M17星雲の光と影

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2007.11.28
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カテゴリ: その他
先週の土曜日、読売日響のコンサートを聴きにいく。

会場はサントリーホール。演目はシベリウス「イン・メモリアム」、ベートーヴェン交響曲第一番、第二番である。

シベリウスの曲を聴くのは初めてだ。ベートーヴェンの一番と二番という組み合わせもかなり地味である。おそらくはこれから全曲演奏が行われ、これはその第一弾というところなのだろう。

指揮者はオスモ・ヴァンスカ。シベリウスの演奏では定評のあるフィンランドの指揮者らしいが、予備知識はゼロ。

席は二階席左側の前寄りだったが、このホールはいつ聴いても音の響きが自然で心地よい。最初の一音が鳴った瞬間に思わずはっとして、その後「生の音っていいなあ」とじんわりと幸せな気分になる。どんなに高額のオーディオ装置を揃えても、この音は味わえない。音に広がりと深みがあり、それとともに「軽み」と「抜けのよさ」がある。音がこもらず、体のなかを風のように吹き抜けていく。この心地よさが生演奏を聴く時の醍醐味である。

というようなことを思っているうちに、最初の曲が終わってしまった。あらら。冒頭のリズムと動機が最後まで持続し、そこに流麗な旋律がからんでくる。この指揮者は水平方向へ流れていくメロディをつかみ、生気を吹き込むのが得意なようである。印象的な旋律が随所で鮮明に浮かび上がる。なるほどシベリウスの演奏で評判が高いわけである。

続いてベートーヴェンの交響曲第一番。

この曲はCDでかなり聴いた。もっとも「ひとつベートーヴェンの交響曲の全集でも聴いてみるか」と思った時、まっさきにかける曲だから、結果的にたくさん聴いたというだけの話である。そのわりには、もうひとつぴんとこないという印象がある。フルトヴェングラーの演奏を聴いても、この曲をフルオーケストラで重々しくやられると、なんだか違和感がある。もうちょっとこじんまりと、かつ風通しのいい演奏で聴きたいなあという気になる。その意味では古楽器(「ピリオド」楽器っていうんだっけ)を使ったブリュッヘンの演奏などは、よほどしっくりとくる。

シベリウスの演奏が終わると、楽員が何人か連れだってぞろぞろと舞台の袖に引き上げていく。ずいぶん小規模な編成で演奏するようだ。そう思って、あらためて舞台を眺めると、どうも楽器の並びがいつもと違う。対向配置というのだろうか。ステージに向かって左端が第一バイオリン、その右にチェロ、ヴィオラ、そして右端が第二バイオリンという配置である。ベートーヴェンの時代にはこれが一般的な配置であり、曲もそれを前提として作られていると何かの本で読んだ覚えがある。しかし、二階席で聴く分には、その配置の違いが具体的な音の違いとなってたしかに感じられるわけではない。でも、内声部の動き、とくに第一バイオリンの小さな音の動きがとてもよく聴きとれて、その意味では面白かった。



この第一番は名演であった。「ああ、いい曲だったんだなあ」とあらためて思った。とくに第三楽章と終楽章の盛り上がりはすばらしかった。とはいえ、しっかりとした充実した演奏でベートーヴェンを聴くと、演奏云々よりも、むしろベートーヴェンの音楽そのもののよさにこころが向かう。今回もそうだった。

この曲は、ハイドンの影響があるなどといわれることがある。事実、ベートーヴェンはハイドンに師事していたこともある。

私はハイドンの交響曲も好きだ。とくにその最終楽章には「ハイドン的上機嫌」ともいうべき愉悦と至福の瞬間がしばしば訪れる。

ハイドンの音楽は知的で明快で、かつ深い音楽的思索がこめられている。日本ではモーツァルトに比べて、ハイドンはあまり演奏されないようだが、モーツァルトのごくごく初期の曲(「がきんちょ」の頃の手慰みの音楽という意味だが)をありがたがって聴くくらいなら、ハイドンの弦楽四重奏曲や交響曲のほうがはるかに充実した音楽的喜びを与えてくれると思う。

しかし、そのハイドンの音楽と比べると、ベートーヴェンの音楽はかなり違う。それはこの第一番を聴いても十分に感じとれる。

この違いをことばにするのはむずかしい。ハイドンの場合は、音があくまでも音楽的な論理や思考に則して自然に運動しているといえばいいだろうか。

これに対してベートーヴェンの音はぐいぐいとある一定の方向に向かって牽引されていく。それは自然な動きというよりも、強力な人間の意志を背景として、たえず生成流動をつづける音の運動体である。

明快で力強く揺るぎのない意志。それにもとづいて、彼は堅牢な「音の建造物」を築いていく。これは、音そのものの流れに自然に身を任せるというのとは、ずいぶん違う音楽のあり方である。

だから、彼の曲は、音楽にこころのやすらぎのみを求めようとする人には、あるいは「ちょっとうるさいな」と感じられるかもしれない。清浄の極みともいうべき旋律も彼の曲のなかには数多くあるのだけれど(とくに、第九の第三楽章!。フルトヴェングラーのバイロイト!!)。

第二番ではその音の動きの自由度がさらに増す。自在なダイナミズムのなかで音楽が沸騰し、躍動する瞬間が何度も訪れる。その意志的な力をヴァンスカは力強い表情づけによって、聴く者の眼前にくっきりと鮮明に描き出す。いい演奏である。オーケストラもそれによく応えている。個人的にはこのオーケストラのティンパニ奏者が大好きである。チェロもいい。

残念ながら、第二番の第三楽章、第四楽章では、なぜかこちらの集中力が何度か途切れる瞬間があった。原因はよくわからない。単にこちらの個人的な問題かもしれないが、そのいくばくかは演奏する側にもあったのではないかと思う。



でも気持ちのよい演奏会であった。

ベートーヴェンってやっぱりいいなあ。しみじみそう思っただけでも収穫だった。

彼の音楽ほど「退屈」や「弛緩」と無縁なものはない。

隣席の、日頃あまり音楽とは縁のなさそうな初老の夫婦も後半は熱心に聴き入っていた。奥方はシベリウスの曲ではパンフをめくることに忙しかったが、第二番のフィナーレが終わると、身を乗り出してアメリカの貴婦人のように盛大に拍手をされていた。

意志の音楽。生成流動する明確な意志をもった音の連なり。



しみじみとそう思える演奏会ではありました。





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Last updated  2007.11.29 09:39:47
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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