桐まみれの日々 by さきさん

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さきさん1850

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2006年11月09日
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 人に責任を擦り付ける事は簡単だし、自分ではなく、人を変えようとするのも自由だ。だけど、その結果なんて見え透いている。

 教育を研究することはとても大事だ。ただ、取り組みの結果はそこに居る生徒達その物だと言うことを知らなくてはならない。書類を作ることが最終目的となって、実りを見落とすようなことがあってはいけないと思う。
 教師のレベルは、授業時間でも食べた給食の数でもなく、研究授業の数だと、どこかの先生たちが出版した本に書いてあるらしい。でも、「仕方なしに」「忙しいのに」と思いながらのそれは、あまり意味がないと思う。そうなってしまわない為には、余計なことを取り払うこと。提出すべき書類を一枚でも減らすこと。これが結構優先課題じゃないかと思う。
 昔は良かったと言う先生が居るなら、昔はどう良かったのか、今はどうだからいけないのかを整理し、教育委員会へ直訴すべきだ。そうして自分の職場環境を自らの手で改善する努力は、教える子供たちの前向きな姿勢に繋がって行くのではないかと思う。

 尤も、評論家よろしく、口先でああだ、こうだ、言うのは簡単だ。現場であえいでいる人がそれに反感を抱くのは当然だろう。

 学校では、昔から言うように「読み書きそろばん」を、徹底して教えてもらえると嬉しい。夕べは、数学の問題集に取り組み耕平を指導したが、「通じない言葉」が結構多いのに危機感を感じた。
 昔は、今日はこのハードルを越えるまでは帰れないよ、と言うのがあって、泣いて頼んでも居残り勉強は余儀なくされた。今は、放課後、先生が忙しいので、それに子供は「塾」へ行かなきゃいけないので?!居残り勉強なんて不可能みたいだ。それに、中には「うちの子に居残りなんてさせるな。」なんて言う親も居るらしい。ただで見てくれるんですよ。大歓迎じゃないですか。って、レベル低すぎ?何も、高い教育費払って私塾へやるよりねぇ。

 水曜の深夜、英単語のコアイメージを勉強する番組がある。あの先生が言っていたけど、第二外国語を学ぶためには、第一言語がしっかりしてなきゃだめだって。英語は英語として、日本語は日本語として、それぞれ独立して理解するなら問題なしだけど、中途半端に日本語が確立してるから、日本語を通してじゃなきゃ英語が掴めないという現実がある。生まれたときから、パパとママが日本語と英語をミックスして使ってるような家庭なら良いのかな・・・・!


 今日の参観授業はこの訓練で、実際には、例えば、向かい合って相手の良いところを褒めて、目を見つめて握手をした後相手を替えていく、と言うようなもの。人を褒めると言うことは同じ岸に立つということ。それがなかなか照れくさくて言い難い。そこを乗り越えた時、一つの人間関係が確立され、その子の中に、新しい感情が生まれるようだ。
 親ばかな私はわが子たちを褒めることに、一切テレも何もなく、逆にあまりに頻度が高すぎて、褒められている感が薄れてしまっていると言う恐ろしい現実。でも、例えば、何気なく手助けをしてくれたりすると、もう、嬉しくて嬉しくて。いや、「母さん。」と呼び掛けてくれただけで狂喜乱舞状態。やっぱり、変?

 まぁ、そんなわけで、今日は午後ベッタリ、中学校に行っていました。そんな余裕、実はないんだけどね・・・・。明日は仕事、がんばる。





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最終更新日  2006年11月09日 19時14分30秒
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