桐まみれの日々 by さきさん

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2010年04月14日
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 首都圏では、女性専用車両に男性数人が乗り込み、女性専用車両の不公平を訴え、悶着になった事をネット配信のニュースで知った。不毛だなぁ・・・・。世の中には男と女(中間てのもあるけど)しかないのに、その二者が敵対するなんて、不毛すぎる。共存すれば良い事だらけなのに。
 建設的という言葉があるが、女性専用車両の件に関してこの言葉を使うなら、女性専用車両に乗り込んできた男性方は、女性専用車両を廃止することより、男性専用車両を新設することを求めたら良いのではと思う。男性も女性も、異性に免疫のない人はあるだろうから。

 女性はか弱きものと保護されてきたが、昨今の様々な出来事を検証すると、女性のか弱さは昔ほどではなくなって来たようだ。腕っ節や力、体の大きさで言うなら、男性よりも劣ることは間違いないが、その部分を補って余りある何かを、女性は身に付けてきた。
 新聞で性暴力事件に関する記事を読んだ。性暴力と言う点については、事件の被害者として報道されるのは圧倒的に「女性」だ。
 子供の頃、時代劇を見て『手篭め』と言う言葉をギャグ的に使っていたことを思い出す。考えてみれば子供が『手篭め』なんて言葉を口にするなんて・・・だけれど、なぜか、口走っていた。そして、冷静に考えると、手篭めにされるのは決まってお姫様であったり、町娘であったりする。いわゆるか弱き女性だ。近年男性の女性化が著しいようだが、女性によって手篭めにされた男性は、果たしているのだろうか・・・・・・。素朴な疑問である。

 太陽と北風が旅人の上着を脱がせることを競う話がある。北風は上着を吹き飛ばそうとするが、旅人は余りの寒さにしっかりと上着に手を掛け、決して脱ぐことはしない。一方、太陽はぽかぽかと照らし、その暖かさに旅人はいとも容易く上着を脱いでしまう。北風は暴力の象徴であると私は見ている。そして太陽は理性の象徴だ。上着を握る手の力には限りがあるので、暴力に屈することもあるだろうが・・・・。

 今日は、首都圏の鉄道車両で起きた女性専用車両に反発する悶着について考えてみた。考えているうちに横道にそれてしまったが、わたくし的な結論としては、物事を否定するところからではなく、肯定する位置に立って建設的な思考や行動を起こした方がよいのではなかろうかと言うことである。






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最終更新日  2010年04月15日 09時03分28秒
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