第1章

兄離れ妹離れ









 凱旋パーティは夜遅くまで続き、その日は北の王城に宿泊し、西に帰って来たのは翌日の昼を過ぎたころだった。
 久々の顔ぶれ、空気にはしゃぎ過ぎたのか、帰りの馬車の中でユフィの肩にもたれるように西王はぐっすりと眠っていた。安心しきったその表情を見て、西の重鎮たちも思わず苦笑するしかなかった。この安心はきっと自分たちへの信頼の表れ、と考えると悪い気はしなかったものだが。
 とりあえず執務室へと向かう。2年前と変わらない光景がそこにはあった。ただ今回は先客いたようだ。
「おかえり」
「おう、ただいま」
 窓からの日差しを受けた姿は眩しくてはっきりとは見えなかったが、間違えることのない少女がそこにいた。
自室をちゃんと与えたというのに、あえてこの部屋で待つとは予想出来なかった。だが今はちゃんとした気配があり、部屋の中にいるのはなんとなく外からも分かったが。フォレストセントラルでの日々は、“運命の楔”と呼ばれていたアノンをいちエルフとして転生させるに至ったのだと改めて実感する。
 彼女の頭をなでた後、懐かしの椅子に腰を下ろす。2年前は戦いのない日々のほとんどをここで過ごしていた。国王の仕事のほとんどは実際デスクワークで、人々の前に出ることなど実際かなり少ないものだとあの時初めて知ったものだった。
「どうにも平和ボケを許してくれない連中がいるみたいでな、また会議会議だよ」
 背伸びをしながら愚痴る青年王に対し苦笑の一つも彼女は浮かべなかった。
「まぁ神をも倒したのだ。見せてやらねばなるまい、“今のエルフの強さ”を」
「そうだよなぁ」
 フォレストセントラルで種族の神、エルフの思念体と戦った際確かに自分は「もう神に守られなければ生きていけない存在ではない」と言い切った。だが逆に個々のケースが大量過ぎるため、真の平和が困難なのは確かだ。
「とりあえず午後から会議だよ。ああ、お前はその間にドレス仕立ててもらっとけよ」
「ドレス?」
「そのうち分かるさ」
 アノンの疑問をよそに、ゼロは執務室を後にした。




「全員御集りになっておられます」
 会議室の扉の前では一人の少女が待っていた。親衛隊と近衛兵の制服と似た格好だが、どちらとも違う、国王の侍女として任命された者だけに支給された衣装だ。彼女はアーファ・リトゥルム、ゼロの貴族学校時代の3年分後輩で、まだ16歳ながらゼロの侍女として選ばれた金髪碧眼の美少女だ。どことなく仔犬のような雰囲気を感じる。
 扉を開けると他のメンバーは皆既に着席していた。ゼロが入ってくると全員立ち上がり一礼する。その雰囲気もさることながら、会議室の自分の席とユフィの席だけはやけに豪華なのがいまいち納得できないのだが、他国への体面や家臣の手前ということもあり、仕方なくその席に着く。部屋の雰囲気とがんがん効かせた暖炉の相乗効果で少し暑く感じた。
 昨日北に赴いたメンバーとほとんど顔ぶれが一緒なのは仕方があるまい。
 宰相ベイト・ネイロス、財務担当ミシェリラーナン・ニークター、法務担当アオガ・フィセール、商務担当クェフィル・イストラルデ、外務担当アーナンド・トスティムバーヘン、内務担当ネア・センジェンス、親衛隊隊長テッセン・イノーモル、王立騎士団団長アドルフ・ライツェイン、近衛騎士団団長エキュア・コールグレイ、自警団団長ライダー・グレムディア、諜報部団長マチュア・カトラス、メイド長のマリメル、それとゼロの侍女であるアーファ・リトゥルム、彼ら13名とゼロとユフィ、総勢15名が円卓状に座っている。
 昔虎狼十騎将時代に参加した会議はこのような雰囲気ではなかった。王政ではなかったことも関わっているのだろうが。内心仰々しすぎて溜息をつく。
「このメンバーでこの2年間どうやって西を支えてきたのか、話には聞いた。そのことに関してはまず礼を言わせてくれ」
ユフィとベイト中心に西を支えたというが、地方分治を廃止した以上2人だけで政治をするなど不可能なのは明白だ。とりわけ各担当たちの努力は見逃せないものがあるだろう。
 聞いた限りではユフィが人材登用を行ったというが、よくこれほどまでのメンバーを集められたと思う。
「とは言っても正直初対面に近い奴も多いんだよな。簡単に自己紹介してくれないか?」
 貴族学校のHRかと思わせる発言に苦笑する者もちらほらと出る。顔なじみのメンバーは呆れ気味だ。右隣のユフィの隣から「僕も?」と小さく尋ねる声がした。少し悩んだが頷いてみせる。
「宰相のベイト・ネイロスです。担当業務は主に全体の支援と……雑用、かな」
 最初にすっと立ち上がってみせた辺り、彼にも自覚と責任が生まれたのだろうと判断出来た。頼もしい反面、ちょっとだけその過程を見られなかったことが寂しかった。
「財務担当ミシェリラーナン・ニークターですわ。現在は新たな財源として外務と共同でヒュームとの貿易について調査しております」
 ベイトの右隣の小さな少女が立ち上がって発言する。顔立ちは整っているが、態度と語気の強さから少し近寄りがたい空気を感じる。ベイトの従兄妹で同い年の、ゼロの貴族学校来の知人だ。
 周囲は周知の事実だったからか落ち着いていたが、彼女の発言内容にゼロは内心かなりの興味を持った。昨日今日でヒュームとの貿易の話を聞けるとは思わなかった。西も他国に遅れを取っているわけではないらしい。
「法務担当のアオガ・フィセール、25歳です。かつては虎狼騎士団に所属していました。法については安定してきているので、現在は地下牢獄の調査が目下の業務ですかね」
 長身のアオガは大人っぽく、この場においても際立っている。整った顔立ちと穏やかな雰囲気は頼りになる予感をさせた。
「地下牢獄っていうと、ティリシャルファミュート家と共同か?」
「ご存じでしたか。その通りです」
 今度はその隣の女性が立ち上がった。
「クェフィル・イストラルデ、19歳です。商務担当をさせていただいております。現在は西の特産品である麦を使った商品の研究・開発をさせていただいています」
 お嬢様然とした黒髪の美女は、おっとりとした雰囲気なのだが意志の強そうな瞳とはきはきした口調が魅力的だった。19歳ということはゼロよりも年下だが、ユフィと同い年だ。
「クェフィルは私の代の政術専攻の子でね、イストラルデ家って商家だったなぁと思って、思い切って頼んでみたの」
 その選択は正解だったのだろう。クェフィルの自信に満ちた表情を見れば成果を上げていることがよく伝わって来た。
「イストラルデ家ね」
 確かに商家として聞いたことのある名だ。確か旧ウェブモート家領の貴族だったか。
「外務担当のアーナンド・トスティムバーヘン、今年で27になります。現在はミシェリラーナン殿も言われていたように、ヒュームの都市との貿易のための外交を進めております」
 アオガと異なりこちらは生粋の文人といった様子で、視力補助グラス、眼鏡をかけているのが印象的な青年だった。外務担当という割には押しが弱そうだ。
「国交が開けたら、俺も挨拶に行ってみたいな」
 嬉しそうに彼の話を聞いていたゼロが思わずそんな言葉をもらした。国王に興味を持ってもらって、アーナンドも悪い気はしないだろう。
「内務担当ネア・センジェンス、16歳です。主にネイロス卿同様国政の補助をやっております」
「16ってなると、セシリアと同い年か。若い力も育ってると思うと嬉しいもんだな」
「もったいないお言葉、ありがとうございます」
 16歳と言われれば確かに相応の容姿をしている。幼さの残る顔立ちと、背伸びしようとしている雰囲気が微笑ましくも見えた。センジェンス家はネイロス家と親しい家柄ということできっとベイトが登用したのだろう。
「親衛隊隊長、テッセン・イノーモルです。最近は特に事件もなく、日々訓練といったところでしょうか」
 元虎狼騎士団の団員も何だかんだで今では2年前と比べかなり減ってしまったのだという。戦わなくてもいいということは、やりたいことに挑戦出来るということだ。家名のために貴族の子息たちが騎士を目指す時代も終わったということか。
「王立騎士団団長アドルフ・ライツェインっす。主に自警団と合同で西の警備・巡視をやってます」
 騎士団ともなるとやはり戦場で共に戦ったことがあるような気がしてくる。先のテッセンもアドルフも、最前線を任されていた男のはずだ。
「近衛騎士団団長エキュア・コールグレイ、城の警備を主に担当しています」
 女性騎士の憧れとも言える近衛騎士団、その団長であるエキュアは憧れられるに相応しい逞しく、凛々しい女性だ。体格で言えばゼロよりも上かもしれない。
「自警団団長ライダー・グレムディア、治安維持と犯罪取り締まりをやってる……やってます」
 国王がゼロだから何だか敬語じゃなくてもいい気がしたのだが、隣から睨んできたエキュアを見てライダーが言い直した。グレムディア家の一人娘ミュー・グレムディアと婚約し、婿養子となったため現在はグレムディア姓を名乗っているが、元々はコールグレイ家の末子であることに変わりはない。エキュアはライダーの実姉に当たるのだ。コールグレイ家がしつけに厳しいのはやはり本当のことらしい。
「ちょ、諜報部団長マチュア・カトラスです……。活動内容は機密のためこのような場では発言できません。申し訳ありません」
 諜報部団長と名乗った少女はこの場において一番オドオドしていた。とても諜報部とは思えない。おろおろした視線は隣の女性に向けられていた。
「メイド長を務めさせていただいておりますマリメルです」
 すらっとしたクールビューティーの彼女だが、この場にいる他の者はまだ彼女のことを諜報部団長だと思っているかもしれない。団長に就いていた5年間誤報なしという奇跡的な経歴を誇っており、各国諜報部の中でも伝説化しているのが彼女なのだ。出自などが一切不明なのだが、ゼロの信頼は群を抜いており、時には暗部としても貢献しているとの噂もある。マチュアを後任に置いたのだが、まだまだマチュアは彼女を頼りにしてしまうようだ。
「各指導者12人か、うん、頼もしいな」
 どこまで本気なのか分からないが、ゼロの目は少なくとも本気だった。聞いたことのある貴族ばかりだし、指導者として問題はないメンバーだと思う。
「改まって言うことでもないが、俺が西王ゼロ・アリオーシュだ。この2年間はちょっとした事情でフォレストセントラルにいたんだが、とりあえず今はこうして西に帰って来た。こう言うのも何だが、今日からが本当の意味で戦後だと思ってくれて構わない」
 視線が集まるのが分かる。彼らの多くは本当の意味でゼロのことを知らない。名前だけが一人歩きして、彼らの中にイメージはもたせたかもしれないが、顔を合わせるのは初めてのメンバーも多い。そんな彼らにとって、ゼロの力強い発言は頼もしかった。彼のためになら尽くせる、そんな気にさせる。
「で今日のメイン何だが、FTってのを聞いたことがあるやつはいるか?」
 全員が手を挙げる。この2年間で知名度を高めたのだろうか。それとも西でも流行っているのか。
「東を中心に各地で流行している麻薬のことですよね」
 アオガが答える。やはりどこの国でも問題になっているということか。
「昨日までのFT使用による検挙者数はまだ西じゃ2名っすね」
「その2名も南の者が西で使った、ってだけ……ですが」
 アドルフとライダー、西の治安維持を行っている二人がそう言うのならばそうなのだろう。つまり西ではまだ流行っているというほどではなさそうだ。
「ふむ。昨日聞いた限りじゃ、けっこう問題になってるみたいでな」
「取り締まりに関しては強化する方向で動いてますよ」
「どうせどこかしらの貴族が私利私欲のために介入してるんでしょうね」
 おっとりした様子で発言するネアと、この事件自体に嫌悪感を抱いているようなのはエキュアだ。
「取り締まりとかじゃ根本的には解決出来ないだろうけど、大元を捕まえるのは西より東や北の方が適任かな、使用者がいればいるだけ自白させた情報も多いだろうし」
 この場においてユフィを除いて唯一自然体で話せるのが宰相のベイトであろう。ゼロの方を向きながら話す彼に緊張やそういったものはない。
「この件に関しては後手に回らざるを得ないかもね」
 2年間政治のトップを務めていたのだ、ユフィが知らないわけもなかったか。
「じゃあまぁこの話はここまでにしといて。来週、南で南王の結婚式がある。出席したい奴はいるか?」
 話を変えた時のゼロの表情は非常に複雑な色が浮かんでいた。南王の結婚相手と聞いて、その相手をこの場で知らない者はいなかった。家臣たちの皆も苦笑するしか出来ないようだった。
「じゃあとりあえず俺とユフィ、ベイトとアーファでいいか」
「あ、私も行ってよろしいでしょうか?」
 おずおずと手を挙げる少女がいた。その顔を見て納得がいく。
「お前は招待状がくるんじゃないか? 構わないけど」
 ネアはセシリアと同窓生なのだ。同じ西の貴族で同い年となれば誘いはあるだろう。
「そうかもしれないですけれど、念のためです」
 少しだけ恥ずかしそうな彼女はやはりまだ16歳の少女に変わりはなかった。
「じゃあ5人で決まりだな。決定だ」
 そこで話を打ち切り、ゼロが立ち上がって足早に部屋を出て行った。どうやらしきりに時計を気にしていたようだが。
 それを慌ててアーファが追いかける。ユフィがすぐには立たなかったことから彼女はゼロの行く先を知っているようだった。



 ホールヴァインズ城を出てすぐさまアリオーシュ家へ向う。城外に馬車を待たせていたようで、すぐに移動へと移れたようだ。追いかけてきたアーファは息切れをしているようだが。
「お前は職務に忠実だなぁ」
 一応ゼロも彼女がついてこられるスピードを意識してはいたのだが、やはり彼女ではまだまだのようだ。確かに実力ではアーファはゼロの足元にも、かつての虎狼騎士と呼ばれた者たちのレベルにも及ばないだろう。ゼロが彼女を侍女としたのは彼の護衛のためではない。真面目さが一番の要因なのだ。
「私、先輩好きですもの」
 馬車の隣に座って浮かべる笑顔には曇りひとつない快晴だった。そう面と向かって言われると照れてしまいそうなものだが。
「間違っても人前でそんなこと言うなよ」
 彼女の発言はある程度予測していたものだったからか、ゼロの反応は軽かった。頭をぽんと叩いてやると、アーファはくすぐったそうな表情を浮かべた。
「自分の立場はわきまえてます。……でもたまにかまってくれてもいいんですよ?」
 そんなことを言うのはやはり16歳の少女だった。立場をわきまえさせる、16歳の少女にそれを強いるのは酷なことか。
「ばーか」
 アーファの面倒を見たのは1年にも満たなかった。だが、初めて出会った時から彼女からは何かを感じていた。時と場所が違えば、と思わなくもない。彼女の意思の強そうな瞳と、力強さを感じる口調は惹きつけられるものがある。
 剣と魔法の時代が終わった今、彼女のような存在が中心となる時代がくるかもしれない、そう思う。
「セシリアと話す時まではついてくるなよ?」
「流石にそこまで馬鹿じゃないですー」
 どうやらアリオーシュ家についたようだ。さっさと馬車を降りて、二人は屋敷の中へと入って行った。



 2年間離れていたとしても生まれ育った家には違いない。今この家に住んでいる者はいないため空き屋敷と言っても過言ではないのだが、毎日城詰めメイドたちが交代制で掃除しているため、埃が目立つということはなく、綺麗な状態が保たれていた。
 迷わずある一室へと向かう。自室の隣だから、間違えることもない。
「入るぞ」
 ノックもせずに声をかける。
「いいよー」
 扉を開けると、窓から外を眺める黒髪の少女がいた。純白の衣装を着たその姿は、艶のある黒髪を一層映えさせていた。一歩室内に入って扉を閉める。アーファは忠実に部屋の外で待機だ。
「久しぶりだね、アニキ♪」
 二人っきりになるや否や、すぐさまゼロの方へ飛びついて来た。ゼロも恐ろしいほどに整った容姿をしているが、彼女はその彼にそっくりだった。目もとから何から似ている。野良猫のような雰囲気も一緒だった。違うのは彼よりも背が小さく、華奢だということか。
 そんな彼女、実妹セシリア・アリオーシュを抱きとめる。彼女のもう一人の兄で、ゼロの弟であったリフェクトを大戦で失い、父も母も失った今、彼女の肉親はゼロしかいなくなった。だからか、彼女のゼロへの依存心は普通の妹の平均を軽く超えているだろう。
 彼の前だから出せる、彼の前でしか出せない彼女があるようだ。
「元気そうだな」
 抱きとめるゼロの表情にも微笑みがこぼれる。昔から彼は妹に甘かった。目に入れても痛くないという風に甘やかし続けてきた。
「うん……でも、やっぱ寂しかったよ」
 ぎゅっとゼロの服を握ってくる彼女はやはりいつまでたっても彼の可愛い妹に違いなかった。
「戦争終わって、平和になったのに、アニキがいないんだもん。あたし、一人ぼっちになっちゃったのかと思った……お父さんもお母さんもリフェ兄もいなくなっちゃったのに、アニキまで、お兄ちゃんまでいなくなっちゃったら、あたしどうしていいかわかんないよぉ」
 彼女の言うとおり、彼女を支えてくれる人は大勢いたかもしれないが、アリオーシュ家の家族は皆彼女の前からいなくなっていたことになる。そう思うと罪悪感で胸が苦しかった。
「セシィ……ごめん、ごめんな」
 シスコンだと言われても否定できないことは自覚している。ゼロからしてもこの世でもうたった一人の、同じ血を分けた兄妹なのだ。
 一しきり彼女を泣かせ続けた後、ぽんぽんと軽く背中を叩いてやった。
「でももうすぐコライテッド王家の一員になるんだろ? 泣いてばっかじゃ、みっともないぞ?」
 あやすような口調は優しい兄そのものだった。懐かしさが去来して、またちょっと涙が出た。でも、ゼロが言うとおりなのだ。シスカと結婚するということは、南王の妻になるということはアリオーシュ家からコライテッド王家の一員になること、西から南の者になるということなのだ。王妃という立場になる以上、泣き言ばかり言ってはいられない。
「アニキ、あたしいなくなって寂しくない?」
「寂しくないわけないだろ?」
 即答で答えるゼロが少し滑稽だったのか、セシリアがくすっと笑った。そう言うような気もしていたのだが、予想通りでも嬉しかった。
「でもシスカのこと、好きなんだろ?」
 今度はゼロが質問する番だった。この質問をゼロが口にするのに、どれだけの想いが込められているのだろうか。
「……うん」
 いつも飄々と先を見通しているかのような南王シスカ・コライテッドだが、ゼロ不在の2年間、セシリアの心の隙間を埋め続けてくれたのは彼だった。彼女のこととなると彼は不器用だった。その一途さに惹かれるのに時間はかからなかった。兄よりも彼の側にいたい、そう思えるようになったのだ。
「あたし、アニキがアニキで良かった。でも、いつまでもアニキの妹だけど、そこの居心地の良さに甘えてちゃダメなんだ。あたしが立派にならなきゃ、アニキを安心させてあげれないもん」
 一つ一つに想いを込めた彼女の言葉は、ゼロの心にすっと届いていった。
「ありがとう、あたしのアニキでいてくれて」
 思わずゼロの目から涙が溢れる。
「ずっとお前は俺の妹だ。俺の自慢の妹だ。……大きくなったな、セシリア」
 ずっと近くに置いていたいが、それでは彼女のためにはならない。それはゼロ自身分かっていたことだ。兄として、彼女を見送ってやらねばならない。
 セシリア・アリオーシュを、セシリア・コライテッドとして見送らねばならないのだ。
 病気がちだった母の代わりに、彼女の面倒をずっと見てきたのはゼロだった。一挙一動を見守り、危険から守ってきた。過保護と言われても構わないくらいにしてきた。だが、それも卒業のようだ。
 妹の兄離れだけじゃなく、兄の妹離れも必要のようだ。
「寂しくなったら帰ってきてもいいんだぞ?」
「ん、分かってる」
 冗談っぽく笑い合う。アリオーシュ家の仲良し兄妹も、こうしてやっと妹を送り出すことが出来たのだった。
 まるで娘を嫁に出す父親の想いだ。
 寂しくないと言ったら嘘になる。だが何が彼女のためを考えてやるのが一番の優しさなのだ。





 その日は、あっという間にやってきた。






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