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料理書を見ながら何かつくるというようなとき、以前——それも、かなり以前——は、そりゃあ真面目なものだった。真面目というよりも、それは、融通のきかない思いこみだろうかなあ。材料をそろえるのに、どれくらい苦心したかしれない。不足がちに暮らしている若い主婦の家に、どこの国のものかも知れぬめずらしい調味料を常備しているはずはなく、知識の乏しさも手伝って、聞いたこともない食材はいくらでもあった。
けれども。つくってみたさ、食べてみたさ、食べさせてみたさは、ひと並みに、いやひと一倍もっていたから、苦心は、当然のことだったといえるだろう。
そうした苦心が、自らを困らせるということもなくはなかった。
苦心の末にそろえた目新しい調味料が一度の料理のあと、一向に使われることもなくいつまでも家にある事態。それから。料理書の材料の欄にある、「卵黄……6個分」というときの卵白、「トマト(タネをとって)……大1個」というときのトマトのタネ、「きゅうり(まんなかのタネのある部分はくり抜く)……3本」というときのまんなかの行きどころにも、困った。料理書には、いともあっさりそう記してあるだけだから、若かったわたしは、〈大事な、べつの、部分〉をもて余してしまうのだった。それに当時は、食材を使いきる、生かしきることに興味をもっていなかった。
わたしはわたしで働き、食材は食材として存在し、というのが当時の台所模様だったのである。
いまなら、こんなことで困ったりしない。
調味料も、料理書の云いなりにもとめたりせず、代用のモノを家のなかにさがす。結局一度きりしか使わないのではないかという疑いを自らに対し、きっぱり抱けるようになったおかげで、ここ十何年、見て見ぬふりを決めこむ調味料をかかえこまずにすんでいる。
ひとつ食材のある部分だけを用いるような場合も、残った部分に罪の意識をもたされることもなくなっている。
卵白などは、1個分や2個分なら、卵焼きにひき受けてもらったり、焼きものの下味に混ぜこんでしまう。もっと多ければ、炒り卵白にして、サラダのトッピングや酢のものにしたり、トーストの上にのせて食べる。純白の炒り卵は、なかなかうつくしく、大人っぽい。
トマトのタネ、きゅうりのまんなか、たらこの皮、野菜の皮やしっぽ、そんなのは、どうにだってなる。あぶれたモノたちと懇意にするのが、いまのわたしの台所模様だもの。まかせてほしい。
ある日。
夫の仕事部屋に、5人の仲間がやってきた。苦労の末に、やっとまとまりかけた映画の、第一回めの試写会だそうだ。映像製作のむずかしさはわたしの理解をいつも軽く飛び越して、あれよあれよという間に完成地点に着地しているという具合だ。そういうのを無理解と呼ぶのだとしても、無関心ではとてもいられない。それでわたしは、食べるものをこしらえよう……と考える。8畳ほどの、それも窓を閉めきり暗闇をつくった部屋のなか、映像を観る。その後、監督、撮影、録音、編集、その他に力を尽くした面面が意見を交わす場面で、食べるものと云ったら……、サンドウィッチ。
家でサンドウィッチをこしらえるときは、パンの耳はつけたままにするのだけれど、この日は、なんとはなしに恰好つけてしまった。耳なしのサンドウィッチを、大皿2枚にならべる。
・蒸し鶏とセロリ(マヨネーズ)
・ゆで卵とピクルス、玉ねぎ(ピクルスの漬け汁でつくったドレッシング)
・キューカンバーサンドウィッチ(塩)
・合挽肉と玉ねぎの炒め(トマトソース)
・ママレードとクリームチーズ
さて、時間どおりに暗闇の部屋にサンドウィッチを運んだあと、わたしのもとに3斤分のパンの耳が残った。パンの耳のような存在と気持ちを通わせ合うせるところまでして初めて、サンドウィッチづくりになるというわけだ。
翌日の台所模様。
・キッシュ(パンの耳、卵、牛乳、サルサソース、ブロッコリ、ピッツァ用チーズ)
・シーザーサラダ(パンの耳、風変わりなレタス類、ベビーリーフ、パルメザンチーズ)
もぐもぐ ぱっちり(※)。
※これは、わたしの造語、結びのことばです。おいしそうなのがいいなあ、と思って。

卵白の炒りたまごです。
考えついたときは、こころが晴れる思いでした。
味つけは、塩こしょう、マヨネーズ、いろいろです。
クリームチーズを塗った上にのせても……。
サラダや、酢のものにも、重宝します。
パンの耳キッシュ、シーザーサラダ(パンの耳入り)のつくり方は、
きっと、また……。
キッシュはサルサソースが、
シーザーサラダはドレッシングが決め手です。