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何事も進展を見ないまま年は変わりました。
女二宮も母女御の一周忌が終わりましたので、婚姻には何の憚りもありません。
「中納言殿がお申し出でになるなら、
帝はご結婚をお許しになられるお心積もりでいらっしゃいますよ」
と、中納言に進言する人々もありますので、
『あまり知らぬ顔をしているのも失礼なことだ』
と思い、しかるべき折には中納言もお文で意中をお伝えになりますので、
人伝に『婚姻の日取りをお決めになられたとか』などお聞きになるにつけても、
お心内ではやはりあの亡くなられた大君のことが忘れられないのでした。
『こんなに忘れられずに悲しく思うほど因縁の深かった人が、
どうして夫婦にもならずに逝ってしまったのであろう。
たとい身分が低くても大君に似た人がいるなら、心も慰むであろうものを。
昔、漢の武帝の時代にあったという反魂香の煙につけてでも、
今一度お会いしたいものだ』
とばかり思われて、女二宮とのご婚姻を急ぐお気持ちはないのでした。
一方、左の大殿は六の君のご結婚をお急ぎになりまして「八月あたりに」
と、匂宮にお申し出でになりました。
それをお聞きになった二条院の対にお住いの中君は、
「ああ、やはり思ったとおりになってしまったわ。
これではとても末を全うすることはできないでしょう。
物の数でもない私は人からの笑われ者になって、
きっと辛い目に遭うに違いない。
宮さまが浮気なご性分でいらっしゃることも
みんな覚悟のうえで今まで過ごしてきたけれど、
一緒に暮らしてからは特に薄情なお気持ちもなく、
深い契りをお約束してくださったわ。
でも六の姫とのご結婚が決まって
急に私へのお気持ちが冷めたらどんなに辛い事でしょう。
身分の低い夫婦の間柄のようにすっかりご縁が切れることはないにしても、
今後は心やすらかではいられないでしょうね。
私はもとの山住に帰らなくてはいけないのかしら。
このまま都から姿をくらまして宇治に帰ったとしても
物笑われの種でしょうけれど」
と、返す返すも故・父宮のご遺言に背いて山荘を離れてしまった軽率さを、
恥ずかしくも辛くも思い知られるのでした。