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今日も眠い・・どうしたんだろう・・12時間寝ても起きれない・・でも とりあえず起きて朝食 二時間様子見て大丈夫そうなので外出市役所は出張所でも受け付けてくれたので駅前の出張所でOKその後美容院へ行く来週から一週間外出ばかりだから ぼさぼさの白髪頭じゃ外見が悪すぎる暑さの中歩くと 口から自然と「ふー」「はー」と声が出る美容院につき どうぞと鏡の前に通され座ったときスタッフが「大丈夫ですか? 顔・・・」と言われたので鏡を見ると顔中に蕁麻疹・・あららら・・・私は体調が悪いと蕁麻疹が首から上にでるのだが 普通のタイプと違ってまるで蚊にさされたごとく大きく膨れる「あ 気にしないで下さい^^;」というも かゆい~美容院で二時間ほど白髪染めとカットをしてもらったが シャンプーしてもらったり 髪をいじってもらうと とても気持ちが良いここまでくるのに ひーひー言ってたのに なぜか体調もよくなったような気がする結局とてもかわゆくカットしてもらい(自分で言うな)そのときふと「もしかしたら 肩こりひどいのかな」と思った来週は忙しいから 肩こりほぐしてもらおう 急に思い立って3軒あるとてもお気に入りのデパートのリラクゼーションへ行って見る・・つぶれてた・・次に 2軒目にお気に入りの駅ビルまで行って見る・・1時間待ちだそうで・・かなり汗だくになってもう帰ろうかと思ったが 頑張ってヨーカドーの中にある行った事のないリラクゼーションへ行って見る待ち時間0やったー^^さっそく 肩 腰 頭 でお願いする(偏頭痛がひどいので)初回は割引が効く様で40分お願いするもみもみもみ ぎゅーぎゅーぎゅー全然指が入らない・・ 岩みたいだなと 自分の身体を客観視する「あの・・ 指痛くありません?大丈夫ですか?」とても若い女性のスタッフの指を心配してみる自分もよく人の肩をもむのでその大変さは分かるのだ「おのづさん・・ あの・・ ばりばりなんですけど・・」「や やはり・・」「こんなになるまでよく我慢してましたね・・」「は はい・・体調はかなり悪いっす・・」スタッフの人が言うには 肩 腰 首 足の裏が硬く 特に肩は異常だそうだやっぱし ここ二週間頭痛がひどいのは肩こりのせいかあ などと客観視する若い女性のスタッフがとてもがんばってくれたすんごく痛いときもあったが 気持ちいいときは天国にいるようだったもみ返しが心配されたけど 何もしないよりかはもみほぐしてくれたほうが来週のサバイバルを乗り切れるかもしれないと思い歯を食いしばることも何度か(笑)頭の部分もお願いしてたのだけど 首を左右に寝かせてリンパ節のところを ぎゅーーっとされた自分でもびっくりするほど硬くて しぼられると中から老廃物にゅにゅって出る感じがしたスタッフの人はその後特別に色々な場所のリンパ節のところを押してくれたがやはり同じ感じがしたふむ~ 代謝が落ちてたのかもしれないなもまれててすぐ お腹がすいてきたのには正直笑えたあんなに食欲がなかったのに もしかしてストレスが緩和できたのかなてことは精神科なんかいかなくても毎週ここに通ったらいいんでない?などと考える40分がっしりもまれて 体の調子はすこぶる良くなった今の私はお腹がすいたときに食べないと食べれないので すぐレストランへいつもは途中からお腹が痛くなるのに全く痛くないどころか追加注文すらできた少し買い物して満足して家に徒歩で帰る「いやあ リラクゼーションって高いけどいいもんだなあ」とルンルンで帰宅してたけど 途中からやっぱり歩きが重いお風呂に入り横になってしばらくしてんがああああああなんともまれて4時間後にはもう揉み返しが来てしまいましたいたたたた;;;;;;湿布を貼って痛さを軽減まあいいや 後三日ある 後はどこもいかずに寝ていよう案の定偏頭痛がぶり返し 結局鎮痛剤を2回飲んでもずきずき・・何とか頑張って横須賀サバイバルを乗り切ろうで一週間頑張ったらご褒美にリラクゼーションしにこよう友人が一週間通うのは大変だからとウィークリーマンションを探してくれたけど最終日の日のチェックのとき 退院する日と重なるから早朝からチェックしてくれるかなとか チェックに手間取って退院時間に間に合うかしらとかいう不安がでたので 毎日通うことにした一週間 頑張ろうとりあえず三日間 寝てすごします^^;
2008年07月31日
昨夜 病院から診断書をいただけたので 特定疾患医療受給者申請と重症患者認定申請の手続きのために書類を書き込むので 本日はそれを提出しに保健所と雑草が家の周りに生えまくっているので除草剤などの買い物をしに出かけることにする朝 起きれない・・・・なんでだろう・・12時間以上寝ているのにも関わらず起きれない眠くてしかたがない頑張って起きて今日は朝食を取る(近所のお出かけなので別にお腹が壊れてもよい)二時間ほど様子を見て大丈夫そうなので出発保健所は市役所の隣で車で行くと30分くらいかかる保健所で手続きを済ませ(一発でOK)帰ろうかなと思ってエレベーターを待っているとき 横に「知事宛のメッセージを出しましょう」というコーナーがあり目に止まる用紙を見てみると千葉県を自分たちの意見を出し合い皆が参加しながら良くしていきましょうというような内容だメッセージを出すと千葉県のHPに乗るらしく(名前はふせられます)出されたものについても皆で意見を出し合おうというようなものらしいふむふむ 以前から我が市の高齢者医療に対する発展の遅さを気にしていたのだ本当に知事が見てくれるか分からないがこういうところからこつこつと取り組んだほうがいいかもな と思って用紙を何枚かもらって帰ることに駐車場まで歩いていたがこの暑さと何だか体調が悪くなってきて歩くのがおっくうになってきた次に向かうはホームセンターである隣のスーパーには何度も行っているのだが ホームセンターへの行き方が一方向からしかわからない^^;保健所から行くと逆方向から行くので一応試みるも案の定迷ってなぜだか山の中を走る羽目に・・・(方向音痴なので・・)結局ホームセンターの建物は見えても近づけず ぐるっと回っていつもと同じ方向からいくは目に・・ホームセンターの横に新しくスーパーが建っていた私はこういう新しく出来たところに行くのが大好きだホームセンターで買い物を終え 車をそのままにしてスーパーまで歩いていくがもう くたくたの よれよれで スーパーの椅子に長い間腰掛けてしまったまあ そうだよなあ一日一食でこの暑さの中出歩いていたら体力もなくなるわな・・不思議なもので一日一食が長くなってくると体がそのように対応して便が少なくなり体重も減らなくなってしまったまるで おじいさんおばあさんのごとく 口で息をしながら椅子に座り よっこらせと立ち上がり気力で車まで戻ったホームセンターの隣のスーパーではお米を買いたかったたかが5%OFFなのに 頑張って行き 5キロのお米を担いでふーふーといいながら 家に帰宅ポストを見ると 介護保険課と横須賀裁判所と市役所から手紙が来ていた介護保険課の手紙を見ると この間取り消してもらった介護保険の取り消し申請書が入っていたがっくり・・今 私は保健所(市役所の隣)から帰ってきたんだよ;;私はこういう二度手間が大嫌いである手続きの多くは郵便で済ますこともできるのだが それを私がしないのは記入漏れとか書類が足らないからといって 何度も連絡がきたり 再び郵便物を出すということをしたくないからだ今回の特定疾患受給者申請も 病院側から提出された診断書の中で未記入があったから 三箇所私は質問に答えなければならなかったはふー また 明日行って来なくては・・少し休んで家の周りに除草剤を撒いて完全にグロッキーになってしまったなんだか おなかがへんまるで お豆腐みたい何かのショックを与えると ぐじゅぐじゅって今にも壊れそうな感じの不安定なお腹である激痛ではないが 痛みが日中ほとんどあるし 便意もしょっちゅうだ(だが出ない)栄養失調なのは分かるけど これじゃあ 無理に食べれないなあ私はスーパーででっかいプリンを購入していた三ヶ月前ダイエットで甘いものを一切禁じカロリー計算して食事を制限してたのに今じゃできるだけ少量のもので高カロリーなものを選んでいる笑ってしまった生クリームは消化に悪いのでとりあえずプリンを購入したのだが甘いものが嫌いな私は苦手であるまあ いつか食べよう横須賀裁判所からは成年後見制度の書類が入っていた成年後見制度にも種類があり 全面的に後見するのと 一部分だけ後見するのとある母の場合は全面的なのだが仮に 母が症候群ではなくパーキンソンで意識は正常だけど動かないとすると一部分だけの後見になるそうすると 私が銀行へ行き定期を解約しようとするとどうなるかというと解約の書類を持って窓口へ行けば本人じゃないので待ったがかかるそこで私が一部分のみの後見書を提出すると さらに待ったがかかり銀行員が母の病院まで行き母と直接会い「娘さんが○○銀行の定期預金○○円分を解約しようとしていますがよろしいですか?」と聞き 母が「よい」といってから 始めて定期が解約されるというしくみだ二度手間 三度手間もいいところだ私はこういうのが大嫌いなのである・・今日ニュースで政府が公的医療資金をあげてくれないので医師も病院も悲鳴をあげているというのを聞いたこのままいくと 多分日本は医師をやめていく人が大勢でてくるという昔のように 医師=お金持ちという時代ではないようだ日本が長寿国なのは何年も前から分かっていることなのに高齢化社会になかなか適応しようとしない政府は何を考えているのだろう自分たちだっていつかは年寄りになっていくのにね明日 市役所行って美容院も行ってきます(白髪染めアンドカット)金土日と家で身体を十分休めて来週の横須賀週間を何とか乗り切ろうと思ってます
2008年07月30日
朝 やっぱり 起きれない・・起きようと思っても体が動かないやっとの思いで起きるも ものすごーーーーーく体調が悪い外出できるのか?というくらい体調が悪い普段の私なら翌日に母の病院へ行くことを延期してしまうが 今回はそうもいってられない 書類も受け取らなきゃだし パジャマももっていかなきゃだしもう来週の月曜まで日がないのである私は 一歩外へ出ると どんなに体の不調があっても表に出さないそれは40年生きてきて 具合悪くて救急車呼んで欲しいときでも 誰も助けてくれなかったからである人間他人には冷たいものたとえ道路の真ん中でうずくまっていたとしても 素通りされるのだだから 私はここ五年間逗子の病院へ行くとき 過敏性大腸炎で体調が悪くても 常に明るく常に元気に通っていたもちろん母に心配かけたくないという気持ちも大きいすごく具合悪い顔して母の前に立ちたくないので我慢するのであるそのせいで 私が具合悪くて母の病院へ余り行かなかったときや在宅を拒否してきたことを 病院の看護婦さんたちは冷ややかにみていて ある日電話してきて「あなたは自分を育ててくれた母親に対してよくそんな捨てるような態度できますね」と言われたのであるもちろん 喧嘩しました(笑)まあ そんなこともあったので今日も頑張って逗子へ行こうと思い 途中で下してはまずいから朝食を抜き逗子駅でお蕎麦でも食べようと かなり前の電車で行きました前回 2本前の電車に乗ったら逗子まで座れなかったので 今回は6本前の電車にしてみました一応念のため7本前の電車の様子をホームで確認「うむ 東京止まりのくせに混んでいるな では次の逗子行きはもちろんもっと混んでいるに違いない」そう判断した私はわざわざホームから階段で降り改札まで行ってグリーン車の券を購入「ふふ・・事前に駅で購入しておけば250円の得だわ」などと内心ほくそ笑み 逗子行きの電車を待っていたら・・(──┬──__──┬──)がらがらでした・・ああ・・950円の損・・まあいいや;;具合悪かったのだし ゆったり座っていけると思えばいい;;それに今度からこの電車に乗ればグリーン車に行かなくてすむしね一つおりこうになったとしましょう私は真ん中くらいのがらがらに空いているグリーン車の窓側に座りました東京駅で家族連れが入ってきましたおじいちゃんと おばあちゃん二人と 小学一年生くらいの男の子ですこんなにがらがらなんだから 何も私の横に座らなくても・・と内心思いましたが 悪い予感は的中・・発車してすぐに男の子は「僕のお弁当は?」と騒ぎ出し 出されたお弁当(駅弁)を見ると それをばんばん手で叩いて「こんなお弁当いやだああああ! ○○のお弁当のほうがいい!」と号泣です・・・・おばあちゃん二人は なんとかなだめていますが 段々エスカレートしていって耳をふさぎたくなるような超音波の泣き声です(子供はよく超音波みたいな声だしますよねw)おじいちゃんは急にすくっと立ち上がり「こんな電車の中で泣くんじゃねえ!嫌なら次の駅でおろすぞ!わがままも大概にしろ!」と男の子に怒鳴ります怒鳴られて更に悪化する男の子の声・・おじいちゃん 今度は男の子の胸倉つかんで「そんなに嫌なら食うな! もうおまえだけ次でおろすからな! どこへもつれていかん!」と更に怒る男の子 更に更に悪化して 悲鳴みたいな声になる私は真横に座っていたので「ふーん」と思ってみてたけど 別に驚きもしないまあ 今の世の中だったら これでも虐待っていうのかな?とか ちらっと考えた私は母39歳 父44歳のときに誕生した戦争にも行って来た父から育てられたので 反抗期のとき 竹刀でぶたれたこともあった「おのづ」と親が声をかけて「はい」と返事しなかっただけでだ母も女学校で爆弾なんか作っていた時代の人だから 特に食事に関しては厳しく 子供のころ(三歳くらいまで)うまくお椀が掴めなくてお味噌汁をよくこぼしていたのだが 容赦なく手のひらが飛んできたし(もちろん顔をぶたれたことはありません 腕を叩かれました)嫌いなおかずが食事にだされ残すと 2時間でも3時間でも食べ終わるまで食卓で正座だったので私はおじいちゃんのとった行動は当たり前だと思うし逆にこの子の両親は何でも好きにさせてるんだなあと思ってしまった男の子はしばらく悲鳴をあげていたが おばあちゃんになだめられ お弁当の中の海老を食べ始めた それがまあ・・いくら横とは言え通路挟んで隣のしかも電車の中で 男の子が くっちゃくっちゃとさせながら食べているのが聞こえて嫌だったおばあちゃんたちは 各々のえびを男の子に与えている男の子は「卵嫌い しいたけ いらない にんじん 嫌 もう お菓子食べたい」と言い出した おばあちゃんは「あらまあ こんないいお弁当なのに」と言ったらおじいちゃんは「当たり前だ 2000円だぞ」と不機嫌そうに言ったひええええ 2000円のお弁当・・・ た 食べたい・・おじいちゃんはお弁当を頼まなかったらしく 男の子が残したお弁当を食べていたおじいちゃんとおばあちゃんはビールとチュウハイを頼み 男の子はカラムーチョみたいな強い香辛料のポテトチップを食べて騒いでいた結局私が降りる逗子の一つ手前の鎌倉までその光景を見ていたが今の私は 穏やかではなく 具合は悪いは精神的に余裕はないはで とてもじゃないけど「私に子供は育てられないな・・」と思ったほど拒否反応がでてしまった子育てに奮闘していらっしゃる方々申し訳ありません一時間近くお弁当 お酒 香辛料 の匂いと騒がしさで 横浜をすぎる辺りでものすごく気持ち悪くなってしまった本当なら逗子についたらお蕎麦でもと思ったけれどとてもじゃないけど食べれないバスが来たのでとりあえず病院へ行った受付のお姉さんから書類をもらい 介護保険制度を取りやめたことを伝えた私の市の市役所からも連絡が入っていたらしく 破棄したらしいお姉さんも 今回のことを非常に謝っていて「先生もどういうおつもりなのかしら」と言っていた私はもう一度いきさつを話して「国から療養型を半分にと言われて強い圧力がかかって院長先生も困ってしまっているのでは?」と私が言ったところ「実はね 院長先生 最近色々なことがありすぎて 夜が寝れないって言ってらっしゃるの あちこちに出かけていかなきゃいけないし 色々勝手に国が決めちゃったりしてるから・・このごろ院長先生とお話していても あれ?この間と話が違うなって思うこと 結構あるのよ・・」そうなのかあ・・院長先生も大変だったのだな・・「院長先生そんなにお忙しくしてらして大丈夫なんですか?失礼ですけどおいくつなんでしょうか?」「今年69歳になられたのよ」ええええ??そりゃ色々不安になったり追い詰められたりしたんだろうなあと つくづく思ったここの病院は個人病院である個人病院でありながら 病床50以上持っているまれな病院しかも院長先生がほとんど一人で入院患者をみておられ 午前中は外来診察までしているのだ受付のお姉さんのお話では最近は順天堂大学の先生たちが週に何度か往診しに来て頂いているといっているが やはりそれはそれ これはこれ 自分の名前の個人病院 経営者である医者として患者を救いたいと思う一方 経営者として赤字がでないようにしなければいけないし シンポジウムや会議に出席して最新の医療も学ばなければならないだろうし 順天堂系列の病院と懇意にしているならそちらにも行っているだろう もちろん順天堂から紹介されてこの病院に入院している患者は多いそうだ個人病院を開院している医者の多くは考えるだろう自分は後何年診察していけるだろうかと入院施設がない病院は 医師が歳をとるとともに患者も離れていくので段々減っていって診察時間も短くなり やがて閉院するこの病院は院長先生のお父様がお建てになった病院父親の意思を継ぎ自分の代では隣に施設も建てたパーキンソン患者をほぼ拒否する施設が多いためパーキンソンでも入れるようにと建ててくれたのだ院長先生は女医さんだ女性なのにここまで頑張ってきて 自分ももうそろそろ歳なのにと将来の不安を感じるのに 入院させてくれ 診察してくれっていう患者が全く減らないどころか増えてきているのであるしかも 国の要請でこのような病院は半分に減らしなさいと言われている どこかの病院が閉鎖したらあぶれた患者が自分の所に来るのは明らかでも 院長先生は自分の病院を閉院することを選択しなかったきっと本当に良い医師なのだろうなと思った自分が閉院するのは簡単だけど そうなったら今入院している人たちは一体どうなるのと悩んだに違いない受付のお姉さんは「きっと院長先生も頭の中がいっぱいになっちゃって 話しやすそうなおのづさんだからついつい言っちゃったのよ」と言った私は話をしている途中で貧血に見舞われ受付のお姉さんに支えてもらって 長いすに横になりながら話しを聞いていたが院長先生がかわいそうでしかたなかった・・今まで私たち患者は すがるだけだったんじゃないのかな・・「院長先生助けてください お願いです 入院させてください お金はありません」そんな要望が多かったのではないかと思う私が院長先生にできることで何かないのだろうか と 考えさせられた話は飛ぶが私が貧血で座り込んでしまったため 受付のお姉さんは 初めて私が過敏性大腸炎であることを知ったここ二週間一日一食だということも知った隠していたわけじゃない ただ明るく振舞っていただけのこと逗子の病院は噂話が大好ききっと この話もあっという間に広がるだろうなと 思った別に私は嫌われてもいいけれど 母にまで冷たくされたり嫌味を言われたりするのは嫌だからそれで軽減すればいいやと思ったナースステーションで必要なものをお渡しして母の病室へ行くとものすごい不穏だった何を話しかけても眉間にしわを寄せ天井をにらみつけているこういうときは記憶に残らないので 私がお見舞いに来たこともすっかり忘れるだろうし下手に話しかけて興奮させてもあれなので母の顔のお手入れをして 目薬をさしてあげ しばらく手を握っていたけれどまた空想の世界に行ってしまったので 具合が悪いから早々にひきあげた逗子駅で食事をとらないと 家に帰るまで6時過ぎまで食事抜きになってしまういくら一日一食でもそれはひどいだろうと思い胃薬を飲んで(私はいつ具合が悪くなってもいいようにありとあらゆる薬を持参している)たぬきそばを食べ 帰宅した私は 在宅の件をいたく怒っていたのだが先生も所詮人間色々苦悩して生きていらっしゃることが分かったから もう怒るのはやめた以前 在宅をしていたときケアマネがあまりに何もしてくれなかったことがあって 市役所と県庁にわざわざ出向き「ケアマネの質の向上と 定期的な抜き打ち検査 又情報の公開を願う」と直訴しにいったことがある その数ヵ月後ニュースでケアマネの質の一定化を目標として動くようなことが報道された私個人の動きでそうなったか分からないけど 何もやらないで文句をいうより 何かやってから文句を言ったほうがいい今度院長先生にお会いしたら 私に何かできることがあるのか聞いて やれることがあったらお手伝いしたいと思っています
2008年07月29日
朝 起きようと思っても 眠くて眠くて起きれないまあ 今日は自分の胃腸の病院へ行くだけだし と思いちょっとだけゆっくりめに起きる起きてすぐ安定剤と胃腸の薬を飲むおや・・安定剤がいつもより強く効くなあ ぼーっとする胃腸の病院へ行く前にしておかなければいけないことがあったのでするまず この間の逗子の病院の受付のお姉さんとお話したとき 成年後見制度をしたいと言ったらそういう患者さんは多いので院長先生がいるときにどうぞ^^と言ってくれたので横須賀の裁判所に電話して申請するそしたら 申請書を送るので 申請者の名前住所と理由印鑑を押し 返信用の切手を入れて送ってくれと言われた・・自分の市の市役所では何の手続きもなく無料でくれたんですけど・・ まあいいか・・で 書類を作成して郵便物はできた次に 横須賀市民病院へ電話して お見舞いの際 家から遠いので近くのビジネスホテルを教えて欲しいと頼んだ受付の人は大層親身になってくれて 探し出したら連絡くれることになった次に 逗子の病院から介護保険の申請を取り下げてほしいと言われたので市役所の介護保険課に電話するすると 申請取り下げ書というのを私が記入しないといけないらしいので こちらから郵送で送るからそれにサインしたのち介護保険申請書代理というこの間もらった用紙を返しに市役所までいかないといけないらしいめ めんどくさい・・次にこの間外来受診したときの介護タクシーに電話して背もたれが頭までついている車椅子を貸してほしいとお願いしたなんと 私はあのとき何も言わなかったけど 運転してくれた人が可哀想だと思ったのだろう すでにそのように手配されていた嬉しかったけどさあ・・ 逗子の病院も病院だよね・・ 母の状態がどんなか分かっているのに普通の車椅子で送り出すとは・・ストレッチャーでもおかしくない状態だったよ・・まあいいのです 逗子の病院とは喧嘩ばかりしてるから嫌われてますのでね・・そんなこんなをしていたら お腹が痛くなり また 壊れてしまった;;朝食も食べてないので 過敏性大腸炎が悪化したのだろう私は又二時間トイレと居間を往復して 痛みと戦うはあ・・ やっぱ 母が入院している間の通う往復7時間 耐えられるのかな・・ホテルとったほうがいいかなあ・・もう一度お薬を飲んでしばらく横になり 胃腸の病院へ行く時間になったので出かけます先生にここ二週間のお腹と精神状態の話と ストレスが軽減されたため 精神のお薬が効きすぎるということもお話した先生は じゃあ半分の量にしましょうか と言ったけど 母の入院のときに又大きなストレスがかかるだろうから やはり前回と同じ分量にしてもらったただ 精神のお薬は私が調節できるようにグラムを半分にして個数を倍にしてもらった一応 精神科の先生に会ったほうがいいというので紹介してもらうことにしたが週に一度で月曜の午前中のみだけだった・・てことは・・ 母の入院が来週の月曜から再来週の月曜までなので 行くのって三週間後じゃん;; 入院が長引けば一ヶ月後とかだよ;;会計を終えてお薬ももらい 母の入院中に使用するであろう止まったままの腕時計の電池を交換してもらい 薬局へ行って胃薬と湿布を購入する 最近肩こりがひどいのだ後は100円ショップに行って母のコップとおじさんの印鑑を購入すればいいだけだ今4時半すぎ朝から何も食べてないうえ 下してしまってお腹は空であるお腹すいたなあ・・いつもは 時間がないから駅の立ち食い蕎麦屋みたいなところばかり利用しているので 今日は本格派のお蕎麦屋さんに行き大好きな冷やしたぬきそばを注文したおおすごい こしおいちーーーー^^でも よく噛まなきゃね かみかみかみかみ食べ終わるころ お腹が痛くなってきて しばらくそこで休み 100円ショップに向かって歩き出した買い物がすみ 最近野菜を全くとってないなあと 思った私はスーパーで野菜ジュースと スイカを購入して 帰宅歩くのは早いほうなのだが もう重たいし苦しいしお腹痛いしで すんごい時間かけて えっちらおっちらと歩く家について はーーーー つかれたーーーーーと思う暇なく留守番電話点灯中聞いてみると 株の名義変更の書類が届いたのだが不明な点があるので至急連絡ほしいとのこと・・ちょっとまって 少し休ませて・・と思って うがいしようと洗面所に行こうとしたら電話;;出ると横須賀市民病院の受付の人だったあれこれ調べてくれたらしいが やはり駅から遠いのと海に近いということで民宿や旅館ばかりだそうですしかも全部病院からタクシーで片道1500円くらいかかるところらしいそれと 私が病院から何時頃出るのかというのがポイントだというここらへんの旅館は何時までに入ってくれというのが決まりらしく お見舞い時間の3時から8時フルにいると ひょっとして泊めてくれないのでは?というのだでも 私だって何時までいていいのか分からない母が錯乱する可能性があるので付き添うなら付き添うしそうでなければ普通にお見舞いのみにしますと医師に言ったのだが 2.3日様子を見ないとわからないので必要になったら付き添いお願いします と言われていたのだ困ったなあ・・とりあえず 教えてもらった旅館ホテル民宿の電話番号は控えたけれど 一泊7千円くらいですと言われて うーん・・と思ってしまったのだ7千円でタクシー往復3千円でしょ?やっぱり家から通ったほうがいいのかなあ家からだったら 往復5千円くらいだもの まあ7時間ですけどね・・それは置いといて 証券会社に電話したすると 一つ株の銘柄で私は銀行の貸金庫で疲れ果てたらしく間違って端株まで明記してしまったものがあった生前贈与は端株はできない遺産相続でしかできないのだ証券会社の人はどうしますか?と聞いてきたどうしますかって どうかできるんですか?と訊ねてみたところ端株の買い戻し請求を母の名前でして現金化するか母の名前で端株の残りの部分を買い増しして端株から100株までにして 私の名前に名義変更するかと言われため めんどくさーーー;;証券会社の人は さあどうする? どうしますか?と決断を仰いでるわ 私は今ふらふらで帰ってきたばかりなんだよ;;水も飲んでないうがああああああああああああああああ珍しくぶちきれてしまった・・証券会社の人に「すみません・・母は成年後見制度に価するくらいの人なので私が運営してるのですが来週手術のため入院の手続きでばたばたしてるのです;; しばらくそのまま放置しておいてください すみません;;;;」「あらまあ そういう理由でしたらしかたありませんね どちらを選んでも構いませんがフリーダイヤルになっているので決まりましたらそちらに電話して資料の請求をしてください」あい わかりました・・・端株って 実はこれ一個じゃないんだよね・・父がきれいに整頓しておいてメモってくれてたから分かったんだけど結構いっぱいある・・あんなに苦労してやっと終わったと思ったのに・・・まだまだやることあるんですかい!ひーん 明日は母の病院へ行かないといけないのに 忙しいよ;;ここ二週間あまり寝れなかったので 無性に昨日から眠くてしかたありません明日お腹壊れるといけないので 眠くなるけど安定剤飲んでもう寝ますおやすみなさい・・
2008年07月28日
昨日の日記に書いてあるようにふってわいた大きな問題は あっさり違う問題へ転換されてしまいました昨日は なんだか精神のバランスがうまくとれなくて お腹の調子も悪く 体調もおかしかったのですぐ寝たのですが朝 起きてみると なんだか心の中がおかしいのです確かに恐怖感が襲い掛かる在宅介護はなくなりましたそれによって母を連れて帰れなくなってしまったという自責の念もありますがどうも すっきりせず どごーんと心の中が重たいしばらく分からず安定剤を飲んでみたらこの二週間ずっとぴりぴりしていて飲んでもほとんど効き目なかったのに ものすごい睡魔が襲い ベッドへ行ったら起きれなくなっちゃいましたというのも寝ていた間携帯を横に置いてあるのですが20分おきにメール着信の知らせが来てたのでその都度対応して起きれないから又寝ての繰り返しです夕方 のそーっと起きたのだけど(本当は起きたくなかった)心はすっきりせずとりあえず母の入院の用意をしなきゃいけないので 動きます母は逗子に入院しているけどレンタルというのを使っているのでほとんど私物はありません今度の病院は一般の病院ですからもちろん全部こまごまとしたものを持っていかなければなりません(歯ブラシ 石鹸 パジャマ タオルとか)入院に際しての申請書にサインして それが終わったとき「あ・・・」となぜ心がもやもやしているのか分かりましたそう 在宅がなくなったとしても 胃婁の手術をした後母がどれくらい長く生きるかわからないという不安今まで在宅の恐怖感があまりに大きかったのですっかり影に隠れていたけれど それが表にでてきたのです私は前回の日記に5年が平均くらいかなと思っていたけれど 横須賀の病院で聞いたらまず3ヶ月が勝負どころそれを無事に乗り越えたとしても 口腔内のばい菌が誤飲によって肺に入りすぐ肺炎になってしまうという事実も分かりました普段食事をしている人は 食べたり飲んだり頻繁にしますよねだからばい菌が繁殖される前に胃に流れていきます全く口から摂取することをやめた人は 口腔内にたまったばい菌がものすごい勢いで繁殖してそれが唾液と一緒になって胃にいく場合はいいけれど肺にいった場合肺炎になるのです理想は 一時間おきに口の中をお掃除すること柔らかい歯ブラシや消毒液などでばい菌をぬぐうといいのですが今の病院は毎日母のために歯を磨いてくれることはしてくれませんじゃあ 私が代わりにやればいいじゃないかと思うでしょう?もう 今の母は ぶくぶく ぺっ という行為ができないのですよ逆に私が無理やり歯を磨いたりして口腔内にたまったばい菌をかきまぜた状態にして 母がごくんと誤飲なんかしてしまったら もうアウトです怖くてできませんそう それも在宅にしたときどうするのと思っていた恐怖の一つでしたぶくぶく ぺっ が うまくできない母を一時間おきに病院の看護婦が歯を磨いてくれるとは思いません看護婦さんによっては うまくできず 誤飲させてしまう危険性もあるから私も頼めませんやはり 母の命は短いのではないだろうか在宅の恐怖感はなくなったけれど 母の命のリミットを考えるとそうだ それが最初の私のストレスだったんじゃないかと思い出しました愛しい家族大好きな母いなくなっちゃうんだという寂しい気持ち明日 胃腸の先生が精神科の先生の紹介状をくれることになっていて在宅がなくなったから精神科にいかなくても胃腸は大丈夫だと 思っていたけれどやはり いってこようと思います寂しい 孤独感 誰だって経験することだけど 今の私はそれが胃腸に直結するから一度行って診察を受けてみようと思います精神科の先生が お薬いらないよっていうくらいなら それはそれでいいしお薬だすよというなら それもそれでいいと思ってますそっかあ・・在宅騒ぎですっかり忘れていた母の命の期限のこととりあえず 一日二食になりました(やや無理やり食べてるけど)お腹は 壊れてるほどではないけれど 何回もお通じがあったり 腹痛があったりで芳しくありません明日は 自分の胃腸の病院へ行ってきます
2008年07月27日
昨夜は横須賀市民病院とはどこぞやと思いネットで検索してみるも駅から大変遠いことが判明して(多分バスで30分以上乗ってる)これはビジネスホテルとらないと3時間半以上かかっちゃうんじゃないの?と思いホテルを検索していたのだけど どこも空きがないうえ 病院が海岸そばだから 民宿とか海の家とかそんなんばっかりで途方にくれながら眠りにつきました朝 いつもより早めに目が覚めてしまったのだけど しばらく起きたくなくてベッドで色々考え事をしていた在宅になったら胃婁は医療行為だからヘルパーさんは行えない かなり昔に自動的にタイマーセットしておいたら栄養物が胃に直接流れるようになる機械があるらしいというのは聞いたことあるのだがそれがもし仮に手に入った場合を想定する例えばお墓参り 横浜にあるお墓に年に一度はいかなければならないその間母をヘルパーさんに見ていてもらったとする 朝食は私が母にするとして9時ごろ出て帰宅は5時過ぎになる すると もちろん昼食は機械でタイマーによってされるんだろうけど それって要するに胃婁のチューブから管が機械に繋がれた状態でずっとすごせってことよね・・普通は食べ終えたらチューブから管を抜いてふたをしめるらしいのだけど 8時間近くもつなげっぱなしってどうよ・・鼻管すら嫌がる母がその胃婁の管を嫌がるのは目に見えている拘束帯を使ったとしてもおなかから直接でているから まあ さわろうと思えばさわれるで 何かしらの要因が重なって母が管をひっこぬいちゃったらどうするの?もちろん医療行為だから ヘルパーさんはそれを見たとしても対処することはできない胃婁から栄養物が逆流してでてくるかもしれないし 血が出てくるかもしれないし まあ 間違いなくばい菌は入るでしょうねヘルパーさんは私に連絡してくるだろうけど私は横浜 最悪は高速ぶっとばしてて電話にでれないこともある そしたら ヘルパーさんは母をどうするのだろう?救急車呼ぶのかな それとも私と連絡がつくまで母を放置? それとも自分で母を車椅子に乗せて運転して病院へ連れて行く?家の鍵とか車の鍵 母の保険証とか ヘルパーさんに渡しておかなければならないのかなお墓参りのときだけではない 自分が病院へかかるとき 病院だから携帯の電源は切るそしたら また同じような状況だよね・・お腹からぽたぽたと何かの液体をたらしている母を50分もかかる大学病院まで運んでいくっていうのって なんか おかしくない?普通なら 近くの病院ですぐ対処しないといけないんじゃないの?とか 色々考えて憂鬱になるやっぱり在宅にしたら 母の体力根こそぎなくしちゃうんじゃないのかな・・命を縮めることじゃないの?ベッドで考えてたらイライラしてきたので とりあえず起きて精神安定剤と胃腸の薬を飲むすぐに逗子の病院から電話がかかってきた内容は昨日の揉め事の続き実は よくわからないのだが 院長先生が在宅にしろというので私は市役所までわざわざいき 一度とめてあった介護保険の申請をしなおしていたのだ母の外来受信日に玄関で介護タクシーを待っているとき 受付のお姉さんが「院長先生が見舞金とかでるなら分かるけどそうじゃないなら介護保険の申請全く無駄になるのでしないでいただける?とおっしゃってました」と言ったのだ私は院長先生と胃婁の話をしたとき すぐに在宅にさせたそうな院長にたてついて「介護保険の認定を一度やめてますし すぐには・・」と言ったところ「あら もう一度とればいいじゃない」と言い放ったので 家に帰ってすぐ手続きしたのだ介護保険の申請が全く無駄になる=在宅しないということだそこで私は受付のお姉さんに「院長先生から取るように言われたのだけど・・」と言ってみたのだが「ああ そうよね おのづさんは 一度やめてますよねえ あれえ おかしいですね もう一度院長と確認してみますね」と言ってその場は終えたのだその後何回か受付のお姉さんから電話があり「院長は別の手続きと勘違いしてないか?と言っています」とか「誰かと間違えたかもしれない」とかではっきりせず 私は胃婁の時の話を受付のお姉さんにお話して院長に確認とってもらうようにお願いしていたのだその答えが 返ってきた・・・・・・・・・けど・・・・・・・・答えは「院長先生は 胃婁の手術をしてすぐ在宅へ返すことはできないと言っています しばらく経過観察をしなければいけないからすぐには退院できません それにおのづさんの家庭の状況からしてお母さんを家に帰したらまず往診してもらわないと無理だし お母さんの命を縮めてしまうようなことだから病院が一番安全ですよ と言ってました」はあ????しかも付け加えて「家族や親戚がどうしてもと強引に在宅を望むのであればこちらは拒否できませんけれど そうでないならば入院していたほうがいいでしょう お母さんが落ち着いたころ どうしても在宅と思うならそのとき介護認定の申請をしてください とりあえず今回はそちらで申請を取りやめてもらえないでしょうか?」と言われた・・介護認定の申請 これは年に一度四月ごろいっせいに行われる一度すると一年間有効だつまり 来年の四月まで母は何があっても退院させられない と言ってるのだなんか 話がおかしくない???確かに 逗子の病院で聞いたのと横須賀の病院で聞いたのではあまりに胃婁の話が違っていて術後三ヶ月の間は大変危険があるというのは分かったから 三ヶ月は無理だと思ってたまあ 介護認定にももろもろの手続きにも時間がかかるからどんなに急いでも何とか年内かなと思って急いで手続きを進めていたのだそれが 来年の四月までは退院させないと 言い切ったじゃあ なぜあのとき 院長先生は私に在宅をしろと言ったのだ???受付のお姉さんは「院長先生はとりあえず入院していたらと言ってるし おのづさんの家庭環境では在宅は難しいしお母さんの命を短くするようなものだから この際 ずっといたらいいじゃない ずっと入院しちゃえば?^^」と明るく言うもう 私は何がなんだかさっぱりわからず「はあ」としか言いようがなかった元々退院させるつもりはなかったから 一度打ち切った介護認定それを在宅にしろと言うから この二週間必死の思いで手続きに回ったり 精神的にストレスを感じて胃腸が悪くなり恐怖感でベッドでのたうちまわったこともあるその二週間は 一体なんだったの???死のうとも思ったんだよ?それにしても受付のお姉さんから返ってくる言葉の中には胃婁のときに話した内容が一個もでてこない 院長先生はそんな話してないわよとでも言いたげな返事である私は考えたおかしいよね・・親戚のおじさんから胃婁の患者は医療行為の点数が低くなるから施設も病院も嫌がるんだということはついこの間聞いた私もそうだと思っていたから点数のとれなくなった母を在宅に追いやるのだなと思って覚悟していたのだでも そうじゃなく 介護認定の申請を取り下げるまで母を退院させたくないということは ひょっとしてレンタルのお金のことじゃないのかな?逗子の病院のシステムは全く変わっている入院したら大部屋の患者は全員レンタルが規則となっており 下着もつけずパジャマの上下を一組一週間に一度の取替えで40万とる母の入院させたとき毎日私が通えないというとレンタルに強制的に決まってしまったのだが いくらなんでも月40万は払えないと泣きついたら総婦長が母の年金を聞いてそこから ぎりぎりの金額月15万というのを決定してしまったのだその後 周りの患者さんたちを見ていておかしいと感じた私は何度か総婦長と喧嘩している母のようなレンタルのパジャマを着ている人は病院内に10人もいない皆家から持ってきている家から持ってくる人はクリーニング屋さんを使うこともできるので 一ヶ月5千円で一日何枚もだしても金額は変わらない一度スタッフから 母の下着のクリーニング代も支払いレンタル料金も支払ってる私がかわいそうだと思ったらしく 全部クリーニングにしなさいよとアドバイス受けたのだそして総婦長にいったら「気に入らないのならでていってくれて結構です!」と言われ 「中には40万支払ってる人もいる 年金の少ない人には5万しか支払ってくれない人もいる あなたは特別に15万にしてあげてるんですよ!」とたいそう怒られたそのとき悟ったのだここはパーキンソンの墓場のような病院どの病院も嫌がって入院させてくれない施設も拒否する 在宅がどうしても無理な患者の最後の頼みの綱なのだ普通の病院に対してスタッフが大勢いるこれは パーキンソンによって動けなくなっている患者の世話をするからどうしても必要なのだだから お金持ちの人からは寄付感覚で大金をとり 少ない人からはクリーニング代の5千円だけで入院させてあげている慈善事業のようなところなのだとそれから 私は文句は言わなくなったが 今回のことは明らかにそれに関わっているのではないだろうかと思う院長先生は私がいくら支払っているのか知らない金額のことは全部総婦長に任せているからだたまたま胃婁の話をしているとき横にいた婦長が総婦長に言ったのかもしれない「おのづさんを在宅にするような方向で院長先生がお話してたわよ」と総婦長は私がいくら納めているのか確かめて院長先生に言ったのだろう「おのづさんは月15万納めてくれてますから退院させたら病院の経営は苦しくなりますよ」とそれであのときの話は何もなかったかのごとくの返答をされたのだ悪く考えれば上記の答えが理由だと思う良く考えれば私があのとき一人で在宅するにはこんなに無理があると訴えたことをもう一度考えてくれ やっぱりおのづさんには無理だわねと思って退院させるのをやめてくれたのかもしれない正解はわからない院長先生に聞いてみなければわからないし 聞いたところで本心が返ってくるとは思わないとりあえず なんだかよくわからない方向に話が行ってしまい在宅はなくなってしまった親戚のおじさんに又お話しなきゃと思い 長男は何かというと私が在宅をしてこなかったことを責めるので 次男に電話して 病院側が在宅は無理だといっているから やめることになったということを長男に伝えてもらうようにお話した私のことを心配してくれた友人にその後電話で事の次第を説明して説明しおえたころ なんだか具合が悪くなってしまったこの2週間ものすごいストレスが体にのしかかっていたのに 納得がいかない答えによってそのストレスがぽこんと とれてしまったのだだが 母がかわいそうだから家につれて帰りたかっただけに つれて帰れないという結果になり自分を責めたりして ぽこんと とれたり 新たにストレスになったりとにかく ずっと気を張り詰めてすごしていたこの二週間分の疲れがどっとでた顔を見ると首から上が蕁麻疹だらけだ(私は体調が悪いときでてきます)熱もでてしまったし 咳とくしゃみがとまらない風邪ではないことは分かっていたし(必ず喉からきます)とりあえずベッドに横になって ぐーーっと寝てしまった起きて はたと 思ったああ・・会社の友人たちに こんなに大変だから挨拶もできないけど仕事をやめます ごめんなさいと 電話しまくったのに・・ 又同じ職場に戻るのだ・・なんだか やだなあ;;でも 上司からは何度か電話があり 戻ってくるように言ってくれるのは大変ありがたいとりあえず残ってる手続きと母の術後の心配があるから 4ヶ月席は残してくれるというのでその間は母につきっきりになろう落ち着いたら以前の生活に戻って仕事も始めればいい と 思った私の日記を見て大変心配してくださった方々なんだか変な結末になってしまいました^^;でも 心配してくれてありがとうございますとりあえず母の手術に備えて体調管理と手続きがんばります^^
2008年07月26日
昨日 横須賀まで行って帰ったせいで全身筋肉痛になり しかも お腹は壊れ 悲惨な思いをしながら家で書類を作成していましたあー めんどくさい・・母が在宅になる前に色々手続きをしてしまいたかった私は 一気にあちこちに手続き申請してしまい 現在朝9時になると同時に じゃかじゃか家の電話と携帯が鳴り響きます・・今しているのは株の名義変更なのだけど あちこちの株に手をつけているので(中には1株とかいうのもたくさんあった・・)それら全ての書類を作成しなければなりません先週13通もの書類が届き さて今日書いてしまうぞと手をつけたけど終わるまで2時間かかっちゃいました^^;ので 本日はその書類をもって銀行にいき貸金庫の中から株を取り出し 株券の裏に名前を記載し 郵便局へもっていって簡易書留で送るという作業です今日は雨だというのに この温度と太陽・・ 雨はどこへ・・時間がかかると思って徒歩で行ったのですが(20分しか駐車料金無料にならないから)銀行につくまでに大汗とりあえず 母の今度の入院手術でいくらかかるか分からなかったから母の預金から少しおろし残高を確認するも もうそろそろ普通預金だけで生活するには無理があると判断 早めに成年後見制度とらないとなあそして貸金庫の入り口へカードを挿入して下さいと書いてあるところへ カードを入れ ぴっとするエラーしょうがないから もう一度いれ ぴっとする無反応またまた ぴっとする無反応ということを10回以上繰り返し しょうがないので係員を呼ぶことに・・係員も「カードはやや斜めに入れるといいんですよー」とかいいつつ ぴっとするけど 無反応係員カードを確認したり 挿入したり あわあわしてる私は「あの・・このカードもう古いから磁気がだめになっちゃったのでしょうか?」と聞いてみるが「そんなことはないですよ」というでも うんともすんとも機械はいわない何度かやってもだめで 係員がいよいよとなったらという話をしてきた「いよいよとなったら 一度解約をしていただいて 新たに作るというのがありますが・・」「・・・・・・・・・」あーあ また 手続きでつまづいちゃったよ知ってるんだ解約するにも 新たに作るにも このカードは母の名義私じゃできないんだよやるにしても 戸籍謄本を取り寄せるとかそういうことをしないといけない今日 株の手続きできなかったら 母が退院するまで もう無理だろうなあ・・とぼんやり頭の中で考える係員はまだ格闘していて(銀行の貸金庫は銀行員でもあけることはできません)しょうがないから 私は自分の事情を説明する母の名義のカードだということ 母は身体障害者の難病で寝たきり精神障害があるため ここにはこれないことでも 説明しても 本人と私の関係が証明されたわけじゃないから 係員は困ってる係員のさらに上の人みたいな人が来た私は 係員に説明したことと同じことをもう一度いい なんとかあけてほしいと頼むが 本人じゃないことと 本人と私の関係を証明するものがないからだめというあの・・そのカードここで作ったものなんですけど;;戸籍謄本なんか普通持ち歩かない特に母のは横浜から取り寄せなければいけないから 通常でも二週間かかる私はかばんに入れてる常時持ち歩いているものの中で何とか証明できないかと 運転免許証をだしたり母の保険証をだしたり 難病疾患の証明書を出したり がんばる一時間経過した・・なんだか 具合が悪くなり お腹も痛くなってきたそこでようやく副店長がやってきた私はもう涙目になりながら 現状を訴えたすると!?副店長さんは 何と痴呆の母を介護していて 父親も一ヶ月前に亡くなったばかりで 私の状況をよくわかるといってくださった本当なら成年後見制度を取ったほうがいいと言っていたが「あなたの苦労はよくわかります ここは私の責任で開けましょう」と言って開けてくれたのだ;;;;開けた後も 色々母の預金とか調べてくれて「ここの銀行だけなら 私の一存で定期を解約してカードでおろせるようにしてあげることもできます でも 他の銀行や郵便局にも預金があるなら できるだけ早く成年後見制度を取ってください」とも言ってくれた私は「お母様 痴呆とおっしゃってましたが お母様の預金はどうなさってるのですか?」と聞いてみたら さすがは銀行員 本人ではないと定期が解約できない カードなら本人ではなくても引き出すことは可能という盲点を知っていて「外に連れ出すことが無理になる前に 全て定期は解約して普通預金にしてしまいました」と少々てれくさそうにお話してくれた知ってる人は皆そうやってうまくやってるんだなあと つくづく感心してしまったちょうど母の介護が始まる少し前(8年ほど前)に オレオレ詐欺が流行りだしたそのせいで銀行は 新しく口座を作るとき 定期を解約するとき 高額を振り込むときなど 本人ではないとどんな状況でも断るようになった以前は家族ならといえば いくらでも好きにできたはずなのに 困った世の中だ貸金庫のブースの中で私は30分ほどかけて書類を作成し 株を封筒に入れた亡き父が几帳面だったため 貸金庫の中はきちんと整理されており 何がどういうふうに入っているとか どこそこにこういうのがあるとか書かれたメモもあり ビニール袋に別々に書類は整頓されていたああ 父だったら こんな面倒な手続きも すいすいって やっちゃうんだろうなあ と思いながら銀行を後にして 郵便局へ行った証券会社からは 株を送るとき返送用の分の郵便切手も同封してくれと言われていたので窓口でそのことを言い たくさんの封筒を一つずつ計ってもらって切手をもらい 書留の書類を作成して 封をしてもう一度書留の手続きをしてお金を払って終わった30分かかった・・おなかが空いたので ヨーカドーに行った実は今日は誕生日である家族が誰もいないから 誰も祝ってくれない誕生日友人からメールをもらって 嬉しかった昨日お腹が壊れたから おいしいものは食べれないなあ でもせっかくの誕生日・・私は少し悩んだけれどラーメンを食べることにした私は大のラーメン好き誕生日にラーメンなんてと思うかもしれないけれどほとんど食事らしいものは食べてない私にとってはご馳走だはい 馬鹿でしたおいしかったですよ 本当においしかったでも食べてる途中から痛くなり 店を出た後 トイレとベンチを何度往復したことか・・食べるのやめようかとも思ったけどおいしいって食べれるってことを母はもう出来ないのだなと思っておいしく食べれることはすばらしいことだと自分に言い聞かせて全部食べたのであるヨーカドーの中を二時間動けずにいて ようやく動けるようになってから食料品売り場を見たけど 食べれそうなものはないから スイカだけ買って帰ることにしたもう今日は疲れたから 手続きやめた土日に母の入院の用意をして 月曜から予定がびっしりだ一つの手続きでもすんなりいってくれさえすれば こんなに時間もかからないし 疲れないのに どうして本人じゃないってことでいつもぐちゃぐちゃになるのだろう今後もこんなことばっかりなんだろうなあ・・いくら 実の娘です!って言ったって どうにもならないそりゃそうだ無差別殺人が増えてる世の中家族だからといって 信用しちゃいけない時代になったんだろうなあ家に帰ってきて 逗子の病院から電話が入り少しもめたなんだか よくわからない状況になっている土日は ゆっくりしよう お誕生日おめでとう 自分^^
2008年07月25日
ご無沙汰していますしばらくの間 パソコンなんていじれるような精神状態ではなかったのであえて 書き込みしませんでした日々 試行錯誤していますさて 今日は母の胃婁の手術ができるかどうか横須賀市民病院で診察してもらう日8時45分には母の病院につきたいから 五時半起きに目覚ましセットが 睡眠剤を飲んでも寝付けず 結局一時間くらいしか寝れませんでした早朝にいくから電車は空いてるはず甘かった・・どのくらい混んでいるか 一本前の電車を見送ったのだけど混んでいる・・前日もほとんど食事してないし 今日は朝食も抜いたのでできればこんなところで体力を消耗したくない はい グリーン車で行きました・・ 1200円の出費・・水分だけは取りたかったし途中で下痢などになっては大変なのでペットボトルのお茶を購入したけれど 母の前では絶対飲めないなと思いました逗子の病院へ行き まずナースステーションへナースステーションでは私を待っていて必要な書類を私に渡してくれ 一緒に母の病室へ今日はびっくりするほど優しくて 一週間に一度しか変えてくれない異常な料金のレンタルパジャマから かわいらしい拘束帯つきパジャマに着替えてました私が母に靴下を以前はかせていたら 看護婦からクレームがあったはずなのに今日は率先してはかせてます手取り足取り 母は私が手伝うことなく あっという間に出発できるよう車椅子に座らせてもらってました母としばし玄関先で介護タクシーを待ち 介護タクシーの人が来たので車椅子ごと車の後部座席の部分へおさまりますそこまではよかった・・そう そこまでは・・私は助手席に乗って 時々母を振り返りながら話しかけていたのだけど 出発して1分も立たないうちに母の首は大きくのけぞってしまい 両手を差し出して助けを求めています母は 赤ちゃんのように首が据わらなくなってたのです多分 鼻管チューブにしたためベッドに寝たきりの状態が多かったのでしょうしかたがないので運転手さんに言って車を止めてもらい 改良してある後部座席の部分に乗り込みます もちろん私が入るスペースはほとんどありません中腰で 足を大きく広げて母の首を後ろ向きで抱きかかえて車は再出発しました神奈川県は坂が多いので有名な土地 上り坂を登るたびに母の頭の重みにGが加算され大変な重みです 30分間私はその姿勢を保持し なんとか病院へたどりつきました介護タクシーの人が 診察が終わったらすぐ携帯に電話してください そしたら 又逗子から来ますからと 言ったのだけど 病院の受付の人は10時半に来たら待たずに診察できますと言っていたので 現在10時10分だけど 逗子へ戻ってもとんぼ返りじゃないのかな? 母を待たせるようなことはしたくなかったので このまま待機してもらうことになりましたしかし・・待てども暮らせども順番が来ません最初は何とか端に座れる所を確保して私は座って母の頭を手で支えてだったのだけど 一時間も過ぎると手が限界になり 私は後ろにぴったり立って自分のお腹で母の頭を支えます母はなんと 診察の時間が来る前に二度眠り 診察中も一度寝てしまいました呼ばれるまで二時間 私は立ってましたけど自分も貧血状態になってしまい 車椅子の後ろに座って両腕を上に上げて母の頭を支えるなど異常な光景を待合室で繰り広げていましたようやく 母の順番になって 胃婁の手術をしてもらえるということにはなったのだけど その説明をどうするかで 私と先生だけで話をしなければならなくなり 私しか付き添いがいないというと母をその診察室に残し 隣の部屋でお話するというので「すみません誰か母の頭を支えていてください」とお願いしたのだけど お話が終わって戻ってきたら 母はのけぞり ぜーぜー言ってました・・;;お話とは 要するに 患者本人にきちんと胃婁の手術をすることを説明するかどうかということ 大抵の場合はもう何もわからない状態になってる人がくるそうなので説明ははぶくのだけど 母の場合は半分は分かっているので先生はうそはつきたくないとおっしゃり母に説明してましたが 戻ってきたとき首がのけぞって大変苦しかった母は私が後ろに立ち頭をお腹で支えていたら説明の最中に寝てしまいました・・私が自分の胃腸の病院へ行かなければお薬がなくなるので入院は一週間ずらし8/4に決まりました 逗子では3日くらいの入院よと簡単なことを言っていましたが 一週間の入院で しかも命に危険があるということも言われ さらに母が嫌がって胃婁のチューブをとってしまったら術後3ヶ月以内の場合は緊急手術しなければいけないこと そして 死ぬ可能性が高いということも分かりました逗子の院長先生に「母が胃婁のチューブをとったらどうするんですか?」とこの間質問したとき隣の婦長が笑いながら「ああ 大丈夫よ そしたら ぽんって いれちゃうだけよ ほほほ」と言っていたけど 実際は違うんだなと思い ひょっとしたら 胃婁の手術を受けたためにすぐ死んでしまうかもしれないと頭の中ではぐるぐる回りましたが 今手術を受けなければ確実に死に向かうのだから手術する方向になりました診察の後 レントゲンと採血をしてほしいというのでお腹で母の頭を支えながら 書類をもちながら見知らぬ病院の中をいったりきたり受付に書類をだすときや 車椅子をとめるレバーを押すときなど 片手を使うときお腹で支えきれず母の頭は後ろにのけぞり ぜーぜーいいますなんだか 悲しくなってきましたこれって 車椅子に細工をしてもらって背もたれ?をつけてもらえばいいけれど 毎回在宅にしたら その車椅子ができあがるまで(特注で作ると大変らしい)こうやって母を連れまわさないといけないのかと・・ レントゲンでも採血でも 母の頭がのけぞるため 普通とは違う方法でとっていただき お会計することになりましたお会計でも 一苦労 私が母をどこかにおいて会計することなどできないから 車椅子ごと行って母をお腹で支えながら片手でするのです中には 意地の悪い人もいて 手間取る私の横から4人も前へ入ったり 色々書類を出していたら(保険証 障害手帳 難病疾患証)「ちっ」と言って後ろの人が舌打ちしてるのも聞こえました一度書類を提出して 再度呼ばれたとき 全然知らないおばさんが 私が母の頭を片手で支え片手でお財布からお金だしたりもたもたしてたら 母の頭を両手で支えてくれて「いいですよ 支えてますから ゆっくり会計なさって」と言ってくれたのにはびっくりしました 私はただただ「すみません すみません 私が支えますから」と言ったのだけど「いいですよ 支えてます」と言ってくれました 私はできるだけ早く会計をして そのおばさんにお礼を何度も言って車椅子で最前列から下がりましたが 下がるときに他の患者さんにぶつかったらしく「いてえな」「もたもたすんじゃねえ」 とかも言われました優しくしてくれた人 そうじゃない人 同じ病院に来てる病人同士なのに 今の世の中ってこうなのかなと思いました介護タクシーの人は ずーっと待っててくれて30分おきに 様子を見に来てくれ 会計のときにはすでに玄関に車を横づけしていてくれました私は 行きと同じ体制になり 母の頭を支え後ろ向きで出発です途中 その介護タクシーの人が75歳だと言ってました母は79歳 たった4歳しか違わないのに現役ばりばりで働いてる人を見て どうして母とこんなにも違うのだろうと思ったりもしました結局1時過ぎに逗子の病院へ帰ってきましたはい 介護タクシーの利用料17000円・・・・私はその間トイレにもいけず水も飲めず(母が欲しがる為目の前では飲めません)座ることもできず4時間近く母の介護をしていましたが 以前と違って勝手に歩き出したり怒ったりすることはなくなったけど全身の力がなくなり全体重を私が支えなければいけない事実を知って又在宅への恐怖が増しました母は逗子の病院へ戻ってきたことを大層喜び 横須賀の病院では意識がはっきりせず(幻覚 妄想 居眠り)言葉も何を言ってるのか分からなかったのに ベッドに横にしてもらったら 意識がはっきりして私にこう言ったのです「おのづちゃん ありがとうございました ご迷惑おかけしました」びっくりしました私が結婚してから おのづちゃんとは言わなくなった母おのづさんと呼ばれていたのに 昔のように私を呼んでくれ しかもお礼を言ってくれるではありませんかその反面 母は何のために横須賀の病院へ行ったことすらも分からず ただなんとなく娘に世話になったと思って感謝しているその姿を見て 私はたまらず泣いてしまいました「お母さん がんばったね 暑かったし 場所も違うから 神経使って疲れたでしょう」「うん 疲れ果てちゃった」「ゆっくり休んでね 又8月になったらもう一度いくけど 私がちゃんとついていくから 安心してね」「ありがとうございます」母は胃婁のことなんてきっと分かってないに違いないだけど なんとなく娘が自分のために何かしてるということは分かっているのだ大変痛い手術だと聞いた局所麻酔でやるから その痛みでショック死する人もいるようだその手術をするために母を連れて行かなければいけないのに 母は又私に裏切られたと思うのかなあ・・病院を後にして在宅にすべきか 胃婁でよかったのか まだ迷う日々 私の心は揺れるでも とりあえず手続きだけは進めなきゃお腹の具合はよくなく 一日一食で眠れないけれど手術前にしておかなければいけないことがたくさんあるので 又明日からがんばろう
2008年07月23日
昨日の出来事で精神的にダメージを受けてしまった私は弱い人間だ起きても 食欲もないし 家事をする気にもならないし テレビも見る気がないし 新聞も読む気がしないただ 何もせず 居間に座っているが 一日一食のせいか きつくて横になりたくなるとりあえず胃腸の薬と頭痛がひどいので鎮痛剤と安定剤と胃の調子も悪いので胃薬を飲んでベッドに横になったしばらくしていたら 胃がひどく痛み 気分がどーんと落ち込み 鼻で息ができず 口から はあはあと呼吸するようになっていたどんどん ひどくなる 呼吸するのが苦しくなってきたはあはあと呼吸したり 止まったりする手がしびれてきた 過呼吸のせいだ 酸素のとりすぎでしびれが起きたのだだめだ これ以上呼吸を増やしたら 過呼吸症候群になるとめなければとめようと思っても とまらないやたら げっぷがでて 気持ちも悪いベッドでもがくけど どうにもならない落ち着け! 何度もそう思う段々呼吸のしすぎで めまいがしてきた元主人に メールを入れた「呼吸がうまくできない」心配した元主人は会議中なのに席をはずして電話してくれた「救急車呼べ! できないなら 明日そっちにいくぞ!」救急車なんか呼んだって 無駄なんだよ知ってるんだ 外来受診してない人は救急車でいったってその場限りの処置して家に送り返される 特に精神科はそうだ 以前そうやって薬もくれず対応もしてくれず「一度外来受診なさってからきてください」と言われた元主人に迷惑かけたことが分かって 自分で何とかしなければと思ったこれ以上私が具合が悪いといえば 仕事に支障をきたしてしまういくら在宅介護をしていた私を知っているとはいえ 甘えすぎだ自己分析しよう元主人に「自分で対応する ごめん」といって電話をきりベッドの上で冷静に自分を見つめてみた「何が一番いやなのか? 何が一番つらい?」声に出して問うてみた「母を在宅に戻すのが怖い 又あの地獄のような24時間介護がエンドレスで続くのかと思うとものすごい恐怖感がくる」答えはみつかった恐怖なのだ精神異常の人を在宅で介護した人は分かると思うけど これには向き不向きがあるおおらかで けせらせらと している人ほど向いていて神経質に何でも理が通らないと嫌な人ほど向いてない私は後者だ例えば 元主人は私とは正反対のおおらかな人で無神経な部類であった母の精神異常を見ても聞いても「今は正常じゃないんだから仕方ない」で済んでしまうのであるところが私はそれを真面目に対応して自分も母も傷つけてしまう以前母が錯乱して歩けもしない あちこちで失禁するような状況で銀行へ連れて行けと日曜日に私に言った「今日は 日曜だから銀行やってないよ お母さんは歩けないし無理だから 又今度ね」そう応えた私に対して母は「いいや!小泉さんは(当時の首相)あなたの資産が増えたから銀行で確かめてみるようにと昨日私に言ったんだ! どうして娘のおまえが反対するんだ!首相が許したのだから連れていけ!」「お母さん 小泉さんとは話してないでしょう?それに日曜日だから連れて行っても銀行は閉まってるよ 中に入れないよ」「どうしてえええ おまえはああああ! 例え銀行が休みだろうと 私が行きたいといっているのだから連れて行ってくれさえすれば私の気もおさまるのに なんて冷たい娘なんだ! 鬼のようだ 私が死んだらお前にとりついて呪ってやる!」そんないきさつがあった元主人がもし最初に対応していたら 適当なことを言ってごまかして部屋をさるだろうだけど私は正常だった母に戻ってほしいがために正常な相手として話をし それが母には逆鱗となって私に恨みを抱かせてしまうそういうような毎日を送っていたから 又そうなったらという恐怖がよぎるのだだからといって 錯乱している人に対して 怒鳴ったり 無視したりするのは 逆効果になることも私は知っているどんなことを言われても優しく愛情こめて接してスキンシップ(マッサージとか肩もみとか)をすることで錯乱状態も落ち着いてくるもう そんなこと 今の私には無理だ自己分析は済んだ精神科の先生を紹介されたら このことは言わなければならない緩和できるお薬をもらわないと もっとひどいストレス障害が色々とでてくると思う自己分析が済んで原因が分かったので少し落ち着いた便は黒くはないのでまだ胃からの出血はないだろうけれど 胃潰瘍治癒薬を飲んでも胃が痛かったりもやもやしたりしてるので胃潰瘍なのだと思うこれは胃腸の先生に言って お薬をもらおうどちらにしても 28日以降のことだ少しはおさまったけど 時間によって気分がころころかわる無性に動悸が激しかったり 泣いてみたり 落ち込んだり 胃痛がひどかったりするかと思えば 急にふっと楽になれるときもあり一日中ベッドの上にいたとりあえず一日二食にしないと体がもたないそれにはまず食べたいものを食べないとそう思った私は ここ三ヶ月ダイエットのために食べれなかった大好物の釜焼きパン屋さんに車で行き 大好物のものだけ購入して家に帰った久しぶりに外出すると やけに空がきれいで 景色がきれいで心がなごんだ家に帰り パンを食べたけど 半分も食べないうちに胃痛にさいなまれ横になる横になっていると 動悸がひどくなり気分が暗くなるなんかもう・・私 精神病なんじゃないの?こっちが介護されたいぐらいだよ一時間ごとに くるくる変わる自分の気持ちと体調の変化についていけません考えたらいけないと思うけど もう だめだよって気持ちに又なる苦しい・・
2008年07月18日
実は 昨晩 日記を書き終え お風呂に入ってるときにショッキングな出来事が発生してしまいましたお風呂からあがると携帯にメールがきてたので 見てみると同じく在宅介護しながら仕事も頑張っているネットで知り合った人からで自殺するようなことが書いてあったのです私はすぐさま携帯に電話したりメールを送りましたが 出てくれないし返事もくれませんどうやら携帯をおいてどこかへ行ってしまったようですネットの知り合いだから その人がどこに住んでるか住所とか全くわからないから探しようもありません私の心は千路に乱れました「どうしよう 本当に死んでしまったら・・余程疲れたんだな・・」ぱにくってしまったけれど 自分のことも考えなければなりませんここであまりに動揺してしまいお腹に悪影響を与えたら母の外来受信日にいけなくなるもう予約してるのだしそれだけは 避けなければ私は決められた以上の安定剤と胃腸の薬を飲み ひたすら部屋の中をいったりきたりして連絡がくるのを待ちました「どうか 思いとどまって 戻ってきてくれますように・・あなたが自殺したら ご家族はどうなるの?」同じ一人っ子の境遇なので似たような環境なのです友達が倒れたら 家族も共倒れなのですそうならないように お互い励ましあってきたのに・・私も この日記を再開したとき 死にたいと思いましたでも 母のことを考えて 母が亡くなるまでは頑張ろうと決めたのですその友達がどうにもならないところまで自分を追い詰めてしまっていたのなら私が相談役になろう その友達も母も支えていこうそう決意して 心配だったけどお腹のこともあるし無理やり睡眠導入剤を飲んで寝たのでした一錠ではやはり効かなく 二錠飲んでうつらうつらしていたら翌朝 その友達から連絡が入りました;;;;詳しい病名は言ってくれなかったけれど かなり精神的に疲労しているからしばらく入院しなければだめと言われたそうです医者から 外部からの連絡を全てたちきるようにと言われ心配かけただろうと思って目を盗んで私に急いで電話をかけてきたのですああ よかった;; 生きていてくれた;;どんなに辛かったろうに・・きっと一人でさまざまなものを背負い込んで限界がきてノイローゼっぽくなったに違いない可哀そうに・・そんなこんながあって 夜ほとんど寝てなかったから もう一錠薬を飲み昼過ぎまで再び寝て起きてから株の名義変更のための電話をし 婦人科検診に行って来ましたそれで もう限界 ふらふらです人事ではない私も在宅介護の限界を迎えたから母を入院させたのだ私も又ああなるのだろうか・・いや 今は その友人を支えるという新しい役目が私に加わったのだそれが終えるまで 私は何があっても両足で立ち上がって前へ進まなければならないだろう
2008年07月17日
昨晩 眠る前にちらと考えたことがあった実は母を介護する前(計2年間)いつもと食事も運動量も変わらないのに一年くらいかけて体重がみるみる増えたことがあったそのときは中年になったから中年太りかなあと思っていたのだけど今思うと そうじゃないのでは?と思うそのとき 一年かけて10キロくらい太った急激に太ったから太ももに妊娠線がでたくらいだしかし介護で9.5キロ痩せてしまい 在宅の限界を迎えて母を入院させることになったのだ今回も実はそうなのである離婚して働きに出始めてすぐ一ヶ月で一キロずつきれいに太っていった途中でやばいと思って カロリー計算をしたり 夕食を抜いたりしてもだめだった11キロ太って ぴたりととまったその一ヵ月後 母の胃婁の手術と在宅への話がきた私は霊を信じるほうだ 昔霊感があったからだこれは 信じる人信じない人それぞれいるのでどちらが正しいとか言うつもりはありませんただ 私が感じたのは これからとんでもない体力を使うから そのための準備としてご先祖様が私を太らせたのでは?と思うのだもし標準体重でいたら9.5キロも痩せたらがりがりでかなり体調的にやばいと思う現に今も3キロも痩せてしまったが これから先11キロ痩せるくらいな介護が待っているぞ 覚悟しろよ ってことなんじゃないだろうか成人病検診でメタボリック予備軍と判断された私は 実は 腹囲だけひっかかったのである血液検査(コレステロールとか血圧とか)は一切問題なくただただ腹囲がオーバーしたなんとなく そうなのかもしれないと 思いつつ 昨日は眠りについた前々回胃腸の診察のとき 眠れないといったらリスミーという薬をもらったのだが 全く効かないというと強めのマイスリーという薬の変更になった普通は5ミリから始めるらしいのだが私が寝れないというのでいきなり10ミリから始めることにしたが 処方薬局の人も心配して「強すぎるようなら半分にしてくださいね」と言っていた飲むとすごい3分くらいで千鳥足になってくるまっすぐ歩けないのだただ 寝つきはよくなったが 薬が二時間できれてしまうので ぴったり二時間後に目がさめてしまう 食事がほとんどとれない今睡眠時間が短いというのは非常によくないので頑張って寝ようとするのだが眠れない そんなときはもう一錠飲んで寝る すると 翌朝の9時ごろまでは寝れるのだ一日一食が一週間以上も続いているうえ 昨日は夜水下痢して食べたものが全部でてしまったので 一錠飲んだだけでごーーっと寝てしまった9時に起きて とりあえず食事抜きで胃腸の薬をすぐ飲む水分とともに飲むので 薬が効いてくるまで何度も便意を感じ 水下痢ではないけれど軟便が数回でた 痛みはないので便意が治まったのち とりあえず介護タクシーに電話してみた逗子の病院で介護タクシーが空いてないと困るので先にそちらを予約しろというから電話してみたがやはり横須賀の病院の予約日をとってからこっちに電話してくれといわれ 横須賀の病院外来に直接電話した 予約日は正直どうしようかなと思った明日来てくれといわれてもタクシーもだめだろうし 自分のお腹も不安定だ最悪前日は絶食して下痢しないようにしていかなければならないだろう最低でも2.3日は家で様子をみてみたい 母にはできるだけ早く診察してもらいたかったが連れていけないのではしょうがない予約は23日の水曜日になった 介護タクシーの予約もOKだった午前10時に来てほしいということなので逗子の病院を9時半にでなければならない母を車椅子に乗せたり 書類をもらったりすることを考えると9時前には私は病院へついてなければいけないだろうということは6時半に家をでればいい ぎりぎり8時45分くらいにつくかなそのくらい早朝なら電車も座っていけるだろう逗子の病院へ電話して 予約日が決まったことを伝えた喧嘩している婦長さんとお話するのは気が進まなかったが自分の今の体調が非常に悪いこと 神奈川県までいけるか自信がないことを言った珍しく婦長さんは 私の体調を優先して どうしても無理ならば延期してもいいと言ってくれたが 鼻管チューブで長期間すごさせるのはかわいそうなので 絶食してでも行くと伝えて電話を切った横須賀の病院でも 介護タクシーの病院でも 付き添いは何人ですか?と言われ私一人だというと少し驚いていた普通はもっとたくさんの人がいくものなのかなでも 家族は私だけだし 親戚に頼むものなのだろうか私一人ということは 私が横須賀の病院で受付するときとか 会計するときとか 母を一人でほっておかなければいけない 普通はそういうとき誰かいるもんなのだろうなあ母よ ごめんねでも 何があっても行くから 私がついていくから 我慢してね本当は今日は手続きの続きをしたかったまだまだあちこちいかなきゃいけないところがあるでも 今 第一に考えるのは 母の受診の日に無事に付き添うことと 手術が終わるまで体調を整えることだから 午後は家にいた食事は相変わらず食欲がないので一食だけど 無理してでも食べて薬を飲んだ今現在夜の6時を過ぎたけど お腹が壊れる気配はないので 昼食に食べたものは消化してくれたようだまあ 昨日みたいに 10時過ぎて壊れる危険性もあるけどね^^;過敏性大腸炎になったことがある人は分かると思うけどあれになっちゃうと 何を食べてももう同じなのであるおかゆを食べても雑炊を食べてもうどんを食べても 体内に入ったものを全て出したいと体が要求して水になって出て行ってしまう四谷の胃腸病院の先生が言っていたが 人間はストレスを溜め込むと知らず知らずのうちにストレスを外へ出したいと思う それがうまくできない場合 体に入ったものを異物ととらえて排出しようとするらしいのだだから昼食は普通に食べた以前 過敏性大腸炎になったばかりのころ 良い医師にめぐり合えず 三ヶ月間雑炊とかけうどんで過ごしていたため 体力や体重ががんがん減っていったのだ家におとなしくいると 色々なことを考えてしまい 辛いこれからのこと 今の自分の体のこと 母の外来受診手術のこと考えていたらストレスになるからやめようと思っても ものの一秒もしないうちから考えてしまうそして ふと思う 父が生きていてくれたらなってそれで又泣いてしまうのだでも 泣くという行為はストレス発散には良いらしい我慢して耐えるより思いっきり感情を爆発させたほうがいいのである友達に愚痴を聞いてもらいたい衝動にかられるが友達にも友達の生活や悩みもあるだろうしとりあえず 話を聞いてくれる人はいないわけだから私は 家の中で一人で考えてそれを声にだしては泣いているきっと周りからみたら あの人頭変じゃないの?と思われるかもしれない(笑)まあ 家の中だけだからいいだろう誰にも何も話さず 感情も出さずじゃ いずれ 在宅する前に私の体は壊れてしまう聞いてくれる相手がいないなら 父の遺影に向かって話せばよいこと泣きたいなら 誰もいないんだから がんがん泣けばよいことそれと もう一つ誰が見てるかわからないこの介護日記コメントには返信しませんとは書いてあるから ほとんどの人は書いてないけれどたくさんの人が見てくれたことがアクセス記録でわかった私の気持ちを そうかそうかと賛同してくれる人もいればあんたは甘えてる 世の中もっと大変な人もいる と怒る人もいるだろうでも 実際助けてはくれないかもしれないけれどこうして私の日記を読んでくれる人がいるってこと自分の気持ちをここに吐き出すことで楽になれること今の私には大変助かっています読んでくれてありがとう私も がんばります
2008年07月16日
本日は母の病院へいく日ここ一週間 一日一食しか食べられないので いつもより早い電車で行って逗子駅で何か食べようと思ったいつもは お昼ごろ出て 3時ごろについて 母の病室で母にはお菓子 私はおにぎり一個食べて家に帰るという日課だったのだけど 鼻管チューブをつけられて口から食事を一切禁じられている母の前でおにぎりを食べることは悪いことだと思ったからだ胃婁手術を受けた後ももう母の前で食べるという行為はできまいと思った3キロ痩せてふらふらの私は(ときどきめまい有)いつもより早い電車が15両ではなく11両で 逗子まで行ってくれる電車がなかったり(東京どまり)で混んでいる電車に乗らなければならなかった 立ったまま一時間半はきつい。。お金がかかるのは分かっているけど 母の手術前に倒れてはいけないのでグリーン車に今回は品川までいけば座れるだろうと思って品川までお願いした・・千円の出費・・しかし・・品川でグリーン車を降り普通車両に移ると座るところなし・・結局その後の50分あまりをずっと立っていくこととなった(もうこの電車はやめよう・・)逗子につき 駅の中にある立ち食い蕎麦屋みたいなところに入る私の大好物の冷やしたぬきそばを注文して食べ すぐ胃腸の薬を飲むが いかんせん立ち食い蕎麦屋みたいなところなので(座るところもある)食べたらすぐ出ないといけない食休みしたかったがしかたないので店を出てすぐバスが来たのでそのまま病院へ行くことになった(ややお腹痛い)病院から 母が手術する病院へ診察へいく日が決まったらお知らせしてくれるとあったが 知らせがないのでまずナースステーションへ行くナースステーションには母担当の婦長がいて(我が家と喧嘩中)病院と病院がやりとりすると二度手間だから あなたが直接病院に電話して日取りを決めて介護タクシーも手配してくれと言われた 一旦受付に戻り その病院と介護タクシーの電話番号を教えてもらった母の病室へ行くと母は眠っていたその大部屋は全員鼻管チューブの患者さんしかおらず寝たきりの人のみであるお昼にチューブから食事を入れてもらった後なのか知らないけれど全員寝ていた(L-ドーパも服用すると眠気があります)しばらく椅子を母の横へもってきて母の顔をずっと見ていたのだが 起きる気配なしでも チューブにしてもらってから 母の顔はふっくらしてきた多分 チューブに切り替えるまで何度も食事を肺に入れたりして栄養が行き届いてなかったに違いない ただ手足を見るとやせ衰えて骨と皮しかない 今多分30キロくらいしか体重がないんじゃないだろうか こんなんで手術に耐えられるのかな母をやんわり起こすと 母は目を大きく開けて笑ってくれたもう一度チューブをとるために別の病院へ行こうね それまで我慢してねと説明したあと 母の顔のお手入れをした髭をそり(母は女性なのに髭があるのだ)化粧水を満遍なく顔に塗ってあげると 母は気持ちよさそうに目を閉じてうっとりしている 目やにがひどかったので 目薬もしてあげた 前々目薬が減ってないことから久しぶりの目の潤いだったのだろう 目薬をしてあげたら寝てしまったまあいいやと そのまま寝ている母のそばについていたら どすどすどすと大きな足音がして病室に母の隣の患者さんの家族がやってきた そして 母も目を開けたその家族の人は私に挨拶したので私も挨拶した私と同じくらいの年齢の女の人でとても活発的な姿 はきはきしたもののしゃべり方をしていた私は 母の肩をもみながら母と会話しようとしたが あまりに大きな声でしゃべるので 私は話すのをやめて聞き入ってしまった同じような境遇の同じような年齢の女性に興味があったからだその女性は ひとしきり 大きな声で 「ああ お兄さん 一昨日来てくれたのね 良かったわ 私も又すぐくるからね 小さい服だからお腹見えちゃうのよ はっはっは 又 来るからね すぐ来るからね 今日お祭りなのよ じゃあね」というような内容を繰り返し10分たらずで病室を去っていってしまった残された患者さんは寂しそうにしていた気持ちはわかる その患者さんがもはや何を言っているのが 何が言いたいのか私にもわからない言葉を発する 会話が成り立たないのだ 質問しても答えが変なので はい いいえ くらいの内容にしないといけないし 患者がしゃべるとよくわからないから こちらから一方的に話しかけて用件を話したらそうそうに立ち去りたいに違いない思えば 母が錯乱していて緊急入院したとき 母は幻覚妄想暴言ありとあらゆる精神異常の状態で私に無理難題ばかり言いつけそれができないと断ると鬼のような形相で怒り私を恨んでやる などと言ったものだ そうしたくなかったから看護婦さんにお願いして母の元へは極力顔をださないほうがいいときもあった母はその女性が立ち去ると ものすごく眉間にしわを寄せ「○○○○○○だからいやね」と言った 私はもう言葉がうまくしゃべれない母の○○の部分がわからなくて 聞き返したが やはりよくわからなかったが とにかくうるさくされたことを怒っているようだった母の肩は凝っていて しばらくもみほぐしていたら 気持ちよいらしく おとなしくしていたが なぜ肩が凝っているのだろうと布団をめくると 熊さんの手袋でぐるぐる巻きにしただけでは足らなかったらしく ベッドの柵に手が紐でしばりつけられていたかわいそうに・・と 思う反面 家に帰ったら 同じようにしなければいけないのだろうかと不安になった鼻管チューブが嫌で取ろうとする母多分家に連れ帰れば胃婁のチューブがお腹から飛び出てるのをむしりとろうとするだろう24時間ずっと目を光らせて 取ろうとしたら 怒ってやめさせるの繰り返しをするのかそれとも病院と同じように拘束帯でしばるのだろうか・・家に帰ってまで拘束帯でしばるっていうのはどうだろうあまりじゃないか?今日の母は 幻覚を見る訳でもなく 妄想に酔いしれるでもなく ずっとほぼ正常な頭であったここでもう一度言っておくが 正常な頭といっても 母の頭の中では私が誰かが分かっていることとか 自分が病気で入院していることくらいは わかっている その程度だパーキンソンレヴィ小体型痴呆の特徴として 判断が甘い ということがあるどういうことかというと 歩いたら転んでしまう状態なのに 自分は歩けると思って立ち上がり転ぶ とか 周りに人がいて自分だけお菓子をもらった場合 気を使って食べないとか 周りに勧めるということができず ああ おいしいおいしいといって食べてしまうとか そういうことだ前にもこんなことがあったお見舞いを全くしてくれない患者さんがいて 母はその人に「娘のおのづです 今日はお見舞いに来てくれたのよ」とその患者さんが聞いたら悲しくなるようなことを勝ち誇ったように言ったことがある自分は ただ 嬉しいから聞いてもらいたい それを聞いたら悲しむ人まで気持ちが回らないのだ母の手足をマッサージしていたら スタッフが入ってきて「雨が降ってきましたよ」と言った 私は虚弱体質で雨の日に外出すると体調が悪くなってしまう 今日は雨が降らないというので傘も持ってない はっと思って時計を見るとバスの時間まで4分しかなかった急いで母にそのことを話して「ごめんねごめんね 雨だっていうし 傘ないし バスまで4分だから もういくね またくるからね」と言って その場を去った鼻管チューブをいれる前は 私が帰るというと 決まって付いて行こうとして急いでベッドの柵をよじ登ろうとした 私がそれをやめさせると怒り出し 大抵喧嘩別れのままバイバイするのだが今日も体を起こそうとしたが拘束帯があったため無理だったようだなんとかバスに乗って お祭りで賑わっている逗子駅の周辺を見る気分でもなく そのまますぐに電車に乗って色々考えたこのままだと 手術する病院に入院するとき 環境が変わった母が錯乱して迷惑をかけるかもしれない ひょっとして家族の付き添いを言われるだろう3日間の入院だけどずっとついていることに私は耐えられるだろうかお腹も心配だし横須賀のその病院まで往復で3千円くらいかな三日間で9千円 食事もそこでするだろうから 1万強介護タクシーでそこへ行くまでのお金やパーキンソンではない今回の胃婁入院なので 一時病院に支払わなければならない後日自分の市役所へ行って重症障害者なため高額医療支払いで受付して戻ってくるけれど一体いくら用意していったらいいんだろうもし つきそいがいらないと言われても 往復6時間毎日続けていたら 体がもつだろうかいっそのこと近くのビジネスホテルをとってそこで体を休めたほうがいいのだろうかぐるぐる考えがでてきて 苦しくなった家に着いて 少し休んでシャワーをあび 昨日までの日記を更新していたら途中からお腹が激しく痛み出し トイレに何度も通うようになったお昼を食べたのが2時半だから その食材であたったわけではない今よるの10時半だから8時間も経過している過敏性大腸炎が悪化したのだふと 思った 本当は毎食後薬を服用しなければいけないのだけど一日一食だから一日一回しか薬を飲んでないそれがいけなかったのかしら・・食べてなくても一日中薬が効いている状態にしておかなければいけなかったのかもしれない私は急いで薬を飲む脱水症状を起こしてはいけないから 水分をとる激痛 トイレにいくと水下痢になっていた結局7回くらい往復して 痛みにのたうちまわったもう一度さらに薬を飲んだ私は悲しくなったこんな状態で母の診察のため横須賀までなんか いけるのか?母の手術で三日間も病院で寝泊りできるのか?痛い 痛い 苦しい 苦しい誰か たすけて;;;;私はトイレで大泣きしてしまった明日 横須賀の病院へ電話して予約をとってしまったら私がどんな体の状態だろうとも いかなければいけないいっそのこと 万が一だめだったら 親戚のおじさんに頼ろうか・・本当にそう思ったが やめた所詮 家族じゃないものには 皆冷たい口うるさいおじさんは 心臓が悪いし理論的なおじさんは 本当は胃婁を反対している誰もかわってやくれない倒れようがなんだろうが 私がいかなければいけないとりあえず 母の手術まではがんばろう逗子の病院へ送り返したら しばらく寝込んでもいいじゃないかそのとき 別れた主人から連絡が入った私の状況を聞いて大変びっくりして「そうか とうとうお腹が前のように戻ってしまったか それなら 会社やめて介護を手伝うよ 心配だ」そういってくれた本当にありがたかった 感謝しているでもね もう 夫婦じゃないものあなたの人生を狂わせることはできないそれに たびたび相談に乗ってるから知っているけれど元主人のご両親が マンションのローンを払えないから名義人になってローンを払ってくれとか 仕送りをしてほしいとか 言ってきている今 私のために会社を辞めれば 自分の両親のお金の援助ができなくなるのだそうしたら 私は又なんと言われるだろうか・・ありがとうねでも 何とか がんばってみるよおなかの調子も悪いし 今日はもう寝てしまおう一日30錠くらいの ありとあらゆる薬を飲みきり私は睡眠導入剤を飲んでふらふらになりながら眠りについた
2008年07月15日
手続きに出ようと思っていたけれど一日一食になってしまった私は体重が3キロ減り 外出するとふらふらするし運転も危ないこともあり 今日は自分の胃腸を診てもらうだけにしようと午前中いっぱい寝ていました午後になり食欲が全くないので(今一日起きていてもお昼の3時ごろお腹がすくだけです)何も食べずに病院へ診察室に呼ばれ 先生は今までの薬の経過を聞いてくれました(現在この日記を書いてる今は水下痢ですが そのときは違いました)薬を飲むとガスが5分に一回くらいでること一日に数回に渡って便通があり 毎回少量であること下痢はしていないこと 食欲がなく 眠れないことそして先生に「先生 これから多分三ヶ月くらいまで 今までの三倍くらいのストレスがかかると思われます そして その後は その10倍くらいのストレスがずっと続くでしょう きっと私のお腹の具合はこれからどんどん悪くなると思います」そういうと先生は「そうですか でしたら 精神科と両方で治療していきましょう 私が良い先生を知っているので次に来たときに紹介状をお渡ししますよ」そう言ったのにはびっくりしました だって自分から話そうと思っていたので・・「でも 先生 私は パーキンソンになる可能性があるので過敏性大腸炎を治す精神科のお薬は飲めないから以前薬はだしませんと言われたのですが・・」「だからといって 今の精神状態をそのままにしておいたら もっとお腹も悪くなるでしょう ストレスを軽減させることが大事で パーキンソンのことも精神科の先生にきちんと話して両方から治していかないと お腹は治りませんよ だから いくべきです」先生は断言しました来週は お休みだから(祝日)再来週紹介状をくれるそうです二駅となりの病院だけど とりあえず行ってみようと思います母を在宅にしたら 胃腸の病院と 精神科の病院と 腎臓の病院と 乳腺科の病院と こんなに毎月いってたら ヘルパーさん限度額超えちゃうよねそのたびに有償ボランティア頼んでも 普通は9-17時だから 私が病院へ行って(どこも自分の家から遠い)へとへとになって帰ってきたところを ハイバトンタッチって されるんだろうな てことは 自分に休む時間はないってことになるんだろうなあもう 美容院もいけないだろうなあ大変なくせっけだから 矯正してもらってるのだが 4時間かかる作業白髪ももう染めてもらう時間もないなあきっと洋服を買う暇もないだろうだんだん ぼろぼろになっていくんだろうなあ診察が終わってお腹がすいた私は おにぎりを購入して家に帰り 二つだけもそもそ食べて 明日は逗子へ行く日だからと体調を整えることにしました介護したらさ自分の楽しみも おしゃれとか そういうのも もうしちゃいけないんだろうかお金もないし どっちみち できないかうちの近所で在宅なさっていたご家族の方いるけど髪をふりみだし 着ているものもよれよれでっていう家 あんまりないんだよねよくわかんないや・・
2008年07月14日
昨晩はおなかがすっかり空になるまでトイレに往復し・・ストレス性の過敏性大腸炎だから精神安定剤を飲み 頭痛もひどかったから痛み止めを飲み 胃薬も飲んで体を休めようと睡眠導入剤を飲んで寝てしまいました実は 以前ずっと通っていた四谷の胃腸病院のお薬は大変きいていたのですが 離婚したため主人の家族全員通っているその病院にそのまま通うことはできず別の病院を紹介してもらって行き始めたのですが ひどいところでした・・・私が五年前 初めて過敏性大腸炎になり その名前も分からず 何を食べても激しい腹痛と水下痢でどんどん体重が減っていっていくなか色々病院を回ったことを思い出されます当時はまだ過敏性大腸炎という名前が珍しく大きな病院へ行っても私を治すことはできず最後にいたっては「あなたの場合 どの薬を飲んでも症状がかわらないから いっそのこともう薬をやめたら?」と言われたこともありますひどいですよねえ・・腹痛と水下痢が止まらないと訴える患者に医者はこんな言葉もいうのですあれから五年 色々な病院でも「ストレスからくる過敏性大腸炎」というポスターなんかを多く目にするようになりましただから安心して紹介してもらった病院へ行ったのですが・・・まず・・紹介状を持っていった私はなんとその総合病院の院長先生に診てもらうことにワーイ\(゜▽゜=))/…\((=゜▽゜)/ワーイと喜んだのもつかの間紹介状に書かれている薬の名称が分からず(6種類まぜてある粉薬)何にそれが作用されてるのかも分からず触診することもなく「薬がなくなったから ほしいのだよね?薬あげるよ」といって診察は終わったのでした・・・しかも;;会計でだされた処方箋には 以前の病院でもらっていた薬の名前が間違って記入されていたり6種類が2種類になっていたりして 毎回チェックをして書き直してもらったことを思い出します・・・(四谷の病院で最後に処方箋の内容を印刷してもらってるので私は知ってるのです)でも せっかく紹介された病院だし 一応私がチェックすれば四谷と同じお薬がもらえるわけだし ここからさらに別の病院に紹介してもらいたいと言ったら果たして正しい薬の名称を書いてくれるのだろうか・・と不安がよぎり 一年半もの間そこへ通うことになりました一年半の間 院長先生以外の人にも診察してもらいましたが 触診されることは一度もなく 毎回薬の名称が間違っており しかも検査も一度たりともしてもらえませんでした今回母のこの騒動が持ち上がる前 ずっと同じ内容の薬をもらっていた私はどんどんお腹の調子が悪くなっていきました(普通四谷ではお腹の状態に合わせて薬を微調整してくれます)この病院で訴えたところで全く別の薬に変更されてしまう可能性もあるし どうしようかなと思っていたときのことですたまたま今年40歳になるので成人病検診を受けることになりました市からの検診が受けれる病院一覧の中で母が通っていた病院を選び行って見ると その日は消化器科の先生が担当でした成人病検診でメタボリック予備軍と診断され(これも今度の日記に書きますね)帰ろうかなと思ったとき なにげなくその医師に質問していました「先生は消化器科担当ですよね 過敏性大腸炎の患者を診ることができますか?」ぶしつけな質問ですよね 自分でもなぜこのとき聞いたのかわかりません先生に今までの経過を話しもし先生が診てくれるのならお願いしたいと言いました先生はなんと四谷の胃腸病院を知っていて どの先生にかかっていたのかな?とも聞いてくれました そして 今まで飲んでいた薬の成分表を見せて「これは長期に渡って飲む薬じゃないから これと これだけでお腹の具合をみていきましょうか」と言って下さったのです先生は その6種類(現在勝手に減らされて5種類)の薬が何に使われていたのか分かっているし今後も診てくれるとおっしゃってくれました本当に嬉しかったそのときは成人病検診だったので診察することはできないため 一週間後改めて先生の元へいき新しい薬をいただきましたそのとき先生は「ストレスがかかったなと思ったときに安定剤を何錠も飲むよりも 一日朝夕二回飲んで24時間ストレスが軽減していく方法をとりましょう 夜眠れないならそのお薬もだしましょう」とおっしゃってくださいました離婚して一人になって仕事もして母のことも考えて自分の将来のことも考えて色々不安がつのりやすい今 とてもありがたかったですそして新しいお薬を飲んでも腸の状態はまずまずでしたが母の今回の騒動で神経質で繊細な私は多大なショックを受け もろにお腹を直撃して悪化していくことに・・人間 良い事や嬉しい事の思い出よりも 嫌だった事 辛かった事の思い出のほうが強く記憶されています これは脳の構造でしかたないのですが 同じように記憶をしても思い出す回数によってそこに何度もパルスが流れより強い記憶 不快な記憶として刻み込まれてしまうのです私は錯乱していく母と在宅で一緒に暮らした生活を刻銘に思い出しましたどんなに もう以前とは同じようにならないかもしれないと思っても最悪だった生活の自分がどんなに苦しかったときの感情までも思い出しますこれは いかんな・・多分 私は これから母を迎えるまでの手続きの間に更にお腹が悪化するだろうし在宅になったら もっともっとひどい状態になるだろう以前の辛さを知ってるだけに 今度は頼れる人がいないだけに前よりも症状が悪くなるに違いない私の病気は ストレス性の過敏性大腸炎ストレスがなくならない限り治らないお腹の薬をいくら強めても 根本的なところを軽減しないと無理だ精神科に同時にかかって これ以上お腹がひどくならないようにしなきゃいけないのだろうかでも 以前 精神科に二箇所いったときパーキンソンの遺伝の可能性がある私に医師は過敏性大腸炎の薬はパーキンを引き起こす可能性があるからだせないといって カウンセリングだけにしましょうと いったりあなたの場合は周りの環境が悪すぎて薬では治りません だから薬はもう出しませんと言われたこともあるどうせ他へ行っても同じようなことを言われるんじゃないのかなでも 今度の胃腸の先生は優しい先生みたいだし 相談してみようかな今通ってる胃腸の先生は週に一度月曜の午後しかいらっしゃいません(しかも15時~16時半って短すぎ;;)明日先生に相談してみよう そう決心しました
2008年07月13日
この日記もずれております実際は金曜日のことです在宅するために 母を戻す前にしてしまわなければいけない手続きを考えました山のようにでてきます・・まず介護認定を一度うちきっていたので 再度申請しなおさなければなりません母の場合 千葉県の○○市の介護認定を神奈川県の逗子市で行わなければいけないので委託したり病院側と交渉したりで大変面倒くさく時間がかかります(3ヶ月以上)次に母を診察してくれる病院までいくのに介護用の車に買い換えないといけませんできれば車椅子ごと入れる車がいいかな・・次にその車を購入するのと今後の母の介護のヘルパーやら私は仕事やめるから私の生活費やらもろもろでていくので 母の定期預金を解約しないといけないのですが(私は金銭トラブルで離婚したので貯金なし 父の遺産は通常子供と配偶者で1/2にするのですがその当時錯乱して全部自分の名義にするといったのでお金はほとんど母の名義&定期預金)本人が窓口にこないと解約手続きは絶対してくれないので成年後見制度をとらなければなりません成年後見制度とは ようするに大人なんだけれども正常判断がつかないため代理人が本人の資産を管理運営するというものこれ 簡単そうに見えるけど家庭裁判所やら法務局やらでものすごく大変なのです次に電子化になる前に母はもう字が書けないから(パーキンソンで身体障害者です)株の名義を私に変更するということこれは父の株を母が遺産でそのままついだのですが小さい額でちょこちょこあちこち手をだしているので大変面倒です75歳以上の人の生前贈与は105万(110万だったかな)まで非課税なので全く問題ありません介護認定がでたら 即ケアマネと契約し(以前のところとは別のところ希望)まず 家の階段を自由に母が行き来できないように鍵つき扉をつけなければならないかと思います(以前歩けないのに夜中電気もつけず階段を降りようとして途中で転んで頭から落っこちていったのです・・・こわいですね・・)ヘルパーさんも何度か面接してよさそうな人にお願いすることにして 退院の日は一緒にきてもらおうと思ってます(入院中は介護保険使えないので)そのほかに介護保険内でおさまらない場合を想定して有償ボランティアの人とも契約をしておかないといけないでしょうなぜなら 前回の介護で体が壊れてしまってそのまま治っていないどころか今回のショッキングな出来事で悪化してしまいました・・よって私自身が病院で診察してもらってる間 日中見ててくれる人をお願いするのです(なお 私が定期的に行かなければいけない病院は 腎臓検診 乳がん検診 過敏性大腸炎の診察 です)施設のほうは 本人との面接をしなければならないため 事前に回ってもしかたない気がしますが 動ける範囲で動いていきたいと思ってますというわけでとりあえず一番早くしなければいけない介護保険と成年後見制度の申請市役所にいき介護保険課で手続きするも母が胃婁の手術で他の病院へ一時入院するためいつ面接にいっていいのかわからないからそれが終わってからということで保留・・成年後見制度の申請はネットでみると身体障害者であると市役所内でできる部署があるとかなんとか書いてあったのでとりあえず行ってみる話を聞くと書類は渡せるが結局家庭裁判所へ行ってくれとのことここで問題が発生して 以前母を閉鎖病棟へ入院したとき成年後見制度を取ったような記憶があるといったんだけど 一度取ったらもう一度取る必要ないので東京法務局へ行ってくれという・・面倒だったので先に家庭裁判所に電話して同じことを告げるとやはり東京法務局で先に自分が後見人になってるのか調べろとのことしかも 母が逗子に入院中なので横須賀家庭裁判所で申請してくれとのこと・・・横須賀家庭裁判所に電話してみると 確かに法律上はそうなのだけどなんとか在宅になるまで伸ばして 在宅になってから近所の家庭裁判所でとったほうがいいのでは?と言われる というのは 後見人になると年に一度資産の増減を提出しなければいけないし必要なら面接もしなければならない 毎回横須賀まできますか?といわれ ぼーぜんとしてしまう・・しばらく考えて答えを出すと言って電話を切ってしまった母を在宅にしたあと何度も横須賀までなんか 行ってられない 一日作業になるかといって 在宅する前に買おうと思っていた介護福祉車や 介護保険以外のヘルパーのお金とか もろもろ在宅にしてから申請して半年ほどかかるらしいけど そんなに待てる?結局 何の手続きもできないまま金曜日は終わってしまったどうして 父のときはすんなりいった手続きが母のときは必ずといっても壁がたちふさぐのであろう・・ちょと・・今日がんばってたくさん更新したのだけど 過敏性大腸炎がこの一週間あまりの出来事で悪化してしまい(やっと五年かけてよくなってきたのに;;)猛烈な腹痛と水下痢でこれ以上かけなくなりました落ち着いてから また更新します(書きたいことは山ほどあるのだが)
2008年07月12日
本当は木曜日の話なのだけど 書ききれなくなって 金曜日の日記に書くことに家に帰った私は胃婁の手術をすること しばらく横浜市大病院へいくこと 落ち着いたら在宅にもどすことを 母の兄弟へ話さなければならないと思った在宅は以前父が亡くなる前の一年と父が亡くなった後の一年をほぼ一人でしていたため どんなことになるかは想像できた簡単に話すと 私の市では母の病気 パーキンソンレヴィ小体型痴呆を診る病院がないということとパーキンソンと話しただけで断る老健 特老だらけなのだしかも 胃婁なのでデイサービスに参加できるかも怪しいし(食事とお風呂がメインだから)デイサービスを利用してないとショートステイや入所ということは優先的に受け付けてくれないのだ(以前一箇所だけデイサービスを許された特老は入所は許してくれたものの150人待ちだった・・) 院長先生もおっしゃっていたが アルツハイマーの患者は比較的施設や入院を嫌がられないのにパーキンソンというだけで病院側施設側は拒否するところが多いと言っていた私の介護日記を最初から全部読んでみればわかることだけど(読むのに一週間はかかると思うからおすすめしません^^;)パーキンソン患者を研究してらっしゃり診察していただけるところは順天堂系列の病院(神奈川県だと横浜市立大学病院もそうです) そしてそこは長期入院はできないのでそうなってくるとそこの順天堂の病院の部長さんよりさらに偉い女医さんがいる東京都立松山病院にパイプが繋がる そしてそこからさらに偉いのが今いる逗子の病院の院長先生なのだ この院長先生はパーキンソン研究者第一人者の○林先生というお方と一緒に研究していた人で○林先生とは母の母(同じくパーキンソン)を診察してくれた先生なのですこの大きな一本のパイプからはずれるということは 何かあったとき対応してくれる先生がいなくてたらいまわしにされるか診察放棄もしくは強制退院とかされるのである私が現在の逗子の病院にたどりつくまで 何度診察拒否 強制退院させられ あげくのはてにはよくもしらない薬を母にだし余計錯乱させられたこともあったパーキンソンとは研究されてまだ日が浅く研究費用も(国からの援助金)あまり高いほうではない アメリカで マイケル・J・フォックスがパーキンソン患者のために立ち上がり財団を築き上げマスコミにさらされることでようやく日本にも新しい薬などが回ってきつつあるのだ(日本は大変厳しいので認可されるまで10年以上かかることもある)話はそれてしまったが ほぼ孤立状態で介護に戻るしかないただ 昨日の母の状態からすると 以前のように常時錯乱していたり興奮状態であったりするわけではないので 22時間介護をしなくてすむかなという予想もたててみた我が家は二世帯住宅なので母の世帯と私の世帯と異なります2階が母の世帯なのだけど22時間つきっきりで見てなければいけなかったし 2時間しか寝れなかったし 1食しか食べれませんでしたそれに比べたら 多少の時間は ほっといても平気かもしれない なら 一人で介護していっても1年くらいなら体がもつかもしれないとも 思っていますまず母の弟(長男)に電話してこの旨を伝えましたここでいうのもなんですが長男は人の言うことを全く聞いてないタイプで 自分の経験が正しくそれをおしつけるところがあり 私はあまり好きではありません案の定 胃婁の手術を受けて在宅にするつもりだというと「なんでそんなになるまで在宅にしなかったんだい?いっちゃあ悪いけど あんたは独り身でしょ?うちの家内は生まれたばかりの赤ん坊を背負いながら雪の日も病院へ看護しにいったんだよ?それにくらべりゃ なんてことないだろうに それにあんたのお母さんに聞いてるけど おのづさんは一体いつ来たんだい?って訪ねても よくわからない答えが返ってくる おのづさん あんたちゃんとお母さんとこいってんのかい?」何を言っても無駄なのです どんなに あなたたち兄弟は四人いてそれぞれ配偶者がいて 計8人で看護してたんでしょと言っても・・ 言葉は悪いけど発症して2年半で亡くなったんでしょといっても・・親戚なんて口うるさいだけで実際助けてもくれない そんなもんです次に母の弟(次男)に電話しましたこの次男は東大卒業してらしてロボット工学の一人者なので感情的になったりせず理路整然とお話する方で私は好きです最初は普通にお話していて「この間お見舞いに言ったけど 何言ってるのか前々わからなかったよ 実の親子ならわかるかもしれないけれど あんまりもう時間がないかもしれないよ?もっと優しくしてあげなさい」と言ってくれてたのですが 胃婁の話を私がすると途端に怒り出し「おのづさん 身内だからね あえて 言いたくないけど 言うよ? 食べれなくなったら それでおしまいだ 管に繋がれて生かしておくというのは あまりにかわいそうだよ おじさんは反対だ!」「おじさん! おじさんは 本当のこと知らないでしょうけれど 父の入院は私が独断で決めました 本当はね 検査入院の段階で もう治療できる体力はないから家で見取ってあげて下さいって言われたのよ でも40度の高熱が毎日出て ステロイド剤で口の中全部の皮がめくれてしまい何も食べれない状態でどうやって家に帰すのよって思って 万に一つの奇跡を信じて独断で入院させた結果管だらけになって骨と皮になってあっという間に亡くなってしまったそのときは 父は栄養がいかなくて植物状態に陥っちゃってたけれど 母は違うでしょ? もう私が誰だかわからない状態なら私だってしないけど 私が誰かもわかって おじさんのこともわかるんでしょ?そんな母に餓死しろなんて 私はできないわ;;;;」それを聞いておじさんは「そうか・・そんなことがあったんだね 知らなかったよ お父さんのときも知らなかったけど お母さんの入院もね おのづさんが勝手に入院させたから錯乱したんだと思っていたんだ ちがうんだね?」「ちがいます!在宅で パーキンの専門医じゃない先生がでたらめな薬をだして精神異常をきたし在宅が限界になったから専門病院へ緊急に入院させたんですよ」「そうだったのか・・ だったら おのづさん できる限りのことはしてあげておくれ きっと大変だろうけど お願いするね」「わかりました」親戚なんて 所詮家族じゃない私がどんな思いで今までがんばってきたか 父がどんな思いで死んでいったかなんか ちっともわからないんだ私は確か何度も説明してきていたのに 好きなように想像して私を悪者にして兄弟を哀れんでいるんだ確かに 姪っ子より自分の兄弟のほうが大事だろう誰になんと言われようと 私は今まで精一杯のことをしてきたし 後ろ指さされることはないそれはきっと亡き父があの世からみてくれて一番よく知ってると思う仕事はやめよう家に帰りたがっていた母を家に帰そう母の命つきるまで そのためだけに行きようあ・・ そのためには 手続きがひょっとして 山のようにある???一難さってまた一難 忙しい日々は走り出したのだ
2008年07月11日
私の家から(千葉県)母の病院(神奈川県)へ行こうとするとき 家から病院まで2時間強かかるため できるだけ体力を使わないように努力します特に 横須賀線でいくわけですが 間違っても立っていってしまうと一時間半もの間疲労が蓄積しますいつもの時間にいく分には空いてる時間帯だし15両編成のを選んでるし 一番前の車両に行って一本見逃してから最前列に立っての準備をするのですが 今日のように いつもよりだいぶ早く病院へ行かねばならないときは最悪です普段の元気があるならそれはそれでよかったのですが 実は どーんと落ち込んでいて 食欲も一日一食に減ってしまい 頭痛 胃痛 腹痛 倦怠感 疲労感が伴い 車両がホームに入ってきた状態で大変混んでる事を気がついた私はこれはまずいと思ってグリーン車に飛び乗ってしまいました・・・はい・・追加料金1250円です・・母の病室へ行く前にナースステーションに行くと院長先生は待っていらっしゃいましたすぐさまご挨拶してお話です先生はすごく真面目にお話され(いつもはもう少し笑顔とかあるのだけど)胃婁の手術を受けなければこのまま体力低下していってよくない状況になる といい ここでは手術ができないから外科がある横浜市立大病院へ私と母とで診察に一度行きOKがでたら入院して手術すると説明しました胃婁かあ・・ そうかもなって思っていたけれど 胃婁の手術すら受けちゃ駄目というわけではない ただ精神状態が正常ではない母に胃に穴を開けそこから常に器具がでてて 何も食べたり飲んではいけないということが理解できるのだろうか・・嫌がって器具を自分で抜いて血だらけになったりしちゃうのではないだろうか・・不安がありました一応 先生の説明を全部聞いた後 私は正直に切り出してみました「先生 胃婁については私は反対しません」そういうと 先生は大変ほっとした顔をなさいました(はて反対する家族はいるのかな)「ただ 心配しているのはパーキンソンで胃婁の手術を受けた私の知っている人たちは皆半年ほどで亡くなっていきました 母もそうなのでしょうか?」「ああ それはないない」先生は笑いました「確かにね 在宅をしている場合 胃婁する決断が非常に遅いの どういうことかというと 嚥下状態が悪いのに物を食べさせ肺炎になり 治り また食べさせ肺炎になり 治り また食べさせ肺炎になり とうとう これはだめだなと決断して胃婁にするからすぐ亡くなっちゃうのね お年寄りは肺炎になるとものすごく体力がなくなってしまうから 体力があるうちにやっちゃわないといけないのよ」「そうなんですか・・ じゃあ 聞きますけれど 平均してどのくらいもつのでしょう?」「うーん 平均は わからないわあ 人それぞれだし・・」「では 長い人で どのくらい 大丈夫ですか?」「長い人ねえ・・ 長いっていえば ああ そうそう! あの 超超すごい長い人 いたわね あの人どのくらいだったかしら?」院長先生は横にいた私たち家族と喧嘩中の婦長に訪ねました「ああ あの人は 今年102歳で 胃婁9年・・10年目になるわね」うーむ 参考になりません・・・入院していて超超すごい人で9年かあ・・ てことは5年を超えることができるかどうかがポイントなんだろうな 私は心の中で勝手にそう思っていました が 話は思わぬ方向へ・・「厚生省からのお達しでねえ うちのような長期療養型の病院を半分にしろと言われているの 療養型なのだから 治って退院していかなければいけないはずなのに いつまでたっても治らず入院しているのがおかしいっていうのね それで うちに もう5年も入院してるでしょう?そろそろ在宅はどうかしら?」私はびっくりしてしまった以前 千葉県では母を診てくれる病院が一箇所しかなく 施設も一箇所しか受け入れてくれず その唯一診てくれる病院は最高で20日間が入院限度だったので 困った私は院長先生に相談したことがあったのだ そのとき 院長先生は「千葉でどこにもいけるところがないのなら うちにずっといればいいじゃない」とにこやかに笑って私たちを受け入れてくれたのに・・しかも 胃婁手術を受けて在宅にするって・・「先生・・ 以前とは違って 私は離婚して今一人なのです 働いてもいます ほぼ寝たきりの母を乗せるような車は持っていません 千葉の○○病院まで車で走らせても50分 そこへ母を連れて診察に行き 具合が悪くなってもそこへ運転して行かなければいけないなんて無理です」「ああ 今はね ○○病院 あなたが前いらしたときと事情が変わって12日間しか入院できないようになっちゃったから」「え・・・12日間・・ そしたら もし 肺炎になったら 12日間で治らなければ又どこかへ転院ですか?」「そうねえ・・ そういう決まりになっちゃったのよ それと具合が悪くなったときは救急車使えばいいわよ」「でも 診察するときは私が一人で母を起こして車椅子へ乗せて病院へいくのですよね」「ヘルパーさん使えばいいじゃない」そこで もう 話すのをやめたどうあっても在宅にさせたいらしい我が家から とれるだけお金をしぼりとっていたくせに・・院長先生は 私に胃婁の手術をするとき 何度も点数を言った点数とはすなわち医療行為が行われたから国に申請してお金として返ってくる分だ胃婁の手術自体は非常に点数が低いのでどこの病院も嫌がり しかも神経内科の患者は精神に以上をもっているからなおのこと断られるそうであるてことは 胃婁にした母へのなんらかの点数が減り 国からお金がとれないいらない患者になるわけだから家に帰れということかもしれないパーキンソンのお薬は非常に高い高いゆえに施設は患者を受け入れると経営が圧迫されるため皆断るのである施設でも拒否 病院側としては色々薬や検査やらしてくれる患者のほうが点数が高くて 寝たきりの胃婁患者は点数が低いから赤字になるのだろうとにかく鼻管チューブは長期に渡って使用するものではない常に胃の入り口がチューブによって開いてる状態だから胃の内容が逆流して気管に入り肺炎を起こしやすいのだ(逆流性食道炎)私は 胃婁を承諾し 手術してくれる病院の診察日を決めてもらうために連絡が入るのを待つことになった仕事があると二週間病院へはこれなくなる二週間ぶりに母の元へいくと病室が変わって明るい静かなところへ移動していたはて・・?以前の母だと徘徊防止とかいって問題児の部屋におさめられ鍵がかかっていたのに・・母は私を見ると 大きく目を開いたよくみると 両手が熊のぬいぐるみのような手先が使えない手袋でぐるぐる巻きにされている鼻からチューブが入っていて たぶんそれを引き抜こうとしたに違いない 嫌なのだ30分ほど 今なんでチューブが入っているのか 今度検査のために違う病院へ行くことを説明すると分かったと言っていた(院長先生から胃婁の手術をすると患者がびっくりするので あくまで胃潰瘍かもしれないからといって胃カメラを飲んでもらい穴をあけてほしいとのこと)しかし30分すると母は何も見えない空間に 熊のぬいぐるみのような手をのばし 何かをさかんに触っているようであるときどき 普通になるが 幻覚や妄想の世界に入ってしまったのだそんな母を見て私は泣いてしまった管に繋がれて手足の自由を奪い去られた母は 何の感情ももたずに楽しい世界にいっている私が母の横でしくしく泣いていても母にはどうでもよいようでたまに「お母さん」と話しかけると 熊のぬいぐるみの手で私の髪をなでてくれた私は 母に「お母さん お母さんのお父さんとお母さんの娘に産まれて幸せだった?」「うん!」すごい即答「お母さん お父さんと結婚できて幸せだった?」「うん!」これもすごい即答そのあとは 何を聞いてもよくわからない答えが返ってきた頭の中が正常だろうが異常だろうが 母が幸せだと感じれることが嬉しかったし なにより父がこの言葉を聞いたら喜ぶだろうなと思った久しぶりに耳かきをしてあげようと 片耳からして 反対側もしてあげてるうちに いびきをかいて寝てしまった 気持ちよかったようだ10分くらいそばにいたけど 起きる気配がなかったので 家に帰ることにした色々考えながら家に帰り 母の兄弟に電話をかけることにした(明日の分に書きます 大量に入れるとちょちょぎれるので^^;)
2008年07月10日
土曜日曜と気分はすさみ 一応前向きにと気持ちを切り替えようとしても母はどのくらいもつのだろうという不安が常に横切り 仕事が辛かったです私がしている仕事はレセプト関係の仕事50分ひたすら修正 入力 エラーをはじき 10分休憩するという具合になってます50分間ずっと集中しているのもきつかったし なにより事情を知らない人たちとの休憩時間が顔を能面のようにさせてしまうのです集中しての作業なので休憩時間はひたすら皆リフレッシュするためにおしゃべりしたりします同じ年代の人が多いので 家族の話や子供の話に花が咲きますが 今の私にはどの話でも笑って聞くという余裕がもてませんでしたなんとか仕事を終え 月初の仕事は私は終わりになりました(明日もお仕事ある人もいます)くたくたになりつつ買い物をして帰路につく途中 普段から何かと気にかけてくださってくれる95歳以上のおばあさんが植木に水をあげていました「こんばんわ」私はできるだけ明るく声をかけると「あらまあ!いついってもいなかったから お仕事かしらと思っていたのよ お母さんの具合はどう?」と心配してくれましたおばあさんの遠縁の人もパーキンソンになって手が震えてすぐ嚥下困難になり胃婁の手術をしたかいもなくあっさり亡くなってしまったというのを去年聞いていました私は母の状態をできるだけ平常心でお伝えしていたら おばあさんは 丹精こめてきれいに咲かせた百合を2本鋏で切り「大変だねえ これ お父さんのお仏壇にそなえてあげて」と渡してくれましたなんだか 一日中皆に悟られまいとして張り詰めていた緊張の糸が一気に崩れてしまって 私はぽろぽろと涙がでてくるのをとめられませんでしたおばあさんはびっくりしていたけれど 私もびっくりです まさか こんなところで泣こうとは・・・おばあさんに謝って早々立ち去ろうとしたら「困ったことがあったら なんでもいってね ご近所なんですからね」と優しく言ってくださいました私は何度もお礼を言って 家に帰り 百合の花を仏壇に供え ろうそくをともしてしばらく父と語りました引越ししてきた我が家と昔からいるおばあさん父の存命中は一年の間しか接点がなかったけれど こうしていつまでも覚えていてくれます皆が皆 鬼ではない(なぜ鬼に見えるかというと以前の日記を見ればわかります)こうやって優しい言葉をかけてくれ心配してくれる人もいるだからといって頼ろうとは思わない 迷惑をかけるだけだからでも 人の温かみって すごく嬉しかった母の病院へ電話してみると 院長先生との話し合いは 早くて木曜 次は土曜と言われましたできるだけ早いほうがいいと思い 木曜日に予約しましたお昼前後につくように逗子へ行ってまいります話を聞いた後 又 悩めばいい
2008年07月07日
土曜 日曜は 仕事はお休みでした金曜日に「母は長くないかもしれない」と仕事中に思った私は 迷惑がかかる前に知らせておかねばと上司にそのことを言いましたが 母の年齢を聞いて79歳と分かると「若いから心配ない」と言って本気にしてもらえませんでした 上司のお母様は99歳でペースメーカーだとか・・ まあ 私の母の病気のこともどういう状態なのかも知らないのだから当然だろうけれど 仕事続けてほしいと言われたときにはくらくらきましたこの休日の二日間 私はネットで調べられる限りパーキンソンと胃婁の関係について見てみましたが パーキンソンはパーキンソンの症状やお薬くらいでとどまって 症状の末期には胃婁になるというところまで書かれたものはありませんでした 胃婁は 胃婁で パーキンソンとは全く関係なく 例えば脳障害で(脳梗塞 脳血管障害など)嚥下が困難になった人ように書かれていました中でも目に留まったのが「胃婁は予後不良の方には適しません」と書いてあったことです予後不良・・母は不治の病治療薬もなく進行性で現在末期状態こういうのを予後不良っていうのかな・・ってことは 母が入院している院長先生からのお話って胃婁の話ではなく 鼻管チューブで生活してもらい限界が来たら死ぬのを覚悟してくださいってことなのかな・・そう思ってしまったら 一気に色々な思いがふきだしてしまった父が死に 病気の母は現在入院中 ペットのリスも死んでしまった そして 子供を作ることもなく離婚してしまい 現在 二世帯住宅の大きな家にひとりぼっちで暮らしている私は一人っ子 母がいなくなってしまったら家族はいなくなってしまう孤独感にさいなまれた離婚後 仕事はしているけれど一生できる仕事ではない(後三年くらいで仕事がなくなる)家族のために生きてきたけれど その母もいなくなるじゃあ 一体 なんのために私は生きているの?体ががくがくして 父が死んだときのことが蘇る私は父が亡くなった後三ヶ月ほど毎晩泣いていたまた あのときと同じ思いをするのだ父が亡くなったときは母もまだいたし主人もいたでも 今度は一人で葬儀をとりしきり手続きして この家の中で一人ぼっちになるのだ耐えられない私の状況を知ってる知人にメールをいれた「母が亡くなるかもしれない」すぐ 返信してくれた人もいたし そうでない人もいたが たったそれだけの短い文章では私がそこまで心が乱れているということは伝わらなかったようだ知人に話すのはやめよう私一人の問題だもの一人で考えた友人には友人の生活がある親戚にも親戚の事情や生活がある離婚してしまったからには もう 支えてくれる人はいないのだ自分で自分を支えられるか?答えは NO である私は強い人間ではないたった一人で生きていけるほどたくましくはないどちらかといえば温室で大切に育てられた花なのだ温室のビニールが破れれば枯れてしまう母が亡くなるまで生きていよう母が亡くなり四十九日が終わったら 私も死のう苦しい苦しい 悲しい悲しい もう愛している家族が目の前で亡くなっていくのを見るのはいやだ!私は二日間 何も食べずに 眠ることもできず ただただ泣いていたこんなときに助けを求めてはいけないと思ったのだが三年前にご主人を亡くし子供二人を育て自分も婦人科の病気で入退院の繰り返しでそれでもがんばって生きている友人に電話した友人は 根気よく話を聞いてくれた3時間ほどつきあってくれた愛しい家族がいなくなってしまう気持ち残されたものの気持ち自分がもっと別の選択をしていたら助かっていたのでは?という自責の気持ち同じだった私は彼女に「死にたい」と言った彼女は「死んだら 残されたものが悲しい 私は悲しいよ! 死にたいと思ったらいくらでも電話してきていいから 死んじゃだめ!!」私は 彼女に救われた自分だって大変なのに 私が困っているとき本当に親身に話を聞いてくれるとりあえず院長先生にお話を聞いてみるまでは悪いほうに考えないことにした何を話されるかわからないけれど 聞いてから考えたっていいじゃないかと思うことにした父は死ぬ間際に私に「俺は 死ぬのか!?」と問い詰めたもっともっと生きたかったのだ不治の病や不慮の事故により生きたくても生きることができなかった人もいるそれに比べたら 私は甘えてる周りのことよりも 自分のことだけ考えて自分が辛いから 自分が寂しいから 自分が悲しいからそれらから 逃れたいと思ってしまったのだ本当にお恥ずかしい申し訳ない気持ちでいっぱいです院長先生からの連絡を待ちます
2008年07月06日
お久しぶりです おのづです長い間 日記の更新をやめていました本当はもう 更新するつもりもなく ただ パーキンソン関連で苦しんでいる人がいたら参考にしてほしいと思い 閉鎖することなくそのままにしておいたのです何年更新をやめていたのでしょう・・その間に起こった色々なことは 左のところにちょこっと書いておきましたので読んでいただければわかると思いますさて 仕事に入る前 逗子へ行くと母は普通でした今の状態で普通というといったいどんな感じ?と思うでしょうけれどたびたびベッドの柵を乗り越えて転落して傷だらけになっているというところかな・・歩けることはできにくいけど 幻覚 妄想がひどく 正常判断もできないことからとうとう母の病室丸ごと外から鍵がかけられ 母の柵については紐でぐるぐる巻きにされています最近は ぐるぐる巻きをとるのが面倒だったので 病室でお話して帰るパターンが多く会話も普通のときもあり 幻想がひどいときもありであまりよくありません院長先生からも「パーキンソンの末期状態です」と言われました仕事に入る前 たまたま母の誕生日があったことから 一個300円もする和菓子(嚥下しやすいようなゼリー状のもの)を購入して食べさせ 大変喜んでいたのですが まさかそれが食事を味わうということのできる幸せな時間の最後になるとは 思いませんでした仕事に入ると二週間母の元へはいけません仕事中は携帯禁止なのでマナーモードにしてかばんに入れていたのですがたまたま 休憩時間に気になってみてみると留守電が入っていました聞いてみると 逗子の病院の看護婦さんからでした内容は 嚥下がひどく食事の全部を肺に入れてしまって チューブで抜き取るの繰り返しになり とうとう鼻から胃に直接チューブをさしたそうです 今後のことで院長先生がお話したいということなのでご都合のいい日を聞かせてほしいというものでした私の仕事は大変集中して行うものいくら集中して数をこなさなければと思っても頭の中は「鼻管チューブは短期間のみ使用するものだ 胃婁の話に違いない」とそのことばかり考えてました私のパーキンソンで胃婁になった知ってる方は胃婁術後あまり長く生きていなかったように思えます もしかしたらすぐ亡くなってしまうかもしれない 体中に不安がかけめぐりました(今 過去のものを少しずつ更新していきますので 今日の分はここまでにします なお前回もそうでしたが お返事はいたしません メルアドも変更になっておりますので 私的なお話がある方はメッセージに残してください)
2008年07月04日
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