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今日も夫は、食事をしてから帰るとのことなので、ついさっきまで一人でDVDを観ておりました。コン・リー主演の、 「活きる」 です。前々から、気にはなっていたのですが、いかにも「感動の嵐」「涙なしでは観れない」ような宣伝文句をみて、躊躇していました。私だけかもしれませんが、そういった映画を観るのは、大変な心構えが必要なのです・・・。これから、自分の心がグチャグチャになってしまうかも知れないゾッッ!!覚悟はいいかッッ??みたいな・・・。でも、自分を奮い立たせ、観てみました。1940年代。ある一家の主が、博打で何もかも失ってしまい、妻も出て行ってしまうところから始まります。1950年代、1960年代という激動の時代のなかで、悲しい不幸に出会いながらもユーモアを忘れず、おおらかに、あたたかく、まさしく「活きる」家族の姿が描かれています。エンドロールです・・・。結果、号泣です・・・。どんな涙かといいますと・・・。もう、それは、色々な、涙です。ぜひぜひっ、ご覧になることをお勧めいたします。*****************************************せっかく「活きる」をご紹介しましたので、私の好きなコン・リー主演映画をご紹介します。 「たまゆらの女」 この映画は、とにかく私の大好きな作品です。レオン・カーファイ共演の、切ない切ないラブストーリー。汽車に乗りこみ、遠く離れた恋人のもとへ通う、コン・リーの美しいワンピース姿・・・。少し気弱な、でもとても色気のある、レオン・カーファイのかっこよさ・・・。音楽も印象的で、とても、美しい映画です。本当・・・。コン・リーって、どうしてこんなに美しいのでしょうか・・・。私の、理想の女性です・・・。ここで、せっかく登場したレオン・カーファイ出演作品をもう一つ。 「ラマン」 この作品に出会ったのは、確か高校1年生の時でした。(R15だったような気がするのですが・・・)当時、M・デュラスの原作を読んでいたので、主演女優の美しさに、驚きました。デュラスそっくりなんです!!!!インドシナの美しい風景。哀愁ただよう、中華街。幼さのなかに、女性の色香をただよわせる少女。そして、いつの間にか、少女を心から愛してしまう、中国人男性。この映画は、何度みても、心がギュ~っと、締め付けられるのです・・・。以下、私の好きな、コン・リー出演作品です。 「始皇帝暗殺」 「上海ルージュ」 「さらば、わが愛/覇王別姫」 「風月(花の影)」
2005/07/29
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今日、息子と買い物から帰ってくると、高校時代の友人から結婚しました葉書が届いておりました。優しそうなだんな様。高校時代と変わらないようで、でも、やっぱり大人の女性になっている友達。なんだか、うれしくなってしまいます♪私と夫も、結婚2年目にして、ようやく結婚しました葉書を送ったのですが、その時のことを、思い出しております・・・。上海を初めて訪れたときのこと。一週間の滞在。あと2日で帰国という日、朝からご両親に連れられて、あるお店へと連れていかれました。ショーウィンドウには、きれいなドレス。お店の中に入ると、大きな写真に、まるで美容院のような大きな鏡。そこは、いわゆる中国式結婚記念写真撮影の専門店でした。日本同様、中国でも結婚前に記念写真を撮り、アルバムにするそうなのです。眉毛をあっという間に細く剃られ・・・・。顔をあっという間に白く塗られ・・・。まつ毛をあっという間に付けまつ毛でバッサバサにされ・・・。(;=ω=)一人の美容師さんがつき、ものすごいスピードで仕上げていきます。で、出来上がった自分の姿・・・・。よく、分かりません・・・。σ(○'ω'○)?というのも、普段めがねをかけている私。夫曰く、「コンタクトだと目の印象がキツイ!!」そう。(メガネの私の方が、柔らかくて、好みだそうです。柱|_-。) ポッ)コンタクトを持参するのを忘れ、ぼんやりとしか自分の姿がわからないのです・・・。まず、ウエディングドレスに着替え、お店の二階にあるスタジオへ向かいます。夫は自分の準備真っ最中。カメラマンさんと挨拶をし、夫を待ちます。そして、夫登場。カメラマンさんの指示に従って、夫と並んだその瞬間・・・。 ノホッッッ!!Σ(-∀-;)Σ(-∀-;)Σ・・・夫が・・・・夫の顔が・・・・・・Σ( ;゜▽゜)・・・・・・白く塗られておりました ・・・。きまりの悪い様子の夫。一人、必死に笑いをこらえる私・・・。( ゚,_・・゚)ブブブッチャイナドレス、和服(もどき)に着替え、その都度髪型と口紅の色を変えて次々と写真撮影に挑みます。午前中いっぱいかかって、ようやく撮影終了。アルバムは出来上がり次第、日本に送ってくださるとのことでした。帰国から数週間後。アルバムが到着しました。高校や大学の卒業アルバムのような重みと大きさ。まず、表紙を見て、絶句・・・( ゚ ゚ ; )エエッ。あの~~・・・・。なんと言えばいいのでしょうか・・・。夫と私揃って、いわゆる、 宝塚状態????(゚_゚i)タラー・・・座る夫の肩に手をかけて不気味に微笑む私・・・。二人揃って、どこ見てるの???って感じの目線・・・。極めつけは、まるで、遊女のような着物姿・・・。もはや、(特に私)原型を留めぬ姿が、ドド~ンとページを飾っておりました・・・。(もちろん、原型を留めないというのは、美しく撮ってくださったという意味も含まれておりますよっ??)夫も私も、なんだか気恥ずかしく、その日のうちに押入れの奥にしまいこんだのです・・・。ですが、気がつきました・・・。実は、結婚については口では伝えてあったものの、私の親戚は夫がどんな人間なのか会った事もなかったのです。やはり、夫の紹介を兼ねて、葉書を送らねば・・・・。気恥ずかしさはあるものの、例のアルバムの写真から、チャイナドレスを着て並んで椅子に座った白黒のものと、ウエディングドレスを着ているものと、2枚の写真を選んで葉書をつくりました。そして、親戚、以前私が勤めていた会社の同僚、上司と、友人と、送らせていただいたのです。送ってからしばらく経ったある日のこと。夜電話が鳴りました。でると、「久しぶりやね~~!! 結婚さらはったん?? おめでと~~!! でも、おばちゃん、最初びっくりしたわぁ・・・。 随分 綺麗にならはったんやねェ♪ あんまり変わってはるから、 おばちゃん、最初 どこの人かわからへんかったわぁ~ヽ(o´∀`)o♪」(関西弁、おかしかったらスミマセン・・・)「・・・・・・・そ・・・・・そうですか・・・・」(; ̄∇ ̄)o!!ガーンで、元同僚が遊びに来た時のこと。「あっ!! あの葉書、ありがと~~!! キレイに撮れてたね~~! ○○さん(元上司)が、 ヾ(´・ω・`;)ォィォィ、ホントに△△かよぉ~!! って、 言ってたよ♪ヽ(o´∀`)o」「・・・・・・・あ・・・・・そう・・・・・・・」(ー∀ー;)ズガーンえェ・・・・。自分が一番分かっているのですよ・・・。化粧の、おかげ様で、ございます・・・。。。。。(((( TωT)トボトボそんなことがあってから、益々、あのアルバムを遠ざけるようになった私。一昨年、上海に行ったときのこと。夫の実家にお世話になることになっていたので、到着するなり、お母さんが用意してくださった部屋へ向かいます。いつものように、キレイなカバーで整えられたベッド。そして・・・・。 `。*:`( ゚д゚*)ガハッ!!ベッドの頭側の壁には、どでかい額縁に入れられた、例の写真が、ど~ん と飾られていたのでした・・・。
2005/07/29
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今日、リンクさせていただいている「と ら き ち」さんがご自分のブログでご紹介されている、「HAL'S BAR」というホームページにお邪魔しました。とても、あたたかくて、さわやかで、素敵なお部屋です。(私も、リンクさせていただきました。)ぜひ、皆様にもご紹介したい!!そんな訳で、ここに書かせていただきました!こちらからも、どうぞ♪ヽ(●´ω`●)ノ 「HAL'S BAR」
2005/07/28
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朝から、申し訳ありません・・・・。今朝の出来事。いつものように6時に目覚め、シャワーを浴びた夫。髪を乾かし、スーツを身に纏い、出勤の準備をしています。私は、息子の早朝ウンチの始末。「動かないで~~~~!!! うわぁぁ!! ウンチ、服についちゃったよ~~~~!!!!Σ(-∀-;)」まだ少し緩めのウンチが、服にベッタリ。アタフタとオムツを換え、服を着せ替え・・・。離れた部屋で見繕いしている夫が何か言っています。それどころではなくバタバタしている私は、何を言っているのか分からないまま、しばらく夫を放っておきました。すると、洗面所にやってきた夫。「夜、変な夢みた・・・・。 |ω-`*)」と言っています。「変な夢って、どんな??」 「・・・・・・・・・お前が、浮気する夢・・・・・。 |ェ・`。)・・」 えっ・・?? ( ̄  ̄◎)ノで、いつものように、玄関に息子を抱っこして、夫を見送りに行くと・・・。 「妻の浮気って、服でわかるらしい・・・。お前、最近露出多いから、浮気の傾向がある・・・・。 イジイジ(*´・д・)σ[柱] 」 ( ̄▼ ̄;アハッ・・・・・・・・夫がそこまで言って、分かりました・・・・・・。私の家の近くには、かわいい服をかなりの安値で販売している店があります。実は昨日、そこでTシャツ1枚、キャミソール2枚を買って、夜帰宅した夫にお披露目したのです。どうやら、夫にはそのキャミソールが、気になったらしい・・・。(*≧∇≦*) ブヒャ!!!!!「お前、露出狂かよ~~~♪☆…(-c_,-。)プッ?」なんて、余裕で言っていたくせに、実は相当気になっていたことが判明・・・。「あひゃひゃひゃヾ(*≧∀≦)ノ彡☆ばんばん!! なによ~~~!!変な夢みたなんて、挙句に私の浮気の夢だったなんて言って!あんな服で、浮気してるって思ったの~~??そんなわけないじゃ~~!!!!!! 」 一人大爆笑の私です。そんな私を尻目に、夫は息子にチュ~の嵐。そして、 「○○っ!!ちゃんとママを見張っといてくれなっっ!!!浮気したら、すぐにパパに知らせるんだぞっ!!!!!分かった?? (*`・ω・´)/」そう言い放って、会社へ向かったのでした・・・。確かに、私は普段シンプルな服を着ることが多い・・・。キャミソールなんて、息子を産んでから買ったことはなかった・・・。でもでもっっ!!普通、キャミソールくらいで、浮気を疑いますかぁ~~~???追記:この夫の発言だと、「どんだけ露出してんだ~~~??」といった感じですが、私が買ったのは、あくまで普通のタンクトップ型のものと、肩が紐になっていて、ビーズがあしらわれたどちらかというと、綺麗目のものです・・・・。
2005/07/28
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ただ今息子は、高熱に続く下痢とプツプツのため、少しだけ不細工さんになっております。(もちろん、愛しい愛しい息子なのですよ??)高熱のあるときは、それはそれは辛そうで、私が代わってあげたいくらい。身体がだるくて、眠たいのに眠れない・・。小さな身体で、それはそれは頑張っておりました。私たち夫婦は、病院の先生はもちろん、私は宮崎の実家、夫は上海の実家に電話し、子育て経験者からアドバイスをいただいていたのですが・・・。それが、思いも寄らぬことを招いてしまったのです・・・。高熱がでて、2日目。一番熱が高く、息子はぐったりしています。もう、何度寝ては起きを繰り返したでしょうか・・・。ようやく、30分抱っこしたまま部屋を行ったりきたりして、今度こそぐっすりと寝付くことができたようです。息子を布団に寝かせます。私は子泣き爺のような息子の抱っこに、痛む腕をモミモミ・・・。ソファに腰掛け、ようやく一息・・・。と、 プルルルルル・・・・・ Σ(ll゚д゚(ll゚д゚ll)゚д゚ll) ハッッッ!!!! ダッシュで電話の受話器をとります。「もしもしっ???」「あぁ・・・ 俺だけど、○○の具合どう??」「・・・・・・・・・・・・・・・ 今、やっと寝たところ・・・。 今度電話するときは、携帯にしてね・・・。o(д-`*)。」電話を切り、息子のもとへ向かうと・・・。 ふ・・・・・。 んにゃぁぁぁぁああああ。・゚・(゚`д´゚)・゚・。・・・・・_| ̄|○ガックシ・・再度、力なくぐずる息子を抱っこして、揺ら揺ら、行ったりきたり・・・。ようやく、寝付いてくれました。今度こそ、ぐっすりと眠らなければ、ますます体力がなくなってしまいます。そ~っと、そ~っと、息子を布団に寝かせます。もう少しで、最後、息子の頭にかかった私の左腕をはずそうという、その瞬間・・・・・ プルルルルル・・・・・ Σ(ll゚д゚(ll゚д゚ll)゚д゚ll) またっ??!!!! 今度は息子を抱いたまま、電話に向かいます・・・。「・・・・・・・・・もしもし??」 「ああ!! △△かっ? ○○の具合はどげんじゃっ??? 熱はちった下がったか???」「・・・・お父さん・・・。 まだ、下がってないのよ・・・。」いつものように、スピーカーに設定していないにも関わらず、受話器から漏れる父の大声・・・。電話を切り、息子を見ると、既に口がへの字に曲がっています。で、 ふ・・・・・。 んにゃぁぁぁぁああああ。・゚・(゚`д´゚)・゚・。・・・・・_| ̄|○ガックシ・・でもでもっっ!!こんなことで、お母さんは負けませんっっっ!! 今度こそ、今度こそ、息子をぐっすり眠らせてあげなければなりませんっっ!!!それが、私の使命ですっっ!!!!で、ようやく寝付いてくれました。布団にも順調に寝かせ、息子もスースー寝息を立て始めました。お母さんは一安心。お気に入りのコーヒーでも入れて・・・・・ε=ε=ε=ε=(。・ω・)_旦~~ プルルルルル・・・・・・・・ Σ(T∀T;) 「・・・・・・・・・・・・ もしもし・・・」「ウェ~ィ?? モシモシ~ △△、コンニチハ~~ ○○、サーモービンレー・・・」上海のお母さんでした・・・。受話器を置き、息子の様子をみようとしたその時・・・ んにゃぁぁぁぁああああ。・゚・(゚`д´゚)・゚・。寝付く度に起こされ、大泣きし、体力を消耗してゆく息子・・・。その度に、10キロある息子を抱っこして、30分以上行ったりきたりする私・・。もう、お母さんは、疲れ果てました・・・・。で、私がとった策は・・・。 電話線を、抜き去る・・・。llllll(-ω-;)llllll改めて、息子がどんなに大切にされているか思い知らされた事件でした・・・。息子こそ、上海のご両親の言う、「シンクー、ポーペー」(宝物)に違いないのです。電話線のことについては、もちろん、後で宮崎と上海に電話して、お詫びしました・・・。心配してくださったことへの、感謝の気持ちとともに・・・
2005/07/26
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またまた、映画のお話です・・・。昨日、息子が寝てから夫が帰るまで、一人で観ておりました。「追憶の上海」1930年代、上海を舞台に、アメリカ人医師が出会った共産党幹部、新と、彼を献身的に支える秋秋の悲恋を描いた作品です。感動しました・・・。レスリー・チャンが好きで、何本か出演作品を観ましたが、この作品の彼が一番魅力的です。無精ひげで少しやつれた影のある男性の役が、こんなに合うとはおもいませんでした・・・。そして、ほんの数十秒ではありますが、演説シーンのすごい迫力。亡くなってなお、多くの人から指示されるカリスマ性を垣間見たきがしました。香港では、歌手、俳優としてだけでなく、いつまでもアイドルというイメージが強く、本人も少し嫌気がさしていたようなインタビューも残されています。ですが、間違いなく、この方は歳を経るごとに、素晴らしい俳優さんになっていました。高層ビルから身を投げたと当時勤めていた会社のお客様から電話で聞いたときは、本当にショックで、仕事が手につかなくなったのを思い出します。レスリー・チャンの魅力。未だに、どこがどういいのか、どこにこんなに惹かれるのか、私自身はっきりとわからずにいます。私の好きな、レスリー・チャンの映画を、他にもご紹介します。興味がおありでしたら、彼の魅力を肌で感じてみてください。「夜半歌聲 逢いたくて、逢えなくて」「風月(花の影)」「ブエノスアイレス 摂氏零度」「上海グランド」「さらば、わが愛 覇王別姫」
2005/07/26
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昨日、息子の熱も下がり、機嫌もよくなったようで、ぐっすり眠ってくれました。そのおかげで、久々に夫とDVD鑑賞することができました。観たのは、レンタル開始で話題の「カンフーハッスル」ご存知、「少林サッカー」のチャウ・シンチー監督脚本の映画です。相変わらず、笑わせてもらいました。奇妙な登場人物。広大な三次元を隈なく利用したアクション(?)。登場人物の設定が最初から読みにくく、どんでん返しの連続です。もう少し、映画の時間を長くして伏線を楽しみたい気もしましたが、十分にいい時間を過ごせました。ビールを一杯飲んで、ほろ酔いかげんで観るのをお勧めします。家族皆で、「ありえね~~!!!」と突っ込みながら観てみましょう。(≧w≦)ウシシシシ************************************さてさて、「カンフーハッスル」のお話はここまで。私のプロフィールにある、お勧め映画をご紹介したいと思います。今回は、タイトルにあるフィリップ・ノワレ出演映画です。「イル・ポスティーノ」この映画を始めて観たのは高校時代。BS2の深夜枠で放送されているのをたまたま観ることができました。イタリア、ナポリ沖にある小さな島を舞台に、チリから亡命してきた国民的詩人と、島から出たことのない貧しい若者の交流を描いた作品です。それはそれは美しい島の風景。そして、いつまでも耳に残るテーマ曲。美しい言葉の数々。この作品を観た翌日、私は妙に落ち着きがなく、授業も頭に入りません。心の中が、常にザワザワ・・・チクチク・・・。テーマ曲が、ずっと頭のなかで流れていす。大学生となり、詳しい内容は忘れてしまいましたが、ずっと心の中に引っかかっていた作品。社会人となって初めて購入したのが、この作品のDVDです。それから何度観たでしょうか・・・。一番、私の好きな台詞をご紹介します。詩人パブロ・ネルーダがチリの友人たちに送るボイスレターを録音している最中。パブロは島の友人マリオに、この島で一番美しいものを紹介するよう言いました。「ベアトリーチェ・ルッソ」マリオは、島の一番美しいものとして、自分の愛するひとの名を挙げたのでした。この作品で、マリオを演じた俳優さんは、作品の完成直後に心臓病で亡くなったそうです。その病状を思いやり、励まし続けたというフィリップ・ノワレ。現実と、非現実が入り混じり、何度観てもあたたかな余韻を残してくれる作品です。「ニュー・シネマ・パラダイス」この作品を初めて観たのは小学生の頃。当時は、全く面白くもなんともない映画だという印象しか残りませんでした。ですが、それから何年かたち、少しだけ成長した私が大学時代にもう一度観た時に受けた衝撃。シチリアの美しい景色。スクリーンに映し出される名作の数々。幼いトトの愛らしさ。若さあふれるエレナの美しさ。フィリップ・ノワレ演じるアルフレードの愛情の深さ。そして、エンニオ・モリコーネのテーマ曲とともに胸をギュ~~っと締め付ける、あのエンディングシーン・・・。きっと、沢山の方がこの映画を観て感動を覚えたことと思います。国も年代も違いますが、どこか懐かしさを感じずにはいられない。大切な大切な、私の宝物の映画です。
2005/07/25
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今朝、6時。「ウケェェェェェエエ!!」息子がいつもの明るい声とともに起きました。熱が下がり、元気元気!!!が・・・。顔にいっぱいポツポツが・・・。どうやらやはり、突発性発疹だったようです。熱が40度に迫ったときは、身体がガクガク・・・。ビクビクッッと痙攣し、ひきつけてしまうのでは???と、相当心配しておりましたが、乗り切ることができました。的確なお医者様のアドバイスと、夫のサポート。そして、皆様のあたたかいお言葉。本当に、心から感謝しております。ありがとうございました!!!!!
2005/07/25
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今日、午前中かかりつけの小児科に行ってきました。昨日のお医者様は、それはそれは優しく、自分の祖父のようにあたたかな方だったのですが、やはりかかりつけのお医者様の方が安心できる気がして・・・・。今日の診断結果は、喉の腫れがそんなにひどくないので、もしかしたら突発性発疹(?)かもしれないとのこと。明日の朝まで熱を測って、昨日と同じリズムで上がったり下がったりしていたら、その可能性が高いので、また明日病院に来るよう言われました。そうでなければ、風邪か、中耳炎の可能性もあるとのことです。かかりつけのお医者様は、おそらく三十代後半から四十代。小児科だけ扱っている病院の院長先生です。毎回、症状から考えうる色々な病気の可能性、家での対処の仕方、お薬の効果、副作用、今後通院する目安など、細かく説明してくださいます。息子が生まれてから、色々な病院にお世話になってきました。色々といっても4件ですが、昨日お世話になった病院ともう1件は内科、皮膚科、小児科と、複数扱う個人病院。もう一件は、夜間救急の総合病院。そして、かかりつけの小児科だけの個人病院です。個人病院で複数の科を診てくださるところには、やはり大人の患者さんが多い。待合室には、子ども、ましてや赤ちゃんなんて、息子以外に見当たりません。診察も、「う~ん、多分こんな感じかな??」と、赤ちゃんだとなかなか詳しい症状を本人から聞くこともできませんから、「とりあえず」的な印象を受けます。もちろん、そうでないお医者様もいらっしゃると思いますが、私が感じたのは、やはり、毎日子どもや赤ちゃんを診察している方とは、違う気がするのです。何かで、産婦人科と小児科を希望する医師が少ないときいたことがあります。理由はお医者様にしか分からないことが色々あるのでしょう。ですが、新生児まで詳しい小児科の先生が町のお医者様でいらしてくれたら、親としてこんなに心強いことはないなと改めて感じました。信頼できるお医者様に出会えて、私はラッキーです。病院に関しては、ここまで。今日の息子は昨日までとうって変わって、ぐったりです。食欲もなく、今日食べたものといえば、バナナ1本、トマト3さじ、フォローアップミルク150ミリリットル、イオン飲料300ミリリットル・・・。うんちは正常ですが、熱が38度以上あります。身体がだるいのか、ハイハイもせず、抱っこ抱っこ。寝たかと思えば、30分もたたないうちに泣いて起き、また抱っこ。いつもの、口半開きでちょっとお間抜けだけど、かわいいかわいい笑顔がありません・・・。私は、一体今日、何時間息子を抱っこして、部屋のなかをいったりきたりしたでしょうか・・・。結構、腰と肩にきています・・・・。でもでも、一番しんどいのは、息子・・・。一緒にお熱が下がるまで、乗り切ろうね!
2005/07/22
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今朝から身体が熱かった息子。午前中は熱も37・5度で、気候も暑いから仕方ないか・・・程度だったのですが、午後になって、顔が真っ赤になるくらい、脚も手も熱くなってしまいました。で、熱を再度はかってみると、38・8度。マズイ・・・。生まれて初めての、高熱です・・・。llllll(-ω-;)llllllガーン…行き着けの小児科の診察券を見ると、木曜午後休診の文字。ですが、幸いなことに、私の家の周囲一キロ以内には6件小児科を備えた病院があります。まず、一件電話してみました。「すいません。木曜午後は休診です」で、二件目。「すいません。小児科の先生、帰っちゃいました~・・」で、三件、四件、五件・・・・。全滅!! ガガガ━Σ(ll゚д゚(ll゚д゚ll)゚д゚ll)━ン!!!東京都の病院案内に電話し、近くの病院を探してもらったのですが、やはり全滅。結局、タクシーで30分かけて、初めての病院に行ってきました。診てくれたのは白髪のお医者様。シャキシャキした、感じのいいお医者様でした。診察結果は、扁桃腺が腫れているために高熱がでているとのこと。お薬をいただき、帰ってきました。それにしても、みんなして、木曜午後を休診にしなくてもいいじゃありませんかぁ!!!!!((“o(>ω
2005/07/21
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私の息子には、上海のアヤと、宮崎のじじと、もう一人、じじがいます。それは、宮崎の実家でじじ、ばばと一緒に暮らしている、私の伯父です。これまで日記にも度々登場しましたが、伯父は幼い頃小児麻痺になり、身体障害者となりました。喋りはたどたどしく、左半身に少し麻痺があり、普段左腕が曲がったまま、左足を引きずるようにして歩きます。私が幼い頃は、その伯父は宮崎市内にある施設で生活していました。毎年お盆休みになると、施設に伯父を皆で迎えに行きます。私たち姉妹は、朝からワクワクです。宮崎に行くついでに、海水浴に連れていってもらえるからです。施設に入り、伯父を待ちます。その時間が、幼い私はあまり好きではありませんでした。海水浴への逸る気持ちからではありません。私の伯父が、伯父でないようで、好きではないのです。幼い私からすれば、伯父さんは伯父さん。大人の人です。けれど、施設の人から見送られる伯父は、大人の人ではなく、私よりちょっと大きなお兄さんのようなのです。いつの頃からか、伯父は施設を出て、私たちと一緒に生活するようになっていました。牛の世話や、農作業を一生懸命手伝ってくれていました。伯父はおしゃべりが大好きで、母が家にいないと、すぐどこかへ行ってしまいます。だいたい、伯父がいなくなると、思い当たるのが近所の家か、5キロは離れた親戚の家。夜遅くなっても帰ってきませんから、母があちこちに電話をかけ、伯父がいる家まで迎えにいきます。母は、その度にブツブツ、ブツブツ・・・。母と一緒に帰ってくる伯父は、決まって顔が真っ赤になるくらい酔っ払っていました。そんな伯父との生活が続き、幼かった私も、少しずつ成長していきました。私が小学校高学年になったある日のこと。その日は遠足で、目的地に行く途中、実家の近くを通ることになっていました。皆でリュックを背負い、並んで歩きます。自宅近くの道に差し掛かったとき、向こうから誰か歩いてきました。左足を引きずっています。私の伯父でした。列の先頭と、伯父がすれ違います。明らかに、同級生が伯父に注目しているのが分かります。それも、見て見ぬふりをするかのように、伯父の背中を振り返って見ているのが分かります。伯父が私に気付きました。ニコニコ笑いかけてくれます。私は、声をかけることをせず、ニコリともせず、目さえ合わせず、伯父とすれ違いました。その夜は、一睡もできなかったことを覚えています。それから、中学、高校と進学し、大学は広島にあったため、伯父と生活を共にすることがなくなりました。一人暮らしをする私に、実家の両親は米や野菜をしょっちゅう送ってくれます。荷物の中には、どこにでも売られているお菓子なんかも、どっさり入れられているのです。ある日、いつものように荷物が届き、父にお礼の電話をした時のことです。父が言いました。「こん前送ったばっかいやったどん・・・。 ○○おじさんが、はよ送れ、はよ送れち言うもんじゃっで!! ま~こち!! ○○おじさんな、お父さんにもお母さんにも、誰にでんケチやっどん、 お前どんげな、何でんやっち、そどゆ~がね!! こん荷物も、菓子やら米やら、 こげん少ねっでよかとかち、やかましゆっおったど。」(訳:この前(荷物を)送ったばかりなんだけれど・・・。 ○○伯父さんが早く送れ、早く送れと言うもんだから。 本当に。 ○○伯父さんは、お父さんにもお母さんにも、誰にでもケチなんだけど、 お前たちには何でもやると言って、聞かない。 この荷物も、お菓子や米や、こんなに少なくていいのかと、 うるさいくらい言っていた。)「あ・・・。 そうなんだ・・・・。」電話を切ってから、涙がポロポロでてきました。頭には、遠足の日の光景が浮かんできます。後悔と、申し訳なさと、恥ずかしさと。それまでの短い人生ではありますが、生まれて初めて、自分自身をメチャクチャにひっぱたいてやりたいと思いました。幼かった頃は、伯父は大好きな家族の一員でした。それが、少しだけ成長した私にとって、伯父は人に隠したい、恥ずかしい、家族になっていました。どんな言葉をつくしても、これまで私が伯父に対してやってきたことの償いができるものではありません。今でも、遠足の日を思い出すと、涙がでてきてしまいます。それでも、伯父は、私を可愛がり、愛してくれていましたし、今でもそれは変わっていません。そして、本当に価値のあることを、言葉でなく、生き方で沢山教えてくれましたし、今でもそれは同じです。私の伯父は、大切な大切な私の伯父で、先生で、もう一人の父で、私の大事な大事な息子の、もう一人のじじなのです。
2005/07/20
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おしゃぶり。これを使用することに関しては、出産後ずいぶん悩みました。おしゃぶり肯定派の意見としては、指しゃぶりを防ぐ、あごの強化になる。おしゃぶり否定派の意見としては、歯並びが悪くなる、いつまでもおしゃぶりに頼るようになる。などなど。相談する子育て経験者の意見も様々で、最後に育児書を開いてみても、使用したほうがいいのか悪いのか、結局、曖昧な記載のまま・・・。子育てに決まったやり方はないのですから、当然といえば当然。ですが、私はおしゃぶりにこだわりました。というのも、実は私は、小学校3年生まで指しゃぶりが直らない人だったからです・・・。f(´-`;)ポリポリ親が自分でやめるまで、のんびり見守ってくれていたおかげ(?)でしょうか・・・。そのことで、特別嫌な思い出などはありません。むしろ、自分でやめると決めて、それを実行することができたわけで、小さな自信を身に付けることができたような気もしています。ただ、長年指しゃぶりをしていたせいで、未だに私の親指はペッチャンコ・・・。q(T-Tq)男は手で人生を語る!!!男の手には色気がなくては!!!そう確信している私は、息子の指がペッチャンコなんて嫌っ!!防げるものなら、防ぎたい!!そう、思っていたのです・・・。(今でもそう思っていますが)で、我が息子のおしゃぶりはどうしたのか・・・。生後一ヶ月頃から、あやしても、抱っこしても、泣き止まないことが多くなりました。ミルクをあげたばかりなのに、ぐずってばかり。仕方なく、ミルクをつくってあげるのですが、もちろん飲むわけもなく、ただ、チューチュー乳首を吸っています。どうやら、おしゃぶりしたいだけらしい・・・。(*-ω-)。初めは、空っぽの哺乳瓶を与えるわけにもいかず、息子がぐずる度にミルクをつくっていました。そうすれば、当然、残ったミルクを捨てなければなりません・・・。夫が一生懸命つくってくれたお金が、肉にも、おしっこにも、うんちにもなることなく、消えてゆきます・・・。(´;ω;`)もう、おしゃぶりに頼るしかありません・・・。で、おしゃぶり購入。はじめ、上海のお母さんが上下逆さま`( ゚д゚*)!!に口へ突っ込み、息子拒否・・・。勢いよく、ぺっ!!!と吐き出されてしまいました・・・。再度、きちんと口に入れると、クチュクチュ上手に吸い始め、ピタリと泣き止みました。おしゃぶりの威力に、ただただ驚愕するお母さんと私。ですが、私はその時から、今度はいつ、おしゃぶりを止めたらいいのか考えるようになりました。案外、何事に関しても、止め時というのは難しいものです・・・。我が家のおしゃぶり卒業記念日。それは、息子の歯を確認したその日です。(8ヶ月に突入して間もなく、下の歯茎にちっちゃな白い歯がでてきました。)では、歯並びを一番きにしているのか?と言われると、実はそうではありません。歯が生える少し前から、息子がよく声をだすようになり、様々な感情を訴えるようになっていたのが、最大の理由です。おしゃぶりというのは、本当に便利です。寝つきが悪いとき、外出中にぐずった時、イライラしている時、おとなしくしていて欲しい時・・・。親の都合で、子どもの口をふさぐ事ができます。そう・・・。おしゃぶりって、気がつくと、親の都合で利用してしまっていることが多いんです・・・。口をふさぐものがなければ、息子は一生懸命お話をしてくれます。たとえそれが、グギギ~~とか、ンマぁぁぁぁ~~とか、意味不明な言葉であっても、大切にしなきゃなぁ・・・と思ったのです。今では、おしゃぶり無しでも、ぐずることがありません。きっと、生後一ヶ月の頃は、お母さんのおっぱいの温もりを求めて泣いてたのかもしれません。それをしてあげられなかった今、息子が一生懸命語りかけてくれる声に耳を傾け、いっぱい抱っこしてお母さんの温もりを伝えてあげたいと思っています。☆おしゃぶりを使用されている皆様、これはあくまで私の意見です。それぞれに、マイペースで子育てしてまいりましょう♪
2005/07/19
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私の実家には、牛と鶏がいます。牛も鶏も、人と同じようなクシャミや、咳をするって、ご存知でしたか?オナラもするし、食べ物の好みもあって選びながら食べるし、あくびだってするんですよ!!だから、どうした???そう思われるかもしれません・・・。ですが、きっとこれは、実際に身近にいる人間しか、普通のこととして捉えることができないことだと思うのです。きっと、猫の色々な仕草について、飼っている人なら気にもとめないことでも、飼っていない人にとっては驚くことがあるでしょう。犬の仕草でも、インコの仕草でも、ハムスターの仕草でも、同じです。動物と並べて言うのもなんだか気が引けるのですが、もちろん、息子の仕草でも、同じです・・・・。目もしっかり開いていないのに、おっぱいを吸うように、口をムニャムニャ、モニョモニョモニョ・・・・・。目覚めたと思ったら、腕をグ~ンと、伸び伸び背伸び。くはぁぁぁぁぁ・・・・と、あごが外れそうな大きなあくび。へぶしっっ!!!と、唾や鼻水噴射のイッチョ前なクシャミ。お腹の中にいた頃から、頭の中ではもちろん一人の人間が誕生するのだと分かっていました。ですが、実際目の前でモゾモゾ動いている息子を見て、「はぁぁぁぁぁ・・・・私って、人間産んじゃったんだ~~~・・・・」心の底から、実感しました。少しずつ目が見えるようになり、瞳をキョロキョロ、腕や脚をバタバタバタ・・・ある日、眠っている息子を眺めていました。もうすぐ、目が覚めそうです。万歳した腕、指がピクピク動き始めました。おっ!!手を顔に近づけました。その次の瞬間・・・・・!!!!!!!!!!!!めっ、めっ・・・・・・目をお手手でコスコスしてるよ~~~~~~~!!!!!`。*:`( ゚д゚*)ガハッ!!ある日、お風呂あがりの息子にイオン飲料を飲ませていました。おっ!もうすぐ、飲み終わりそうです。すると・・・・・息子 「ゴキュッゴキュッゴキュッッ・・・(/◎\) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・んふぅぅぅぅぅぅぅ・・・・・(*´д`)o」で、!!!!!!!!!!!!!!たっ・・・たっ・・・たっ・・・・ため息なんかついてるよ~~~!!!!!!(@Σ@;) 牛や鶏がクシャミしてるから、息子がクシャミしても当然。牛や鶏があくびしてるから、息子があくびしても当然。でもでもっっ、牛や鶏は、お目目をこすったり、ため息ついたりはしなかった~~~!!!!!!(◎-◎;)!!生き物を観察する基準が、牛や鶏だというお馬鹿で失礼な私だということは、百も承知しております・・・・。| 柱 |ヽ(-.-;) 反省・・・・・ですが、それはそれは小さな小さな当たり前のことが、大きな大きな発見で、大きな大きな大きな感動なのです!!!!!そうして、「ねェねェ、 ○○って、ため息つくんだよ~~~!!!ヾ(o´▽`)ノ」「ねェねェ、 ○○って、お目目を上手にこすれるんだよ~~~!!!ヾ(o´▽`)ノ」「ねェねェ、 ○○って、小さなゴミも、ちゃんと掴めるんだよ~~~!!ヾ(o´▽`)ノ」「すごいねっ!!! ○○、おっきくなってるんだねっ!! さすが、俺の息子だねっっ♪♪ヾ(●´▽`●)ノ彡☆」こんな親ばかな会話が、日々繰り返されているのでした・・・。
2005/07/19
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男は皆、若いおねえちゃんが好き!!いやいや~~!!そんなことないよ~~~~!!!!きっと、そう言っておられる方も、大勢いらっしゃることと思います。ですが、我が家の男衆、つまり夫と息子を見ていると、どうしても、そうとしか考えられないのです・・・。(ι´・ω・`;)ここ二日ほど、日記の更新をお休みして、妻と母の役目にバタバタしておりました。夫が休みだと、朝から何かと忙しいものです・・・。(夫が休みで、もちろん嬉しいんですよっっ?!!!)昨日、夫の服を買いに、某デパートまで出かけたときのこと。夫お気に入りのブランドに立ち寄りました。するとそこには、背の高い、なかなかカッコいいお兄さん。髪の長い、若くてかわいらしいお姉さん。お兄さんの方が、あれこれと商品を紹介してくれ、私と夫はフムフムと聞いていました。息子は夫に抱かれています。私 「すいません。 このネクタイって、グレーのスーツだと、どんな感じになりますか?」店員「少々お待ちください。 ただ今、グレーのスーツお持ちします。」お兄さんを待つ私。夫は別のネクタイをみています。店員「お待たせいたしました!」私 「う~~ん・・・・。 やっぱり、私が選んだネクタイの方が、夏らしくて、キレイだよ!!」夫に同意を求めるものの、返事がありません。横を向くと、さっきまでそこにいたはずの夫と息子の姿がありません。あれ?O(・∀・*=*・∀・)oあれ?店内をぐるりと見回し、発見しました。夫と、夫に抱かれた息子と、かわいいかわいい店員さんが、楽しそうに談笑する姿。・・・・・・・・・・・・・・。ガクッ_| ̄|○lll い・・・・・。いつの間に・・・・・・・・・。我が家の男衆、本日一の笑顔で、おねえさんとお話しています。私 「ねェ!!!!! 聞いてる?????? ネクタイ買うんじゃないのっっ??!!!!((怒´∀`))/」夫 「あ・・・・。 あぁ・・・・。」私の不気味な笑顔に恐れをなしたのか、夫が息子を連れて戻ってきます。今度は、夫が気にいった商品を試着するため、息子は私が抱っこ。いつもながら重たい・・・・。そんなことを考えながら店内をぶらぶらしていると、息子がしきりに顔を動かします。どうやら私の頭が邪魔なようで、肩越しになにかを見たいらしい・・・。私 「う~~~ん??? 何が見えるの~~~? 何か、いいものあったかなぁ~~~?!」( ´_ゝ`)そう振り返ってみたその先には・・・・・。・・・・・・・・・・・。ガクッ_| ̄|○lll やっぱりいました・・・。かわいいかわいいおねえさん・・・・・。「かわいい~~~!! お名前なんていうんですかぁ~~~??」「そうかぁ~。 ○○君かぁ~~~。」お姉さんに話しかけられ、絶好調!!の息子・・・・。ンバババババァァァァァァああ♪グギ~~~~~~~♪グキャグキャキャキャ~~~~~~~♪ンモモモモモモ~~~~~~~~~♪♪ヾ(o´▽`)ノ♪ヾ(o´▽`)ノ┌┛☆バシバシバシ!!奇声とともに、あろうことか、母である私の顔やら肩やらを、バシバシと叩きます・・・。そういえば、宮崎に帰る飛行機の中でもそうでした・・・。寅吉じいちゃんの病状を想って、憂鬱な私。それに引き換え、やけにご機嫌な息子。視線の先をみると、そこには後ろの座席の人にサービスする、スチュワーデスさんの姿・・・・・。席の近くを行き交う、きれいなきれいなお姉さん達。その度に、ニコニコ満面の笑みで気を引こうとするものの、素通りされる息子・・・・。お母さんは、なんだかそのけなげな姿に、切なくなったものです・・・。さてさて、夫のお気に入りのサマーせーターも決定した様子。支払いを済ませ、店を後にします。我が家の男衆は、思いっきり、後ろ髪を引かれながら・・・・・
2005/07/18
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相変わらず、例の可笑しなラブラブメールが続々と寄せられています。c(´ー`*)今頃真夏の太陽が照りつける、南国宮崎からの、ラブメールです。前回、ご紹介していない分も、さかのぼってご紹介します。3月○日まだわかりにくイ゜○○かわらずげんきでおおきくなったじじわわかくなったばぁい(-ω-)…じじ、「わかりにくイ」って、メールのこと??その通りだね・・・。相変わらず、読みにくいね・・・。じじ、若くなったって、よかったよ。なんか、外見的には、全く変わってないように見えるんだけどね・・・。私には・・・。4月○日かわりなし(ι´・ω・`;)あ・・・・。そう・・・・。5月○日○○元気みたいで安心だ、昨日はいそがしかったうしさんのしよくりょういいのがとれたよかったばあい(*´・∀・)うんうん。○○相変わらず元気だよ。昨日は、牛のいい食料がとれたんだね。よかった、よかった!5月○日○さんげんきすまあとになったじじヨリスマあとかなあじじだよ((ヾ(-ω-*) 近ウヨリナサイ…じじ・・・・・・・。大きい声じゃ言えないけどね・・・・。じじ、妊娠8ヶ月みたいなお腹なの・・・・。知ってた???○○も、まん丸だけどさ。・・・・。きっと、間違いなく、じじより、「スマあと」だよ・・・。6月○日○かわいくなったいいおとこになるじじもまけずにがんばるぞー(@゜m゜@)プッじじ、○○を誉めてくれて、ありがとう♪いい男になるよねっ!!!もちろん・・・・じじも・・・。まだ、きっと、遅くはないはず・・・・。6月○日こちら雨ふってないなんかしらんが雨ふらん○○あいかわらず元気みたイ゜あしたお寺にいくみなぬかだじじ(σ ´д`)σ雨、降らないんだね。そうだね。じじに、何で雨降らないのか、分かるわけないよね。私にも、わからないよ・・・。そうかぁ。もう、寅吉じいちゃんが亡くなって、21日経ったんだね。お寺さん、私の分も線香あげといてね!それにしても、「みなぬか」なんて、東京の人がよんだら、異国語だよ・・・。「皆糠」で、みんな漬物になるみたいじゃない?ねっ!!我ながら傑作??????ところでじじ、なんで、「イ」だけ毎度毎度カタカナなんだろうね・・・。私には、平がな打つより、そっちのほうが高度に思えるんだけど・・・。6月○日なにもようじわないけどーなんとなくメールかけやいといわれた○○かわりないかじじーばばー△△おじみんなげんきだぜーヾ(-ω-*)ocじじ・・・・。今日のメールはやる気のなさが前面に押し出された貴重なメールだね・・・。「なんにも用事はないけど~」「なんとなく~」「元気だぜ~」って、なんか、ホントやる気ない感じだよね・・・。なんか、文章が高校生みたい・・・。あっ!!でも、今時、「元気だぜ~」は、ないよね・・・・。7月○日おぅい元気かこちらわ雨ふらんしかし田んぼの゜水わある○○あいかわらずー元気そうだじじもばばも△△おじも牛のふんがおおIのでみっか゛がかりでもちだしたーだれたーじじばぁいご苦労サマ...φ(´ー`*)じじ、相変わらず雨降らないんだね。でも、田んぼの水があってよかったよ。牛の糞、牛小屋の掃除したんだね。もう、60になってからの牛小屋掃除はこたえるよね。お疲れ様!それにしても、今日は意味不明な濁点と丸が多いね・・・。疲れたせいかな・・・・。まぁ、いつものことだけど、今日は疲れたせいにしとこうか・・・・。7月○日たおめでとうー=おじいさんもかんげきばば何もいわない゜今日午後三時子牛が生まれたじじににたー脚のナガイ雌のかわい行こうしガクッ_| ̄|○lll じじ・・・・。最初の「た」って、何??「立った」って書きたかったの??きっと、そうなんでしょ?○○、つかまり立ちしたから、感激してくれたんだよね?で、ドコモの携帯からボーダホンに絵文字は使えないって、言わなかったっけ??また「=」って、意味不明な線がでてるよ・・・。いつもは「じじ」のくせに、「おじいさん」なんて・・・。柄じゃないよね・・・。でもでも、子牛生まれたって、よかったね~!!子牛って、脚が本当に長くてかわいいよね!!それがじじに似てるかはおいといて・・・・。それにしても、最後の文、「かわい行こうし」って、すっごく分かりにくいよ・・・。7月○日○さん元気カジジヮ元気だぞキヨウヮ小林くもりだ庭にひまわりがさいている、牛さんも元気だぞーババや△△おじやみんなかわりないでわまためーるするばいウシシシ!!!"(*≧m≦)/じじっっ!!「庭にひまわりがさいている」なんてっ!どうしたのっっ???なんだか今日は、やけにノスタルジックなメールじゃない?曇りのせいで、なんだか切ない気持ちにでもなったの???いつもは漢字で打てる「今日」が「キヨウ」になってて、いつもはカタカナでうてる「メール」が「めーる」になってるし・・・。いつにも増して、意味不明に混乱してるのは、そのせいなの????私には、じじのメールが上達しているのか、いないのか・・・・。まったくもって、わかりません・・・。じじ、自分では、どう思う???
2005/07/15
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小さい頃から、食事に関しては色々と親に躾られてきました。箸はきちんと持つ。肘をついて食べない。口を開いてクチャクチャ音をたてない。茶碗はきちんと持って食べる。(自分の身体を茶碗に持っていかず、背筋をのばして持って引き寄せて食べる)魚の骨は、できるだけ箸でとる。箸でつかんだものを、また箸で受け取らない。食事の時は、テーブルを汚さないよう食べる。などなど。親に叱られていた幼い頃は、めんどくさいなどと思っていました。ですが、不思議なもので、大人になると、そうしなければ気がすまなくなっています。中国人である夫は既に日本に来て長いため、比較的日本の習慣が身についています。なので、あまり気にすることはなかったのですが、上海のご両親が来日したり、私が上海に行ったり、中国人と食卓を囲む機会が増えるにつれ、驚きの光景を目にすることが多くありました。中国人と囲む食卓。それは、ある意味、私にとって、最大のカルチャーショックです。中国人の食卓における箸の使い方。まず、握り方は人によって様々です。中国の箸は、日本のもののように先が細く加工されたものが少ないようです。太さの変わらない割り箸といった感じ。日本の箸になれている私としては非常に使いにくいのですが、色んな持ち方で、そこそこ器用に食べています。それから、箸どうしで食べ物をやり取りするのを全く気にしません。日本では、お骨を収める際にやることですから、食卓では絶対ダメですが、中国にはそんな習慣がないようです。中国人の食卓における姿勢。肘をつき、茶碗に自分の口を持っていって食べる光景を多くみました。どうしてなのかと観察してみた結果、いくつか理由をみつけました。まず、例の使いにくい箸!何かつかもうとすると、ツルリと逃げてしまいます。口を持っていった方が、箸でつかんで移動する距離が短くて済む!!それから、中国人はスープが大好き!!熱々のスープをたっぷり茶碗に注ぎますから、下手をするとやけどしちゃいます。。ご飯にスープをかける、いわゆる猫飯も大好きです。で、なんでもかんでも、てんこ盛り!!!日本人は、皿に盛り付ける際に余裕をもたせ、料理とのコントラストというのでしょうか、皿と料理の余白を目で楽しむところがあります。ですが、中国人は、とにかくてんこ盛りです。上海のご両親も、もっと大きな皿があると分かっていながらギリギリサイズの小さな皿を選び、溢れんばかりにこれでもかっ!!と盛り付けています。そんなてんこ盛りの皿を持ち上げるなんて、恐ろしいことできません。中国人の食卓における食べ方。とにかく、口が器用!!骨のある魚が食卓にのぼったとします。日本人であれば、ある程度骨を箸で取ったり、取りながら食べ進めます。ところが、中国人は、まず、「パクッ!!」魚を口に放り込みます。で、「モゴモゴモゴ・・・・ペッッッペッッッ」骨だけ器用に口から吐き出します。殻のついたエビでも一緒です。中国のポピュラーなおやつに、「瓜子」(ヴーズ)なるものがあります。いわゆる、西瓜や、ひまわりの種を殻付きのまま味付けしてあるものです。ひまわりなら、一粒ずつ掴んで歯で殻を割り、その隙間から舌で中の身を取り出します。西瓜なら、何粒か口の中に放り込み、歯で殻を割って舌で身を取り出し、殻だけペッと吐き出します。それを、ほんの何秒かでやってのけるのです。この光景を見たときは、そのあまりの器用さに、自分の目を疑いました。中国人は、ものすごい舌業の使い手だったのです・・・・。。(今では私も瓜子の食べ方マスターしましたが、最初の頃は、一粒一粒歯で噛み、両手で殻をやっとこさ剥き、ようやく一粒・・・・といった感じでした)で、クチャクチャ音をたてて食べる人が多い!!!もう、私としては、衝撃としかいいようがありません・・・。これに関しては、どうしてなのか考えたのですが、中国人は、クチャクチャ音をたてても、気にしないも~ん!!という結果にしかたどりつけませんでした・・・。で、そのようにして囲まれた食卓。人が去った後に残されるのは、魚の骨や、食べこぼしやで、汚れたまんまのテーブルです・・・・・。日本人が細かすぎるのか・・・・。中国人がおおざっぱすぎるのか・・・・。食事の作法というのは、一緒に食卓を囲む人が気持ちよく食べられるようにあるもの。そして、食事をつくり、もてなしてくれた人を敬い感謝するためにあるもの。私はそう考えています。ですから、日本人が不快に思うのであれば、中国式の作法は失礼になってしまう・・・・。私は、食事に関しては、息子に完全日本式で躾ようと心に決めたのでした。(きっと、この文章を読まれた中国の方は、あまりいい気分がしないと思いますが、許してください・・・・。)そんな矢先の昨晩のこと。気付くと、夫がクチャクチャ音を立て、口をひらいたまま食べています。「ねェ・・・ あなた、いつから口を開けて食べるようになったの?(`‐ω‐´)」ついつい、イヤミっぽく言ってしまいました・・・・。「だって、お前。。。 なんか今日のカレー、 辛すぎない??? 口の中が、火事なんだけど・・・~~_(´0`;))),,」「・・・・・えっ?ΣΣΣ(=゚ω゚=;)ドキッ!!! そう? 」だって、辛いカレーが好きだって言ったじゃん?でも、家にカレースパイスなんて、洒落たもの、ないじゃない?試しにチョコッとだけ、玉ねぎと豆板醤を一緒に炒めてみたの・・・・。えへっ!そんなに、辛かった?????(〃∇〃)ゞ
2005/07/14
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息子を出産する前後、上海のご両親との生活について書いてきましたが、お父さんの存在感があまりにも薄いことに気付きました・・・・。あれでは、日本語を全く覚える気のない、ぼーっとしたお父さんにしか思われないのでは・・・・(゚д゚;)(ひどい嫁・・・)ということで、今日は上海の夫の父について書きます・・・。息子が生まれる一ヶ月前にやってきたお父さんとお母さん。いつでもニコニコ、周りに気を配る社交的なお母さんに比べ、いつでも平然とマイペースなお父さん。外見は、香取真吾風な夫が歳をとったらこうなるだろう・・・・というくらい、夫にそっくり。大きな目に、真っ黒でふさふさのストレートな髪。香取真吾とはちょっと違いますが、中国版ハリソンフォードというくらいに、かっこいいお父さんです。とても、60歳を迎える人には見えません。外見的には、穏やかな中年男性といった雰囲気ですが、お母さんと会話を始めると、私には喧嘩ごしにしか思えない「これぞ中国人!!!」といった風に、強い口調で話し始めます。目をカッと見開いて、それはそれは、迫力があります・・・・。のんきな南九州で、これまたのんきな親に育てられた私には、お父さんが普通に話していても刺激が強すぎます・・・。( ̄ロ ̄;)そんなお父さんですが、昼間から台所に立っている姿をよく見ました。トントントン!!!!ジャッッジャッッジャッッ!!!!ガシャガシャッッ!!「××××××ッッ!!!!ヽ(∴`┗Д┛´)ノ彡」お母さんに激しく何かを言っています。何ッ??お父さん怒ってる????|"-;) チラッ壁心臓バクバクの私です・・・。どうやら、油の保管場所が分からなかったようです・・・・。|゜▽゜)ホッ))そうこうして、あっちこっち野菜を散らかしながら出来上がるのは、頬っぺたが落ちるくらいに美味しい、餃子やジャージャー麺。あとからお母さんに聞かされました。男性も家事をするのがあたりまえの上海において、お父さんは普段、全く手伝わない人だということを。それから、私が昼寝から起きてくると、お父さんの姿が見えないことがよくありました。 私「ババネ~?」(お父さんは?) 母「チーマーツェー」(買い物に行ったよ)えっ!!!買い物くらい、私も行けるのに!!!( ̄ロ ̄;)そうこうしていると、お父さんが両手いっぱいに荷物を抱えて帰ってきました。ガサガサッッ!!ゴソゴソッッ!!!「××××××ッッ!!!!ヽ(∴`┗Д┛´)ノ彡」荷物を開けながら、お母さんに何か激しく言っています。。。何ッ??お父さん怒ってる????|"-;) チラッ心臓バクバクの私です・・・。どうやら、キャベツが一個100円だったと報告しているようです・・・・。|゜▽゜)ホッ))あとから、買い物のレシートを渡されて知りました。我が家から一キロ以内にあるスーパーを制覇し、より安い店を求めて、お父さんは日々探検していたということを。それからそれから、夕方になっても、お父さんが出て行ったまま帰ってこないことがよくありました。 私「ババネー?」 母「ヲーヴァショータ・・・」(わからないのよ・・・)えっ!!!!お父さん、日本語分からないのにっ!!!!!!( ̄ロ ̄;)で、夫にメールしてみます・・・。夫も心配して、仕事場から電話をしてきました。暗くなっても帰ってきません・・・・・。いったい、どこにいるの~~~~~???(゚д゚;∬アワワ・・パニックの私です。。。そうしていると、夜、7時を過ぎた頃、お父さんが帰ってきました。ガチャッッ!!!ノッシノッシノッシ!!!「××××××ッッ!!!!ヽ(∴`┗Д┛´)ノ彡」服を着替えながら、お母さんに何か激しく言っています。。。何ッ??お父さん怒ってる????|"-;) チラッ心臓バクバクの私です・・・。どうやら、今日はどこかお父さんのお気に入りの場所へおでかけしていたようです・・・・。|゜▽゜)ホッ))夫が仕事から帰ってきてから知りました。お父さんは、たった一人で電車を乗り継ぎ、秋葉原まで出かけていたということを・・・。息子が生後一ヶ月を過ぎた頃、お母さんより一足早く、お父さんが上海に帰ることになりました。何やら、出発3日前くらいから、元気がありません。きっと、息子と離れてしまうのが寂しいのだろうと思い、私はこう聞いてみました。 私「お父さん、あと日本にいる何日か、夜○○と一緒に寝てくれますか??」私はようやく息子と夜一緒に寝られるようになっていたので、そう提案してみたのです。すると、 父「××××××ッッ!!!!ヽ(∴`┗Д┛´)ノ彡」身振り手振りをしながら、夫に何か激しく言っています。。。何ッ??お父さん怒ってる????|"-;) チラッ心臓バクバクの私です・・・。 夫「ぜひそうしたいって。ありがとうだってさ♪」ほ~~~~~~~ッッ一安心です・・・・(*゜∇゜*)ゞエヘヘ☆その晩、遠くから聞こえてくる声でわかりました。夜中まで、お父さんが息子に優しく優しく話しかけていたことを。いよいよ明日は出発となった夕飯時。お父さん、お母さん、私の3人で食事をしていると、何やら鼻をすする音がします。お父さんをチラリと見てみました。すると、下をむいたまま、静かに涙をぬぐっている姿がありました。お母さんが、わざと陽気に明るい口調で話しかけます。すると、「××××××ッッ!!!!ヽ(∴`┗Д┛´)ノ彡」何ッ??お父さん怒ってる????|"-;) チラッ心臓バクバクの私です・・・。お母さんが一生懸命、私に説明してくれて分かりました。「オトーサン、○○シンクー。△△、ワタシ、イッペーイッペー。○○ゲンチゲンチ!!」お父さんは息子を宝物に思っている。私とお母さんで、しっかり面倒をみて欲しい。息子に元気で育って欲しい。そう、訴えていたことを。今になって思うと、私はお父さんの迫力に押され、必要以上に緊張しながら接していました。涙をぬぐいながら、息子とお別れをして上海に帰っていったお父さん。私やお母さん、夫のために、普段しない家事を頑張ってくれたお父さん。今年の10月には、息子を連れて、上海に行きますから、待っててくださいね!!!
2005/07/13
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amixuさんから、育児バトンが回ってまいりました。お時間ありましたら、少々お付き合いください。Q.お子さんは何歳(何ヶ月)?性別は?A.9ヶ月目に突入です。まん丸に太った男の子です。Q.生まれたときの感想は?A.それはそれは、痛くて、嬉しくて、分娩室で大股開きながら号泣したくらいです。(次に控える妊婦さんたちが、拍手してくれるくらいおお泣き・・・)Q.ウチの子のココが1番ってトコはどこですか?A.夫にそっくりなところです。 夫が息子を抱いていると、気持ち悪いくらいです。 夫の遺伝子を一番に引き継いでいます!!Q.最後に、将来どんな子に育ってほしい?A.おおらかで、自分に厳しい人でしょうか。 あと、「ありがとう」「いただきます」「ごちそうさま」を、自然と口にだせる人になってほしいです。以上。。。どなたかにバトンを渡さなければならないそうです・・・。う~~~ん・・・・。女性ではなく、男性にお願いしたい私です。ベルモンドJFKさん。受け取っていただけますか???
2005/07/12
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昨日のやすくんママさんの日記を読んでいて、思い出しました。私たち夫婦は2度、披露宴のようなものを経験しました。普通、当人二人で計画を練って、準備に準備を重ねて執り行うものなのでしょうが、私たち夫婦の披露宴は二度とも当日までノータッチでした・・・。( ̄▼ ̄;一度目は、会社の同僚がひらいてくれた食事会。二度目は夫の実家、上海での披露宴です。はじめは、親戚と友人の食事会程度だと聞いていた私たち。私の家族と、この機会にぜひ上海に行ってみたいという母の姉妹たちと、軽い気持ちで上海に降り立ちました。空港に到着してからすぐ、翌日食事会を予定しているホテルへ向かいます。すると・・・・。なんだか、ただの食事会にしては、広すぎる会場・・・・。ホテルの支配人までが、挨拶にやってきます・・・。むむ・・・なんだか嫌な予感・・・(-`ω´-;)そして迎えた食事会当日。朝、準備のために、上海の実家から食事会会場であり、私の両親が滞在しているホテルへ向かいます。すると、到着するや否や、私と夫はホテルの一室に隔離・・・。なんと、一日美容師さんが付きっ切りで私のお化粧、髪のセットをしてくれるというではありませんか!!そして、そして、なんと、上海のご両親は、私のためにウエディングドレスを用意してくれていたのです!!!(=゚ω゚=;)ようやく気付きました・・・・。どうやら、今日は、ただの食事会ではないらしい・・・・。w( ̄Д ̄;)wワオッ!!ドキドキしながら、ドレスに袖を通します。ノースリーブのシンプルなドレスです。着てみて、あることに気付きました。「あっ!私、ストラップの取れるブラジャー持ってきてない!!!」Σ(-∀-;)Σ(-∀-;)Σ(-∀-;)当然ノースリーブですから、ブラジャーをつけていると、見えてしまいます・・・。すると、美容師さん「×××××!」夫の通訳によると、「仕方ないねっ。下着無しでいいよっ!」(∇°;;;;)ノェェエエ工ェェエエ工ェェエエ工?!!!!・・・・で、ノーブラでウエディングドレスです・・・・。(T-T*)ウウウそりゃ・・自分が気にするほど、他人は見てないっていいますけどね・・・ウエディングドレスですよっ?!私、叶姉妹じゃないんですからっ・・・。(T◇T o) そんな私の動揺をよそに、着々と準備が整います。あっちもこっちも手が加わって、まつ毛にキラキラした粉を振り掛けられ、私でない誰かが鏡の前に現れたとき、何やらドアが開き、ドドっと人が入ってきました。何事かと見ると、そこには上海の両親や親戚に混じって、でっかいビデオカメラを構えた男性が・・・。ニコニコしながら、夫や両親に話しかけています。で、始まったのが、ビデオ撮影会。。。夫と私にあれこれとカメラマンが指示をだしていきます。ここにこう座って、目線はここで・・・・。私と夫、上海の両親、私の両親はされるがまま・・・。(ι´・ω・`;)そうこうすること2時間。。。ようやく解放され、やってくるお客さんを迎えるために会場に向かいました。会場を覗くと、そこには10人は座れる円卓が15卓はあるでしょうか・・・。なんだか、どえらいことになっているようです・・・・(;´д`)あぁ・・・ぞくぞくとやってくるお客さん。もう、こうなったらヤケクソです。私の周りを「リャンティンティン♪リャンティンティン♪」(キラキラ♪キラキラ♪)と跳ね回る子どもたちにも負けず、ひたすらニコニコして出迎えます。とうとう、入場の時がやってきました。ジャ~ンジャ~ジャジャ~ン・・・♪定番の結婚行進曲です。でも、なんか違います・・・。夫とともに、会場へ入ると・・・・。げっ!!楽団がいるよ~~~!!!!!ウソーン!!Σ(;゚ω゚ノ)ノ上海のご両親は、生バンドまで呼んでいたのでした・・・。(=ω= ;)夫の叔父の司会で、食事会ならぬ披露宴が始まりました。乾杯をし、夫と腕を交差してシャンパンを飲み干します。ケーキ入刀、夫と私の紹介、両親への花束贈呈と、早々にプログラムが消化されていきます。で、上海のお父さんの挨拶。ものすごく緊張されているようで、「がんばれっ!おとうさん!!」と私の肩にも力がはいります。次は、夫の挨拶かとおもいきや・・・。よばれたのは、私の父・・・。出発前、ただの食事会だと知らされていた父は、朝からのただならぬ様子に呆然としていました・・・。当然、挨拶の準備などしているはずもありません・・・・。強張った表情でマイクを持つ父。そして、「皆さん、ありがとうございます・・・。 これからも、娘をよろしくお願いします・・・。」(#`-_ゝ-)ピクピクたった二言の挨拶・・・あぁぁぁ…………..φ(T-T*)お父さん、ゴメンよ・・・たった二言でもいいのっ!ありがとう・・・無事(?)夫の挨拶も終わり、私は一旦美容師さんの待つ部屋へ戻りました。元々食事会で着ようと持参した着物に着替え、再度入場します。やはり、日本の着物は珍しいのでしょう。みんな、興味深々のようです。壇上に上がり、皆さんに着物姿を披露します。すると、何やら私の手に、夫の姉がニヤニヤしながらマイクを渡します。意味深な姉の笑顔で思い出しました・・・・・・・。Σ(-∀-;)実は、上海に来る前、電話で姉と話した時のこと。食事会で余興のひとつとして、何か中国語の歌でも歌ってはどうかと提案されました。「え~?!じゃあ、テレサテンの『時の流れに身をまかせ』でも歌っちゃおっかな~!!」ヾ(o´▽`)ノ調子に乗った私は、そう答えてしまったのです・・・・。電話の翌日には姉から送られてきた中国語版テレサテンのCD・・・・・。もう、あとには引けません・・・。あれ以来、ネットで中国語の歌詞を探し出し、お風呂で練習する毎日。(´д`、)「でもでもっっ!!!!こんないっぱい人が来るなんて、知らなかったのよ~~~~!!!勘弁して~~~~~!!!!エーン!!ヾ(ヾ(ヾ(ヾ(ヾ(ヾ(*T□T)ツ」しかし、時既に遅し・・・・。会場の皆さんは、姉の上海語での余興紹介に、目をきらきらさせて待っています・・・。無常にも、バンド演奏が始まりました・・・・。チャララ ランララ ランランラ~~♪「・・・・・ル~ゴ~メィヨ~ル~ジェン二~・・・・・」(´∀`。)ゞ)) えェ・・。歌いましたとも・・・・。(T-T*)ですが、(おっ音がッ!!バンドの音が大きすぎて、自分の声が聞こえないっっ!!! 音程がずれるっっ!!!( ;゜▽゜))で、あげくの果てに(げッッ・・・・歌詞、忘れた・・・・・・・・Σ(゚∀゚;))もう・・・どうにでもなれって感じです・・・・。ようやく歌い終えたかと思いきや、「××××××!!!!!」(@`▽´@)/ 誰かが叫びました。夫の通訳によると「アンコ~ルだって♪」・・・・・・・・・・・・・。。も~~~~!!!こ~なったら日本語で歌ってやる~~~~~!!。・゚・(゚`д´゚)・゚・歌い終えると、拍手喝さい・・・。ポツリポツリと、口をあんぐり開けたままの人もいます・・・。もう、知ったことではありません・・・。嵐のように会場を去り、今度はチャイナドレスに着替えます。一年前に上海に来たとき採寸し、夫の叔父が作ってくれていたチャイナドレスです。で、できあがったのは、パツンパツンの、今にも破けそうな、身体にぴったりすぎるチャイナドレスを身にまとった私。。。。ΣΣ( ̄◇ ̄;)げ!採寸した当時、朝6時半出社、夜9帰社というハードな仕事をしていたので、それなりに痩せていた私ですが、派遣社員として働くようになってから、3キロは太っていたのです・・・。お腹を精一杯引っ込め、常にまっすぐの体制を保つ・・・。不自然な動きのまま、各テーブルにお酌をして回ります。すでに夫はベロンベロンです。すると、ちらほらと席を立つ人が現れはじめました。どうやら、上海では閉めの挨拶などなく、勝手気ままにお客さんが帰っていくようです。ようやく、長い長い一日が終わりました・・・・。披露宴が終わってからのことは、夫、私ともに、はっきりと覚えていません・・・。せっかく、上海に来て初めて二人きりでホテルに宿泊できたというのに・・・。(T-T*)ウウウそれから一週間、観光をして帰国した私たちに上海から荷物が届きました。中を開けて見ると、結婚式の様子をおさめたDVDが・・・。おそるおそる、観てみました。はじまるなり、カメラマンの指示通りに動いている私たちの姿。まるで、コントです・・・。そして、ウエディングドレスの私。締まりのない、ドレス姿です・・・。ついにやってきました、私の歌。歌姫テレサテンに申し訳ないとしか、いいようがありません・・・・。最後に、チャイナドレスの私。うって変わって、締まりすぎです・・・。誰か!!このDVDを燃やしちゃってくださ~~~いい!!!。:゚(。ノω\。)゚・。 ウワァーンって、いいたいところですが、きっと時が経てばいい思い出になることを期待して、こんなに盛大に祝ってくれた上海のご両親やご親戚の皆さんに感謝している私でした。。。:.。☆..。.:*(人´ω`*):* 感謝・感謝ゝ (´ω`*人)*:.。☆..。
2005/07/12
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産後。生まれたばかりの赤ちゃんは、昼も夜もなく、ミルク、うんち、おしっこ、抱っこ・・・・。世のお母様たちは、赤ちゃんのリズムに合わせ、産後のノソノソとした動きでもって、朦朧としたなかで、頑張らなくてはなりません。と、これは、あくまで夫婦二人で子育てをしなければならない場合のこと。お祖父ちゃん、お祖母ちゃんと生活していれば、なんらかの手助けがあることでしょう。かくいう私も、上海のご両親が出産に合わせて来日してくださったため、協力を仰ぐことができました。がっっっっ!!!!!!!やはり、一筋縄ではいかない現実が待っていたのです。llllll(- _ -;)llllllどよ~ん退院したその日から、私の産後の悪夢Part2が始まりました。シャワーを浴びてはならないだとか、歯磨きをしてはならないだとか、前にも書きましたが、それは不潔で気持ちが悪い程度ですむ問題でした。一番、産後の私を痛めつけたこと。それは、自分の子の側に、いられないことでした。まず、夜の授乳。毎晩、夜8時を過ぎると、息子は寝室に向かいます。それは、母である私ではなく、上海のお母さんの寝室・・・・。出産する前からやらなくてはならなかった、おっぱいマッサージを怠ったため、乳首が硬くなかなか上手に母乳を飲ませることができなかった私は、主にミルクをあげていました。そうなると、当然、母親でなければならないということがありません。誰だって、ミルクをあげられます。そして、夜が明けます。私は寝室を出、リビングに向かいます。すると、そこには、息子を抱っこしたお母さん。「おはよ~~~」お母さんと息子に話しかけます。朝食をとります。食事が終わると「○○、チーコンゴー。 ネル、ネル!」お母さんの、寝ろ寝ろ攻撃で、私はまた寝室に戻ります。息子はお母さんに抱かれたままです。昼になり、昼食をとります。食事が終わると、朝と同じくお母さんの寝ろ寝ろ攻撃。私はベッドに向かいます。息子はお母さんに抱かれたままです。夜になり、夕食をとります。食事の時間、ぐずる息子。抱っこするのは、お母さんです。夫が帰宅します。そこでようやく、夫とともに、私はオムツを変えたり、ミルクをあげたりします。寝る時間。息子はまた、お母さんと寝室に向かいます・・・・。常にお母さんの腕に抱かれている息子。私は、「抱っこしてい~い?」「抱っこさせて?」そう言わなければ、抱かせてもらえません。たとえ私が抱っこしていても、息子が泣き出せば、それまで・・・。再び、息子はお母さんの腕に戻されます。一体、誰の子どもなんだろう・・・・・。産後、ほっといても、精神状態は不安定です。そこに拍車をかけるようにして、不満、不安が募っていきます。私は、夜、夫とベッドで横になっていても、涙がでてきて、眠ることができなくなりました。一晩中、目を開けたまま。息子の鳴き声が遠くでします。あぁ、泣いてる・・・。抱っこしたいなぁ・・・・。我慢して、我慢して、我慢して。また、涙があふれてきます。そして私は、上海のご両親の目をみて、話すことができなくなりました。常に下を向いています。息子を抱っこしたお母さんを、見ないようにするのです。何か話さなければと思うのですが、それを避けるようにして、私は寝室に向かい、息子にあげるために搾乳機でおっぱいをしぼります。いつの間にか、私は笑顔を忘れていました。そんな私の様子に、ご両親や、夫が気付かない訳がありません。ある休日のこと。ようやく抱っこさせてもらった息子が泣き出してしまいました。お母さんが、息子を私の腕から取り上げます。もう我慢の限界にきていた私は、お母さんの目をみることなく、洗面所へ向かいます。涙を水でごまかそうとしますが、次から次へと流れてきます。どれくらい時間が経ったでしょうか。ようやくリビングに戻ると、夫が一人で待っていました。ご両親は、買い物に出かけたとのこと。息子は眠っています。夫が言いました。 「さっきの態度は何? 母も父も馬鹿じゃないからさ。 お前があんな態度をとると、もう、用はないって、邪魔だって。 そういうことだって、わかるんだよ・・・。」 「ごめん・・・・・。」私は謝ることしかできません。すると 「ごめんじゃないよ。 お前の両親だったらどうするの? 同じような態度をとるの?」 「私の親だったら、全部言うよ! 思ってること、全部言ってるよ!!! あなたが、無理やり上海から来てもらったんじゃん!!! 俺の親だから、気を使う必要ないってあなたは言うけど、 気を使わないわけがないじゃんっ!!!! 言葉もわからないんだよっ!!!! あなただったら、私の両親と、一日中、一緒にいられる? 一体、○○は誰の子なの?? なんで、私は親なのに、抱っこしていいって聞かなきゃならないのっ? なんで、いちいち、お母さんに許可をもらって、 お母さんの顔色を気にしながら、 こどもの世話をしなきゃならないの? なんでなのっ????」とうとう、ぶちまけてしまいました・・・。夫は黙って聞いていました。そして、こういってくれました。 「じゃあ、お前はどうしたいの? どうしたら、元に戻れるの?」その日、ご両親が戻ってきてから、夫は私の気持ちをそれとなく伝えてくれたようでした。息子の夜の面倒をみることができるまでに、一ヶ月が経っていました。当時の私を振り返ると、本当に、自分のことしか考えていない、おバカさんでした。もうすぐ60歳を迎える人に、生まれたての赤ん坊の夜の世話ができるでしょうか・・・。体重がたったの3~4キロとはいえ、一日中抱いていることができるでしょうか・・・・。子供の世話の合間をぬって、血のつながっていない嫁のために、掃除、洗濯、食事の世話ができるでしょうか・・・。あげくの果てに、嫁から理解されずに嫌な態度をとられ、我慢できるでしょうか・・・・。上海のご両親は、産後の身体を気遣って、息子の夜の世話をし、抱っこをし、自分の身を削りながら、私をとにかく休ませてくれていたのです。本当に、私は馬鹿でした・・・。夫から私の気持ちを伝えられた後も、「ダイジョブ、ダイジョブ!」と笑顔で変わらず接してくれたお母さん。今でも、電話をする度に、「○○シンク~。アイアト~!!」(○○お疲れさま。ありがとう!!)と言ってくれるお母さん。お母さん、いたらない嫁で、本当にごめんなさい。本当に、本当に、ごめんなさい。そして、本当に本当に本当に、ありがとうございます。
2005/07/11
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皆さんは、何フェチですか?????d(o゜◇゜o)突然で、申し訳ありません・・・・・。我が家の夫は、「肉フェチ」です。。。結婚当初から、私はその餌食になってきました。テレビを観ながら、私のお腹をモミモミモミ・・・・うたた寝しながら、私の二の腕をモミモミモミ・・・・ビールを片手に、私の太ももをモミモミモミ・・・・ 私 「も~~~~!!!痛いって!!ヾ(`ω´*)ノ"」 夫 「はぁ?俺、痛くないも~ん」 私 「ほんとに痛いんだからねっ!!!やめてよっ!!!!」 夫 「だって、肉がついてるのが悪いんじゃん」((ヾ(≧皿≦;)ノ_))きぃぃぃぃっ!こんな調子で、夫が側に来ると、いつでも逃げられるように体制を整える日々。一体いつまで続くのでしょう・・・・。そんな時、私の救世主が現れました!!!!!そう。息子です・・・・・・。f(´-`;)生まれたての頃は、腕も足も細く、ポッキリと折れてしまいそう。夫の好みではないらしく、相変わらず私に矛先は向けられています・・・。ですが、生後4ヶ月になり、5ヶ月になり、6ヶ月になり・・・。もりもり食べる息子の腕と足は、もはやレンコン状態。「ちょっと、輪ゴムでもはめてるんじゃないの??」と言いたくなるような、ムッチムチのモッチモチです。 夫 「ショッツル~~~~~~♪♪ン~~~~~~!!!!!」 ヒャッホ━━゚+.┗┐ヽ(′▽`*)ノヽ(*′▽`)ノ┌┛゚+.━━ゥ♪息子のほっぺにかぶりつき、足と腕にむしゃぶりつき、お腹に顔をスリスリなすりつけ・・・・もう、大変な騒ぎです・・・・。哀れ、息子は、イヤイヤと顔を背けて、抵抗するかと思いきや・・・キャキャキャ~~~~~♪♪♪Y(´∀`Y)Y(´∀`)Y(Y´∀`)Y 夫 「ショツル~~~~!!!!」 息子「ケケケケケェ~~~ヽ(′▽`*)ノ」 夫 「ブブブブブ~~~~!!!!」 息子「ケケッッ!!ヽ(′▽`*)ノ」・・・・・・・・。なんだか、お母さんはのけ者にされているようです・・・・。で、最近、息子にも夫と同じ傾向があることが分かりました。。。それは、眠くなった時に息子がとる行動から判明したのです。 私 「○○~ねんねしよ~。ねんねしよ~ね~」昼寝の時は抱っこしなければ寝付きませんが、夕方になると、転がしておけば、自然に眠ってしまう孝行息子。寝付くまでの最後の抵抗で、のたのた動き回ります。 息子「あぁ?(゚∀゚)y-」どうやら布団の上に畳んで置いてあるタオルケットを見つけたようです。すると、 息子「フンッッ!フンッツ!!フンッッ!!!ε=ε=ε=ε=ε=(/`ω´)/ 」掛け声とともに、タオルケットを目指して前進します。そして、到着するや否や、タオルケットにタックル! 息子「あぁぁぁぁぁぁぁぁ?!!!!!」 :;。+゚+。ウットーリ(*´●`*)ポワァ~ン。+.。゚:;。+」素っ頓狂な声を上げ、タオルケットを手で撫で撫で、顔をスリスリ・・・・目はもう、どこか遠くを見ています。。。。。う~~~ん・・・・。どうやら息子は、「綿フェチ」のようです・・・・。(-ω-;)
2005/07/10
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今日は、私にとって特別な日です。私の寅吉じいちゃんが亡くなって、49日が経ちました。寅吉じいちゃんは、92歳でした。私が物心ついた時から、常に記憶の中にいる寅吉じいちゃん。前にも書きましたが、私の母方の祖父です。それはそれは頑固なじいちゃんで、母をいつも叱っていました。当然、私たち孫も、叱られっぱなしです。寅吉じいちゃんは、幼い私たち孫を連れて、よくドライブに連れて行ってくれます。ドライブの楽しみといえば、車内でのおしゃべりに、歌に、お菓子にジュース。でも、寅吉じいちゃん曰く、「車ん中で騒ぐもんじゃねっっ!!」「車ん中で食べモンを食ぶいもんじゃねっっ!!」だそうです。小学校入学前の子供たちは、おとなしく、車に乗っているしかありません。寅吉じいちゃんは、近所の子供も容赦なく叱り飛ばします。「こらっ!!!!庭石に上ってあそんなっっっ!!!!」「こらっ!!!!!!車ん近っでボール遊んをすんなっっ!!!!」私の友達は、寅吉じいちゃんを見ると、コソコソ隠れるようになってしまいました。寅吉じいちゃんは、学校が終わって帰ると、パンとチーズを用意してくれています。トースターで焼いて食べると、すごく美味しいんです。あ~・・もうすぐパンがなくなりそうだなぁ・・・と思っていると、次の日にはちゃ~んと、もう一袋買って置いてあります。でも、寅吉じいちゃんは、な~にも言いません。「じいちゃん、ありがと!ごちそうさま!」というと、「そうか・・・・。」だそうです。寅吉じいちゃんは、私が第一志望の大学に落ちたと知らされた瞬間、一緒に居てくれました。隠居にいる私に、合格発表をみてくれた姉からの電話報告。コタツに潜り込み、悔し泣きする私。寅吉じいちゃんは、黙っています。ポツリといいました。「自分が頑張ったなら、それでいい・・・。」寅吉じいちゃんは、いつも着物をきていました。大正生まれなので、着物のほうが、楽チンなんだそうです。でも、私が始めて夫をつれて帰ったとき、背広に着替えて、迎えてくれました。足が痛いのに、正座をして、あいさつをしてくれました。寅吉じいちゃんは、私が息子の出産で入院したとの報告したとき、電話にでてくれました。「じいちゃん、入院したから。赤ちゃんもうすぐ生まれるよ」「そうか・・・。」息子を出産して一ヶ月経った頃、実家の両親が上京してきました。孫の顔をみにきてくれたのです。三日間の滞在。明日、宮崎に帰るという晩、その寅吉じいちゃんが、余命半年であることを告げられました。私が入院すると電話したその日、左足が麻痺してしまい、自分で動けなくなってしまったそうです。父の運転する車で病院に向かい、下された診断結果は、脳腫瘍。手術をしても、歳が歳なので、もう、そのままにしておくほうが、本人も辛い思いをしなくていいだろうとのことでした。入院していても、しきりに家に帰りたいと訴える寅吉じいちゃん。母は、母の姉妹達と協力して、実家で最期まで看取る決心をしたと、私にいいました。それから、いてもたってもいられず、私は生後一ヶ月半の息子を連れて実家に戻りました。ベッドに寝たきりの寅吉じいちゃん。左半身は動かないために、むくんでいます。介護用のトイレを使用していますが、オムツをはめています。目には目ヤニがたまりやすく、自分であけることができないようです。ショックでした。私の知っている寅吉じいちゃんは、90を過ぎても自分で車を運転するくらい、元気な姿なのです。「じいちゃん、ひ孫だよ!見える?」「・・・・・。そうか・・・・。」それまで開けなかった目が、パッチリと開きました。まだ動かせる右手で、しきりに息子を撫でています。ポンポンと、右わきを自分の手でたたきます。息子を抱かせろと言いたいのだろうと思い、息子を支えながら寅吉じいちゃんの右脇にのせると、腕でやさしく、包み込んでくれました。優しい優しい笑顔で、息子を見つめています。それからしばらくして、今年1月には、夫と息子、3人で実家に帰りました。もう、その頃には、息子と同じような流動食しか喉を通らなくなっていました。意識もはっきりせず、認知症のような状態になってもいました。一日中寝たきりのため、時間の感覚も麻痺しているのでしょう。夜中でも、大声で話します。「お~~い!お~~い!」誰かを大声で呼んでいます。「せんせ~い!なんとかしてくださ~い!たすけてくださ~い!」誰かが側にいなければ不安なのか、一日中、看病する母や伯母の手を握っています。離そうとすると、ぎゅ~っと痛いくらいに握ってくるのです。たまに、意識がはっきりしている時は、自分でトイレにいきたがります。もう、座ることすらままならないのに、歩くと言ってききません。そんなときは、看護婦の伯母がベッドの脇から足をおろし、座ったような格好にします。枕やクッションをいっぱいはさみ、倒れないようにするのですが、身体が傾いてしまいます。一生懸命、自分で支えようとしますが、傾く一方です。「じいちゃん。もう、横になろうよ。」そう声をかけても、首を横に振るばかり。私をみて、寅吉じいちゃんは、こういいました。「せんせい。どうして私がこんな想いをしなければならないんですか?なんとかしてください。たすけてください」「うん・・・。じいちゃん、ごめんね・・・。本当だね・・。ごめんね・・・・。」私には、そう声をかけることしかできませんでした。東京に帰る朝、意識がもうろうとしているじいちゃんに、お別れをしました。「じいちゃん。東京に戻るね。 また、帰ってくるから。 それまでちゃんと、いっぱい食べて、いっぱい寝て、元気でいてね」そう言うと、寅吉じいちゃんは、何やら右手をしきりに動かしています。何をしているのだろうと、よく見ていると、指の腹を舌で舐める仕草をしながら、人差し指と親指をすり合わせます。あぁ、寅吉じいちゃんは、まだ、孫の私に、大学の時みたいに、お小遣いをくれようとしてるんだ・・・・。寅吉じいちゃんは、顔を真っ赤にして、皺でクシャクシャになって、涙をポロポロ流して、不自由な身体で、元気な頃と変わらず、私に、お小遣いをくれようとしていました。「じいちゃん。ありがとう。ありがとうね。」私には、その一言しかでてきませんでした。それから4ヶ月。寅吉じいちゃんは、亡くなりました。自然と意識がなくなり、呼吸がとまり、心臓が止まり・・・。静かな最期だったそうです。最期まで看取ってくれた先生は、「あ~。寅吉さんも、仏様のお顔になってきたねェ・・・。」そう呟いたそうです。私の手元に、3通の手紙があります。大学時代、寅吉じいちゃんが送ってくれたものです。私への、沢山の愛情がつまった、寅吉じいちゃんからのラブレター。「お手紙ありがとう 返事が遅くなって御免ね。 元気で毎日まじめに学校に通って居るとの事安心いたしました。 一年中で一番うっとおしい梅雨の季節になりました。 何より身体に気を付けてがんばってください。 夏休みには○○も帰って来るそうです。 其の時は、又4人で一所に近くえ旅に出かけましょう。 たのしみにしてまって居ます。 中国語を受講して居るとのこと。 あまり上手になって中国人と間違われないようにしてね。 其の内、中国旅行に行くときも来るでしょう。 其の時が楽しみだね。 身体に気を付けて。 又書きます。 平成10年6月 じいちゃんより」「長い雨の後、昨日、今日と天気になり、その暑い事、何とも言えないよ。 昨日は宮崎で35度をこしたとの事、家の中に居ても汗が出る始末。 本当に熱いよ。 どうそちらも同じだろうと思ふよ。 今しばらくしたら西よりの涼しい風が吹くだらうと思ふけれど。 所でどう。毎日元気でがんばって居るか。 後すこしで夏休みになるね。 8月のお盆には帰って来るでしょう。 皆其の時を待ってるよ。 元気な顔を見せてね。 やつれた顔は御免だよ。 其のような事はないと思って居るからね。 学校での毎日の講義、自宅での予習復習。 大変だらうとは思ふけどがんばってね。 じいちゃんも若い頃は時々書く手紙も、良く書くこともあったけど、 今は何を書くか又、かいたらよいかと考へさせられるよ。 時には何だこんな事書いてと思ふ事もあるだらうが、がまんして読んでね。 身体に気を付けて、今夜は是で、又、書きます。 平成10年7月 じいちゃんより」「7月になりますますあつくなって来ました。 元気でやって居ますか。 私は変りなく元気です。 季節的に西瓜、めろんが食べたいと思ふようになりましたが、 内で作った西瓜は今しばらく先になります。 それで、此の少しのお金で買ってたべて下さい。 出来たら送ります。 では又書きます。 平成12年7月 じいちゃんより」じいちゃん、なんだか、私が中国人と結婚することがわかってたみたいだね。もしかしたら、予知能力があったんじゃない?じいちゃん、私が西瓜大好きだって、毎年植えてくれてたもんね。カラスが突付いたって、怒ってたよね。じいちゃん、もう、西瓜の美味しい季節になったよ。今日は、ひ孫と、旦那と、私と、四人で西瓜を食べようね!
2005/07/09
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朝起きて、皆様の日記をチラリチラリと拝見していると、七夕さまだった昨夜、どうやら横浜や京都では雷雨だったようです。雷雨、雷雨、雷雨。。。私は、雷様のおかげで、貴重な体験をしたことがあります。。。。それは高校一年のある日。いつものように、国語の課外授業を受けている私。その日は午後からあやしい雲行きで、今にも雨が降り出しそう。遠くで雷のなる音もします。授業も中盤に差し掛かったころ、教室の外から英語のB先生が、国語のA先生に手招きしています。A先生は授業を中断して、B先生と廊下で話をしている様子。しばらくして、A先生が教室を覗き込み、「おい、○○、ちょっとこい」私の名前を呼びました。。!!!!!えっっ!私かいっっ?????私、なにかやらかしたっけ????ガビΣ(゚ω゚||)ーン 心臓バクバクで、A先生とB先生の所へいくと、「お家から電話がかかってるそうだ。職員室に行って、電話にでてこい」とのこと。当時既に80歳を超えていた祖父、そして父や母、伯父の顔が瞬時に頭をよぎります。なにか、あったのだろうか・・・・・。(;;゜д゜)職員室に向かい、保留になっていた電話にでます。すると、隣のおじさんからの電話でした。第一声が、「○○ちゃん、落ち着いて聞いてくれな・・・・d(`д´*)」のおぉぉぉぉぉぉぉぉぉオオ!!!!!!!落ち着けって、落ち着けって~~~~????(((((((ι゚д゚;)アワワワその一言を聞いた瞬間、落ち着けるわけがありません!!すでに、頭の中が大パニックの私。。。「実はな、家が、火事になって、燃えてるんだ・・・・・ 今から迎えに行くから、帰る準備をしちょって。 皆、けがもないし、大丈夫だから。 落ち着いてな・・・。」 ノ工工工工エエエエエエエエェェェェェェェェ(゚Д゚;ノ)ノェェエエエエ工 うちが火事~~~~~?????????!!!!!!!学校まで迎えに来てくれた隣のおじさんの車で、当時同じ高校に通っていた姉と、どうやら雷が落ちて燃えているらしいと聞かされました。雷で、家が燃えるって、燃えるって、どういうことっ!!(゚д゚;∬アワワ・・・生まれた時から住んでいた当時の家は、太い柱に、一枚板のふすま、高い天井、囲炉裏のある古いものでしたが、私の大好きな家でした。それだけにショックが大きく、家族が無事だと聞かされていた私には、燃える我が家を見る勇気がありません。その日は、火事の現場に行くことなく、母の姉、伯母さんの家にお世話になることになりました。翌日、学校を休み、我が家のあった場所へ向かいました。みると、隠居と本宅が物置小屋でつながっていた我が家は、見事に全焼。太い柱と屋根だけが残っている状態です。被害者は、当時飼っていたウサギ。箪笥の奥に逃げ込んでしまい、窒息死していたそうです。。。(T-T*)ウウウもう、ここまで燃えると、言葉もでません。。。。。呆然と焼け跡を眺める私をよそに、気付くと近所の人や、親戚が大勢集まり、片付けをしてくれています。ようやく、気を取り直し、私も加勢することにしました。ひと段落ついてくると、これからどこで生活するのか、皆一緒に生活できるのか、一番大事なことに気付きました。父に聞いてみると、「あぁ。。 車庫じゃったとこいに、たたん(畳)をひいて、そこで生活すればよかとよ!!!」との返事。。。あ~~~!そっかぁ。家は田舎の家だから、車庫も広いもんねェ!車庫の上は牛の飼料入れの二階もあるし!いい考えだねェェ!!っっって、お父さんっっっ!!!!!!車庫って、車庫って。。。。牛小屋じゃんっっっ!!!!!ガビョーΣ(TωT)ンーーー・・・!!我が家の牛小屋は裏庭に作られており、当時は空いているスペースを車庫として利用していたのです。。。かくして、ご近所の皆様、同級生の保護者の皆様のご協力により、牛さんと一つ屋根の下、新たな我が家が完成しました。すりガラスをはめ込んだ引き戸を開けると、そこはすぐに10畳ほどの畳の間。右を見るとキッチン、左をみると二階に上がる階段があります。二階に上がると、やはり畳をひいた部屋があり、頭をぶつけそうな天井と、小さな小さな窓が一つ。壁をみると、木材として選挙のポスターを貼る掲示板を利用したのでしょう・・・・。満面の笑みを浮かべた市議会議員のオジサン、大きな字で書かれた名前・・・。会った事もない人の写真が、ものすごい存在感でアピールしています。。。。なぜ、せめて裏面を家の内側にしてくれなかったのでしょう・・・(泣)外に出ると、工事現場などにある簡易トイレ。立って入らなきゃならないような幅の、やけに深いお風呂。。。。わずか二部屋に、家族7人。壁一枚を隔て、ゴツゴツ頭突きをくらわしてくる牛さんたち。衝撃の仮住まいです。。。。。。火災保険で下りたお金できちんと新居が完成するまで、私たち家族はその場所でひと冬過ごしました。。。常に家族と顔をあわせ、常に誰かの声がします。雪の積もった夜は、電気をつけなくても月明かりでやけに明るく感じます。ストーブをガンガンにつけなくても、なんだか暖かく感じます。ひっきりなしに、近所や同級生の親御さんたちがやってきて、服や食器を差し入れてくれます。今思えば、本当に、本当に、狭くて不便なはずなのに、嫌なことが一つもありませんでした。せまいながらも、楽しい我が家。そのまんまです。春になり、新居完成!!便利で、快適な生活に逆戻り。きっと、雷が落ちて家が燃えたことのある人は、数少ないことでしょう。でも、私は心からこう言いたいと思います。雷さま、我が家を選んでくれて、アリガトウ(〃´ω`)(〃ノ_ _)ノ デスッ♪
2005/07/08
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今年で結婚3年目を迎える我が家。私の夫が上海出身であると知った人からよく聞かれることがあります。「よくご両親が許してくれたねェ?」そこで、今回は、夫と一緒になるまでを書いてみたいと思います。2002年の春。とある会社の新入社員研修で、私たち夫婦は出会いました。偶然グループ研修で同じ組になった私たち。初めから「なんだか態度も目もでっかい人がいるなぁ。はぁ~中国の人かぁ。」とは思っていましたが、研修以外で話すことなどありません。もうすぐグループ研修も終わるというある日のこと。自己分析をするという課題で、グループ内のメンバーをそれぞれ評価し合い、それを本人にメモで渡すという機会がありました。私の手元にきたメンバーそれぞれからの評価。ふむふむ・・・。もっと自分の意見をアピールした方がいい。うんうん。ふむふむ・・・。人の話を聞くのがうまい。そうかぁ・・・。ふむふむ・・・・。グループ内唯一の女性で、雰囲気が和んだ?これって、私の評価か???ふむふむ・・・・。やさしいなぁって、ほれじゃいそうだ・・・・・・・・・・。ほれじゃいそうだ?何だろ?ほれじゃ・・・・・。ほれ・・・。ほれ・・・・。・・・・・・・・。なぬっっっ?????Σ(゜◇゜ノ)ノ思い起こせば、これが夫から私への最初のラブレターでした。。。それから間もなくして付き合い始め、なんとっ、偶然来日していた上海のご両親にご挨拶をすることになってしまった私。。。。(ι´・ω・`;)「ニーハオ! ヲーシー○○××。」自己紹介をした後、何も言えない私はひたすらニコニコニコニコニコニコ・・・・・(´∀`。)ゞ)) 。o○彼(当時)と、ご両親は久々の再会を喜びあっているようです。ちらりチラリと私の方を振り返り、目が合います。で、その度に、ニコニコニコニコニコニコニコ・・・・・・・・・・・(´∀`。)ゞ)) 。o○この時、どうしてかはよく分かりませんが、上海のご両親は言葉も通じない私のことを、息子の交際相手としてだけではなく、結婚相手として認めてくれたというのです!それを聞かされた私は、あまりの展開の速さにビックリしつつ、これって、世間でいう縁というやつかなぁ・・・・などとのんきなことも考えていました。とりあえず、上海のご両親に交際を認めてもらえて一安心!!ウキウキの私です。がっっ、付き合い始めて日がたつにつれ、忘れていることに気付きました・・・。私の父と母をっ!!!(゚△゚;ハッ 上海のご両親は、夫の姉が日本にいることもあり、国際結婚や日本人に対して免疫といえばいいのでしょうか、何の偏見もないようなのですが、私の両親は違います。宮崎の田舎で、外国人に会うことなどめったになく、ましてや国際結婚したカップルなんて親戚にいません。加えて、私はそれまで、男性をきちんと両親に紹介したことなど一度もなかったのです!!!!彼を実家の父と母に紹介して、許してもらえるだろうか・・・・。(゚_゚i)タラー・・・高校時代、同級生の男子と路で立ち話をしている所を通りかかった父の、強張った恐ろしい顔。。。大学時代、電話でチラリと当時付き合っていた男性の話がでてしまった際、ガラっと変わった父の声色。。。そんな事ばかりが頭をよぎります・・・・。悩みに悩んだ結果、私はあることを実行に移しました。まず、用意したのは、便箋、ペン、切手。。。これだけです。母宛に、私は手紙を書きました。今、上海出身の、同じ会社の人とお付き合いしていること。その人は、日本の大学を卒業しており、日本語もペラペラであること。その人のお姉さんも日本で暮らしていること。上海のご両親に挨拶したときのこと。結婚を前提に、お付き合いしていること。そして、今度、その彼と一緒に宮崎に帰ること。父には、母からそれとなく伝えてもらうようにも書きました。普通、親に会ったり、会わなくても電話したり、直接会話をしてこういう事は伝えるべきなのかもしれません。。。ですが、どうしても、電話で話してしまうと、お互い感情的になってしまい、うまく伝えることができないのではないかと不安だった私は、少々卑怯な手を使ってしまいました。。。郵便ポストに手紙を投函した数日後、母にやっと電話をかけました。 私 「手紙、読んでくれた?」 母 「うん・・・・。」 私 「お父さんは?」 母 「どうかね・・・。読んだのかね?」 私 「・・・・。 とりあえず、今度一緒に帰るから・・・。」 母 「・・・・・・。うん。」それからしばらくして、彼と共に土日を利用して宮崎へ行きました。宮崎空港に降り立ってから実家へ向かう間中、「お腹が痛いよ~・・・。緊張するよ~・・・。」と言いっぱなしの彼。。。とうとう、実家に到着しました。。。。。。。そして、そこに待っていたのは・・・・・。「お~~~~~っ!! おっかえり~~~~~!!! 疲れたやろ~~~~~~!!!!」☆。.:*:・°★・:*(☆´∀`)(☆´∀`)ハッハッハッ☆。.:*:・°★°・:*・・・・・いつもと変わらぬ父の笑顔。。。。。「・・・・・お帰り。海はどうだったね?少しは観光できた?」*´∀`)´∀`)*´∀`)*´∀`)・・・・一瞬、困ったような、微妙な表情をしたものの、彼と私を見るなり、いつもと変わらぬ笑顔になった母。拍子抜けした私と彼。その晩は、食べきれないくらいの刺身の舟盛と、お寿司と焼酎。彼と父は、薩摩弁と、たまに変な日本語とを交えながら、べろんべろんに酔っ払って、ガハガハ笑っていました。。もう、飲みすぎた父は、畳の上に寝転んでいます。そんな父に、彼が言いました。「いっぱい苦労をさせるかもしれませんが、お腹いっぱい食べられるよう、頑張ります。 ○○を、幸せにします」父は、半分眠りこけながら、こういいました。「こうと決めたらテコでも動かん頑固な娘じゃけど、よろしくお願いしますね・・・。」私と母は、酔っ払いをニコニコ眺めていました。後から父に聞きました。「も~~・・・。お母さんの心配の仕方っちゅったら、大変じゃったんだぞ!! どげな人がくっどかいち、夜も寝られんふじゃったがよ~。 じゃっどん、△△さんに会ったら、す~ぐ気に入ったふやが! お父さんよりも、お母さんの方が△△さんが気に入ったっじゃが。 まぁ、お父さんなさっぱいしちょっでよ。 だいじょっじゃっどん。ガハハハハ!!!」(訳:もう、お母さんの心配の仕方といったら、大変だったんだぞ。どんな人が来るかと夜も寝られないようだった。でも、△△さんに会ったら、すぐ気に入ったようだ。お父さんよりも、お母さんの方が、△△さんを気に入ったようだ。まぁ、お父さんはサッパリした性格だから、大丈夫だけど。ガハハハハ。)父がそう言っていたと、母に伝えてみました。「また、お父さんな、嘘ばっかい。△△さんを気に入ったとはお父さんじゃがね。フフフ」(訳:また、お父さんは嘘ばっかり。△△さんを気に入ったのはお父さんの方だよ。フフフ)高校時代、一度父と喧嘩をし、「これは私の問題だ!お父さんには関係ない!!」と言い放ったことがあります。それまで静かに私の話を聴いていた父が、この言葉に一変しました。「関係ねこっがあっか!!!! 成人すいまでは、なんがあってんお父さんが子じゃっ!!! 子の責任をとっとが親じゃろがっっ!!!!」自分に関係のないことはない。成人するまでは、何があってもお父さんの子供だ。子供の責任をとるのが親というものだ。大声でどなりつけられました。私が一緒に帰った男性を、笑顔で、何もいわず迎え入れてくれた。当時の父の尋常でない怒り方を思い出し、私は、大人として父に見てもらえていると実感し、涙がでるほど、嬉しいと思いました。いてもたってもいられなくなり、電話をして、父と母に「ありがとう」と伝えました。こうして、彼と私は、夫と妻になることができました。(ここまで長々と、読んでくださった皆様、感謝します)ウルウルo(TωT )( TωT)o ウルウル*************************************ちなみに、結婚してから、父にあの質問をしてみたことがあります。「ねェ、お父さん。 なんで中国人と結婚するのに反対しなかったの?」「なんでち。日本人も元々は中国から来たち、お前は知らんとか!! 日本人も中国人も、もとは同じちこっちゃ。ガハハハ。」(訳:なんでって。日本人も元々は中国から来たということを、お前はしらないのか!日本人も中国人も、元々は同じということだ。ガハハハハ)だ、そうですよ、皆さん。真偽の程はともかく、人類皆兄弟です。。。。。☆。.:*:・°★・:*(☆´∀`)(☆´∀`)ハッハッハッ☆。.:*:・°★°・:*
2005/07/07
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ご両親が来日してから二週間余り。日本語の解らない上海人と、上海語の解らない日本人の生活は続いています。。。もう、上海語集では追いつかなくなり、筆談で意思の疎通を図るようになっていました。ペンとノートが手放せない毎日。。。大学時代以来です・・・。(お互い漢字が解るって素晴らしい!!!!)ですが、日々の生活の中で必要になる単語を少しずつですが覚えていきました。「病院にいく」⇔「クーイーサン」「赤ちゃん」⇔「ヌヌ」「ショモドゥ」「買い物に行く」⇔「チーマー」「ゆっくり」⇔「メーティ」「早く」⇔「クァティ」などなど。。。それにしても、私の覚えが悪いのに比べて、お母さんの日本語の上達ぶりのすごいこと!!もともと社交的なお母さんのようで、一生懸命になって練習しています。お父さんはというと、全く日本語に興味がないのは相変わらずで、私が上海語で話しかけても、お母さんがそれを理解し、お父さんにまた上海語で訳をする。(私は上海語のつもりなのですが、全く通じず。。。私の上海語はお母さんにしか通用しません・・・(T-T*) 夫までもが『はァ?』と。。。)そんな中、出産10日前に大きなお腹をかかえて引越し。バタバタとしたまま、運命の日がやってきました。出産2日前からお腹が規則的に張っていた私は、これだけは必須と覚えていた上海語でお母さんに「ドゥービートン」(お腹が痛いよ~)と伝え、病院に。まだ子宮口も閉じており、赤ちゃんも全く降りていないとのことで、自宅に帰らされました。そして、次の日の午後、入院。入院の翌朝7時20分に無事息子が誕生したのです。出産直後の私はまさにゾンビ。一人で歩くこともできず、目を開けているのに真っ白で何も見えない状態です。夫の支えがなければ、ベッドから起き上がれず半日過ぎていきました。夫は出産に立ち会った後もずっと病院で付き添ってくれています。昼過ぎになって、実家の母から電話がかかってきました。 母「おめでと~!!!!お疲れさん!」出産のことをあれこれ聞いてもらいたい気持ちは山々ですが、何しろゾンビ状態の私。。。母の言葉も筒抜け状態です・・・。 母「あ、あとねぇ、入院してる病院の住所教えて」 私「あれ?教えてなかったっけ?じゃあ教えるけど、どうしたの?」(どうしたの?ってこともありませんが、実家は宮崎。祖父と伯父の食事の世話や牛の世話があるので、そう簡単には上京できないはずなので、どうして病院の住所を聞くのかわからずついつい。。。(p´I `;*))母の話ではこういうことでした。私が出産を無事に終えたと知らされた母は、私の家に祝電を打ってくれたそうです。ところが、NTTから電話があり、電報を届けられないというのです。まず、私の家に電報を届けに行ったところ、誰もでてこない。。。で、私の家に電話してみたところ・・・・ NTTの人 「もしもし?」 私の家 「ウウェーイ?」 NTTの人 「××さんのお宅でしょうか? こちらNTTと申しますが。。。」 私の家 「・・・・・・・・・・・・・・・。 アァ・・・モシモシ・・・・ ア~~~~~・・・・ ××、△△、ビョウイン、アカチャン。 ワタシ、チュウゴク。 バイバイ。」 ガチャ!! ツーツーツー・・・・・・・ NTTの人 「?????????(ι´・ω・`;)」で、再度チャレンジ。 NTTの人 「もしもし~?」 私の家 「・・・・・・・・・。 ××、△△、ビョウイン、アカチャン。 ワタシ、チュウゴク。 バイバイッッ!」 ガチャ!!!! ツーツーツーツー・・・・・・・・ NTTの人 「・・・・・・・・・・(´・ω・`;)ポリポリ」ダメだこりゃぁぁぁぁ。。。と、なったそうです。。。言われてみれば、夫はずっと病院。家には息子と対面した後、帰っていった上海のご両親しかいないのです。。。NTTの人が電報を届けに行った時も、ご両親は家にいましたが、見知らぬ人と判れば出られなかったとのこと。それなのに、しつこく電話がきたものですから、もう二人でパニックになっていたそうです。。。。そりゃそ~ですよねェ。。。。(;´д`)あぁ・・・ですが、NTTの人、実家の母に「いやぁ、まいっちゃいました。 そうですかぁ、中国のご両親ですかぁ。 でも、たいしたもんですねェ!!」と言っていたそうです。。本当、上海のお母さんはすごいです!ナハナハ(^▽^笑)
2005/07/06
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何度かすでに書いてきましたが、私は息子を出産する前後3ヶ月間、夫のご両親と一緒に生活していました。本当は宮崎の実家で出産したかった私。ですが、勝手に夫は上海のご両親が来ることを決めていました。出産の場所については喧嘩もたくさんしましたが、前に書いた通り、子供を上海で育てることを断固拒否した私。その手前、これは譲らなければならないかなぁ・・・と、私が折れる形で夫のご両親にお世話になることにしたのです。それに、生まれたての孫にくらい会わせなければ・・・・。ねぇ・・・。ご両親来日後。。。夫は昼間、仕事で留守ですから、当然私とお母さん、お父さんの3人。日本に何度か来た事のあるお母さんは、多少日本語を話します。ですが、挨拶程度。お父さんに至っては、全く日本語を話せません。(覚えようと言う気もないらしく・・・。そりゃそうだ・・・。)となると、日本語の解らない上海人と、上海語の解らない日本人。。。「も~~~~!!ど~~~~~したらい~~~~の~~~~!!!」。゚(*゚´Д)ノ。゚ヽ( )ノ゚。ヽ(Д`゚*)ノ゚。。゚ヽ(*゚´Д`゚)ノ゚。ゥェエエエエェェって感じです。。。。。。。(泣)ゼスチャーだけで意思の疎通を図れるわけもありませんから、なんとかネットで手に入れた簡単な上海語集を片手にお母さんに話しかけます。私 「ンマー、パパ、チャ、チャ」 (お母さん、お父さん、食べて食べて)母 「オ~。シャジャノォ~ン。アイアト~」 (おぉ、ありがとう。ありがとう)父 「・・・・・」・・・どうやら、お父さんには全く私の上海語(のつもり)が通じていないらしい。。。お母さんは一生懸命、理解しようとしてくれています。私 「ンマー、パパ、フチャ」 (お母さん、お父さん、お茶飲みましょう)母 「オ~。シャジャシャジャ。アイアト~」父 「・・・・・」・・・・・・・・。(T-T*)あげくの果てに、お父さんとお母さんの喧嘩勃発!!!中国人の話し方は、ご存知の通り普通でも喧嘩しているみたい。それなのに、それなのに、さらに激しい口調で言い合っている・・・・。しまいには、お父さんが荷物を片付け始め、お母さんは涙ぐみ・・・。お父さんはタバコを持って外に出て行ってしまった。。。。(荷物は玄関においてましたけど)もぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおお!!私はど~~したらい~~~~~のよ~~~~~~~~!!!!!!(号泣)夫にヘルプのメールをしたら、「あぁ、なんか喧嘩したらしい。 いつものことだから 大丈夫。」毎度毎度の短いメール。って、これだけかいっっ!!! 出産前の不安定な気持ちに拍車をかけるご両親と夫。。。。お母さんが落ち込んでいる風なので、なんとか慰めたいのだけれど、何ていえばいいのでしょう。。。。で、結局 私 「ンマ~。フチャ?」f(´-`;)ポリポリ 母 「ヲーワチャ。。シャジャノン」 (いらないわ。ありがとう。)・・・・・・・・・・。やっぱり・・・・o(TωT )( TωT)o結局、夫が帰ってきて、仲直りをしましたが、まだ出産前のこと。これからどうなってしまうのか、私は恐ろしくてなりませんでした。。。。つづきはまた今度☆☆ちなみに、タイトルの「ンナ」は上海語で内孫からみたお祖母ちゃん、「アヤ」はお祖父ちゃんの意味です。これが外孫から言う場合は、それぞれ「アブ」と「アコン」になるそうです。************************************話は変わりますが、今朝は息子を連れて病院に行ってきました。というのも、昨晩、BCGの痕から大出血!!!!(ひぃぃぃぃ~~)かさぶたがとれたようで、なんだかサラミの脂身みたいな白いものが出てきていたのです。。。その脂身みたいなものを取ろうとしたのですが、引っ付いたまま取れない!「何???身がでてきたっっ!!!肉がっっ!!!」ヒヒィィィ。。。Σ(`д´*ノ)ノ一人パニックの私。ですが、当の本人はケロッとしています。。。で、今日朝一で病院へ。結果は消毒しとけば大丈夫だそうです。よかった~~~。。。。(*´σ∀`)ェヘヘ
2005/07/05
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中国・上海出身の夫。9年前に来日し、日本語学校に2年在籍。その後、某有名国立大学に入学。4年間経済学部で学んでいたそうで、最近知ったのですが、なんと日本語検定一級の資格まで持っているそう。全く日本語が分からない状態で留学してきてここまで上達するのですから、我が夫ながら凄いとは思っているのですが・・・。どうやら、私に負けないくらいすっとぼけているようです。。。昨日の午後のこと。夫に息子のお風呂をお願いして、私は夕飯の買い物に出かけることにしました。 夫 「ショッツル、ダ~ヨ~ヨ~ラ~。アラバシャン、ホ~バ~!!」(子豚ちゃんお風呂だよ~。一緒に遊ぼうか~!!といったところでしょうか・・。多分・・・。)一週間ぶりのお風呂に張り切っています。う~ん、いい夫!と思いながら、買い物を終え帰宅した私。リビングを見ると、息子がマグマグを持ってチューチューしています。 私 「あれ?ジュースあげてくれたの?ありがとー!」 どうやら買っておいた赤ちゃん用のイオン飲料を息子に飲ませてくれたようです。 私 「でも、よく保管場所分かったねェ」 夫 「だって、いつもの場所に置いてあったじゃん。 あれ、一袋50ミリリットルの水で溶かせばいいんだったよね?」 私 「えっ?」私が買い置きしておいたのは、確かペットボトルに入ったイオン飲料のはず・・・。確か、袋に入っているのは使い切っていた・・・。 私 「どれどれ?まだ袋のやつ残ってたのかぁ~。。。」 夫 「え~?あったよ~?これでしょ?」夫が取り出した袋。そこには「とろみのもと」の文字が・・・・。 私 「(゚△゚;)え?これ?」 夫 「うん。これ。」息子を見ると、まだチューチューやっています。手にしているマグマグを見ると、明らかにイオン飲料では存在し得ないベトベトとした液体が、容器の壁に張り付いています・・・・。 私 「わ~~~~!! とろみのもと飲んじゃったよ~~~~!! これ、離乳食のとろみ付けで使う、片栗粉の粉だよ~~~~!!」 夫 「(゜∇゜ ;)エッ!? えぇぇぇ━━(;;゜д゜)━━ッ????」どうやら、間違いなく息子のお腹の中には、とろみのもとを溶かした液体が50ミリリットル流し込まれたよう・・・。 私 「ま、まぁ、食べ物だから大丈夫だと思うけどさ・・・。」どうしてパッケージの平仮名が読めなかったの?日本語検定一級なのに・・・・。このとろみのもと、パッケージの色、黄土色だよ?イオン飲料の爽やかさとかけ離れた色だよ?イオン飲料ってくらいだから、普通、白とか青とか、そんな感じじゃない?心の中では呟いてみるものの、気を利かせてくれた夫を、どうして責めることができましょう・・・・。相変わらず、物足りなそうにチューチューしている息子。マグマグを取り上げると、「アァァァァァ~~!!」と床上のバタフライみたいにして追いかけてきます。と、その瞬間。 息子 「ヽ(__ __ヽ)グヘッッッッ!!!」 私 「わ~~~~!Σ(゜▼゜;lll) 吐いちゃったよ~~~~!!!!!」 夫 「・・・・・・。」トロトロとした液体をぶちまけた息子。。。・・・・。やっぱり、気持ち悪かったのね・・・・。それにしても、夫が夫なら、息子も息子・・・・。とろみのもとを、それと分からず飲み干してしまうなんて・・・。片栗粉はでんぷんだから、甘かったりしたのでしょうか・・・・。可愛い可愛い夫と息子。。。お母さんは一人大笑いしてしまいました。
2005/07/04
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中国・上海出身の夫。私とは日本語で会話しますが、息子には上海語で話しかけています。(私は北京語は全く分かりません・・・上海語なら聞く分にはなんとか、チョコッとなら・・・)今朝の出来事。昨夜二時過ぎまでパソコンをいじっていた夫。今日は昼過ぎから仕事があるとのことで、いつもより寝坊しています。いつものように朝5時には目覚めた息子。早朝からリビングでキャーキャー大騒ぎ。どうやらまだ眠たいらしく、8時を過ぎた頃、抱っこ抱っこと私にまとわりついてきます。「ふぎゃぁぁぁぁん!!ふぎゃぁぁぁぁん!!」鼻水タラタラの、よだれタラタラです。およよっ!!息子の足が!!!!息子が私の体を伝って、自分で立とうとしているではありませんかっ!!「ん~まぁぁぁぁ~~~!!!ん~まぁぁぁぁぁ~~~~!!!!」もう、顔まっかっかの、耳まっかっかです。。でもでも、あとちょっとで立てそうな息子!!頑張れ!!!いけっ!!!!踏ん張れっっっ!!!!!「ん~~~~~~ばぁぁぁぁぁああああああああ!!!!!」(大号泣)ん~~~~~~~っ、あとチョッとなのよ~~~!!むぉぉぉぉぉ!!ぐぁんばれぇぇぇぇぇぇ!!!!!(握り拳)すると・・・ガチャッッ!(寝室のドアが開く音)夫「・・・うっるさいなぁぁぁ!!!抱っこしてあげればいいじゃんっっ!」バタンッッ!!(ドアの閉まる音)(プチッッッッ・・・・)ぬぁにいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!(怒)くぅおぬぅおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!どぁって、どぁって!!もうすぐたっちしそうだったんだも~~~~んっっ!!!ひとりイライラ、ムカムカ・・・。夫、懲らしめ作戦スタートです。。。しばらくして、11時頃夫起床。どうやら、あれからよく眠れないようです。。私のトゲトゲした雰囲気を察してか、話しかけるタイミングを計っています。いつもは「おはよ~」と言うところですが、息子を抱っこしたまま黙る私。すると・・・・・。夫「チュサラ・ノ~~~~ン??????」(ι´∀`*)ん~?ベタベタベタベタ・・・・・・夫「チュサラ?チュサラ???チュサラ????」(ι´∀`*)ん~?ベタベタべタベタ・・・・・・ずるい奴め・・・。こんな時にそんな甘えん坊さんになりおって・・・・。夫「おいでおいで!キスして」私「・・・・・」夫「ほらっ!!」私「・・・。その前に言うことがあるでしょ!!」夫「・・・・・・。ゴメン・・・・。」私「はぁ???」夫「・・・ごめんなさいっ。」私「・・・・よろしい」夫の言う「チュサラ・ノ~ン?」とは、上海語で「ん~~?どうした~~?」という意味だそうです。通常息子に向けられる甘々の上海語。妻はその攻撃に弱いのでした・・・・。ちなみに、夫とお昼を食べていたら、息子がたっちしました!!!!!!ん~~~~!すご~~~~いっ!!!!今日もいい日だ!!!!
2005/07/03
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もうじき9ヶ月になる息子。頬っぺたにむしゃぶりついたり、太ももをニギニギしたり、首元をクンクンしたり、あごをコチョコチョしたり・・・。お母さんのヨダレがでるような至福の瞬間は、挙げれば限がないくらい・・・。 そんな今では考えられない事ですが、私は息子を出産する前、もしかしたら自分の手元で育てられないのではないか・・・という不安と闘っていました。それは、中国人である夫と一緒になった時から始まった不安です。日本で働く中国人のご家族と夫を通じて知り合うことが多いのですが、お子さんのいる場合、その何組かは親ではなく中国にいるお祖父ちゃんお祖母ちゃんに面倒を診てもらっています。もともと、共稼ぎが多く、出産後も当然のように女性が働くといわれる中国では、お祖父ちゃんお祖母ちゃんが必要不可欠な存在なのでしょう。親は日本で働き、中国で生活する子供に経済的援助をするというのが、ごく普通の感覚としてあるようです。かくいう夫の両親も、夫の姉の子供を3歳まで上海で育てました。(夫の姉も日本在住です)結婚してから、夫の姉の家に行く度、上海に電話をかける度、「子供が生まれたらどうするのか?」と聞かれていました。まだ若く(?)人生経験の浅い私と夫に、きちんと子供を育てられるのか。もし、子育てで私が仕事を辞めることになったら、経済的に本当に大丈夫なのか。そう上海のご両親は夫に話していたそうです。 健康で、経済的には裕福とはいかないまでも普通の生活ができる親がいるのに、どうして手元で育てることを歓迎してくれないのか。私には理解のできない考えでした。当時、私は「子供がうまれたら、上海に預けてお金をためよう」などと簡単に言ってのける夫に、「子供は親が育てるものでしょ。お金がたとえなくても、生活保護をうけてでも、私は自分の子を育てるよ!!お金がない、しょうがないから子供を上海に預けようじゃない。お金がない、でもなんとしてでも自分の手で育てようって頑張るのが親でしょう!!」と大泣きして訴えました。子供は親の力だけで育つものではないと十分に理解しています。上海のご両親より、はるかに自分が頼りない人間であることを理解しています。経済的に余裕のある方が、子育てにはいいのかも知れないとも思います。ですが、自分の手元で育てることだけは譲れませんでした。 3歳まで上海で育った姉の子供は、「そんな事言うなら、上海の学校に入れちゃうよ」「上海にもどしちゃうよ」と、たとえ冗談で発せられた言葉に対してでも、おどけた中に、怯えたような、悲しそうな、本当になんともいえない表情をします。決して、お祖父ちゃんお祖母ちゃんが嫌いなのではありません。上海が嫌いなのでもありません。ただ、お父さん、お母さんと一緒に暮らしたいのです。私はそう理解しています。結局、何度も何度も上海に子供を預けるように言われましたが、私は拒否しました。そして、夫も私を理解し、力をかしてくれました。(今では息子無しでは生きていけない~~~・・・そうです)上海の両親も、私の考えを理解してくれたようです。(ここまで読んでいただいて、私と全く別の考えの方も沢山おられると思います。そんな方々のご意見をいただけたら、嬉しいです。)いずれ、息子がきちんと私と夫の言うことを解る日がきたら、上海に留学させてもいいと思っています。半分は中国人、半分は日本人なのですから。とりあえずその日まで、夫は上海語、私は日本語、食事は和中華、躾は日本式で子育てに奮闘していきたいと思います。上海のお父さん、お母さん、生意気な嫁ですが、これからもよろしくお願いします。ヘヘ(。・┏∀┓・)ノ゙
2005/07/02
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私の目の前に一冊の絵本があります。 「おかあさんとあたし。」(ムラマツエリコ・なかがわみどり著/大和書房) 「はじめに おかあさんに『くつが反対』 と直されたり 冷蔵庫にシールをたくさん貼ってもいいよ、といわれてうれしかったり すごいとこ見せたくて 階段からジャンプしてみたり しりとりしながら昼寝、 『りくつっぽい』と怒られる、 ストーブの上でお芋を焼いてもらう、 バスのボタンは自分が押す、と ひとさし指をたててかまえる… 忘れてるようで、ふっと思い出す、 『こどものわたし と おかあさん』の一瞬。 断片的に、 イミのない、 なんでもないことが、急に頭をよぎる。 ほんとに なんてことのない、 おかあさんとセットになった記憶。 日常の、 なんでもない、 でも忘れたくない、一瞬。」 こんな文章で始まるこの本には、誰にも共通している「おかあさん」との思い出がたくさん詰まっています。 私の母は、宮崎の農家に6人きょうだいの三女として生まれ、婿養子の父、実の父である祖父、後妻さんで血のつながっていない祖母、小児麻痺にかかり障害のある伯父、そして私を含む三人の娘の面倒を看ながら、農業をしていました。 朝から日の暮れるまで働き、家族の食事の世話をし、掃除洗濯をし・・・。 厳格な祖父のもとでずっと生活していた母は、自分の感情をあまり表に現さない人でした。(それに比べて父の能天気なこと・・・・) 疲れもあったのか、イライラすることが多い人でした。 言葉にして人に愛情を表すのが苦手な人でした。 でも、幼い頃から、私は母の愛情をいっぱいに受けて育ちました。 雨の日の昼下がり。 それは、幼い私の特別な日。 雨が降れば、おかあさんは畑に行けない。 雨が降れば、おかあさんがお家で待っててくれる。 「お帰り!今日はいっぱい濡れちゃったねぇ・・・。ほら、早く靴下と制服脱いで、足、お風呂場で洗っておいで。」 晴れの日の昼下がり。 晴れているから、おかあさんは畑。 晴れているから、おかあさんはお家にいない。 「おかえりなさい。今日は畑で草取りです。机の上にあるビスケットと、冷蔵庫にある麦茶を食べてね。お母さんより」 なんでもないメモ帳に記された、母から私へのラブレター。 今年57歳になる母。 昨年ババになった母。 今年2○歳になる私。 昨年おかあさんになった私。 息子が大きくなって、「おかあさん」との些細な日常を、ふと、温かな気持ちと共に思い出してくれたらどんなに嬉しいだろう・・・。 そんな事を、考えています。********************************* この日記を打っていたら、さっきまでキャーキャー言っていた息子が急におとなしくなりました。気になってじっくりみてみると、口の中に誰かさんの名刺が・・・・。 私「○っ!お口空けてっ!!も~~、すぐお口に入れちゃうんだから~~~!」 息子「ぐギギギギギギィ~~~~~~~!!」ニヤリ。(笑) 私 「イタっっ!!」 三本しか歯が生えていないくせに、口に入れた私の指を噛んで激しく抵抗する息子・・・。 私「嫌じゃないのっっ!お腹いたいいたいなっちゃうよ!」 息子「ぐギギギギギギィ~~~~~~~!!!」ニヤリ。(笑) 私 「イタタっっ!!!」 息子「ぐギギギギギギィ~~~~~~~!!!」ニヤリ。(笑) 私 「イタタタタっっ!!!」 息子「ぐギギギギギギィ~~~~~~~!!!!」ニヤリ(笑) 私 「イタタタタっっ!!」 私 「くぉのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉお!!!(半怒)」 息子「ぐギッッ・・・・。」(半泣き) 私 「・・・やった・・・・・・。」 息子め・・・。お母さんは指が痛いぞ・・・・。 こうなったら、ご飯の時フェイントかけてやる・・・・。 フフ。口半開きのまま、待つがよい・・・・。
2005/07/01
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