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朝からしとしとと雨が降っている。オット君は子ども3人を連れてお出かけ。家には静寂、私がひとり。 こんな日には、つらつらと日記を書こう。 ノージーが振替で休みだった月曜日。家の前の公園でノージーと小坊主を遊ばせていた。なにやら腹の虫の居所が悪かったのか、小坊主のちょっとしたいたずらに吠えだしたノージー。側で黙って聞いていたワタシ。「ああ、もう嫌だ。ジョーなんて消えちゃえばいいんだ。生まれてこなきゃ良かったんだ。ばかやろー。お前なんて嫌いだ。死んじゃえ!」 それまでニコニコしていたはずの私の顔は、ただただ凝り固まって、呆然と空を見つめる。そっか。そんな事が言えちゃうんだ。へえ。すごい。ここは笑う所?それとも大声で怒鳴って家へ連れて帰る所?頭の中の何かが回転を始める。母として、こんな時、なんて言う? 言葉って大事だなと最近思うワタシは、すぐに彼女にあげられる言葉が見つからず、3人で家に帰って、またノージーが小坊主に向かって吠えている時、ただただ涙があふれちゃって、そんな事言ったらだめだと言おうとするたびに涙があふれちゃって、何も言えなかった。「どうしたのママ?」「ママ、好きだよ。だから泣かないで。」と、小坊主。ノージーは自分が言った言葉でママを傷つけてしまったんだとバツの悪い顔。 この時、ちょうどオット君が帰って来て、事の成り行きをノージーに聞いたらしい。(私は延々と泣いていた。翌日は見るも哀れな顔だった)子どもたちが寝た後、オット君が言った「いやあ、子どもにはよくある事じゃないかな」が私の怒りに油を注ぐ結果となった。どうして男ってこうなんだろう。ただ一言、「子育てって大変だね。ほんと、ママはよく頑張ってるよ。偉いね。」でいいのだ。私の先生じゃああるまいし、アドバイスなんて不要だし、私に非があるような言い方すなよ。子どもの肩持つなよ~!ああ、もう、だれもかれも敵だ。向こうへ行け~!私は泣きたいんだ!あんなに痛い思いして産んで、こんなに一生懸命育てているのに、なんだよ! きっと、私の口から何一つ言葉が出て来なかったのは、言葉にしたら、何かが軽くなってしまうと感じたからなんじゃないかと思う。 次の日の夜、寝る前にまた喧嘩が始まる。(ほんと、兄弟ってなんであんなに喧嘩するの?痛いし、どうせ誰かが泣くんだからやめておけばいいのに、いろいろな組み合わせで毎日対戦がある。うるさいったらない)前の日の事があるにもかかわらず、またノージーが軽く「死ね」と小坊主に言った。ちょうど居合わせたオット君は別室にノージーを連れて行って説教したらしい。私は少し耐性がついて、また、しばらく考える。 そして寝る前に、ノージーにこう言った。 「私も死んだ事はないから、じゅっちゃんに何も教えてあげられないかもしれない。死ぬってどういう事か知ってるわけじゃない。でもママが今わかる事は、ママとジュリアもいつかはさよならしなくちゃいけないって事なんだよね。死んだらもう二度と会えなくなるって事なんだよね。」 子どもは毎日成長してる。進んだり立ち止まったりしながら、一生懸命毎日生きてるんだなあと思う。ひとつひとつの小さな出来事も、小さな胸にはどっしり大きな事なんだろうと思う。そして子どもが私にたくさんの事を教えてくれている。子どもたちが私を母親にしてくれている。私は決して良い母とは言えないし、うまく説教もできないんだけど、どんなにヘタクソでも、それこそ七転八倒しても、私の思いを真剣に伝えたい時には、ちゃんと、頑張ろう。 子どもって、ほんとに正直な生き物で、だからこそ、良い所も悪い所もさらけ出してくるんだけど、その全部を受け止められる母ちゃんになりたい。子どもたちがさらけ出せる環境を作る努力をしていきたいと思う。子どもたちが、ただその子のまんまでいられる家にしたい。悪い所は受け入れがたくもあるけれど、母としては、そんな所も見せてくれる子どもたちを持って幸せだなあと思う事にする。 幸せ、と言えば、風邪をひいたのを良い事に(ほんとはちょっと仮病)、一日中ずっと長編小説を読んでいて、ついに読破してしまった。ああああ、最高!どんだけ家事やってないの?どんだけ子どもほったらかしてるの?ははは。
2011/11/19
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私も人生を考え始めたのか、やりたい事はやらずに後悔したくないと今更ながら思うようになった。遅い。ピアノのレンタルルームで1時間グランドピアノの前で奮闘する。オット君にアコースティックギターを買ってとせがむ。森山良子がギター持って歌う涙そうそうを聴いて、これだと体中が痺れた。 アホかあんたは、と言われてもいい。何言われたって構わない。そう、わたしはオバサンだから。フフフ。 好きな事と言えば、ノージーが造形教室に行き始めた。行き始めたのであって、習い始めたのではない。なぜなら、教えてくれるという雰囲気の場ではないから。アートする場所。私はそんなあの場所が気に入った。ノージーも楽しく行っている。まずそこの先生たちは、自分の事を先生と呼ばせない。ただ子どもたちのヒラメキの補助をして下さっている感じ。見学に行った時のお手紙に「子どもたちが自由に発想、創造できるように、十分に紙や鉛筆や道具を与えて下さい。画用紙に一本線をひいただけでも、それは子どもにとってのアートなのです。それをまず理解して下さい。持ち物は親が準備して下さい。子どもが好きな事への手助けを惜しみなくしてあげてください」と書かれていた。 習い事と言えば、私の信頼する故松田道雄先生は著「育児の百科」の中でこういう内容を書いている。子どもは至って普通に育てるのがいい。他の子どもより特権意識を持たせるのはいけない。習い事をさせてみるのは結構だが、もしその子の中に何かの才能を見つけ出してもそっとしておくのがいいやり方である、と。ちやほやせずとも、才能は自ら花開く。 坊主と小坊主の好きな事と言えば、ウルトラマン!寝ても覚めてもウルトラマン。そっちの方向じゃなくてさ、レゴとか積み木とかパズルとか、静かに遊んで欲しいんですけど。もっと頭よくなる事して欲しいんですけど。 でも、好きな事には惜しみなく手助けをするのだ。今日オット君、二人をウルトラマンフェスティバルへ連れて行った。私とノージーはお買い物。甘味どころで抹茶パフェを半分こ。男チームと女チームで別行動も多くなって来た今日この頃。
2011/07/24
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いつの年からか、春にだけ食べられるふきのとうやたらの芽を「おお、ありがたや~!」と拝んで食べるようになった。「去年お裾分けにもらったタケノコ、今年もくるかな?」と欲深い事を考えるようになった。確実に好みが渋くなっている。 小坊主が3歳を迎えた。3人のギャングの子育ても少し楽になった。我が家のあちらこちら、そこここで、そんな余裕が転がっているようになった。麻の布で手ふきを縫っている。おいしい卯の花の煮物が作りたいと頑張るようになった。ベランダには鉢植えがいっぱいになった。朝には鏡の前でスクワットをしてストレッチをする。 一山越えて気づいた事がある。子育てに追われすぎて、考えもしなかった。私が不器用で、手が頭が、そこまで廻らなかった。 きちんと、落ち着いて、ゆっくり、子供たちに大切な事を”教える”という事。とにかく毎日、やらなければいけない事が多すぎて、対処する事が多すぎて、子供の要求を聞いてやるだけで疲れきっていて、見えていなかった。例えば外出から戻ったら自分の靴を揃えること。脱いだ服は洗濯場に持って行くこと。食べ終わったら自分の器はキッチンへ運ぶこと。一つ一つの動作、ていねいな所作を、ちゃんと教えてやるのが私の仕事だったんだ。できなかったらイライラして怒るか、あきらめて自分がしてやっていたけれど、できなくて当然だったのかもしれない。だって、丁寧に教えてはいなかったのだから(子供の立場からすると)。ふと、そんな事に最近気づいた。自分の行いで子供たちに教えてやれるような親になりたいと思う。 子供たちの成長はゆっくりでも確実だ。親もそれを見逃さず、一緒に成長できたらと思う。
2011/05/11
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去年一年は、”私も大人になってしもたなあ”な一年だった。楽しい事も嬉しい事も悲しい事も辛い事も、少しずつ奥行きが出てきたかな、と思う。こんな所に暢気に書けない事も出てくる。それが大人と定義しよう。 8月に、ノージーが生まれて以来ずっとやり続けたおっぱいをやめた。これは、まさに一大事!約7年、来る日も来る日も、おっぱい、おっぱいの毎日だったんだもん。いやあ、おっぱい様、お疲れさまでございました。おっぱい万歳!! という事で、やめて以降、ちと困った事がある。飲み会があると、ついつい、ついつい、飲み過ぎてしまうのだ。記憶がなくなる事、2回、、、。とほほ、、、。それに、この無惨なお姿のおっぱい様。酷使してごめんね。 さあて、新年。今年の私の目標は、ずばり、しわを消す事。ムリか?
2011/01/08
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うちのベランダ側の前には、ぐるぐる公園という小さな公園がある。ここへ越して以来、毎日のように子供を遊ばせていた公園。誰も幼稚園に行っていなかった頃には、昼寝を挟んでほとんどそこで過ごしたと言っても過言ではない。子供たちが大好きな公園。ディズニーランドに連れて行ったとき、坊主は「ぐる公(ぐるぐる公園の略称)の方が良い」と言った。 引っ越して4年が過ぎた。今ではノージーと坊主が二人で遊ぶ姿を、洗濯物を干しながら、たたみながら眺めている事も多い。そしてこう思う。赤ちゃんの子育ては、終わりに近づいているのかもしれないって。いつも誰かが泣いている、誰かが転んで、とか、坊主を抱っこして、小坊主をオンブして、切羽詰まって、泣きそうになって、いた自分は、もう、ぐる公にはいない。 私の好きな時間。子供達のはしゃぐ声(これはもう、ほんとに素敵な声。あんな声、絶対大人に出せない)を聞きながらベランダで洗濯物を干す。私を見つけ、手を振るノージー、坊主。私も手を振り返す。 ノージーや坊主の遊びっぷりを見ていると、惚れ惚れする事がある。友達としっかり遊ぶ事で、いろんな事を沢山学べている。大事な友達がいる事。喧嘩する事。誰とでも遊べる事。その場で問題が起きた時の対処法。年上の兄さん姉さんと遊ぶ事。小さい子に優しくする事。いたずら。大人に怒られる事。兄弟で助け合う事。たくましく育っている我が子たち。貴重な時間を満喫している子供達であります。 もう一人、小坊主はというと、彼も頑張っている。二歳児を満喫しております。あれは嫌、これは嫌、それも嫌、全部いや。何か気にいらない事があると癇癪を起こして泣き叫ぶ。いやあ、ノージーも坊主もそうだったけど、小坊主もすごい。彼は凄みがひと味違う。 まあでも、3人目ともなれば、私も、ちと違う。泣き叫ぶ顔を見て、「プッ」と吹き出してしまったりする。かわいいんだもん。ほんと、3人目、かわいい。坊主までは私も大人げなく、一緒になって泣いたり喚いたりしたけれど、「ハイハイ、わかりまちたよ。ママがじぇーんぶ悪いんでございますよ」と言える。私もやっと親になれた気がする。
2010/10/12
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7月2日から二週間、フロリダに行って来た。フロリダに行くと、普段ベタベタベタベタまとわりついてくる子供たちが、私やオット君の周りから消える。ばあばとべったり過ごすのだ。血ってすごいなって思う。うちは両方の両親とも離れているけれど、会った瞬間、何の躊躇もなく甘える。愛って、こういう事かな、と思う。 なんだか、いろいろある夏。フロリダから帰った後、いつも以上に時差ぼけがひどく、眠れない夜が続いてしまって、良くなりかけた頃、小坊主がおたふく風邪に。坊主は3日間高熱(たぶんおたふく風邪の菌と闘っていたんだと思う)が続いた。計10日間、夜にあまり眠れなかったのだ。顔はピクピク神経痛。35歳の身に寝不足はこたえるのである。乳口炎から乳腺炎になってしまった。何度目かの乳腺炎。あれはたまらん。痛い。前なら痛みを堪えて子供に吸わせて治していたが、どうにもこうにもあげられないくらい痛いし、搾っても出て来ない。小坊主を生んだ助産婦さんに会いに行って搾ってもらった。まあ、ついでだし、小坊主も断乳した。上の二人には3歳までやったので、早すぎるかなあとほろっとしたが、「二歳でも充分だよ!」とオット君にやめるよう懇願され、バイバイしたのだ。オット君の意見も納得ではある。子供が3人いて、いつまでも続けていると、上の子たちがいつまでもかわいそうって。確かにそうだった。もう、小坊主にとってはオッパイは無敵の武器なのだ。坊主が私の所に寄って来ると、すぐに「パイパイ」と言って坊主を弾き飛ばしてしまう。それはずるいと言う事だ。 でも、いろいろが落ち着いた一昨日、タンクトップを着ている私の胸を見て、「あれ?」とオット君。「ああああ、こんなんになっちゃうんだ~、、、」だって。ひどい奴! 悲しい出来事、どう捉えていいのかも分からない自分の青さ加減に途方に暮れる。年を取ったら、もう一度一緒に飲みたい人だった。無情ってこういう事なんだな。残された人たちの涙の為に、私も泣こうと思う。一番キラキラ輝いてる星があの人だと思う。
2010/08/09
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ノージーが小学校入学、坊主が幼稚園に入園した。まだ身の丈に合わないランドセルを背負って、家の玄関を「行ってきます!」と出て行く。あんなに小さくて、24時間抱っこばっかりせがんだ娘が、一人で家を出て行く。がむしゃらに3人子育てしてる間に、少しずつ、少しずつ、大きくなっていたんだなあ。 そして、もう一人、少しずつ、少しずつ、大きくなってた子がひとり。「オレは絶対幼稚園行かない!だって、ママとずっと一緒にいたいもん!オレ、ママが大好きだから。」と言い切っていた坊主は、今のところ、普通に、何事もなく、幼稚園に通っている。きっと幼稚園で一番か二番を争うチビな坊主が園服を着て、かばんを背負っているのを見ると、なんともかわいくて、ぎゅっと抱きしめたくなる。まだ11時半でお迎えなのだけれど、迎えると、「ママー、オレ、がんばったよ~。先生に怒られなかったよ~。」と言う。子どもって、健気だな。 という事で、うちに残るのは小坊主ひとりになった。いままで、半分赤ちゃんのままの坊主と小坊主、おんぶにだっこの2年間だったせいか、いやあ、軽い。なんか、軽すぎて、意味もなく、小坊主をおぶいひもにおんぶしたりしている。子供が一人だけって、こんなに楽チンなんだ~。私、この子だけだったら、躊躇せずどこへでも行ける気がする。でも、実際は一人残されたこどもって、手がかかるんだよね。暇だからぐずぐずする。 先日、名古屋へ二日だけ帰って来た。友達に会いたくなって。昔なじみの顔を見たくなった。時々、私が好きな人たちには、多少無理しても会った方が、やっぱり、いいな、と思う。私も彼女たちも、少しずつ、少しずつ、大人になった。充電して東京に戻った。 友達が「育児は10年ってほんとだよ~。上の子が10歳になって、ほんとそうだなあって実感する」って言ってた。あと4年。折り返し地点は過ぎた。
2010/04/15
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水曜日の朝、幼稚園の支度や家の片付けに忙しくしている中、ぐずぐずする小坊主をひょいと抱き上げようとした途端、ウイイイイイインと私の腰が唸った。どうにかこうにかノージーを幼稚園まで送り届け、坊主、小坊主はその後いつものように公園で遊んだ。 家に帰ってホッと一息、ごろんと横になったが最後、立ち上がれなくなった。そして丸二日、寝たきりですごした。 いやあ、ほんとにぎっくり腰って情けない。体が動かないって、すごく辛いものだ。腰が弱いのか、これで何度目だろう?今回は全く動けなくなってしまったので、今までで一番ひどい。 自分が弱い時、私の周りの人たちは、本当に頑張ってくれる。優しくしてくれる。今まで実家の近くに住んだ事がないので、いざと言う時に頼れる人がいなくてどこかで気を張ってやってきた事もあると思うんだけど、私はつくづく隣人に恵まれているなあと実感するのだ。というより、頼れる両親がいないからこそ、こういう環境を作っているのかな。 オット君も会社を休んで主婦してくれている。ノージーの弁当を作り、坊主たちを外で遊ばせる(うちの子たちは、家の中で過ごせない。一日中でも外にいたい子たちなので、こういう時は、真剣に困るのだ。私もオット君もいつも外で遊ばせたいと考えているので、私がぎっくり腰だから、少しぐらい家にいたらいいじゃないか、という発想はないのだ。今回改めてそれがはっきり分かった。私もオット君も、子どもを外で遊ばせる事をとても大切だと考えているという事)。私をトイレに運んだり、布団を敷いたり、部屋を片付けたり。働き者のオット君を見ていると、拝みたくなる。こんなダメな私と結婚してくれてありがとうって思う。アナタはこんなにいい男なのに、ハイハイでしか移動できない私でごめんよと思う。3日間風呂は入らず臭い私でごめんよと思う。ああ、情けなくなる。今朝のオートミールはしょっぱくて食べられなかった。ごめんね、オット君。一日も早く会社に戻れるように、私、頑張るから。 あと、ノージーの成長にも驚かされた。ぎっくり腰になった水曜日、ノージーが家をとりしきってくれたのだ。水をこぼした小坊主の服を替えてやり、床を拭き、夕食(友達が持って来てくれた)の準備をして、片付けをする。ノージーがあんなにできるとは思ってなかった。いやあ、大きくなったなあ。 こうやって、私の腰は、未だ痛くて痛くて、ハイハイで移動しているんだけれど、まあ、普段見られないものも見られるっていう良い事もある。ダメ人間は、人間って素晴らしいなって思う。みんなありがとう!
2009/11/27
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「こどもを持つという事は、人として弱みを握ってしまうという事だ」と羽仁もと子さんは書いた。子どもを持つ、待たないという観点で物事を眺めた時、子どもを持たない人は、永遠に強くいられる、と。 子どもは親の思惑通りには育っていかない。どんなに一生懸命育てても、子どもは親の両腕からするりと逃げる様に、時に親を困らせ、親の頭にハンマーを打ち付けるような事をしでかすものだ。 うちの子たちもまた然り。良い時悪い時を繰り返しながら大きくなっている。ノージーは少し前、毎晩のように起きては一定の時間泣き叫び、何事かと心配した(夜驚症というらしい)。坊主は極度の恐がりのようで、医者に自分を診てもらうのを頑なに拒否する。一時は誰かと喧嘩になる度に相手にガブリと噛み付き、途方に暮れた。小坊主はどうやらアトピーの様子。 子どもを持つ事って、楽しい事もいっぱいある。でも、苦労や心配も、こんなにあるんだなあとつくづく思う。その処し方で、親としての自分自身を問われる。子どもの悲しみは私の悲しみ。子どもの痛みは私の痛み。 でも、やっぱり、子どもも一人の人間で、私も一人の人間なんだ。子どもたちは子どもたちそれぞれの運命を背負っていて、私は私の運命を背負っている。私はただ、子どもたちにとって一番の理解者であり、一番の支援者でいるしかない。子どもたちのかわいい寝顔を見ながら、「神様、どうかこの子たちがずっと幸せに暮らして行けます様に」と両手を合わせて拝みたくなる。私は弱みを持った人間なのだ。
2009/11/03
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今までの人生の中で、今が一番モテている。毎日坊主は私に、「ねえ、ママ、大好き。オレ、ずっとママといたい。ママの匂い、好き~」と背中にもたれながら告白する。そんな坊主を見つけるとイノシシの如く坊主に突進してヤキモチを露にする小坊主。私がソファーに座ると、みんなが一斉に私に抱かれに来る。夜には、私の隣を争って、みんなで団子状態で眠りに落ちる。 愛されるって、こんなに幸せなのか。小さい体全身で私に受け止めて欲しいと訴える。そのひとりひとりの小さな体を大事に大事に撫でてやる。いやあ、モテるって、いいわあ。 ひとり呆れてるのはオット君。いつもベッドの淵でひとり寂しげに眠っている。「子どもたちが早く大きくなって、早く僕にママ(私を)返して欲しいよ」とつぶやく。 連休の一日はノージーだけを連れて映画を観に行った。女同士のデート。帰りはデパートの地下で美味しいものいっぱい買って帰った。とっても楽しかった。やっぱり私は、ノージーを一番の一番に可愛がってやろうといつも思う。ずっと仲良くいたいと思う。
2009/09/24
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時の流れが早くなってしまった。今年35歳。う~ん。微妙。 mixiなどで友達の日記を見られたりすると、なかなか嬉しいもので、だから、私もやっぱり書く事にした。 近況などを。2ヶ月咳が続いて、重い尻をよっこらしょっと医者へ行ったら、私の胸に聴診器を当てながら先生は「ん?」と言った。「ちょっとレントゲン撮ってみよう」出来上がった写真を見て、また、「ん?」。先生、「ん?」って何よ~!!怖いじゃんけえ。そして私のバディーはCTでスキャンされる事になった。結果肺炎だった。肋骨も咳のし過ぎで打撲状態だし。ようやく胸の痛みも消えた。健康第一。 子どもたちは、もう、手の付けようがないほど、毎日楽しそうに暮らしてござる。我が家では現在「しつけ」というものが機能しておらず、猿が3匹家を占拠している模様。子育ってて、難しい。なるべくテレビなど見せず、パズルや積み木やレゴ、そして読み聞かせなど楽しみながら上品に子育てするはずが、かわいいノージーは坊主に「このやろ、オメー、ぶったたくぞ」とまるでチンピラのような言葉遣いをし、坊主の話す言葉は「テレビ見たい」「アメ食べたい」ばかり。小坊主の大好きな事はチンチンいじり。 こんなはずじゃ、なかったよなあ。どこで、どう、間違ったんだろう。ま、あまり深く考えないこととする。
2009/06/21
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私は小さい頃からいろいろな習い事をしてきた。だけど、だから、子どもには、小さいうちからいろいろと習い事をさせたくない。与えられる時間を費やすんじゃなく、何も無い空白の時間を自分のアイデアで埋められるような子になって欲しいから。結局ひとつの道を突き進む者に道は拓けるんじゃないかと思うから。 でも、最近、また習字を習い始めた。大人になってわかった事がある。両親が私に習わせ続けた日本舞踊や茶道に花道、それに習字。無駄じゃなかったんじゃないかって。なんて言ったらいいかわからないんだけれど、日本の文化を習った事が、私という人間を作る一つになったと思える。 習字の先生にノージーが気が向く時には筆を持たせてやってもいいかと聞いた。先生は快諾してくれた。子どもたちにはいろいろな世界がある事を知って欲しい。いろいろな物があって、いろいろな人がいる事を、その好奇心いっぱいの目で見ていって欲しい。人生は自分探しの旅。私も自分の旅を続けよう。
2009/03/11
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今日坊主のおっぱいバイバイパーティーをした。坊主2歳10ヶ月。ついにおっぱいをやめた。 最近、私が用意して出した服やパジャマを「これじゃない」と言う様になった。ここそこで、「僕、大きくなりたい」光線を発射していた。いい機会と捉え、坊主に言った。「あ、そう、僕、自分で何でもしたくなったのね。偉い。じゃ、パイパイも卒業しよう!」 すると、坊主、「うん。」だって。やめたかったんかい。 ノージーがやめたのは3歳と3ヶ月。ふたりともに長くおっぱいやったなあ。それがいいかどうか考えもしなかったんだけど、周りの事や人よりも、自分の思いに忠実にいられた事が嬉しい。自然の摂理か。おっぱいをやめる時には自然とおっぱいが教えてくれた気がする。冗談みたいだけど、ほんとの話。もうこの子、パイパイなくてもいいよって。 少しずつ大きくなっていく子どもたちに感動。
2009/02/08
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幼稚園でノージーの個人面談があった。ベテランのおばちゃん先生で、120%頼りになる。 ノージーの幼稚園での様子は、一日中ほとんど外で遊んでいるとの事だった。友達の輪も広がっているし、自分自身の身の回りもきちんとできるようになってきているらしい。一安心。私のいろいろな心配事にも、「大丈夫、大丈夫、心配いらないですよ」と言ってくれた。 先輩ママさんがいつか言ってた。いい先生は保護者が作るもの、だって。いい先生だ、いい先生だと保護者が慕えば、必ずいい先生になっていくって。先生も人間なんだね。 坊主、小坊主は少しずつ友達になっている。挙動不審な坊主を見るのが楽しいらしく小坊主がケラケラ笑うもんだから、坊主も調子にのっている。夜寝る前に二人で一緒にオッパイを飲む。片手で本を持ってノージーに読んでやり、二人の坊やはオッパイに吸い付く。オッパイがもう一人の母ちゃんの役目を立派に果たしている。オッパイってすごい。っていうか、すごい格好で子ども3人を寝かしつけている。私は誰にも我慢してほしくないだけ。みんながいつも母の愛を感じて欲しいから。 坊主は本をよく読む様になってきた。一人でもパラパラとページをめくっている。昼寝の前には5冊くらい読む。想像の世界を楽しむ様にもなってきて、独り言のようにブツブツおもしろい事を言っている。癇癪をおこす事も多いけれど、随分落ち着いて来た。 小坊主は7ヶ月に入ったばかりなのに、もうつかまり立ちしている。ハイハイでどこへでも行く。恐ろしい。私は忙しくてたまらない。でも、かわいくてたまらない。チューしてばっかりいたら、嫌がられるようになった。滅多に泣かない。3人目の独立心は最強。
2008/12/11
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ノージーはただ今2年保育の年少。喧嘩したり、仲間はずれにされたり、楽しい事ばっかりでもないんだろうけど、今の所は楽しく通っている。園の子どもたちのやりたい事を尊重するという姿勢も私たち夫婦はとても気に入っている。全員参加の遊びでも、いつも先生は一言、「自分のやりたい事がある人は、そちらをやっても結構」と言ってくれるらしい。「やりたくない子はやらなくていいよ」とも。ノージーは自分の遊びに精進する毎日。どろだんごに鉄棒、吊り輪になわとび。体をめいっぱい動かして遊んでいる様子。 来年にはもう年長、そして小学校へ上がる準備の季節になる。先日ある学校を訪れた。このまま日本に住むと仮定した場合、どうしても英語で教育を受けさせたいと思っているからだ(オット君が。私はどうでもいい)。小学校から勉強が始まる。英語で授業を受けさせたいと。基本的に私も、子どもたちには英語で最終学歴を終えて欲しいとは思う。何と言っても英語は世界共通語だから。 東京近辺の金持ちが集まるそのヤッピーな学校には、木が生えていなかった。草も花も土の匂いもどこにもなかった。陸上競技場のような運動場とタイヤゴムの敷かれたプレイグラウンドだけだった。家の前の小さな公園には風に飛ばされて自然に根付いた、小さくても逞しい、名前も知らない草や花が沢山咲いている。いつも何気なくたたずんでいるその小さなものたちが、じつは私の心の中でそれほど小さい存在ではなかった事に気づいた。 心の中で葛藤する。英語で授業を受けさせたい。アメリカに戻った時に向こうの学校に馴染みやすいように、こちらでも英語の環境に置いたほうがいい。小学校からはいい学校に入れたほうがいい。 でも。親が子どもに一体、どこまで介入できるのだろうか。いい学校に入れるのが、果たしていい親なのか。7歳や8歳で、もう、お勉強をしなくちゃ、ならんのか?オット君や私が、ノージーその他2名に人生をかけて教えたい事が、はたしてあの学校にあっただろうか。私たち夫婦に合った学校だったか。 答えは30分ほどで解けた。「いつかアメリカに帰ったら向こうで頑張ればいっか。ノージーなら大丈夫さ」。この学歴社会から子どもたちをなるべく長い間、守ってやりたい親心。教科書じゃなくて人から、通信簿じゃなくて自然から、多くの事を学んでいって欲しい。
2008/11/22
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坊主が赤ん坊の頃はずっと私の背中にいた。おんぶは赤ん坊にとっても、お母さんにとっても素晴らしいものだと思う。坊主が私の背中でスヤスヤ眠る間に、家事をして、ノージーと遊んだ。 そしてまた私のおんぶ生活が始まっている。小坊主が最後の子かもしれないけれど、だから、楽しみたい。兵児帯タイプの昔ながらのおんぶひもとハワイに住んでいた友達が貸してくれたハワイのおんぶひもを使い分けている。ふたつともおすすめ。兵児帯はぴったり背中に張り付く感じ。私の頬と小坊主の頬がスリスリできるほどの高さにするため、小坊主のいろんな物を見たいという好奇心にも応えられる。ハワイのおんぶひもは腰でおんぶする感じ。リュックタイプのおんぶひもとは全然違う使い心地。
2008/11/17
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幼稚園に入園して半年たった。ノージーは思い切り子ども時代を満喫している。仲良しの子もできて、とても楽しそうだ。最近補助輪なしで自転車に乗れる様にもなった。 私の手の中から体も心も少しずつはみ出して、少しずつ自分の世界を持ち始めたノージー。私もそうだった様に、親と子は、こうやって少しずつ離れていくんだなあと思う。一生懸命育てた子をちゃんと手放すいつかの為に、今私は頑張っているんだなあと感じる。 ノージーの描く絵は、すごくおもしろい。色の選び方も独特だ。足がたくさんある象を描いたり、何十色も使った蝶を描く。色のコーディネートもノージーならではで、動物も非常にカラフルになる。これからお友達の真似をしたりしだすと、きっとこんな素敵な絵はもう描けないのかもしれない。 夕飯時に「今日あった良い事は?」「今日あった嫌な事は?」と聞く。今日あった嫌な事は、「そうちゃんとけんかした」事。そうちゃんは上の階に住む仲良しの男の子。どうやって?と聞くと、「パンチした。」「そうちゃんがじゅっちゃんに?」「ううん。じゅっちゃんがそうちゃんに。」私に似て、少々気が強いらしい、、、。 でも、子どもってすぐに仲直りする。だから何も心配していない。とにかく遊びまくる毎日。朝起きてから夜寝る瞬間まで全部が遊び。思い切り遊んでくたくたになって、気持ち良さそうに寝入るノージーが愛おしい。
2008/10/06
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これじゃいけないっていつも思う。でも、どうしても、心も体も母になってしまった私には、どうしても難しい。旦那を1番に思う事が。 美味しいものを前にして思う。「ああ、子どもたちに食べさせてやりたい」と。 オット君は、いつも私が一番の人。子どもが出来てから、すっかり片思い状態らしい。そんな彼が、こんな事を言った。「結婚して子どもが出来てからのほうが、ずっと好きだって気持ちが強くなったよ。僕がいない間、この人が僕たちの大事な子を守ってくれているんだって思うと、すごく嬉しい。でも、なかなか奥さんには振り向いてもらえないけどねえ、、、」だって。 なんか、すごく嬉しかった。こんな事言ってくれる人と結婚して良かったって心から思った。もっとオット君大事にしなくちゃ。時々、自分が女だという事を気付かせてくれてありがとう。もうすぐ出会って10年になる。
2008/09/09
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いやあ、暑い。3人の子どもたちがベタベタしてくると、とても、暑い。でも、友達が言ってた。どうしてベタベタしてくるか。それは、子どもは体温が大人より高いので、大人の肌はひんやりして気持ちがいいんだそうだ。なるほどね。 小坊主が3ヶ月に入って、少し、ほんの、すこ~し、余裕が出て来た。坊主も少し、ほんの、すこ~し、落ち着いて来た。怒濤の1、2ヶ月。少しの進歩でも身にしみて嬉しい。 小坊主、3ヶ月。ほんとに、ほんとに、かわいくて、かわいくて、仕方がない。よその人に「かわいいねえ」って言われると、「でしょ~!そうでしょ~!かわいくてたまんないでしょ~!」と心の中で叫ぶ。寝返りを始めて、一日中唸ってるけれど。それも、かわいい。 夏休みでノージーが家にいる。一緒に過ごすのは楽しい。でも、坊主と組んでいたずら三昧。私も小さい時、かなりいたずらをした方なので、血かな、と思う。あんまり怒らないでおこうと努力しているけれど、夕方以降はちと厳しい。 先週末は家族で大阪の叔父の所へ行って来た。新しい新幹線N700に乗った。新幹線ってかっこいい。日本っていいねえと思う。 昨日、新宿にある、オット君の会社へ子どもたちを連れて行った。地下鉄では、みんながジロジロ。「子だくさんで、大変そうだなあ」って顔に書いてあった。でも、平気。 永久に続くトンネルなんてないんだなって、抜けてみると分かるんだよね。
2008/08/16
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数日前、いつもの事ながら坊主がノージーの工作を壊して喧嘩になった。偶然か必然か当然か、工作で使うわりばしを手に持っていたノージーはその手を坊主の顔にやって、坊主はおでこに切り傷を作ってしまった。おでこから瞼をとおって目の下までの傷だった。 洗濯物を干していた私は、いつもの喧嘩の雰囲気と違う事に気づいて二人に近づくと、上のような事になっていたのだ。頭にカーッと血が昇る。「こういう時こそ冷静に」と言い聞かせるけれど、勢い良く流れる血流をなだめるのは難しい。涙があふれて、ノージーに言った。「ママ、今、自分の気持ちをおさえられない。ノージーは、すごく怖い事をした。坊主の目が見えなくなったらどうしようと怖かった。ママ、ノージーを許せない。お尻叩かせて」。 初めて子どもを叩いた。そして、怖くて怖くて、ノージーにしがみついた。「ママ、怖かったよお」と泣いた。 オット君はその日、早く帰宅した。子どもたちが寝静まった後、二人で話す。育児の難しさを実感する。夫婦でいろいろな意見の違いを埋め合う努力をする。オット君は小さい頃、殴り合ったりするような喧嘩は、絶対にいけないと親に教えられた人で、そういう事もしなかったそうだ。私の意見は違って、日々、子どもたちを見ていると、そういうことから、大切な事を学んでくれるんじゃないか、と感じている。そして、子どもは、手を出しながら、人の弱さや痛みを学んでいくという気がする。力の加減を知る気がする。私が前面に出て導くよりも、子どもたちに多くの事を気づいて欲しい。失敗しても、無茶してもいい。親の色に染めてしまうんじゃなく、子どもの色を大切にしたい。その子らしさを大切にしてやりたい。 そんな事を願う私の前に起きた事件。私の頭は呆然として、今までの私のやり方を全否定して、道で偶然出合った先輩ママに泣きついた。彼女はこう慰めてくれた。「そんな事、これからもっとどんどんあるよ~。ノージーは今、学べたから良かったよ。私も子どもが小さい頃は、毎日泣いたよ。育児って本当に大変だもん。特に小さいうちは、その場でどうするか、叱るか抱きしめるか、判断しなくちゃいけない事が沢山あるし。一番上の子って、特に、いつまでたっても初めてだから、悩むしね。でも、一番上の子が、私をお母さんにしてくれたなあって思う」。 小坊主が生まれて2ヶ月過ぎて、気づかない間に、ノージーや坊主に愛情をかける時間を削ってしまっていたんだろう。二人はきっと、私に必死になって伝えようとしていたんじゃないか。私も必死だったけど、ノージーも坊主も頑張っていたんだ。私にもっと甘えたかったんだ。 ごめんね、ノージー。ごめんね、坊主。ママはもっといっぱい頑張って、みんなをニコニコにするように頑張るよ。私はこの子たちを笑顔にする為に生きている。
2008/07/26
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今日はノージーの幼稚園で七夕コンサートが開かれた。父兄、祖父母、子どもたちが観覧する中、私が在籍している手話サークルは手話で歌を披露した。曲は七夕といぬのおまわりさんと園歌の3曲。家でも練習したり、「ママ、こんなふうにするんだよ」と見せたりして、張り切っていた。観客席にいるノージーが喜ぶだろうとワクワクしていた。 前奏が始まった。同時に張り裂けんばかりの叫び声。坊主だった。生徒たちにちょっかいを出していたので、副園長先生がひょいと坊主を抱き上げた途端、「ママ~!!!!!」と泣いたのだ。 ダッシュで坊主に駆け寄り、抱きかかえ外に出た。誰もいない運動場にふたり(プラス小坊主。スリングの中で泣いている)。時が止まったように感じた。 ノージーの担任の先生が私たちを呼びに来た。「あと1曲あるから行こう」と。鼻がつーんとして、涙で目が曇った。顔がくちゃくちゃになった。「子育てはみんなこうなんだから、気にしなさんな。さあ、行こう」と。首を振る私に、「じゃあ、この子に見せてあげよう」と抱っこして坊主を連れて行った。坊主もすんなり抱っこされて行った。 2歳の時のノージーも激しいものがあったけれど、坊主にも相当手を焼いている。一日中やりたい放題、言う事をきかなくて、気に入らないとすぐに泣きわめく。 なかなか気持ちの切り替えがうまくできなくて、結局、不機嫌なママのままで一日を終えてしまった。終わった事は仕方がないけれど、ただ、気が抜けた。 愛はいっぱいあって、いっぱい、いっぱい、伝えているはずなのに、子どもにとっていいママでいたいと毎日頑張っているのに、「まだ足りない、まだ足りない」と求めてくる。「これ以上、私に何がして欲しいの?」と聞きたくなる。いつもいつも子どもを愛する事は、なかなか難しい事のように思う。今晩はビール飲まないで寝よう。はあ。
2008/07/07
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小坊主の1ヶ月検診。何事もなかった。「自分の子どもの事は、自分が一番良く知ってる。自分にいつも自信を持ちなさい。弱った時はいつでも来なさい」と、助産婦さんからの言葉を受け取り、世話になった助産院を出た。 3人目、小坊主。かわいい、かわいい、かわいい、きゃわいいいいい!たまりません。鬼の形相で坊主を叱った瞬間でも、小坊主を見ると、目尻が下がって思わずニッコリ、ウットリ(ごめんよ坊主)。 いたずら絶好調の坊主。まだまだ産後、体調も精神面も不安定。優しいママでいられなくて、2歳の子相手にひねりを利かせた嫌みを延々と聞かせたり、「コラッ!」と怒鳴ったりしてしまう。それでも坊主は「ママ、好きだよ」と言う。胸が痛む。昨日高熱を出して元気をなくした坊主を見て、オット君と「やんちゃの方がいいね」と話す。一日中どこでも楽しい事を探してまわる坊主、一日中坊主のしでかす事に頭を下げている私。「男の子はそれくらいでいいんだよ」と言って下さる方々。私も年を取ったら、若いお母さんに言ってあげたい。 坊主が生まれた時に数々の赤ちゃんがえりをして笑わせてくれたり、困らせてくれたノージー。子どもって親が知らない所で成長してるもんだ。小坊主の面倒をよく見ている。抱っこしたり、自分が幼稚園で作ってきた作品を解説したり、おむつを替えたり、どうして泣いているのかも教えてくれる。それがだいたい合っているので大したものだ。そんなノージーを見て、かわいい、と思う。まだまだ抱っこをいっぱいしてやりたいと思う(最近は抱っこしたくても逃げられる事も多い)。 ノージーが4歳半を過ぎたという事は、おっぱい育児も4年半を過ぎたと言う事になる。ノージーと坊主のおっぱいデュオから、坊主と小坊主のおっぱいデュオになった。周りの人は、私を変人だと思っているに違いない。でも、母が子に伝えたい愛の形は一つじゃないし、同じじゃなくていいよね。 3人の子は間違いなくオット君と私の子で、なのに、3人とも違う顔に違う手に違う爪を持っている。それらかわいいひとつひとつは、そのかわいいひとつひとつのパーツは、それでも完全で完璧なのだ。奇跡だと思える。神様から贈られた物。子どもは神の子って本当だと思う。
2008/06/22
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5月8日、予定日通りに赤ん坊が生まれた。助産院での出産。一生の思い出になりそう。 私を診てくれた先生は70歳を越えたベテランの助産婦さん。経験年数50年、8000人もの赤ちゃんをとっている人。その人の家での出産、入院。その先生が到着した私に「もう一人手伝いの助産婦さんが来るからね」と言った。ピンポーンと玄関のチャイムが鳴って登場したのは、もっと年寄りの、90に近いばあさんだった。 そのばあさんは、家に着くなり、スーパーの袋から次々と巣鴨みやげのせんべいを取り出し、「先生、どお?食べよっか」と言い、先生は、お茶と饅頭を持って来る。「そうそう、せんべいはこの、ざらめの入ったのが、私は好きなのよ~」と先生。こんな話がしばらく続く。私の陣痛は規則的に、また、少しずつ痛くなっている。 2時間経過した時点で、ばあさん、私に、「あんた、眠いんやろう」と聞く。「少し眠い」と言う。2分後、ちらっと見ると、ばあさんが寝てた。 どんどんお腹が痛くなる。「ううう、痛い」と言えば、「いいや、まだそんなに痛くない」。「ぎゃあああ、いた~い~」と大声出せば、「ははは、そんな声出すのは、まだ早い」。いよいよ産みたいとなった時には「うるさい!静かにせんかい!がんばりんさい!」と厳しい喝。「はい出た。11時ちょうど!」と先生。「いや、11時3分だよ」とばあさん。「じゃ、そうしようか」と先生。 5時間で赤ん坊が出て来た。3人目でも痛くて痛くて辛い陣痛だったけど、なんだか、ほんとに嬉しくて、この二人のばあさんがいてくれたのが、すごく安心で、陣痛中厳しかった二人が、産んですぐにいっぱい褒めてくれて、ああ、ここで産んでよかった、と思った。入院中、先生は私の隣の部屋で寝ていた。私の咳の様子や、赤ん坊の泣き声など、観察していたんだと思う。誰かが入院するといつもそうするのだろう。厳しくて優しい先生だった。 不思議な事に、陣痛中、ピタリと止んだ私の咳。赤ん坊を産み終えて、体がぐったりしたのか、副鼻腔炎を併発するほどひどい状態になってしまった。昨日は赤ん坊連れて病院へ行って来た。 散々な妊娠後期、そして赤ん坊誕生後。赤ん坊のにおいも分からない。家に帰ったはいいけれど、自分が思う様にノージーや坊主を構ってやれない。悔し涙がいっぱい出て来る。ごめんね、と思う。 病気続きで、心もどんよりする。でも、育児休暇を取ったオット君はあと10日間、家事に育児に頑張ってくれる。「楽しいよ」と言って私と子どもたちの面倒を見てくれている。ノージーの弁当を作っている。近所の友達は、毎日入れ替わり、ご飯を持って来てくれている。小さな新しい家族にメロメロのノージーは、ずっと赤ん坊といたい気持ちを堪えて、頑張って幼稚園に行っている。オッパイを半分とられた坊主も、顔を引きつらせて「赤ちゃん、かわいい」と言っている。自分だけの大事なオッパイを弟とシェアする事を理解しようとしている。 私も、くよくよしないで頑張らなくちゃ。みんな自分の生活があるのに、家族でも何でもないのに、私を、私たち家族を助けてくれている。人生にはいろんな事があって、自分の手に負えないような事も起こったりするけれど、でも、きっと時間が私を支えてくれて、私を強くしてくれる。いつか、私も、元気になったら、人に沢山優しさを分けたい、そうしなければ、と思う。人って、ほんとにあったかいね。
2008/05/15
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たった今、ガリガリ君ソーダを食べていたら、棒に一本当たりと書いてあった。やった、やった、小躍りしたい気分。だからこうして、久しぶりに日記も書いちゃう。 出産を間近に控えて、気管支炎になって、もう1ヶ月以上もゴホゴホと咳をしている。私ばかりか、家族中。はあ、こんなんで、大丈夫なんだろうか、こんな病人だらけの家族の中に、赤ん坊が生まれてしまって、果たして、やっていけるんだろうか、と心も曇りがちだったけれど。 きっと大丈夫。ほら、ガリガリ君が教えてくれた。良い事も時々はある。さっそくお店にいってもう一本ガリガリ君もらってこよう。頑張って赤ちゃん産もう。
2008/05/03
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オット君が拗ねている。今、私が夢中なのは、オット君じゃなくてテトリスだから。しかも、それはオット君が私にプレゼントしてくれたフリーでダウンロードしたコンピュータのゲームだから。墓穴を掘ったね、オット君。
2008/01/15
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2歳の時のノージーは青いズボンを毎日はいて、小さい犬をいつも手に持っていた。3歳になったノージーは赤色のジャンパースカートと青色のスカートが気に入って、4歳になった今も毎日はき続けている。午前中赤いジャンパースカートを着ていたかと思うと、昼になって青いスカートに替えていたりする。約1年毎日その二つを着回している事になる。こどもって不思議。
2007/12/04
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お腹が空く。つわり全快。この3ヶ月、肉体的にも精神的にも本当に辛かった。ノージーや坊主がお腹にできた時にも同じ思いを味わって、もう懲り懲りだと言っていたはずなのに。動き始めたお腹の子に、もうつわりの辛さを忘れ始めている。 辛くていっぱい泣いたけど、今は、嬉しくて、感謝の気持ちがいっぱいで涙が出て来る。10月、激務が続いたオット君だけれど、何も言わず一生懸命私を支えてくれた。小さな介護人2人が、私を沢山抱きしめてくれた。自分の体が動かない苛立ちをぶつけてしまっても、子どもたちもオット君も温かく受け入れてくれた。 オット君と結婚して良かった。いつもありがとう。大好きだよ。「大丈夫?」と声をかけてくれた遠くや近くの友達。みんなありがとう。
2007/11/25
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オット君、子どもたちと助産婦さんの所へ行って来た。助産婦さんが私のお腹に機械を当てて胎児の心臓を探すしばらくの間の緊張と不安。ちゃんと心臓の音がした。良かった。来週から15週目に入る。 今回も助産婦(助産師になったけど、男の助産師なんているんかね)さんのもとで産めたらいいなあと思う。行ったのは普通の家。おばちゃんと言うより、おばあちゃんの域に入るようなベテラン助産婦だった。 妊娠すると巨デブになる私に「体重増加は7キロまでね」と無謀な事を言う。無理無理。まあ、郷に入っては郷に従え、か。頑張って産まれて来てよ、と願うばかり。 つわりも随分落ち着いて、日曜日の今日は友達家族と上野動物園まで行って来た。休日には寝たきり状態で、数ヶ月間、家族で何も楽しんでいなかったからか、ノージーは「ママ、ノージーはママが大好きだよ~」なんて、一日中すごく嬉しそうだった。私もすごく嬉しい一日だった。
2007/11/17
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坊主がかわいくてたまらない。イヤイヤに入って大変な事も沢山あるけれど、彼がしでかす数々の面白い事で、私のイライラも吹っ飛んでしまう。 つわりのピーク、何度もトイレに吐きにいく私にいつも付いて来ては横で見守っていた坊主。多分、「こういう時はなんて声をかけたらいいんだろう?」とずっと考えていたのだろう。ある日、げーげーやっている私に、「よいしょ、よいしょ」。気持ち悪いやら、可笑しいやらでなんだか不思議な感覚に陥った。 ある日、げーげー吐く私にノージーが「大丈夫?」というのを聞いて、ああ!と納得顔の坊主。その日から「大丈夫?」になった。
2007/11/16
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ご近所さんの3人の男の子のお母さんが私にぽつりと言った。「3番目の息子の幼稚園最後の運動会、号泣しちゃったわ。ああ、子どもたちが大きくなってしまう。3人目の子が夜泣きした時なんて、うん、うん、もっと泣いていんだよ、ああ、一緒にいられる時間が増える、って感じだったわよ。幼稚園までが、ほんとに純粋にかわいいのよ~。」 「えええ、私なんて、毎日、ああ、早く子どもたち大きくならないかなって切望してます」というと、「3人目産んだら、変わるよ」と。 早くそんな余裕な母になりたいもんだ。
2007/11/09
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幼稚園の送り迎えをするお母さん。「あれ?今日、下の子は?」と聞くと、「ああ、昼寝中だから置いてきた」。スーパーで、「あれ?今日下の子は?」「昼寝中だから置いて来ちゃった」。 私は、これは、犯罪だと思う。お隣さんへちょっと醤油を借りに行くのとは違う。少なくとも20分くらいは放置しなければならないと思うが、地震でも起きたらどうするんだろう。 この辺ではみんな当たり前の様にやっている。日本は安全ボケしているんだと分かる。赤ちゃんも一人の人間である。
2007/11/06
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時々、本当に会社で役に立っているんだろうか、と思ってしまう。1から10までいちいち私に伺いを立てないと動けない。吐き通しだった昨日、ぐったり布団に寝ている私に、「もう6時だよ。ご飯どうするの」と聞く。時間の事なんか気にしていられるか、とむっとする私。「焼きうどんの材料ならあるんじゃない?」と言うと、「どうやって作るの?うどんはどこにあるの?野菜は何いれるの?」うるせえ。「私はいらないから、自分の好きな物作って食べれば?」と言うと、拗ねた。私の分もあったけれど、食べてやらない。 つわりの辛さを誰も分かってくれない気がする。いっそ入院でもしたい。甘えたいオット君にああゆう馬鹿げた態度を取られると泣けて来る。 朝4時から坊主がずっとわたしのおっぱいを吸っていた。5時過ぎて「ママもう疲れたからやめてね」と言うと、「あっち、あっち」と起きたがる。オット君に「あっち、あっち」と言い出すと、「僕、起きればいいの?」ときた。お前は何者だ。勝手に起きて坊主の相手をしておくれよ。 本当に頼りない部下を持って、私は大変な思いをしなければならないじゃないか。上手に部下を育てる本でも借りて来ようかな。
2007/10/28
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ノージーが4歳を迎えた。親としてこんなに嬉しい日はない。風邪を引いたり怪我をしたり、ヒヤヒヤしながら、それでも少しずつ大きくなっていく我が子の成長が本当に嬉しい。神谷美恵子の著書の中の「親になるという事は、人としての弱みを握るという事である」というのが、少しずつ分かって来ている気がする今日この頃。 ノージーは最近随分変わった。赤ちゃん時代を卒業して真の子ども時代に突入した感がある。子どもらしいありあまったエネルギーで様々なモノを創造し、破壊し、再構築する。今度こそ、幼稚園に行っても大丈夫と思える。うるさいけれど、私はそんなクレイジーな彼女が面白いなあと思う。これからどんどん自分の個性を前面に出していって欲しい。少し離れた所から見守って行きたい。 未だノージーの頭の中はファンタジーの世界で、文字を覚えるとか、数字への興味とか全くないらしい。私もなるべくそのまま教えずにいこうと思っている。 アンデルセンを読み始めたノージーは、「神さまっているの?」「どこにいるの?」と聞いてくる。私は「お空にいて私たちを見ているんだよ。良い事をしたり、悪い事をしたりするのをいつも見てるんだよ。悲しい時とか怖い時には、ちゃんと見守ってくれているんだよ」と言う。人によって解釈は違うし、もちろん宗教観なんかも絡んで来る話なんだけれど、私はやっぱり神さまって本当にいる気がする。神棚の清掃、榊を買いに行くのが小さい頃からの仕事だった。すぐに物を紛失してしまう私はその度ごとに「神さま、お願いです。宝物の消しゴムが机の下から出てきますように」と祈っていた。神さまがいくつも私の宝物を見つけてくれた。 「この山場を越えたら、あんなに大変だった、とゆっくり日記を書こう」と思って3週間が過ぎた。ノージーと坊主が同時にひどい風邪にかかり、治りかけたなあと喜んだのも束の間、ノージーは浸出性中耳炎に、坊主はクループ症候群になり40度を超す熱が3日間続いた。こんな時に限ってオット君の仕事は残業続きで夜中近くにしか帰れない。私はひどいつわりの真っ最中(そうそう、妊娠しました~)。二人を連れて小児科、耳鼻科通い。うつしても悪いなあと思うから、近所の友達にヘルプも頼めない。名古屋は遠い。フロリダはもっと遠い。こんなに大変な時を過ごしているのは世界で私だけだと泣けて来て、ぐったりしている坊主を見て泣けて来て、その横で「ママ、見て見て~」とふざけるノージーを見て泣けた。小さい頃のように「神さま」と手を合わせた。 青春時代に振られてずたずたに切り裂かれた心も、留年して泣いた日々も、時間の経過が私を癒してくれた。そして今回も、やっぱり時の流れが私を救ってくれた。ノージーの耳はなかなか良くなる気配はないけれど、今は二人ともピンピンしている。心の底から嬉しい気持ち。あとは私のつわりが終わるのを待つのみ。 「あんなに大変だった」と書きたかったわりに、10数行で終わってしまう。私の辛い事なんて、そんな物なんだ。ははは。
2007/10/22
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雨の週末。家の中から雨が降り続くのを見ると、Cat in the hatみたいな面白い人が本当にひょっこり現れてくれたらなあと思う。 ずっと家にいるのも息が詰まる。日曜の昼からオット君と子どもたちと散歩しながら本屋に行った。ノージーに「アルプスの少女ハイジ」を買ってやる。坊主には乗り物の本。 読みすすめるうちに涙があふれてくる。声が震えてしまう。ノージーが私の顔をじいっと見る。「ママ、感動してるの?」「うん。だって、いい話でしょう?クララ、歩けるようになるなんて、すごいでしょ?」「うんうん。分かる分かる。泣いてていいよ。」 ノージーは、よく泣く私に慣れて来たらしい。
2007/10/01
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友達家族とピクニックした。夕方帰り道、ノージーが「ママ、今日、なっちゃんのとこに泊まる」と言い出した。驚いたけれど、友達も是非、というので泊まらせてもらうことにした。夜8時、「ママ、歯磨いたよ。おやすみ」と電話があった。 幼稚園の生活を少し経験して、母親と離れるという事を知ったノージーは、辞めて以来、それまでとは違って、私にべったりする事が多くなっていて、少し心配しているんだけれど、でも、少しずつ成長しているのかなあと安心した。それでも、そわそわ、そわそわ、落ち着かない。私の目の前にはそびえ立つ洗濯物があるけれど。ああ、駄目母。
2007/09/16
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久しく日記を書いていなかった。時間が過ぎるのは早い。夏は特に早い気がする。子供たちを眺めていると、あっという間に夜になる。暑さの中で遊んで疲れきったふたりは早く寝るので、私は本を読んでいる。 日本に越して1年が過ぎた。毎日感謝したいと思うのは、日本のごはん。この食文化は素晴らしいと感嘆する。アメリカに行ったから分かる事だ。野菜にはその土臭い味がして、肉にはその旨味がある。新婚の頃は、安いものしか買わなかったけれど、自分の中で食べる事を楽しむという位置づけが大いに変わってしまったようで、少々高くても美味しい物を食べたいと思う。私が美味しい物を食べたい為に、汗水たらして働いてくれるオット君に感謝。 日本に引っ越す事をフロリダばあばは反対した。理由は簡単には会えなくなってしまうというのも一つだけれど、一番はオット君の勤務時間が長くなる事だった。アメリカにいる頃、オット君は毎日17時45分に会社から家に帰っていた。夕食を家族で食べるのは当然の事だった。1日にほんの少しの時間しか子供たちと会えない生活なんて、ばあばには考えられない事だったのだろう。 1年過ぎて、ばあばの言う事がよく分かる。子どもを育てるのは私だけじゃできない。たかが毎日のこと、されど、毎日の事。1日のほとんど、私だけが子どもたちと関わるのは体力的にも精神的にも疲れる。1日のうちに少しでも父親との関わりがあったら、どんなに気持ちが楽になるだろう。 という事で、私たちが考えたのは、「子どもたちを早く起こす」事。全員6時起床。今は季節のせいか、子どもたちは5時半くらいに起きたりもするけれど。朝食は必ずみんなで採る。オット君が子どもたちと遊んだり、話したり、本を読む。これを始めてから私の心に随分ゆとりが生まれた気がする。 時は過ぎて。坊主が生まれて1年間。自分はなんて不器用な母親だろう。たかが子ども2人持っただけでオロオロして。打ちのめされる毎日だった。それが時がたって、少しずつ余裕が生まれて、今ではノージー1人だった頃より楽になった気がする。ノージーと坊主で遊ぶようになったからだ。最近では喧嘩もまた激しくなって、にぎやかになったけれど、それでも、きょうだいっていいなあと思える。喧嘩もどんどんして、人の勉強をしていって欲しい。 映画「SAYURI」を観て、無性に腹が立った。日本の芸術を汚された気がした。着物を着た時の仕草から、畳の上を歩く姿まで、どれをとってみても違う。腹が立つと同時に、日本人とは、他のどんな民族にも真似できない独自の民族なんだなあと再発見した。 私は日本人。日本に戻ってほっとした。でも、オット君はアメリカ人。どこにいたっていつだって強く楽しくありたい、と思う。
2007/08/19
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6月終わりから2週間フロリダのじいじとばあばが来てくれた。ドアからドアで24時間の長旅。おまけに昼夜真逆の時差。孫はかわいいんだね。 ノージーが生まれて以来、ワシントンに住んでいる時にもフロリダから足しげく会いに来てくれた。カツオとキヨコも頑張って2回も会いに来てくれた。今の住居へも何回か来てくれている。私はその事がとても嬉しい。孫の顔を見る為に、わざわざやって来てくれるのが、本当に嬉しい。 オット君は文句を言う。「パパもママも、全然子供たちを見てくれない。預けてデートしたいのに」って。カツオとキヨコにしても、そう。いつもバタバタ忙しい。年寄りのくせに、1秒たりともじっとしていない。カツオは「子供はねえ、預けられると、相当我慢するんだよ。よほどの事がないなら、預けるもんじゃないよ。もっと大きくなったらいいけど」と脅して来る。オット君のママは、もともと自分が子育てしている時も預ける事が嫌いだったらしい。私も同様なので、これと言って不満もない。 また、オット君の両親も私の両親も、豪華な物をくれたり、お金をくれたりは一切しない。フロリダばあばは密かにノージーと坊主の大学資金を貯金してくれているらしいが、くれるのは本だけ。うちの両親もそう。どちらもいつも夫婦二人で行動している。孫中心になってたまるかと背中に書いてある。この、似ているのが、いい、と私は思っている。この地味さ加減がいい。 夫婦が仲良くいる事が一番大事、と教えられている気がする。
2007/07/06
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ノージーはすごく甘えん坊だなあと思う。「おんぶして」「抱っこして」「こうして」「ああして」。余裕がある時は、「いいよ」と応じるが、忙しいとき、坊主がぐずぐずしている時なんかには困ってしまう。ついつい「あとでね」となる。 でも、言ってくれて本当にうれしいなあと思う。母の私に言えないのなら、それはすごく悲しい事の気がするから。いつかこどもは大きくなって、私なんかよりも大きくなってしまうかもしれなくて、この、今の小ささを切なく思い出す時が来るだろうから。 私たちが住む辺りは、少子国の日本とは思えないほど、子どもだらけの場所である。兄弟が3人、4人といる子も結構いる。家の前には公園があって、2時を過ぎると子ども達がおおぜい集まる。2、3歳の子もいれば、小学校6年生の子たちもいる。もちろんノージーと坊主も毎日そこにいる。子ども達の世界に慣れている彼らは、小さい子たちの事もよく面倒を見る。ノージーや坊主もいつもお兄ちゃんお姉ちゃんに可愛がられている。子どもとは不思議なもので、自分の気に入った子とは、自然に仲良くなっている。母親が精出してお友達を見つけてやらなくてもいいんだなあと思う。夕方のこの公園は、すごくいい風景だと思う。 いつも友達を連れていない小学校1年の男の子がいる。ノージーや坊主ともよく遊んでくれる優しい子だ。その子はよく私の手を握ったり、肩をさわったりするので母親との時間が少ないのかな、と思う。今日は「ねえ、おんぶして」と言って来た。おんぶしてあげたけれど、なんとなく私が照れてしまって、「もういいでしょう?お母さんはしてくれない?」と聞いてしまった。周りにも沢山子どもたちのお母さんがいたので、照れ隠しに出た言葉だったけれど、言わない方が良かった。子どもは大人みんなで育てたい。ノージーも坊主もいろんな大人に叱られたり、褒められたりして大きくなって欲しい。今度はもっとゆっくりおんぶしてあげたい。
2007/06/20
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「僕そっくりな人がでるよ」とオット君が言い007(ダニエル クレイグ)を観た。僕そっくりな人は映画の最後まで見つけられなかったけれど、やっぱりボンドはかっこよかった。 男って、やっぱりああいう男に憧れるのかしら。頑張れ、オット君。
2007/06/19
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先週末の土曜日、夜寝る前に、ノージーは私たちにこう言った。「あのね、先生が子どもたちをどうして怒るのか、わからないの。私はそういうの、見たくないの。やりたい時に、やりたい事ができないのが、すごくつまらないの」と。 私は少し前から決めていた。雨の日に先生が必死に子どもたちに水たまりに入っちゃいけないと大声を出しているのを見て。一斉保育が始まっても中に入ろうとしない男の子に「中に入らないと、明日ジュースあげないよ」というのを聞いて。ノージーが寝言で「気をつけはこうするの!」と言って泣いたのが悲しくて。 子どもは自由なのがいいと私たち夫婦は考える。自由な発想で、自分の思いつくままをやらせてやりたいと思う。それが自立につながって行くんだと思っている。今はこれをして、次はそれ、その次は、と言われたままの事をするんじゃ、自分で考えて動く事はできない。そうやって育てている3歳の娘に、人の言う事を聞いて5時間を過ごせ、というのは無理がある。まあ、ノージーも相当頑固な子だと思うけれど。この2ヶ月、泣く事は無かったが、全く幼稚園に馴染みたくない様子だった。 月曜日から風邪で休ませた。「ねえ、ママ、嬉しい?ノージーと一緒にいられて嬉しい?」と何度も聞いてきた。「嬉しいよ」と答えると、「ノージーね、すっごく嬉しい。ママともっといたかった」と言った。公園でのんびり遊んで、久しぶりにほんとのノージーが戻って来た気がした。 ノージーにとっては、私と離れるのは、まだ早かったようだ。もう少し機が熟するのを待とうと思う。正直言って、私は、ものすご~く嬉しい!
2007/05/30
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入園して1ヶ月が過ぎた。まだ朝泣いている子は少しいるものの、幼稚園内の様子は随分落ち着いたように思う。私は送ったあと、1時間ほど幼稚園にいて、子どもたちと遊んだりしている。ノージーはもう大丈夫そうだけれど、まだまだ入園1ヶ月。「ママ、もう帰って」って言い出すまで、見ていようと思っている。幼稚園にいる事を許して下さっている先生方に感謝。 幼稚園には本当にいろんな子がいる。見ていると楽しくて、また、学ぶ事も多い。子どもは正直だ。いろんな事情がすぐに表情や動作に表れる。友達を通していろいろ学ぶために、3歳で幼稚園に入れて良かったなあと思う反面、年少クラスを見ていると、まだまだ母親から離れて毎日5時間は少々酷なんじゃないかなあとも思う。アメリカみたいに週に何日行くかは親が決められたらいいんだけれど。義務教育じゃないんだし。 ノージーは幼稚園が好きになってきたようで、昨日は風邪を引いたので休ませようとしたけれど、「行く」と言った。今日は無理をさせないように、少しだけ遊んで一緒に帰って来た。幼稚園に入るまではずっと一緒だった平日だけれど、ああ、もうこんな日はなかなか持てないんだなあと実感した。少しずつノージーが私から離れて行くのを感じている。
2007/05/15
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ノージーと二人でミュージカルアニーを観に行って来た。話を理解するにはノージーは幼いけれど、ミュージカルは音楽も歌も踊りもあるので楽しい。3時間の長丁場、ずっと座っていたノージーは大きくなったなあと思う。帰り道、大きな声で「tomorrow tomorrow I love ya tomorrow 」と歌っていたので気に入ったのだろう。また来年も連れて行こうと思う。
2007/05/05
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幼稚園が始まる20分前。ノージーはまだパジャマを着てうるさい笛を吹いて踊っている。ベランダに素っ裸の坊主が自分のした小便で滑って泣いている。ああ、切れそう。切れる3秒前、1、2、3。毎日こんな感じ。 ノージーが新しい生活に慣れるまで。頑張ろう。頑張るしかない。わがまま放題、一日中抱っこにおんぶに、あれやだ、これやだ。自分の事も何もやろうとしない。ほんとに疲れる。毎日のように私が泣いている。子どもたちの行動で、自分の心も乱れる。私もまだまだだなあ。 暖かくなってきたし、おむつを嫌がり始めたので、家にいる時は坊主にパンツをはかせてやる事にした(っていうか一日の半分はふりちん)。あちこちに水たまりができる。だだ漏れ状態。でもおむつにするより気持ちがいいみたい。板張りの家で良かった。今朝、「ぴーぴー」とおしっこしながら教えてくれた。しかし、人が普通にトイレで排泄できるようになる道のりがこんなに長いものとは、知らなかった。坊主が少しずついろいろな事が出来るようになっていくのが楽しみだ。 今は楽しい事と大変な事がごちゃごちゃになっていて、気ぜわしい毎日だけれど、いつか落ち着く時がくるのを信じて、焦らずのんびり進もう。
2007/05/02
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そういえば、4月17日は私とオット君の結婚記念日だった。ペアの焼酎グラスと指輪をプレゼントしてくれた。5周年。つき合ったのは3年だから、8年一緒にいる事になる。わお。 人は毎日違う。また365日同じ日はないわけで、だから、オット君も毎日違う。話す事も、仕草も、おならの匂いも違う。だから飽きる、という事がよく分からない。きっと恋愛時代に「飽きて、別れた」のは、単なる理屈だったんじゃないかと今思う。終わるものだったのだ。 よく「なんで私みたいなのと結婚したのかなあ」と思う。不器用で、不細工で、不躾で、頭も悪くて意地も悪い(自分では全然そうじゃないと思ってる。完璧だと思ってる)。この前、ふと、オット君がこう言った。「僕ねえ、夜、寝られなくて、ママの顔見て、考えたんだ。なんで、この人がいいんだろうって。答えがでなくて、ますます寝られなくなったよ」。思わず吹き出した。 ソクラテスは言ったのだ。「良い妻を持てば幸福になれるだろうし、悪い妻を持てば哲学者になれる」と。オット君は哲学の道を邁進している。
2007/04/20
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ノージーの幼稚園生活が始まって1週間が過ぎた。泣く事もなく、しかし嬉々としてでもなく幼稚園に行っている。朝送って幼稚園に着くと、しばらくいて欲しいと言う。そうしてやっている。「ママ、帰るね」と言って、ぎゅうっと抱きしめる。門の所で笑顔で手を振ってくれる。 ノージーは赤ん坊の頃から本を読んでもらうのが大好きだ。字はまだ読めないけれど、一人でもよくページをめくっている。振り返ってみると、何かある度に、ノージーと本は一緒だった。私が坊主を産むときは「おかあさんがおかあさんになった日」という本をよく見ていた。坊主の世話に追われている間にも、本がノージーの相手だった。 幼稚園に迎えに行くと、先生が読む本を食い入るように見ている。先生が「あ、お母さん来たよ!」と教えても、「読んでから」と言う。そして、その隣には、毎日同じ女の子が座っている。いいお友達になれたらいいなあと思う。でもこれからは自分でお友達を作っていくんだなあ。頑張れ、ノージー!
2007/04/18
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昨日は入園式で今日から幼稚園の生活が始まった。10日間ほどは1時間半だけの慣らし保育だ。その後も徐々に時間が増えていく。 ノージーが生まれて3年半。両親に預けた事、1回。オット君の両親に預けたの、1回。他人様に預けたの、ゼロ。ただひたすら、腕のなかに収めるように、囲うように大事に大事に育ててきた。 情けない事に、ノージーじゃなくて、私が「バイバイ」出来なかった。計3回もバイバイしては戻って「やっぱり、もうちょっといようかな。何して遊ぶ?」と言ってしまった。結局9時40分にやっと園を出た。涙がいっぱい出た。 10時20分に迎えに行くと、ひとりで地面に座っていた。にっこり笑って、近づいて来る。帰る支度をして門を出て、「どうだった?楽しかった?」と聞くと、ノージーは「うん」と言った。「ひとりで遊んでいたの?」と聞くと、「うん」と言うので、「寂しかった?」と聞くと、「うん。途中で目に涙があったの。でも、泣かなかったよ。明日もあさっても一人で幼稚園行くよ。」と言った。私は鼻の奥がつーんとして、泣きそうになったけれど、絶対に泣いちゃだめだと我慢した。ノージーも頑張っているから、私も頑張らなくては。誰かとお友達になるのは、少しずつで、時間がかかるんだよ、と話した。 私もノージーも、早くこの新しい生活に慣れるといいな、と思う。いいお友達がたくさんできるといいな。
2007/04/10
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3歳前後からノージーは日々成長しているなあとつくづく感じる。写真を見ても思う。つい2、3ヶ月前の顔と、もう随分違っている。オット君のママもそう言っていたんだけれど、ほんと、3歳って変わる年齢、一皮むける年齢なのかもしれない。とは言え、まだまだ抱っこ抱っこなんだけど。 約1ヶ月前、ノージーが遊んだ事のない同年齢の子二人が家に遊びに来てくれた。3人で少しずつ馴染みながら遊ぶ姿を見て、決めた。もうノージーを幼稚園に入れてやろうと。 こんな時期に決める私は、やっぱり私だなあと思う。そして運良く入れてもらえる所があったって言うのも、なんとも私だわ。しかも、私が、3年保育に入れるならここがいいな、と思っていた所。 お古で頂いた制服を家で毎日着ているノージー。私の事を「先生」と呼ぶ。ルンルン気分のノージーを見ていると楽しくなる。 絵本を入れるかばんや上履き入れを作る為に布は買った。ミシンはないんだけれど。手縫いできるのかな、、、。
2007/03/25
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ノージーが赤ん坊だった頃同様、坊主にもベビーサインを教えている。初めに覚えたサインは「痛い」。そして一番初めに言った言葉も、「いたいいたい」。 坊主は危ない事ばかりしている。その、何事にも挑戦しようとする意欲は買うが、彼を見ている私は、ここ数ヶ月で随分老けた気がする。心臓が弱る。 男の子を育てるのって、大変。
2007/03/20
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昼、久しぶりにラブファミリーマーマに電話したら、彼女に、「昔のアンタの男が結婚した」と知らされた。平静を装う反面、心がざわざわした。こういう事ってよくあるんじゃないかな。 彼女と電話を切ってすぐ、自分の顔や体を鏡に映してみる。あの頃より、丸いなあ。あの頃より、顔が大きいなあ。あの頃より足が太いな。心がざわざわ。 私がつき合って来た男の人たちには、絶対にいい男でいて欲しい。だって、その人の人生のひとつの区間には私がいたのだから。私も昔のオンナとして恥じない努力をしなくては。人は見栄と意地で生きている。 しかしなあ。360度どこから見ても母親になってしまった私。オット君からしか可愛いね、きれいだねと言われなくなった私。それが人生?それが結婚?せめてオット君にはずっと可愛いと言ってもらえるオンナでいたいと思う。今夜は顔のパックをして寝るとする。引き出しのどこかにサンプルがあったはずだから。
2007/03/13
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少しずつ成長しているノージー。感情的にもいろいろな面を見せるようになっている。子どもとじっくりつき合ってやる事が、ますます大切になっていく。土曜か日曜の2時間くらい、ノージーと私だけでデートする事にした。日曜日には図書館に行った。坊主も一緒の平日には、もう図書館へ行くのは難しい。そこらじゅうの本をなぎ倒してしまうから。毎週末どこへ行こうか、何をしようか、考えるのが楽しみ。 オット君とパズルをする事にした。はまる。300ピースはあっと言う間に完成してしまった。次は500かな。 時々新しい風を家の中に入れるのは、とても気持ちがいいもんだ。
2007/02/26
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