ濡れだった。かけていたサングラスにもいくつも雫がついて信号機の青だとかコンビニの看板だとかが滲んだ。国道16号に差し掛かった時にいちいちざわつく感情が嫌だ。邪魔だ。だから16号を走るのは好きじゃない。高架をくぐって見えてくる景色のコンビニだとかガソリンスタンドだとかゲームセンターだとか。でも、これが無くなるのも嫌だ。自分勝手な感情だって分かってて、それでも僕は夜明け前の16号線を走って海に向かった。
2006.05.07
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