轟木広太郎『戦うことと裁くこと―中世フランスの紛争・権力・真理―』
~昭和堂、 2011
年~
著者の轟木先生はノートルダム清心女子大学准教授で、紛争をテーマにした多くの論考を発表されています。
13
世紀に変容していくことを明らかにする、大変興味深い一冊です。
本書の構成は次のとおりです。
―――
序章 「戦うこと」と「裁くこと」
第1章 紛争のなかの封建社会
第2章 戦う教会人
第3章 俗人領主たちの紛争
第4章 領民を裁く
第5章 「悪しき慣習」
第6章 神判・法廷決闘から証人尋問へ
第7章 国王と紛争―フィリップ・オーギュスト時代―
終章 聖ルイ時代の裁判と第四回ラテラノ公会議
あとがき
人名索引
事項索引
略式記号
参考文献
扉写真リスト
―――
第1章は、ある修道院の紛争に関する史料を紐解きながら、本書の構成を提示していくとともに、関連する研究史を整理します。
第2章から本題に入ります。第2章は、主に修道院と世俗領主の紛争を扱います。ここでは、修道院が聖人への祈りや呪詛などの「武器」により「戦うこと」ができる存在だったことが示されます。
第3章は領主同士の紛争を取り上げます。ここで面白い(また重要である)のは、「 12
世紀の国王にとって、敗訴した訴訟人に帰還の自由を与えることは、一種の義務」であり、「自領に帰った俗人領主とたがいに「戦うことができる」者として、戦争により決着をつけることを、より国王の地位にふさわしいと見なしていた」という指摘 (112
頁 )
です。
第4章は、領主が領民をいかに裁いたかを論じます。ここでは、史料の丹念な読みと、「買い戻し」や罰金刑の多さなどから、「犯罪や争いは、領主裁判権のもとでは、抑圧の対象ではなく、開拓すべき「財」であったと定義しなくてはならない」( 144
頁)という従来の研究を批判する新たな見解が提示されるのが重要です。
第5章は、裁判権、軍役、流通税などについての「慣習」をめぐる争いを取り上げます。面白いには、修道院が俗人領主に対して「悪しき慣習」を批判した後、俗人領主がその慣習を放棄した場合、修道院自身がその慣習を行使した、ということ。慣習自体の正否というより、だれがその慣習を行使するか、が問題とされた、といいます。また、慣習の在り方について、くわしい人物に記憶を問い尋ねるということはまれであった、という点も強調されます。
第6章は、紛争解決において「証人尋問」が次第に導入される過程を論じます。ここでは、「証人尋問」以前には、当事者が選出した証人などが証言をした後、その正しさを証明するために「神の裁き」(神判や決闘裁判)が行われる事例の紹介や、裁判官でさえも「神の裁き」により判決を死守する覚悟が必要であった、という興味深い指摘がなされます。
第7章は、フィリップ・オーギュスト時代 (1180-1223
年 )
に「証人尋問」が拡大していき、終章では、「神の裁き」よりも「証人尋問」が優先されていく、という、「戦うこと」と「裁くこと」の結びつきの変遷が示されます。
神判や決闘裁判についてはいくつか読んできていますが、私が読んできた文献では裁判の方法などに重点が置かれていたように思います。それはそれで面白いのですが、一方本書は、「戦うこと」と「裁くこと」という観点から、神判などを含む紛争解決の在り方とその変容を示しており、大変興味深く読みました。
( 2020.11.19 読了)
・西洋史関連(邦語文献)一覧へ 杉崎泰一郎『「聖性」から読み解く西欧中… 2024.06.15
大貫俊夫他(編)『修道制と中世書物―メデ… 2024.06.01
フィリップ・ティエボー『ガウディ―建築家… 2024.05.18
Keyword Search
Comments