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先週はまあ色々ごたごたありましたのでお腹の具合がいっそう悪くなってしまい金曜日に四ツ谷の胃腸病院へ行ったら怒られた怒られた・・・(@Д@; アセアセ・・・原因が分かっていること症状が一番ひどい所までいってないということで薬は変わらず自分でコントロールするように言われました ただ・・胃腸病院で待っている二時間の間に隣に座った60代の女性と延々世間話におつきあいするはめに・・・つ・・つかれた・・・本日は逗子入りの日 インフルエンザが流行っているので寒さ対策をしてのお出かけです 一週間色々考えましたが私が帰った後話し合いがなされて看護婦さんたちの態度がどのように変化したのだろうと気になっていました 婦長が看護婦さんと母から話を聞いてどのように判断したのだろう 又母の話がオーバーなのだとしたらここまで騒いでしまった私のほうが悪いのではないだろうかと・・・母の部屋に行くと母は看護婦さん(いつもと違う人)の助けを借りてベッドに横になろうとしているところでした 私は「あら 風邪でもひいたの?」と声をかけたのですがそうではなくリハビリに行って体が重くて疲れてしまったからだそうで・・看護婦さんとは普通にお話して私がバトンタッチ 母の顔をきれいにして三階に促します すると今日の母はベッドから自力で起き上がれず しかも靴もはけず 車椅子にも移動できずでした ふむー 体の動きが悪いなあパーキンソンという病気は周りの環境の変化 季節の変化 体調の変化によって同じ薬を飲んでいても症状が悪化してしまうことが多々あります 母の場合はずっと安定していたので在宅でもいけるかなと考えていたのですが今日の動きはまるで世田谷にいるときのよう・・ 鉛のように重くなってしまっている母の体の補助をして三階に連れて行きます 薬を飲み始めてまだ一年半 薬が効かなくなるのは10年程度で起こるのですがそれは個人差があるので何ともいえません 20年たっても進行もあまりしない人がいるかと思えばたった二年やそこらで寝たきりになってしまう人もいるのです 脳の中の病気なのでそれは解剖してみないことにはわからない病気です三階に連れて行って母におやつを私は昼食をとりながら私が帰った後どうなったのか母から聞きます母の話では 婦長が母の元へ訪れたのは昨日が初めてだったようで母のほうから部屋の移動でもめたことを言ったそうです 例の看護婦さんは母が同室の人があまりにうるさいので(呼吸音がうるさい人と痴呆症状がひどい人がいて痴呆症状がひどい人は二時間おきにベッドの柵をとりはずしてたたきつけて看護婦さんを呼ぶそうです)部屋を変えてくれと訴えると「特別室なら一室だけすぐに入れますよ あとはふさがっていてだめです」と二度母に言ったそうです その話を聞いた婦長さんはすぐに部屋から出て行ってしまったそうで話し合いにはなっていないそうです 多分事実確認のためナースステーションに行ったのではないかと思われます 私が院長先生と婦長に話をしたあと例の看護婦さんは母をさけるようになったといいます 担当からはずされたのかもしれません 悪気があろうがなかろうが性格が合わないのなら担当からはずれるのがベストでしょう私はすぐに話し合いがなされずなにやら婦長が動いているのでもしかしたら大きな問題になるのかもしれないなあと思いましたが長く入院していくうえでこちらが窮屈な思いをしていくのもおかしいので(多額の金額も払ってますし)仕方のないことだなと思いましたスタッフの人が母に話したそうですが例の看護婦さんは自分の言いなりになる人を数名(少人数)集めて固めているらしいとのことしかし ここらあたりから母の話しに信憑性がなくなってきました 私も毎日病院へ行っているのではないので母から聞いた話しか状況が分かりません でも母の話だとトイレの件で母の要望が通ったためスタッフの人が自分に一目置くようになったふとっちょのスタッフ(男性)も自分に対して明らかに態度が変わり尊敬されるようになったなどがあげられましたこのように自分にとってプラスになるように受け取ってしまっているところは以前錯乱していたときや世田谷にいるときに現れた妄想の症状に少し似ています私は冷静に母を分析しなければと思いました 意見は言わず母の話がすすむように相槌を打ちどんどんしゃべらせますすると 病院内から私たち夫婦や家庭の周りのことまで話し出したので聞いてみると主人と主人の両親が母の土地と家を狙っていて話し合っているのを知っている隣の家のお兄さんは小さい子供をたくさん車に乗せてガレージにいれてシャッターをおろしていたなど記憶違いや思い込みという症状もあげられましたもちろん主人と主人の両親が狙っているというのは母が入院する前から心配していた問題でしたがそのような事実はありませんし隣の家にはお兄さんはいないし子供をたくさん乗せた車は隣の隣の家だしガレージにシャッターがある家は前の家です お年よりは昔の記憶ははっきりしているけれど最近の記憶は忘れがちになります 母の場合越してきた時点で精神異常があったためその辺りの記憶がごっちゃになっているのはしょうがないとしてもそれを真実だと思い込んでしまっているところが問題ですもしかしたら看護婦の一件は母の思い込みから発生したものかもしれません 婦長が看護婦さんにきちんと話を聞いてみれば分かることでしょうがどちらにしても私自身もその看護婦さんから失礼なことを言われていたので多少はそちらにも非があると思われます母の症状はレヴイの一角だと院長先生は言っていました これで留まってくれればいいけれど進行していく可能性も大です ひどくなっていけば同室の痴呆症状がひどい人と同じレベルまで落ちていくかもしれません院長先生との話し合いでとりあえず逗子に母をゆだねることにしましたが問題の解決にはなっていません 一年という期間がすぎて今後どこに母を移すのか又悩むときがくるでしょう それに在宅にしたとしても今日のようにいきなり体が動かなくなってしまうと母を診てくれる医師が遠いのと大学病院なので担当日が違ってしまうなどの問題もありやはり介護は手探り状態ですすんでいくしかないなと思いました病院を出る前に母に老健に移るか?と訊ねたけれどそれと同時に「今 問題解決する前に隣に移ってしまったら又泣き寝入りになるからしばらくは様子をみようね」とも言いました 母も負けたくないからここにいる と言ったのでしばらくは病院の方でお世話になるつもりです最後にちらっと母が言ったのですが「私も悩みがたくさんあってとても辛い だけどそればかり考えていると疲れてしまうから今は考えてないわ」と私に言いました これは私が今悩みが多くて体調がすぐれないといったことに対して返ってきた言葉なのですが母は自分が家に帰りたいと娘に言っているのに返してくれないということを恨んでいるのです 母は私と喧嘩するようなことがあるたびにそれを言います そして決まって「あんたはお父さんにも私と同じように無理やり入院させて逃げられないようにしたんだ」と言います 母の根底には家族に裏切られたという強い思いがあるのかもしれませんね・・・ どんなに母に正しい状況を説明してももうそれを受け入れるだけの精神状態ではないのだから仕方がないのかもしれないけれど実の母親に恨まれて生きていくのはとても辛いことだと思いましたもう何もかも全部捨て去って自分の人生のことだけ考えて自由に生きていけたらと・・どんなに願ったことでしょう暗くなってしまいましたね(笑)こんなことではだめですね今週は源泉徴収が来たので確定申告を二つ仕上げなければなりません そして二月一日から旦那さんの単身赴任が始るのでその仕度で忙しいです がんばらなくちゃ(笑)
2004年01月27日
先週は在宅に向けて自分であちこち動き回り失望しての繰り返しでした 保健所も市役所も難病のところも全部聞いてみましたが結果はだめ・・・ やはり千葉県内で安心して在宅をするというのは保険のないカケのようなものだと思ったのですさて 本来なら昨日の話し合いを昨日の時点でアップするはずでしたがそれとは別件でとても悲しい出来事があったため日曜の夜は一睡もできずふらふらになりながらの逗子入りだったので今日アップする次第です 心配してくださった方々すみませんでした m(__)m私は一人で何度もその話し合いで最悪の場合のシュミレーションをしていました もし万が一すぐ病院をでていけと言われたら・・・ 話し合いに例の看護婦も同席して私が言うことを全否定してしまったら・・・ 院長と婦長と看護婦がぐるで関係が劣悪化したら・・・ そうならないように話し合いをもっていくにはどうしたらいいのか・・朝 とても寒くて千葉はみぞれが降っていました 11時半の約束だったので9時にはでないといけません そろそろ出かけようと準備をしていると何と例の看護婦から携帯に電話がかかってきました「お母様が雨が降っていると娘さんが風邪を引いているから心配で別の日にしたほうがいいんじゃないかと言っています こちらも別に急ぎの用件じゃなければ後日でもいいですよ」「いえ 大丈夫です これから出かけますのでよろしくお願いします」「そうですか 今日は雨なので患者さんもあまり外来に来ないと思います ですからそんなに待つことはないと思いますよ 来たら声をかけてくださいね」なんか変・・・ どうしたっていうの?急に優しくなって・・出かけるととても寒い 運良く座れたので目をつぶるも考えることは山のようにある 電車に乗るとすぐ眠ってしまうのだけど今日は寝れなかった病院につくと少し早めだったので母の所に顔をだした 母は今日私が来るということを朝知ったのですっとんきょうな顔をしていたがちょっと話があるからと私に言っていたとき私の姿を見つけた看護婦さんが(別の人)「おのづさーん 先生外来が手が空いたらしいので上へどうぞ」と呼びにきてくれた 上?診察室だ もしかしたら二人だけで話すことができるかも!!私は母に「言ってくるね」と告げると「私もいく」と言ったがそうはいってられないので「もうすぐ食事でしょう?私一人でいってくるね」と強引にその場に置き去りにして(笑)待合室に行った間もなく呼ばれて中に入り さてどこから切り出そうと悩み そうだ看護婦さんは私の家の環境がどうなっているのか不満だったようだからそこから話そう と今まで在宅をやってきたところから話し始めたが院長先生は「あなたが今まで在宅をやってきてどういう経緯で入院することになってどんな思いで今やってるかは全て女医さん(世田谷)から聞いていますよ」と言って下さった あれ?じゃあ看護婦さんには伝わっていないのかな?と思い 恐る恐る口にだしてみた「先生・・私は母を入院させてはいますがその事にだって罪悪感を持ちお腹だってゆっくりゆっくりのペースで治るほどなんです 看護婦さんから電話を頂いてお正月に家に連れて帰れるのか?と言われた時に私は12月の頭に手術をしなければいけなかったし主人は大腸から出血があり一月の頭に検査する予定だしお正月休みも元旦しかとれないと言われたのでとてもじゃないけれど私一人で連れて帰れないから断ったのです そしたら そんな急にいきなり手術ですって言われてもこちらは困ります とか あなたは自分を育ててくれた母親にかわいそうだと思わないの? といわれてしまい」すると院長先生は私の話をさえぎって「ええええ!! そんなこと言われたの? 自分の親のことをそんな風に思う子供なんていやしないのに 何てひどいことを! 誰が言ったの?言いたくない? もしかして○○さん?」何と先生は例の看護婦さんの名前をずばっとあげたのでした 私はこのときにああ あの人は何回かそういうことがあったのかな?と思いました 院長先生はそれは悪い事をあなたにしたわ ごめんなさい と何度も謝ってくれ そういうことがあったら一人で悩まずすぐに言ってほしいとおっしゃってくださいました 私は情緒不安定だったこともあり涙がぽろぽろこぼれて何度もお礼を言った その後母に対してこういうことがあったということも伝えたのだが 院長先生は私にこうお話してくれた「パーキンの患者さんを扱う看護婦の態度について今色々議論がなされています 体が思うように動かないからといって子供のように扱うのは良くないことだし だからといってパーキンにも色々種類があって精神障害を引き起こす患者さんもいるのだからそういう人には子供に接するようにしないといけなかったり 色々あるのです いくらずっと看ていると言ってもテストをしたらある程度はわかるでしょうが個人差もいろいろあり難しいことなのですよ」「はい わかっています 母の場合は特に気難しいし自分のよいように解釈するところがあるからご迷惑かけていると思います 看護婦さんも一人の人間なのだから時にはむかっと来ることもあるでしょうし・・」「迷惑なんかじゃないのよ それがこちらの仕事でしょ? そういう患者さんを専門に扱うところで働いている看護婦が一般の病院の患者を扱うように扱ってはいけないということですよ それとね」院長先生は続けておっしゃいました 「お母さんは判断が甘いのね これはお母さんの場合パーキンではなくて ちょっと違う種類のパーキンだからそういう特徴が現れるのだけど そういうところがあるの どういうことかというと 自分がいてその周りに他人がいるとしましょう まず他人に対して気配りができない 自分は一人で歩けば転んでしまうということを冷静に判断できずできると思いこんで勝手に歩いてしまう これはねまあ痴呆症状の一番上の部分が欠如しているということなんだけどお母さんは今一番軽いところにいるのね でももっと進んでいけば色々なことがわからなくなっていくのよね」「なるほど そういえば母がパーキンになり始めた7年くらい前から周りに対しての配慮や勝手な解釈などが目立ち始めました」「そうですか あのね 普通純粋なパーキンの方は脳がしっかりしていて体だけ動かなくなるので家族や周りの人にものすごく迷惑をかけていると自覚しているものなの だから例えば家族が入院させたままではかわいそうだと思って外泊許可を一週間くらいもらって帰るとするでしょう?すると患者本人が家族が犠牲になることに耐えられず自分から病院に戻ってきてしまうケースがほとんどなんです 家族の幸せのために自分が我慢してしまうのですね それがお母さんにはない ただただ 帰りたい 家に帰れば自分で何とか生活できると思ってる それが判断が甘い という症状なのですよ」私はその話を聞いて感嘆してしまった 今まで色々本を購入して調べたりシンポジウムに参加して研究結果を聞いたりしてきたけれどこういう細かなことまでは知らなかった さすがパーキンの第一人者と言われる人とともに治療にあたってきた人ではない それと院長先生は「お母さんの場合だと娘さんたった一人で在宅をしたとしたら三ヶ月で体が壊れるでしょう 無理ですよ」とも言った ひえええええ やっぱりプロの目からみてもそうなんだ・・ よく私は二年やってきたなあ 自分でもよく頑張ったと思ってた そして又その地獄のような日々がくるんだって覚悟してたし 共倒れになるだろうなって思ってた はたから見ると母は入院する程度にはとても見えない だけど実際介護をした私からしてみれば 又プロの目からしてみれば我が家の家庭環境からすると到底無理なものなのだ 一般的に三十代の専業主婦が家にいる場合「どうして在宅にしてあげないの?」と周りから責められる だけど介護って個人差があるしケースバイケースなのだ 母のように24時間監視してないといけない そして人の言うことを聞いてくれない場合困難を極める もっとすすんで痴呆になってしまい記憶がなくなってしまうのならごまかしたりっていう方法もあるだろうけど母は判断という部分だけ低下して他はほとんど正常なのでもっと難しいのだろう 院長先生は「もうすぐ一年だけど又世田谷に戻ります?」と言って来たので「先生 あそこは閉鎖病棟なのです 今の母をとてもそこには・・・環境が悪すぎて・・・」「えええええ?女医さんの受け持ちって閉鎖病棟しかないの?」「ええ そうみたいです そこは精神障害のないパーキンの患者さんも重度の精神障害の方も一緒にいて全て女医さんの受け持ちのようでしたから・・」「だったら戻したらいけないわねえ じゃあ 隣の老健に行って見る?そして又ここに戻ってくる?」「母は老健に行きたがってます あそこは在宅に戻る一歩手前のところだと思ってますから」「確かにあそこは在宅に戻る一歩手前の訓練所だけど ここに入院している患者さんはあっちへいくとこっちに戻りたがるのよ 全員よ」「ええ?どうしてなんですか?」「向こうは医療が整っていないから何かあったときとても心配してしまうの パーキンの患者さんは環境が変わるととても影響がでちゃう病気でしょう?」「はい 知ってます」「それに性格が全員几帳面で神経質で内向的な人しかかからない だから不安に思うらしいの」「なるほど」「でもお母さんが行きたいというなら環境も変わっていいんじゃないかしら?それは婦長に相談してね 今三人ほど待っている状態だから」「そうですか 私も千葉で色々病院やら施設やら探したんですけどほとんど断られてしまうので・・」「ああ それはね パーキンのお薬がものすごく高価だからなの 経営が圧迫されるからどこも嫌がられるのよ 逗子しか頼れるところがないのならここにいればいいじゃない」私はその言葉で又涙がとまらなくなってしまった この先生は私が今まで一人で直面してきた様々なことを全て熟知していてそれでも手を差し出してくれている 私一人でやっていくことがどんなに困難でサポートされないということも知っている やっぱりここから離れなれない 院長先生は「あなたがお子さんを望んでいるのも知っています もうぎりぎりの年齢になるのよね? 産んだほうがいいと思うわよ 絶対に!」そう言って私ににっこり微笑んでくださった 「何か困ったことがあったらすぐに言ってちょうだい!一人で悩んじゃだめよ!わかったわね!じゃあ 後は看護婦の件も老健の件も全部婦長に相談してね」そして院長先生との話し合いが終わったその後すぐに婦長に連絡をとってもらいしばらく待った後婦長との話し合いになった私は院長先生に話したこと そして私や母が受けた言葉や態度を言った 婦長はとても冷静に聞いていて「私はあくまで第三者の立場を貫かなければいけないからこの後お母さんと○○さんからちゃんと聞いてみますね そしてもしお互いが誤解でそういう関係になってしまったのなら回復しなくてはね 一度嫌な思いをしてしまうとちょっと目をそらしただけで ああ 又無視されたわ って人間は思ってしまうもの だから誤解だといいと思うわ だけどあなたが受けた言葉はひどいと思うし それはこちらが謝ることだもの ごめんなさいね」と言ってくださった 後は施設のこと そして五月以降の話は又その都度決まったらお知らせするということにして今後ともよろしくお願いしますとその場を去った 母の元へ行くと「帰りたい帰りたい」と言われ こういう話し合いをしたといってもやはり自分のことしか頭にないようだった そして被害妄想的にあーされた こーされたと私に訴えた 院長先生からお話を聞いて冷静に母の見てみるとやはりそういう症状が露骨に現れている様だった 私は体調がおもわしくないのでとりあえず帰ることにしたが私が帰った後色々聞かれることだろう 又来週いくことになったがそのときにはもう少し関係が改善されているといいなと思った この日記5000文字しか入らないので今日はこのへんでやめておきます とりあえず病院から追い出されることはなくなりました ご心配…
2004年01月20日
とりあえず私のできる範囲のことはしなければ・・そう思い家事をしながら頭をめぐらせていると逗子の病院から電話がかかってきた 例の看護婦さんからなのだがとりあえず気持ちを抑えて普通に会話し来週の月曜日のお昼前に院長先生との約束ができた 看護婦さんは「一体に何のお話ですか?足のことですか?」と聞いて来たので「いえ 今後のことについてです」と答えたら「あ そうですか」と言ってがちゃんと切られたナースステーションで多分話し合いがされると思うのだが回りに看護婦さん達がたくさんいる中で私はどこまで院長先生にお話したらよいのだろう きっと私が母がうけているいじめのことを少しでも話せば看護婦さんたちから猛反発を食らうに違いない次に順天堂の病院に電話してみた 受付が神経内科の外来にまわしてくれたので母の担当医だった先生の受信曜日を教えてもらおうと訊ねたところ「その先生は一年半前にやめられています」と言われてしまった 私は以前この病院に母がかかり入院して転院先を紹介されたものだがいずれ在宅を希望しているのでお薬の処方をしてもらえるか もしくは千葉の方で良い病院があるかどうかを聞きたいので以前母の担当医だった他の二名の先生にお会いしたいと伝えた 看護婦は紹介状がないとだめですね それと詳しい経過内容のものとお薬の処方箋を持ってきてください と言った そうか ここで受診するにあたっても紹介状がいるのかと思い 単独で乗り込んではやはりいけないのだと感じた 他の二名の先生はまだ病院に残っていたので最後に母を説得してくださって世田谷の病院を薦めてくれた先生にいずれお会いしようと思ったその後パーキンソン友の会に電話してみた 千葉でパーキンを扱う病院が他にあるかどうか知りたかったし母のようなケースは他にあるかどうかも知りたかったからだ 千葉支部に電話してみたがでなかったので東京本部に電話してみた電話に出た方はご自分もパーキンで現在73歳で私の家のそばに住んでいる方だった 親身に話を聞いてくださり看護婦によるいじめというのはパーキン患者にあるということを教えてくださった 又千葉県内でパーキンを診て下さる病院が少ないこと 私が住んでいる市ではほとんど皆無だということ 逗子の病院のリースのお金の行方が怪しいということ などをお話して 今全員スタッフがいるのであなたの実情がひどいから何とかならないか話し合うので待っていてほしいと言われた それとご主人を大事にして自分の健康を保つことが一番ですよと言ってくださった電話を一旦切って涙が止まらなかった 話を聞いてくれる人がいた!気持ちを分かってくれる人がいた!どうしたらいいのか相談に乗ってくれる人がいた!私は今まで一人で闘ってきて心細さで一杯だったのでこの暖かい言葉に心がじーんとなっていつまでも泣いていた電話は3時間以上待ったようやくかかってきた電話からさっきのような感動は失せていた 「冷たいような言い方だけど今の状況からして在宅するしかないと思うよ 皆で話し合ったけれど気管切開してるわけでもないしそういう重症患者なら受け入れてくれる病院が埼玉にあるけれどケースワーカーとお話してあなたの実情はとてもかわいそうだと言っていたが現実問題重症患者が優先されるしやはり三ヶ月が限度 在宅しかないでしょう」と言われてしまった その方はそのほかにも病院を当たってくださったようだがまずパーキンと聞くと看護婦は嫌がってしまうそうである 薬の副作用で感情の起伏が激しく体の動きも悪いため転倒する危険性もある 治る病気ではないから退院するめどがたたないやっぱりね・・・ 誰かを頼るということがもうすでに間違いで 今まで母が入院できたのは太いパイプのおかげなんだってこと逗子の病院がああも高飛車な態度に出られるのは全国でも行き場がないパーキン患者を長期入院させてあげるという特典をもっているからだ私が一人で奮闘してあちこちの病院にかけあってでた結果が友の会に相談した結果と同じだということはもう他に伸ばす手がないということなのかもしれない本当に順天堂から世田谷 そして逗子まで運良く行けたのだろう ラッキーだったのだその太いパイプラインから自ら出てしまうということはもう戻れないということなのだ逗子の病院があんなに理不尽なことばかり起きてしまっても文句を言えずただ我慢していなければいけない それが嫌なら在宅しかもう方法がないのだ来週の月曜日に院長先生と話し合って千葉の病院を紹介してくださいといったところで紹介状は書くけど千葉の病院側が受け入れてくれるかはわからない ほとんど断られるだろう それなら旦那さんが単身赴任している間だけ我慢して逗子にいてもらうのがいいのか・・・入院しているということはある程度我慢しなければいけないし嫌なこともあるし転院先を探さなければいけないという不安もいつもつきまとうそれが嫌で在宅に切り替えた人も多いだろう在宅が難しくなったから病院へ施設へ そう考えている人も多いかと思うけど結局いきつくところは在宅に戻すということなのだ 他人の手に家族をゆだねるということは家族がお世話するほど行き届かない 3時半過ぎに電話が終わったがもう気力がなくなってしまい他にやらなければいけない手続きに行く気がなくなってしまった 根性をすえなければ・・そう思った
2004年01月14日
先週の問いかけにたくさんの励ましのお便りが届きました 本当にありがとうございます m(__)m私も急いで答えを出してはいけないと考えをさらに考えて色々模索しておりましたが これといっていい方法が思い当たらず旦那さんに何度か相談してみましたが相手にもならず・・・ 旦那さんは自分から母の問題のことについて話題をふりません 私が一人で対応できずにピークに達したときに相談するパターンなのですが いつもこんな感じです「明日逗子に行くのだけどどうしたらいいかしら?院長先生に話したほうがいい?」「在宅は無理だよ おのづは体も弱いし精神的に強くない」「私も難しいとは思うけどこのまま母を逗子には置いておけないわ 千葉に転院したほうがいいんじゃないかしら?」「逗子のままでいいんじゃないか?」「いつまで?」「単身赴任が終わるまで」「でも 今いじめられてるのよ?あの中に母を入院させておくのはかわいそうよ」「うーーーーん」「転院するにしてもいきなり順天堂の病院を訪ねるのは変じゃないかしら?結局ケースワーカーにお願いすることになってしまうのだもの 院長先生の紹介状がないとだめじゃないかしら?」「うーーーーん」「でも 院長先生に直接お会いしたら私今までのこと全部言ってしまいそうだわ 言わないほうがいいかしら?」「言わないほうがいいんじゃないか?」「だけど いじめられてるのよ?母は」「うーーーーん」という具合です・・・・結局考えるのも私 結論を下すのも私 話し合いをするのも私 母を説得するのも私 手続きをするのも私ま 自分の母のことですからしかたがないですね・・今日の逗子入りもとても寒く道々「ああ 母が一月中に帰りたいって言ってきたらどうしよう それより旦那さんの単身赴任の話をしても家に帰るといわれたらどうしよう」とずっと考えていました母の元へ行くと母は明日の入浴のための準備をしていました クリーニングにだすものをメモして(読めませんが)クリーニングから帰ってきたものが全部あるかどうかチェックしていました(カレンダーも満足にみれませんが)母は私の顔を見ると早く三階に行きましょうと言います 勝手に母を連れ出していないと大騒ぎされると嫌なので母のベッドに「三階の応接室に連れて行きます」と書置きをして母を連れて行きました母は開口一番「私の転院どうなってる?」と聞いてきました 私は胃がキリキリ痛み始めたけれど話さなきゃいけないことなのでゆっくり話し始めました「えーとね その前にちょっと状況が変わってしまったのね 旦那さんが単身赴任することになっちゃったのよ」「どこへ?」「○○よ 近いから家に帰ってくることもあるだろうし私も行かなきゃいけないかもだし チームリーダーだからしかたがないのよ」「へー」「でね それが五月くらいまでなんだそうだけどお母さんは千葉の病院に行きたい?」「ここは入院するところじゃないよ 又やりあったんだよ」「一体何があったの?」話を延々と聞いているとどうもひどいいじめを受けているそうです 朝起こされるともうそこからやりあうのだそうです母はまあ気難しい性格と言えばそうなんだけどでも今はほぼクリアー状態 パーキンでレヴイの人はもっとひどい精神障害がでてしまう人もいます 専門病院の看護婦さんがどうしてこんないじわるを言うのか私も悲しくなってしまいましたまず 大部屋の流しは水しかでなくて母の歯は神経を残した状態でブロックをかけたりしているのでとてもしみるのです なのでそんなにしょっちゅうではないけれど寒い日などに共同の洗面所に行き歯を磨いていたら「○○さん!どうしてここの流しを使用するの!混みあって混雑するでしょ!自分の部屋の流しを使ってもらわないと困るのよ!ここのは使わないで!」と言われたそうです 母も負けじと歯がしみるのでお湯が使いたい 年がら年中使っているわけじゃないしたまにはお湯を飲みたいと思う日だってあるんだからいいじゃない と言い返したそうですが「○○さんは ああいえばこういう 全くかわいげのない!」と言われたそうです次に大部屋のトイレでひと悶着があった後便座が暖かいのに変わったそうですがまだ配線工事なされず冷たいままだそうです でも高さはなんとかなったけどそれにつかまる手すりの位置が高すぎて手を目一杯伸ばしてもやっとこさっとこで又転びたくなかった母は手すりの高さが高いと言ったそうです すると「○○さんが言ったから便座を変えたんでしょう?格安のが売っていたから買ったけど そんなにあっちもこっちも変えてと言ったら○○さん専用の病院になっちゃうじゃない 少しは遠慮したらどうなの?皆我慢しながらやってるんだから!」と言われたそうです だったら今まで使っていた共同トイレに母の使用を許可してくれればいいのに・・ 共同トイレが混むから母は使っちゃだめと言われ大部屋の冷たく古いトイレを使用していて転んでしまったのに・・・最近では名前で呼ばれなくなったそうです・・ 「何て呼ばれてるの?」と母に聞くと無視されてるそうです・・ほぼ毎日こんな喧嘩の繰り返しだそうで 大部屋に帰れば痴呆症状の人と呼吸音のうるさい人が一緒で母は気が休まらないといいます母も母でしょうが看護婦さんも看護婦さんです ここの病院では一人の看護婦さんとやりあうとあっという間にうわさがながれ主体の看護婦さん全員の態度が変わるそうです私は母に「そうか こっちはただでさえ高いお金を払って入院してるのに そんないじめを受けているならもう院長先生に言うよ そしていじめをやめてくれないのなら千葉の病院を紹介してほしいって頼むね」「私は病人で入院しているのにお金だって滞納しているわけじゃないのに ひどいしうちだよ 何かあると ここから出て行ってくれたって構いませんからね って言われるし この間は 娘さんはひきとらないって言ってましたよ って言われたよ」私はその言葉を聞いて胸をえぐられてしまった・・一体何をどうしたら 娘さんはひきとらないって という言葉がでるのでしょう 私がその言葉を聞いたってショックなのに母はその何倍もショックだったでしょうに・・いくら母が憎たらしくても言っていい言葉と悪い言葉がある こっちは心がちぎれそうなほど悩んで決断して母を入院させることに決めたのにそんな事情も知らないくせによくあんなひどい言葉がでてくるもんだ・・院長先生と看護婦さんたちが繋がっているのかどうかは知らないけれどここまでいじめられて黙っているのも嫌だし何よりこの病院からもう離れたい・・私は院長先生と話をする決意をして母にそのことを告げた部屋に帰る途中母は私に「又デイケアに行ってもいいわよ」と言った きっと娘さんがひきとらないっていってるという言葉を気にしているに違いない 私は「それは当たり前でしょう?リハビリのためだもの 絶対行かなきゃだめよ」と笑って答えた 廊下を母の車椅子を押して歩いているとナースステーションにいつものいじわるの看護婦さんがいなかったので私は母に「今 ちょっとアポイントとりつけてくるね」と言ってナースステーションに入っていった 二人60代の看護婦さんがいたが 私をちらりと見るといつもいる方の看護婦さんはそのまま私を無視して仕事をしたので私はあまり知らない看護婦さんに院長先生と話し合いたい事があるので日にちと時間を決めてくださればこちらが出向きます と伝えた そのやりとりが終わって出ようとしたときに無視していた看護婦さんがすごい顔で私にいきなりこう言った「あのねえ こちらから連絡するときテレホンカードかなんか置いていってくださる?本当は私用で電話しちゃいけないところを今までこっそり内緒にしてあなたの家にかけていたのよ お母さんに聞いたらお金は全然ないっていうから今まで黙っていたけれど本当はやっちゃいけない規則なのよ!」「はあ あの母の引き出しの中に小銭は置いてありますが」「あら!じゃあお母さん 又嘘ついたんだわ!!」「いえ!!!違いますよ!この間公衆電話のかけ方を教えて小銭を置いていったのです」「あ あら そうなの?ほほほ・・・」全くもってむかついてしまっただいたい そっちから電話をかけてきたのって勝手に毛布をもってこいだの下着を山のようにもってこいだのって話でしょ? 母が私に連絡したいって頼んだなのは時計の件一回だけじゃない! 毛布と下着を持ってきたのにやっぱり母はいらない 使わないっていうし 私は母といつも連絡をまめにしてるし母も電話をかけてまでいう要件ではないから娘が来るまで我慢して要件を伝えている そんなに私たち親子が憎たらしいのですか・・・ナースステーションをでて母を部屋に戻して帰ることにしたが他人からこんなに敵意むき出しに親子そろって扱われるのに耐えられなかった一体何がいけなかったというのだろう?お正月に連れて帰れとえらい剣幕で電話されそれに対して私が反論したことがいけなかったのか?もう疲れてしまった・・母も私も嫌な思いをして逗子の病院にいることは意味がないと思う明日から とりあえず手当たり次第私達をサポートしてくれる機関や人を探さないとまずケアマネ探しと市役所に行かなければそうそう励ましのお便りの中に書いてあったので多かったパーキンソン友の会にも連絡してみようせっかくやっと落ち着いたと思っていたのに 又病院めぐり施設めぐりの日々がくるのだろうなあ・・今日はもうなんだか悲しくて心が重くなってしまいました・・
2004年01月13日
先日 在宅介護に向けて動くことを決意した私にショッキングな話が舞い降りました二月から旦那さんが単身赴任状態になるそうです場所は家から近いのだけど仕事的にハードになるため泊まりこみでスタッフ全員で仕事にとりかかるそうですその期間は三ヶ月間私は三月もしくは四月から在宅をと思っていたので出鼻をくじかれてしまいました母は先週お見舞いに行ったときに一月にはもう家に帰りたいと強く要望していました でも 私が手続きもあるのだからもう少し待っていてねと何とか説得したのにこんな状況でやっていけるのでしょうか・・・私は動揺しながらも冷静に考えてみることに・・旦那さんがいないということは確かに旦那さんのお世話をしなくてもすむけれど全く手助けしてくれる人が皆無になるし 近いところに単身赴任するため一週間に一度は洗濯物を山のようにためて持ってくるかもしれないし私も赴任先にたまには行かなきゃいけないかもしれないこの状況で母を家にひきとってしまうには条件が必要になる もう一人サポートしてくれる人がいなければ無理だ我が家の構造は二世帯住宅なので二階と三階に分かれての生活になっている 目の届く範囲に常に母がいて家事ができる状況ではなく 洗濯機とお風呂場は一階 私が主に料理をするところは三階 洗濯物を干す場所も三階になるそれに二階の親世帯の今は和室で畳にコタツ状態 体の不自由な人が楽にたったり座ったり歩いたりできるような場所ではないのだそれに考えてみたのだけれどいきなり千葉の順天堂の病院へ医師を訪ねて行って「在宅にしたいからそれまでの間どこか病院を紹介してくれ」と頼んだところで結局大きな病院は次の病院を紹介するときは医者がやることではないし現に今入院しているのは逗子の病院なのだからお門違いじゃないだろうか? まず逗子の院長先生にお話をして在宅目的のためのリハビリ強化の病院を紹介してもらうのが筋だろうでも 院長先生にお話をするのなら今の母と私の境遇を院長先生に直接ぶつけてみても良い気がするがそれが返って私たち親子がいじめの対象になってしまう可能性も捨てきれないそれに もし千葉のどこかの病院へ紹介してもらって転院したとしても旦那さんの仕事が思うように進まず単身赴任状態が延長してしまったらもはや我慢の限界を超えている母を引き取らないというわけにはいかないし又病院側から長期入院を拒否され別の病院を探してそこも拒否されたりしたらとか考え出すともう頭がぐるぐる回ってきてしまう母は家に帰りたいと思ってる私は一人で在宅は絶対無理だと思ってる母がデイやヘルパーなどを利用してくれない限り絶対無理だし常時転ぶ危険性もあるので家政婦さんもいてくれないと私は買い物や手続きのために外出もできなくなる私は二年間在宅をほとんど一人でしてきて体を壊して自分の生活にゆとりがなかった今母が一年半入院していることで私の体は徐々に良くなってはきたものの それは母の犠牲の上になりたっている幸せだ誰かが誰かの犠牲の上にいる そもそも それが変なのだ母の希望と私の負担が一番軽減される方法は 誰かの助け人手が足りないのならお金で補うしかないでも そのお金を出すのは母のお金母が納得してくれない限り利用することはできないのだそれを説得するのも大変なことだし 第一我が家のほうも落ち着かない だけど母は逗子の病院や入院自体に限界がきているようだし無理にでも話を前へと進めなければいけない気がするがどこから手をつけていいのかわからないのが正直なところ逗子にそのまま単身赴任状態が終わるまで入院していてもらうのがベストなのかそれとも千葉の病院へ短気入院させるのがベストなのかそれとも私しかいない我が家に母を連れて帰るのがベストなのかどうしてこう何かをしようとするときに物事が重なるのだろう せっかく決意したのにくじけてしまいそうになる少し頭を冷やして客観的に判断をしなければいけないですね皆様のご意見お待ちしております
2004年01月08日
二日の日に無理をして逗子へ行ったむくいがその後どどーんと悪化して熱がでてのどの痛いこと・・・でもお正月ですから病院はやってないし(以前正月休みに診療している病院を探して行ったら大きな病院で宿直の先生が大学出立ての新米先生で誤診はされるわ薬は私が指摘して出してもらうわで大変だったので行きたくない)薬局で購入してある総合感冒薬(あんまり効かない)を飲みつつ大人しく家に篭もっていました(笑)お蔭様でようやく昨日治り掛けて来たと思ったら昨夜冷え込みが強かったのと春からの在宅介護を考えて心も重く朝起きてみると鼻水が・・・・よっぽど行くのやめようかと思ったけれど歯磨き粉とカレンダーを持ってきてくれと言われていたし 病院へ行かないということを看護婦さんに伝えてもらうのも嫌だったし厚着をしての逗子入りです電車の中はどうしてだろう?暖房が入っていません 厚着をしたって一時間半同じところに座っていれば体は冷えてしまいます ぶるぶる震えながらきついのでうとうと寝ちゃったりもして あーあ これじゃあ悪化だわ(笑)バス停から病院の前まで歩いていく道のりで「ああ 今日も母がごねていたらどうしよう もう私一人だけじゃ母を説得しきれない 胃が痛い すぐ退院させろと言われたら何て答えよう」とずっと考えていました母の部屋の前に来るとドアが閉められています こういう場合はおむつ交換の状態なので どうしたものかと一瞬ためらいましたがおむつ交換は時間がかかるし私が指定された時間に来ないことで母を不満にさせてはと思い こそっとドアを開けてみるとやはりおむつ交換 44歳の若年性パーキンで呼吸音がうるさい方のをしていました 若い女性なので私も気を使いすぐにドアをさっとしめて廊下で待機していると母がひょこっとドアから顔をだして「あら やっぱりおのづさんだわ」と言いました 私は立って歩いている母の補佐をしないといけないのですぐに部屋に入り「どうもすみません 交換作業中に開けてしまって」と挨拶しました すると母が「この人が風だよって言ったのよ!私はおのづさんだって思ったからすぐ来たの 風なんかでドアが開くわけないわよねえ」看護士さんが「風だと思ったんだよー」「すみません こっそり開けてさっと閉めちゃったのです」「いいや 私はおのづさんだとすぐ分かったよ でもこの人は風だっていうのよ」「はいはい わかったよ それに○○さん 歩いているときはヘルメットつけなきゃだめだよって言ってあるでしょう?」「今 急いできたんだもの」誰が誰の言葉だかわからないでしょうが 要するに母はちょっともてあまし気味 自分の言うとおりにならないと気がすまない状態になっています 私は看護士さんに謝って母の気をそらして身支度を整えて三階の応接室に連れ出しました途中 この間お菓子を下さった方の病室へ行きたいというので母を連れて行きましたがベッドの上にお布団がありません まだ表札はそのままだけどちょっとおかしい状態ですね とりあえず母を三階に連れて行きます母の大好物のあんぽ柿を食べさせてまずご機嫌を取ります あんぽ柿の美味しさに満足したのか母は昨日あった出来事を話してくれました以前から部屋のトイレの便座が冷たいことに不満を持っていた母でしたがしょうがないと思ってそのまま利用していたのだけど昔の型なので便座自体が低く あともう少しでお尻がつくだろうと思って利用していたらそのままお尻からすとんと転んでしまったそうです 別に頭をぶつけるわけでもなくぺたんとしりもちをついた形になったのだけどトイレが狭くて自力で立ち上がれず「たすけて~」と叫んでいたそうです 廊下に通りかかったお友達の患者さんが気がついて母を助けようとしたけれどお互いパーキンなので助けられません 母は「じゃあ電話して看護婦さんを呼んでちょうだい」とお願いしたら「それだったらできるわ」ということでナースコールを押して看護婦さんに助けてもらったそうです そしたらすぐに全部の看護婦さんがその事件を知ってしまい例のうるさい看護婦さんがやってきて母を問い詰めるのだそうです要件は1.娘さんは病院への支払いが高いと言っていたが何て言って来たのか?2.娘さんの病気の具合はどうなんだ?3.便座カバーを何で買わないんだ?4.病院から出て行くのか?だそうです 聞いていて呆れてしまいます・・・そこで母も これはやりあわないと私は八方塞になってしまうと考えて一時間半かけてちゃんちゃんばらばらをやりあったそうです(笑)母の言い分は1.何の相談もせずいきなりこっちの部屋に移動させてお互い病気かも知れないけれど一日中呼吸音がうるさくて眠れないし隣の人は(痴呆症状がひどいひと)三時間に一回手すりをべきべきとはずして音をたてるし どうしてこんな嫌がらせをするのだ2.個人の部屋ならともかく大部屋のトイレにどうして自費で便座カバーをつけなければならないのか3.娘の病気を根掘り葉掘りなぜ聞きたがる4.そんなに私に対していじわるしていて この部屋に回すということは私を左遷させたってことでしょうというものであるまあ 両者感情が伴ってるので大げさに聞こえるかもしれないけれど 冷静に考えてもトイレの便座カバーうんぬんはおかしいし それにパーキン専門病院にも係わらず軽度の母がトイレで転倒するということは今までだってあっただろうし今後も他の患者さんがそうなる可能性もある 病院側の設備に落ち度があるのではないだろうか?延々と話し合っても埒が明かないのでとうとう院長先生がやってきたらしい 院長先生は母がトイレで転んだという事実を重く受け止めてすぐにトイレを新しくしましょうと約束してくれたようだ 母は便座も暖かいのにしてほしいと訴えたがなにぶんお金がかかるので安く買えたら取り付けますという約束をしたそうだ 院長先生が母の意見を取り入れてトイレを新しくするということになったことが例の看護婦さんを黙らせてしまった 一体全体この病院はどうなってるのだろう?私は推理してみた 個人病院にしては大きな作りの病院で院長先生一人では全部を管理できない それを変わりにしているのが婦長でその婦長と親密な関係にあるのが例の看護婦さんと事務の人なんじゃないだろうか? 多分一部の古株がそういう権限を持っていて好き勝手にやってるような感じがした 普通どんな病院だって若い看護婦さんが入ってきたりするがこの病院では若い看護婦さんはいない 皆40代から60代のベテランである 何か特殊なシステムになっていて裏で好きにされてるような感じがした だいたい私が母を入院させるときに婦長さんが「入院待ちの患者さんがこんなにいるんですよ」と指で書類の厚さを示してくれたが 母の病室は相変わらず四人部屋なのに三人しかいないし 個室でも空いているところは空いている 大病院の場合その日のお昼に退院したら当日の三時過ぎには新しい患者さんが入ってくる なんか怪しいなあ おかしいと思うのは私だけだろうか?まあ だいたいこの日記は私の主観で書いてあるのだから私の日記を読んだ人は客観的に見れないだろうし実物を拝見できないのだから正常判断はできない でも 私はあまり感情的になるタイプではないので比較的冷静に見ているつもりだけどもう少しつついてみたらぼろがでそうなきがする病院への支払いだって 何かあったら院長先生ではなく婦長に言えと何度も言われているし その件について母に文句を言ってくるのは例の看護婦と事務の人だ 事務の人は私が一度そのことを確かめたときの人で私の事も知っているどうだろう?一度婦長をすっとばかして院長先生に問いただしてみたほうがいいのかな?でもそのことが知れ渡ったら母はいじめにあったりして・・・ うーん どうしたものかなあ・・母はとりあえず自分の意見が通ったことに満足している様子だった あんまり母がうるさいので病院側が折れたのか それとも今までのいきさつを知らない院長先生が良心でやってくれたのかわからない帰り際にお見舞い記入ノートに帰宅時間を記入して帰るのだがいつも見て思うことがある私が来た時間より後の人が全員帰っているのだここの病院は一日で10人から20人前後のお見舞いがくるのだけれど大半は5分から30分で帰宅する 主に洗濯物を受け取りに来てるだけの様だ私は一週間に一度しかこれないけれど一時間半はたっぷりいる 私以上に長く病院にいる人はいない でも 錯乱したときに千葉の病院に入院した母の元へ週に五日通ったけれど二時間以上はいたなあ毎日くるけど一日たった5分で帰ってしまう家族と一週間に一度だけだけど一時間半いる家族と どっちが悪いというのだろうか? 例の看護婦さんは私に「あなたは一週間に一度しかこれないんですものねえ」と皮肉を言ったがじゃあ毎日来て5分で帰っている家族のほうが偉いのか?何だか疲れてきた・・ 人間関係って嫌だ風邪が悪化したため今日はもう考えるのをやめよう明日から順天堂の病院やら市役所やら手続きをしようと思ったが治るまで少し大人しくしていますそうそう 旦那さんの検査の結果は炎症があるだけでポリープや癌はなかったそうです 入院せずに帰ってきました 正確な先生からのお話は来週以降になるので何がどうして出血しているのかは分かりませんが大事にならずにすみそうです ご心配おかけしました m(__)m
2004年01月07日
明けましておめでとうございます本年もよろしくお願い致します三年に渡って介護看病介護としてまいりましたが状況は日々変化している状況です在宅を迎えるにあたって少しでも明るい生活が送れるようにと願っております介護仲間の皆様にも良い年が過ごせるよう心から祈っております 年末年始は睡眠不足で走り回り疲れました(笑)今日はもうのども痛いしだるいし寒気がある こんなで逗子に行ったら悪化するだろうなと思いつつも行く約束もしてあるし病院側から又クレームがくると嫌だし旦那さんも一緒に行くというので電車に揺られて行って参りました お正月だから空いているだろうと思いきや家族連れで皆遠出の模様 しかも中途半端に暖かいため暖房が一切入っていない 旦那さんは初めての逗子入り乗っても乗っても逗子につかないので病院に到着するまでに疲れている様子 母の元へ行くと病院内では約半分の患者さんが自宅に帰っているようなので静まり返っている やっぱり無理をしてでも連れ帰ればよかったのかなあとちょっぴり後悔したりもする 母は私だけが来ると思っていたので旦那さんを見てベッドに横になってくつろいでいたところを恥かしそうにして「明けましておめでとうございます 今年もよろしくお願いします」と挨拶をした そして私に「遅かったじゃない 待ちくたびれて横になっていたのよ」と言った 母を三階の応接室に連れて行くときに冷蔵庫から食べたい果物を自分で出してきた母は以前入院していたおばあさんが一旦別の病院へ行き悪化したため又この病院に戻ってきてその娘さんからお菓子を頂いたと私に報告した そしてそのおばあさんの娘さんに何かお返ししたいと言うので今日お正月用に持ってきた栗ぜんざいを渡すことにしてそのおばあさんの部屋を探しに病院を探索することに 母は「一時期危なかったんだけどもちなおしたのよ 娘さんは高根木戸(我が家より少し遠い)から週に二日お見舞いに見えてるわ」と話した 病室を回っていても母はその人の名前がはっきりと分からないので全部の病室を回りながらの大捜索 ようやく一番最後におばあさんの部屋が分かったのだが娘さんがいないので「あのおばあさんは頭がもう分からないから娘さんに渡さないとだめなの 明日又来るわ」と言った 母と旦那さんを連れて三階の応接室に お正月に家に連れて帰れない家族の方が大勢お見舞いにいらしていた 母にコンビニで購入した磯辺餅を渡す 母は「わあ 去年もお餅が食べられなかったから今年はでるかって患者さんたちと楽しみに待っていたのよ でも やっぱりでなかったわ」「そりゃあそうだよ お母さんはまだ飲み込みがいいけれどパーキンの方は特に それとお年よりはね・・・」「そうなのよね お餅は喉にひっかかるといけないものね」と分かっているようだった 母はおいしいおいしいと言ってぺろりと完食をして羊羹もぺろりと食べフルーツも食べてしまった しばらく穏やかに過ごしていたが私は体がだるくてかなりぐったりしていたのであまりしゃべりたくなかった 喉が痛くて発声が苦しかったのだ すると母は「この病院はね長くいるもんじゃない 早く退院しよう 家に帰ろう」と言ってきた はあ?年末あれだけ私が説得したのに又どうしたっていうのだろう・・ 私は「お母さん 年末お話したでしょう?今はまだ無理だって」「もう帰るの」母は又遠くを見ながら断固として自分の意見は変えないわという姿勢でいる 「でもね お母さん まだ手続きも終わらないし旦那さんの検査入院が今度あるでしょう?その結果どうなるかわからないじゃない」「そんなこといったら!いつになるかわからないじゃない もう帰るの そしてね ここまでお薬を取りにくればいいんだよ 自分でね家でリハビリしてればいいの!」「お母さん・・ お母さんが今家に帰ってきても何の手続きも終わってないのだよ?誰も助けてくれるようになってないの」「自分のことは自分ですればいいんだ!」「だって一人じゃご飯も作れないだろうしお風呂だって一人じゃ入れないでしょう」「一日かけてやればいいんだよ!!お風呂なんて一週間に一度頭を洗えばいいんだ」「頭はそれでもいいよ でもお風呂に入るのに中で滑って転んだらどうするのよ もしかしたらこれから旦那さんの看病に入らなければならないかもなのにお母さんを手助けしてくれる手続きも済んでない だから待ってといったでしょう?」「手続き手続きって 一体何がそんなにあるっていうのよ!」「だからこの間いったでしょう?まず順天堂の病院にお薬をもらえるかどうか聞いて私に何かあったときにお母さんを入院させてもらえる病院が千葉にあるのか聞いて ケアマネを変更して往診してくださる先生を探してリハビリしてくれるデイサービスも探して家政婦さんも探して自動車も障害者用に申請しないといけないんだって! 手続きってね一回で全部終わるところなんてほとんどないんだよ?何回も書類を持っていってOKがでるんだよ 何日だってかかるんだよ?」「もう一人でやるからいいんだよ!そんなこと!どうして家に帰してくれないんだ!」そこで私は体調不良もあってぶちっと切れてしまった どうしてそんなに自分勝手なのだろう 何でもかんでも自分ひとりでやるといったってできっこないのは分かりきっている リハビリにもいかないサービスも使わない 車椅子はおのづさんが何とかしてくれる デパートに連れてってくれるのもおのづさんが何とかしてくれる って全部私に負担をかけてるんじゃない・・ 私だって体調が悪い 手術をしたときだって誰にも迷惑をかけず一人で病院へ行きその日のうちに帰ってきて食事も冷凍食品を大量に買い込んで食事に不自由ないようにした 包帯だって自分で変えたし消毒もした 私は私の事で誰かの負担になるようにはしてないのに旦那さんの病気 母の介護それらは全部私にかかってくる それでも優先順位をつけて対処していかないといけないのに何で今日年明け早々にそんなことをいってくるのだろう・・私はもう話したくなかったので黙ってしまった 旦那さんも私たちのやりとりを聞いていたが黙っていた しばらくして母が「さ じゃあ もう部屋に戻りましょうか」と言ったので後片付けをしてトイレに行って来てさて帰ろうかというとき母はこう言った「ごめんなさい おのづさん 気分を悪くさせて・・」「お母さん うちら家族は今三人しかいないんだよ? その全員が病気なの 特に今一番注意しなきゃいけないのは旦那さんなのよ 旦那さんが手術したり会社辞めたりしたら本当に状況は変わって来るんだし自分のわがままを優先させたらうまくやっていけないでしょう?皆が全員協力をしていかなかったらだめなんだよ」「そうだよね・・協力しなきゃね 皆病気なんだもんね」母を連れて廊下に出ると母は「待ってもう一度あのおばあさんの部屋に連れて行ってちょうだい どうやっていくのか忘れちゃったわ それと おしっこもれちゃうわ」というのでどちらを優先させるか母に聞いて病室だというのでおばあさんのところへ寄ってその後暖かい便座のあるトイレに連れて行った 母がトイレで用をたしているので廊下で待っていると例の看護婦さんがやってきた もう一人患者さんが車椅子で右往左往していたので看護婦さんが声をかけていたが私の事は無視しているようだった 私は「あけましておめでとうございます!」と大きな声をだした どうせ挨拶しなかったら後で又何か言われるのだろうしね すると今気がついたというような顔をして「おめでとうございます もう体の調子はいいんですか?」と聞いてきた「ええ まあ ゆっくりと回復していっています」「そうでしょうね 切ったんですものね」そしてそそくさとどっかへ言ってしまった 時間をかけてトイレを済ませた母を車椅子へ乗せ病室に戻した 母は「カレンダー持って来てくれたの?」と聞くのでうっかり用意していたのに忘れてしまったことに気がついた「ああ ごめんなさい ちょっと忙しくてばたばたしてたから忘れちゃったわ」「あーあ 楽しみにしていたのに あんたは若いから忘れないと思ったのに そうだ どうせならこんな小さな卓上カレンダーじゃなくて大きなカレンダーがいい 壁につるしてほしい」「でも 病室の壁に勝手に画鋲ではったらまずいでしょう」「これじゃあ小さくて見えないのよ!」「だけどさうちらは目の敵にされてるんでしょう?これ以上なんか言われるのはいやだよ 去年のと同じのでいいでしょう?」「これはね 眼鏡をかけないと見えないんだよ」「いいの!それもリハビリのうちよ 何でも楽していったらだめなのよ!」と多少強めに言って帰ることにした母は何かいいたげなようだったが人の顔をじーーっとみながら手をいつまでもふっていた病院を出てバス停まで歩く途中に私は旦那さんに聞いてみた「どう? どう思った?」「・・・在宅は無理だよ 春まで入院させておいたほうがいい」「春までどこに?」「逗子に」「でも逗子の病院では嫌われてるし無理よ それにあんなに帰りたがってるし 全く 先週は納得してくれたのに又同じことを言い出して いつもそう・・・」「忘れてるんじゃないのか?」「ちがうよ 忘れてなんかないよ 一週間自分の中で考えて自分の考えを優先させちゃうからすぐくつがえされるの だいたいあなたも在宅が無理だと思うなら私が説得しているときにどうして助けてくれないのよ」「・・・・」「私一人じゃどんなに言っても無理なのよ こんな押し問答を何回繰り返してきたことか 大黒柱のあなたがびしっと意見を言ってくれなきゃいやな役目は皆私なんじゃないの・・・」「・・・・・・」そして精神的にも肉体的にも疲れ果てた私は帰りの電車の暖房が効いていないなか爆睡してしまった 案の定起きると喉がめちゃくちゃ痛い 自分の駅についてささっと買い物をすませて家に着いて食事の支度をしてぐったりしてしまった その間旦那さんはこたつでテレビを見ている 少しむかっときてしまった私は「逗子まで行って帰ると疲れるでしょう?」と皮肉を言ってみたが「ああ 疲れるね」という返答で終わってしまったお風呂に入りながら何度も母を在宅にした場合のシュミレーションをしてみる 誰の助けも借りなかった場合のシュミレーションだ 入院する前ある程度歩けた母は一日に10回程度転んでいた この家は一応バリアフリーだけれど廊下が狭く車椅子で移動するのには困難だ 今ほとんど歩けない母が自分ひとりでやるわと人の助けを拒否した場合(頑固なので拒否されると本当に助けることができなくなるし喧嘩すれば三ヶ月口を聞いてくれない)家事をするのに台所と居間とを行ったりきたりされたら一日に30回は転ぶだろうなあ 転倒を防ぐのって本当に大変なことである 常時立った場合すぐ支えられるように片時も離れず側にいないと防げない 50センチでも離れたところにいればもう間に合わないし こちらが側にいても座っていた場合ももちろん間に合わない 母は転んで死んでしまってもいいから家に帰りたいというけれど私はできるだけ長生きしてもらいたいと思ってる 一体どうしたらよいものだろうか・・ この調子だと家に帰った母はやっぱりデイサービスもヘルパーも家政婦も拒否してしまいそうである ああ 頭が痛いよ・・・・
2004年01月02日
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