本州西端となる私のふるさと「山口」でも、冬の寒さが身に染みる季節を迎えたわけだが、この日記で何度も伝えてきた… 山口と九州を貫く「冬」の南北軸…の律動が、この期に及んで始まる予感がする。
実は私にとってこの「冬の南北軸」とは、自分でも何故そのように認識するのか分からないのだけれども、上の画像の様に「紫」と「青」の二本立ての南北軸であり、その捉え方は20年以上も一貫して変わらないのだ。そこで上の画像は、山口と九州を貫く「紫色の南北軸」と、九州を貫く「青色の南北軸」の二本からなる「冬の南北軸」を地図上に描いたものである。
さてここで興味深いのは、今年の2020年の「冬至」を迎えるにあたり、「紫色の南北軸」が《縄文》の〔軸〕であり、この冬至以降からは〔主軸〕を担い、「青色の南北軸」は〈弥生〉の〔軸〕であり、この冬至以降は〔副軸〕を担うことになる予感がするところにある。
つまり今年の「冬至」からは、《縄文》たる「紫色の南北軸」は〔副軸〕から〔主軸〕に昇格し、〈弥生〉たる「青色の南北軸」は〔主軸〕から〔副軸〕に降格するという、言わば〈弥生〉から《縄文》への〔軸〕の転換、すなわち人々の「意識」の軸が〈弥生〉から《縄文》への【意識転換】が起きるということだ。
ところで、本日のタイトルに《縄文》と〈弥生〉という言葉を使用したわけだが、これはいわゆる歴史的な時代区分というより、列島各地の歴史の現場を訪ね歩いてきたなかで、山口と九州に地域を限定してみた場合に、大きくこの二つの言葉をキーワードとして感受してきたものがあったからである。
その二つの感受してきた内容とは、一方の《縄文》という言葉には「共存共栄」の自由で伸び伸びとした精神性が「紫の南北軸」に宿っているという感覚であり、一方の〈弥生〉という言葉には「弱肉強食」の束縛され殺伐とした(弥生時代から現代まで続く)精神性が「青の南北軸」に宿っているという感覚であった。
※ちなみに、ここで「共存共栄」とは「互いに助け合い栄えること」を意味し、「弱肉強食」とは「強い者が弱い者を犠牲にして栄えること」を意味する四字熟語だ。
さらに何度も詠ってきた・・・「破竹(八九)」の勢いで「自由(十)」の世界へ・・・という文言に、私なりの図形認識と《縄文》・〈弥生〉を絡めるとすれば、「八角形(弥生系…中国の道教思想に基づく図形)」の〔呪縛〕の体制から「破竹(八九)」の勢いで、「十角形(縄文系)」の〔自由(十)〕な世界への脱皮的革新を示唆する意味合いとなり、とうとう《縄文》の「共存共栄」を〔主軸〕とする「山口と九州を貫く南北軸」が、今年の「冬至」を節目として燦然と輝き始めることになるのではないかということである。
この下に並べた関連記事は、冒頭画像の「山口と九州を貫く南北軸(紫色)」に寄り添うように点在する山岳や《縄文》系譜の磐座や遺跡など、これまで探訪してきた17ヵ所に纏わる各記事に、この「冬の南北軸」の北から南にかけて番号を付けたものである。
そうえいば、この南北軸の北端にある山口県の萩には、明治維新の前夜に活躍した吉田松陰の主宰する「松下村塾」があった。
その塾生には、後の維新に貢献する「奇兵隊」を立ち上げた高杉晋作や、維新後の明治時代を迎え初代の内閣総理大臣に就任した伊藤博文がいた。
しかし先の明治維新から現代までの政策は、西欧の列強に呑み込まれたかたちで推進された、まさに「弱肉強食」の〈弥生〉系のものだったと推考される。
そこで今後の日本は、やはり約15,000年前より日本列島で培われてきた日本民族の血脈に潜む「縄文遺伝子」に思いを馳せ、《縄文》を象徴する「共存共栄(自由)」の精神を〔主軸〕とする時代を迎えたと言えよう。
以上のことから、この度の…山口と九州を貫く「冬」の南北軸…の提示は、2020年12月21日の「冬至」より【〈弥生〉の闇 】から【《縄文》の光 】に意識を転換するための、一つの布石になるかもしれないと感じる今日この頃である。
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☆下の画像は、山口は「日の山」の山上より、南麓の月崎にある三日月型の半島から南方に広がる瀬戸内海を撮影したものである。この半島の付け根にあたる月崎海岸域に、縄文時代の前期から後期にかけての「月崎縄文遺跡」が存在する。
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