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幼稚園生の頃に将来の夢を聞かれて、「パイロット!」と答えたそうだ。それに対して父は本当に喜んだと聞いている。「とんびが鷹生んだよ!」と飲み屋で言って回ったらしい。ところが、冬になり、、新高円寺の商店街に毎年来る焼き芋屋のお爺さんから店番を頼まれる小学生になった頃に、将来の夢が変わった。そう、、焼き芋屋。屋台の胴体に仕込まれたドラム缶に薪を放り込み、業火に焼かれる石を混ぜ、サツマイモを埋めていく。見事な手さばきと炎を自在に操るそれは、小学校低学年の私には尊敬できるスキルだったのだろう。ある日、いつものように母の目をかすめて父が私を連れて飲み屋に行ったそうだ。父は息子の気持ち代わりも知らずに、客や店員相手に自慢げに言ったそうだ。「おい!俺の息子はよぉ!床屋のせがれらしからぬ大きな夢を持ってんだよ!とんびが鷹生んだってのは、こういうことだぜぇ!!なぁ、、おい!将来何になりたいんだ!?」私はそこで、「焼き芋屋!」と答えたそうだ。当然、父以外の同席者は大爆笑。父だけが「おぃ!なんでだよぉ!え!?俺は知らねーぞ!!」と血相を抱えたそうだ。そんな懐かしい話を、今でもお元気で焼き鳥屋にて酒盛りをする地元の老紳士から聞いた。当時小学生が40歳を超えた。そして、父は10年前に亡くなった。パイロットと焼き芋屋。どちらもなれなかったけど、、一生懸命やっているよ。親父。↓執筆意欲につながります。できればポチッとお願いします。にほんブログ村
2013年02月28日
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↑買ってしまった。また衝動買いをしてしまったのではない。掃除をしていたら、クローゼットから出てきた8mmテープ。ビデオの8mmじゃない。映写機で見るフィルムだ。そこには、私の「七五三」「従業員と旅行」「四国へ里帰り」などと書いてある。そう、昭和四〇年代に流行した8mmだ。そこには、懐かしき映像たちが眠っている。早速見ようと映写機を取り出したら、電球が切れていた。そして、この電球は欠品だそうだ。あきらめようと思ったが、父が亡くなって数年、、最近は母親も病院に通っているらしい。よし!!たまには親孝行。すぐに楽天で8ミリ映写機を探すのだが、結局これ一点しか見つからなかった。しかし、安そうな作り、、、だが、選択の余地もなく購入。二日で配達。恐ろしい早さだ。今晩、早速組み立てて映写!!!なんと、電池で映写が出来る。そこには、笑顔の母と幼い私が映っている。顔をしかめてカメラに向く私。笑いながら、母が私の手を引く。そして、、従業員と旅行した風景には、在りし日の父の姿があった。従業員と笑顔で酒を飲んでいる。暗い部屋で、一人っきりのタイムスリップ。なんだか、眠れなくて困るかと思った夜だったが、映写機とブログのおかげで充実した深夜になった。さて、、数日後、母を招待して上映会だ!!喜ぶかな。
2008年06月24日
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「彼に掃除を任せるとしっかりやってくれるから」そう言われて、その先生を好きになり、信頼するようになった。しかし、次の瞬間、、「おまえ、いい加減に掃除するなよ」と言われた先生に嫌悪感を覚えた。懐かしい記憶。「君は絵が上手だね」と嫌悪感を覚えた先生に言われた。(なんだ、お世辞かよ、、)と心の中でつぶやいた。「おっ!!英語の試験はまた赤点だろうな!?」と信頼する先生に嫌味を言われた。(がんばれよ!という意味だな)とやる気が出た。難しい感性。言葉そのものにも意味があるが、信頼感によって、言葉の受け止め方は変化する。
2008年06月20日
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昔々、、失恋した直後にそば屋に立ち寄った。高校生の頃のお話。それも1年生。荻窪にある立ち食いそば屋に、日の出時刻、高校生が立ち寄った。店主は黙って注文したかけそばを作ってくれた。が、、、その上には、かき揚げ、天ぷら、ネギ山盛り、卵、、加えておにぎりを出してくれた。「まぁ、何があったか知らねえが、、元気出せ。」といってかけそば代金だけをとった。涙が出た。義理と人情、渡世人の風情ぎっしりのお話だ。そして、現代。主義主張を全面に、契約や規則だけを重んじる日本人。全てにサービス料金が加算され、何をするにもマニュアル。教育の世界だって、「頼んだ覚えはないから」と給食費未払いを踏み倒す。少しの擦り傷も責任問題。いつから、、こうなった。とことん契約と規則と料金で固めたら、息苦しい世の中なのに、、、サービスが快く行えるのは義務を感じないから。そして、サービスをしてもらうのは感謝があるから。ね!そば屋のおじちゃん!!
2007年12月19日
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以前に紹介した、幼なじみのお店!<以前の記事はこちら>大事なことを載せるのを忘れていた!!このお店は、、東京都杉並区高円寺南3-45-1503-5306-3810メール m-akimbo@flute.ocn.ne.jpワンちゃんグッズがいっぱい!!
2007年12月03日
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小学校一年生との時から同じクラス。お互いに個性の強いキャラクターなので、在学する6年間にいろいろあった。商店街のある地域の小学校だけあって、商売人の子どもが多く通う杉並第八小学校。イジメもあった。喧嘩もあった。無視もあった。集団による暴行も、窃盗もあった。そして、時代が時代だけに、緘黙児童がいた。今思えば、自閉的傾向の生徒もいた。東原さんのことは以前にブログにも書いた。この原稿は私の本でも紹介しようとしたが、文章量の関係上カットされた。そんな小学校の時にいつもそばにいた。そして、中学校は私立に行った私でも、地元の仲間が仲良くしてくれた。その筆頭が、この友達である。友は、涙もろく、情に流されやすい。友は、心優しく、でも、頑固である。友は、面倒見が良く、でも、それが原因で損をすることもある。友は、、しばらく会わなくても、笑顔で迎えてくれる。その友が、家業を継いだ。高円寺でも老舗の練り物をつくる。おでん種をつくる大きな歴史ある店だった。高円寺の住人なら知らない人はいない「あいかわや」しかし、家族の事情と職人さんの高齢化、若社長の選んだ道は店を閉めることだった。おそらく、苦渋の決断だったに違いない。いや、必ずそうだ。友達だからわかる。その店舗跡を、半分は貸店舗に、そしてもう半分が、わんちゃんのグッズ販売。それがこの店だ。店内には可愛らしいグッズが置いてある。驚いたのは、そこでの時間。何とゆったり流れているだろう。店舗なのに、何だか心が癒されるかの如く、ゆったりとした時間が流れている。そこに、数々のわんちゃんのグッズ。そして、友の笑顔。場所は、JR高円寺南口、パル商店街を下り、アーケードが途切れる寸前右側。ラオックスを通り過ぎたら20歩で右を見れば、お店。ちなみに、、お店を訪ねたら、「日々精進なり」を見ました!と言えば、、、店主の笑顔を満喫できる。近くに立ち寄ったら是非!!
2007年11月22日
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可愛らしいこのグッズ専門店は、高円寺の商店街の中にある。そして、その社長は、、私の小学生の時からの友人。長年続いた家業から思い切って経営を変えた。なんて店?どんな人?おいおいアップしましょう。
2007年11月21日
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私の家庭はちょっとだけ複雑。両親共に再婚。互いに連れ子もいる。でも、私は一人っ子だと思って生活していた。しかし、いつからか兄がいることを知った。両親はそのことについて深く話そうとしなかった。ただ、話さずに次々事実が出てくると、私が両親を信じられなくなった期間があった。泣きながら「全て教えて欲しい!」と懇願したこともあった。一部一部隠されると、信頼感を持てない。逆に全てを話されると信頼感を感じる。子どもも大人も同じかも知れない。知るという動作、話されるという動作は、気持ちの共有を生む。知らさないと、話さないという動作によって心は、蚊帳の外になる。でも、両親は信頼していなかった訳ではないだろう。心労をかけたくなかった。問題を処理するキャパオーバーと思った。話す必要がないと判断した。どれかだろう。「聞いてないよ!!」「聞かされてないよ!!」だから今でも敏感。
2007年11月14日
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何やら最近は振り返る余裕すらない日々。ブログの更新もすすまない。と、そんな日々の中でも先日、UDONという映画を見る機会があった。(楽天レンタルに入会してみて、宅配レンタルを体験したかったから、、やってみた!)内容は、、ユースケサンタマリアが主演父親のうどん製麺所の仕事に悪態をついて出て行く若い長男が、アメリカに渡ってコメディアンを夢見るが、夢やぶれて借金を抱えて実家の香川県に帰る。出版関連のアルバイトまがいの仕事から、うどんブームの火付け役となる。そこから、ようやくうどんの良さに気がつき父親に心境の変化を伝えようとしたら、父親他界。父の思いと自分の愚かさに気がつき、うどん製麺所を、、、という話し。何故だか、私はその映画を見ながら号泣。しゃくりあげて、涙があふれ出し声をあげて泣いた。あまりに泣いたので、トイレに入って嗚咽。実は昔々、、、同じような出来事が私にもあったから。自分の将来に関して話しをした際に、いつものように口論になり、つい父に床屋の仕事について小馬鹿にしたような口をきいた。「1時間も立ち仕事をして、3000円4000円で頭さげるような仕事、馬鹿馬鹿しくって、、」親父は激怒して私を殴りつけた。「お前はその仕事でここまで育てられたんじゃないのか!!」もうその台詞でノックアウトだった。既に頭の中はグルグル回り、自分の愚かさと父親の意地は充分理解していた。追い打ちをかけるように、「修業から店を持つまで、お前みたいな若造の世間知らずに、とやかく言われる筋合いはない!!」「一生懸命働いてお客様からお金をもらう。これがお前に、、」話しの後半は憶えていない。それから、何回も謝ろうとした。いつか、何かの機会に心から謝罪をしたかった。しかし、そのうち父親は病弱になり入退院を繰り返した。病床に横たわり、人工呼吸器に生かされているような状態になると、その時の記憶が鮮明に頭に浮かんだ。「回復したら、絶対に謝ろう」思うのだが、実際に回復するとお互い悪態をつきながらの喧嘩話になってしまっていた。最期の時もそう思った。「絶対に、絶対に。今度こそ、親父と話せる日が来たら謝ろう」心に誓っていた。しかし、亡くなった。今でも時々そのことを思い出していた。そして、自分の愚かさに涙があふれ出ることもある。だから、この映画を見て、全てが重なって涙が止まらなくなった。愚かな自分ができるのは、そんな経験から両親を敬うことを生徒に教えること。仕事の素晴らしさと、判断の基準を教えること。そして、愚かだと気がついたら正すことを説くこと。振り返ることも必要だけど、後ろ向きでは前に進むのは困難。振り返るというのは文字通り、前を向いているからこそ振り返るということ。後ろばっかり見ていると、前がみえなくて躓くのだろう。人生難しいです。床屋も教師も難しい。ですよね。お父さん。UDON スタンダード・エディション/ユースケ・サンタマリア[DVD]
2007年11月07日
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昔の記憶をたどると、かなり自分なりに脚色されたストーリーが頭の中に展開するものだという。ただ、記憶が鮮明に残っている情景などの場合には間違いないのだろう。あやふやなのは、その時の自分の気持ち。日記って大事だな。と痛感。過去の記録を読み返すと、その時の自分に出会えたりする。だからって訳じゃないけど、ブログもそのたぐいかな。昔の記憶は輝かしく思うもの。でも、当時の苦悩も何だか納得できる。
2007年10月30日
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大学生の頃、北海道に合宿に行った。音更という地は広大な大地と人情の町だった。お寺の本堂に隣接した仮設のような宿舎に宿泊し、境内脇の敷地でBBQをやった。大学生だからビールも飲んだ。それも大量に。町を挙げての歓迎ぶりに、少々戸惑いながらそこで一ヶ月近くを過ごした。一ヶ月あれば、町並みを知り、遊び場を知り、人々を知るのは容易だ。練習の記憶もあるが、それ以外の記憶も多くある。そんな中で、その当時中学生の女子生徒が一緒にお話をしたいとマネージャーに頼み込んだ。私は、女子中学生とどんな話しをしたらよいか、、散々悩んだ挙げ句にマネージャーに断るように言った。ところが、逆に中学生の夢を壊すのかと説教をくらい、説得された。実際に話してみると、話しは楽しく進んだ。純粋な中学生が無邪気な笑顔で勇気づけてくれた。東京に戻って、文通が始まった。数ヶ月おきの文通はしばらく続き、私も教師を目指すようになっていたので、一生懸命返事を書いた。しばらくたって、私は結婚。すると、手紙が来て一緒にディズニーランドに行って欲しいとの内容だった。当時の女房は、女子高生のたっての願いなのだから夢を壊さぬようにと念を押されて、不思議な二人組はディズニーランドを楽しんだ。無邪気に笑うその顔は、やはり勇気をくれた。あれから、、、10年以上経過。つい先日。このブログに投稿があった。懐かしいその子だった。女子中学生から女子高生、女子大生でもなく、大人の女性になったのだろう。でも、記憶していてくれたことが嬉しかった。当時の私は、非常に厳しい現実の中にいたし、その当時のいい思い出が少ないこともある。その当時を思い出すのもはばかる中で、唯一と言っていいほど美しい記憶だったから。時代が変わり、手紙ではなく数通のメールをやりとりした。なんと、彼女は結婚して子どもがいるという。それも、、旦那様はトップリーグの選手。今は静岡に暮らしているという。トップリーグの選手の妻か、、、こんなに時間が経過したのに、私に再び勇気をくれた。遅ればせながら、、やっちゃん!おめでとう!お幸せに!!
2007年10月08日
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小学生の頃、中学受験のために塾に通っていた。四谷大塚、東大院生塾、公文式、、、模試にも行った。東京標準テストの会場は決まって大学のキャンパスだった。年末正月はハチマキを巻いて、日能研の特訓講座。それが全てじゃなかったけど、、、大変だった思い出もある。でも、あれがあるから今があるんだよね。その後は受験勉強は一切していない。大学受験かぁ、、受験というハードルを乗り越えるその努力は大切。それに替わるものでもいいけどね。★Z会の通信教育★
2006年11月15日
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この時期は、地元の阿波踊り。阿波踊りは徳島の名物だが、東京でも阿波踊りをやる。高円寺の阿波踊り。子どもの頃はさほど有名ではなかったが、最近は凄い。自宅から実家までの数十メートルに数分の移動時間を要する。そういえば、昔はよく父親に手を引かれて見たな。道路沿いにゴザをひいて、、夏休み中の友達に会ったりして。親父はビール片手に上機嫌。祭りが終わると、飲み屋に直行の親父に連れられて、、何故だかスナックで夕食。懐かしいな、、今年は、、疲れ切ってマンションから音だけ。
2006年08月27日
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額に汗して、、膝に擦り傷。キラキラした目をして、、無邪気に遊ぶ。その気持ち、残っている。どんなに難しい顔したって、眉間にしわ寄せて難しい話をしたって、親だったり、社長だったり、自分の立場を誇示して、善悪も右も左も解らない子どもを前に、理論武装して論破を目指したって、大人だって昔はみんな子どもだったんだ。先生も同じ。親も同じ。だから、肩の力を抜いて生徒の気持ちになってみる。子どもの気持ちになってみる。心の中に、、いるでしょう。少年少女の君がね。だから、、ガミガミだけでは子どもを導けないんだよ、、、
2006年06月16日
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出版した本でカットされた原稿。小学生の頃に出会った少女のお話。 小学校4年生。4年1組。同じクラスに東原千鶴ちゃんがいた。女の子だけど、目がギョロリとしていているも虚ろ。髪はおかっぱで、常に少し乱れていた。顔色は浅黒く、口は半開き。鼻からはいつも青いハナが垂れていた。友達が遊びに誘ってもいつも一人で校庭の隅っこでしゃがんだり、ボーっと立ちつくして空を眺める。話しかけても、人を下から覗き込んで反応しない。いつしか誰も近づかなくなった。そして、近づかないどころか「ヒガシハラ菌!バイ菌!ヒガシハラ菌!」と言って馬鹿にされる。それでも彼女は反応しない。反応しないと「つまんねーな!」といって一人が泥を投げつける。泥が服に命中しても反応がない。子どもとは残酷なもので、一人の行動につられてみんなが泥を手にして彼女に投げつける。そのうち彼女は泥だらけ。顔に深泥が命中する。さすがに、投げた方向をギョロリと睨む彼女。「ゲ!!睨んでるぞ!呪われる~!逃げろ~!」と全員一目散に退散する。彼女は表情をなおして、みんなの逆方向にトボトボ歩き出す。授業中、先生は彼女には当てない。皆、不公平だといって授業後にヒソヒソと教室の隅っこにいる彼女をにらんで話していた。机の上には教科書は置かれているが、ノートには鼻水が垂れていた。学校から離れても、地域の公立小学校だっただけに町中で彼女を見かける。友達と遊んでいても彼女を見つけると合い言葉のように「ヒガシハラ菌!!」と罵る。興味深く観察はしていたが、私もそれまでは罵る側だった。 そのころ私は、LL英会話教室に通っていた。いや、通わされていた。地域の中央にある桃園川公園のわきに教室はあった。この桃園川は父親の世代には、鯉釣りや水泳、水遊びの場だったらしい。しかし、私の世代ではアスファルトの下に川が流れているんだという認識しかない遊歩道になっていた。通わされていたのが何故だかわからなかったが、とりあえず毎週教室には行った。時間10分前に到着すると、前の授業の終了を待つ。西日が差し込む長い廊下に、小学生たちが一列になって立ったままテキストを見ている。しかし、「通わされている」私にとってテキストを読もうとする気力すらわかない。いつも、窓から外に見える桃園川公園遊歩道の砂場と滑り台を見ていた。前のクラスが終わると、教室になだれ込む。目の前にあるマイク付きのヘッドフォンを装着。この瞬間だけは好きだったような気がする。空のカセットテープを目の前のデッキにセット。テキストテープをもらってその反対側のデッキへセット。レッスンの始まりだ。約1時間のレッスンが終わると、帰宅前のお決まりがある。それはジュースを飲むこと。最後に教室を出て建物の入り口にあるチェリオの自動販売機を目指す。当時の自動販売機は、瓶の横置き式。お金を入れると1本だけ引き抜けるようになっている。上の方から、オレンジ、メロン、ソーダ、、、6種類ほど縦に並んで瓶の首だけ出している。そこで、鞄から栓抜きとストローを出す。お金は持っていないので、好きなジュースを選んで栓を抜いて、すかさず口を当てる。ストローは最後の一滴まで飲めるようにとの工夫である。今思えば、立派な犯罪行為的な悪戯だが飲み物を無駄にしていないあたり救いようがある。業者に申し訳なく、必ず1本で我慢して帰宅する。楽しみはそれくらいで、後はつまらなかった。妙にアメリカンナイズされたクリスマスパーティーだけは少し楽しかったような気もする。 ある日私は、いつものように前の教室が終わるのを待っていた。夕暮れ。西日が差してまぶしい季節だった。まわりの優等生はテキストを読んでいる。いつもの光景だ。だから私もいつものように、桃園川公園の砂場を見た。すると、彼女がいたのだ。そう、東原千鶴である。砂場の縁にジッとしゃがみ込んで何かを見つめているのだ。少しも動かないが、その瞳は何かを見つめていた。しばらく見ていたが、一向に動く気配がない。やがて、前の教室が終わり入れ替えの時となる。でも、気になる。何を見ているのか。一度は教室に入りかけるが方向転換。教室を出て、脱兎のごとく廊下を走って建物の外へ。何故か、急がないと彼女が居なくなるんじゃないかとドキドキした。砂場には彼女が居た。まだ、砂の上をジッと見ている。砂の上には、アリがいた。行列を組んで何かを運ぶアリがいた。そばに一緒にしゃがんでアリを見た。「東原さん。アリ、好きなの?」罵声ではない真剣な言葉を掛けたのは初めてである。「う、ん。ア、、リ、、す、、、き。」東原さんは私の見て辿々しく話した。それも、口元が笑っていた。心の奥が暖かくなり、その笑顔に引き込まれた。「そう。アリが好きなんだ!東原さん話せるんじゃない!みんなの前でもそうやって話せばいいのに!笑うとかわいいじゃん!そうだ、「東原さん」なんていうからダメなんだよ。千鶴だから、、、そうだ、チヅちゃんってどう?うん、いいよチヅちゃんだ。」一方的に話しを続けた。東原さんはジッと私の方を向いていたが反応はなかった。ただ、一言返してくれて笑顔を見せてくれたことによって、私が舞い上がっていたのだろうかその後も話し続けた。しばらくすると、「さ、よ、なら、、」と言って東原さんはトボトボ去って行った。英語教室はさぼってしまったけれど、英語を習うよりドキドキして家に帰った。「誰とも話さない彼女が話してくれた。きっとどこか自分たちとは違うのだろうけれど、彼女が笑ってくれた!!」そう思っていた。「僕たちとどこか違う」は、誰しも思っていたことだ。 翌日、彼女は学校を休んだ。その翌日も。そして翌日も。数日後、担任の先生から転校の話を聞いた。その時、我に返った。自分もそれまでは、馬鹿にしてみんなの流れにのって虐めていただけ。たまたま、話ができただけなのに英雄気取りで、いい気になって。彼女にとっての味方はいたのだろうか。彼女は何故それまで休まずに学校に来ていたのだろうか。色々な思いが頭を駆けめぐった。それまで、気がつきつつはあったけど目をそらしてきたこと。思わないようにしていたこと。彼女の髪の毛がいつも少しだけ乱れていたのは何故?そう。家を出る時にはお母さんがきれいにしてくれていたのだろう。でも、学校に着く頃には無造作に頭を掻いて、その部分だけ乱れるんだ。彼女の泥だらけの服は帰ったらどうなるのだろう?お母さんが、学校で彼女が受けた仕打ちを想像しながら、洗濯するのだろう。彼女はなんで校庭の隅っこにいたのだろう?アリが好きな彼女は、校庭の隅っこで頑張るアリの応援をしていたのだろう。そして、、彼女は何故転校したのだろう?それは、、、、、幼いながらも何となくわかっていた。自分がやってしまったことの罪悪感。そして、最後に話しかけた時の笑顔。頭の中に響いた。 「せっかく友達になれたのに、、、ごめんね。辛かったんだろうね。」 現在、知的障害の生徒が1/3通う本校に勤めて、新たに思うことがある。保護者の方の苦労。公立小学校や世間での理解。チヅちゃんの気持ち。そして、お母さんの気持ち。 で、頑張ろうと思う。
2006年06月16日
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他のものと一緒に洗濯機を回してしまったことが災いして、、なんと、そのズックが、、黄ばんでしまった!!部屋長の新品の、しかも、レアものの、、まだ履いていない靴を黄色く変色、、、頭の中がパニック状態。漂白剤を直接かけて擦るも、、逆効果、、表面がザラザラになっていく。そこに布川さんが登場、、「おい!カズ!!明日には乾くよな!?」「ハッハイー!!」オクターブ高い返事になる。意を決して、、渋谷に直行。散々歩いて、同じ靴を発見!!今度は手洗いで難を逃れた。手渡すときには汗だく。バンズの靴を見るたびに今も思い出す。思い起こしただけで、もう6回も記事を書いてしまった。正直、大学時代はラグビーそのものに背を向けて生きてきた。仲間も裏切った。遊んでばかりいて、廃人のような生活も送った。でも、、これだけ記憶が鮮明に思い出せるのは、この時期のことばかり。それだけ、必死だったのかも。
2006年06月11日
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その1~その4は、6/4からの日記にあります。すると、、布川さんは、、「トイレに半分飲ませておいてよぉ、、そりゃぁねーだろう!!おい!!」と最後まで守ってくれた。次の瞬間、目があうと「おい、カズ。こっちで一緒に飲もうぜ!」と言ってくれたことを鮮明に覚えている。その寮は建て替えのために、数ヶ月しか住んでいなかったが多くの思い出が詰まっている。布川さんの誕生日には、小遣いを貯めて買った酒、ヘネシーを部屋のテレビの上に置いてメッセージを付けておいた。掃除も一生懸命したし、洗濯も洗剤だけの洗いだけでなく、柔軟剤の種類にも凝った。一生懸命やっても失敗もあった。ある時、布川さんがバンズの白シューズを買ってきた。私も当時はブランドものや流行ものに詳しかったので、その品が良いものだとすぐにわかった。「いゃぁ!!これは良い靴ですね!!」「おぉ、そうかカズ!わかるか!!」「わかりますよ!!どこに売ってたんですか!?」「渋谷を探してたら見つけたんだよ!でよぉ、、水洗いしておいてくれよ!」頼まれたとおりに、水通しをした。買いたてのシャツやズックなどは、油のコートが付着しているので一度水通しをするのが布川さんも私も共通意見だった。しかし、、、
2006年06月10日
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久しぶりの散歩。地元の裏路地をブラブラ歩く。高円寺の裏路地。青梅街道からJR高円寺駅までの商店街の一本裏側。商店街の喧噪とはかけ離れた静けさ。古い民家も建ち並び、中には豪邸も凛と構えている。あの家の塀伝いに探検したっけなぁ、、、なんて思いつつ、、ふと空を見上げると、子どもの頃を思い出す。夕暮れ時に、帰宅時間を気にしながらそれでも遊んでいた。日が暮れて、暗くなる前に帰るのは我が家の鉄則。でも、、これ位の明るさの判断が難しかった。親父の機嫌が悪いと、これくらいの暗さでもゲンコツが飛んできたっけ、、、瞬間的に、、短時間のタイムスリップ。懐かしい。
2006年06月08日
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ある日、練習後の楽しみである合コンに出かけると、、、個性の強い3年生の先輩につかまった私。「おいカズ!これ飲んでみろよ!」渋谷で飲んでいるのに、ジャージに健康サンダル姿の先輩は、笑みを浮かべて、、、ビールのピッチャーにビール半分、焼酎、日本酒、ウイスキー、、、スーパーチャンポンの一気飲みを命令された。幸い、お酒の量を消化するには自信があった私。「頂きます!!」と一気に飲み干した。すると、悪のりした先輩は、、、同じピッチャーに、ビール、日本酒、焼酎、ウイスキー、、唐辛子、わさび、からしのおびただしい量の山盛りを溶いて差し出した。「次、これ飲んでみろよ!!」たじろぐ私、、しかしここは断れない。ピッチャーを受け取ろうとした私。するとその背後から声がした。「おいおい!後輩に何か飲まそうとするならよぉ、、まずは、、てめーが半分でも飲んでから飲ませろよ!!」後方で飲んでいた布川さんだった。「おい!カズ!!まずは飲んでもらえ!!」言われた3年生の先輩はそれを断れるはずもなく、、半分を飲んだ段階でトイレに駆け込んだ。血相をかかえてトイレから戻った先輩は、、「半分飲んだから、飲めよ!!カズ!!」と、、私に詰め寄った。
2006年06月07日
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畳を拭いて、、トイレの掃除。「舐められるように、、」というが、本当に舐めさせられたのには驚いた。でも、本当に舐められるまで便器を擦った。その他、深夜の買い物。ビーフボール、、、牛丼だ。これを深夜に買いに行く。合図は、、「おーい!」の一言。私の部屋は、二段ベッドがあってその上が私の居所。下のベッドが布川さんの居城。偶然だが、私の部屋は少人数だった。「おーい」の言葉に数秒で反応しなければいけない。「ハイ!!」と返事をすると、下のベッドから布川さんが顔を出す。「おお、カズ(私はこう呼ばれていた)ビーフボールを買ってきてくれ!大盛りでな!」お金をもらって、当然ダッシュで買いに行こうとすると、、「カズは喰わねーのか!?」「い、いえ、、自分は結構です!!」「馬鹿野郎!!先輩から勧められたら、『ありがとうございます!』だろう!」布川さんはキッチリした方で、多くを教えてくれて腹が減った私を気遣ってくれた。だから、私も布川さんに奉仕をしている意識があった。
2006年06月06日
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当時の日本大学ラグビー部合宿所は、独立した一棟の建物。部屋が小刻みに間仕切られ、その部屋部屋に、部屋長と部屋っ子がいた。部屋長は言わずと知れた、、天皇・神様の階級に値する4年生。部屋っ子は、最下級の1年生。その間の2年生は下級生。3年生は上級生。ここに、大きな境界線がある。要するに、1、2年生が下級生。3、4年生が上級生となるのだ。1年生は3、4年生の上級生とはまともに会話をしてはならなかった。全ては2年生を通しての会話。それ以外は、「はい」か「いいえ」という掟になっていた。※これは原則であり、例外の選手も多くいた。そして、今はきっと違うだろうな。私の部屋は、部屋長の布川さんと私の2人だったように記憶している。他の部屋でも、それぞれ固有の掟があって、かなり苦労している同級生が多くいた。私の部屋は、内掃が厳しかった。内掃とは、内側の掃除。ようするに、、部屋の掃除だ。畳の拭き方で、注意を頂いた。畳の目に沿って、固く搾った雑巾で拭くのだが、、、
2006年06月05日
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大学生の頃のお話。私は、高校時代の実績から半特待生として大学に入学した。当初は大学に行く気もしていなかった。大学からのお誘いで天狗の鼻をした高校生ラガーマンが、日本で一番学生数の多い大学に入学。中学校、高等学校とレギュラーとして生意気三昧であまり下積みを知らない私が大学の体育会の寮で上下関係に苦しんだ。その時に大変お世話になったのが、布川先輩だった。
2006年06月04日
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ランキング急上昇!!教育部門のランクは今何位??目標9位達成!皆さんのご協力によって仲間の輪が広がります。クリックをしてご協力お願いします!!三鷹の大沢グランドで生徒の試合の引率。グランドわきのテントでくつろいでいたら、目の前で行われている試合がいつのまにやら社会人の試合になっていた。損保ジャパンvs本田技研どうやら、社会人チームのスケジュールミスで、ダブルブッキングになってしまったらしい。まぁ、、いい見学の機会だと見ていたら、、目の前を大声を上げて歩くリザーブの選手が気になった。聞いたことのある声、、、見たことのある風貌、、、身長は180cmオーバー。肩幅が広く、ダンディー。昔懐かしい、大学の先輩だった!?「根本さん!!」と声をかけるとすぐに気がついてくれた。その先輩は、私がラグビーに背を向けている時に頻繁に声をかけてくれた先輩だ。ポジションも同じだったので、話す機会も多かった。弟が私と同級だったので、、更に、、嬉しいものだ。あれから、、15年くらいの月日が経っても、憶えていてくれた。それも、言うことを聞かない生意気な、人生を投げていた、、、最悪の後輩だったのに。長谷工に就職していた先輩が、現在は損保ジャパン。聞けば、当時の同級生はほぼ全員転職しているらしい。スキルアップの転職なのか、それとも、社会人ラグビー衰退の煽りなのか、、、それは各々だろうが、転職をきっかけに連絡すらとらなくなったらしい。先輩との出会いは、懐かしい記憶を蘇らせてくれた。今日は、思い出をつまみに、、、一杯飲もう!!
2005年12月11日
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ランキング急上昇!!スポーツ部門では、悲願の第1位!!感謝・感激です!!教育部門は目標9位達成!皆さんのご協力によって仲間の輪が広がります。ご協力お願いします!!キリスト教徒じゃないよ。でも、いいじゃん!楽しげだよね。クリスマス。ベルの音が心を躍らす。多くの思いでも、、、父親が隠しておいた野球版、、押入から出てきちゃったっけ、、、クリスマスに父親が飲み過ぎて、険悪なクリスマスも。何故だか、クリスマスパーティーは、、寿司、フライドチキン、ケーキ、、、なんという食い合わせ、、でも、楽しいんだよな。大人に近づいて、、涙のクリスマスもあったっけ、、ともあれ、、今は、、聖夜を楽しむ年になった。しんみり、クリスマスを感じよう。
2005年12月03日
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ランキング急上昇!!スポーツ部門では7位上昇!教育部門は目標17位達成!さて、今は何位にランクアップしているでしょうか?一緒に見守ってください!久しぶりに実家へ。小鉄は、床屋のマイチェアーで立ちつくしていた。イスの上に立って、斜め下を見ている。動かない。呼び掛けても反応がない。最近は、大声で呼んでもなかなか反応しないそうだ。鳴くのも、声にならないようで、、方を震わせながら息を吐く程度。骨ばってゴツゴツした体は痛々しささえ感じる。それでも顔を近づけると、ジーッと私の顔を見ている。母親が、「年越せるかな、、、」とつぶやく。その言葉が聞こえたかのように、目に力を入れてこちらを覗き込む小鉄。その横では、妹分の花子が水を飲んでいる。話によれば、大の甘えん坊の花子は、小鉄の具合が悪くなってからはとてもお姉さんになったそうだ。餌の好き嫌いもしなくなって、寂しくても一人でジッとしている。仕事の後に母親に甘えるのも時間が限られているそうだ。花子の背中をなでると、小鉄と違って肉付きがよくなっている。元々は病弱だったのに最近はモリモリ食べているらしい。階段を、一段ずつ休憩を入れながらも一人で上り下りする小鉄。母親いわく、、「これで一人で行動できなくなったら食欲が落ちる。そしたら、すぐ死んじゃうからね。」「出来ることはドンドンやらせないと!生きている証が無くなっちゃうよ。」さすが、、肝っ玉母ちゃんである。小鉄を見ていると泣けてくる。
2005年11月26日
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結婚していた頃、、子どもが欲しくて、、元女房は産婦人科、レディースクリニックへ度々通っていた。検査、ホルモン注射、、体外受精。繰り返しながら、、他人の子どもを一生懸命育てた。イライラと理不尽と体力の消耗、お金の消耗。いつの間にか、疲れてしまった。最近、兄の家に二人目の子どもが。羨ましく思い、嬉しく思い、、自分の過去を思い出した。懐かしいな。 昔々のお話。ブログランキング にほんブログ村↑ブログ村でのランキングによって仲間の輪が広がります。また、皆様のワンクリックが投票となり、ランキングが上がります。そして、ランキングの向上は私の執筆意欲につながります!是非、ご協力下さい!!にほんブログ村 教育ブログ教育ブログには、同業者の方々のブログが一杯です。公教育の現場の方から、管理職の方まで、教育に関しての様々な話題が満載です。是非、クリックして下さい。ブログのランキングは仲間の輪を広げ、私の頑張りにも繋がります!!にほんブログ村 スポーツブログ不登校の子も、障害を持った子も、みんなスポーツをして苦しんだり楽しんだりする権利があります!クリックをしていただいて、そんなスポーツの輪を広げませんか?皆様のクリックがブログのランキングを上げ、認知度を高めます!!人気blogランキングへ人気blogランキングにも登録しています!皆様のワンクリックが様々な仲間の輪を広げます。障害者に対する認知の輪!教育を真剣に考える人達の輪に繋がるのです!人差し指のワンクリックが私の執筆意欲にも繋がります!よろしくお願いします。
2005年11月16日
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拾ってきた頃の君は、歩くことすら出来なかったね。目が目やにでつぶれていて、開くこともなかった。キー、キー、、、と鳴いていたね。数日後、少し元気になった君の目が綺麗なブルーで驚いた。液体の餌を食べ、、ダンボールの小屋から出ようと必死にジャンプをしていたね。犬の大五郎の腹をまさぐって、乳を探していたね。大五郎は嫌そうな顔をしながら逃げなかった。小鉄。聞こえるのかい?俺の声が聞こえる?最近は毛玉を吐く時に、後ろ足が立たなくて自分で踏ん張れないんだってな。この前は、踏ん張ったら脱糞してしまったそうだね、、、悔しかっただろうな。小鉄、、、懐かしいな。拾ってきた、あの頃、、、俺は中学生だった。今では30歳中盤のおっさんだよ。 今日は、小鉄が実家の玄関まで見送ってくれた。よろよろ歩きながらも、顔を見て見送ってくれた。ブログランキング にほんブログ村↑ブログ村でのランキングによって仲間の輪が広がります。また、皆様のワンクリックが投票となり、ランキングが上がります。そして、ランキングの向上は私の執筆意欲につながります!是非、ご協力下さい!!にほんブログ村 教育ブログ教育ブログには、同業者の方々のブログが一杯です。公教育の現場の方から、管理職の方まで、教育に関しての様々な話題が満載です。是非、クリックして下さい。ブログのランキングは仲間の輪を広げ、私の頑張りにも繋がります!!にほんブログ村 スポーツブログ不登校の子も、障害を持った子も、みんなスポーツをして苦しんだり楽しんだりする権利があります!クリックをしていただいて、そんなスポーツの輪を広げませんか?皆様のクリックがブログのランキングを上げ、認知度を高めます!!人気blogランキングへ人気blogランキングにも登録しています!皆様のワンクリックが様々な仲間の輪を広げます。障害者に対する認知の輪!教育を真剣に考える人達の輪に繋がるのです!人差し指のワンクリックが私の執筆意欲にも繋がります!よろしくお願いします。
2005年11月16日
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高校の時、よく授業をサボって行った先。保健室。そこには、梅バアがいる。梅バア。本名は、、、、確か梅原先生。年の頃は、、、当時で50歳くらいかな?ズングリムックリした、、ハンプティーダンプティーみたいな、、、白衣を着ると本当にゆで卵みたい。顔はやたら黒くてシワが多い、白髪交じりのおばさんパーマ。金縁の眼鏡がすこしインテリ。そして、、口が悪い。「なんだ!!○○!!また来たのか!!今度は何だ!?」「英語か?数学か?お前は嫌いな授業になると来るな、、」「ボサッと立っていないで、こっちに来てお茶でも飲め!!」決まって、その後は話を聞いてくれた。恋愛の話。部活の話。担任の悪口。友達の話。家庭の話。気がつけば、思っていたことを全部吐き出している。ある程度の時間が経つと、、「おい!そろそろ教室へ行け!!職員室の先生に言いつけるぞ!!」そうやって追い払う。そして、出がけに、、、「また来いよ!!」って。ある時には、授業から抜け出したことを知った担任が保健室に探しに来ると、ベットにかくまってくれた。そして、、「ここは私の部屋だから、勝手は許さないよ!!」と追い払った。さすがの体育教師の担任も梅バアには逆らえない。何たって、校長すら梅バアには頭が上がらないのだから。だから、、みんな梅バアが好きだった。大好きだった。梅バアは、我々が卒業してしばらく経って退職。10年くらい前に道でバッタリあったけど、、歳をとっていたなぁ。こんな私でも、、保健室がなかったら、、、今はない。梅バア、、まだ口が悪いのかな。この記事を評価するブログルポ投稿中の記事★ 授業料を返せなんて言えないよね!!★ 長距離電話で地方の障害児童事情を知った、、★ ラグビー部のアイドル、、Mくんの楽しみ!!★ 音と字があわなくなってしまって、、、 ブログランキング にほんブログ村↑ブログ村でのランキングによって仲間の輪が広がります。また、皆様のワンクリックが投票となり、ランキングが上がります。そして、ランキングの向上は私の執筆意欲につながります!是非、ご協力下さい!!にほんブログ村 教育ブログ教育ブログには、同業者の方々のブログが一杯です。公教育の現場の方から、管理職の方まで、教育に関しての様々な話題が満載です。是非、クリックして下さい。ブログのランキングは仲間の輪を広げ、私の頑張りにも繋がります!!にほんブログ村 スポーツブログ不登校の子も、障害を持った子も、みんなスポーツをして苦しんだり楽しんだりする権利があります!クリックをしていただいて、そんなスポーツの輪を広げませんか?皆様のクリックがブログのランキングを上げ、認知度を高めます!!人気blogランキングへ人気blogランキングにも登録しています!皆様のワンクリックが様々な仲間の輪を広げます。障害者に対する認知の輪!教育を真剣に考える人達の輪に繋がるのです!人差し指のワンクリックが私の執筆意欲にも繋がります!よろしくお願いします。
2005年11月15日
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ブログにも3回目だろうか、、この話。今回はちょっと端折って。奉職して1年目に、、障害を持った生徒の保護者に怒られた。出来ないことに対して、至れり尽くせりにしていた私に、、、「先生はこの子に一生ついていってくれるの?」「学校に入れたのは、出来ないことを出来るようにして欲しいからよ!」「私達は、いつかこの子から離れるのだから!」「私達がいなくなった後に、生きていけるように教えてちょうだい!」「厳しくても、後になればこの子の財産になるのだから!」もう、10年以上前のこれらの言葉が私の糧。最近は、、、健常児の保護者にもこの話をしている。だって、、、「何歳まで面倒を見るつもりなの!!お母さん!!」「出来ることを奪っているのは、親でしょう!!」って叫びたくなることが多いから。あ、実際に叫んでるな、、ブログランキング にほんブログ村↑ブログ村でのランキングによって仲間の輪が広がります。また、皆様のワンクリックが投票となり、ランキングが上がります。そして、ランキングの向上は私の執筆意欲につながります!是非、ご協力下さい!!にほんブログ村 教育ブログ教育ブログには、同業者の方々のブログが一杯です。公教育の現場の方から、管理職の方まで、教育に関しての様々な話題が満載です。是非、クリックして下さい。ブログのランキングは仲間の輪を広げ、私の頑張りにも繋がります!!にほんブログ村 スポーツブログ不登校の子も、障害を持った子も、みんなスポーツをして苦しんだり楽しんだりする権利があります!クリックをしていただいて、そんなスポーツの輪を広げませんか?皆様のクリックがブログのランキングを上げ、認知度を高めます!!人気blogランキングへ人気blogランキングにも登録しています!皆様のワンクリックが様々な仲間の輪を広げます。障害者に対する認知の輪!教育を真剣に考える人達の輪に繋がるのです!人差し指のワンクリックが私の執筆意欲にも繋がります!よろしくお願いします。
2005年11月14日
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親父はよく飲んだ。正確に言うと、、親父もよく飲んだ。(私も、、)夜ごと高円寺の飲み屋を回っていた。床屋の店が終わった途端に家を出て、いざ!お姉ちゃんのいる飲み屋さんへ!連日の飲み屋巡りに母親が怒り心頭。ある約束をしたらしい。「0時を過ぎて帰宅する場合には、罰金1万円」私が生まれる前の話なので、、今から40年ほど前。その当時からすると、罰金1万円は高額。ここで、すんなり約束を守ると話は終わるのだが、、義理と人情が服を着て歩く親父は、そう簡単には帰ってこない。ある日、、遅くなっても帰宅しない亭主を待って、カリカリしながら、待っていたところ、店のドアがバタバタと音をたて、、深夜1:00の真っ暗な床屋の客待ちに、うつぶせで倒れる男が一人。酒臭いその男は、1万円札を握りしめて倒れていたそうだ。そんな話を楽しそうに話す60過ぎの私の母。最近、親父の話をする時、、とても楽しそうなのだ。「そんで?1万円はどうしたのさ??」と私が聞くと。「当然もらったよ!だって約束だもん。契約違反をしたのはお父さんだからね。」と、嬉しそうに話す。「でも、、何だか可愛くてね、、、毛布は掛けてあげたんだよね、、、」微笑みながら下を向いて話す母。9歳年上の親父に「可愛い」か、、夫婦、、なんだな、、でも、約束に厳しく、明確な対処は家訓・家風である。ブログランキング にほんブログ村↑ブログ村でのランキングによって仲間の輪が広がります。また、皆様のワンクリックが投票となり、ランキングが上がります。そして、ランキングの向上は私の執筆意欲につながります!是非、ご協力下さい!!にほんブログ村 教育ブログ教育ブログには、同業者の方々のブログが一杯です。公教育の現場の方から、管理職の方まで、教育に関しての様々な話題が満載です。是非、クリックして下さい。ブログのランキングは仲間の輪を広げ、私の頑張りにも繋がります!!にほんブログ村 スポーツブログ不登校の子も、障害を持った子も、みんなスポーツをして苦しんだり楽しんだりする権利があります!クリックをしていただいて、そんなスポーツの輪を広げませんか?皆様のクリックがブログのランキングを上げ、認知度を高めます!!人気blogランキングへ人気blogランキングにも登録しています!皆様のワンクリックが様々な仲間の輪を広げます。障害者に対する認知の輪!教育を真剣に考える人達の輪に繋がるのです!人差し指のワンクリックが私の執筆意欲にも繋がります!よろしくお願いします。
2005年11月10日
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私の実家は、、床屋。祖父も床屋。だから、私は職人の家に生まれた。昔、、と言っても私が中学生の頃だったと思う。私「お父ちゃん。店の割引クーポン券をチラシにしてさ、、町内に配ったら?」父「なんでだ。」私「だって、結構暇じゃないか、うちの店。」父「、、、」私「100円とか500円とかの割引券をつけたチラシを印刷して、そうしたら俺が町内に配って回るからさ、、どうよ!!」父「ばかやろう!!そんなことしたら、、、忙しくなっちまうじゃないか!!」私は、唖然として、、その後、裕福ではない生活からは一生抜け出せないと観念した。今になって思うと、職人だったのだろう。行列ができるような店になれば、量産体制で数をこなさなければいけない。そうなれば、、当然仕事が雑になる。雑になるのは不本意だ。職人たるもの適度な速度で納得のいくような仕事をしたい。うん。教職人も同じだ。大多数の生徒を一手に導くのも大切だが、、やはり、、難しい子どもたちは手作り。クオリティーが落ちるような教育はあってはならない。でも、、、親父は本当は、、早く店を閉めて飲みに行きたかったような気もするが、、ブログランキング にほんブログ村↑ブログ村でのランキングによって仲間の輪が広がります。また、皆様のワンクリックが投票となり、ランキングが上がります。そして、ランキングの向上は私の執筆意欲につながります!是非、ご協力下さい!!にほんブログ村 教育ブログ教育ブログには、同業者の方々のブログが一杯です。公教育の現場の方から、管理職の方まで、教育に関しての様々な話題が満載です。是非、クリックして下さい。ブログのランキングは仲間の輪を広げ、私の頑張りにも繋がります!!にほんブログ村 スポーツブログ不登校の子も、障害を持った子も、みんなスポーツをして苦しんだり楽しんだりする権利があります!クリックをしていただいて、そんなスポーツの輪を広げませんか?皆様のクリックがブログのランキングを上げ、認知度を高めます!!人気blogランキングへ人気blogランキングにも登録しています!皆様のワンクリックが様々な仲間の輪を広げます。障害者に対する認知の輪!教育を真剣に考える人達の輪に繋がるのです!人差し指のワンクリックが私の執筆意欲にも繋がります!よろしくお願いします。
2005年11月09日
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「今年一年間も生きていられた、、」一年が終わる時や誕生日に感じること。今回は、芸能人の白血病死のニュースを見てそう感じた。別に消極的な考えではない。ただ、今までに幾度となく死にそうな目に遭ってきたからそう思う。そして、父親の口癖だった。「男は必ず毎日パンツを履き替えろ」おかしな言葉だが、その理由は、男は命がけで生きていると、いつ死ぬか分からない。敵もいれば、闘わなければいけないときもある。死んだときに、パンツが汚れていたら恥ずかしい。子どもの頃にそう説明されても、理解できなかったが今考えてみて解釈すれば、そうやって毎日を残り僅かなものだと考えれば、必死に努力できる。そういう意味にも受け取れる。だから、毎日を必死に生きて、問題を次の日に後回ししない。だから、、「今年一年間も生きていられた、、」さぁ、、必死に生きよう。ブログランキング にほんブログ村↑ブログ村でのランキングによって仲間の輪が広がります。また、皆様のワンクリックが投票となり、ランキングが上がります。そして、ランキングの向上は私の執筆意欲につながります!是非、ご協力下さい!!にほんブログ村 教育ブログ教育ブログには、同業者の方々のブログが一杯です。公教育の現場の方から、管理職の方まで、教育に関しての様々な話題が満載です。是非、クリックして下さい。ブログのランキングは仲間の輪を広げ、私の頑張りにも繋がります!!にほんブログ村 スポーツブログ不登校の子も、障害を持った子も、みんなスポーツをして苦しんだり楽しんだりする権利があります!クリックをしていただいて、そんなスポーツの輪を広げませんか?皆様のクリックがブログのランキングを上げ、認知度を高めます!!人気blogランキングへ人気blogランキングにも登録しています!皆様のワンクリックが様々な仲間の輪を広げます。障害者に対する認知の輪!教育を真剣に考える人達の輪に繋がるのです!人差し指のワンクリックが私の執筆意欲にも繋がります!よろしくお願いします。
2005年11月07日
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息が白くなる。風が固く感じるほど冷たくなる。湯船の暖かさがジワジワと伝わる。自動販売機に赤いHOTの表示が増えてくる。枯れ葉を踏みしめると、寂しい音がする。車に乗ろうとすると、窓ガラスが白い。毛糸の手袋と帽子をした子どもが可愛い。朝、布団を抜け出すのが、、、辛い!冬の到来。冬は、、、帰宅後、手を洗って、、うがい。すぐさまコタツに潜り込む。先ずは、温かいお茶が出てきて、、、湯呑みを触って、コタツに手を入れて、、手を温める。テレビを少し見たら、風呂が沸く。寒い脱衣所を瞬時にクリアしたら、かけ湯をして、、すぐ湯船in!ジワジワと体が暖まる。思わず鼻歌が、、指の皮がふやけたら、もう出るサイン。体と頭を洗って、、、鼻歌交じりで体を拭く。さっきまでの寒さが嘘のよう。体からは湯気が出る。まるで茹でた肉のよう。風呂から出ると、コタツの上には冷えたビール。コップと缶がおいてある。冷え冷えのビールを、タオルを巻いたまま飲み干す!グビッ、、グビッ、、!!「プハァー!!!」これで、疲れの80%解消!!そして、またコタツに入る。頭を拭きながら、出てくるつまみに箸を向けて、、、チビリチビリと食べながら、、グビリグビリとビールを飲む。程よい加減で、焼酎に切り替えて、、コタツの上には夕食が並ぶ。酒もすすみ、食事も終了。気分は上機嫌。コタツのスイッチは切ってある。テレビを見ながら、うつらうつら、、、、睡魔が襲ってきたら、、、これは、疲れがとれた証拠。布団で寝るように、再三促されて、、、最後は何故か逆切れて、渋々と布団に向かう。布団乾燥機が終わったばかりのフカフカ布団にもぐり込んで、、就寝。翌朝の目覚めの良いこと!!懐かしいな。こんなこと。また、、あの冬はやってくる、、、ブログランキング にほんブログ村↑ブログ村でのランキングによって仲間の輪が広がります。また、皆様のワンクリックが投票となり、ランキングが上がります。そして、ランキングの向上は私の執筆意欲につながります!是非、ご協力下さい!!にほんブログ村 教育ブログ教育ブログには、同業者の方々のブログが一杯です。公教育の現場の方から、管理職の方まで、教育に関しての様々な話題が満載です。是非、クリックして下さい。ブログのランキングは仲間の輪を広げ、私の頑張りにも繋がります!!にほんブログ村 スポーツブログ不登校の子も、障害を持った子も、みんなスポーツをして苦しんだり楽しんだりする権利があります!クリックをしていただいて、そんなスポーツの輪を広げませんか?皆様のクリックがブログのランキングを上げ、認知度を高めます!!人気blogランキングへ人気blogランキングにも登録しています!皆様のワンクリックが様々な仲間の輪を広げます。障害者に対する認知の輪!教育を真剣に考える人達の輪に繋がるのです!人差し指のワンクリックが私の執筆意欲にも繋がります!よろしくお願いします。
2005年11月07日
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昔々のお話。高円寺の商店街そばで育った私達の遊びの一つ。「探検隊」”あるある”はつきませんよ。この遊びは至って簡単。他人の家と家の間の塀をよじ登って、塀づたいにひたすら探検。知らない人の庭先を横切って、ベランダ下の隙間をほふく前進。時には見つかって、必死で逃走。結局、地元で顔も見られているので、家に帰ると鬼より恐いオヤジからゲンコツの嵐。だから故に、必死に探検隊。時には、家の窓から男女が絡み合う姿を横目に、、、時には、縁側で空を見つめる老人のわきをすり抜けて、、、時には、、、楽しかったな、、あの頃。ルールは自分達で決めてたっけ。今では、出来ないな。家宅不法侵入。人気blogランキングへ↑人気ブログランキング。ワンクリックお願いします!!↑ご覧の方の、人差し指が更に輪を広げます!!是非、面倒がらずにご協力を!!↑ブログ村大盛況!!登録ブログは1万件超!!でも、、分母が増えた分だけランクダウン。皆様の人差し指で輪を広げましょう。それぞれワンクリックお願いします!
2005年10月23日
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厳しかった父。帰宅の約束時間に1秒でも遅れると、家庭に激震が走った。だから、、少しでも遅れたら、玄関先でその場駆け足!!イチニ!イチニ!!!!!!!汗が出てきたら頃合い。「ただいまぁー!!」って元気に帰宅。間髪入れずに「遅くなって済みません!!」と完全謝罪。1分の遅れでも、これ。それでも、ゲンコツがゴーン!!懐かしいな。感謝だな。時間を守ること。完全謝罪をすること。学ばせてもらった。小細工もおぼえちゃったけど、、、人気blogランキングへ↑人気ブログランキング。ワンクリックお願いします!!↑ご覧の方の、人差し指が更に輪を広げます!!是非、面倒がらずにご協力を!!↑ブログ村大盛況!!登録ブログは1万件超!!でも、、分母が増えた分だけランクダウン。皆様の人差し指で輪を広げましょう。それぞれワンクリックお願いします!
2005年10月19日
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私が小さな頃の話。小遣いはあまり貰わなかった。駄菓子屋に行きたいといったら、古新聞の山を指さし、「シキリ場へ行け」とつぶやいた父親。自転車の荷台に古新聞を山のように積み上げ、ひもでしばる。大量のため、小学生の私はバランスをとることで必死だったことを覚えている。シキリ場と言われる、古紙回収場所に行くと、理科の実験で見たハカリの化け物みたいに大きな台に、古新聞を置く。シワだらけのおじいさんが難しそうな顔をしながら、、、「200円だな、、」と言って、100円玉を二つ私に手渡す。それを持って駄菓子屋に行った。その他にも、ビールビンやコーラのビン(その当時はペットボトルがなくてビンでした)を持って、酒屋に行けば、買い取ってくれる。そうやって、小遣いを稼いだ。だから、無駄に遣いたくなかった。そうだな、これが金銭感覚の学習。生きた学習だったんだ。そうそう、、居酒屋の裏口に積んであるビールビンを酒屋に持っていった時はかなり怒られたっけ。人気blogランキングへ↑人気ブログランキング。ワンクリックお願いします!!↑ご覧の方の、人差し指が更に輪を広げます!!是非、面倒がらずにご協力を!!↑ブログ村大盛況!!登録ブログは1万件超!!でも、、分母が増えた分だけランクダウン。皆様の人差し指で輪を広げましょう。それぞれワンクリックお願いします!
2005年10月19日
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私は、、奉職当初、、スキー教室で枕投げを率先してやりはじめ、、、あまりに白熱!ヒートアップ!!部屋の死角で生徒を相手に奮闘していたら、、当時の学年主任が入ってきて、、、生徒は全員正座。私は死角の押入前で、指を一本立てて「シーッ!!」のポーズを決め込んで、難を逃れました。ムフフ、、若かった!!あの頃!!でも、楽しかった。って、、自分が主任になってもう10年近く、、あれ!今も変わらない行動?!、、成長を感じません。練習中に水鉄砲を乱射!マネージャーに怒られて、平謝り。グランドわきでバーベキュー、、ひたすら食べ過ぎて後悔しきり、、緊迫した練習中に、マネと談笑!部員からは冷ややかな視線。変わっていないどころか、悪質に、、、失礼しました。↑情報発信のため、ワンクリックのご協力をお願いします!!↑共感者を増やしましょう!ワンクリックのご協力をお願いします!!↑スポーツ活性化のための仲間を増やしましょう!ワンクリックをお願いします!人気blogランキングへ←さて、、このブログは今何位??
2005年10月16日
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昔、私が率いていたチーム。引退の試合が大雨。敗戦し、引退を迎えた選手をベンチに迎え入れる、、、空を見て、、大泣きしても、、雨が全てを流してくれた。涙も汗も、、雨の活用法。昔の話を何故だか思い出したので、、、↑情報発信のため、ワンクリックのご協力をお願いします!!↑共感者を増やしましょう!ワンクリックのご協力をお願いします!!↑スポーツ活性化のための仲間を増やしましょう!ワンクリックをお願いします!人気blogランキングへ←さて、、このブログは今何位??
2005年10月15日
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昔、父親に箸を上手に使えないだけで、食事を食べさせてもらえなかった。だから、、箸の練習をした。空腹には勝てないから。今、生徒に箸の使い方を教えている。その持ち方一つで、家庭教育をはかり知ることができるから。父親は他界した。意志は残った。↑多くの仲間が集うために、ワンクリックのご協力を!!
2005年09月28日
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天高く、、、本当に空が綺麗な秋。思い出す。青春真っ直中。涙と汗にまみれた青春の秋。風の薫り、芝生と土の乾いた薫り。あの頃を思い出す季節到来。
2005年09月16日
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過去の記憶は、美化されやすい。過去の記憶は、思いこみによって彎曲する。過去の記憶は、残る必要のあるものだけ残る。過去の記憶は、経験として成長の源にもなる。過去の記憶は、ストックが多ければ同じ間違いをしない、、、こともある。記憶のストックを重ねて、大人になり、、、経験を積む。そして、その経験から成長を、、、って、これは正論。そう出来たら大したものだ。過去の記憶は、、忘れていく。問題は、今どう生きていくかということ。そうなんだなぁ。↑情報発信のため、ワンクリックのご協力をお願いします!!↑共感者を増やしましょう!ワンクリックのご協力をお願いします!!↑スポーツ活性化のための仲間を増やしましょう!ワンクリックをお願いします!人気blogランキングへ←さて、、このブログは今何位??
2005年09月13日
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投票のため、昔通っていた小学校へ。体育館はこんなに小さかったかな、、こんなに門柱は低かったかな、、近くの文房具店、無くなっちゃったな、、、一瞬のタイムスリップ。投票、、悪くない。↑ワンクリックご協力お願いします。
2005年09月09日
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昔、、中学生から高校生にかけて尾崎豊をよく聞いた。「自分の存在が何なのかさえ、分からず震えている、、15の夜、、♪」確かにそうだった。何のために生きて、何のために存在するのか、、、暗い部屋で、膝を抱いて震えた時期もあった。人生繰り返しかな。
2005年09月07日
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我武者羅にラグビーに打ち込んで、、我武者羅に恋愛して、、我武者羅に喧嘩して、、我武者羅に悩んで、、ある時期、我武者羅が必要。いつからその我武者羅を忘れたのか。計算高くなったその瞬間から、我武者羅は成立しなくなるのだろう。おお、、ガムシャラって、、我武者羅って書くんだ、、、我が武者で羅??
2005年08月03日
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昔から、君はできるから、、、といって育てられた記憶がある。所謂、誉められて育ったのだろうか、、父親からは、かなりの規制を受けて育てられた記憶があるのだが、周囲の他人と母親にはそうやって育てられた。やんちゃものの兄を持ったせいか、確かにしっかりしなければいけないという自負を持って少年期を過ごした。でも、それに耐えられなくなって、そんな良い子の自分に耐えられなくなって悪いことをした時期もある。今になっても、よく言われる。「君ならできる」「君はしっかりしているから」本当にそうだろうか、、私も普通の人間だったりして。いや、普通だ。弱音も吐くし、やる気もなくす。でも、まぁ、、キャラだからな、、
2005年08月02日
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結婚していた時期がある。10年間の結婚生活。独りになってもう2年。懐かしく思い出すこともない。昔、昔のお話。当時の妻は、現在はブライダルプランナーとして、全国で引っ張り凧。新たな家庭を持って頑張っている。心から、頑張って欲しいな。
2005年08月01日
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近所の大宮公園に遊びに行った。小学校低学年の夏。丘陵のようになった公園の斜面には、人工的に作られた川があった。浅くて狭い箱庭のようなその川公園でよく遊んだ記憶がある。母親や父親に連れられて行ったその公園には、同い年くらいの子どもがいつも大勢いた。昔は人見知りをした私は、遠巻きに上流で見守る父親の顔を見ながら徐々に遠ざかり川に足を浸しながら下流へと歩いていく。いくら遠ざかっても、父はそこから動かない。下流へ行くと、見知らぬグループが遊んでいる。「おい、おまえ誰だ!?」いつもそこから始まる。学区が違うその公園では新参者だから。時には突き飛ばされて川に仰向けに倒れることもある。殴られてしまうこともあった。水をかけられたり、、、、当然、すぐに仲良くなることもあった。しかし、いずれにしても父親は何もせずに見守っていた。殴られて泣いて父の元に行けば、「友達になってこい」とだけいわれた。今になって、思い出す。夏の川公園。そして、父の忍耐力と、父への感謝。久しぶりに父の夢を見たので、、、
2005年07月18日
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20代の時に、勤務する学校とは別に雇われ監督としてラグビー部の監督まがいの活動をしていました。N大T高校。しかし、その部は学校側の指示によって背部。その最後の日のことです。数個残った空気が入らないパンクボール。ビニール袋2つにもなってしまった。この整理のために僕はここにきた訳じゃない。管理人室の扉を叩く。「今日は!!誰かいませんか?」このグランドのグランドキーパーは老夫婦だ。春夏秋冬と休みなくグランドの整備をしている。ある時は雑草をむしり、ある時はゴミを分別し捨てるなど、来る日も来る日も、生徒が使うグランドの世話をしてくれている。僕とここのおじさんとおばさんとのつき合いはもう長い。七年前にグランドに来るようになってから、多くの部の顧問は変わったが、ここのおじさんだけは変わらずにいて僕とよく話をしてくれた。 廃部が決定し、最後の大会の終わったラグビー部はもうグランドに立つことはない。僕は、そのチームの監督として最後の挨拶にグランドにきたのであった。いくつか残った備品の整理と私物を部室から引き取るため、そして、東の生徒がラグビーを初めて覚えたこのグランドにお別れをしにきたのだ。 ふと、遠くに目をやると遙か彼方、グランドの一番はずれにおじさんがいた。いつものように、台車に赤いトランジスタラジオとゴミ袋、それと、可愛いブチの飼い猫を乗せている。おじさんの格好はいつも同じだ。グレーの作業着に長靴。首に白い手ぬぐいを巻き、手は軍手。頭には濃紺の帽子をかぶっている。旧ラグビー部のダミー小屋の横で草刈りをしているのだろう。しゃがみ込んでグランドに背を向けている。 この学校のグランドはゴミが多い。野球、サッカー、アメリカンフットボール、ラグビーの部活動が盛んに行われているグランドだが、ゴミの処理をしっかりするのはアメフトとラグビーぐらいだ。おじさんとおばさんは文句も言わず、いつも掃除している。野球部の部室はマネージャーが行わない限り掃除はされない。サッカー部は、グランドをゴミ箱と勘違いするかのごとくの使用である。 時折、僕は練習の合間にゴミ拾いをする。おじさんに倣って、軍手とビニール袋を持って、端の方からゴミを集める。30分足らずで、大きいゴミ袋がいっぱいになる。その姿を見ておじさんは目を細める。「昔は、そういう先生が多くいたけど、最近の先生は生徒に任せっきりでやらないねぇ。珍しいねぇ。」「生徒の自主性ってやつでしょうかね。」「いやぁ、先生の手本で子どもが動くんだよ。」そんな会話を交わしたものだった。 グランドを横切り、おじさんに近づく。すると、猫の方が先に気がついたらしく、僕目がけてかけ来て、ゴロゴロいってすり寄ってくる。「今日はスーツだから、そうすり寄るなって。そうか、よしよし。しょうがないか。おまえともお別れだな。元気で暮らせよ。」その声で、おじさんが気がついた。「やぁ。今日はなんだいそんな格好をして。」 そういえば、スーツ姿はここ7年間見せたことがなかった。「今日は、最後のお別れをしに来ました。ラグビー部は大会も終わって、もう解散です。長い間ありがとうございました。」 そう、7年間だ。一口に7年といっても長い。アメフト以外は、指導者も替わった。甲子園出場経験のある野球部も、私が指導しはじめた2年目に監督が替わった。結果を出せないでいると首が飛ぶことを知った。サッカーも持ち回り顧問なので、すぐに交代する。おじさんと親しく話すのは私くらいのものだったのかもしれない。この7年間いろいろな事があった。「そうかぁ。寂しくなるねぇ。でも可哀想なのは、、、子供だねぇ。」心なしか、おじさんの目が潤んでいた。「ニャァ、、」猫も私を見上げて鳴いた。「いつか、また。何処かで会いましょう。」しばらくの沈黙の後、「うん。さよなら。」グランドをいつも見守っていてくれたおじさん。来る日も来る日もただ黙々とスポーツをする若者の元気な姿を見守ってくれたおじさん。僕は、おじさんに背を向けて、私は歩き出す。最後に部室をあけて、部屋を見回す。部室の入り口に、数年前オーストラリアに行った私が買ってきたブーメランがあった。折れてしまって、テーピングで補修してあるブーメラン。ブーメランを手にして部室に一礼。いよいよ最後だ。次に来るときには、他の部の部室になっているのだろう。部室から、グランドの入り口まで歩く間に、また思い出が頭の中で展開される。さようなら。N大T高校。さようなら。20代の青春。
2005年07月15日
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血圧が上がる。頭に血が逆上がる。怒るのは疲れる。昔母親が行ったことを思い出した。「怒るとね!血が真っ黒になっちゃうんだよ!!だから、あんたが怒らせると、お母さんの血は真っ黒になって気持ちが悪くなっちゃうんだよ!!」何だか、強烈なインパクトのあるセリフだった。それ位、辛かったのだろうと思う。本当に黒くなるかな、、、
2005年06月26日
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