長谷川まゆ帆『歴史学の手引き』
~東京大学出版会、 2026
年~
著者の長谷川先生は東京大学名誉教授。フランス近世史がご専門で、『お産椅子の旅―ものと身体の歴史人類学』(岩波書店、 2004
不勉強ながら、私が先生の著作を読むのは本書が初ですが、ご自身の実践も踏まえ、特に歴史学の叙述のあり方に力点を置いて論じる1冊です。「です・ます体」で書かれていることが特徴で、たいへん分かりやすく、特に感情史の分野に関する最近の動向もおさえることができます。
本書の構成は次のとおりです。
―――
はしがき
Ⅰ みずみずしく問う
第1章 根をもつこと
第2章 闇の歴史について
第3章 女と男と子どもの近代
Ⅱ 書くことの身体性
第4章 ヘイドン・ホワイトと歴史家たち
第5章 自分が変わる
第6章 「社会史」のころ
Ⅲ 感じ、考える、そのしかた
第7章 内なる他者の理解に向けて
第8章 歴史・文学テクスト・表象
第9章 心性・感性・共感
補遺 森と泉の妖精メリュジーヌ―異界・女・生と死
あとがき
索引
―――
1995
年以降に発表された論考をもとに、第1部は史学史について、第2部は歴史叙述について、第3部は感情史など最新の動きについて、といった構成になっています(あとがき参照)。
第1章でいう「根」とは、歴史に対する問いの向け方であり、それは個々人のもつ問いもそうですが、その時代背景によっても変遷があります。ここでは、主にフランスと日本の歴史学の動向をふりかえります。とりわけ、 18-19
頁の、日本の社会史の動向とフランスのアナール学派の時代的変遷を整理した表は大変分かりやすく、貴重です。
第2章でいう「闇」は、「そこにあるのに見えていない世界、消されている世界」 (39
頁 )
のことで、歴史学が叙述・考察の対象にしていなかった(していない)人々・世界のことをいいます。長谷川先生は、「この<いま>という時代に内在する「闇」をさぐりあて、同時代の人たちと共有していく」ことを「歴史学がなれなければいけないのではないか」 (45
頁 )
と訴えます。ここでは、アラン・コルバン『人喰いの村』の意義を高く評価していることが印象的でした(かつて読みましたが理解できなかったので、いずれ再挑戦したくなりました)。また、近年の「闇」をめぐる動向として、著者は移民/難民、イスラームとヨーロッパの関係史などを挙げ、その主要な研究を紹介しています。
第3章は、 18
世紀「啓蒙期」の家族をとりあげ、家族観の変化などを論じます。第1・2章で論じた史学史を踏まえ、その実践の具体例が示されています。
第4章・第5章は、歴史叙述のあり方を論じます。前者はヘイドン・ホワイトに着目しつつ、しかし彼の議論の紹介というよりは、彼の議論を受けた歴史学の動向や反応(デーヴィス『マルタン・ゲールの帰還』やダーントン『猫の大虐殺』などの興味深い研究が生まれています)をたどります。後者はマルク・ブロック『歴史のための弁明』を精読し、現代にも通じるその重要性と、一方で彼にも時代の制約があったことを指摘します。
本書の中で最も分量の多い第6章は、わが国での社会史を牽引した網野善彦、阿部謹也、二宮宏之の経歴、著作の紹介を中心として、その意義を論じます。 1952
年5月1日の「血のメーデー事件」の影響なども触れられていて、興味深いとともに、特に考えさせられる章でした。
第7章は、人類学の手法を取り入れた歴史研究―歴史人類学―の成果に着目し、家族史、シャリヴァリ、儀礼、さらには近年の動向である感情史など、多様な動向をたどります。
第8章は、特に書かれたものをめぐる研究のあり方として、ロジェ・シャルティエらの研究の意義を論じます。
第9章では、タイトルどおり心性史、感性の歴史、感情史の関わり方・比較を踏まえ、感情史の一例として「共感」をめぐる研究の紹介とそれへの批判がなされます。
補遺は、メリュジーヌ物語の分析を通して、異界・女・生と死のイメージを論じます。
以上、本書は、「社会史」や「感情史」などの動向に力点を置きつつ、著者自身の実践や経験を踏まえた具体的な叙述も豊富で、興味深い1冊です。
(2026.07.19 読了 )
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