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週日は、朝から夕方まで、机の前にいる。
机の前になぞいたためしのなかった小学生のわたしに、いまの姿を、見せたいようだ。
——どんなもんだい。
勉強しているわけではないが、机の前にいるというだけで、ひとは変われば変わるもの……などと、手前勝手な感慨にふけったりするところは、いかにも軽はずみ。
それが証拠に、机の前で何をしているのか、と問われると、途端におちつかない気持ちになる。書いているには、書いている。が、かいているのは、頭やら、時折ためす椅子の上でのあぐらばかり、という日もある。
いやいや、そんなことは直(ひた)隠し。小学生のふみこちゃんの前でくらい、いい格好をさせてもらおう。
——どんなもんだい、どんなもんだい。
かいているのが頭やあぐらでも、とにかく、机の前にはいることにしているから、途中で出かけることができない。一度家を出ると、朝まとったはずの仕事という衣が脱げてしまう。
出かけるこしらえをし、外の空気を吸ったり、誰かと二言三言会話を交わすというそれだけで。
「気分転換」も、いらない。しようとすれば、やっぱり衣が脱げてしまう。
不器用なせいである。
仕事への取組みも不器用なら、買いものがまたおそろしく不器用ときている。
お店のひととのやりとりに、かなりの精力をつかってしまう。いや、つかいたくもあるのだ、わたしは。
ことに、それを買うなら「ここ」と決めている店先で、うわさ話などは一切せず、愛想にも節度がある、選ぶ「目」をもったひとたちの前に立つだけで、押してくるものがあり、それについこたえたくもなる。
自意識過剰だとも、力み過ぎだとも思いはするけれど、そういう調子でずっと生きてきてしまったのだから、仕方がない。
週日はだから、ほとんど買いものをしない。
買いもののすべてを、家の者たちに振り分ける。 店ごとにメモ用紙をかえて、買ってほしいものを書いておく。
すると、「ぼく、これとこれ」、「うちは、これ。ついでにおやつのするめを買っていい?」、「帰りに駅前のスーパーで買うよ」(駅前のスーパーは午前7時—午前1時。帰りのおそい長女にも、買いものが可能)という具合に、家人たちはそれぞれ自分ができる買いもののメモをとり上げてくれる。
仕事が早く仕上がった日、週末には、わたしも買いものの一員になる。存分に精力をつかい、まとめて買えるものはまとめて、そうでないものは吟味のよろこびに浸りながら、買う。

家の者たちへの伝言をくわえてもらうかえるです。
風貌も、「無事かえる」というその名前も
気に入って、もとめました。
メモは、店ごとに1枚。
魚屋はさかな、八百屋はおかみさんの顔、
豆腐は四角という具合に、
しるしを描いておきます。

メモ。
長女が裏紙でつくってくれています。
おもて(裏?)がきれいな写真のは、
一筆箋としても使います。