2014年08月13日
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テキサス親父というネームで知られるイタリア系アメリカ人評論家のトニー・マラーノさんが、テキサスのカトリック教会の神父さんを通じて、ある噂の真相を調べてもらった。噂というのは、日本の友人から聞いた話で、第2次世界大戦のA級戦犯14人が、東京九段の靖国神社に合祀されたあと、東京のお寺の僧侶が、当時のローマ法王にお願いして、サン・ピエトロ大聖堂で日本人戦犯のためのミサを行ったという話。法王庁からの返事は、1980年に日本人の戦犯のためのミサが行われたことは事実である、というものだったという。

当時の法王はヨハネ・パウロ2世である。ああ、なるほど、と思われる方も多いだろう。昭和天皇がお会いになった法王はふたり、ベネディクト15世とヨハネ・パウロ2世。ベネディクト15世とお会いになられたのは大正10年、皇太子時代である。バチカンを訪れた際にお会いになられた。その後、日米戦争の最中、昭和17年にバチカン市国と国交を樹立する。およそ22年間にも渡って、昭和天皇はバチカンとの国交を心密かに望んでいた。背景にはカトリック教徒だった山本信次郎海軍少将の影響がある。軍人の中には、キリスト教徒も少なからずいたのである。そして戦後になって1981年に来日したヨハネ・パウロ2世が皇居に表敬訪問したのだった。

日本人の戦犯のためにサン・ピエトロ大聖堂でミサを行ったのは1980年ということだから、来日する一年前ということになる。別の方の著作に次のような記述がある。

東京都品川区に品川(ほんせん)寺という真言宗のお寺がある。そこの仲田順和住職が、ローマ法王に会ったことがある。
「東京裁判をどう思うか」と聞いてみた。
「連合国が自分のしたことを棚に上げて、日本だけを裁いたのが、東京裁判である」と法王は述べたという。「私は恥かしいことだと思っている。処刑された人々を慰霊したい」
住職は法王の願いに応えて、昭和55年、ABC級戦犯といわれる1618柱の位牌を、別製の五重塔に詰め、ローマまで持参した。5月21日、法王拝謁の大集会の時、法王は荘厳なる鎮魂のミサを捧げた。

こうした見解の背景には、アメリカが行った長崎への原爆投下がある。長崎は極東の聖地であり、数百年に渡る殉教によって信仰を守り続けた土地である。豊臣秀吉の命令によって26人のカトリック信者が処刑されたのは1597年。清教徒のメイフラワー号が初めて東海岸に着いたのは1620年、アメリカという国も存在していなかった。ローマ教皇ピウス9世によって26人の殉教者が列聖されたのは1862年、こうした節目の年は日本ではあまり知られていないが、バチカンでは意味のある年である。1945年に浦上天主堂はがれきの山になり、8500人もの信者が原爆の犠牲になった。

バチカンには、わたしたちが学ぶ歴史とは、別の歴史がある。世界各地にいる宣教師からの書簡である。宣教師たちが自分の目で直に見た出来事を書き綴って報告した書簡が、歴史の忠実な証言として大切に保存されている。ヨハネ・パウロ2世の言葉は、宣教師たちの書簡を読んで、歴史について深く考えた人の言葉である。ABC級戦犯への鎮魂ミサも、深い悲しみと慰霊の気持ちから捧げられたものである。






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最終更新日  2014年08月13日 12時58分13秒
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