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小池百合子さんの会見を見て、がっかりしたのは、わたしだけだろうか。全国津々浦々にあるパチンコチェーン店が感染拡大の原因になっているにも関わらず、自粛要請はまったくなく、日本のアンタッチャブルになっている。自民党の二階幹事長との会談のあと、東京都民の税金で購入した医療品を中国政府に寄贈した小池さんだが、実は、小池さん、二階さん、中国政府とパチンコチェーンは、ひとつの固い絆で結ばれている。国際観光産業振興議員連盟、いわゆるIR議連である。去年の暮れに、自民党の二階派の秋元司さんが逮捕された。中国企業から賄賂を受け取った容疑である。この議員連盟の有力議員が、小池さんと二階さんである。さらに所属議員の多くが、パチンコチェーンストア協会にも所属している。IR議連の副会長、副幹事長、副事務局長という地位にある議員さんが、パチンコチェーンストア協会の政治部門アドバイザーになっている。もちろん自民党の議員さんばかりでなく、共産党を除く野党、立憲も、維新の会も、国民民主も、パチンコ利権を食い物にしてきた。一見すると、中国政府との関与はなさそうに見えるが、パチンコ店の経営は苦しくなっており、経営者の高齢化も進んでいる中国企業の買収が、アンタッチャブルな報道規制のなかで進んでいる。秋元司さんの汚職事件も、パチンコ店の買収と、どこかで密接に繋がっているのではないかと噂されている。安倍政権は、北朝鮮との関係を断つべく、ギャンブル事業を推進してきた。安倍さんの頭には、FBIなどの国際機関と協力して、ギャンブル業界の資金の流れを透明化したいと目論みがあったはずだ。ところが中国企業の方が賢かった。二階さんや小池さんをコマとして使い、全国津々浦々にあるパチンコチェーン店を買収しようとしてきた。今回のコロナウイルスは、世界の利権構造、地政学を大きく塗り替える。新しい世界がどのようなものになるかは、だれにもわからない。だからこそ、小池百合子さんはパチンコ店の自粛要請はしなかった。安倍さんはこちら側にいても、小池さんはあちら側にいる。自民党だけでなく、他の野党の議員もふたつの派に分かれて覇権を争っている。キャバクラ、ホストクラブ、カラオケ店、風俗店は倒産してもかまわない。しかしパチンコ店だけは、どうしても守りたかった小池都知事。東京都民の税金で買った医療品を中国に寄贈した、したたかな思惑と、まったく同じ計算で、パチンコ店の自粛は行わなかったのである。
2020年04月01日
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財務省はなぜ書き換えを行ったのか。新聞を読んでも、テレビを見ても、よくわからなかったが、須田慎一郎さんの説明を聞くと、ああ、そうか、と理解できる。https://youtu.be/SCJePlAFA0M関西では三つのタブー、触れてはならない事情、アンタッチャブルがある。暴力団、在日、同和である。官僚はこの問題に触れないように、また近づかないように配慮してきた。橋下徹さんの生い立ちがアンタッチャブルと関わっているのはよく知られているが、その一方で、市民団体が革新と保守に分裂して、衝突していることはあまり知られていない。今回の払い下げも、民主党時代の野田中央公園と、自民党になってからの森友学園、住み分けする形で利権を得ている。財務省が隠したかったのは、市民団体や土建会社、また産廃に関わる裏社会など、さまざまな組織に忖度をしてきた過程そのものだ。アンタッチャブル、利権、忖度、この構図は新聞社もテレビ局もまったく同じである。忖度しながら、その事実を隠したい。マスコミが安倍政権だけを批判する姿勢そのものが、忖度している事実を示している。
2018年03月18日
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教育基本法には大きな欠点がある。子供自身の身になって、どういう大人になったらよいか、その道が示されていないのである。親はこうすべき、教師はこうすべき、大人たちの義務は書かれている。しかし子供たち自身の身になって、どうやって生きてゆけばよいのか、その道はまったく示されていない。教育は大人と子供が協力し合って作り上げるものだが、むずかしい法律なんて子供は読まねえよ、という態度である。防衛大臣の稲田朋美さんが教育勅語に深い関心を示しているのは、子供自身の身になって、どういう大人になればよいか、その道が示されているからである。教育基本法と教育勅語の違いは、大人の身になって教育を考えるか、子供の身になって教育を考えるか、大人か、子供か、その視点の違い、立ち位置の違いである。明治天皇ご自身が、子供の身になって、自分はこうした大人になりたい、そういう理想を語った言葉である。歴史に残る名言とはなにか。聖書の言葉、リンカーンの独立宣言、そして教育勅語、時代を越えて人々の心に強く訴えかける言葉は、こうすれば人は幸せになれる、その道を集約した言葉である。教育勅語が見直されている理由は、人生のなんたるかが、先輩である明治天皇によって明示されているからだ。子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲むつまじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、すべての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは、むろんのこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。明治天皇は教育勅語を締めくくるにあたって、国民とともに歩んでゆきたいと述べている。国民とともに、立派な日本人になれるように努力してゆきます。昭和55年、川崎に住む少年が、睡眠中の両親を金属バットで殴り殺した。昭和63年、足立区の少年たちが女子高生を誘拐し、両親と同居している自宅の二階に監禁し、三ヶ月に渡ってレイプをくり返したあと、少女を殺害し、コンクリート詰めにして埋立地に捨てた。昭和56年、パリに留学していた青年が、オランダ人の女子留学生を射殺し、遺体を生のまま食べり、フライパンなどで調理して食べた。平成27年、川崎に住む少年たちが、別の少年をナイフでめった刺しにして河原に捨てた。平成26年、佐世保に住む女子高生が、同級生を自宅で殺害し、のこぎりやハンマーで遺体を解剖した。こうした少年犯罪は列挙にいとまがないのだけれど、幼少期に教育勅語を学んでいたら、防げたかもしれない事例である。防衛大臣の稲田朋美さんは弁護士である。少年たちの起こした凶悪犯罪を詳細なまでに知り尽くしている。政治家として犯罪を防止するにはどうしたらいいか、くり返し熟考してきた人物である。国会で稲田さんを吊るし上げにした共産党や民進党の議員たちは、凶悪犯罪を起こした加害者の人権を擁護する立場で活動してきた。被害者の立場に立って、どうしたら犯罪を防止できるかを考えてきた稲田さんと、加害者の立場に立って、どうしたら犯罪者の人権を守ることができるかを考えてきた共産党や民進党の議員たちは、世界観が正反対なのだ。わたしは稲田さんのすこしおマヌケなところが好きだ。国会の答弁も、あまり上手とは言えない。しかし小池さんや蓮舫さんのように、他者を悪者にして非難をくり返す、そういう下劣なことは決して行わない。着ている服もすこしダサいのだけど、大学生の娘さんと服を共有しているそうである。多忙を極める稲田さんにとって、服を共有することが家族の絆なのかもしれない。その娘さんが服を選ぶ基準は、小学生がピアノの発表会で着るみたいな服。わざとダサい服を選んでいるのかもしれない。娘さんとしては、母親に遠くに行ってほしくない、カッコよくなってほしくない、そういう願いがあるのだろう。稲田さんが、日本を軍国主義に導くとは考えられない。共産党や民進党の批判は、風評被害のレベルである。戦争が終わってから70年間、日本人は戦前の社会を否定し、まったく正反対の道を歩んできた。社会は豊かになったし、自由にもなった。移民を受け入れて、外国人ともに生活するようになった。しかしその反面、犯罪が増えて、移民に仕事を奪われる懸念も出てきた。いまの日本人は歴史のターニングポイントに立っている。トランプ大統領の誕生もそうした過度期の現象である。国家も、民族も、ごちゃ混ぜにしたグローバリズム。国境も、宗教も、消えてしまえばいいと、ジョン・レノンは歌った。オバマ政権までの理想だった。その理想が行き詰って、別の理想を語るトランプさんが勝利した。それぞれの国が、それぞれのやり方で、国家を運営し、それぞれの理想をめざす国際社会。ごちゃ混ぜの国際社会ではなく、多様性をめざす国家連合体。日本は日本独自の道を探さなければならなくなった。トランプは好きにやればいいと言っている。教育勅語が見直されているのも、そうした流れのひとつである。戦前を全否定していては、日本独自の道は見つけられないのだ。来たるべき時代のために、古きをたずねて新しきを知る、まさにそういう時代になったのだと思う。
2017年03月19日
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フランシスコ・ザビエルの布教から、徳川幕府のキリシタン弾圧まで、およそ百年間が経過している。その百年間に、キリスト教の信者は百万人を越えたという。当時の人口を考えると、たいへんな数である。しかし邪教だと考える人も多かった。なによりも奇異に思えたのは、処刑された罪人の十字架像に向かって、祈りを捧げる信者の姿だった。死者に祈るだけならまだしも、十字架にかけられた罪人、いわば晒し首にされた人物を崇める姿が、当時の人には気持ち悪くてしかたなかった。神道があり、仏教があるのに、なぜ罪人を崇拝する邪教を信仰する必要があるのか。そうした素朴な疑問が一般の庶民のなかにあった。宣教師たちは布教に苦労したようである。宗教には、科学的合理主義とは相反するものがある。キリスト教を例に取れば、キリストの復活自体が科学的とは言えない。処女のまま受胎したマリアの話も不合理である。最悪なのが、死者が墓から呼び出されて、最後の審判を受けるという話。科学的合理主義を厳格なまでに信じるならば、聖書に書かれている言葉は、なにひとつ信じることができない。しかし幸いなことに人は、科学と宗教の両方を信じるだけの心の広さ、曖昧な物事を曖昧なまま受け入れて、そのなかにある美しさや善良さを読み解く能力を持っている。名門校として人気の高い白百合学園では、子供たちに祈りの言葉を唱えさせている。季節の折々には、教会でミサを行っている。聖人の行いや言葉を教え、聖書に書かれている物語を語って聞せる。南蛮バテレンの時代から五百年が経って、罪人に祈る邪教はいつしか正統な宗教の地位を確立した。白百合学園は名門校として憧れる存在になった。しかし科学的合理主義を徹底すれば、不合理なことを子供に教えるカルト集団ということになる。民進党議員のなかには、いまだにマルクス主義の唯物論をかたくなに信じている人々がいる。そうした人々にとっては、宗教は人類を惑わす邪教である。当然ながら白百合学園もしかり、子供たちを惑わすカルト集団となる。しかし表立って批判すると、政治生命が危うくなるから、口を閉ざしているにすぎない。森友学園が教育勅語を教えているから問題だと批判する人がいる。それでは白百合学園が聖書を教えるのはよいのだろうか。教育勅語はフランスに留学した井上毅が起案の文章を作った。フランス革命のあとの近代ヨーロッパ市民社会の理想主義と、日本の古来の理想主義、聖徳太子の十七条憲法に示されている理想主義が見事に融合した名文である。なぜ森友学園は教育勅語を教えるのか。アメリカ人は小学校でリンカーンの独立宣言を学ぶ。教育勅語も、独立宣言も、ただの言葉ではない。歴史の積み重ねという悠久の時間が、単なる言葉を、言葉以上のものに至らしめた。人の心を奮い立たせて苦難へと向かわせる力強さを、教育勅語も、独立宣言も、先人たちの生きざまという形で受け継いでいる。白百合学園が教える聖書も同じである。キリスト教のために殉教した過去の聖人たちの行いや言動が、聖書の言葉を科学的合理主義と同じくらい、人生の役に立つものにしている。教育勅語も、独立宣言も、聖書も、歴史の積み重ねという、かけがえのない時間の遺産によって、時代を越えて未来への架け橋になる。子供たちが大人になり、子供を産んで育て、やがては年老いて死に至る、人生の長い時間に、折々思い起こしては熟考し、よいよい人生を送れるように導いてくれる道しるべの役割を、歴史に研磨された言葉は担っている。
2017年03月03日
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百条委員会が開かれると、にわかに活気づくのが、共産党だ。たったひとりを、数十人が取り囲んで集団リンチする。偽証罪をちらつかせて、脅迫までする。大人げないというか、はしたないというか、イジメを防止しますと言っている政治家が、自ら率先してイジメの見本をやるんだから、どうしょうもない。マスコミ向けのパフォーマンスを、誇らしげに民意だという共産党の意地汚なさ。こうした残酷さは中国や韓国の政治にそっくりである。猪瀬さん、舛添さん、そして今回は石原さん。前任者を権力の座から引きずり下ろして、革命だと叫ぶ人民解放軍の兵士たち。文化大革命のとき、各地で行なわれた公開裁判、それを指導した四人組も集団リンチにあって処刑された。韓国も同様である。政権が代わるたびに、自分たちが選んだ大統領を弾劾しては、大喜びしている。最近の日本の政界は、隣国に似てきている。マスコミも同様だ。それもそのはずで、なりすまし日本人がたくさん入り込んでいる。民族団体が、なりすまし企業を使って政治献金する。手口も巧妙化しているから、警察も止められない。当然ながら隣国の得意芸である政治パフォーマンスが流行るのだ。今回の石原さんに対する集団リンチは、なかでも最悪だ。石原さんは脳梗塞を経験したおじいちゃん。歩くのもやっとで、歩幅も小さく、ヒヨコみたいによたよたしている。そんなおじいちゃんを集団でリンチする。引退して、公的にはなんの権力もない、ごく普通の都民。力のない者を、力のある者が寄ってたかってリンチする。理由は自分たちの人気取り。票集め。小池新党を立ち上げるから、かっこいいパフォーマンスをやりましょう。舛添さんが辞任したとき、わたしたちが望んだのは、仕事をこなせる実務家だった。まともな政治家だった。仕事のできる人物だった。小池さんが就任して半年が経つが、なんの業績もない。マスコミを総動員して大騒ぎし、挙げ句の果ては、脳梗塞の老人を集団リンチする。取り巻きも悪い。安倍政権の誕生で人気がなくなった人たちが、名誉挽回とばかりに小池さんを取り囲む。その先にあるのは、小泉さん、鳩山さん、管さんのときの緊縮財政。だれかを悪人にして、ムダ遣いしたのはコイツのせいだと、集団リンチする。それが政治だと思っているから、まともな行政なんて、できるはずがない。
2017年02月20日
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桜井誠さんは、新しいタイプの政治家である。どこの政党にも属していない。労組や朝鮮総連など、いかなる組織からも資金援助を受けていない。企業からの献金もない。金を出してもらえば、見返りを求められる。都庁とのパイプ役になって、口利きをする。政治家なら誰でもやっている不正行為を、桜井さんは一切やっていない。本の出版と、YouTubeなどのネット、講演会、街頭演説で、支持者を増やしてきた。テレビに出演できないのも、プロダクションと契約していないからだ。いかなる組織の制約も受けずに、自由に発言できる。利権集団にとっては最も恐ろしい存在である。すでに4回の殺人恐喝を受けている。では桜井さんが都知事になったら、なにがどう変わるのか。◯都議会のドン、内田茂さんの横暴を許さない。猪瀬さんが、東京都の腐敗を暴露している。諸悪の根源は、東京都連の幹事長である内田茂さん。マフィアのドンのように居座っている。小池百合子さんが推薦なしに立候補したのも、内田さんが実権を握り、都合のよい人物しか推薦しないからだ。岩手県で大失態をやらかし、巨額の赤字を作った増田さんが推薦されたのも、ドンに楯突かない無能者だからだ。小池さんや桜井誠さんは、なにをしでかすかわからない。自分の身が危ないから、どんな手を使ってでも蹴落とす。まるでヤクザ映画だ。○災害に強い都市になる。福島原発事故のときに、現地入りした政治家やジャーナリストはふたり、青山繁晴さんと桜井誠さんである。桜井さんはマスク一枚、自家用車のバンに救援物資を積んで現地に駆けつけた。東京に災害が起きれば、最前線で陣頭指揮をする。そういう人だ。○外国人犯罪を徹底的に撲滅する。池袋には400人ほどのチャイニーズマフィアがいる。新宿には、韓国、ロシア、南米、東欧など、海外の組織がしのぎを削っている。警視庁の取締りで、山口組を始めとするヤクザは減少したが、その隙間をついて勢力を伸ばしてきたのが外国人組織だ。彼らは恐ろしい。なにをするかわからない。世田谷一家殺害事件のように家族全員が殺される事件も起きている。○メディアの偏向報道がなくなる。2キロ近くもの黒色火薬を所持していたテロリストが、爆弾テロではなく、爆発音テロと報道される不思議。寺や神社に油をまいて国宝に傷をつけた犯人が韓国人だとわかると、メディアは急に沈黙した。凶悪犯罪者も、本名ではなく、日本人の名前である通名で報道される。テレビ局の偏向報道に対して抗議してきたのが桜井さんだった。新聞社やテレビ局は、報道のあり方を大きく変えざるを得なくなるだろう。○移民が減少する。パリやロンドン、ニューヨーク、どこの国でも、移民問題が限界に来ている。移民が増えると、若者の職が奪われる。人権は豊かな社会に許された贅沢である。人権という贅沢を免罪符のように乱発すれば、社会はどんどん貧しくなり、若者の暮らしは苦しくなる。○歴史問題にケリがつく。歴史問題は、左翼と周辺国が創作した捏造である。しかし政治家は、周辺国の顔色をうかがって、抗議しなかった。その結果は2キロ近くの爆薬を使って、同時多発テロを企てた元軍人である。反日教育を受けた若者がイスラム国に行って多量殺戮を行う。テロが起きるのは時間の問題である。桜井さんは、若い世代にとっての希望である。若者の暮らしがよくなるかどうかは、都知事選の結果しだいだ。若者が投票所に足を運ぶかどうか、それによって日本の未来が決まる。
2016年07月28日
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自民党推薦の増田さんは、建設省の役人、道路を作れば日本が繁栄するという、単純明解な道路族の末裔である。しかし悲しいかな、時代遅れ。ソニーやパナソニックが、なぜアップルに負けたのか。グーグルやアマゾンは、なぜ強いのか。その反省なしに道路ばかり作っても、日本が繁栄するのは無理。残念ながら、増田さんには、そこまで考える知性がない。氷河期の恐竜みたいに時代から取り残された人である。○岩手県知事時代、県の赤字を1兆2千億円に増やし、財政を圧迫させた。工場を建設して経済を活性化させようとした。事業は失敗し、赤字ばかりが増えた。増田さんは責任を取らずに岩手県を去り、都知事になろうと奮闘している。飛ぶ鳥はあとを汚さず。増田さんは汚しっ放しでトンズラする。○日韓グリッド接続構想を提唱。海底ケーブルを介し、韓国に電気を送電する。まったく理解できない構想。竹島を不法に占拠している侵略国に、なぜ日本が電気を差し上げなければならないのか。こんな考え方をしているから、工場ひとつ、まともに作れないんだ。○外国人にとって魅力的な環境を作って、移民を増やして地域を活性化する。少子化と移民のダブルパンチで若者は貧しくなる。プアジャパニーズ倍増計画。岩手県も増田さんがトンズラしたあとは、多額の借金と少子化、若者の岩手県脱出で、悲惨な状況に陥った。次は東京という恐さ。○知事外交がお好き、しかも成果なし。舛添さんと同じ。フィンランドではノキアを視察、スウェーデンではエリクソンを視察、バリ島では観光事業を視察、ニューヨークでは岩手県人会との懇談、南米のパラグアイなども訪問している。で、税金使って工場を作り、活性化しようとしたが、イノベーションは実らず、赤字を増やした。岩手県の主要港湾からの輸出額がゼロの年すらあったというから、口から出まかせのホラ吹きである。民間企業なら、借金抱えて自己破産し、地下道に寝泊まりする浮浪者になっていた。政治家は責任取らずにトンズラできるから、楽な商売である。○韓国人などの外国人に地方参政権を認めるべきだ。移民を入れて参政権を与えて、中国や韓国に侵略してもらいましょうということか。おまけに海底ケーブルを建設して、電気を韓国さまに差し上げましょう。増田さんの頭の中がどうなっているのか、覗いてみたいものだ。○この人の頭には、アップルもグーグルもなく、韓国愛があるのみ。なぜこんなに韓国が好きなのか。不気味なくらい舛添さんに似ている。自民党さん、公明党さん、なんでこんなホラ吹き男を推薦するのか、まったく理解できません。
2016年07月26日
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在特会というと、ヘイトスピーチ、差別、極右といった言葉で、ネガティブキャンペーンが行われている。口を開げは言論の自由を主張するマスコミが、気に入らない人物には悪いイメージを植えつける。テレビにも出演させてもらえない。しかし記者や政治家を含めて、在特会を批判できる資格を持つ人、品位を持つ人は、残念ながらひとりもいない。なぜならば原発事故が起きた直後に福島入りして、水や食料を現地に届ける活動をしているからだ。記者や政治家が東京の安全地帯にいて、自分のやるべき仕事、報道や人命救助を自衛隊員に丸投げしていたとき、存特会のメンバーは放射能に汚染された地域で、情報収集やボランティアの活動をしていた。そのときの映像がネットに残っている。まぎれもない事実だ。情けないのは民主党議員で、現地に行って対策本部を設置しなければならないのに、だれひとり行かなかった。法律で決められているのに、なにもしなかった。臆病風を吹かせて、引きこもっていた。東電職員を怒鳴りつけていただけである。そういう連中が政権を奪われると、脱原発だと騒ぐのだから、たまったものではない。事が起きれば、真っ先に逃げ出す臆病者の集団だ。人の資質は、非常時に決まる。世の中が平和で、リスクがないときなら、偉そうなことが言える。しかし非常時となると、行動するか、しないか、選択を迫られる。慎重になり、気の弱い人は怖気づく。だれだって恐い。でもその恐怖感を克服できるかどうかが、尊敬されるべき人物と、軽蔑に値する人物との違いである。福島に入ったかどうか。単純なことだ。桜井誠さんは行った。青山繁晴さんも行った。しかし民主党議員は行かなかった。共産党議員も行かなかった。それだけだ。軽蔑にしか値しない政治家が、ヘイトスピーチだ、差別だ、極右だと騒ぎ立てる。法律まで作って口封じするのだから、日本の政治も地に落ちた。桜井さんにとっては、厳しい選挙戦である。組織票が得られるわけでもないし、バックに利権集団がついて金を出してくれるわけでもない。マスコミには顔すら出してもらえない。寄付金とボランティアに支えられた孤独な戦いである。それでも桜井さんは立候補した。東日本大震災の日に、原発事故が起きて、よし、現地に行こう、と決めたときと同じだ。ここで行動しなければ、男がくさる。使命感に掻き立てられて、立候補を決めた。中国や韓国の利権争いで、東京がめちゃくちゃになっている、そんなの御免だ、そういう思いが、桜井さんを急き立てている。半世紀前には、左翼の若者たちも、純粋に使命感から学生運動をしていた。しかし今や利権のために中国や韓国に媚びを売っている。左翼の時代は終った。桜井さんの方が、純粋にこの国を思って行動しているのである。
2016年07月21日
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物理学者のファインマンさんは、酒を飲まなかった。考えるのが仕事なので、アルコールが脳に与える影響を懸念したのである。歳を取るにつれて、聡明になる人と、若いときの知性が失われる人がいる。経験が豊かになり、賢明な判断ができるようになる一方で、筋肉が衰えるように脳細胞もすこしずつ失われる。とくにアルコールの影響は大きい。普通に生きてゆくなら、べつにどうということはない。陽気な老人くらい、人の心を和ませるものはない。人間はすこしくらいバカな方が、魅力が増すものだ。しかし日本の首都、世界でも屈指の大都市を動かす人は、バカであっては困る。物理学者のファインマンさんと同じように、考え、判断し、部下に命令し、人と会い、決断する。普通の人とは比べものにならないくらい、勢力的に活動してもらわないと困る。理解したり、判断したり、説明する能力が欠落している人には、都知事になってもらっては困る。立候補者に討論してもらう番組を、フジテレビが企画した。ところが直前になって、鳥越さんがドタキャンし、番組は中止になった。テレビ業界を歩んできた鳥越さんが、理由もなく出演をドタキャンすることはありえない。認知症もあるという噂である。最近撮られた写真も、驚くほど老け込んでいる。東京都の抱えている問題、財政や官僚システム、人事、法律などを、理解できないのではないか。なによりも政治家としてのヴィジョンがない。アベ政治を許さない、それだけである。具体的な話がなにもない。まったくの空っぽ。高度な議論をする知性がないのだ。だからドタキャンした。勝目がないからテレビ局に行かなかった。視聴者に、なにより都民に失礼である。立候補者がどういうヴィジョンを持っているか、それすらわからずに選挙に行けというのか。国民に対する背信行為である。民進党や共産党がバカにされるのは、こうした背信行為を平気でやらかすからだ。知名度だけで候補者を選んだ。あとなにもない。アベノミクスがいやだ、改憲がいやだ、だから邪魔してやれ。日本がどうなってもかまわない。東京がどうなってもかまわない。責任感がまったく感じられない。安倍政権の邪魔ができれば、それで充分。薄ら寒い思考が、透けて見えるのだ。岡田さんは政治家を引退した方がよい。人の上に立って尊敬される人物ではない。お金持ちの御曹司なのだから、国民に迷惑がかからない場所で、悠々自適に暮らしてほしいものだ。
2016年07月18日
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小池さんを応援すれば除名する、と東京都連は脅しているという。その制約は家族にまで及ぶ。おいおい、冗談だろう。なにを恐がっているんだ? 残念ながら与党にも、不正をやっている議員らしい。朝鮮学校問題は舛添さんばかりでなく、組織ぐるみの犯罪、複数の党にまたがる不正資金問題かもしれない。韓国の国家ブランド委員会から数兆円規模の工作資金が日本の政財界、マスコミに流れているという噂がある。その一部が都議会の議員たちに流れていると考えれば、自民党の焦りも理解できる。週刊新潮が小池さんを揶揄して、権力と寝る女と書き立てた。問題は小池さんが寝た権力が、当時の国民にどう思われていたかである。細川内閣のときに政務次官を勤めている。当時の細川さんは日本の政治を根底から変える人物だと期待されていた。小沢さんと手を組んだこともある。民主党が誕生する前の、保守勢力の旗手としての小沢さんだ。インテリジェンスで知られる佐藤優さんが、小沢さんをべた誉めしてたのを覚えている。小泉政権のときには環境大臣。クールビズの発案者だ。安倍政権のときには防衛大臣。イージス艦の機密情報が漏洩した問題で、責任を取らなくてもいいのに、辞任している。小池さんの履歴を見ると、権力と寝たというより、権力側が小池さんを利用し、ただ利用されるだけでなく、国民に対して忠実に仕事をしてきたという印象に見える。筋が通っているのだ。その一番いい例がイージス艦の情報漏洩問題で、自衛隊員の行動に責任を持つことなど、できるはずがない。それでもトップの座にいる者として責任を取って辞任した。自分が使った政治資金の責任も取れない政治家とは違うのだ。自民党も、公明党も、民進党も、共産党までが、小池さんを恐れている。こうした小池さんの潔癖さが、自分たちに向かうんじゃないかと、びくびくしているのだ。核武装問題を訊かれたときにも、国際情勢によっては検討すべきだと述べている。批判を恐れない現実主義的な回答である。男性議員でも、ここまで真摯に回答できる政治家は、めったにいない。なにも恐れない、真っ直ぐな性格。それだけに、スネに傷を持つ政治家は恐ろしくてしかたないだろう。マスコミも同様で、不正資金をもらっている記者は、排除したいに違いない。政党に縛られない小池さんのような政治家が立候補したことは、日本における女性の社会進出も本物だということである。ぜひ東京のトップの座について、性差のない自由な国であることを、国際社会にアピールしてほしい。本来はこうしたことはマスコミが宣伝すべきことだが、重要な場面で必ずといってよいほどミスリードする。男性候補者より百倍価値があることを、東京都民は認識してほしいものである。
2016年07月14日
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テレビの司会などで大活躍しているロンドンハーツの田村淳さんが、在日企業のすさまじさについて語っている。韓国について、すこしでも不利な発言をすると、レギュラー番組を降ろされるという。竹島問題は国際司法裁判所の判断に委ねるのがよいと述べたら、レギュラー番組が消えたという。危機感を持っているタレントは発言を控えるようにしている。人様の国で、なに威張ってるんだ、と思う。週刊文春が掲載したベッキーさんの記事も、おかしな点がたくさんあった。LINEの書き込みは個人情報である。個人情報を晒しものにした時点で、人権侵害である。問題はLINEという会社。LINEの開発は、韓国の国家情報院のシステムを開発したネイバーの創業者である李海珍さん。もうひとりの創業者、キム・ボムスさんは、アメリカの空港で、FBIや国土安全保障省に身柄を拘束された。取り調べを受けたのである。日本でも、京都警察がLINEの公務での使用を禁止している。盗聴の恐れがあるからだ。さらにLINE社には韓国人の役員がいる。それだけならまだしも、身元の特定できないゴーストが在籍しているという。個人情報を扱う企業に、日本の領土を不法に占領している韓国の諜報員らしき人物がいるのはおかしいのではないか。ベッキーさんの所属するサンミュージックの損害は十億円を越える。CMなどの違約金だ。週刊文春の記事によって、たいへん苦労している人々がいる。サンミュージックの若手アーチストだ。プロダクションにとって、十億円は大きすぎる金額である。若手に投資する資金が違約金にまわされた。その結果、才能の目がつまれてしまった。サンミュージックは純粋に日本人の経営する企業で、韓国人アーチストは所属していない。週刊文春の標的にされたのは、日本人の組織だったからではないか。パソコンのアンチウィルスソフトを販売しているエクセキュアという企業から、日本人の個人情報が流出した。事件を起こしたのは、しばき隊やシールズで活動している在日左翼で、ネトウヨを特定するという名目で個人情報を流出させた。新潟の地方新聞の報道部長はしばき隊に所属し、ツイッターで人権侵害や差別的発言をくり返した。文春の報道はこの流れに沿っている。仮りにベッキーさんの個人情報がLINE本社から流出していたら、単なる人権侵害では済まされない。TPPの協定交渉で大きな役割を担っていた甘利大臣の事件も、ヤラセと取られてもおかしくない。密会の現場に、ジャーナリストが隠れていた。甘利大臣は日本の交渉ばかりではなく、他の国々の仲介役としてもすばらしい仕事をしていた。TPPつぶしの情報戦だった可能性がある。日本国の損害は数兆円を越えるのではないか。なぜここまで左翼が劣化したのか。韓国の反日施設には、大昔の拷問シーンが、日本軍の悪行として展示されている。教育の現場でも、捏造事件が熱心に教えられる。韓国で教育を受けた若者が日本で就職する。部下を指導する役職につくと、政治色を強めて日本叩きをやり始める。民団や朝鮮総連には、頭のよい子供をエリートに育て上げて、政界やメディア界に送り込むシステムがある。日本は周辺国の綱引きの場であり、熾烈な情報戦が行われている。島国でのんびり過ごしてきた日本人には、対処の仕方がわからない。なぜ青山繁晴さんが狙われたのか。アメリカや韓国の軍人とも親しいジャーナリストである。セキュリティのプロでもある。そしてなにより憲法を改正して国防を万全にし、日米韓の軍事同盟を強化することが、東アジアの平和に繋がるという信念の持ち主だ。そうした人物が政治家になれば、中国や韓国、北朝鮮にとっては脅威になる。標的になるは格好の人物である。それにしても開いた口が塞がらないというか、選挙戦の真っ最中に反日捏造記事を掲載する嫌らしさ。民進党議員の国会プラカード事件といい、最近の左翼はろくでもないことを平気でやらかす。
2016年07月06日
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民進党の有田芳生さんが、威力業務妨害で提訴された。同日、有田さんは道路交通法違反の現場もビデオで撮影されている。抗議デモを行なうのは、民主主義の基本である。日本は言論の自由の国であり、不愉快なことに抗議するのは国民の権利である。市役所の許可を得て、警察官も動員されていれば、国会議員といえども、デモを中止する権限はない。だいたいデモを妨害しようと考える日本人がいるとは思えない。YouTubeで在特会を検索すると、いろいろなデモの映像がヒットされる。映像を見ると、こりゃ、なんだと思う。警察官がデモ隊を守っているのである。60年代の学園紛争のときは、警察官はデモ隊と衝突していた。しかし今は違う。警察官はデモの参加者、日本人を必死に守っているのである。警察がいなければ、日本人はぼこぼこにされて病院行きになる。これが今の日本の現実だ。若者が自分の国で抗議活動すらできない。熊本地震では、各地区で数万人単位の不法滞在者がいたという。旅行者とは、とても思えない数の人々が避難所を訪れた。それだけならまだしも、泥棒が人家を荒らしまわり、いろいろなものを盗んでいった。東日本大震災のときには、郵便ポストが片っ端から壊されて、手紙が根こそぎ盗まれた。被災者から金を奪おうとする卑劣さ。韓国や中国の手先になって、抗議デモを粉砕したり、沖縄の軍事基地で大騒ぎしている左翼。歴史の捏造をやって、海外に住む日本人につらい思いをさせているのも左翼である。慰安婦問題は朝日新聞が捏造し、左翼の政治家や知識人が全世界に広めた。自民党を引きずり下ろすためなら、なんだってする。実際にはやっていない残虐行為を捏造して、死人に口なしの日本軍を批判する。総理が靖国神社に近づけないようにしたのも左翼である。アメリカ大統領が軍人が眠るアーリントン墓地に行っても抗議しないくせに、総理が靖国に行くと大騒ぎする。韓国や中国では土下座してまわり、日本では若者イジメをする。ほんとうに情けない連中だ。威力業務妨害とは、他人の業務を脅しや暴力によって制止させようとする行為である。映像を見れば一目瞭然で、デモの参加者に向かって罵詈雑言を大声で叫んでいる。カメラを向けて映像を録り、この映像を公開して、おまえの社会的信用を落とすぞと、デモンストレーションする。デモの参加者がマスクをしているのは、なにをされるかわからない恐怖心からである。解散後も、跡をつけられたて恐怖を味っているという。ヘイトスピーチというと、差別する側が強いと考える。どこの国でもそうだが、日本だけは違う。まったく逆なのだ。恐怖を感じるのは日本人で、警察官が守るのも日本人である。弱者は日本人であり、かろうじて警察に守られてデモしているのだ。わが国で、最も権威のある国会で、プラカードを振りまわして、テレビカメラの前で嘘泣きをする国会議員。女性議員に、レイプまがいの暴力を振う国会議員。若者の間で、なりすましという言葉が流行っているが、恥知らずの国会議員を見て、あいつらは日本人じゃない、そう思うから、なりすましだと疑われるのである。
2016年06月27日
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世界野球プレミア12で韓国に敗れたのは、韓国をなめていたからだろう。勝って当然だという思いが、日本のベンチにも選手にもあった。大谷投手が完璧なピッチングをしていたのだから、最後まで投げさせてやれば勝てたのである。国際試合はなにが起きるかわからないから、安全策を取るべきなのだ。リリーフした則本投手も150キロの速球で攻めれば、韓国選手は打てなかった。理由は単純で、150キロを投げられる投手は韓国球界にいないからだ。変化球は一年を通して打っているから、確率的には150キロの速球の方がよい。後味が悪い負け方だった。韓国はライバルであって味方ではない。ライバルは潰せるときに徹底的に潰しておく。中途半端は許されない。徹底的に潰す。まさにそれこそグローバルスタンダードである。ところが日本人にはそれができない。許してしまうのである。その結果、野球のように全勝していても、韓国に潰される。目の前の優勝旗を韓国にかっさられるのである。そうした情けなさ、甘さ、温情こそ、和を重んずる日本の宿命である。和を重んずる、その和のなかに、ライバルであるはずの韓国を入れてしまうのだ。今回の敗退は野球だった。次は経済であり、軍事である。日本はすでに竹島を軍事侵攻されて、かっさらわれているのである。イギリス軍がフォークランド諸島を戦争で取り戻したように、取られたものは、なにがなんでも取り戻す。グローバルスタンダードとはそうしたもの、歯向かう国には徹底的に冷酷なものである。ナショナルやシャープなどの企業を、サムスンに潰された。慰安婦問題という歴史捏造を全世界で宣伝された。オリンピック誘致ではさんざん邪魔された。東日本大震災のときは放射能の風評を全世界に流された。安倍総理の訪米では、反日工作をアメリカの議会で展開された。ユネスコの世界遺産登録では、韓国から大量の活動家がヨーロッパに渡った。それでも韓国を許してしまう日本人。過去は水に流す。桜のようにいさぎよく散る。相手が日本人なら、日本流の美意識で理解し合える。しかし韓国は違う。日本人特有の甘さゆえに、またなにかを失うことを、決して忘れるべきではない。
2015年11月19日
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総理に就任してから安倍さんが訪問した国は50ヵ国を越える。アフリカ、南米、東南アジア、アラブ諸国、欧州、アメリカ、オーストラリア、ロシアといった具合に、地球儀を覆うように訪問している。もちろん首相官邸に招かれる国のトップも多い。それらを合わせると、歴代総理ばかりか、アメリカのオバマ大統領をも凌駕する勢いである。日本は国際社会で目立つ存在になりつつある。TTPにしても、安倍さんが就任する前と後では、条約の内容が大きく変わりつつある。いつの間にか日本に有利な形で締結されるようになってきている。安倍さんの外交力が条約にまで影響している。世界経済も日本が牽引役になりつつある。安倍さんの総理就任が東京オリンピックまで続くならば、日本の繁栄は揺るぎないものになる。しかしなぜかマスコミは伝えない。とくにテレビや新聞などの主要なメディアはひどい。総理の外交力は欠かすことのできない基盤である。縁のない国でさえ、国のトップが遠方から訪問してくるとなれば、歓迎して仲良くしようとする。まして日本のように技術を持つ国なら、仲よくして損はない。民主党の三人の総理はほとんど外国に行かなかった。鳩山さんllヵ国、菅さん8ヵ国、野田さん16ヵ国。全部合わせても安倍さんの一年間に及ばない。日本経済はゆるやかに失速し、数千社の企業が倒産し、事業仕分けで福島原発は廃炉計画が頓挫し、東北の海岸線の堤防は築かれず、大震災の日を迎えた。民主党の作った不況は経済の基盤まで変えてしまった。庶民の生活は容易には立ち直れなくなってしまった。今の不況は民主党不況である。まだ続いているのだ。安倍さんにはなんの責任もない。消費増税は民主党の野田政権が東北の復興を後まわしにしてやったことだ。東大を始めとする経済学者たちは増税に大賛成だった。マスユミは輪をかけてひどかった。やれ国が破綻するだの、やれ社会保障がなくなるだの、国民の不安を煽った。今もそうだ。大企業しか儲かっていないと報道しているのに、道路を走る車を見れば、民主党時代の薄汚れた車はどこにもない。街の電灯も消され、コンサートやお祭りも自粛され、ひたすら日本経済を潰すことに精を出していた民主党。あの暗黒の時代を国民は忘れたのか。大震災のあとには震災景気が来るはずだが、イオンの海外店舗を守るために国債発行を渋り続けて復興をないがしろにしたバカ息子の岡田さん。犠牲になったのは製造業である。政府と日銀が必死になって円安政策を続けても、工場が日本に帰ってこないのは、民主党が訳のわからん規制を作ったからだ。民主党不況が現在も続いている。大手マスコミも加担した。意識してやってるのかどうかは知らないが、日本経育の足を一生懸命引っ張っている。政府を批判していれば国はよくなるという、60年代安保の世界観を今だに持ち続けている。安倍さんは総選挙という賭けに出た。家柄のよい優等生らしさで、甘さである。人の善意を信じる優しさ。小沢さんや菅さんのような猜疑心の強い小心者ならば、国民の審判なんて無視する。総選挙という切り札は手の中に隠し持ったまま総理の椅子に座り続ける。だから嫌らわれる。嫌われるけど、権力は長続きする。できれば安倍さんに小沢さんのような姑息さ、ずる賢さを願いたいところだが、日本のような優等生国は政治はダメだ。安倍さんが選挙に負けるようなら、日本経済は失速し、日米安保も行き詰まる。沖縄が中国軍に占領される日も近づいてくるかもしれない。今回の選挙は、安倍さんVSマスコミという構図である。安倍さんが選んだ女性議員のほとんどがマスコミによって潰された。気持ち悪いとは思わないか。民主党時代には三人の総理のうちふたりが、外国人の違法献金が判明した。つまりスパイ議員なのだ。マスユミは甘かった。辞職に追い込まれた総理はいない。三人の総理のうちふたりは三分の二である。過半数の議員がスパイ議員かもしれない。国際化という美しい言葉を信じているうちに、アメリカのプアーホワイトのようになるかもしれない。日本は豊かになる。一方で日本人は貪しくなる。大半がプアジャパニーズ。高級マンションに住めるのは上海やソウルのお金持ちだけ、そういう時代も来るかもしれない。
2014年12月02日
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テキサス親父というネームで知られるイタリア系アメリカ人評論家のトニー・マラーノさんが、テキサスのカトリック教会の神父さんを通じて、ある噂の真相を調べてもらった。噂というのは、日本の友人から聞いた話で、第2次世界大戦のA級戦犯14人が、東京九段の靖国神社に合祀されたあと、東京のお寺の僧侶が、当時のローマ法王にお願いして、サン・ピエトロ大聖堂で日本人戦犯のためのミサを行ったという話。法王庁からの返事は、1980年に日本人の戦犯のためのミサが行われたことは事実である、というものだったという。当時の法王はヨハネ・パウロ2世である。ああ、なるほど、と思われる方も多いだろう。昭和天皇がお会いになった法王はふたり、ベネディクト15世とヨハネ・パウロ2世。ベネディクト15世とお会いになられたのは大正10年、皇太子時代である。バチカンを訪れた際にお会いになられた。その後、日米戦争の最中、昭和17年にバチカン市国と国交を樹立する。およそ22年間にも渡って、昭和天皇はバチカンとの国交を心密かに望んでいた。背景にはカトリック教徒だった山本信次郎海軍少将の影響がある。軍人の中には、キリスト教徒も少なからずいたのである。そして戦後になって1981年に来日したヨハネ・パウロ2世が皇居に表敬訪問したのだった。日本人の戦犯のためにサン・ピエトロ大聖堂でミサを行ったのは1980年ということだから、来日する一年前ということになる。別の方の著作に次のような記述がある。東京都品川区に品川(ほんせん)寺という真言宗のお寺がある。そこの仲田順和住職が、ローマ法王に会ったことがある。「東京裁判をどう思うか」と聞いてみた。「連合国が自分のしたことを棚に上げて、日本だけを裁いたのが、東京裁判である」と法王は述べたという。「私は恥かしいことだと思っている。処刑された人々を慰霊したい」住職は法王の願いに応えて、昭和55年、ABC級戦犯といわれる1618柱の位牌を、別製の五重塔に詰め、ローマまで持参した。5月21日、法王拝謁の大集会の時、法王は荘厳なる鎮魂のミサを捧げた。こうした見解の背景には、アメリカが行った長崎への原爆投下がある。長崎は極東の聖地であり、数百年に渡る殉教によって信仰を守り続けた土地である。豊臣秀吉の命令によって26人のカトリック信者が処刑されたのは1597年。清教徒のメイフラワー号が初めて東海岸に着いたのは1620年、アメリカという国も存在していなかった。ローマ教皇ピウス9世によって26人の殉教者が列聖されたのは1862年、こうした節目の年は日本ではあまり知られていないが、バチカンでは意味のある年である。1945年に浦上天主堂はがれきの山になり、8500人もの信者が原爆の犠牲になった。バチカンには、わたしたちが学ぶ歴史とは、別の歴史がある。世界各地にいる宣教師からの書簡である。宣教師たちが自分の目で直に見た出来事を書き綴って報告した書簡が、歴史の忠実な証言として大切に保存されている。ヨハネ・パウロ2世の言葉は、宣教師たちの書簡を読んで、歴史について深く考えた人の言葉である。ABC級戦犯への鎮魂ミサも、深い悲しみと慰霊の気持ちから捧げられたものである。親鸞の言葉、善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや、解釈は人によってそれぞれ違うけれども、悪人と思われている人でも、亡くなった人は大切に葬る、決しておろそかにしてはならない、その信念は変わらない。日本とバチカンに共通する世界観である。人の考えと神の思し召しは同じではない。人の知は限られており、神のみぞ知ることはたくさんある。死者には最大の敬意を払うべきなのである。なおヨハネ・パウロ2世の来日の際には、神道の神主、仏教の高僧とお会いになられて歓談されている。500年前、ザビエルやヴァリニャーノもまた神道や仏教の宗教家と歓談している。残念ながら天皇には謁見できなかった。サビエルたちはそれを望んでいたのだけれども。
2014年08月13日
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舛添要一都知事を望まないに女たちの会というサイトがある。ここまで書いていいのかというくらい、とんでも発言が飛び交っている。訴訟を起されていないところを見ると、事実そういう人物なのだろう。こんな具合である。「いきなりキーッとなって、理由もなく怒鳴る。一方的にまくし立てて、私の言うことは一切聞かない。話し合いにすらなりません。その辺にあるものを、手当たり次第に投げつける」「またある時は、サバイバルナイフなどいくつものナイフを私の目の前にズラーッと並べた。彼は、ナイフの収集が趣昧だったんです。しかも、そのうちの一つの刃先を私に向けたことまであります」片山さつき氏、週刊新潮「舛添氏の女性関係は乱脈を極め、Aさんは『俺は十代の頃はいくらセックスしても子供ができないから、精子が少ないかと思っていたが、それからぼんぼん出来ちゃって、おろすのが大変だった』と、氏が得意げに語ったのを記憶している」Aさんは舛添氏の愛人だった人物「舛添は最初からずっと『俺は絶対に認めない!』と言い張っていたんです。それが北海道知事選の話が出たとたん、急に認知すると言い出したんですから、ひどい話です」「舛添からは一切連絡はありませんし、こちらからは本人に連絡がとれないんです。すべて事務所の人を通してという形です。この間も子供が高熱をだして大変だった時、電話だけでもしてくださいと頼んだんですが、それすらなかった。自分の子供だというのに、血も涙もない男ですよ」これらの証言は、別の愛人の話である。「舛添は女性を気に入ると、『結婚しよう』を連発して口説きまくるんです。ところが、飽きたらすぐボロ雑巾のように捨てて知らんぶりを決め込む。これじゃあ、トラブルにもなりますよ」テレビ関係者の話こういう話が続くわけだけど、感想もへったくれもない、ただ呆れるばかりである。さて、舛添氏が韓国を訪問したあと、当然ながら、こんな時期になぜ韓国に行って、おべんちゃらをするんだという批判が出た。そもそも反日を始めたのは韓国だし、大震災で苦しんでいる日本に塩を擦り込むような行動をしたのも韓国。オリンピック誘致の妨害をあからさまにした。多くの日系人家族が慰安婦問題に関わる嫌がらせでつらい思いをしている。まずは韓国が謝罪する、謝罪が無理なら、向こうから出向く、それが国際ルールである。ところが舛添氏の思いつき外交で、あたかも日本が悪いような印象を国際社会に与えてしまった。東京都に批判の手紙が舞い込んだ。すると舛添氏はさっそく、とんでも発言を行なうのである。「都庁に批判が来ているが、ネット右翼が1000人分やっているだけ」最初に紹介したサイト、舛添要一都知事を望まないに女たちの会では、2000人の女性たちが実名で署名している。その数は膨れ上がるばかり。思想や信条を抜きにして、舛添氏の人格に嫌悪感を抱いている人が多いのだ。人柄を知れば知るほど嫌いになる、というのが舛添氏の、他に例のない特徴。公金流用疑惑、セクハラ発言、パワハラ発言、なんでもありである。「女は生理のときはノーマルじゃない。異常です。そんなときに国政の重要な決定、戦争をやるかどうかなんてことを判断されてはたまらない」「だけど、あのオバタリアンは全部、あがった人ばかりなんでしょう」「指揮者、作曲家には女はほとんどいない。女が作曲した曲に大したものがない」舛添氏の個人的見解、というか思い込みには、いくらでも反論できる。作曲家ではヒルデガルト・フォン・ビンゲンというすばらしい作曲家がいる。メンデルスゾーンの姉のファニー・メンデルスゾーンも作曲家である。優秀な政治家はたくさんいる。推古天皇、斉明天皇、持統天皇、北条政子、エリザベス1世、マリア・テレジア、サッチャー。舛添氏など足もとにも及ばない名君であり、戦争も恐れない戦略家である。隣の国に出掛けていって国益を損する大馬鹿者ではない。自分の無知をさらけ出しただけだ。政治家には、二種類のタイプ、内弁慶と外弁慶がいる。日本には内弁慶が多く、アメリカには外弁慶が多い。舛添氏は典型的な内弁慶だ。外ではペこペこ、内では威張りんぼの人は、家庭内暴力に走りやすい。「舛添は女性を気に入ると、『結婚しよう』を連発して口説きまくるんです。ところが、飽きたらすぐボロ雑巾のように捨てて知らんぶり」釣った魚にはエサをやらないタイプの男だ。こういう男は権力欲求、支配欲求が並じゃない。女を支配したい、自分の足元に平伏しさせたいという強い欲望。ボロ雑巾のように捨てて知らんぶり、早い話が、支配すれば満足なので、あとは脱兎のごとく逃げる。ネット右翼が1000人分やっているだけ発言も、根っこは同じである。選挙中は東京都民に対しておべっかを使う。しかしひとたび当選すれば、おれ様が統治者だ、文句あっか、ということになる。下々の者はおれがやることを黙って見てればいいんだ。韓国を訪問したのも同じ発想。安倍なんかに任せてられない、おれが直接出向いて話をつけてくる。日本国民は黙っておれのやることを見てればいいんだ。内では威張って、外ではペこペこ、日本では威張って、韓国ではぺこぺこ、まさに内弁慶政治家の典型である。興味があるのは、昭和の匂いがぷんぷん漂う舛添氏のような政治家が、21世紀の今日、はたして生き延びられるかどうか。マスコミがまともに機能していれば、都知事にもなれなかった人物。韓国や中国の息のかかった組織は舛添氏を支援するだろう。マスコミはどうか。いつまで舛添氏を擁護するのか。マニフェストもへったくれもない、典型的な日本の政治である。
2014年08月10日
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イスラエルの空軍機がシリアの核施設を空爆した事件があった。核兵器の製造を指導していたのは北朝鮮の外交官や技術者である。朝鮮総連に遠慮してか、日本のマスコミは欧米の有力誌が伝えたニュースを無視した。問題は核の製造技術の流れである。中国と言えども、北朝鮮に核技術を渡すほど愚かではない。核ミサイルは中国も射程圏内に入るからだ。韓国はどうか。ソウルには核シェルター付きマンションが販売されている。核は深刻な脅威になっている。唯一の可能性は日本である。日本から北朝鮮、北朝鮮から中東という構図が見て取れる。日本のセキュリティの甘さが中東を核危機に陥れているのである。日本共産党の新聞に差別的な記事が掲載された。次のような文面である。「推進の陣容を見てみると、日本の侵略戦争で戦犯容疑者となった政治家や特高警察の息子や孫、娘婿が目立つ」「安倍晋三首相の祖父は、東京裁判でA級戦犯容疑者とされた岸信介氏」「日本への核兵器持ち込みを認めた日米核密約の当事者である祖父」「戦犯や特高人脈は、秘密保護法案の源流を象徴している」この論調は韓国とそっくりである。血族と血族が争う国。まるで李氏朝鮮時代に逆戻りしたかのような世界観。敵対者の子孫は家が滅びて断絶するまで呪われるべきだ。平和だ、人権だと言ってる連中が、本音では人を差別する。安倍さんや麻生さんが政治家として成功したのは、日本のイスタブリッシュメントだからである。アメリカのケネディ家と同じである。安倍さんの祖父である岸信介、麻生さんの祖父である吉田茂は、戦後経済の立役者であり、多くの人に尊敬された政治家だった。この記事を書いた記者には、グローバル経済という世界観がまったくない。世界がグローバル化することは国家間の垣根が低くなることである。民間企業が数百億円かけて開発した技術が、ひとりの情報提供者によって海外企業に売り渡される。開発費はコストとして製品に上乗せられる。ところが情報を安く手に入れた海外企業は、製品をはるかに安く売ることができる。アップルのiphoneを手に取ったサムスンの社長は、同じものを数ヵ月以内に開発しろと命じたという。情報を盗めば、どんな製品も数カ月で開発できる。軍事兵器も同様である。米軍や自衛隊の最新技術が盗まれれば、軍事バランスが崩れて東アジアは焼け野原になる。起きるはずのない戦争が起きるのだ。赤旗の論調とは反正対に、戦犯や特高の人脈が平和を維持している。逆に平和主義者が東アジアを戦争の危機に陥れている。現実は逆なのだ。軍事バランスを保つことこそ、平和への道であって、バランスが崩れれば戦争が起きる。国と民間企業が膨大な予算をかけて開発した技術を守ろうとしているのは、安倍政権である。日本人の暮らしを豊かにする技術を海外企業から守ろうとしているのである。3D技術の進化によって、産業界は大きく変わった。トヨタが新しく発売する車の設計図が、掌にのる小さなUSBメモリーに収まってしまう。米軍の戦闘機や核ミサイルまでが、コジマ電機で売っているメモリにそっくり入ってしまうのだ。世界は狭くなり、人と人の行き来は激しくなり、情報はより一層簡単に手に入りやすくなっている。一緒に働いている同僚がギャンブルの金に困まって情報を他企業に売り渡す。そういう時代になっているのである。「戦犯や特高人脈は、秘密保護法案の源流を象徴している」なぜこんな考え方ができるのだろうか。日本軍の兵士たちの下着はフンドシだった。薪で火をつけて米を炊いていた。頭にはシラミ、躰にはノミ、内臓には赤痢菌やマラリア菌が寄生していた。通信手段は大きな真空管を使った装置で、銃弾にも事欠く始末だった。接近戦では銃剣が使われた。パソコンもテレビもない時代、兵士たちは広大な中国大陸をてくてくと歩きながら戦っていた。戦犯や特高人脈は、植民政策を数百年前から続けてきた国々から日本を守ろうとした。左翼が決して語ろうとしないのは、逮捕されたり、拷問されたりした人々のなかには、実際にソ連のスパイがいたことである。日本共産党の創始者の野坂参三は、殺人罪で起訴されている。同僚を拉致し、針金で手足を縛ったうえで殴り殺したのだ。特高も特高なら、共産党も共産党、そういう時代だった。列強の植民地政策という事態が進行していた時代の話である。ソ連時代に処刑されたり、粛清された人は一億人である。今回の法律で民間人が逮捕されることはありえない。重要機密にアクセスできる公務員が対象だからだ。いつものことだけど、デタラメの情報で庶民の不安を煽るのはやめてほしい。どうしてこういう悪意のある行動を取るのだろうか。周辺国に金をもらっているのだろうか。それとも自分たちが実際に罪を犯しているのだろうか。サムスンを始めとする中国や韓国の企業に盗まれた情報の資産価値はどれくらいだろう。少なくとも数十兆円規模になるはずだ。民主党政権の三年間、日本のGDPは数十兆円規模で毎年減少していた。庶民が手にするはずの金、給料になるはずの金、それが周辺国に盗まれたのだ。政府をおとしめたいという気持ちはわからなくもない。でも長期的に見て国益になるかどうかの判断はしてほしい。欧米人ならだれでも持っている国益の計算高さが日本人にはないのだ。大切なのは法律を健全なものにしてゆく努力である。民間人のプライバシーを守り、なおかつ国のセキュリティを守る。プライバシーとセキュリティ、その両方がないと、豊かな社会は築けない。左翼がやっているのはプライバシーを守るあまり、セキュリティがない社会作りである。まるでハッカーが荒れ狂うインターネットの世界である。給料がどんどん目減りして貧しくなってゆく。不況と低賃金に苦しみしながら、プライバシー万歳と叫んでもしょうがないのである。
2014年02月12日
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田母神さんのホームページには、支援者の案内ページがある。名前を読んでいたら、おもしろいことに気づいた。とくに驚いたのがイリハム・マハムティさんである。日本ウィグル協会の代表の方で、弾圧されているウィグル族の人権を守ろうとしている。本来ならば朝日新聞を代表する左翼、共産党や民主党、そしてなによりも市民団体が支援すべき人である。ところが60年代の左翼の活動家は、今ではすっかり中国利権、韓国利権と癒着してしまっているので、少数民族の虐殺や弾圧にはまったく関心がない。逆に保守、ときには右翼と批判される人々が、少数民族を救済しようとしているのである。民主党に至っては黄砂対策と称して、数兆円規模の資産を国税から捻出して中国の官僚たちにバラマキをやった。国内では官僚批判をして津波の対策費まで削らせて大震災の大惨事を引き起こしているのに、海外では国税を好きなだけ浪費した。黄砂対策費はいったいどこに消えたのか。左翼が公金を無駄遣いしたよい例である。田母神さんの支援者の方は真面目な方ばかりである。デウィ夫人、ドイツ在住のクライン孝子さん、三橋貴明さん、冷静な視点で中国を分析する宮崎正弘さん、連合軍が行った焚書を丹念に読み解いている西尾幹二さん、韓国ドラマには数百の嘘があると指摘する宮脇淳子さん、渡部昇一さん、中国から帰化した石平さん、高山正之さん、北朝鮮に拉致された家族会の増元照明さんなど、実に多くの方が支援している。なかでも興味を引かれたのは葛城奈海さんで、中国や韓国から漂着するペットボトルや空き缶、ビニール袋を掃除したり、調査している若い女性である。ものすごい量のゴミが沖縄や裏日本の海岸線に漂着して生態系を危機に陥れている。こういう調査は左翼はやらない。中国や韓国の反日ビジネスで金儲けしているので、頭があがらないのである。今週の週間新潮に驚くべき記事が掲載されている。NHKに出演した関西大学教授の李英和さんなど4人の有識者が、朝鮮総連の抗議で出演予定が取り消されたという。そればかりかブラックリストに入れられて永久欠番になったというのである。理由は北朝鮮を批判したからだそうだ。周辺国に批判的な発言をすると、マスコミから抹殺される。今の日本を象徴するような出来事である。かつて日本のアンダーグラウンドで抗議活動を行っていた若者は、いまや言論を封じ込める側にまわっている。様々な利権と癒着して私腹を肥やしている。逆に保守的な人々、ときに右翼だと批判される人々が草の根の地道な活動をしている。戦後70年経った新しい日本の姿である。
2014年02月06日
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今回の都知事選は、田母神さんと他の候補者という構図になっている。NHKを始めとする地上波が田母神さんを無視するのは、自分たちの地位が失墜しかねないからである。チャンネル桜を恐れているからだ。Youtubeでも視聴できるので、チャンネル桜を見た方は多いだろう。出演者は地上波ではめったにお目にかかれない評論家たち、しかしなぜか本屋の棚には書籍が山積みされている人たちである。逆にテレビに登場する評論家たちは本屋では注目されていない。地上波と出版界が乖離している。60年代にアングラだった作家や評論家は今ではメジャーになり、利権を独占する存在になった。中国や韓国と協同して日本潰しに精を出してきた。その総決算が民主党政権だった。そうした思想界の主流派に対抗して出てきた若手が、テレビには出演させてもらえずにいた。ソフトバンクやロッテ、マルハン、アコム、アイフル、テレビのコマーシャルでお馴染みの企業はすべて在日企業、もしくは在日が役員のトップに居座っている企業である。広告業界の電通もそうした企業である。中国や韓国に批判的な評論家がテレビに出演できるはずがないのだ。しかし日本人もバカじゃない。そりゃ、おかしいよと感じる人が少なからずいる。チャンネル桜はそうした人たちの金銭的な援助で運営されてきた放送局である。地上波が恐れるのは当然である。細川さんが立候補した背景にどんな組織の暗躍があったかは知らないが、チャンネル桜を封じ込めようとする思惑があったことはたしかだろう。韓国のイ・ミョンバク大統領の反日政策が、普段はおとなしい日本人の感情に火をつけた。その火がすこしずつ燃え拡がって見たり、肌で感じたりできるようになった。韓流ブームが去り、韓国を訪れる観光客も減った。そして田母神さんが立候補し、チャンネル桜の女性スタッフまでが応援する事態になった。火は燃え拡がるのだろうか。鎮火されるのだろうか。ところでなぜ在日企業がこれほど多いのか。理由は1945年までさかのぼる。終戦後、帰還兵の反乱を恐れた連合軍は、日本軍の兵士たちを海外の収容所に留め置きして、わざと日本には帰国させなかった。当時は徴兵制だった。兵士たちは会社や工場の担い手である。日本には女性と子供、老人しかいなかった。会社や工場が稼働しなければ、市場は物不足に陥り、インフレが進行する。唯一働き盛りの男性がいたのは、徴兵制を免除された在日社会である。日本の男性たちが海外の収容所に留め置きされ、国内には徴兵制を免除された韓国人の男性がいた。その状態が数年間続いた。物不足で粗悪な製品だろうと飛ぶように売れるとなれば、次に起きることは予想がつくはずだ。
2014年02月05日
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灯油やガソリンの高騰が止まらない。東北地方や北海道などの寒い地域では、日中はストーブを消して、上着だけで過ごす家庭が増えている。光熱費だけで数万円かかってしまうので、給料や年金では暮らしてゆけない家庭が多いのだ。なぜこんなに原油価格が上昇しているのか。脱原発のせいである。大震災以降、全国の原発が稼働できない状態が続いている。冷戦が終ったあとのグローバル経済の国際社会は、産業の浮き沈みが激しいから、どこの国も必死だ。日本が原油に頼らずにいられないなら、少しでも高く売ろうとする。足元を見られてしまうのである。日本は貿易黒字国から赤字国に転落した。その額は数兆円規模であり、消費税の増税額がすっぽり収まる金額である。脱原発が人を殺す。合理的に物事が考えられる人なら、理解できるはずだ。人類に限らず、ありゆる生物に共通なことは、食料やエネルギーが個体数を決定するということである。肉食獣は草食獣の個体数によって制限され、鹿や兎は草や木の実によって制限される。巨大隕石の衝突のような大惨事が起きると、生物は絶滅する。人類もまた然り、江戸時代には人口が三千万人に制限されていた。戦後の人口増加は、原発による無尽蔵のエネルギーと、輸出産業がうまく結びついたから起きた。国が必死になって少子化対策をしてもうまく行かないのは、生活の基盤である賃金が上がらないからである。最悪だったのが民主党政権のお坊っちゃんたちで、エネルギーは少子化と密接に関係しているという生物学の大原則が、まったく頭に入っていなかった。エネルギーを無制限に生み出すことのできる文明は、人口もまた無制限に増加させることが可能だし、庶民に節約を強要する文明は、少子化が止まらなくなる。狭い家に住み、食事にも事欠き、ストーブも使えないとなれば、子供を産んで育てようという気持ちは起きない。節約と少子化対策を同時にやろうとする政治家は、飢餓のなかで赤ん坊を産めとわめく頭のイカれた独裁者である。脱原発が人を殺す。災害や戦争のようなあからさまな死ではない。長びく不況や貧乏、寒さとの長期的な戦い、病気や老い、出生率の低下、仕事がない、年金の受給額が減る、そうしたじわじわと襲いくる死。身近にある死、街がすこしずつ衰退する死、まともな食事ができないつらさ、贅沢な喜びを知らない単調さ、いつも金の心配ばかりしている気苦労。それも立派な殺人である。世の中が複雑になると、馬鹿げた論理でも通用してしまう。オーム真理教がいい例だ。しかし哀しいかな、現実は不合理が通るほど甘くはない。細川さんの選挙公約のように、脱原発で世の中が豊かになることはないのである。現代のようにグローバリズムが行き渡った世界、多国籍企業と多国籍企業が厳しい競争を強いられる世界では、安価な光熱費や人件費を提供できる国が勝ち組になる。クリーンエネルギーは金がかかりすぎる。中東で戦争が起きれば、日本企業は全滅しかねない。国家は常に最悪の事態を想定して準備を怠ってはならないのだ。細川さんのように親から莫大な財産を相続した人には、日中にストーブをつけないで我慢する庶民の苦労はわからない。結局のところ、我がままお坊っちゃんが書斎で考えた戯言、戦争ひとつで座礁しかねない現実から乖離した理想、平和や人権を餌にして票を稼いできた民主党議員の忘想と同じである。
2014年01月31日
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航空幕僚長にまで出世する人はまれである。仕事ができるのは当然だが、品行方正で、上官や部下からも信頼されなければならない。田母神さんの場合は指導者として優れているだけでなく、強い愛国心がある。これほど都知事にふさわしい人物はいない。細川さんのように家柄がいいというだけで名声を得て、闇献金で国会で追求されるやいなや、尻尾を巻いて総理職を投げ出した人とは違う。人としての品格が違う。しかしマスコミは田母神さんを無視している。日本には繁栄してほしくない、日本が大国になるのはごめんだ、そう思っている人がマスコミ上層部にいる。失われた20年間は、中国や韓国の繁栄の20年間である。中国や韓国の繁栄は、日本の技術や工場を横取りする形で行われた。その担い手となったのがマスコミ関係者や大学教授だ。60年代の青春時代に冷戦の壁の向こう側を、理想郷のように思い描いていた人たち。日本赤軍が日航機を乗っ取って北朝鮮に亡命したのは冷戦の壁の向こう側がパラダイスのように思われていたからだ。田母神さんを恐れている組織、田母神さんだけには都知事になってほしくない、そう思っている組織が東京都内には数多くある。朝鮮総連、民団、北京大使館、中革派の前進社、連合、日教組など、市民運動がいつのまにか利権になって富を生むようになり、官僚化したばかりか、世襲化までしている今日、周辺国の謀略を防ぐのは容易ではない。日本の若者が豊かに暮らしたいと願いながら、決して豊かになれない構造ができてしまっているのである。唯一その突破口を開くことのできるのが田母神さんである。安倍政権を右翼だと呼ぶマスコミ。しかし安倍政権は日本のイスタブリッシュメントではあっても、アメリカのように自国の利益だけを追求しているわけではない。政治家を30年間もやっていれば様々なしがらみができて、信念や愛国心だけで政策を決められるわけではないからだ。富も名誉もいらない、この国のためなら命を落としてもかまわない、本気でそう思っている人にしか、利権が複雑に絡み合う世界有数の国際都市を、正しい方向に導くことはできない。日本の若者が豊かに暮らせるように全力を注いでくれる人は、周辺国に遠慮せずに本音を語る田母神さんだけである。
2014年01月29日
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シェールガスが採掘されるようになって、温暖化の話は過去の遺物になった。もともと欧米の仕掛けた罠なのだから、不都合になれば忘れられて当然だ。日本人が必死になってエコだ、節約だと騒いだところで、中国で石炭をがんがん燃やしているんだから、どうしょうもない。地球を救うどころか、東アジアの空気は悪くなるばかり。しかも脱原発だ、節約だと言っている人に限って、中国には弱腰、共産党を神様のように崇めている。核ミサイルも、チベットやウィグルの大虐殺も、大気汚染も、特許権の侵害も、サイバーテロも、都合の悪いことは全部忘れて、北京めざして聖地巡礼の旅に出かける始末。細川さんの公約が発表されたが、中味はお粗末そのもの、鳩山さんが総理だった時代の公約とそっくりである。「東京を世界一の省エネルギー都市にする」鳩山さんの二酸化炭素25パーセント削減を言い換えただけだ。問題は電気料金を下げられるかどうか。かろうじて残っている中小企業すら倒産しかねない。「バラマキ公共事業に頼らない基盤整備」コンクリートから人へ、を言い換えただけだ。「水と緑に囲まれた簡素な五輪を目指す」これもまた、オリンピック誘致委員会と一緒。細川さんの公約を見ていると、左翼の深い闇を見る思いがする。グローバリゼーションが理解できていないのである。なぜ日本企業がアップルに負けたのか。なぜグーグルやアマゾンが強いのか。そうした問いかけがないのだ。60年代の学生運動で、思考がストップしているのである。猪瀬さん五千万円、細川さん一億円、五千万円を辞めさせて、一億円を都知事にしたら、日本の民主主義は世界の笑い者になる。そして背後にいる小沢一郎。省エネは歌い文句としては申し分がない。しかし一番肝心なものが欠けている。グローバリゼーションの厳しい競争のなかで、どうすれば勝ち続けられるのか。その戦略がない限り、東京の繁栄を維持するのは不可能である。なにより一番不安になるのが、細川さんの表情だ。総理になる前の菅直人の表情と同じである。若いときの精彩さがない。そこはかとなくボケ老人の無表情さが漂う。
2014年01月22日
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小沢一郎さんに動いてもらって、小泉さんの支援を要請したそうだ。この話を聞いただけで、こりゃ、ダメだと思った。さんざん悪いことをやってきた連中が、脱原発を利用して返り咲きを目論んでいる。どうしてもそう見えてしまうのだ。脱原発派の政治家は、どうしてこうも薄汚いのだろうか。小沢一郎は秘書に罪をなすりつけて自分だけ法を逃れた。山本太郎は中核派の幹部と親密な関係にある。菅直人は在日系銀行の理事から金を受け取ったばかりか、北朝鮮の支援グループに資金援助した。こうした人たちが本気で日本の将来を考えているとは思えない。不安を煽ってデマゴークしてやろうという思惑が見え隠れする。脱原発が売名行為なのである。細川氏の闇金疑惑も根が深い。佐川急便に一億円を献金させて、県議会の議員たちや支援者に金をバラまいた疑惑が持たれている。罪を逃れようとして堤出した領収書の額面は一千万円分のみ、言い訳に使った自宅改築やマンション購入は歳月が合わない。当時の疑惑がまだ晴れていないのである。細川氏は戦国武将の細川幽斉に繋がる名門である。政界を退いたあとは、息子さんとにもに陶芸家として有名になった。趣味の陶芸ではなく、画廊で売れる作品である。なぜそんな人が政界に帰り咲こうとするのか。小沢一郎の影が透けて見えるのである。小沢さんは金持ちのボンボンや、世間知らずの若殿さまを手玉に取って、操り人形師のように自己の権勢を拡げるのが上手な人である。鳩山由紀夫も民主党の金蔓みたいな役割だった。子分を養うためにお金がいるという弟さんの発言は、民主党の成り立ちを見事に言い表している。政界から転落しかけている小沢一郎が、まだ賞味できそうな細川氏を利用して再起をはかった。問題は小沢一郎がなにかするたびに、政界がめちゃくちゃになって空転することである。安倍政権になってやっと経済が動き出したこの時期に、世間知らずの若殿さまの大風呂敷政治に逆戻りするのは御免である。理想としては美しいが、実現の見込みはまったくない。左翼はいつもこのパターンである。東アジア共同体構想はいったいなんだったのだろう。小沢一郎が民主党議員140人をつれて北京詣でをした。あのときから日本経済は転落の一途を辿った。日本人は決して忘れてはならない。
2014年01月18日
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細川さんが出場したことで、都知事選はほぼ決まってしまった感があるが、東京の将来を考えれば最良の選択は田母神さんである。中国経済が行き詰まり、中国共産党が瀬戸際にある今日、また韓国が迷走し、北朝鮮が独裁制を強めている時代に、脱原発はなんの意味もない。脱原発を正当化する理屈は核災害である。もうひとつの核災害、というか戦後最大の危機である中国や北朝鮮の核ミサイルを無視して、原発のみを敵視する政策は、政治的な詐欺行為である。日本の平和思想、戦争をしません、だけでは戦争は起きるのである。平和主義を掲げる民主党が政権を握ったために尖閣諸島は危機的な状況になった。日韓関係は最悪の状況に陥った。平和思想が東アジアに戦争の危機をもたらしたのである。なぜそうなるのか。クウェートの王侯貴族たちは、自国の軍事危機をよそにスイスのホテルで豪遊していた。自分たちが遊ぶ金の半分でも軍備にまわしていたなら、イラクのフセインはクウェートを攻略しようなどとは思わなかっただろう。戦争を起こさせないためには、戦争をさせない政治、軍事的な脅威を周辺国に与えなければならない。どこの国も豊かになりたい。領土がほしい。そうしないのは痛い目を見るからだ。クウェートが平和思想に染まっていなければ、湾岸戦争は起きなかったし、アルカイダも911もなかった。アフガニスタン侵攻もイラク戦争もなかった。クウェートの平和主義が中東をめちゃくちゃにしたのである。日本も同様である。福島原発からステーションブラックアウトの連絡を受けた菅政権は、自衛隊の特殊部隊を派遣することすらしなかった。放ったらかしにしたのである。自民党の阿倍政権だったら、甚大な事故にならずに済んだ。なぜならば米軍は万全な準備を整えて出動依頼を待っていたからだ。日本とアメリカの間には核セキュリティ条約が締結されている。菅直人本人がオバマ大統領と条約を結んだのである。311のようなきわめて深刻な大災害時には、日本だけで対処するのは無理である。米軍は尖閣諸島の中国軍侵攻まで視野に入れて、1945年以降最大級の危機発令を太平洋艦隊に対して行なった。米軍は中国軍との軍事衝突をも辞さない覚悟だった。相手が弱っているときこそ最大の軍事的チャンスである。中国の軍事侵攻は想定内だった。しかし肝心の日本政府はなにもしなかった。青春時代にゲバ棒かついで日米安保反対を叫んでいた政治家たちは、自衛隊と米軍をないがしろにし、警察と消防署だけで事態を鎮圧しようとした。原発事故は戦後の平和思想が引き起こしたのである。マスマミはことさら東京オリンピックを強調するが、今後の都政に待ち構えているのは周辺国の問題である。仮りに中国共産党が崩壊し、ボートピープルが押し寄せてきたらどうするのか、中国の核ミサイルは軍閥の手に渡るのか、東京を火の海にすると意気込んでいる北朝鮮は本気なのか。大地震が起きたらどう対処するのか。残念ながら、危機に対処できる政治家は田母神さんだけである。他の政治家たちは耳に心地よいお念仏しか唱えない。佐川急便から一億円もの不正献金を受けて総理を辞任した細川さんが都知事になれば、また政治と金の話で時間が浪費されてしまう。薄汚れた政治家はもうたくさんだ。本気でこの国のことを思って行動する人に都知事になってほしいものである。
2014年01月16日
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有吉AKBラジオ局は民放の深夜にやっている低予算番組である。AKBのメンバーをゲスト呼んで、有吉弘行さんが話を振るというそれだけの番組。ゲストの数も限られているし、話題もごく内話の話。幸いなことに低予算が功を奏して、他のバラエティーにない上質な笑いになっている。大人が見ても充分に楽しめるエンターテイメントである。有吉AKBラジオ局1 山本彩 渡辺美優紀 山田菜々http://youtu.be/GpchbS43xCs有吉AKBラジオ局3 島崎遥香 大場美奈 市川美織 http://youtu.be/5qtBr7J0OOM有吉AKBラジオ局4 北原里英 倉持明日香 永尾まりや http://youtu.be/oQqUNjMzrHY有吉AKBラジオ局5 島田晴香 横山由依 山本彩http://youtu.be/eTbXVYyGAcY有吉AKBラジオ局6 川栄李奈 小嶋菜月 小嶋真子http://youtu.be/q4fyuA3TsP8有吉AKBラジオ局7 島崎遥香 宮澤佐江 鈴木まりや http://youtu.be/yPg0d8v7RyA 有吉AKBラジオ局8 秋元才加 倉持明日香 阿部マリアhttp://youtu.be/4KCOCGW_Jes有吉AKBラジオ局9 島崎遥香 永尾まりや 武藤十夢 http://youtu.be/ytsu3LSi1Yc有吉AKBラジオ局11 川栄李奈 入山杏奈 高橋朱里http://youtu.be/PA8gH3G922A有吉AKBラジオ局13 横山由依 梅田彩佳 菊地あやかhttp://youtu.be/jjIcRi7uAfk有吉AKBラジオ局15 梅田彩佳 藤江れいな 山内鈴蘭http://www.youtube.com/watch?v=US3YsFZfsl4有吉AKBラジオ局16 田野優花 武藤十夢http://www.youtube.com/watch?v=JXpAQVyEl0w有吉AKBラジオ局 渡辺麻友 峯岸みなみ 松井玲奈http://youtu.be/8wKbxKkG9DA有吉AKBラジオ局 板野友美 横山由依 川栄李奈http://youtu.be/auOqtjyDh0U有吉AKB研究生ラジオ局前編 岡田奈々 小嶋真子 西野未姫http://youtu.be/BCLi7s2ei9g有吉AKB研究生ラジオ局後編http://youtu.be/aCNsWFWFQ1k有吉AKBラジオ局 前編 小嶋真子 じゃんけん大会 優勝への道http://youtu.be/OI2XrAna3ik有吉AKBラジオ局 後編http://youtu.be/xa59_bjYvTY有吉SKEラジオ局前編 松井玲奈 柴田阿弥 古畑奈和http://youtu.be/UGVKDPKMeX8
2013年10月11日
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尾崎豊が亡くなって20年も経つというのに、すこしも色褪せない曲。聴くたびに、次のフレーズが気になってしまう。こういう曲もめずらしい。 ふたりはまるで捨て猫みたい この部屋は落葉に埋もれた空き箱みたい だからおまえは小猫のような泣き声で外国の曲もいいけれど、こういう日本語に出会うと、心のずっと奥の方でざわざわと騒ぐものがある。なんなんだろう、これはと思う。このやるせるさ、この哀しみ、このどうにもやり場のない虚無感。たった3行の詩句なのに、何度聴いても心を鷲掴みにされたような気持ちになる。 きしむベッドの上で優しさを持ち寄り きつく躰 抱きしめあえば それからまたふたりは目を閉じるよ 悲しい歌に愛がしらけてしまわぬようにこの歌を聴くと、尾崎豊が夭折したのは必然だったような気がする。これほどまでに研ぎ澄まされた神経を持って生きるのは、さぞかしたいへんだっただろう。たかが歌であり、たかが詩である。そんなもんはどうでもいいと思っている人の前では、職にもつかずに暮らしている若者でしかない。たぶんわたしたちのまわりにも、こういう天才はいるんだろう。わたしたちが彼の才能に気づかないだけだ。 夢みて傷つくだけの二人だよ 何度も愛してるって聞くおまえは この愛なしでは生きてさえゆけないとこんなことを言う女を、だれが愛さないでいられようか。愛がしらけてしまう。この言葉の異様さ。愛してるとか、あなたと一緒にいると幸せだとか、いろんな愛の表現があるけれど、愛がしらけてしまう。ベッドのうえで、ふたりで抱き合ってばかりいると、相手から離れたくなる。人は愛だけでは生きてゆけないから。それでも一緒にいなければならない運命。そういう事情があるのだろう。離れてしまえば破局を迎える愛のかたち。いずれ訪れる悲劇が、予兆のように感じられる歌である。YouTubeのURL 尾崎豊/I love youhttp://m.youtube.com/watch?v=st1XH31rZuM
2013年08月06日
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あと一歩で傑作になったという曲。その一歩が遠い。今年44歳になったつんくさんが、10代の少女たちの恋心を書く、失礼な言い方だが、だいぶ無理がある。 手を繋いで駅まできた もうお別れしないといけない時間なのこういう始め方は好きである。ふたりでデートして一日が終わり、もうすぐ別れなければならない。そのときの名残り惜しさ、恋人たちの別れ際はいつだってせつない気持ちになる。そのせつなさを最初の一行で表現したのは見事だと思う。 きみは自転車 わたしは電車で帰宅 とりあえず来た電車は見送った 次の電車に乗らなきゃ たぶんヤバい 泣きそうなわたしを許して きみはどんな気持ちでいるの男の子が自転車で、女の子が電車で帰るという設定、日常のふとした情景をさりげなく描いて美しい。別れられなくなって、プラットホームに入ってくる電車を見送ってしまう。そういうこともあったな、と思ったりする人は多いのではないか。 扉が開いて反対の窓に 電車が動き ゆっくりと走り出す きみも自転車こいでついてくる 危ないから気をつけて文句のない歌詞なのだけど、聴き終わると、もの足りなさを感じる。背景にある物語がいまひとつ膨らみが少ないからだと思う。例えばこんな歌詞をつけ加えてみる。 あなたは都会 わたしは田舎を選んだ ふたりの距離は開いてしまったけど 開いた分だけ恋しくて また来るね そう言って別れたけど 次に会えるのはいつだかわからないきみは自転車、わたしは電車という設定なら、会いに来たのは女の子。男の子の家は自転車で帰れる距離だからだ。遠距離恋愛という設定の方が曲が生きる。遠くから手を振るきみに、幸せをもらった。エンディングは大人目線で綺麗にまとめたという印象がある。青春の真っ只中にある少女の心はもっとどろどろしていると思う。つんくさんがまだシャ乱Qをやっていたころ、『ズルい女』や『シングルベッド』を作っていたわけだけど、そこにはしっかりとした物語があった。あの頃の言葉の強さ、表現せずにはいられない飢えのような強さが最近の作品にはない。この世には幸せな詩人はいない、と書いた作家がいた。幸せを取るか、詩を取るか、ふたつにひとつしかない、そんな恐ろしさが詩にはある。YouTubeのURL °C-ute/君は自転車で、私は電車で帰宅http://www.youtube.com/watch?v=tZswAY9zmx8
2013年07月26日
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この曲の美しさは言葉にある。ちょっとうれしい驚きである。英語を入れて水増しせずに、日常会話で使われている日本語だけで素敵な空間を作るなんて、今どきあまりないことだから。AKB48を見てごらん。英語を取り除いたら、なにも残らない。秋元さんも数年前まではすばらしい詩を書いていた。売れると生活が安定するから、なにかが失われる。そのなにかが他の人にはできない奇跡を起すのだ。作詞のむずかしさである。 ずっとそばにいたいけど わかってる 片思い なんだか期待して 泣きそうな気持ちたったこれだけの言葉。ところがこれを書こうとするとむずかしいのである。一緒にいても相手は友だちとしてしか見てくれない。告白したくてもできない。もし嫌われたらどうしよう。近づきたいけど、近づけない。そんな思いがちゃんと言葉になっている。少女の心の揺れを的確に表現して見事である。 胸の奥で叫んでも 聞こえない 届かない 早く気づいてよ 壊れそうだよいかにも10代の女の子である。口に出して言えばいいのに、と思うのだけど、彼女たちは決して口に出さない。冷静に見えるけど、心のなかは暴風雨だ。相手が必ず気づいてくれる、そう信じて毎日を送っている。思春期はそんなふうに過ぎてゆく。振り返って、あのとき、ああすればよかったと思うのだけど、その後悔こそ青春の美しさである。YouTubeのURL 東京女子流/鼓動の秘密https://www.youtube.com/watch?v=CdZCh4h0ySc
2013年07月16日
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安倍さんが自民党の総裁になり、今年の秋に衆議員選挙が行われれば、日本経済は再び上昇気流に乗って豊かな国になる。しかし石原さんが総裁になれば日本は沈没したままになる。理由は単純である。為替政策の違いである。安倍さんは過去に例のないほどの金融緩和をすると述べた。政府と日銀が協調して、大胆な金融緩和を取って円高を阻止し、製造業を再生させる。それに対して石原さんは民主党とは対立せずに、強調する路線を示唆している。早い話が日本企業1000社を倒産させた民主党路線を引き継ぎ、日本沈没の道を歩むと述べているのだ。日本がここまで零落したのは、周辺国への遠慮である。民主党が日中友好、日韓友好のお題目ばかり唱えてきたので、狡猾な中国や韓国に日本市場を食い物にされてしまったのだ。それでもなお目を覚まさずに、周辺国と仲良くしようとする石原さん。父親の慎太郎さんとは正反対である。慎太郎さんが右翼めいた発言をするたびに恥ずかしい思いをしてきた。自分は違う、父親みたいな政治家にはならない。そう誓ったに違いない。ワンマンな父親を持つ息子は、優しい性格になる。友達付き合いをするなら慎太郎さんより伸晃さんの方がよい。なにかあればすぐに手を差し伸べてくれる。しかし今は喧嘩をするときなのだ。民主党の仲良し路線では、周辺国に侵略されるだけなのである。中国も韓国もドルに連動して為替操作をしてきた。人民元や韓国ウォンは不当なまでに安く維持されてきたのだ。円高が止まらないのは、中国や韓国の為替操作のせいのなのである。金融緩和をしないから、シャープが台湾企業に買収されるのである。韓国大統領が天皇に土下座して謝罪すれば許してやると発言しているのに、民主党は自分からはカードを切れないでいる。森さん、古賀さんなどの古参が石原さんを支持している。またかと思う。福田康夫という無能な政治家を担ぎ出して、日本経済を窮地に追いやったのは森さんだった。押尾学事件の現場にいたと噂されているのも、森さんの長男である。サメの脳みそ、ノミの心臓、オットセイの下半身と記者には揶揄された。こうした人物が民主党政治で私腹を肥やした財界人の後押しを受けて、性格が弱い石原さんを担ぎ出して、日本沈没のシナリオを演じるのは予想できることである。サメの脳みそだから日本の将来は眼中にない。石原さんが総裁になれば、日本はずるずると沈没してゆく。スパイがうじゃうじゃいて身動きが取れない国。周辺国の食い物にされる国。そんな憂鬱な気持ちになるのは、森さんのような政治家が力を持ち続けているからだ。民主党が終ったら、今度は森さんの政治が始まる、そんな図式だけは避けてほしいものである。今の日本は傷を負った獣である。大震災、原発事故、さらには経済まで失速している。冒険する余裕はないのだ。最も堅実な道を歩むべきだ。総理経験者である小泉さん、麻生さん、安倍さんのいずれかが、過去の経験や人脈を使って日本を再生させるべきなのだ。麻生さんは、この20年で唯一GDPを上昇させた総理である。エコカー、エコポイントも麻生さんのアイデアである。ロンドンオリンピックで金メダルを取れたのも、麻生さんの強化策があったからだ。民主党にアニメの殿堂と揶揄された国立メディア芸術総合センターも、アップルのipadが発売される前に構想されたのだ。自分でマンガを裁断してスキャナーを使ってipadで読む若者が増えている。麻生さんの構想は、今のこの時代こそふさわしい。先見性がありすぎたから、民主党の議員には理解できなかった。麻生さんや安倍さんという、国民にも馴染みのあるふたりに、日本を再生させてもらうしかないのである。
2012年09月15日
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ニューヨークの核シェルターは地下にある。古いビルの地下室を核シェルターに改造して、付加価値を加えることで、より高級な住宅として売却する。911以降、そうしたビジネスが産業として確立された。核シェルターを作る会社もある。金属板を加工し、潜水艦のような密室の空間を作り、現場で組み立てる。金属を溶接して密室を作るのである。放射性物質が入り込まない空調も完備している。核ミサイルや核テロの恐怖が新しい産業のスタイルを作った。冷静に合理的に、そしてなによりも科学的に考えることで、新たな産業が生まれる。必要は発明の母なのである。大震災以降の日本人はどうか。冷静に合理的に、科学的に考えていると言えるかどうか。高台に逃げよという菅総理の発言があった。民主党はその発言を基本にして政策を進めてきた。ところが菅さんの言葉は、場当たり的な発言である。将来を見通すことのできない大バカ者の戯言でしかない。なぜ東京や横浜、大阪は、内陸ではなく、海岸線に発展してきたのか。なぜ太平洋に面した国々、アメリカやカナダやオーストラリアの大都市は、内陸ではなく、海岸線にあるのか。答えは簡単、便利だからである。港に船を停泊させて、すぐに行けるところに街が生まれる。実に自然なことだ。津波というリスクよりも利便さが勝るのだ。数百年に一度来るか来ないかわからない津波のために、人類は文明を置き去りにしたりはしない。リスクがあっても、そのリスクを忘れてより便利な生活を求めるのが、人類という哀しい生き物なのである。そうした生き物だからこそ、これだけ短期間にこれだけ進歩できたのだ。なかでも日本人はリスクをすぐに忘れる民族である。日本の大都市に向けて配備されている中国や北朝鮮の核ミサイル。いかにリスクに無感覚かがわかる。そんな民族が、高台に逃げよという言葉を守るはずがないのだ。いづれ忘れられて、高台に移り住んだ人々はバカを見ることになる。日本人が生真面目なまでに法律を守って高台に住み続けたとしても、中国や東南アジアの人々が移民してくる。港の近くに食堂や飲み屋が誕生し、人々が集まってくる。港の周縁の方が儲かるのだから、必ず街が生まれる。次ぎに起きるのは、利便性のある地域が住宅地になることである。法律は捻じ曲げられて、海岸線の街が発展してゆく。歴史をすこしでも学んだ人なら、それくらいは予想できるはずだ。日本人はこれほど高度な文明を築いたにも関わらず、他の民族では考えれないほど、お間抜けなところがある。高台に住めという発言も、呆れるほどお間抜けである。津波が来たら、逃げるのは上か下かである。津波は数時間、長くても数日間避難できればよい。核ミサイルに比べれば遥かに対処が容易な危機である。日本には世界トップクラスの潜水艦技術がある。地下トンネルの建築技術も優秀だ。アメリカの核シェルターくらいなら、いくらでも作れる。作ろうという気持ちがあれば、作れるのである。駅周辺の地下街、地下鉄、港やその周辺の繁華街、海岸線の観光地など、避難所を地下に作った方がよい地域はたくさんある。より多くの人々を救出できる可能性が高いのである。密室性の高い部屋、水が流れ込むと自然に閉まるドア、幾重にも区切られた通路。潜水艦は1ヶ所が破壊されても、別の領域に水が入り込まない構造になっている。政府がそうしたプロジェクトを作って、産業として育成すれば、全国に津波対策の避難所がたくさん誕生するだろう。当然ながら円高対策にもなるし、新しいイノベーションにもなる。株式市場の国際化で、日本企業の利益は世界中の富裕層に分配されるようになった。庶民の手には還元されないのである。だから地方が貧しくなり、少子化と高齢化が止まらない。企業利益が海外にばら撒かれる前に、自国に使われれば経済は活性化する。東電などの企業が電気料金を上げるのも、海外の富裕層に利益を分配させるためだ。物言う株主が海外の富裕層になったために、役員より強腰なのである。政治家や財界人が海外の富裕層に頭ばかり下げている国は、国民がバカを見る。東証が国際化した時期と、日本が不況に陥った時期が重なるのは偶然ではないし、経団連の会長が、中国共産党のご用達発言をしているのも偶然ではない。海外に進出することばかりが優先されて、日本がなおざりにされている。いつか来た道である。戦前の日本は満州経営に熱を上げるあまり、庶民は苦しい生活を強いられた。金が海外に出てゆく構図は、戦前の日本と今の日本はなんら変わらない。中国と国交を断絶していた敗戦から70年代までの30年間が、未曾有の繁栄期だったのも、金が海外に向かわず国内に循環されていたからだ。金を国内で使うことこそが大切なのである。津波対策の避難所は核シェルターにもなる。核ミサイルは現実なのだ。いつ東京に落とされても不思議ではない。だいたい核ミサイルを東京に向けて配備している国に、工場を建設するバカ民族はいない。しかも沖縄を守っている海兵隊を、自ら海外に追い出す間抜けな民族である。米軍がいなくなれば、すぐにでも中国軍が侵略してくる。中国軍の兵士たちは米軍の兵士たちほど行儀はよくない。選択肢はない。米軍を選ぶか、中国軍を選ぶか、自衛隊を選ぶかしかない。あとは沖縄人が自ら決起し、核武装するしかない。地球には軍事的な空白地は存在しなかったし、これからも存在しない。ジョン・レノンのような理想家が作る歌にしか存在しない。その歌に幻惑されて、ふらふらと軍事力を手放してしまった民族が、津波という大きな危機に立ち向かえないのも、あたりまえの話だ。イスラエルを見よ、正しい方法は相手が核を手放すまで、経済制裁をすること。核ミサイルから庶民を守るのは政府の義務である。3月11日の津波に襲われて亡くなった人々は、心のどこかで死んでもかまわない、自分の命は自然にゆだねようと思っていたのではないか。津波が来て自分たちをさらってゆくことを知りながら、自然の豊かさ、景観の美しさ、海がもたらす幸の尊さに惹かれて、海岸線に住み続けたのではないだろうか。地震に逢う時節には遭うのがよろしかろうと良寛は言った。そういう覚悟、いさぎよさが東北人にはある。死ぬ覚悟ができていない大バカ者が、高台に住めと発言して、国民に迷惑をかけるのである。事故直後の福島原発には政治家はだれも行かなかったという。福島原発で何が必要とされているか理解している政治家はいなかった。怖気ずいて原発に近づけなかった民主党の議員だからこそ、日本の零落を止めることができないのだ。国を愛せずに自分しか愛せない傲慢な連中だ。政治家は二種類いる。戦争が起きたときに率先して前線に向かう政治家と、前線からできるだけ遠い場所に逃げようとする政治家である。3月11日の前線は、危機に陥った福島原発だった。率先して前線に向かう政治家は、自分の命より名誉を重んじる人々であり、できるだけ遠い場所に逃げようとする政治家は、口だけは達者なくせに、肝心なときに臆病風を吹かせる連中である。臆病な政治家が支配層に居座る国は零落する。これもまた自然の摂理である。
2012年02月26日
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女性がヘソ出しルックを着るのは、たいへんなんだろうなぁと、KARAのダンスを見ながら思った。今年の夏にKARAは新曲を発表した。韓国の歌番組に幾度となく登場したが、リーダーのギュリがヘソ出しルックを着たことはなかった。他のメンバーがお腹を見せているのに、彼女だけは隠し続けた。妊娠でもしてるのかと疑ったものだ。ギュリは今年23歳になる。もともと太りやすい体質なのかもしれない。自分より若いメンバーと一緒にダンスするのは、きつい仕事なのだろう。紅白の出場が決まってからの1ヶ月間、過酷なダイエットと激しい運動でお腹についた贅肉を見事に落としたのが、露わになった腹筋で見て取れる。リーダーとしてのプライドと意地で、ギュリは肉体を鍛えた。こうしたところに、韓国ポップスの強さがある。美しさのためなら、整形だろうと肉体改造だろうと厭わない。日本の歌手たちはどうか。分厚い衣装で全身を隠しまくっていた。肉体の魅力を存分に発揮していたのは、AKB48だけである。あとは全滅、分厚い衣装で武装し、躰のラインさえ見せようとしなかった。紅白に出場できるのは、一番輝いているトップスターである。そうしたスターたちが韓国の歌手たちに肉体で負けている。歌の内容もひどいものだった。平和が大切だとか、明日に希望があるとか、民主党的な戯言、日教組的な空言で塗りたくられて、聞くに耐えなかった。心に響いたのは石川さゆりの『津軽海峡冬景色』と、松任谷由実の『春よ来い』くらいで、大昔に作られた古い歌である。平和が大切?明日に希望がある?バカ言ってるんじゃねぇよ。民主党の政治集会じゃあるまいし。恋した、裏切られた、逢いたいが歌の本道よ。政治家のプロパガンダと同類の歌なんて、聞きたくもない。去年の韓国で、一番ヒットした歌は、インフィニットの『パラダイス』である。テーマは少女監禁だ。おまえを手放すことはできない。どうかおれのそばにいてくれ。おまえと一緒にいるこの瞬間、この場所こそが、パラダイスだ。心臓が焼かれるようなこの気持ち、この恋をどうすることもできないんだから、しょうがないだろう。インフィニットの歌には、民主党的な戯言、日教組的な空言は、ほんのかけらも存在しない。猟奇的とも思える内容の歌が、去年の後半には、これでもかというくらい、韓国のテレビで流れた。日本でも人気のあるアフタースクールの歌も、扇情的な内容である。シャンプーになりたい。あなたの髪に流れ落ちて、わたしの匂いであなたを包みたい。世界にひとつしかない匂いで、永遠にあなたを酔わせてみせる。鏡さえ見えなくなるように、わたしの白い泡で全身を包み込んでしまいたい。毎日、毎日、待っている。この瞬間が好き。あなたの指が触れる。わたしたちはふたたびファンタジーに包まれる。歌は本来こうしたものだろう。万葉集の時代から日本人は、これでもかというくらい、恋の歌を詠み続けてきた。和泉式部に並ぶ詩人は、ギリシアのサッフォー、16世紀のフランスのルイーズ・ラベくらいだろう。西欧において女性が本格的に文学に登場するのは、近代になってからである。もちろんアジアでは日本は例外的な国である。女性たちが文学的なサロンを作り、勅撰和歌集において男性と肩を並べていた平安時代は、人類史には他に例がない。そうした日本人がいまや政治的な空言しか歌えなくなってしまった。大和心と漢心、いまの芸能界には漢心しかない。東京裁判などのA級裁判、BC級裁判で軍人たちが処刑されたとき、日本人は自分たちの思想に、手枷、足枷を嵌めさせられた。二度と先制攻撃できないように、みんなで手を繋いで平和に暮らしましょうという観念しか、語ったり、歌ったりできないようにさせられた。軍歌がパチンコ店で流れるのは、GHQの底意地の悪いおふざけ的な占領政策のせいである。日本のパブリックな歌の世界から、軍歌が消えた。勇敢さ、怒り、冷酷さ、傲慢さといったものに悪の刻印が押されて、日教組の教師たちによって、みんなで手を繋いで暮らしましょうと教えられた。そしていまやエロチックな恋歌までが、歌謡界から消えた。その空白に、韓国ポップスが入り込んでくるのは当然の現象である。GHQが去ったあとも、左翼のエリートたちが自己規制を続けてきた。しかし世界は大きく変わり、占領政策を行ったアメリカでさえ社会が大きく変わり、軍需産業が主要な産業になり、連続殺人鬼が街を徘徊する国になった。みんなで手を繋いで平和に暮らしましょうという観念を、狂信的とも思えるほど後生大事にしているのは、能天気でお人よしの日本人だけである。GHQの教えを後生大事にしてきたせいで、大和心が消えてしまった。ところで少女時代のダンスを見ながら、韓国も変わったもんだと感動した。問題は黒い衣装である。ハレの舞台である紅白に、黒い衣装で登場する。そうした美意識は、韓国の伝統文化には存在しない。日本の美意識である。葬式の喪服でさえ韓国では白である。江戸幕府の奢侈禁止令によって、四十八茶、百鼠と呼ばれるほど、茶色、灰色、黒、紺、それらの色に対する美意識が異常なまでに発達した。利休鼠、錆鼠、嵯峨鼠、松葉鼠、源氏鼠、灰色の名前だけで百もある国は、日本という摩訶不思議な国だけである。少女時代は日本や欧米の美意識を上手に取り入れて、衣装を作ったり、ダンスの振付を考えているからこそ、なんの抵抗もなく好きになれるのだ。今回の歌を振付けたのも仲宗根梨乃さんという日本人である。ちなみに東方神起の振付も彼が行っている。日本という摩訶不思議な国。建前と本音がいまほど分裂した時代はないのではないか。アダルト女優たちは、他の国に行けばスター級の扱いである。しかし彼女たちがどんなに美しく、魅惑的だったとしても、紅白に登場することはない。韓国の歌手たちは選ばれるのに、日本人のアダルト女優たちは無視される紅白。司会や審査員になれる日も来ないだろう。いまやトップスターの歌手よりも、アダルト女優たちの方が、日本経済に貢献している。どれだけの富を日本にもたらしたかという基準で人選するなら、彼女たちが選ばれるだろう。芸能界と暴力団の関係も、むずかしいものがある。インフィニットは、社長とメンバーがひとつ屋根の下で暮らしていた。雨漏りのするひどい家だった。ハングリー精神が原動力になり、彼らをスターダムに伸し上がらせた。こんな暮らしをさせれば、日本では厚生労働省が承知しない。職がなく、若者がぶらぶらしているのに、厚生省が厳しい基準を作るから、スターの卵がいても上手に孵化させることができない。日本の基準から見れば目も当てられないほどひどい暮らしをしてきた韓国の歌手たちが、やがてはトップスターになり、紅白に出て本来は日本人が稼ぐ金を掻っさらってゆく。暴力団の裏金が芸能界に流れて、すばらしいスターが誕生するなら、一概に悪いことだとは言えないのではないか。偏執的なまでに悪を退治しようとすると、芸能界の原動力までが失われてしまう。たとえ暴力団を追放できたとしても、周辺国のマフィアが入り込んでくるだけである。たかが紅白、されど紅白、良くも悪しくも、いまの日本を象徴している舞台だった。
2012年01月03日
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《水産庁「海は放射能よりも強い」水産物の被害はほとんどないことが判明》「原発も海に蹴り落としたら海が何とかしてくれるな」「オオカミ少年化してる日本政府」「ぶっちゃけ暴動を起こしても良いレベル」「自衛隊員よ、今こそ立ちあがれ、クーデターだ」「プールで1人くらいおしっこしても大丈夫みたいな?」「待て、おしっこは飲める」《菅首相、反論また反論 歴代政権や東電への責任転嫁に躍起》「責任転嫁内閣、早くくたばれ」「ベント開放は、政府の命令がない限りできません」「つまり水素爆発は菅のせい?」「だね」「認めたらとんでもない責任を背負うことになるから」「民主って今まで誰一人、責任取らずに雲隠れしてきたよね」《日本政府、米軍が輸送した冷却剤を断る》「やっちゃったな」「それのおかげで爆発しました」「アイツら日本で暮らしていけると思ってるの?」「自衛隊の派遣を断った村山と全く同じだな」「冷却材使うと、原子炉が永久に使えなくなる」「原子炉の保全は考えたけど、国民の保全は考えなかったわけか」「結局、原子炉も国土も国民も使用不能、すばらしい政治主導でした」《「何しに来たの?」首相視察に冷ややかな声》「るんるん、新調した作業服も着れたし」「見舞いに堂々と手ブラでくる馬鹿」「無策、無能、無責任の三無主義のスッカラカンの物見遊山」「菅の視察はすごい迷惑だった、普通そこまで言われるか」「ガレキのひとつでも片づけて帰れよ」「不運な男だよ、地震さえなければ外人に金もらった件で辞められたのに」「金もらったお礼に、原子炉フッ飛ばした」《首相交代「国民から見放される。あり得ない」民主党の岡田氏》「もう見放してます」「もう見放されてるのに」「世界から見放されてる、放射能垂れ流し政治で」「岡田にも黒い金脈? ポッホに小沢、前原にカン、全員だもん」「暴力団と関係のある仙谷さまをお忘れですよ」《サルコジ同行の放射能専門機関「大変残念なことに東京都民はすでに被曝している」》「被爆者手当てくれよ」「ただちに影響ないから、金はやれん」「日本政府が新たに引き上げた基準によれば被曝してません」「1年ごとに基準を引きあげればよい」「日本人は突然変異種だから優秀なんだ」「みんな尻尾が生えている」《「漁民は高台に住め」首相の復興エコタウン構想》「へんなこと考えてる人だ」「汚染された魚食わせる気か」「仕事中に津波来たらどうすんのよ」「なんでもエコにすりゃいいという単純思考」「国民を被爆させてからエコ、菅らしい温暖化対策」「エコなんてどうでもいい、放射線のないところで暮らしたい」《「公開すると国民の不安を煽る」 日本気象学会が放射能拡散予測の公表自粛》「死ねってことね」「政府の大本営発表が一番信用できないのにな」「淡々と生データだけ流してくれ」「パニックって言ってもペットボトル水買い占める程度だろ」「株価と地価が下がって、日本経済がパニックになるとは思うけどな」「円安で海外製品買えなくて、放射線浴びながら仕事すればいい話」《菅首相「長期戦も覚悟して必ず勝ち抜いていく覚悟で臨む」》「勝手に長期戦を覚悟すんな、さっさと終わらせろゴミ」「カルトのスローガンみたいだな」「とっとと福島の人たちを退避させろよ、この人殺しが」「かわいそうなのは現場の作業員、みんな死んじゃうよ」「怒鳴ってばかりいるから優秀なやつは去ってゆく、麻生の笑顔が懐かしい」《韓国人が続々と被曝している模様「雨から放射能の臭いがする」》「少しは東京人を見習えよ」「東京人は忘れすぎだよね」「逃げられないだけだ」「放射能の匂いってどんな匂い?」「なぜか日本人が一番落ち着いてる不思議」「なんなのこのお隣さん」《放射能を撒き散らしている日本に対し、パキスタンでデモ》「日の丸燃やすんじゃなくて、掲げてるとこが偉い」「パキスタン、ありがとう」「日本人に生まれてごめんなさい」「世界に迷惑かけてる日本が恥ずかしすぎる」「民主党に投票した報いで、被爆までさせられるとは思わなかったな」「総理が漢字読めないで騒いでいた時代が懐かしいよ」《菅直人にアスペルガー症候群の疑い》「アスペじゃなくアルツ、晩年のレーガンと一緒」「2年前にテレビで見たとき、こいつボケてると思った」「民主党は人がいないね」「ヒトラーの戦争後期みたいになっちゃってるの?」「被災地に行ったのはたった一回きり」《各国外交官も「首相は本当に大丈夫なのか」と真顔で問い合わせてくる》「殿はご乱心ゆえに、座敷牢に閉じ込めました」「官僚たちが恐がって、執務室に入らないというのがすごい」「総理はご乱心、首都は被爆、日本製品は禁輸、これからどうなるの?」「慌てるな、政府が機能してないなんて、いつものことじゃん」「上に政策なし、下に対策あり」《日本の土地を買い占めていた中国人、放射能にビビって手放し始める》「ありがとう、東電さん」「次は竹島だ」「尖閣、竹島、千島の30キロ圏内に原発作って爆発させよう」「風向き計算しないとね、日本列島が自滅しちゃうよ」「対馬で事故起こせば、朝鮮半島に人がいなくなる」《日本は放射能被害を補償せよ、韓国》「本当の友人がだれかわかるよね」「民主党の東アジア共同体構想は、いったいなんだったんだ」「アメリカのトモダチ作戦、韓国の円分捕り作戦」「地震の日の菅は、韓国人から金を受け取った件で辞任するはずだった」「で、ドジって、放射能撒き散らした」「金をもらって放射能撒き散らして税金くれてやる、それってまずくないか」「実に巧妙な収賄、全世界を巻き込んだ詐欺事件」《日本人「放射能、東京ヤバイ」、アメリカ人「日本全土が被爆、日本ヤバイ」》「外人は過剰反応しすぎ」「近いうちに日本叩き始まるよ」「排ガスだのなんだの吸いまくってきたのに、今更放射能と言われても」「タバコと放射能とどっちが恐い?」「タバコの葉に放射能がくっついているのが一番恐い」「福島でコカイン栽培して、麻薬絶滅トモダチ作戦はいかが」《農業は放射能で死亡、製造業は停電で死亡、サービス業は自粛で死亡》「菅は引きこもりで死亡、枝野はしゃべり過ぎで死亡」「GDPは何%減になるんだ?」「漁業も終わってる」「生き残ったのは菅の福祉だけ」「最大不幸、最多不幸の国作りができた」「民主党議員が夢見た理想世界、みんな不幸で貧乏で平等になった」「21世紀を計画停電すれば原発はいらない」「原発なくして、テントとロウソクで暮らしましょう」《冷静に考えると被爆国日本になんで原発があるんだよ、と姜尚中教授は述べた》「ばーか、石油がねえからだよ、それでよく東大教授やってられるな」「こういうバカ教授の教え子が、官僚になって原発を爆発させたんだ」「在日から金を集めるのが民主党のやり口」「で、原発がどかん。韓国が大騒ぎして補償金よこせ」「哀れな日本人は原発で汚染水処理」「こんな愚にもつかない話して年金もらえるんだから、大学教授はうらやましい」「姜の目的は日本つぶし、そう考えると、こいつの発言は正しい」《福島の人を差別する社会は断じて許されない、と姜尚中教授は強い口調で語った》「こいつが話すと、日本人はみな悪人、と思うよな」「ソフトバンクや電通の社長が弱者なんだから、摩訶不思議な世の中だ」「姜は、韓国に行っては日本をボロクソにケナしてる」「で、日本のおばちゃん連中は、すてき、ハンサムと騒いでる」「冷静に考えたら原爆落とされた日本が、核保有しないのはへんだ」「まっ、冷静に考えれば、北朝鮮の犬が、日本の原子力をつぶすのは当然」「日本の悪口ばかり言うから差別される、ということに気づいてないのが立派」《なんで実際に放射能物質が検出されてるのに、風評被害なわけ?》「厳密にやったら日本の産業は終了するからな」「ヤバくないときには騒ぐ、ほんとにヤバいときは平気な顔をする」「原発作業員が雑魚寝させられてる方が恐い」「日本版収容所列島だな、日本版ソルジェニーチンはどこにいるんだよ」「原発の汚染水処理してる」「あいつらの罪状は東電職員っていうだけだろ」「その下請とか」「国の基準値をどんどん上げられて、永遠に出所できない、現代版カフカの悪夢だよ」《米軍「放射能問題が落ち着いたんで特殊部隊引き上げるわ」》「菅に愛想つかしをしたんだろ」「国民も見放してます」「ニホンジン、理解デキマセン、ここ、カオスあるね」「帰らないで、お願い、見捨てないで」「お騒がせしました、呆れてしまったのですね、わかります」《中国から飛んできた黄砂に放射性物質が検出》「俺たちずっと前から被曝してたんじゃん」「46回核実験してるんじゃなかったっけ?」「130万人が亡くなってる」「中国に逃げても中国で被爆なんて、悲惨」「これはどこから飛んできた? 中国? 北朝鮮? フクシマ?」「中国政府の抗議は産地偽装なわけか、納得」《米政府の支援を菅政権は断っていた》「まったくおバカな話」「全共闘政権だから、米軍は悪の手先、で、断ってドカン」「前原がいたら違っていたかもな」「自衛隊と米軍は、初動で事の重大さを認識してたということか」「なまじ菅が原子力かじったのが、日本の不運だな」「千年に一度の悪運」「素人の浅知恵くらい恐いものはない」《中国人の反応 日本の仮設住宅すごい、俺ら一生こんな豪華な家住めない》「笑えた」「うちより立派かも、かもじゃなくて、ずっと豪華」「やっぱ中国のネットユーザーって貧困層が多いんだな 」「日本のネットユーザーも貧困層が多いぞ」「住んでるとこが立派でも、3度のメシはカップラーメンとか」「ハケンも契約中はマンション、クビなれば橋の下」「俺ん家よりはるかにデラックス」「中国人いわく、ここに住めるなら被災したい、まったく同感」《首相を放射能扱いするのが秘書官たちの間でブーム》「もうこんな話まで流出してるわけか」「楽しそうですね 」「秘書官たるもの、総理のためなら命をかけていいと普通は思うものらしい」「不謹慎だがセンスあるな」「自分より低学歴の総理に怒鳴られたら、秘書官や官僚は引くだろう」《「東日本つぶれる」「20年住めない」首相は「歩く風評被害」》「ギリシャのように経済破綻すると選挙のとき言ってた」「国民を不安にさせるのが好きなんだろう」「カンがいるだけで、あたりの空気がどんよりと暗くなる」「雨男、晴れ男、放射能男」「もう官邸ごと水棺処分しちゃえ 」《茨城、千葉の女性の母乳から微量の放射性物質、市民団体が検査》「政府はどうするつもりだよ、関連性は認めないか?」「ただちに健康に影響はない?」「枝野、直ちに奇形児が生まれるわけではないので安全」「赤ちゃん達が甲状腺癌や小児白血病を発病したら、誰がどう責任取るんだろ?」「民主党は最低だな、消費税談義してる場合じゃないだろ」「消費税談義は震災前からやってた、震災起きてこれ幸いと消費税上げる」「確信犯だな」《メイド・イン・ジャパン大打撃。世界中で「日本」=「放射能」が定着》「円の信用がどうのこうのと岡田が言ってたけど、アホだ」「円の信用って、1万円札に放射能が付いてるかどうかじゃないの?」「円をじゃんじゃん刷って、復興にじゃんじゃん使え」「1ドル120円でも苦しい、1ドル200円なら買ってもらえる」「消費税なんてどうでもいい話になった」「軍需立国、原子力立国が残ってるぞ」「核兵器作って、中東で売るとか」「たしかに放射能が付いていても、文句言うやつはいない」
2011年04月23日
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最近は2チャンネルが楽しいです。ウィットに富んだコメントが多くて、どうしてこんな発想ができるの? と感心させられることもしばしばです。日本人、冴えてますね。フクシマは、人類の悲劇を語るうえで、なくてはならない言葉になりました。この歴史的大事件に対して、日本人がどのようにお互いを励まし合ったか。掲示板に書き込まれる言葉は歴史そのものです。なので、笑えるコメントを拾ってみました。《陸から海への神風で放射能レベルが激減》「海のおさかな死んじゃうの?」「その魚を食べるやつが死ぬ」「火葬されたら空中に拡散?」「漁師さんかわいそう。これから魚が売れなくなるよ」《菅首相「原子力には詳しい」けど「臨界って何だ?」と有識者に質ねる 》「行動力のある無能は始末におえない」「臨海だと思ってたんだろなあ」「東工大の学生運動学科で麻雀専攻だからしかたないな」「頭が真っ白になった。もうやだ」《ロシアの科学者「お前ら甘く見過ぎ。プルトニウムが出たら人が住めなくなる」》「ロシアってなんでこんなに怖い事ばっか言うの‥‥ 」「なぜかロシアの物理学者は頭がいいような気がする」「チェスも強いしな。カスパロフなんて人類最強だろ」「は? 誰が住むって言った?」「日本から出てくことなんて出来ないから、もうどうでもいいわ」《被爆ピアノで「翼をください」を演奏 何かすごく怖いんですけど…》「惚れたよ」「突然変異で翼生えたらどうすんだよ」「自殺の歌だろ?」《100ミリシーベルトを超える放射線量を浴びた作業員「またやる」》「マジかっこいい」「東電の社員ならここで被曝するか、あとで死刑になるかの二択だからな」「日本が駄目になるかならないかの瀬戸際なんだ」「がんばって」《米軍「日米同盟には揺るぎない絆がある、被爆しようとも支援活動をやり通す」》「アメリカありがとう。本当にありがとう 」「最後に頼れるのはアメリカだけやったんや」「どうか日本州にしてください。統治してください 」《小沢一郎さん、行方不明》「国外に逃げたな 」「ポッポは? 」「お友達の中国要人宅にでも避難してるのかもな 」「チェジュ島でみた 」《高濃度放射能汚染の原発4号機の火災、被爆の危険を顧みず米軍が消火に出動、ついに鎮火》「アメリカさんありがとう‥‥」「もうアメリカ様に統治してもらったほうがいいんじゃないの」「やべぇ、アメリカ嫌いだったけど超好きになったわ」「もう52番目の州でいいわ」《首相は何もしていない。パソコンのマウスを動かしながらうつろに話を聞いているだけ》「総理は2chで必死に情報収集しているんだ」「それだったらもう少し良い政治家になってるだろ」「余計に口出しした事が全部裏目に出てるし、管は何もしないのが最善だと思うよ」「こういう人、いるよね、不幸を招く疫病神」「ブッシュの前でプレスリー歌った小泉とは逆」「顔を見てるだけでウツになりそう」《放射能から身を守る方法》「つまり引きこもれと?」「トロロ昆布買ってくる」「ウォッカ飲まなきゃ」「うがい薬のんだらいいの?」「イソジンでもいいか? これしかねぇ」「童貞のまま死にたくない」《「原発怖いので自首した。帰国したい」 不法滞在の中国人を逮捕》「原発もたまには役に立つな」「中国人ですら逃げ出す国になっちまった」「最近は治安がいいですね。強盗もレイプ魔もどっかに逃げちゃった」「原発怖くて、あそこが縮んでるんだよ」《菅直人はヒトラーそのものだ。歴史の悲劇は世紀をまたいで繰り返される》「ヒトラーに失礼」「ヒトラーってこんなに無能じゃないだろ」「ただ無能なだけで悪意があるわけではないんだから、許してやれよ」《福島原発の放射能流出量、チェルノブイリを超える》「1位じゃダメなんですか」「世界一? ねぇ、世界一になれたの?」「案外楽勝だったな。チェルノブイリもたいしたことなかった」「今回は首都圏巻き込んでるから人類最大の原発事故」「広島、長崎にあらたな兄弟か。笑えない」 《2号機の水、致死的放射能‥‥4時間浴びれば半数の人が死亡》「オウムが撒いたサリンとどっちがやばいの?」「ただちに影響はないのでサリン」《プルトニウム検出、汚染抑止に万策尽くせ》「文句なく世界一だね」「フクシマは核汚染の金字塔です」「甲子園チームが大リーグで優勝したようなものかな」「いろんな記録を塗り替えてるし」「フクシマが世界基準になった瞬間だね」《政府機関による調査、放射能で遺伝的障害出る説を否定》「政府が言うなら遺伝子に相当影響が出るんだろうな」「外国の報道では、7代まで影響が出るって言ってなかった?」「チェルノブイリ周辺でたくさん奇形生物が生まれてるのは無視か」「スパイダーマンの超能力は、被爆?」「なんかカルトっぽくなってきたぞ、おい、大丈夫かよ」「超能力者がわんさか生まれてくるんだ。日本は永遠不滅です」《韓国、日本の放射能が韓半島全域で検出》「謝罪と賠償を要求する準備を始めました?」「それ、中国の黄砂でやってきた中国産汚染物質だろ?」「いや北朝鮮の塵だね」「韓国人は既に被爆してる」「中国は楽だよ、ウィグルに捨てればいいんだから、再処理なんて必要ない」《ハーバード大教授「誠に残念ですが、日本は貧しい国になるでしょう」》「東電はどう責任とってくれんだ?」「もうすでに貧しいから」「平成生まれは貧しさに慣れきっているしな」「汚染された水とパンと野菜くず」「菅のマニュフェストは、最多最大不幸社会を作る、大成功だな」「お前らよく考えてみ、豊かになって良いことなんて一つも無かっただろ?」「貧しかった頃のほうがみんな幸せだった」《アメリカ「東電には経営責任がある」株主代表訴訟へ》「取締役に経営責任があるんだろ」「いや、株主にも責任ある」「賠償で潰れる前に、金を取ろうという魂胆だね」「これからこの国どーなっちゃうんだよ」「日が沈んで国旗が真っ黒になる」「産業の自給率、自分たちの使うものは自分たちで作れば、今よりよくなる」「日本人が作れないものはないしな」「いっそのこと、鎖国するか。その方がずっとましだよ」
2011年03月31日
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今回のような事故が起きると、原発がどうの、東電がどうのという議論になるが、問題の本質はそんなところにはない。グローバリズムによって、日本の技術力が落ちたのだ。ハイテクはローテクに支えられている。トヨタが世界最高水準のエンジンを開発したとしても、タイヤを取り付ける作業員が手抜きをすれば、新車は使い物にならなくなる。原子炉がいくら安全であっても、配管工や溶接工の仕事がずさんなら、安全性は崩壊する。福島原発の事故は、日本の技術力が地に落ちた象徴である。バブル崩壊後の日本人は、ハイテクこそ日本の将来だと考えた。耳にタコが出きるほど聞かさせたマスコミのたわごとは、付加価値のある技術が日本を救うという観念である。政治家も大学教授も日銀のトップでさえも、付加価値、付加価値と言い続けた。彼らの考え方が福島原発を爆破させたのである。旧ソ連のことを考えればよくわかる。かつてのソ連邦は、宇宙開発でアメリカと競争するほどの技術力を持っていた。物理学者、生物学者、宇宙飛行士、優れた音楽家や映画監督もいた。ところが庶民の生活はどうか。若者が昼間からウォッカをがぶ飲みするような有様で、下水管が壊れても、修理されるのはいつかわからない。生活用品を手に入れるためには、店に列を作って並ばなければならなかった。社会は全体がうまく動いていないと、機能不全に陥る。ロケットを月に飛ばす技術があっても、下水管が毎日壊れるような国では、まともな暮らしは成り立たない。グローバリズムは人類が理想としていた国、格差がなく、庶民の生活水準が高く、貧困や社会不満が比較的少ない日本という国を、旧ソ連並みの格差社会にした。アメリカではない。旧ソ連である。アメリカは世界中から金持ちが集まってくる国だから、格差社会であっても、豊かに暮らせるのだ。金持ちのチャリティが低所得者の生活を下支えするのである。グローバリズムは、ローテクに関わる者たちの生活を地盤沈下させた。頭が悪い連中だから、仕事ができなくてもしかたがない、そんな観念まで撒き散らした。その結果どうなったか。原発という、最も安全性が必要とされる聖域でも、配管が壊れたり、ポンプが使えなくなったり、非常用発電機が動かないという事故が頻発するようになった。福島原発の事故は起きるべくして起きたのである。ローテクは中国にくれてやれ。ハイテクこそ日本の将来だ。そういう考え方が放射能汚染という最悪の事態を引き起こした。一時期は金融立国という言葉も流行した。観光立国、イノベーション開発、で、その結果どうなったか。沈没する船からネズミが逃げるように、外国人が国外退避する国になった。なぜそうなったか。庶民の生活を守らなかったからである。配管工や溶接工が幸福になれない国はいづれ滅ぶのだ。トヨタのような世界有数の企業があっても、配管工の賃金が安すぎれば、旧ソ連のように斜陽してゆく。原発の仕事を下請会社に任せるようでは安全性は保たれない。正社員として優遇し、仕事のモチベーションを上げない限り、チェリノブリの悪夢は日本を襲う。安全性とは、自分の仕事に誇りを持つ者のことである。誇りこそが安全性なのである。どんなに緻密な設計図を描いても、実際に運用する作業員が手抜きすれば、緻密さは机上の夢に終る。事業仕分けが間違っているのは、役人から誇りを奪うからだ。誇りを持つ役人のみが、この国に貢献できるのだ。なにも原発だけの話ではない。飛行機は墜落し、電車は衝突し、車のタイヤは外れて歩行者を跳ね飛ばす。旧ソ連がなぜ崩壊したのか、世界最高のバレリーナや音楽家を輩出した国が、なぜ庶民が血液まで売らなければならない国に成り下がったのか、彼らの歴史をじっくりと研究すべきである。国家は下から崩れる。エリートよりブルーカラーの方が重要である。基礎をしっかりしないと、高い建物は建てられない。高く積み上げれば上げるほど、下は脆弱になり、崩れやすくなる。原発事故は日本崩壊の序章である。
2011年03月25日
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今回のような事故が起きると、原発がどうの、東電がどうのという議論になるが、問題の本質はそんなところにはない。グローバリズムによって、日本の技術力が落ちたのだ。ハイテクはローテクに支えられている。トヨタが世界最高水準のエンジンを開発したとしても、タイヤを取り付ける作業員が手抜きをすれば、新車は使い物にならなくなる。原子炉がいくら安全であっても、配管工や溶接工の仕事がずさんなら、安全性は崩壊する。福島原発の事故は、日本の技術力が地に落ちた象徴である。バブル崩壊後の日本人は、ハイテクこそ日本の将来だと考えた。耳にタコが出きるほど聞かさせたマスコミのたわごとは、付加価値のある技術が日本を救うという観念である。政治家も大学教授も日銀のトップでさえも、付加価値、付加価値と言い続けた。彼らの考え方が福島原発を爆破させたのである。旧ソ連のことを考えればよくわかる。かつてのソ連邦は、宇宙開発でアメリカと競争するほどの技術力を持っていた。物理学者、生物学者、宇宙飛行士、優れた音楽家や映画監督もいた。ところが庶民の生活はどうか。若者が昼間からウォッカをがぶ飲みするような有様で、下水管が壊れても、修理されるのはいつかわからない。生活用品を手に入れるためには、店に列を作って並ばなければならなかった。社会は全体がうまく動いていないと、機能不全に陥る。ロケットを月に飛ばす技術があっても、下水管が毎日壊れるような国では、まともな暮らしは成り立たない。グローバリズムは人類が理想としていた国、格差がなく、庶民の生活水準が高く、貧困や社会不満が比較的少ない日本という国を、旧ソ連並みの格差社会にした。アメリカではない。旧ソ連である。アメリカは世界中から金持ちが集まってくる国だから、格差社会であっても、豊かに暮らせるのだ。金持ちのチャリティが低所得者の生活を下支えするのである。グローバリズムは、ローテクに関わる者たちの生活を地盤沈下させた。頭が悪い連中だから、仕事ができなくてもしかたがない、そんな観念まで撒き散らした。その結果どうなったか。原発という、最も安全性が必要とされる聖域でも、配管が壊れたり、ポンプが使えなくなったり、非常用発電機が動かないという事故が頻発するようになった。福島原発の事故は起きるべくして起きたのである。ローテクは中国にくれてやれ。ハイテクこそ日本の将来だ。そういう考え方が放射能汚染という最悪の事態を引き起こした。一時期は金融立国という言葉も流行した。観光立国、イノベーション開発、で、その結果どうなったか。沈没する船からネズミが逃げるように、外国人が国外退避する国になった。なぜそうなったか。庶民の生活を守らなかったからである。配管工や溶接工が幸福になれない国はいづれ滅ぶのだ。トヨタのような世界有数の企業があっても、配管工の賃金が安すぎれば、旧ソ連のように斜陽してゆく。原発の仕事を下請会社に任せるようでは安全性は保たれない。正社員として優遇し、仕事のモチベーションを上げない限り、チェリノブリの悪夢は日本を襲う。安全性とは、自分の仕事に誇りを持つ者のことである。誇りこそが安全性なのである。どんなに緻密な設計図を描いても、実際に運用する作業員が手抜きすれば、緻密さは机上の夢に終る。事業仕分けが間違っているのは、役人から誇りを奪うからだ。誇りを持つ役人のみが、この国に貢献できるのだ。なにも原発だけの話ではない。飛行機は墜落し、電車は衝突し、車のタイヤは外れて歩行者を跳ね飛ばす。旧ソ連がなぜ崩壊したのか、世界最高のバレリーナや音楽家を輩出した国が、なぜ庶民が血液まで売らなければならない国に成り下がったのか、彼らの歴史をじっくりと研究すべきである。国家は下から崩れる。エリートよりブルーカラーの方が重要である。基礎をしっかりしないと、高い建物は建てられない。高く積み上げれば上げるほど、下は脆弱になり、崩れやすくなる。原発事故は日本崩壊の序章である。
2011年03月25日
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期待したわけでもなく借りたDVDだった。いつのまにか続編を見ずにはいられなくなった。毎年エミー賞の候補にあがるテレビドラマなので、よいドラマなのはわかっていたけど、内容が暗いので敬遠していた。アメリカの三大ネットワークではなく、ケーブル局が製作したドラマである。このケーブル局という発信場所が、台風の目になりつつある。以前にも『カリフォルニケーション』というテレビドラマを見て、作品の高さに驚かされた。日本でもそうだが、NHKや地上波といった大手のテレビ局は、あたりさわりのない作品しか作れなくなった。冒険しないのである。東大やハーバードといった一流大学のエリートが、経営陣に名前を連ねると、企業は元気がなくなる。スティーブ・ジョブズのいないアップルみたいなものである。無難な路線を歩めば、さしあたり一流企業でいられるわけで、視聴者離れが進行し、企業収益も減っているのだが、その悪循環から逃れられなくなっている。さて『デクスター』だが、第1話のオープニングから、これでもかというくらいショッキングな映像が続く。血液飛沫の分析官が主人公である。警察の鑑識に、そうした専門職があるそうだ。殺害現場の壁や床に飛び散った血液を分析することで、事件の状況を把握する。それだけでも見るに耐えないのだが、この主人公は連続殺人犯である。昼は警察で働いて、夜は殺人鬼になって人を殺す。エミー賞やゴールデングローブ賞が大好きなNHKも、さすがにこのドラマだけは放映しないだろう。原作は推理小説なので、人物の造詣が深く、複雑なドラマに仕上がっている。家族の絆やフロリダという土地柄、メキシカン、キューバリアンといった民族コミュニティー、警察のリアルな人脈、上司と部下の関係、政治の組織図など、実に興味深い。そしてなによりも、デクスターという主人公の描き方がおもしろい。ハンガリー生まれの精神科医にレオポルド・ソンディという人物がいる。ソンディ・テストの考案者である。人の衝動は、父から息子、息子から孫へと遺伝的に継承される。家族的無意識という言葉で名づけた。フロイトの個人的無意識、ユングの集合的無意識、ソンディの家族的無意識、人の心に働きかける無意識の三位一体である。外科医の息子は外科医に、といった具合に、外科という職業が要求する衝動を、普通の人よりも多く受け継いでいる家族がいる。モーツァルトの父親が音楽家だったように、家族には、その家族特有の衝動の傾向がある。さらにソンディは、人の衝動は職業によって社会化されるという。社会化されない無意識は、人の心を狂わせたり、犯罪に向かわせたりする。ソンディの構築した理論は運命分析と呼ばれている。人にはそれぞれ特有の衝動の傾向がある。几帳面で、冷たい感じのする人いれば、大雑把だけど、性格が明るくて、だれからも好かれる人もいる。暴力的で、喧嘩ばかりしている人もいれば、臆病で、おとなしい人もいる。そうした人々の衝動は、両親から受け継いだものだから、生涯に渡って、その人の人生を左右する。職業によって効率よく社会化できれば、モーツァルトのように天才にもなれる。社会化できなければ酒に溺れたり、犯罪者になったりする。衝動は、人をして行動へと駆り立てるエネルギーである。そのエネルギーが日々の仕事で昇華され、職業という形で結実する。テレビドラマの話に戻るが、デクスターは殺人衝動を人よりも多く受け継いだ人物である。このドラマを見ながら、ソンディの家族的無意識を幾度となく思い起こした。まるで心理学者が書いたドラマのようなシリアスさである。デクスターのような人物がなんの訓練も受けずに大人になれば、連続殺人犯になって社会に大きな害をもたらす。このドラマの優れたところは、父と息子の話として殺人衝動を扱ったところにある。息子が動物を殺す。その殺しを必然として受け入れる父親が、はたしてこの社会にいるだろうか。殺人を悪と教えるのではなく、殺人をいかに社会化させるか、社会にとって有益なものになりうるかどうか、その点をこれでもかというくらい突き詰めて問いかける。殺人衝動も、モーツァルトの想像力と同じくらい価値ある衝動、神が、アプリオリに人に与えた衝動である。幼い子供は、自らの衝動に戸惑うばかりで、実に哀れな存在である。価値あるものになるかどうかは、父親の教育にかかっている。父親はデクスターが思春期を迎えるその前に、彼の殺人衝動を見抜き、デクスターの将来、まさしく運命と立ち向かう。衝動をうまくコントロールし、社会にとって有益になる方法を考案し、息子に伝え、訓練し、一人前の大人に育て上げた。殺人というと、すぐに悪と考えてしまいがちだが、よい殺人と悪い殺人、社会に役に立つ殺人と害になる殺人がある。殺人なしに存在できる社会はないのである。日本の社会もそうだ。凶悪な犯罪者を法律と死刑制度で殺人することで、わたしたちは安全な社会で暮らしてゆける。民主党の法務大臣が死刑執行するのが嫌で、一年間職務を怠慢したことがある。こうした状態が長く続けば、司法制度は崩壊し、犯罪者の天国になる。ジンバブエ、クメール・ルージュ時代のカンボジア、アフガニスタンなど、司法制度が役に立たなくなった社会は人類史には数多く存在する。カンボジアも、共産主義という理想が実現したはずだが、実際には日常的に虐殺が行われる社会になった。理想と思われた社会が、いざ実現してみると地獄になる。政治は正義という名を借りて、欲と欲が衝突し合う場である。複雑すぎて先を見通すことができないので、皮肉な展開を招きやすい。 いわば国が行う殺人を、デクスターにやらせることで、彼の殺人衝動を社会的に昇華させる方法を父親が開発する。とんでもないストーリーである。善と悪、衝動と超自我、社会的規範とそれを破ることの快楽、さまざまなテーマが、実に乱暴な方法で問われている。かつてドフトエフスキーは『悪霊』という小説で、悪に魅せられた人物たちの内面に迫った。トルーマン・カポーティは『冷血』という小説で、殺人を行う犯罪者たちの心理に迫った。そして現代は『デクスター』である。なぜ人々はかくも殺人者に魅せられるのか。オーデンの詩に、答えが隠されているかもしれない。 狩猟で暮らしたわたしたちの先祖は 生きものの悲哀の物語りをものがたった。 留めを刺された獣の顔に刻まれた限界と欠乏とを憐れんだ。 ライオンの不寛容の面魂のなかに見た 射止められた鹿の死にゆく眼光の裏に見た 人間の栄光を狂い求める愛を見た 理性によっていや増すであろう人間的栄光と あの寛容の衝動と支配力を ひとつの神の正しさをこの世にあるすべての人々のDNAには、狩りの本能と戦争の快楽と殺人の衝動が、つまりは勝者として生き残った者たちの本能が、止みがたいほど強く刻印させている。わたしたちはミトコンドリアから進化し、適者生存の長い旅をしてきた生物なのである。敗者の肉を食らって生き延びた勝者の子孫である。それにしても恐ろしいドラマである。連続殺人者を主人公にしたドラマを、50話近く作れるアメリカという国の底力。当然ながら、放映に反対する人々もいた。このドラマの邪悪さ、邪悪なものを邪悪なものとして描く、真摯に邪悪を見つめるまなざしが心地よい。嘘がない、ほんとうにそう思える。嘘のないものを見ているという、わくわくする感じが心地よい。ひるがえって日本のテレビ局の作るドラマはどうか。戦後の平和思想から一歩も抜け出せない。敗戦国のゆがんだ思想の安全地帯でドラマ作りをするから、警察官のドラマがコメディになってしまうのである。東京や大阪を焼け野原にされて、原爆をふたつ落とされた民族のトラウマ。60年経っても、戦争のトラウマがひとり歩きしている。善と悪は、いわば磁石のN極とS極である。邪悪があるからこそ、善が力強いものとして現われてくるのである。日本の放送作家には邪悪なものを見つめる度胸がなくなった。三島由紀夫が預言した通り、日本文化は衰退しつつある。ハンニバル、検屍官シリーズに登場したゴールト、ジェフリー・ディーヴァーが世の中に送り出した殺人者など、世にも恐ろしい殺人者は数多くいるが、デクスターほど心惹かれる人物はいない。もし映画のヒーローが実際にいたらどうか。バットマンやスパイダーマンが実際にこの世にいたら、必ずデクスターになる。なぜならば悪者を殺したあとには、司法制度やマスコミが待っているからである。警察官や検事の執拗な尋問を受けて、マスコミに叩かれて、それでも悪者を殺そうとする人物がいたら、もはやヒーローではなく、狂人である。殺人鬼となんら変わらない。そういう意味では、真のヒーローはデクスターしかいない。リアルさを追求すれば必ずデクスターになる。彼こそが、現代におけるヒーロー像なのである。とくにシーズン4の最終話、美しく残酷で、悪夢のようにショッキングな映像。宿命とは、まさにそうしたものだと納得させられる。嘘がない、そう感じさせるだけの強さ、真実を見据えるだけの強靭さ、かつてこの国で戦記物を書いていた作者たちと同じ強さが、このラストシーンにはある。地球の反対側の中東にまで行って戦争をする国と、目と鼻の先で起きた尖閣諸島のビデオも公開できない国。戦勝国と敗戦国の違いが、軍事どころか大衆文化にまで影響しているのである。今の日本文化には、こうしたラストシーンは逆立ちしても作れない。もはや作家個人の問題、才能のあるなしではないのである。国の文化の盛衰には、個人の力ではどうにもならないものがある。
2011年03月04日
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もともと出不精のせいか、初詣をするわけでもないし、書初めをしたり、初日の出を見たりということもない。おせちを食べて年賀状を見て、と、そんなふうにしているうちに、正月の三が日が過ぎてゆく。毎年たいしたこともせずに過ごしているが、唯一続けていることは、和歌を読むことである。普段は棚の奥に仕舞われている本が正月だけは手元に置かれる。古きよき時代を感じたいという思いがある。新年を迎える、なんとなくうれしい気持ちは、平安の歌人たちの築き上げた優美な世界としっくり馴染む。うらびれた冬の景色を見ても、どことなく初々しい気持ちでいられるのも、歌人たちの美の世界に心が昂揚するからだ。一冊を読み切るだけの根性はないから、春歌ばかりを毎年読んでいる。おかげで歌の配列にまで気持ちが向かうようになった。この歌はこの場所にぴったりだとか、ここで転調するんだなとか、編纂者たちの思いがなくとなく窺い知れる。後鳥羽院は勅撰集を編纂することに殊のほか熱心だった。編集作業は夜遅くまで続けられ、完成の目処は立たず、神経を磨り減らすくらい難渋な仕事だったという。千利休を始めとする茶人たちが一首の歌の世界を、茶室のなかに再現しようとしたのも、後鳥羽院の執念のなせる技だろう。引き込まれずにはいられない精緻さがある。視点の置き方が多彩で、実に凝っているのだ。カメラワークでいえば、雄大な景色を写す望遠レンズから、一輪の花の細部を写すマクロレンズまで、視点をさまざまに替えながら、季節の移り変わる様子を精妙なまでに再現する。 ほのぼのと春こそ空に来にけらし 天の香具山霞たなびくおおらかな歌である。後鳥羽院の人柄が凝縮されているような歌だ。気持ちがふわっと宙に浮くような昂揚感がある。春は空から舞い降りてきて、天の香具山に霞となって留まる。ボッティチェリの『プリマヴェラ』では、春を運ぶのは西風である。西風が吹いて、土の下に眠る花の精を目覚めさせる。日本の春は霞である。霞こそが春の象徴であり、山から里にゆっくりと下りてくる。 風交ぜに雪は降りつつしかすがに 霞たなびき春は来にけり読人知らずのこの歌は八番目の歌である。風に交じって雪が降り、止んだかと思うと、また降る。空気は凍えるほど冷たい。風が止んで、あたりが静かになった。遠方の山を見ると、霞がたなびいている。ああ、春が近づいてきたんだなぁと感じる。大寒から立春にかけて、空気はすこしずつ湿り気を帯びてくる。朝や夕方の空の色が、澄み渡った赤紫の色から、ぼんやりとくすんだ薄紅色へと変わる。夜空の星も滲んだようにぼやけて見える。山に降り積もった雪が気温の上昇とともにすこしずつ溶けて、霞になって景色をぼやけさせるのである。平安の歌人たちはこうした現象を見逃さなかった。万葉集から数百年かけて霞の歌を詠み続け、やがては後鳥羽院の歌に結実する。 あすからは若菜つまむとしめし野に きのふもけふも雪は降りつつ季節は留まるところを知らない。雪が降る、その雪の下では若菜が、今か今かと自分の出番を待っている。人もまた降り続ける雪を眺めながら、土の下から芽を出す若菜を一刻も早く摘もうと待ち構えている。山辺赤人の歌は十一番目である。かくして新古今和歌集に春が訪れる。うぐいすが鳴き、梅が咲き、霞んだ月が出る。おなじみの景色がゆるやかに展開されてゆく。興味深いのは三番目の式子内親王の歌と、四番目の宮内卿の歌である。巻頭は摂政大政大臣良経の歌、次は後鳥羽院である。そして式子内親王、宮内卿と続く。最も地位の高い人物が巻頭を飾り、上皇が続く。そのあとに女性がふたり続くのである。モンゴル軍がアジアを席巻していた時代、十字軍とイスラム軍がしのぎを削っていた時代、日本では和歌の才能によっては、女性であろうとも天皇や権力者たちと同等に扱われた。人類史のどこを見ても、こんな国は他にはない。宮内卿は和歌作りに熱を入れるあまり、精神も肉体もくたくたになり、父親が叱ったにもかかわらず止めずに早世してしまう。二十歳になるかならないかの死である。 かきくらしなおふる里の雪のうちに 跡こそみえね春は来にけり宮内卿は夏を迎えずに亡くなった。新古今集を開いて四番目にこの歌を読むと、少女の利発さ、かたくななまでの純粋さに、すこしばかり息苦しさを感じる。自分が年老いてしまったからだろうか。大人になって歳を取ることは、春の淡雪が汚れるように純粋さが消えてゆくことである。少女の純粋さに胸の痛みを感じる、 うすくこき野辺のみどりの若草に 跡までみゆる雪のむら消え美しい歌である。若草の緑色と雪の白さ、絵画的で美しい情景である。昔も今も、こういう少女が新しい世界を切り開く。フィギュアスケートの世界で、浅田真央が登場したときの驚きと期待。痛々しいまでの純粋さと頑ななまでの熱心さ。いまやその浅田も頂点を極め、彼女に憧れる少女たちが活躍しつつある。後鳥羽院は宮内卿をことのほか気に入っていたらしい。俊成や西行を押しのけて、巻頭から四番目の位地に宮内卿の和歌を持ってきた。その期待のほどがわかるというものである。式子内親王は後白河院の娘だから当然としても、宮内卿は女房として出仕している小娘にすぎない。新古今集を開くたびに、心がざわざわと落ち着かない気持ちになる。精神のすべてが和歌に注がれている少女の強いまなざしが、八百年の時間を隔ててこちらに働きかける。こんな少女が今もどこかにいると思うと、春のざわめきと似た感情が胸をかすめてゆく。
2011年01月21日
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戦争に負けた日本人が学ぶべき教訓のひとつは、情報は隠したり、歪曲してはならないということである。政府にとって不都合な情報であっても、隠そうとすれば、必ずといっていいほど悪い結果になる。なぜならば国民は目を覆われ、耳を塞がれた状態で、前に進むことになるからである。まともな判断ができなくなるのだ。もし当時の従軍記者のなかに立派な人物がいて、敗戦が色濃くなっている戦況を正しく伝えていたなら、広島、長崎の原爆投下は起きなかっただろう。NHKや朝日新聞の記者と軍人と馴れ合い、共同謀議こそが、日本列島を焼け野原にしたのである。そして現在、NHKや朝日新聞の記者と中国共産党の馴れ合い、共同謀議、政治家や財界人と中国共産党の馴れ合い、共同謀議が、この国の政治、経済を暗澹としたものにしている。尖閣ビデオ流出は、まさにその渦中で起きた出来事である。菅さん、仙谷さんはなぜ尖閣ビデオを国民の目から隠そうとしたのか。背後に中国政府がいるのは明らかだが、そればかりではないだろう。企業の経営者たち、中国ビジネスに邁進している財界人が、反日感情、嫌中感情に火がつけばビジネスに悪影響が出ると判断し、菅政権に圧力をかけたに違いない。それに屈した菅さん、仙谷さんは、頭が空っぽな飼い犬である。中国に尻尾を振り、財界人に尻尾を振る。肝心の国民は蚊帳の外、裁判すら行われない証拠品のビデオを、必死になって隠そうとする。隠す意味がないのに隠す。日本にとって不利な証拠ではなく、有利な証拠である。しかも日本の国益のためではなく、中国の国益のために隠す。とんでもない話である。政治主導、お題目は立派だが、所詮は場当たり政治でしかない。10年、20年先のことを見据えて、この国に取ってどうするのがよいのかの判断ではなく、その場を切り抜ければそれでよし、政治主導どころか官僚にさえバカにされている始末である。海上保安庁の職員は命がけで尖閣諸島を守っているのである。漁船の船長を逮捕し、検察に引渡し、ビデオを証拠として提出した。やるべき仕事をすべてやった。仕事をきちんと終えて、司法の場、政治の場に引き渡した。ところが菅さん、仙谷さんはどうか。海上保安庁の職員のように、命がけで日本の主権を守ろうとしただろうか。最初の間違いは漁船の船長を釈放したことである。この時点で、法治国家の名前は地の底に落ちた。次は尖閣ビデオの非公開である。この時点で、言論の自由はこの国から消え去った。菅さん、仙谷さんは、自分たちがどんなに愚かなことをしでかしたのか、理解しているのだろうか。理解できるだけの頭がおありなのだろうか。法治国家は法律がすべてなのだ。法律はいかなるときも守らなければならないという大前提のもとに、社会が機能しているのである。漁船の船長を釈放した時点で、法律を破ってもいいという判例を、自らが作ってしまった。さらに尖閣ビデオの非公開を決定した時点で、言論の自由を保障しないと明言してしまったのである。となれば、法律を破ってでも、国民の知る権利を守ろうとする、そうした力が働く。尖閣ビデオ流出は当然の結果であり、日本の民主主義が自浄しようと作用したのだ。国民ひとりひとりが感じている、もやもやとした気分、なにかおかしいぞ、納得できないぞと感じているその思いこそ、流出を行った人物の背中を押したのである。裁かれるのは流出させた人物ではなく、流出にまで至らせた菅さん、仙谷さんの方である。いまは裁かれない。しかしいづれは国民の選挙によって裁かれるだろう。こんなどうしょうもない連中の顔は二度と見たくない。審判が下り、日本の正義は守られる。
2010年11月05日
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アップルのCEOであるスティーブ・ジョブズさんは、関西空港で職員たちに向かって悪態をついたという。「こんな国に2度と来るものか」京都の骨董店で買った手裏剣を、機内持ち込み禁止で没収されてしまった。機内と言っても、プライベートジェットである。「自分のジェット機でテロを起こすバカがどこにいるんだ」言われてみればその通りである。アップルのジョブスさんがテロリスト?手裏剣で自分のジェット機でテロをやる?ジョブズさんのお怒りはごもっともである。とはいえ空港の職員たちに規則を破らせるのは、世界トップクラスの知性と富を使っても不可能だろう。民主党の黒幕、司令塔とも言われている仙谷さんの無能さは、職員たちの無能さに似ている。いかなる事態になっても原則を変えないのだ。変えたくても変えられないのである。変えたあとの無秩序が恐いのだ。秀才タイプにはこういう人が多い。日本の教育は、アメリカのようにディスカション教育ではなく、詰め込み型の暗記教育だから、教科書に書かれていることは絶対に正しいと教わる。教科書は間違っていないという前提に、機械的に記憶し、頭の中の棚に並べてゆく。教科書が間違っているとなれば、パニックに陥ってしまうのである。「韓国併合の植民地支配の過酷さは、言葉を奪い、文化を奪い、 韓国の方々に言わせれば土地を奪うという実態もあったということなので、 そこは直視して考えていかなければいけない」「古くから中国から伝来した文化が基本となり、 日本の文化、文明を形成している。 桃太郎などの寓話も中国から取ってきたようなものが多い」教科書通りの模範解答ではあるが、昭和という時代の複雑さを内包していない、GHQの売り言葉にすぎない。その売り言葉が、仙谷さんをして無能ならしめる。韓国や中国が悪しき隣人として振舞ったとき、機能不全に陥るのである。新しい事態に対応するには、それまで学んだ知識を再構築する必要がある。新たな体験を抽象化し、それまでの知識と組み合わせて、世界観を構築し直すのである。ところが日本の秀才タイプは脳ががちがちに凝り固まっているから、世界観の再構築ができないのである。仙谷さんの無能さは、関西空港の職員の無能さと同じである。機内持ち込み禁止の規則は、アップルのジョブズさんがプライベートジェットで訪れて、手裏剣を買い、機内に持ち込むという事態は想定していないから、この新しい事態にどう対応していいかわからず、機能不全に陥る。規則は、空港と飛行機の安全性を守るために生まれた。ジョブズさんの手裏剣は安全性をまったく脅かしていないにも関わらず、規則が優先されて却下されてしまうことになる。帰国したジョブズさんは、友人や知人にこの話を披露しただろう。たったひとつの手裏剣が日本のイメージをダウンさせてしまうのである。すべての真理は半真理と述べたのはホワイトヘッドだった。ニュートン物理学を信奉する学者たちが、アインシュタインの登場によって時代遅れになってゆく様子を、ケンブリッジの教授だったホワイトヘッドはつぶさに見ていた。学者たちは、アインシュタインの正しさを理解することができず、相対性理論は間違っているという観念から抜け出せなかったという。すべての真理は半真理、半分だけ真理であって、より正しい理論が登場すれば、否定せざるを得なくなる。そういう疑いを持ちつつ生きよ、という意味である。ホワイトヘッドが生きたのは19世紀後半から20世紀前半である。その時代から、さらに遠くまで来てしまった。アメリカが原爆を落とすなんて、当時の日本人のだれが予測できただろうか。核を所有し、宇宙開発までしたソ連が崩壊し、ベルリンの壁が崩れるなんて。ニューヨークで一番高いビルが、乗っ取られたジェット機によって崩壊させられるなんて。中国が世界中の雇用を奪い、軍事的な脅威になる、WTOに参加するときに、だれが予想しただろうか。サムスンやヒュンダイが強くなり、日本企業が苦境に立たされるなんて。まったく予測がつかないことが、この20年間に次々と起きて、日本の政治は無能さを曝け出しながら右往左往してきた。 時の移行は、新しい観念を 現実的実質のなかに集めることをめざす世界の旅である。これもまたホワイトヘッドの言葉である。新しさには冒険がつきものであり、必ずしも成功するとは限らない。成功することもあれば、失敗することもある。それでも世界は、新しいことにチャレンジする者が切り開いてゆく。古いものにしがみつこうとする者には衰退や死が待ち受けている。この20年の出来事は、ホワイトヘッドが正しかったことを証明している。アップルのジョブズさんの旅は、まさに新しさを求める冒険の旅だった。期待したほどの成功を得られなかったケースもたくさんあるが、それでも冒険を怠った日本企業を追い抜いて先へ先へと進んできた。ドルとユーロが輪転機で刷られて市場に放出され、中国もそれに対抗して人類史上かつてなかった数値にまで、外貨準備高を膨らませている今日、円高が止まらない。この新しい事態に、仙谷さんの脳は機能不全に陥って何もできない。日本はどこに行くのか。たんぽぽの綿毛のようにどこまで飛ばされてゆくのか。エンジンも操縦席もついていない紙飛行機のように、海外から吹きつける風に飛ばされて、行方もわからずに進むばかりである。
2010年10月25日
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強制起訴になった小沢被告を擁護するキャンペーンが、朝日新聞を中心に行われている。検察の権威を失墜させようとするキャンペーンも、同時進行で行われている。さらには那覇地検の中国人船長の釈放と、やたらときな臭い状況である。小沢被告を総理にしたい組織が、必死になって暗躍している。鳩山、小沢の描いた餅がよほどおいしそうに見えたらしく、未練が立ち切れないのだろう。それに付き合う日本のメディアも情けない。なぜ特捜部なのだろうか。庶民にはまったく関係ない部署である。政治家や財界人などの権力者を捕まえるわけで、厳しければ厳しいほどよい。冤罪だ、脅迫だと、いろいろと批判されているが、それくらい厳しくないと、腐敗がはびこるだろう。相手は検事よりも社会的地位が高いわけだから、怯んでいては捜査にならないのである。朝日新聞、やることが汚い。検事ひとりのミスを、あたかも組織全体が腐敗しているかのように書く。いつもこうした手法で世論を撹乱させてきたが、その結果どうなったか。日本の衰退であり、中国や北朝鮮の強大化である。検察は法治国家である日本の最後のファイアーウォールである。その壁が崩されると、外国政府の圧力に屈した政治家のやりたい放題政治が始まる。中国人船長の釈放は、まさに行政と司法の戦いの場だった。司法が白旗を上げた象徴的な事件となった。ファイアーウォールが中国政府のバッシングのために崩されたのだ。海外の工作員はさまざまな手段を使ってメディアを買収し、政治家を買収する。しかしどうしても買収できないものがある。検察であり、裁判官である。これだけは容易には買収できない。だからこそ行政と司法の戦いが起きる。小沢被告の報道はどうか。検察審査会は素人の集まりだから、強制起訴は間違いだという。検察でさえ起訴できなかった小沢被告を、起訴にするのはおかしい。おいおい、ちょっと待てよと思う。これまで朝日新聞が社運を賭けて展開してきた論理とまったく逆だろう。官僚は悪、民間は善、民営化は正しい。起訴されたのが小沢被告ではなく、自民党の議員ならどうだろうか。救世主のように誉め称えるだろう。政府が検察に圧力をかけて、不起訴処分にした。市民によって構成された検察審査会が民意を反映して強制起訴した。朝日新聞は臆面もなく書くだろう。都合のよいときには民意といい、都合が悪くなると素人集団となる。朝日新聞には伝統のある新聞社としての誇りはないのだろうか。政権が変わるたびに、民意と言ってみたり、素人集団と言ってみたりする。逮捕されたのが自分の仲間かそうでないかによって、言論がころころ変わるのだ。それから推定無罪という言葉も頻繁に使われている。これもおかしい。推定無罪は、裁判が行われて判決で言い渡されるものである。無罪であるかどうかは、まだわからないのだ。検察には立証責任があり、その責任を果たしていないと、裁判官や陪審員が判断したとき、初めて推定無罪が成り立つ。今は起訴の段階である。推定無罪という言葉をメディアが使えば、裁判に大きな影響が出てしまう。朝日新聞は裁判を誘導しているのだ。検察審査会の審査員に選ばれたのは、平均年齢35歳だから、おかしいと言う。35歳のどこが悪いのだ。陪審員制度を行っているアメリカやイギリスには、陪審員の下した評決は絶対であるという信念がある。なぜならば陪審員制度こそが人類史上最も民主的であるからだ。陪審員は自動車の修理工だったり、パン屋さんの店員だったり、法律とはまったく関係ない人々がなる。しかしそうした人々には、法律の世界で生きてきた人々の知り得ない知識、実社会での経験という貴重な糧がある。裁判官になるには、幼稚園から塾に通い、有名大学を卒業し、毎日徹夜して六法全書や判例を記憶しなければならない。法律には精通していても、実社会の経験が乏しいのだ。肉体労働をやった者でない限り、ブルーカラーの痛みは理解できない。頭で理解するのと、生活がどっぷりと漬かるのとは雲泥の差だ。だからこそ検察審査会を作りましょうということになった。裁判を専門家だけのものではなく、開かれたもの、庶民も参加できるようにするためのシステムなのである。アメリカには陪審による法の無視というものがある。法律の方が実社会に合わなくなったと判断されたとき、陪審員は法律を無視して評決を下すこともできるのである。今回の検察審査会の議決はこれに当たる。しかし法律を無視されて判決が言い渡されれば、法治国家の土台が崩れてしまう。そうしたことを防ぐために、評決を無視する判決というものがある。裁判官が陪審員の下した評決が間違っていると判断した場合は、まったく正反対の判決を言い渡すことができる。法律は絶対に正しくなければならないが、人が行うことには絶対はありえないから、裁判を車の運転に喩えれば、ハンドルの遊びが必要なのである。小沢被告の場合は、政党助成金が数十億円も行方不明になっているという。土地を購入した4億円がどこから出たのかも明らかにしていない。さらには水谷建設の幹部が1億円を提供したと供述している。こうした事実があるにも関わらず、起訴しないのはおかしいというのが、検察審査会が下した判断である。有罪にはならないかもしれない。しかし裁判を行うことで、国民に明らかにされる事実もあるはずだ。政治家は国民の投票によって選ばれた人々なのだから、4億円もの金の出所が明らかにされなければ、国民は納得できないのである。もし被告が一般人だったらどうだろう。事情聴取は警察署で行われる。任意同行のあとは48時間の拘留、10日間拘留請求となる。さらに延長されて取り調べが10日間行われる。当然ながら徹底的な家宅捜査も行われる。小沢被告の場合は、ニュースのない土曜日にホテルの一室で数時間行われた。家宅捜査も行われていない。検察審査会は形式的な捜査しか行われなかったと述べているが、まったくその通りである。法律が万人に対して平等ではないのだ。与党である民主党に遠慮して、検察が機能しなくなっているのである。那覇地検の中国人船長の釈放も同じだろう。政治介入がなかったなどと誰が信じるだろうか。検察審査会の議決は庶民の怒りを反映したものであり、朝日新聞が主張するような単純な素人の判断ではないのだ。小沢被告だけ特別扱いするのは、日本の民主主義に反する。そういう思いが議決書から読み取れるのである。今の朝日新聞は異常である。いつから権力に擦り寄るようになったのだろうか。安倍さんや麻生さんが総理だったときには、些細な失言さえも、大げさに書き立てたのに、小沢被告の容疑は、安倍さんや麻生さんの失言とは比較にならない。悪質な犯罪である。訳のわからない論法で擁護する理由がわからない。たとえ小沢被告が無罪になったとしても、政治家として最も重要な資質が欠落していることになる。部下の管理能力である。この事件が会社の社長に起きたものだとした、どうだろうか。社長がまったく知らないところで、部下が共犯して4億円を動かしている。こんな会社が倒産せずに済むだろうか。社長は4億円の出所さえ知らないのである。政治家は国家公務員を指導する立場にあり、国の膨大な予算も決める。そうした人物が陸山会という小さな政治団体さえ管理できない。秘書が3人逮捕されれば、どんな会社の信用も地の底に落ちる。秘書と共犯なら、小沢被告は偽証したことになり、有罪である。秘書と共犯でなければ、部下を管理する能力がないことになる。どちらにしろ小沢被告は政治家にはふさわしくない。朝日新聞は小沢被告を擁護するあまり、正義さえ棄ててしまった。アカが書き、ヤクザが売り、バカが読むと揶揄されてきた朝日新聞。年老いたアカが退職してゆく今日、工作員が書き、ヤクザが売り、バカが読む、に変わってゆくだろう。
2010年10月21日
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恋愛は自分の気持ちを、相手に伝えないことには始まらないのだけど、告白するタイミングがむずかしい。早くてもダメだし、遅くてもダメだ。高校のときに好きな女の子がいた。仲良くしていたので、相手にもその気があると思って告白せずにいた。あとで知ったことだが、こちらが告白しないので、友人以上の関係にはなれないと思って、諦めたそうである。勇気を出して告白したときには、わたしには恋人がいると知らされた。数ヶ月前に告白していたらと、何度思ったことか。好きだと思っても、そのときの事情で告白できないこともある。上司と部下の関係、友人の恋人、貧富の差、家柄の違いなど、告白すれば関係そのものが消滅しかねない場合もある。恋愛の感情を密かに胸の奥に仕舞いながら、なにげないふうを装って、一緒にお茶を飲んだり、たわいもない会話をしたり。歳を重ねると、気持ちを胸の奥に仕舞うのが上手になるから、そっけない大人を演じながら、秘めた恋を楽しむようになる。既婚の男女には、そうした人も多いのではないだろうか。妻以外の女性、夫以外の男性、家庭を壊してはいけないという思いと、この人が好きだという切ない思い、危ういバランスを保ちながら、平然とした大人を演じる。ほんのすこしのきっかけで、せっかく保ってきたバランスが崩れてしまい、胸に秘めていた思いが止めどもなく溢れてしまうこともある。 尋ぬべき道こそなけれ人知れず 心は馴れて行き返れども尋ぬべき道とは、相手へと向かう道、相手と気持ちを通わす道、恋愛のきっかけを作る、そのつてがないのである。仲良くなりたくても、目処が立たないのである。どう切り出してよいかわかならない。それほど親しい関係でもない。お互いに知る人、恋を仲介してくれる友人もいない。それでも相手を思うと胸が高鳴る。心は馴れて行き返れども、相手を思う気持ちは自分勝手に動きまわって、想像の中で、何度も何度も尋ぬべき道を行き返る。相手の躰に触れたら、どんな感じがするだろうか。言葉を交わしたら、どんなに楽しいだろうか。一緒に暮らせたら、どんな毎日を送れるだろうか。今ここに存在する躰とはべつに、心は馴れてしまっている。式子内親王は11年間の斎院生活を送られた。神の御杖代となるための3年間の潔斎の後、紫の野宮にお入りになり、少女期を過ごされた。後白河上皇の第3皇女である。退下されたのちは、独身のままで終生を過ごされた。彼女ほど身分の高い女性は、好きな男性に巡り合っても、容易には気持ちを通わすことはできなかったに違いない。なによりも相手の方が怖気づいてしまっただろう。平家と源氏が攻めぎ合っていた時代であり、保元の乱、平治の乱、安元の大火、大飢饉、彗星の出現と、世の中は騒然としていた。 空には灰を吹きたてれば、火の光に映じて、 あまねく紅なるなかに、風に堪えず、吹き切られたる焔、 飛ぶがごとくに一、二町を越えつつ移りゆく。 そのなかの人、うつし心あらんや。 或いは煙にむせびて倒れ伏し、或いは焔にまぐれて、たちまち死ぬ。鴨長明の『方丈記』の一節である。そうした時代に、ひとりの女性が静謐な和歌の世界を築いた。何者もその世界に踏み入ることができないほど、透明で、清らかで、美しい世界である。 山深み春とも知らぬ松の戸に 絶え絶えかかる雪の玉水新古今和歌集の3番目の歌、後鳥羽院の次に位置する歌である。ちなみに4番目目の歌は宮内卿、女性がふたり続く。西暦1200年のころ、800年も前の話である。そうした時代に詠まれた女性の和歌を、日本語という同じ言葉で、辞書を引かずに読めることの不思議。もっと不思議なのは共感できることである。 見しことも見ぬ行末もかりそめの 枕に浮かぶまぼろしの中 我が恋は逢ふにもかえすよしなくて 命ばかりの絶えや果てなん いまはただ寝られぬいをや嘆くらん 夢路ばかりに君をたどりて はかなしや枕さだめぬうたたねに ほのかにかよふ夢の通ひ路歳を取ったせいか、よく夢を見る。夢の中では時間は自在に移り変わるから、今はもう会うこともない友人や恋人が、まったく予期していない場面で出てくることもある。目を覚ましてから、そういえば彼女とは20年近く会っていない、今ごろどうしているだろうと、そんなことを思うこともある。若いときのまま、とても美しい笑顔で迎えてもらえると、夢の中であっても、自分が喜びを感じていることがわかる。夢路ばかりに君をたどりて、ほのかにかよふ夢の通ひ路、800年も前に詠んだ女性の和歌が、しみじみと心に響いて、言葉の連なりから歌人のぬくもり、切なさとともに、ほのかな温かさを感じる。
2010年10月08日
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韓国のガールズグループが日本を席巻している。少女時代のデビュー曲が発売とともにオリコン5位、動画配信では1位だという。KARAが2位だから、韓国勢が1位、2位を独占した格好になる。ほんのすこし前、かれこれ2年くらい前までの韓国では、ガールズグループは目も当てられないほど悲惨な状態だった。韓国を代表するグループにピンクルという女性ユニットがあった。単独ではコンサートを開くことができず、他の歌手の前座でしか舞台に立つことができなかったという。韓国でトップに位置するガールズグループがそんな状態だったのである。とてもつらい日々だったと、メンバーのひとりソン・ユリが告白している。以下の文章は、朝鮮日報の記事からの抜粋である。 アイドルグループは、もともと日本のサブカルチャーだった。 韓国はこれを輸入したが、日本のアイドルグループのかわいらしさに対抗し、 躍動感やスタイルで本場を越える位置に来ている。 韓国の音楽は資本がダンス・ミュージックにかたより、 ロックやフォーク、ジャズなどは立ち枯れの状態である。 しかしその集中で、韓国のダンスミュージックやガールズグループは、 競争力を持てるようになった。ロックやフォーク、ジャズが立ち枯れの状態である、という文章が、なんとも痛ましい。韓国の歌番組を見ると、これはもう、ほんとに立ち枯れ状態である。5000万人の人口で、なおかつ格差の激しい社会だから、CDを出しても、活動を維持できるほどの売上が期待できない。CNBLUEという男性ユニットが今年の1月に韓国でデビューし、人気アイドルグループの仲間入りをした。このグループは日本での活動が先なのである。 ストリートやクラブでの演奏を重ねて、インディーズから2枚のミニアルバムを出した。韓国でのデビューはそのあとである。CNBLUEの音楽スタイルはダンスミュージックではないから、日本で活動して知名度を上げるしか方法がなかったのだろう。スーパードルフィーという人形がある。日本の得意芸、ガラパコス化した産業である。ガラパゴスはダーウィンが進化論を書くきっかけとなった諸島で、大陸から隔絶されているので、その島でしか見られない生態系がある。ユーラシア大陸の極東に位置する日本は、文化がガラパコス化しやすい。浮世絵などはよい例である。日本は中国や韓国の影響を受けたとよく言われるけれども、写楽や歌麿の大首絵に似たものはない。スーパードルフィーも日本にしかない人形だった。球体関節人形はジュモーやブリュなどのアンティークドールが最初である。19世紀のドイツやフランスで、ブルジョアの子供たちのために製作された。ハンス・ベルメールが当時の手法を使って作品を製作し、現代美術に取り入れた。日本では澁澤龍彦が紹介し、四谷シモンが人形を製作した。その後、様々な創作作家が活躍するようになり、スーパードルフィーへと続く。ボークスという会社が量産できる樹脂製の人形を販売するようになった。目や髪、メイクなどを自分でカスタマイズできるのが特徴で、まさにガラパコスされた日本独自の産業と呼んでもよいものだった。韓国や台湾、中国へと流行が広まってゆくにつれて、現地にも様々な企業が乱立するようになり、日本の独占というわけには行かなくなった。 アイドルグループは、もともと日本のサブカルチャーだった。 韓国はこれを輸入したが、日本のアイドルグループのかわいらしさに対抗し、 躍動感やスタイルで本場を越える位置に来ている。朝鮮日報の記事とまったく同じことが、人形の産業でも起きているのである。日本には創造性は有り余るほどある。しかし国際競争に晒されると、脆弱性が表面化してやがて衰退する。最近はこうした傾向が定着してしまった。南米のことわざに、アリと日本人はどこにでもいるという言葉がある。最近は、アリと中国人、アリと韓国人である。貪欲さ、我慢強さ、根性、執拗さといったものが見受けられなくなった。人形の歴史は、日本と西欧にしかない、ということをご存知だろうか。中国の陶磁器、人や動物の像は、死者とともに墓に埋葬するもので、日本の人形のように女性や子供が愛玩するものではなかった。韓国も事情は同じで、男尊女卑の儒教が人形製作を許さなかった。結婚した女性は里帰りすることすら許されず、男系の長子相続だから金銭的にも余裕がなかった。中国の場合はもっとひどい。経済的に豊かな家の女性は纏足にされたので、外出して散歩するのも容易ではなかった。女性の文盲率が大きかったことも、日本とは異なる点である。日本の人形の始まりは、天児や這子である。無病息災や魔よけの要素のある人形だった。江戸時代になると、節句行事と結びついて、雛祭りへと発展してゆく。雛屋と呼ばれる人形店が江戸や京都に店を開いていたという。やがて鑑賞用の人形が生まれる。御所人形や嵯峨人形のように精工で手の込んだものが誕生する。名人と呼ばれる人形職人も登場し、からくり人形、写実性に優れた市松人形が製作されるようになる。驚くべきことは毛植人形と呼ばれたものがあったことである。ぬいぐるみの原点はテディベアだと思っていたけれども、犬や猫、ひよこのぬいぐるみが江戸時代に製作されていた。明治になると、人形作りを芸術にまで高めようという気運が生まれる。竹下夢二も人形を発表している。最も名高い人形作家は平田郷陽で、四谷シモンは郷陽のお弟子さんに習っている。京都の宝鏡寺や大聖寺には、とても古い人形のコレクションがある。皇女が入寺されると、天皇から季節の折り目に人形を贈られる、そうした人形が大切に保存されてきた。世界でもほとんど例がない伝統である。日本文化の特徴はふたつあると思う。女性が文化に参加していたこと、庶民にも文化が広まっていたことである。江戸時代の人形師は人形製作だけで食べてゆけた。中国や韓国では今でも、創作人形だけで食べていける作家はいない。人形を高価な金額で売ったり買ったりする市場がないのである。人形に留まらない。象牙や黒檀を彫刻した根付という小さな彫り物がある。根付は、日本よりも欧米の方が知名度が高い。マリー・アントワネットがフランスに嫁ぐとき、花嫁道具のなかに、武士が持つ印籠が含まれていたという。母親であるハプスブルグ家のマリア・テレジアは、漆器のコレクターで、50点もの蒔絵の小箱が遺産としてアントワネットに送られた。いろいろな分野に長い伝統を持つ日本であるが、最近は韓国や中国にやられっぱなしである。最大の原因は教育ではないかと思う。日教組に責任を押し付けてしまえれば楽なのだけど、PTAのお母さん方やマスコミ、60年代の安保闘争など、様々なものが複雑に絡み合っている。韓国のバラエティー番組で、アイドルの少女3人が軍隊生活を体験するというものがあった。韓国には徴兵制があり、男性には2年間の軍役義務がある。アイドルたちが実際の訓練所に入隊して、数日間軍事訓練を受ける。想像以上に厳しいもので、日本の若者なら脱落者が続出するだろう。軍隊で2年間鍛えられる。肉体のみならず精神まで、道徳観や倫理に至るまで逞しくなってゆく。韓国の男性は、みなそういう過程を経て大人の仲間入りをしているのである。たとえば治安の悪い東南アジアで、韓国企業と国際競争しなければならない。銃などは触ったこともなく、平和は善、戦争は悪と教えられてきた日本の若者と、敵兵をいかに殺すか、その技術を日夜叩き込まれ、日が暮れるまで実弾訓練を受けた韓国の若者が、販売網の奪い合いをする。地元にはマフィアの元締めがいて、売春から小売業、労働者の斡旋まで握っている。教え子を再び戦場に送るなといった日教組のスローガンは、日本国内では正しくとも、海外では空疎な理想主義でしかない。治安の悪い国で、いかに生き延びるかといった状況では、韓国の若者が受けた実弾訓練の方が教育としては正しいのである。韓国の躍進、日本の衰退は、クリントンのグローバリズムから始まった。国際競争に晒されたとき、日本人の脆弱さが表面化する。さて、少女時代についてすこし書こうと思う。韓国は格差の激しい社会である。サムスンやヒュンダイのような財閥が存在する一方で、学校に弁当を持ってゆくこともできない家庭もある。韓国のアイドルたちは、芸能プロダクションの経営する私塾で、スパルタ教育を受けた子供たちである。こうした私塾は全寮制で、家に帰りたくても帰れない、バス代さえ持っていないような子が多いという。私塾を追い出されれば、文字通り路頭に迷う子もいる。歌やダンスばかりでなく、英語や中国語、日本語まで習わされる。そうした私塾で7年も8年も教育を受けたあと、デビューする運びになるわけだけど、数人ひとまとめでグループとしてデビューする。だから音楽がダンスミュージックに偏るのである。人気が出たとしても、歌手や俳優として独立し、中年まで活躍できるのはほんのひとり握りにすぎない。貧困とスパルタ教育とサバイバル競争が韓国の芸能界を支えている。ある番組で、歌番組の舞台裏にカメラが入ったことがあった。少女時代といえば、フィナーレを飾る国民的なアイドルだが、狭い廊下に一列に並んで、廊下を歩いてくる先輩たちに挨拶していた。ただの挨拶ではない。上半身を90度傾ける、実に丁寧な挨拶である。若者に厳しく、年配にやさしい韓国社会。その社会の根底には、儒教がいまでも息づいている。年齢がたったひとつ違っただけでも、先輩には丁寧な言葉遣いで接しなければならない。最も人気のあるアイドルたちが、格下のアイドルたちに挨拶する。下克上を何度となく経験した日本には、韓国のこうした厳しい作法は、もはや伝統として生きていない。先輩の前ではタバコは吸わない。酒を飲むときには、顔を背けて目を合わせないようにする。年上を尊敬しなさいという儒教の教えが今でも社会の根底にある。人はいずれ歳を取る。肉体も衰弱するし、精神も弱くなる。それに反比例するように、人生経験は豊かになる。社会を流動するもの、誕生し、成人し、やがて年老いて亡くなるもの、そうした循環として考えれば、自分の身につけた知恵をいかに次世代に伝えるか、知識や技術の継承こそが最も重要なものになる。韓国の厳しい上下関係は、先輩の知恵を受け継ぐという点で優れている。日本にも昭和の終わり頃までは、丁稚奉公で大会社の社長になった人がいた。日本経済はそうした人々が築いたものである。韓国の強さは伝統を捨てずに維持してきたところにもあると感じた。最後に三島由紀夫の文章を引用する。今の世の中と、鎌倉武士が台頭する前の平安社会は、どこか似たところがあるように思えてならない。 ひとつの文化が、最高の洗練によって、純粋表現の極地にいたるときに、 そこには表現から見捨てられたものが山と堆積する。 そして人間の怖るべき実相は、文化の飽くなき形式意欲から離れて、 表現されざるものとして、沈殿し堆積するが、 いつかは必ず、この表現から見捨てられたものが復讐して、 洗練の極地に達した文化の蒼ざめた顔に、 自分の死臭に充ちた血みどろの顔を、グイと押しつけるのである。 壇ノ浦の戦いとは、こういう文化が人間的実相に直面する宿命の表現だった。 そのとき文化はもう息ができない。 そして突如として、貴婦人が隠亡の知識に親しむのである。
2010年09月14日
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韓国では俳優ばかりか歌手まで、ボディビルで鍛えたような逞しい肉体をしている。その魅力が、日本ばかりかアジアを席巻し、日本が占めていたソフトパワーの地位を奪ってしまった。たかがサブカルチャーと言って、済まされる問題ではないと思う。東アジアで地殻変動が起きている。なぜ日本は斜陽したのか。日本のどこがダメなのか。スポーツ選手が肉体を鍛えるのは理解できるが、俳優や歌手がなぜ肉体を鍛えるのか。逞しい肉体を顕示するという韓国流の現象に、なんとなく違和感を感じる。この違和感はどこから来るのか。逆の問いも成り立つ。日本の俳優はなぜ肉体を鍛えないのか。ペ・ヨンジュンは写真集を出すために、脂肪分のない鳥のささみしか食べなかったそうである。専門のトレーナーをつけて、過酷な筋力トレーニングをした。歌手のピは映画のワンシーンを撮るために、半年間肉体を鍛えつづけた。韓国の俳優、歌手の成功は、スポーツ選手並みの食事管理や地道なトレーニングにある。なぜそこまでこだわるのか。日本人と韓国人の自意識の違い、肉体に対する考え方の違いはなぜ生まれたのか。 中学に入るとそうそう、教練の時間が二倍になった。 そのうちに、ゲートルを巻かなければ校門をくぐれないようになった。 銃剣術も日課の一つになった。 成長しきらないわれわれの声帯から、 あの銃剣を突き出すときの「ぎゃっ」という掛声が発せられても、 嗜虐的であるべき「ぎゃっ」が、 青臭い被虐的な「ぎゃっ」になってしまうので、 校庭には異様な凄惨な雰囲気がただよっていた。戦時中に、青春を過ごした三島由紀夫の文章である。軍事訓練が日常化し、隣組の婦人会でも竹やりの訓練が行われた。今から考えてみると、実に不可思議な社会である。中学生が銃剣を握り締めて、掛声を発しながら剣先を前に突き出す。頭に思い浮かべているのは仮想の敵である。殺せ、ためらうな、一突きで仕留めろ、油断すれば自分が殺されるぞ。狂気さえ窺わせる光景である。しかもそれは中学の校庭で行われるもので、日課になっている。人の営みには、男らしさ、女らしさがある。生物として進化してゆく過程で、性の分化がふたつの群れを作り、日々の暮らしの役割分担を発達させた。外敵から身を守る必要性から、男性の肉体を強靭なものへと進化させ、子供を産んで育てる必要性から、女性の肉体を丸みを帯びた柔らかいものにした。男らしさが最も高揚するのは戦争である。日中戦争から太平洋戦争に至る時期は、日本の歴史では例外的な時期、いまだ体験したことのない時期だった。皆兵性である。男性がみな戦場に行かなければ勝てないという総力戦は、未体験の出来事だった。この時期をなんとか乗り切ろうとして、社会全体が男らしさを高揚させた。文人や画家が戦地に行き、男らしさの高揚のために命をかけて仕事をした。その結果どうなったか。敗戦である。男らしさを極度なまでに高揚させた社会が崩壊したのである。 現代文化における肉体の不在の意味は、肉体的精力の衰退ではなくて、 肉体表現の普遍性の衰退なのである。 展覧会で、手をあげて宙を睨んでいる青年の裸像に、 希望とか理想とか名付けられているのを見れば、 われわれはもう吹き出さざるにはいられない。ギリシャにおける精神と肉体の幸福な邂逅が、現代社会では失われてしまっていると三島由紀夫は述べる。印象派、後期印象派、世紀末美術、さらにムンクやピカソが登場すると、美しい肉体という理想は完全に過去のものになる。ギュスターブ・モローの青年像について、白蝋のように美しく、しかも青年特有の野蛮な力を、ことごとく抜き取られていると三島は指摘する。敗戦を経験し、男らしさが崩壊してゆく過程を目の当たりにした若者たちが、西洋の世紀末美術やデカダンス文学に、新しい美の形を見出したのは当然の流れだった。さらに追討ちをかけるように、アメリカのフェミニズム運動が押し寄せてくる。セクハラ、ジェンダーフリー、男女共同参画、ドメスティックバイオレンス、ここまで来ると、男らしさは社会的なデメリット、負担でしかない。社会全体が男らしさを排除しようとしている、そんな印象すらある。 私が不思議に思っているのは、 中国で日本の歴史書を幕末、明治からいろいろ読んできましたが、 日本に来て現実の生身の日本人とつきあうと、 どう考えても、いまの日本人と歴史書に書かれた日本人とがつながらない。 幕末、明治或いは戦前の日本人と、これが同じ人種とは全然思えない。日本に帰化した石平さんの言葉である。700年続いた武家文化は、明治時代の軍人たちに形を変えながらも継承された。将校が戦場では役に立たない日本刀を身につけていたのは、自分たちが武士の末裔であるという誇りのためだった。1945年の敗戦で、武家文化は長い歴史を閉じた。軍事裁判とGHQの占領政策で、軍人という種族そのものが消えてしまったのである。男らしさには悪の刻印を押されたと言ってもよい。男らしさを賛美しようという意思は、詩や小説、映画から消え去った。日本で作られる戦争映画は、平和は尊いというメッセージがなければ、製作できないほど表現の自由がなくなった。60年経った今でも日本軍を美化する映画は作られていない。では韓国はどうか。韓国は日本の鏡である。しかしその鏡には、いまの日本ではなく、過去の日本が映っている。日本の幻影と取っ組み合いの喧嘩をしているといっても過言ではない。なぜ韓国人は日本を特別な存在として意識するのか。憧れのためであり、恐怖のためであり、怒りのためである。黄色人種の国として欧米諸国を敵にまわして戦った唯一の国。欧米と肩を並べるまでに経済発展を遂げた国。憧れと嫉妬、怒りと侮蔑、解きほぐせないほど複雑な感情を抱いている。韓国の歴史教科書を開いて、愕然としたことがある。朝鮮併合から敗戦に至るまで、ページ数がほとんどないのだ。抗日運動の記録はある。しかし日本の教科書のような事細かな記述に相当する部分はない。植民地にされることは、民族の歴史に空白を作ることである。この空白を埋めようとして、韓国人は日本を永遠のライバルとして闘志を燃やす。男らしさを極端なまでに進化させた日本が、韓国人の深層真理に傷のように深い印象を残しているのである。朝鮮併合の終結後も、韓国の歴史は生易しいものではないかった。朝鮮戦争、ベトナム戦争、38度線での紛争、情報戦やスパイ事件、北朝鮮の拉致事件、核開発と続いてゆく。男らしさは、社会が危機に陥ったときに高まる。危機を乗り越えるための、侵略されないための安全装置である。韓国では国家の危機がたびたび訪れているから、男らしさを捨て去るわけにはゆかなかった。悪の刻印を押して、厄介払いするというわけにはゆかないのだ。徴兵制がいまだにあり続ける国である。北朝鮮、中国、ソ連と陸続きだから、自然が守ってくれるわけではない。自分の国は自分で守る。相手が力づくなら、こちらも力づくで守る。三島の理想とした美、精神と肉体の幸福な邂逅が、韓国では可能なのである。李氏朝鮮の支配階級だった両班は、転んでも自分では起きないと言うほどに、肉体労働を忌み嫌ったという。筋肉隆々たる者は額に汗して働く下層階級に限られた。筋肉は侮蔑の対象だったのである。教養ある女性が恋をささやく相手は、繊弱な、筋肉のない男に限られた。逞しい肉体は、下賎な職業の証しだったのである。武家から軍人へと続く美意識の継承が、韓国の近代史にはないだ。 皮肉なことに韓国人は、戦後になって初めて自国を守る自尊心を知った。自分たちで自分の国を守る、それがどんなに尊いことか。戦前は日本軍が守ってくれた。日本軍に憧れて志願する若者もいた。しかしあくまで隣の国の軍隊であり、自分たちの軍隊ではなかった。韓国の俳優が肉体を鍛える背景には、複雑な歴史性がある。 私は預言者ではないが、20世紀後半になって、 再び芸術各ジャンルの交流と綜合の時代が、 復活するという予感がある。 私は、やはり男といえども完全な肉体を持つために精神を高め、 精神の完全性を目ざすことによって 肉体を高めなければならないという考えに到達することが、 自然ではないかと思う。三島由紀夫の言葉は、韓国のソフトパワーが、日本に追いつき、追い越そうとしている現代の視点で読むと、まったくその通りだと感じる。日本はあまりにも男らしさを排除してしまった。戦時中は、今とは正反対に女らしさを排除した。谷崎潤一郎の『細雪』も、国民の士気を沮喪させるとして発禁になった。内容が女々しい、もっと男らしい作品を書けということだろう。源氏物語でさえ侮蔑の対象だった。隣組の婦人会は、竹やりの軍事訓練から逃れることは許されなかった。戦後は中庸を通り越して、まったく正反対の方向へ向かう。男らしさを排除し、平和を声高々に叫び、アメリカ軍が日本を守っている事実を無視し続けた。中国や北朝鮮が軍事拡張していることを知りながら、あたかも平和憲法が日本ばかりか世界を守っているという幻想に酔いしれた。憲法9条を世界遺産にという思想は、中学生に軍事教練をしていた時代の思想の、まさに正反対の場所にある。極端から極端へ、その結果、日本のソフトパワーは韓国に敗北した。なにごとにも中庸が大切である。男らしさも女らしさも必要なのだ。必要だから、自然に発達してきたのである。その単純な真理の前に日本文化は瓦解した。今の日本は男らしさばかりか女らしさまでも排除しようとしている。女性の言葉遣いが変わり、世代が下がれば下がるほど男女の差がなくなる。女の子がそんな言葉を使ってはいけませんよ、自分の娘をしつける母親がいなくなった。男らしさも女らしさもない社会は文化として魅力がない。武士と花魁のいた江戸は遠い昔話になった。日本のソフトパワーはアジアで地位を落としている。韓国は、かつて日本が占めていた場所に腰を据えようとしている。ヨン様ブームで終わるかと思えた韓国文化が、神話、東方神起、SS501、スーパージュニアになって、アジアを席巻する。そればかりかガールズグループ、少女時代やカラも人気が出てきた。日本を含めてアジアの人々は、男らしさと女らしさのある文化に熱中している。アメリカのフェミニズムに違和感を感じる。自分たちの国の伝統とは違う、そうした違和感も韓国文化の躍進を手助けしている。軍事、経済ばかりか、文化までも中国や韓国に追い越されようとしている。アメリカ軍に守ってもらえる安心感、自分の国を自分で守らなくてもよい気安さ、男らしさは古臭い、女らしさは古臭いという安易な革新主義、庶民の心のほころび、油断が、日本の衰退、斜陽、情けなさを作ったのである。
2010年09月09日
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黒川雅之さんの『八つの日本の美意識』という本がおもしろかった。建築家がお書きになった日本論である。大学で西洋建築を学んで設計士になったが、日本建築に関わるにつれて、違和感を感じたという。西洋とは別の思想、別の美意識で建てられていることに気づかされた。近代以降の日本人は、西洋世界観の奴隷になったしまったのではないか、そんな問いを発している。 よく日本の建築家たちは、「日本の縁側とは内部空間と外部空間を繋ぐ ジョイントスペースである」と説明しますが、その表現には問題があります。 なぜならば日本人は、外国人のように内部空間と外部空間を対立的には 見ていないからです。対立的な概念として見るとき初めて そこはジョイントスペースと言えるわけですけど、 日本人はそうは思っていない。内も外も同じだと思っています。街を散歩するときに、よく裏道を通る。車がやっと入れるくらいの狭い道から、人ひとり通るのがやっとという細い路地、高層ビルが目立つ東京にも、浅草や上野、中央線沿いの街には、裏道が縦横無尽に走っている。どことなく雑然とした雰囲気がある。それを心地よいと感じる人もいれば、古臭いと感じる人もいるだろう。私は心地よいと感じる方で、表通りから裏道に入り、また表通りに出る、そうやって目的地に辿り着くのが好きである。さすがに東京では少なくなったが、田舎の裏道を歩いていると、夏の暑い日には表玄関が開けっぱなしになっている家がある。茶の間があり、テレビがあり、人が畳の上にごろんとなって昼寝している。風流な家には、中が見えないように暖簾が垂れている。布一枚だから、風が吹くと中の様子が垣間見えるわけだけれども、その見えるか見えないかの微妙な境がなんとも魅惑的である。 ヨーロッパの都市の街路に立つと、美しい街並みを見ることができます。 それは、建築が初めから街並みをつくるために生まれたからなのです。 その昔、ヨーロッパ各地に小国が林立し、国同士の争いが激しかったころ、 都市を守るために周囲に壁をめぐらせて、市民はその中で暮らしました。 そのためヨーロッパでは、個々の建築よりも都市が優先されて、 まず都市の外形としての城壁が作られました。その次に公共空間である広場や 街路が作られ、そのあとで街路に面して、分割するように居住空間が作られたのです。ヨーロッパの都市は戦争によって作られた、そう指摘する黒川さんの話は驚きだった。ヨーロッパの街並みは美しいのに、日本の街並みは雑然としている。なんとなく劣っているような引け目を感じていたからだ。さらに続けて黒川さんは、日本の街並みについても興味深い指摘をしている。 さて、ヨーロッパのような都市の概念のない日本では、好き勝手に、 思い思いに家を建てているかといえば、決してそうではありません。 日本の建築は、他の建築を意識することで調和を保っているのです。 建築が間合いを持ってうまく調和する姿は、 恥じらいを持ってうまく他人と生活する姿と同じです。 観念的に考えることをしないで、身体で感ずる生理的な感覚を重視するのが、 微細な部分から考えようとする日本人の空間の理解の仕方だと いっていいのではないでしょうか。裏道を歩いていて思うことは、どきっとするような派手な家がないことである。これは、ちょっと目立ちすぎだろう、そういう家が見当たらない。赤や黄色の自己主張の激しい色を屋根や外壁に用いている家でも、原色は避けて、くすんだ色合いのものを用いている。コンクリート仕上げの現代的な家屋も、どことなく和様化した雰囲気がある。隣の家との調和を壊さないように配慮しているのが感じられる。さて、ここまでは日本の都市や家屋について述べてきたけれども、外国という日本の外にある国々とのお付き合いの仕方も、建築の間合い、その結果としての調和と、同じものがあるのではないか。日本人は自国と他国を区別しない、内も外も同じだと思っているのではないか。そうした日本人のあり方、政府の外交的な政策が、生理的な感覚ではなく、思想によって自らの行動を律している外国人に誤解されて、反感を持たれたり、批判されたりするのではないか、そんなふうに思えてならないのである。日韓併合100周年に当たる今年、官房長官の仙谷さんは次のように述べたという。 植民地支配の過酷さは言葉を奪い、文化を奪い、 韓国の方々に言わせれば土地を奪うという実態もあった。どうも仙谷さんの言葉には違和感を感じずにはいられない。1909年に日本で日韓併合が閣議決定されたときには、5、6年様子を見て、ということだったらしい。この、5、6年という歳月が、いかにも日本人らしく曖昧である。5、6年様子を見る、これはいったいなんなのだろうか。観念的にこうしよう、ああしようではなく、生理的に世界情勢を感じて、そのいかんによって併合しましょう、そういう態度が窺えるのである。伊藤博文が暗殺された直後で、国内には怒りの感情があるのにも関わらず、5、6年様子を見て、ということになる。ところが韓国側の推進派は上奏文と請願書をたびたび提出したという。却下されても、また提出し、やっと4回目に受理された。それでも日本政府は二の足を踏んでいた。欧米諸国が侵略と見なさないかどうかを気にかけていたのである。 建築が間合いを持ってうまく調和する姿は、 恥じらいを持ってうまく他人と生活する姿と同じです。 観念的に考えることをしないで、身体で感ずる生理的な感覚を重視するのが、 微細な部分から考えようとする日本人の空間の理解の仕方だと いっていいのではないでしょうか。黒川さんの言葉が、日韓併合という政治的な出来事にも当てはまる。韓国との間合い、ヨーロッパとの間合い、アメリカとの間合い、観念ではなく生理的な感覚を通して、しだいに日本と韓国との距離を縮めてゆく。日韓併合のあとは、現在の貨幣に換算して60兆円を超える資金投下を行った。6000キロに渡る鉄道を敷設し、世界最大級の水力発電所である水豊ダムを建設し、5200校の小学校を建てて、ハングル教科書を採用した。河川改修、砂防工事、農業用水の整備、干拓事業など、様々な事業を行った。侵略かどうかを考える場合は、侵略者と現地人との人口比が重要な鍵になる。チベットやウィグルにおける漢民族の人口比は40パーセント、漢民族の方が少数民族を上まわっているとの報告もある。日韓併合における日本人の人口比は2パーセントにすぎない。現在の中央銀行にあたる朝鮮銀行の他に、農業や工業などの産業振興のための朝鮮殖産銀行があった。その銀行での職員の人口比は2対1だったという。日本人が2000人に対して朝鮮人は1000人。しかも同一の待遇で、給料や賞与、人事の待遇が一律だった。有能な者はどんどん幹部に登用された。おもしろいのは、総督府や朝鮮銀行の職員からたびたび抗議されたという。日本人の官僚は、朝鮮在勤手当てという名目で多額の割増金をもらっていたので、朝鮮殖産銀行の同一待遇は脅威に映ったという。手当てが削られるのではないかと心配する官僚の姿が目に浮かぶようである。こうした裏話は、当時の実情を教えてくれる。ではなぜ仙谷さんが述べたような、当時の実情に合わない世界観が生まれたのだろうか。これもまたいかにも日本人らしく、内と外の区別がないからだろうと思う。朝鮮は千回の侵略を受けた国である。異民族に侵略されて傍若無人な振る舞いをされれば、民族浄化されないための知恵を構築するようになる。それこそが族譜と呼ばれるものである。さらに朝鮮はシビリアンコントロールが最後まで崩さなかった国である。日本は鎌倉時代に武士の台頭があり、封建制度が始まるが、朝鮮にはそうした歴史がなかった。イデオロギーで、つまりは言葉でもって、軍人の力を押さえた。これは驚嘆すべきことである。日本人は生理的な感覚を重視するが、韓国人は観念を重視する。そうした韓国人の観念的な言説を信じ込まされた日本人が、生理的に同調して、自国を貶める発言をする。仙谷さんの見解はまさにこれにあたる。 柳父さんの説明によると、日本人は物事を百パーセントは理解しないでいる。 たとえばキリスト教ならキリスト教、仏教なら仏教が入ってきても、 それを百パーセント理解しようとしない、 すなわち信じ込んでいるように見えても本当の仏教徒ではない。 仏教徒であるかのようにどこかの檀家になっているし、 コミュニティーの配慮や付き合いで仏教の行事をしている。 仏教をなんとなく理解して横っちょに置いておき、 キリスト教が来たら、それもなくとなく理解して横っちょに置いておく。 ですからクリスマスにはちゃんとクリスマスパーティーができるし、 仏様にお参りすることも、お正月には神社にお参りすることもできる。仏教を横っちょに置いておくという文章に、失笑してしまった。私も、なんとなく檀家で、なんとなく仏教徒だからである。戦前の日本人も、植民地政策という概念を百パーセントは理解していなかったのだろう。なんとなく理解して横っちょに置いておいた。ファシズムという概念も、なんとなく理解して横っちょに置いておいた。戦後アメリカから入ってきた民主主義も、なんとなく理解して横っちょに置いてあるのだろう。そういうふうに考えてゆくと、日韓併合が実によくわかる。中途半端といえば中途半端だし、すばらしいといえばすばらしいし、悪いといえば悪い。韓国の観念的な批判にはなんとなく、というか生理的に違うなぁと感じつつ、観念的に反論しようとすると、言葉に詰まってしまう。韓国人が批判するのは、主に強制連行と慰安婦問題であるが、よく考えてみれば、日本人の男たちはみな戦場で戦っていたわけで、中学3年生以上の学生は勤労動員、未婚女性は女子挺身隊として工場で働いていた。つまり日本人で強制連行されたのは女や子供だったということである。慰安婦問題にしても、慰安婦の数は日本人の方が多いのである。しかし日本では、慰安婦が裁判所に訴えるという例はない。戦場で亡くなった兵士に比べれば、自分たちの方が幸運だったという認識があるのだろう。戦後はアメリカ軍兵士の相手をするパンパンと呼ばれる女性たちがいた。パンパンだった老女たちがアメリカの裁判所に訴える。そんな逞しい日本人がいたら、拍手喝采したい。強制連行と慰安婦問題しか持ち出せないこと自体が、総督府の統治は欧米の植民地ほど過酷なものではなかったことの証である。韓国人は今後も日本の植民地政策を批判し続けてゆくだろう。日本人は観念ではなく、生理的に受け止めて違和感を感じ続けるだろう。国と国はそうしたものであり、お互いに違うからこそ国が数千年に渡ってひとつにならなかったのである。生物は群れをなして進化する。逆に言えば群れをなさなければ進化もありえないということである。国と国が理解し合えないことは、意外かもしれないが、長い目で見れば地球にやさしい、そして人類にやさしいことなのである。
2010年08月28日
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哀しい話である。生前は東條閣下とか東條先生とか呼ばれて、尊敬の気持ちを込めて、国民から親しまれていた。戦後になると、A級戦犯という敵国の蔑称で、自国民から呼び捨てにされる。国を思い、国のために戦い、国のために殺された男。敗戦したのは敵国が強かったからである。敵国の方が金持ちで、産業が豊かで、資源を持ち、科学も進歩していた。東條というひとりの男がどんなに優れ、どんなに頑張っても、敵国との違いを埋めることはできなかった。国土の違い、両国の民族が歩んできた歴史の違い、それはいかんともしがたかった。トインビーという歴史家の批評が実相に一番近いように思われる。日本の人口は江戸時代までは3000万人だった。他国に頼らず、自給自足に近い状態で平和に暮らしていた。明治になると6000万人に人口が膨れ上がる。日本政府は国を豊かにしようとして、ありとあらゆることをした。女工たちに過酷な労働を強いながら、絹製品やセルロイドのおもちゃをアメリカに輸出した。最初の輸出品は緑茶である。アメリカ人は東洋的なエキゾチックな飲み物を好んだという。ところが1900年のころにインドの紅茶が人気になり、市場を失うことになる。次は絹製品である。20世紀初頭には世界一の絹の生産国になった。ココ・シャネルがスカートの丈を短くしたので、アメリカの女性たちは日本製の絹のストッキングを履くようになった。日本は絹によって豊かになった。ところが1930年に大恐慌が起きる。アメリカの女性たちは高価な服を買えなくなり、横浜の生糸相場は暴落する。1932年に満州国が樹立されたのは、生糸の暴落と深い関係がある。ちなみに日本軍の兵士の多くは農家の次男坊、三男坊であり、生糸暴落で、自殺に追い込まれる農民が多数出た事情を痛いほど知っていた。台湾で育つ樟脳を原料にセルロイドを加工し、玩具やブラシ、ペンをアメリカに輸出するようになる。ウルワースのような安売りの店は、日本製の小物、クリスマス飾りや電球であふた。ところが対日貿易を規制しようという動きが始まる。日本製品には他国の製品より25%も高い関税がかけられた。セルロイドのおもちゃの関税率は104%、ハブラシ、くし、サングラス、人形には特別税率が加えられて200%になった。極端な場合には、500%から800%にのぼった。日本は輸出のみならず輸入もアメリカに頼っていた。鉄、原油、肥料、ニッケル、モリブデン、テトラエチル鉛などである。1941年、ルーズベルトは原油の禁輸、金融資産の凍結、貿易の完全停止を行った。37種類におよぶ包括的な影響調査をアメリカ政府は準備したという。A級戦犯と呼ばれるようになる人々は、平和的な解決によって貿易不均衡を解消できないことを知らされた。アメリカ資本や市場なしで生きていく道を切り開くしかなかった。資源国でない日本は、活路を見出すためには外に目を向けるしかなくなる。黒船到来から真珠湾攻撃までの経済史を順を追って眺めてゆくと、子供が大人にいたぶられるように、じわじわと責められてゆく様子がわかる。大国に依存する小国のぶざまさである。女性たちのファッションの流行や、アメリカ国内の生産者の事情によって、高関税をかけられて産業を潰されたり、鉄や原油が禁輸になった。何度も何度もいたぶられれば、どんなに純真な子供でも学習する。欧米と日本との違いはなにか。それこそ必死になって考えただろう。いくら考えても、答えはひとつしかなかった。植民地を持っているか持っていないかの違いである。イギリスやアメリカのように豊かな国もある。日本のように6000万人を飢餓させないだけで精一杯の国もある。その違いはなにか。日本には原料がない。アメリカから原料を輸入するには、輸出で資金を稼ぐしかなかった。それなのになぜアメリカ大統領は日本製品をボイコットするのか。国民が必死になって模索し、やっと新しい産業を築いたと思ったら、大統領の一声で潰される。同じ苦渋を何度も何度も味あわされた。他国を侵略しないで済ませる方法を、日本人はそれこそ必死になって模索した。その結果が日米貿易史にあからさまに表れている。経済摩擦の歴史を見れば、日本が真珠湾攻撃をせざるを得ない事情がわかる。日本がめざしたのはアメリカに頼らない経済であり、ルーズベルトの高関税や禁輸政策が、それ以外の道を閉ざしてしまった。原料の採掘から消費までが循環する経済圏を、自らの手で樹立するしかなかったのである。平和を模索しなかったと批判するのは、経済的に豊かになった戦後世代の自分勝手な解釈である。その経済的な豊かさも、戦争で苦しんだ戦前派や戦中派が築いたものだった。彼らが引退し、団塊世代が管理職になると、失われた10年が始まる。決して偶然ではない。欧米の狡猾さを知らない世代が日本経済を失墜させたのである。そしてその世代が、A級戦犯が合祀されている靖国神社には参拝しないと言う。他国、他民族の軍隊と戦った兵士は、世界中どこの国でも英雄である。ただ一国を除いて。
2010年08月14日
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菅さんは君が代を歌わないそうである。民主党が政権を取るまでは、歌うことをかたくなに拒んでいた。君が代や日の丸を信じない人が総理になる。日本解体もついにここまで来た。GHQ、ソ連のコミンテルン、中国共産党。敗戦後の日本で、諜報機関が工作活動をしていた。その成果が君が代を歌わない総理という形で現れた。ヤルタ会談では、日本をいかに解体するかが話し合われた。あまりにも強い国、あまりにも自分勝手で、あまりにも目障りな国。正義感が強く、自尊心が高すぎる国。日本を放置しておけば国益が損なわれる。敗戦後の日本で、GHQはさまざまな改革を行った。日本人の持つ海外資産を没収した。アメリカやヨーロッパの個人資産までが没収の対象になった。ナチスの映画には必ずといっていいほどユダヤ人を暴行するシーンがある。家や土地、預貯金、女性の指輪やネックレスまで没収する。ハリウッド映画ではくり返し描かれているが、まったく同じことが海外に住む日本人に対して行われた。千円の所持金しか許されなかった。海外に渡って死に物狂いで働いて貯めた金を奪われてしまった。GHQの意にそぐわない財閥は解体された。多くの皇族が個人資産を没収され、皇籍を剥奪された。地主から農地を取り上げて小作人に分け与えた。アメリカでは大地主が政財界ばかりか軍でも活躍していたというのに、日本の地主は危険視されて土地を奪われた。A級、B級、C級とランクづけされて、軍人たちは処刑されたり、牢獄に入れられたりした。聖書にはバビロン捕囚や出エジプト記がある。ユダヤ人の記述よりもはるかに過酷な運命を日本人は背負わされた。GHQがことのほか気を配ったのは思想の統制である。戦前に発行された書籍を調査して、欧米に批判的だったり、日本を正当化している書籍を焚書した。仏教や神道に関する専門書までが焚書の対象になった。言論統制のための特別の機関を作り、放送や出版のみならず、郵便物やパンフレット、電話に至るまで検閲し、しかも庶民には知られぬように細心の注意を払った。被爆者の情報はシャットアウトされ、少女の手記まで発禁処分にされた。アメリカの行った戦争で、日本ほど占領に成功したケースはない。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争。すべて失敗しているが、日本の占領は例外的に成功している。日本との戦争がいかに過酷だったか、日本をいかに恐れていたか、危機感が神経病者の悪夢のような、一滴の水もこぼさないほどの徹底した言論封殺になった。60年代になると学生運動が盛んになる。その背景に、ソ連のコミンテルンの暗躍がある。GHQによって自国の尊厳を完璧なまでに奪われた日本人は、今度は若者たちの反抗という平手打ちを食らった。この時代に登場したのが本田勝一さんに代表されるジャーナリストである。中国や東南アジアに取材し、日本軍の悪行を暴き立てた。ジャーナリズムの基本は、取材する人物の証言を鵜呑みにしないことである。人は嘘をつく。事実を捻じ曲げたり、オーバーに語ったり、都合が悪ければ口を閉ざす。裏を取る、証拠を見つける、真実かどうかを確かめずに記事にすれば訴訟になる。取材地が海外で、対象が日本軍の悪行となれば、訴訟が起きる恐れはまったくない。軍人は処刑されたり、牢獄に入れられたりした。処刑された者は墓さえない。遺体は勝手に処理されて、遺族はどこに埋められたか場所も知らない。死人に口なしである。地面の下から反論など出てくるはずがないのである。かくして日本軍の悪行は都市伝説のごとく膨らんでゆき、道路や橋の建設、治安維持、産業の復興、医療や福祉は無視された。ジャーナリストの耳には日本軍の善行も入ってくる。記事としては売れないから、紙くずとして捨てられた。菅さんはこうした時代のなかで青春を過ごした。機動隊に石を投げたり、アジ演説をした。東工大で中心的な活動をした菅さんは、4列目の男として公安にマークされていたという。デモ隊の3列目までは、機動隊と対峙して怪我をしたり、連行されたりするが、4列目は安全地帯で、検挙される心配はほとんどなかった。学生時代から要領のいい人物、悪く言えば、ずる賢い人物だったという。菅さん、枝野さん、仙石さん、主要ポストは全共闘人事である。君が代を歌うこと、国旗を掲げることは悪いことだと信じ、政治家としてその信念を貫いてきた政治家たちである。ソ連や中国の工作員の甘い囁きを信じ、アメリカに石を投げて、チベット民族の虐殺を見て見ぬふりをしてきた若者たちである。頭でっかちで、社会経験に乏しく、理想主義的なロジックに弱いのだ。世界には200近くの国々があるが、国歌を歌わない総理がいる国はひとつもないだろう。ギネスブックに載せてもよいのではないかと思う。なお菅さんにはスリーピーというあだ名がある。国会や式典で寝てばかりいるので、スリーピーというあだ名がついたという。ルーピーからスリーピーへ。W杯でも感じたことだが、日本に必要なのは世代交代だ、冷戦時代の恐竜は欲を出さずにスリーピーしていてほしい。現代社会は国際友好といった甘いものではなく、国と国、企業と企業が、資源や技術を巡って、国営ファンドの企業買収まで試みながら、生き残りを賭けて熾烈な競争をする時代である。その熾烈さを思い知っている人物が総理になってほしい。
2010年07月07日
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菅さんがなんとなくボケていると感じたのは、数年前に出演したテレビ番組だった。記憶のなかにある菅さんは、厚生時代の有能な姿である。当時とはうってかわって、テレビに映っているのは、世迷い言をくり返す老人だった。「僕の実現したいのは、現在の官僚主権国家を 国民主権国家へと変えることです」うーん、まだそんなことを言ってたの?民でできることは民に、の小泉発言と一緒じゃないか。消費税を上げて法人税を下げる、竹中さんも同じことを言っていた。経済政策にはふたつある。財政出動と緊縮財政である。小泉さん以降の10年間で、財政出動したのは麻生さんだけである。民主党になって、小泉改革に後戻りしてしまった。なぜ日本人は緊縮財政が好きなのか。無駄遣いはしていませんよ、庶民にアピールしやすいからだろう。自分たちはこんなに質素に暮らしていますよ。クールビズも、経費や人件費の削減も、省エネ、エコ、地球にやさしいも、発想はすべて同じで、無駄を省けば世の中がよくなる。その先にあるのは、欲しがりません、勝つまでは、戦争中の標語になる。西行、兼好、芭蕉、一休、良寛、節約は日本人の血とも言える。節約すると、世の中のためになっているような気がして、日本人にはとっても気持ちがよいのだ。逆に贅沢しすぎると、良心の呵責を覚える。しかし歴史はおもしろいもので、日本人の貧しさ志向とは逆の方向で成功した国もある。ルネサンス当時のイタリア、オーストリアのハプスブルク家、ロココ以前のフランス、そしてなによりサムプライム以前のアメリカである。オスマントルコのスルタンは金を惜しみなく注いで、周辺国から芸術家を呼び寄せて宮廷文化を花開かせた。戦争をするよりも、宮廷文化で権威を示す方が安上がりだからである。世の中はおもしろいもので、金があるところには有能な者が集まり、文化が華やかに花開いて、ますます金が集まってくる。金を惜しむと、閑古鳥が鳴く。緊縮財政ばかりしていると、この国には閑古鳥しか住めなくなるだろう。地方の駅前通りには閑古鳥しかいない。菅さんはなぜボケてしまったのか。歳を取ると、新しいことにチャレンジするのがむずかしくなる。携帯やパソコンの新しい機能についてゆけなくなる。有能な人になればなるほど、違う分野には関心が薄い。多くの時間を専門的なことに使わなければならないので、雑学する余裕がないだ。菅さんに限らず、民主党の政治家に言えることは、与党としての自覚、決意、スキルがないことである。与党と野党の違いは、官僚を味方にするか敵にするか。官僚も人である。批判ばかりされていると、仕事をする気持ちがなくなる。そっぽを向いて協力しなくなる。官僚をやる気にさせるのが政治家の仕事である。いわばW杯の日本代表の岡ちゃんの仕事、俊介はダメだ、大久保は点が取れない、そんなことをぐずぐず言っていたら、参敗するしかない。それからもうひとつ民主党で気になるのは、製造業に関わった人がまったくいないことである。会社の経営者がいないのだ。労組や日教組の役員上がり、弁護士上がりの議員ばかりだから、経営のノウハウがまったく理解できていない。いかに経営者を失墜させるか、そんなことに気を使ってきた人ばかりだ。国を経営する、運営するという気持ちがないのだ。事業仕分けがよい例である。削るばかりで増資がない。経営者は将来性のない分野を切り捨てるだけでは失格だ。事業がどんどん先細りしてしまうからである。これこそ会社の将来を担う分野だと覚悟を決めたら、一か八かの賭けをしなければならない。菅さんの履歴を見ると、学生運動から政界に入って、何度も落選している。二世議員ではなく、サラリーマンの家庭に生まれた。自民党のお坊ちゃん政治家には我慢がならない。問題は、そうした自分の出自にこだわりすぎていることである。下からの目線はあるが、上からの目線がない。麻生さんの場合は逆で、上からの目線はあるが、下からの目線がなく、マスコミにさんざん叩かれた。カップラーメンの値段を訊かれて、400円と答えたのが象徴的である。菅さんの場合は庶民の目線はあるが、経営者や官僚の目線がない。庶民目線と統治者目線、総理として必要とされるのは、両方の目線である。自民党には統治者目線しかなく、民主党には庶民目線しかない。これでは困るのだ。現在が1970年頃で、冷戦の壁がしっかりと保たれており、グローバル化がここまで進んでいない時代だったら、庶民目線の菅さんでも、よい統治者にはなれただろう。ベルリンの壁が崩れて世の中は大きく変わった。交通、情報、金融、投資、物流、資源、国境を越えて人も物も自由に動かせる時代である。国のあり方が根本的に変わってしまった。人件費の安い国に、まるで放牧する牛飼いのように工場を動かす。円の相場も、日本が景気がよいかどうかではなく、ドルやユーロに対する感情しだいで大きく変動する。原油はいくらなのか、気候はどうか、欧州は冷夏かどうか、トヨタ車のリコールはどうか、アフガニスタン紛争はどうなるか、日本とは縁もゆかりもない国で起きた紛争が、国内の景気に大きく関わってくる。ぐずぐずしている余裕はなく、即座に決断しなければならない。菅さんは厚生大臣としてエイズ問題に関わったから、福祉を重視するのは当然としても、国家は福祉だけでは運営できない。統治者目線が必要である。消費税を10パーセントに上げても、消費そのものが落ち込めば、5パーセントの方が税収が多いということもありうる。日本はギリシャのように破綻しますよ、総理ともあろう者が不安感を煽ったら国は立ち行かなくなる。沖縄の基地問題も、庶民目線なら負担軽減だが、統治者目線なら負担増加である。中国海軍が軍事増強しているからだ。負担軽減しか言わず、安全保障をアメリカに丸投げするなら、統治者としての責任を果たしていないことになる。消費税にばかり気を取られている菅さんの発言を見ると、どうもこの人は、一国の総理としてはふさわしくないのではないか。国内の政治ばかりに気を取られていて、グローバル時代が国と国の競争であることが理解できていない。中国をサミットに招くべきだという発言も、地政学的に考えれば日本の総理としては絶対にしてはならない。せっかく築いた日本の影響力が損なわれるからである。欧米の首脳のなかで黄色人種がひとりというのは寂しいだろうけれども、それこそ日本がこれまでに血と汗を流して築いてきた地位なのだ。寂しいからといって手放せば、あとは奈落の底に落ちるだけだ。時代遅れのおじいちゃん、世迷い言をくり返す老人ではないか、そんな気がしてならないのである。
2010年07月02日
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朝日新聞が中心になって、国の借金は恐い思想キャンペーンを行っている。恥も外聞もなくよくできるなと思うのだけど、北朝鮮の労働新聞のように大本営新聞になり、与党延命にやっきになっている。この前までは小沢さんを擁護する思想キャンペーンを行っていた。検察は恐い思想キャンペーンである。思い返すと、朝日新聞はいろいろな思想キャンペーンを行ってきた。民営化はすばらしい思想キャンペーン、13億人の市場、中国に進出するのはすばらしい思想キャンペーン、郵便局は悪、だから民営化しましょう思想キャンペーン、自民党は古いから、二大政党にしましょう思想キャンペーン。朝日新聞の言葉を間に受けて、多くの国民は選挙に投票したのだけど、日本はすこしもよくならない。どんどん悪くなる。なんだかとってもきな臭いのである。どこかべつの国の思惑があると勘ぐりたくなる。日本の失われた20年は、中国の輝ける20年である。輝ける20年を作ったのは、日本企業の工場移転であり、投資である。総理になった菅さんが早くも消費増税を言い出したから尚更である。朝日新聞が国の借金は恐いと国民を洗脳させる。与党の党首が、消費税を上げなければ国は立ち行かなくなると脅す。あまりにもあからさまで笑いたくなるのだが、最近の経済は複雑なので、いったいなにが正しいのかわからず、庶民は途方に暮れるばかりである。郵政民営化のときのように下らない政策でわいわい騒いでいるうちに、国がどんどん疲弊する、今度はまったなしに坂を転げ落ちてゆく、そんな気がしてならないのである。そもそも国の借金は、なぜ増えたのか。製造業が、地場産業まで含めて中国に持ってゆかれたからだ。着物や下駄、漆器、陶磁器、爪楊枝に至るまで、国際競争など必要のない伝統工芸まで中国に持ってゆかれた。いまや中国に進出した日本企業で働く従業員は、3000万人を超えるが、かつては地方経済を支えていた雇用である。雇用がなくなれば、当然ながら税収が落ち込む。税収がなくなれば、医療や介護などの社会保障が立ちゆかなくなる。で、菅さんは消費増税で社会保障を行うと言い出した。原因と結果があべこべなのだ。結果をいじくったところで、原因がある限り国はよくならない。事業仕分けもそうだろう。原因は民間企業が経営難に陥っているから給料が上がらない。相対的に公務員が贅沢しているように見えるだけなのである。民間企業を援助し、産業の自給率を上げない限り、日本はよくならない。中国や韓国に遠慮している場合じゃないのである。工場進出は中国人にとっては寄付みたいなものだと、経済評論家の宮崎正弘さんが述べている。工場が進出して数年経つと、訳のわからない理由で労働紛争が頻発する。現地企業のライバル潰しだったり、役人の賄賂請求だったり、理由はさまざまだ。中国人には日本企業に対する愛社精神はないから、技術が身につくと会社を辞めてひとり立ちする。さらに悪いことに国営企業との合併だから、技術は盗まれる、設備も取られる、労働者も囲い込まれる、身ぐるみ剥がされて海外に出てゆくことになる。日本が疲弊した最大の理由は中国への工場進出である。海外企業の技術を盗んで国産工場で生産するといったことが、日常的に行われている。アップルの製品を作っている富士康で、自殺者が相次いで社会問題になった。最初の自殺者の背景には、発売前のiPhoneの原版を技術者が紛失したことが関係しているという。産業スパイの容疑がかけられたということだ。新製品の発売前に模造品や海賊版が出まわることさえある。政府高官の介入や地方官僚の収賄、ライバル会社に対する嫌がらせも頻発している。労働者の斡旋を暴力団組織が行い、給料の上前をはねることも常習化しているという。官僚と暴力団組織、労働組合の幹部が結託して工場を乗っ取ることもある。中原は先史時代からさまざまな民族が跋扈した土地である。謀略の渦のような場所に、島国でのんびり暮らしてきた日本人が行っても、身ぐるみ剥がされて追い出されるのが関の山である。日本軍は残酷だったから敗戦したのではない。残酷さが足りなかったから敗戦したのだ。中国共産党のような残酷さが日本軍にはなかったからこそ、敗退したのである。敗戦の理由が謀略だったと歴史認識していれば、13億人の市場などというバカげた発想は生まれなかった。NHKや朝日新聞のエリートたち、姜尚中さんのお人よし理想主義を学んだ学生たちの世界観が甘かったから、メイド・イン・ジャパンは零落したのである。EU各国の中央銀行は、国債の買い入れを始めている。日銀が国債を買う。日銀が国の借金を減らす、税金ではなく、通貨で減らすのである。市場に出まわっている国債の量を減らして信用を取り戻す。EU各国が行っていることである。長いこと国の借金で頭を悩ませてきた日本人は、そりゃ、禁じ手だろうと思うのだけど、通貨とは本来そうしたものだ。国債の量、つまり国の借金と公定歩合、通貨の総量を調節しながら、国の運営に最適な状態にして通貨を安定させ、経済を繁栄させる。ドルの総量はサムプライム以前の4倍になっている。アメリカ政府はドルを刷って不良債権を買っているのだ。EUもユーロの総量を増やしている。中国はといえば、まるで湯水のようにじゃぶじゃぶ人民元を刷っている。日本だけが世界の流れとは逆行している。国の借金は日銀に任せればよいことで、政府がそんなことに頭を悩ませているから、円高が止まらない。消費が伸びない、低所得者層が増える。東京の高級マンションをジャパンビジネスで儲けた上海成金に買い占められて、日本人は兎小屋で暮らすことになる。スウェーデンのような福祉国家をめざす?バカも休み休み言え、スウェーデンの人口は930万人、日本は1億3000万人。日本の人口の14分の1である。国土は日本の1.2倍。農業や漁業、林業の上に、ボルボなどの自動車産業が乗っかっていれば、福祉国家を運営するだけの財源は生まれる。かたや日本は1億3000万人、生活必需品を海外の奴隷に作らせて生活できる。そんな世界を夢見る菅さんは、学生運動上がりの市民活動家。市民活動家の多くが世間知らずの理想主義者であるように、菅さんも残念ながらお人よしの大馬鹿者、中国共産党の飼い犬のような政治しかできないだろう。かくしてメイド・イン・ジャパンは終焉する。
2010年06月23日
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iPadのすばらしいところは、キーボードを捨てたことだろう。ソフトに組み込んで、画面に表示させるようにした。従来のノートパソコンはキーボードがあるために、二つ折りにして持ち運ぶ必要があった。形が複雑になり、重量も増して持ち運びが不便だった。携帯性という観点から見れば、iPadは当然の流れである。よりシンプルに進化した。20世紀の世界経済の流れは、アメリカと日本というふたつの大国を作った。なぜアメリカと日本なのだろうか。アメリカはピルグリムファーザーズの国であり、華麗さや洗練さ、歴史的な重厚さを重視するカトリックの国々を捨てて、未開の土地で、新たに文明を切り開こうとした人々の国である。聖書に帰れと言って信仰の原点を見出そうとする宗教改革は、余計なものを捨てて必要なものだけを残そうとする動きでもある。アメリカのシンプリシティは現代にも生きており、アップル社が究極のシンプリシティに辿り着いたのも、当然そうなるべくしてそうなった。iPadを見ると、たとえばキーボードという機能ひとつ見ても、英文や和文のタイプライターからワードプロセッサーへと進化し、オアシスの親指シフトだとか、DOSで動く一太郎だとか、さまざまな試みがされたあと、画面上のキーボードへと収束する。道具が進化してゆく過程の歴史性をまざまざと見せつけてくれる。キーボードを画面に表示するというアイデアがあっても、ワードプロセッサーを巡る様々な試み、進化がなければ、使いやすいものにはなっていなかっただろう。そういう意味でシンプリシティは、歴史の最後に位置するものかもしれない。日本は島国だから、ユーラシア大陸で生まれた文化が最後に辿り着く場所である。この国から先へは行かないから、文化は熟成を重ねてシンプリシティへと至る。アメリカのシンプリシティと同じものが日本にはある。教義を最小限にし、清めるという最小の行為に宗教儀式を限定し、建物さえも簡素なものにした神道のシンプリシティ。座禅を組むというその一点に集中した禅のシンプリシティ。五七五のたった十七文字に詩を限定した俳句のシンプリシティ。砂と十五の石だけで自然を表現しようとした龍安寺禅庭のシンプリシティ。弁当というものに食事のすべてを詰め込んだ江戸のシンプリシティ。戦闘の様々な道具を斬るという一点に集約した日本刀のシンプリシティ。日本は島国である。ユーラシア大陸で生まれた文化が様々な国を経て、最後に辿り着く場所である。この国から先へは行かない。文化は熟成され、洗練されて、最後に至るのが日本のシンプリシティである。神や仏、目上の人にお辞儀をするという行為も、韓国ではクンジョル、チュンジョルといった具合に階層化されて、両手を合わせるときの指の組み合わせ方から手や肩の位置、背中を曲げる角度、目線の動きまで、作法が厳格に決められている。ところが玄海灘を渡って日本にくると、頭を下げるだけの行為になる。朝鮮半島の貧しい人々が使っていた飯茶碗を、国宝まで高める国は日本以外にありえない。シンプリシティの美学がこの国にあるから、粗末なものにも美を見出す。韓国にはないから、捨てられたり、破壊されたりしてしまった。韓国はいまになって文化財を返せと主張するが、文化は土地には結びつかずに人に結びつく。人とともに文化も移動し、新天地を見つけて栄える。天目や井戸茶碗は日本という土地を見つけたからこそ、そのすばらしさを現代人に伝えることができたのである。禅という宗教もそうだろう。中国で生まれた禅は中国では根づかず、日本に渡ってきて始めて腰を落ち着かせることができた。伝統文化と様々な形で結びつき、広範な領域に影響を与えながら栄えた。日本人はもっと自信を持つべきである。そしてなによりも、この国の伝統文化を見直すべきだ。古きを尋ねて新しきを求む。伝統という根っこから出発しないと、新しい文化は創造できない。アップルのiPadはアメリカのシンプリシティという伝統が、エンジニアやデザイナーの頭の中を通過して形になった文化である。日本には日本流のやり方がある。日教組の教師たちが伝統文化を蔑ろにするような歴史観を持ち、多感な子供たちを教え、誤った方向に導いた。そのせいで日本人は方向性を見失い、この国の良さにさえ気づかず、目を向けない。まずは教育から改めないと、アップルやサムスンに勝てなくなるだろう。
2010年05月31日
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検察は悪だという思想キャンペーンを、週刊朝日が盛んに行っている。左翼の牙城もここまで落ちたかと思うと、怒りを通り越して、哀れである。ホリエモンのような犯罪者が最後の拠り所とするのが、検察は強権を行使するという主張。自分は犯罪を犯しておらず、検察が悪だから逮捕されたと言い訳する。ゲシュタポやKGBじゃあるまいし、日本の検察が行使できる権力など知れたものだ。しかも特捜部は、政財界で犯罪を犯した人物でない限り、一生関わることのない組織である。しかし庶民には、司法機関は恐いという思い込みがある。その不安感を煽ろうとするから、たちが悪いのである。逮捕されたらつらい目に会う。その不安感こそ犯罪の抑止力になっているのだが、週刊朝日はそんなことお構いなしに、検察は悪だ、恐ろしい組織だとイメージ戦略に余念がない。しかもこのキャンペーンが始まったのが、立ち上がれ日本の成立と時期が同じなのである。保守に票を取られる。それまでは民主党を批判していた。ところが新党が生まれるやいなや、論調を180度転換して、民主党擁護のキャンペーンを始めた。左翼陣営の焦りが目に見えるようである。ゲシュタポやKGBが恐ろかったのは、政権の手先になって庶民を弾圧したからだ。ヒトラーもスターリンも政治家であり、ゲシュタポやKGBの官僚を思うがままに操った。民主党がやっている政治改革とまったく同じなのである。政治主導とは、官僚を自分の足元に跪かせることである。日本の権力構造で、最も力があるのは総理である鳩山さんである。次が小沢幹事長であり、いわばナンバーツーの権力保持者だ。法務大臣や検事総長よりも力がある人物である。自分の上司よりも権力のある人物に対して検察官は尋問を行っている。しかも都内の一流ホテルを尋問室にして、夕方のニュースが流れない土曜日という気の配りようである。小沢さんのイメージを損なわないという配慮である。こうしたやり方を、ナチスや旧ソ連の独裁体制と同じだと言う。バカもほどほどにしろと思うのだが、もはやお構いなしで小沢擁護キャンペーンを執拗にくり返している。週刊朝日はなにを恐れているのだろうか。おそらく鳩山、小沢辞任のあとの反動だろう。左に傾いていた針が、右に傾く。労働団体や日教組、朝鮮総連などが利権を失うのではないか。鳩山政権をなんとかして維持したい組織が暗躍しているのだろう。焦りが目に見えるようだから、いっそう哀れである。政権に擦り寄ろうとする上層部が、小沢さんを起訴しようとする現場の検事たちを押さえ込んで、不起訴処分にしているのが、いま起きている出来事である。検察審査会がいくら起訴しろと主張しても、小沢さんが恐くて身動きが取れなくなっている。リベラルを自認するメディアであるなら、政権に擦り寄ろうとする上層部こそ批判すべきなのだ。週刊朝日はもはや本来の意味でのリベラルではない。その先にあるのは民主主義の衰退であり、独裁制の始まりである。報道機関として最もおぞましい形、独裁者に媚びへつらう政権お抱えメディアになりつつある。北朝鮮のメディアと同じく大衆を洗脳するメディア、小沢将軍様に媚びへつらう哀れな報道機関に成り下がっている。安倍さんを引きずり落とし、麻生さんに難癖をつけ、念願の民主党政権を誕生させた。そこまではよかった。総理はマザコンおぼっちゃん、幹事長は守銭奴の土地転がし屋、擁護すればするほど、自分たちが汚れてゆく。
2010年05月23日
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