存生記

存生記

2010年10月20日
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「13人の刺客」を六本木で見る。新宿のピカデリーが満席で入れず六本木ヒルズ内の映画館に移動したのだが、空いていて助かった。

 オリジナルも見ていないので、誰が誰なのかを把握するのはけっこう難しいが、個々の人物をどうのこうの描こうとしている映画ではない。「斬って斬って斬りまくれっ!」と役所広司が絶叫する台詞に象徴されるような痛快無比のチャンバラ映画で、カンフー映画のようなアクションをたっぷりと堪能できる。

 とはいえ陰惨で血なまぐさい映画であり、両手両足を切り落とされた女のようなグロテスクな場面もある。武士道じたいが息苦しいほどの縦社会なので、男同士の鬱陶しいやりとりが続く。そこで伊勢谷友介の「山の民」が陽気な野人を演じて「7人の侍」の菊千代のように風通しをよくする。サムライの無骨な真面目さを笑い飛ばす。原作がどうなっているのか知らないが、ゾンビのように甦らせる点からしても重要な役回りになっているのは間違いない。彼だけが常識や武士道でがんじがらめになった侍たちを俯瞰するユーモアがある。世間に適応せずとも山の中で生きていけるので悲壮感が漂わない。

 俯瞰した目で眺めているのは、ユーモアはないにせよ、稲垣吾郎演じるお殿様も同様だ。殿様が「山の民」の台詞に感心する場面があるが、外から眺める余裕があるからなのだろう。

 「7人の侍」のように農民の勝利が暗示されることもなく、下僕は下僕としてこき使われ、破滅してゆく。刺客だけは自分の意志で破滅の美学を実践し、屈辱や無念の死を免れる。伊原剛志が出ているせいもあるが、「硫黄島からの手紙」の玉砕とだぶるところもある。だがこの時代には火炎放射器や機関銃もないので、刀と刀の勝負でけりがつく。テクノロジーによって虫けらのように消去されるのではなく、死力を尽くした人間同士のドラマのなかで絶命する。要人暗殺という使命の遂行よりも、世の中のシステム自体に体当たりでぶつかって散っていくことが目的であるかのように死んでゆく。

 死ねば物事は解決する。少なくとも当事者にとっては。生き残った侍が途方に暮れたように廃墟のなかをとぼとぼ歩いて妻の待つ家に帰っていく。妻は喜ぶだろうが、侍は憂鬱な日々に耐えなければならないだろう。暴君を倒してもかわりばえしない世の中と対峙していかなければならないからだ。





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最終更新日  2010年10月21日 03時42分09秒


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