サイド自由欄


profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあいと娘3人との5人暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。

カレンダー

バックナンバー

2025/11
2025/10
2025/09
2025/08
2025/07

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2008/12/30
XML
カテゴリ: 生活



 羽二重(はぶたえ)のはたき。

 ことし最後の掃除にこれをおろそう。
 1年の塵を払う気持ちで。家のも、わたしのなかのも、塵を。

  はたきに頬ずりしていると——こういうことができるのも、いまのうち——なんときれいなはたきだろうか、とうれしさが満ちるようだ。
 感じ入っていると、はたきの向こうに行列が見えてきた。何の行列だろうか、と目をこらす。
 わたしの記憶のかなたからやってきている。

 たとえば、ことば。
 たとえば、道具たち。
 たとえば、遊び。
 そして、作法。

 分野も区分も異なっているようでいて、じつは共通の場所で生きてきたものたち。それだからこそ、はたきの存在をよすがに、ぞろぞろと連なって出てきたのだろう。
 行列の先頭のはたきは、どこか得意そうだ。
「わたくしを思いだしてくだすったのなら、この連中のことも思いだしてくださいましよ」
 と、言わんばかり。

「日本語」という存在を考える1年だった。
 たくさんの仕事のなかで、忘れたふりをしていた「きれいな日本語を……」という主題と、何度も何度も鉢合わせした。「あ、」と声を上げて、目をそらす。影をみつけては、顔を合わせぬよう、急いで道をまがる。そんなくり返しだった。
「きれいな日本語」へのあこがれは、忘れたことにしておいたほうが、仕事が捗(はかど)る。能率が、上がる。
 ——何をいまさら、きれいだなんて。
 ことしの途中ではじめた英文の翻訳の勉強も、英語の勉強のようでありながら、煎じ詰めれば、日本語の勉強だった。なんとか英文の意味を拾ったわたしが、つぎに突きつけられるのは、拾ったそれを日本語、それもきれいな日本語に置き換えるというつとめ。

 ここへきて、はたきが行列をつくってまで、きれいなことば、きれいな道具、きれいな遊び、きれいな作法をと、訴える。

 ほんとうにそうだ。
 来年は、わたしが目をそらしていた「きれい」を思いだそう。
 ——澄んで、きよらかなさま。さっぱりしているさま。いさぎよいさま。あとに余計なものを残さないさま(広辞苑第5版より)。
 机の上で、台所で、室内で、そしてわが身にもとめる「きれい」とは、何か。
 ひととのあいだに、そっと置きたい「きれい」とは、何か。

 羽二重のはたきのおかげで、「きれい」に対する、このところの気恥ずかしさが、払われた。その柄を、くっと握る。

          *

 はたきの柄をにぎったまま、謹んで申し上げます。
 ことし1年、どうもありがとうございました。
 佳い年を、お迎えください、みなさま。  ふ 



Photo


励ましてくれるよう……。







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2008/12/30 09:56:41 AM
コメント(21) | コメントを書く

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: