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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあいと娘3人との5人暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。

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2014/01/28
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カテゴリ: うふふ日記
 到来物の白味噌の羊羹(ようかん)と、渋めのお茶を、と思った。

 そうだった、ちゃぶ台はなかった。
 ひとり暮らしをはじめた長女に持たせてやったのだった。

 ひとり暮らしの準備に際し、娘に伝えたいことがあった。
 「間に合わせのモノは持たない」
 というのがそれだ。
 が、なんとなく口に出して伝えるのは憚(はばか)られた。娘には娘の考えがあるのだから、との思いから、口にしかけて黙った。それに、「間に合わせのモノは持たない」ということなら、すでにじゅうぶんに伝わっているはず、と思いたくもある。
 わたしが娘ふたりと3人の暮らしをはじめたとき、テーブルは持たず、暮らしのまんなかに古いちゃぶ台を置いた。ちゃぶ台は、わたしの暮らしの原点であり、「間に合わせのモノは持たない」という、暮らしの象徴的存在だった。

 たとえば机。たとえばフライパン。包丁もない。包丁はただし、わたしが使ってきたペティナイフだけは持たせた。三徳(文化包丁)は、いずれ贈れたら……と考えているけれど。
 娘の引っ越しを手伝ったとき、荷造りの箱のなかに、おろし金をみつけた。
 「取材先でもとめたんだ。一点豪華というヤツです」
 うつくしくて頑丈な、純銅製だった。
 それを見て、ああ、これがこのひとの原点だな、と得心した。云うことは何もない、と思った。

 若いひとに伝えたいのは、調度の類いは間に合わせで持っても、吟味して持っても、長持ちするということ。気がつくと、軽く20年くらい過ぎてしまう。20年が過ぎたとき、間に合わせの道具の多くはそこで終わりを迎えるが、吟味して選んだモノの多くは、まだゆける。修理も利く。この実感だけは、若いひとにはつかみきれぬだろうと思うものだから、こそっと云っておきたいのである。
 老婆心のついでに書いておくのだが、家に食器棚が入り用、食卓が入り用、ソファが……、というのはどこかで誰かがつくり上げたイメージだ。このイメージに囚われて、暮らしをスタートさせるのはいかにも窮屈。
 自分がどんな暮らし方をしたいと考えるか、どんな好みを持っているかを尋ねつつ、計りつつ、ゆっくりゆくのに限る。ほんとうに欲していたわけではないのに、のせられてもとめてしまった調度に苦しめられる(空間を奪われる)のだけは、よろしからず。……である。

 ところで、朝飯前の甘味とお茶を、わたしたちは盆の上でたのしんだ。ちゃぶ台もよかったけれど、盆もいい。

ブログフライ返し.jpg

フライ返しです(右)。
娘にも同じモノを、とさがしさがして、
もとめました(左)。
押しつけがましいとは思ったものの、「べこべこ」を
愛するあまり……。





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最終更新日  2014/01/28 09:37:28 AM
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