桐まみれの日々 by さきさん

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さきさん1850

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2010年07月07日
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カテゴリ: 罪状認否
 恋する息子が、遅い夕食の途中で席を立ち、おそらく彼女からの電話で話をするため、二階の自室へ駆け上がって行った。一人残された私は、ひっそりと夕食を済ませ、お風呂を頂き、おいたちの小箱に入れるビーズの鼻を20個作った。かれこれ2時間。息子はまだ降りてこない。ひょっとしてもう寝てる?と思い携帯に電話。話中。やっぱり起きてる。次の手段はメール。

「食べたら器を食洗機に入れて扉を閉め、スイッチオンして下さいな。」

 テーブルをざっと片付けリビングでテレビをスイッチON。画面にはNHK心の遺伝子。野村克也氏の回である。
 氏が二歳の時、父親が死去。小学2年生の時、母が癌を患う。極貧の生活であったが、高校へは野球をしたいので進ませてもらった。学費を滞納。人生の恩師であり、野球部の顧問であった清水先生との縁が、氏の人生に大きく影響を及ぼした。

 野村氏の話は、いつ聞いても、何度聞いても心打たれる。プロに入ってから長らく、「壁」と呼ばれる練習用の捕手を勤めた辛い期間があったことも聞いた。

 清水先生から受け継いだ心の遺伝子は



 この番組の次にA to Z。ペットの葬儀屋さんの問題。
 今年四月、山林で多数の動物の遺体が捨てられていた事件。ペットの葬儀屋と言う業種には、法的規制がどの方面からも及んでいないのが現実なのだそうだ。

 我が家にも柴犬がいる。名を「ゆず」と言う。この家に来て6年。すっかり我が家の顔である。


 かつて、見知らぬ猫が、我が家の濡れ縁の下でひっそりと息を引き取っていたことがあった。外傷も無く、綺麗だった。

 私は僧侶である父親に相談し、うちに来てもらいお経声を頂き、歩いて5分ほどの山へ運んで土に宿した。墓標までは立てなかったが、一つの小さな命を弔うことは出来たと思っている。

 ペットをどれだけ愛していたか。それは、その命を弔うことに使う金額で計られるべきではないし、愛情とお金を同じ秤にかけるのは間違っている。大切なのは、逝った命を弔うことである。どれだけお金を使うかではない。

 だから、綺麗な広告を信じ込んでお金だけ出して、弔った気持ちになっていることは、ひどく滑稽にさえ感じてしまう。手元に戻された遺骨を、事件が起きた後に確認すると言うのも、いかがなものかと思う。もし、お金を出して荼毘に付すのなら、私ならその場に立ち会わねば気がすまないと思う。

 ペットの家族化が叫ばれるが、ペットと人間の家族は基本的に違っているから、ペットに人間と同じような葬祭屋は必要ないと私は言いたい。葬祭屋にお金を出して葬ってもらうなら、むしろ田舎のどこかに受け入れ先を探し、お休みの日に赴き、自分の手で穴を掘り、遺体を安置して墓標を立てて上げたい。





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最終更新日  2010年07月07日 09時19分19秒
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