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2005年07月22日
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カテゴリ: その他
 夏が来れば、「海水浴」や「海水浴場」という単語をなんの疑問もなく使っているけれど、なんか面白いんですね、これが。たとえば、プールで遊んだり、泳いでも、「プール浴」とか「淡水浴」とは言わない。もしそんな言い方をすれば、お風呂か美容術と誤解されてしまう。

 だいぶ前になりますが、夏目漱石の「吾輩は猫である」を再読しました。そのときの記憶では、なんか関係した話があった気がする。

 実は、「吾輩は猫である」の著作権はすでに切れていて、ネットで無料で読めるんですね。キーワードに「海水浴」を入れて検索すると、ありました、ありました。といことは、「海水浴」という単語が「吾輩は猫」(1905)以来、正確にはそれ以前から、えいえいと続いている!

 「吾輩は猫である」その七は、吾輩がナント「運動」の宣言をするところから始まります。『吾輩は近頃運動を始めた。猫の癖に運動なんて利《き》いた風だと一概に冷罵《れいば》し去る手合《てあい》にちょっと申し聞けるが、そう云《い》う人間だってつい近年までは運動の何者たるを解せずに、食って寝るのを天職のように心得ていたではないか。』ガ~ン・・

 続きます。『運動をしろの、牛乳を飲めの冷水を浴びろの、海の中へ飛び込めの、夏になったら山の中へ籠《こも》って当分霞を食《くら》えのとくだらぬ注文を連発するようになったのは、西洋から神国へ伝染しした輓近《ばんきん》の病気で、やはりペスト、肺病、神経衰弱の一族と心得ていいくらいだ。』

 『人間は昔から野呂間である。であるから近頃に至って漸々《ようよう》運動の功能を吹聴《ふいちょう》したり、海水浴の利益を喋々《ちょうちょう》して大発明のように考えるのである。吾輩などは生れない前からそのくらいな事はちゃんと心得ている。第一海水がなぜ薬になるかと云えばちょっと海岸へ行けばすぐ分る事じゃないか。あんな広い所に魚が何疋《びき》おるか分らないが、あの魚が一疋も病気をして医者にかかった試《ため》しがない。みんな健全に泳いでいる。 (中略) 海水浴の功能はしかく魚に取って顕著《けんちょ》である。魚に取って顕著である以上は人間に取っても顕著でなくてはならん。一七五〇年にドクトル・リチャード・ラッセルがブライトンの海水に飛込めば四百四病即席《そくせき》全快と大袈裟《おおげさ》な広告を出したのは遅い遅いと笑ってもよろしい。猫といえども相当の時機が到着すれば、みんな鎌倉あたりへ出掛けるつもりでいる。但《ただ》し今はいけない。物には時機がある。御維新前《ごいっしんまえ》の日本人が海水浴の功能を味わう事が出来ずに死んだごとく、今日《こんにち》の猫はいまだ裸体で海の中へ飛び込むべき機会に遭遇《そうぐう》しておらん。』

 『海水浴は追って実行する事にして、運動だけは取りあえずやる事に取り極《き》めた。どうも二十世紀の今日《こんにち》運動せんのはいかにも貧民のようで人聞きがわるい。運動をせんと、運動せんのではない。運動が出来んのである、運動をする時間がないのである、余裕がないのだと鑑定される。昔は運動したものが折助《おりすけ》と笑われたごとく、今では運動をせぬ者が下等と見做《みな》されている。』

 海水浴ばかりでない、運動という単語もまた変わっていない。百年が1日の如し、ですね。





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最終更新日  2005年07月22日 13時22分59秒
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