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今朝。
いつものように、朝ごはんの仕度をしながら弁当をふたつこしらえる。
なぜか昨日、心づもりしてこしらえておいたおかずや、刻んで袋に入れておいた野菜のことを思い浮かべる前に……、あわてた。
大あわてで、0から働く。
「あわてる」仕組みというのは、おもしろい。と、つくづく思う。
一度あわてると、「あわて」をひとめぐりしないうちは、止まらない。途中で、「待てよ、」とか「そういえば、」というような合の手が入れられれば大事(おおごと)にならずにすむのだが……。
どうしたわけか、わたしはあわてる自分がちょっと好きだ。
全身であわてている自分は、あまりにもばからしくて、笑える。どこかでお腹をかかえて笑いながら、もうこうなったら、最後まできっちりあわてなさい、と励ますような気持ちになっている。
今朝だって、台所に入るなりあわて、あわてながらうかれていた。
「あわて」は、いきなり始まり、いきなりおわる。
「あわて」が去ったとき、「あ、冷蔵庫にこんなものが……」と、昨日こしらえておいた肉団子と、ほうれんそうを茹でたもの、それに、洗って刻み、袋に入れておいたレタス、水菜、にんじんをみつける。
あはは。
わたしに「あわて」は付きものなので、いまや、あわてないようにしようなどとは露も思わず、これを道連れに生きていこうと思うわけなのだ。
わたしが「あわて」を片腕に、片づけのためにもっともエネルギーをつかうのは、仕事部屋に入る前と、外出前、寝る前である。
仕事を終えたとき(この場合の仕事は、書いたり描いたり読んだり、の仕事)。
帰宅したとき。
目覚めたとき。
その3場面で、自分をがっかりさせては、まずい。
そのがっかりは、いろんなところに、じわじわっと芳(かんば)しくない影響を及ぼすからだ。
だから必死で、例の「あわて」の手も借りて、仕事前、外出前、寝る前の家を片づけに片づける——といったって、わたしの気が済むレベルで、だけど——。
仕事を終えたとき。
帰宅したとき。
目覚めたとき。
これらは、こざっぱりとした家に一歩を踏みだしたい瞬間だ。
仕事部屋から出て……、外出先から帰宅して……、眠りの国からもどって……、家が片づいていれば、たとえお茶1杯飲むゆとりがなくても、すっとつぎの作業にとりかかれる。
あわてたければ、あわてて、つぎの作業に。

夜、余裕があるときは、あと片づけをしながら野菜のせん切りをして、袋に入れ、
冷蔵庫に入れておきます。
これ、翌日の朝ごはんを助けます。
サラダに。スープに。炒めものに。
こういう助っ人は重宝だけど、忘れちゃってはねえ……。ため息。