サイド自由欄

カレンダー
キーワードサーチ
白いシャツブラウスが好きだ。
それに気づくのには、ちょっと手間が要った。ある日——わたしは22歳だった——ひとから「白ばかり着ないで、花柄なんかも着てみたら、どう?」と云われた。白いシャツブラウスを好きだと自覚する前だったから、「そんなもんかなあ」と思った。そしてまた、云われただけだったら聞き流したかもしれないけれど、花柄をすすめてくれたのは職場の先輩で、先輩は親切にも大振りの花が咲きみだれる模様のブラウスをわたしに贈ってくれたのだった。
それは、上等のブラウスだった。
先輩の好意を受けるという畏れおおさ、上等を贈られたという責任感から、わたしはときどき、ええと週に一度くらいはそれを着て会社に行った。そのたび、先輩はちょっと笑った。かっこいい大人の女性だったから、「それ、いいじゃない?」とか、「着てくれてるんだ」なんてことは、面と向かって云わなかったが、かすかに、とてもかすかに目を弓形に曲げるのだ。
自分が白いシャツブラウスを好きだと気がついたのは、そのころ。花柄のブラウスをプレゼントしてくれた先輩を尊敬していたし、その目が弓形にやさしく曲がるのを見るのはうれしかった。が、花柄がからだに貼りついている日はなんだか落ちつかなく、その気分はわたしに白いシャツブラウスを恋しがらせた。
「それ」に気づくのは、「それ」を失ったとき、「それ」から逸れたときなのだなあ。……と知った。
白いシャツブラウスみたようなことは、その後もしばしば起きた。自分の好みに、半世紀以上も生きてきたいまもまだ、あたらしく気づかされることもあるのだから、すごい。
一度気づくと、つまり、白いシャツブラウスが好きだとわかると、安心してその道を行ける。職場の先輩から花柄のブラウスを贈られた若い日、わたしは40歳になったら、毎日きものを着て暮らそう、と思っていた。ところが実際40歳になってみると、きものを着るというのとはほど遠いわたしだった。きものを着る生活、というのも、どこかで拾ったイメージだったのだと思う。 わたしには白いシャツブラウスがあった。白いシャツブラウスとデニムは、40歳のわたしを、相当に勇気づけた。
それからまた10年以上が過ぎたいまは、もうきものを着るイメージは持っていない。そのかわり(?)いつまでも、白いシャツブラウスとデニムという道を安心して歩ける自分でありたいと希ってはいる。
自分にはぜいたく志向はないつもりだけれども、白いシャツブラウスが好きだと考えたりするのは、ある種とてもぜいたくなのかもしれない。そうして、約(つま)しさとぜいたくというのは、背中あわせなのではないか。 約しさのなかに、ぽっと浮かび上がるたのしみ、好みのことを、ぜいたくと呼びたいなあなどと、わたしはこっそり考えている。

これも、わたしのぜいたくだなあと思います。
手ぬぐい。
ことしの干支のうさぎと、自転車のを
あたらしくもとめました。

ぜいたくといえば、
手ぬぐいの衣更(ころもがえ)をすることも、です。
台所の棚のいちばん上の段に、こうして、
季節外の手ぬぐいをしまっています。

お雛さまの柄の手ぬぐい。
こんな風に、壁に貼りつけても、
おもしろいかなあ、と。