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東京に、雪が降った。
降ったとなると、その分量はどうでも、子どもたちはうかれ、跳ねる。
そうは積もるまいと思ったけれど、それでも、家家の屋根、車の走らない路地、原っぱは、その日のうちは雪の白をまとったままでいた。
「かまくら作ったんだよー」
学校から帰るなり「遊んでくるー」と叫んで飛びだしていった末の子どもが、夕方戻ってきて、うれしそうに言う。
「そうでしょうとも」
泥だらけの上着の背中を、風呂場まで押して行きながら、思い浮かべる。
ほとんど泥でできている、小さなかたまり。子どもたちはそれを「かまくら」と呼んではばからないのだろう。
泥の子どもの洋服を洗濯機に入れ、ついでにからだも洗ってやりながら、
「この冬は、ちゃんと寒くなって、よかったよね。ちょっと安心した」
と思わずつぶやく。
「でも、この寒さは、チキュウオンダンカをカンワさせないらしいよ」
と、子どもがおしえる。
えー。
かすかな「安心」が消し飛んで、思いきりがっかりする。
ローマは1日にしてならず、地球温暖化も1日にして解決しないのだ。
そりゃそうだよね。
短絡に走らず、まずは、この寒さの前に跪(ひざまず)こう。
四季のめぐりのある国に生まれ育ったおかげで、どれほど想いを耕され、暮らし方を学ばせてもらったことだろう。
まずは、ありがたがらなければ。
そうそう、ことしが明けてすぐ、こんなことがあった。
古い友人との再会。
「久しぶりだね」
「元気そうじゃないか」
痒(かゆ)いようで、幾分痛いような感覚がよみがえる。
旧友とは、しもやけのことなんである。
右足の中の指が、赤く、ぷくっと腫れている。
しもやけと旧交をあたためるなど、呑気なものだと自分をわらいながら、それでもやはり、うれしいのだ。
このくらいの状態を友と呼ぶ呑気さを、持ったっていいじゃないの……と、思っている。

袖無しの袢纏(はんてん)です——この呼び名が正しいのかどうか。
これは、90歳をいくつか越している、夫の伯母手作りの
宝ものです。
あったかいんです、とっても。
これを羽織ってはたらくと、事がうまく運ぶような気がします。
袖がないから動きやすく、机の仕事、水仕事、土仕事、
なんにでも向いています。
うちに1つしかない、湯たんぽです。
「きょうはどこへいくかい?」
と、湯たんぽと相談。
いちばんくたびれているひと、
風邪をひきかけているひと、
しょんぼりしているひと、
そういうひとの足もとに行くのです。
翌朝、湯たんぽのなかの、まだあったかい湯で
顔を洗うたのしみといったら……。