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つい先日のことだ。
書棚の隅にある黒い背表紙と目が合った。
そこには、ただ「ふ」と書いてある。
おもに、いただいた書状やカードのようなものを入れておく、箱型のファイルだ。そういえば、しばらくなかを見ていない。
20数年前にこの箱を用意して、なかに書状をためてきた。かなり厳選してためてきたつもりだったが、ふたを持ちあげてみたら、なかにはぎっしり紙の仲間が詰まっている。とつぜん、なかみに対する興味が、湧く。
書斎の床にぺたんと坐り、なかみを出してはならべていく。
かつて親しくしていた仕事仲間からの誕生日カードや、いまは亡きひとからの手紙など、月日のうつろいが目の前に迫ってくる。なんと、なつかしいことだろうか。
少し前のわたしなら、この場面で、なつかしさよりも先に心寂(うらさび)しさを感じたことだろう。かつて親しくて、いまつきあいがなくなった相手。当時はこの世のひとだったが、いまは亡い相手。そういう存在をかなたに透かしながら、さびしさよりも、この世で出会うことができた縁(えにし)を思っている。なつかしいとは、縁の重みだ。
そんなことを考える一方で、手は、ひとりでに仕分けのようなことをしている。トランプを配るときのように、目の前にいくつかの山ができていく。
山のとなりに、1通のお手紙がぱらりと、頼りなく残った。墨痕あざやかな差出人のお名前をじっと見る。(……ええと、ええと)。額に指をあててみても、天井近くを睨んでみても、あたまを抱えてみても、その名の主の姿も浮かばなければ、出会った場面も思いだせない。この箱にしまったのだから、わたしにとって大事な、うれしい便りだったことはまちがいない。それなのに……。
まったく驚くべきことだった。
驚くべきはわたしの記憶力の乏しさなのか、それとも、跡形もなく消えてしまったそのひととの縁なのか。
そっと封筒から便箋をひきだしてみると、そこには「あなたは感性のするどい方とお見受けしました。するどさ故に生きにくい面もあるでしょうけれど、どうかよく生きてくださいますように」というようなことが書かれていた。
当時はもっていたのかもしれないするどいほどの感性に関しては、まったくどこへ置き忘れたものかという気にさせられるけれども、そういうものをもっていると評価を受けた事実と、なにより「よく生きろ」という励ましを、あらためて受けとろう。憶えていることのかなわなかった不思議なひとからの便りを、こうして胸におさめなおす。
さて。 縁の重みをたしかめながら、多くの書状を束にして処分する。このこともまた、いまのわたしには心寂しくもはかなくもないのである。モノをよすがとせずとも、わたしのなかに存在は刻まれ、そのこころは映っている。

モノは、手放さないかぎり残るのだと、
おしえられました。
ことしのはじめ、柚子の皮を干しました。
たくさんの柚子を、なんとか使いきりたいと、
そして、できるなら香りを残したいとねがって。
それも、常温で保存したいと思いました。
・柚子を半分に切って、なかみをくりぬく
(これは、酢のものの酢として使うほか、
さらしの袋につめて何度か分の柚子湯に)。
・柚子の皮をせん切りにする。
・ざるにひろげて、天日干しにする。
からからに干し過ぎたかもしれませんが、
水にもどして使うこともできるでしょう。
うれしいことには、香りがそのままなのです。