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書いたり、本や資料を読むため机にかじりつくか。家のなかを動きまわった末、最終的に台所に落ちつくか。こういう暮らしをつづけていると、2週間に一度通っているカイロプラクティックのせんせいの、「1日のうち、ほんの少しでも外に出られるといいんですけれどね。ん」という声があたまの上から降ってくる。そうだった……、とあわてて、外に出てゆける日もなくはないけれど、ほんとう云うと、机にどのくらいかじりついていられるか、家のなかを動きまわったり台所にこもることにどれほど時間を費やせるか、が、わたしのいまの人生だ。
ある日。
わたしの部屋の、「けんちゃん」の上に、妙な現象が起こりはじめた。「けんちゃん」は、もとは食器洗い乾燥機として働いていたが、いまは文房具の在庫と、学校関係の(いつ必要になるかわからないが、捨ててはまずそうな)資料の保管業務に転職している。「けんちゃん」の上には、読みさしの本と、これから読む本、数冊の辞書をならべて置いている。ここを見ただけで、自分の現在の読書計画がわかるし、通りすがりに立ったまま、辞書を引くこともできるので、いまやわたしの気に入りの場所になっている。
そこに……。ある日、1枚の真っ白い雑巾が置かれた。
(何だろう、この雑巾は)と思ったけれども、とりまぎれて確かめることを忘れた。つぎに同じ場所を見て、驚いた。1枚だった雑巾が3枚になっている。(けんちゃん、保管の仕事だけでは飽き足らなくて、雑巾を縫いはじめたのかなあ)と思いかけたけれど、いくら何でもそれは考えにくいね、と思い直す。ちょっと愉快になってきて、雑巾のことは、そっとしておくことに決めた。それに……、雑巾が置いてあるのは……、なかなかにいい光景でもあったのだ。
雑巾は、その後も少しずつふえて、その日は結局5枚重なっておわった。翌日、午前中は5枚のままだったが、午後になると、また1枚2枚とふえはじめた。夕方、台所におさまったあとで、ある資料のなかみを確かめておきたくなって机にもどってみたところが、そこに怪しい人影があるではないか。
いつも仲よくしているすずめの化身だった。
というのなら、叙情的なものがたりになるところだが、何のことはない、見慣れた二女の姿だった。二女は、「けんちゃん」の上に、9枚めの雑巾をのせているところだった。
「それは、いったい何なの?」
「何って、雑巾。古タオルのひきだしに、タオルがたまっていたから縫ったの。だめだった?」
「だめなんてこと、あるわけないよ。でも、どうして……?」
「デスクワークがつづいていてさ、変化をつけるために、ひと区切りのたびに雑巾1枚縫うことにしてみたの」
「へえ」
このひとは、現在、在宅でホームページをつくる仕事をしていて、それが、本業の洋裁よりも忙しくなってしまい、てんてこ舞いしている。ときどき、部屋から「や、こりゃ、失敗」「あー、わかんなーい」という、小さな叫びが聞こえてくる。そう云えば、ががががががという、ミシンの音も聞こえていたかもしれないなあ。
それが、えらくうらやましくなってしまった。「それ」というのは、雑巾縫いもだけれど、何より仕事に区切りがつくたび、ミシンを踏むということがだった。
真似しよう。
とはいえ雑巾を縫うのは真似が過ぎるような気がして、あれこれ考えをめぐらす。そうだ、わたしは布巾を縫おう。古タオルのひきだしのなかには、商店名や品名の印刷された真新しいタオルもまざっているから、それを使って。
そう決めたものの、自分のしていることのどのあたりが「ひと区切り」なのだか見当がつかず、なかなか布巾へと向かえない。もうもう、力ずくでひと区切りつけ、二女の部屋に行き、1枚縫わせてもらう。
1枚縫うと、なんとも心地よい。
調子づいて2枚めを縫おうとすると、「それは、だめなんだよね。1枚ずつじゃないとね」と二女に止められた。(ああ、1枚ずつね……)。そんな約束、したおぼえはない、と思いながらも、「1枚ずつ」には妙な説得力あって、云うとおりにする。1枚ずつ、ひと針ひと針。
そうだ、この作業によってもたらされるものは、1枚ずつ、ひと針ひと針の心地よさなのだった。そりゃあ、文字を打ちこむのだって読むのだって、ひと文字ひと文字にはちがいないし、台所でもひと刻みひと刻み、ひと混ぜひと混ぜだ。が、ひと針ひと針のときの、少しずつだが一本道をひた走るがごとき感覚は、ほかに類を見ないもののような気がする。そうして、道は1枚ずつ長くつながってゆく。
現在、雑巾、18枚。布巾、10枚。

けんちゃんと雑巾。
いまもまだ雑巾は積まれつづけ、
一部は、被災地にもゆきました。
友だちも、持っていきました。
雑巾の威力に、感じ入ります。