桐まみれの日々 by さきさん

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さきさん1850

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2006年11月29日
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テーマ: ニュース(95846)
カテゴリ: ひとりごと
エリート意識って言うはこういうことを言うんだろう。
 自分に自信を持つことは生きて行く上でとても大事な事だし、それがあるのとないのとでは、人生をどれだけ謳歌できるかが大幅に違ってくる。
 自分に自信がなければ、いつも周りが自分をどう思っているのかどう見ているのかばかりが気になって、気が付くと、それをフォローするための人生を送っていると言うことになりかねない。そして、今、この時代は、殆どの人が幾分かはその要素を持ち合わせているはずだ。
 勿論、自分に自信を持ち、周りに振り回されないことと、例えば給食費を滞納するを当然とすることとはまったく別の事だ。

 それはおいておくとして、この教授の頭の中には、自分に対する自信はあるが、それが自分と違う者への蔑みの気持ちを持って自身と取り違えているような部分があるように見受けられる。学生たちに就職への意識を高めようとするその意気込みは買おう。ただ、それへの士気高揚と「こうならないために」とは別物だ。

 かく言う私にも、かつては肉体労働に対する差別意識が無かったわけではない。しかし、小さな会社とは言え、デスクワークで指示を出し、現場でも作業をする二面を同時に経験したことで、それぞれが果たすパートの重要性が理解出来たし、物事が成り立っていく上で、どちらも必要不可欠であり、お互いがお互いを尊重し合い、高めあってこそ向上することを実感したので、肉体労働を軽んじる発言を許しがたいと思うようになった。幾ら名案があっても、それを現実の「もの」とする「手」すなわち「肉体労働」がなければ、机上の空論と帰してしまうのだ。

 大学を出たからと言って肉体労働に就くのは恥ずかしいとか思う方がどうかしている。ニートやフリーターがニートやフリーターである事が恥ずかしいのではなく、その状況に完全に甘んじているとすれば、そのハートが問題なのだ。ただ、そのハートを教育してきたのは他でもなくこの社会だ。そして、彼らをして恥ずかしい、惨めと言うその教授も、紛れもなく彼らを教育し、利益至上主義に走る多くの企業を容認するこの社会の一員なのだ。





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最終更新日  2006年11月30日 11時16分40秒 コメント(4) | コメントを書く
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