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入院加療をはじめたのは14歳になっていただろうか
以下、拒食症からはじまった私の歴史をさくっと書き連ねるので
目にしないほうが精神衛生上よい人はここでストップしてくださいね
摂食障害、拒食、過食といった言葉だけで誘引されてしまった人も
それなりにいるだろうと思われます その方々には 本当に申し訳ないです
摂食障害は いちど陥ると いつどこの何にか反応して 幾度でもぶり返す
私がそうですから 実感として よくわかります
ですから。自己防衛をお願いします
これより先は、私の実体験と、付き合い方と、いま現在を書いていきます
食事を受け付けなくなっていったんです
あ、それ以前に、美味しいと感じなくなって、味がわからなくなって、
興味を失っていく、なんていう経緯もありました
記憶が曖昧ですが 匂いも届かなくなっていたような
食事を体が受け付けないってどういう状態? って思いますよね
食事を目の前にしても、口に入れるモノだと思えなくなる
目の前の食べ物を体の中に取り込むことを心身が嫌がる
無理に口の中に入れても、なかなか飲み込むことができない
意を決して飲み込むものの、違和感が消えず吐き出したくなる
こんな感じです。まさに「拒否ス (レ点) 食ヲ」、です
いまの私も、こんな反応をすることが少なくない
平日のお昼間、ひとりでいるときなどですね
食べ物が、食べ (られ) るものに見えないのです
時に どこかのだれかに 「食べる気なの?」
「あなたが食べるものなの?」と咎められているような感覚にも
食べない、口に/体に 異物を入れなくていい=拒食は
当時の私にとって「楽」でもありました
では いまの私は、といえば
考えて栄養を摂取しなければ日常生活に思いっきり支障がでます
食べることの大変さに毎日、ことあるごとにぶつかっています
ただ、13歳の私を責めることはありません
あのときの私は、あの方法で自分を必死に守っていたんです
拒絶したいのは「食」(だけ) ではなかった
(このあたりは割愛しますね)
私の心身にとっての軽重は、その時々よって違うでしょうが
これからもずっと摂食障害を標準装備していくことになるはずです
この装備が重たくてうずくまることもあります
ですが、重たいだけではない気もしてきているんです
考えること、学ぶこと、気がつくことが
「楽」ではなくとも、「樂しい」ことだったりするなんていうね
拒食 (時に拒己)を携えながら なだめながら過ごす
拒絶して忌み嫌って、ではなくて 受け入れながら飼いならしていきたい
私は、私が選んだこと/もの がつくりあげている
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