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3月31日(木)
3月がおわる。 ふり返るのが恐ろしい。でも、ゆっくり首をまわして、うしろを……見なければ。忘れてはいけないことがある。確かめなければならないことがある。考えなおさなければいけないことも。
その日のその瞬間を境に、すっかり存りようを変えざるを得ない目に遭ったたくさんの人びとのことを思えば、決して目を逸らすわけにはいかない。
きょうは、決算日。
2月のおわり近く、わたしは経済について考えていた。夫と自分が中心になって営んでいるこの家の経済についてだ。まったくはずかしいことに、この20年、わたしは家計簿をつけなかった。20年のあいだには、経済が潤沢でない日日があったのにもかかわらず。つけたほうがよかったことは、火を見るよりも明らかだ。では、なぜ、それをしなかったか。
「これ以上、仕事をふやしたくない」というのが、理由だった。
約(つま)しく暮らしてきたつもりだ。が、「ほんとうに?」と問われたら、それを証明することができない。家計簿をつけていないのだから。
「ほんとうに?」と問うたのは、わたし自身だったのかもしれない。自分で自分に「あなたは、ほんとうに約しく暮らしているのか。だとしたら、それを数字で証明したらどうか」と。
数字が苦手なわたしが家計簿をつけるとなると、つける前からこんがらかるのが目に見えている。けれど、24歳で主婦になってから10年ほどは家計簿をつけていた。それは、会社勤めで収入がはっきりしていた時代とかさなっている。わたしが家計簿をからはなれてしまったのは、独立してフリーランスの立場で仕事をするようになってからだ。収入の時期はまちまちになり、勘にたよって収支の辻褄(つじつま)を合わせてきたのだった。
いんちきを混ぜながらも家計簿をつけていたころの、あの数字とのやりとり、こんがらかりは、なつかしい。「なぜ、そういう数が出てくるのよ」と自分で計算して出した数字に毒づくことも少なくはなかったけれど、しっくりとおさまって互いにうなずき合うときは、うれしかった。数字がぞろりとわたしを見上げ、「やればできるじゃないか」と云ってくれているようだった。
よし、また、あれをやろう。……と決心した。数字との親睦をとりもどし、この暮らしの状態をみつめよう。
わたしがまずしたことは、100円ショップに出かけていき、ファスナー付きの小型の袋7つもとめたこと。
7つの袋には、それぞれこう記した。
① 食費・住の消耗品
② 衣服
③ 医療・衛生品
④ 交際・娯楽
⑤ 水道・ガス・電気・電話など
⑥ 新聞・本
⑦ 臨時費(交通費、こづかい、寄附・募金も)
※夫とわたしの仕事にかかる経費は、別の決算。
つまりわたしは、レシート ―レシートの出ない八百屋では、買いものメモに自分で記して― を7つの袋におさめてゆく方式を考えたわけだ。毎日の(家計簿への)記入はせず、月末めざしてレシートを貯める(費目=袋別に)。……そうしてみようと思うんだけど、と相談したとき、夫の目が可笑しそうに見ひらかれたが、気づかなかったことにする。とにかく、できそうなかたちで、やってみないことには。
さて、きょうの決算は、じつに愉しかった。愉しくこんがらかることができた。20年ぶりの決算を、この月にすることになろうとは。しかし、自分たちのこの月の暮らしぶりが、約しさが数の上にもあらわれていたことには、安堵した。
この国の復興について、「こう節約ばかりしていては、経済が落ちこんでしまう」とする見方があることを、新聞で知った。なるほど経済は大事だと思う。しかし、「経済大国」と呼ばれていた日本に、わたしはもどらなくてかまわないのではないかと考えている。かまわないどころか、もう、そこは目指さないほうがよい、と考えている。
ひとつひとつよいものを生みだし、約しくともよいものを選ぶ目をもつに至ったとしても、もう「経済大国」という名では呼ばれないだろうが、「土台頑強国」というのはどうだろう。経済にかぎらず。
こんなえらそうなことを書いているわたしは、とにかく、決算をつづけよう。

7つの袋です。
今月も、つづけます(宣誓)。