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とりあえず一式あると。


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1年間まきっぱに耐えました


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使用中まきっぱでどこまでいけるか。

Comments

mkunini2 @ Re[1]:2014年9月6日 丹沢湖・玄倉川(09/06) ネットの記事なんて便所の落書きと思われ…
mkunini2 @ Re[3]:1月中旬 リヴァスポット早戸川(01/20) まず俺がテンカラ大好きだっつー記事読ん…
きんたん@ Re:1月中旬 リヴァスポット早戸川(01/20) 随分前の記事に失礼します。 自分はルアー…
2011.04.07
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カテゴリ: カテゴリ未分類
引き続きいろんな文献の引用。

皆様買って頂き、著者の皆様に感謝!(今さらか。。。。
絶版本は横浜市立図書館、三浦市立図書館、神奈川県立図書館のどこかにあります(本当に雑だ…


年表でたどる上宮田
三浦海岸シリーズ1
長島文夫編
p1
33年大地震、三崎で2.8m隆起。

878年 地震。関東諸国でM7.4。地すべり、家屋崩壊。

p3
1257年 関東何尾で地震。山崩れ、家屋に損害、地割れ。
1293年 鎌倉で地震。死者2万3000人。
1498年明応7年8月25日大地震。鎌倉由比ガ浜で大仏殿が流され200人溺死。

p9
1703年元禄16年11月22日 南関東大地震M8.2 剣崎1.2m三崎1.6m隆起
松輪福泉寺が津波で流出 大浦浜から現在地に移る。

1707年宝永4年11月23日 富士山噴火。大地震。灰が降りてくる。

P12
1770年まつわ村沖で赤潮。漁業の被害甚大。


1791年関東豪雨。小田原~江戸で津波(高潮?)

p23
1853年 関東地方地震(小田原大地震)

p24
1854年 第一回安政地震。津波で浦賀被害甚大。翌日に同規模の大地震。


p28
1869年 三浦半島付近で群発地震。有感97回。3月20日~4月13日。

p51
1923年関東大震災。各地で隆起。剣崎の灯台が倒壊。沖の島(高抜沖)近くまで海水が引く。
1924年大地震。


三浦海岸シリーズ(4)
年表でたどる上宮田 増補新訂
長島文夫編
781年 富士山噴火 870年までたびたび噴火。
1210年 この頃天変しきり。雷雨や地震が毎日。
同年 ほうき星が東の方に発生。これで年号が変わる。
1241年相模湾沖で大地震。
1245年鎌倉大地震
1252年も鎌倉大地震
1305年にも鎌倉大地震
1369年大雨と風で大仏殿倒れる。
1433年関東で大地震
1525年大地震。由比ガ浜の浜や川、入り江、沼が埋まり、平地となる
1604年関東、東海大地震 津波が激しい。

※1624年頃からイワシ漁のマカセ網が普及。1740年ごろまで大漁。しかしその後不漁。

p75
関東大地震だが、(上宮田は)津波は干潮のみあった(引く波だけ?)
各地の津波、熱海で1.2m、三崎で6m


関東大震災と三浦半島
毛塚五郎著
p32
海軍工廠の検潮機が地震を予知?よこすか海軍工廠の検潮機の潮高曲線表は地震前の7時30分から振動を感じていた。絶えず、10年間の平均の高低を上回ったり、下回ったりしていた。

p36
油壷の陸軍陸地測量部が設置していた検潮機によると、震災後の平均の潮位は震災前より1m44cm下がっていた。逆に言えば土地が1m44cm隆起していたことになる。
浦賀港の場合、沿岸より10mほどが干潮のようになった。三崎港も同様。船舶の航行は危険となった。
連合艦隊が測量を開始。
横浜より北の木更津側は変化なし。
南側の土地が隆起。南にいくにしたがって隆起は著しい。

房総半島は2尺隆起。館山で4~5尺隆起。洲崎付近で6尺隆起。
三浦半島は横須賀、浦賀は2~3尺隆起。剣崎、三崎は4~5尺隆起。
厨子、鎌倉、江ノ島は2尺隆起。
伊豆半島。真鶴が2尺隆起、伊東が1尺、下田はさらに少し隆起した程度。
ただし、真鶴崎の近く笠島は8尺隆起、初島では7尺隆起。
また、伊豆大島は隆起なし。

p38
水深の変化。
東京湾変化なし。
相模、房総半島東側は1ヒロ浅くなっている。
相模湾の一部で著しい変化のある箇所あり。大島乳ヶ崎の北方や6里から江ノ島南西8里にかけて水深が50ヒロも深くなった箇所が複数あった。さらに60ヒロ、70~100ヒロ浅い場所もあった。ただし、元々相模湾は凹凸激しく、隆起の範囲を明確に探ることはできなかった。
また、測量の結果、一般航行には差し支えなかった。

p58
厨子、葉山では元々天候が悪く、海岸に出ている人や漁に行っている人もいなかったので、大津波が来襲しても被害者はいなかった。

p60
厨子の小坪では津波で村民5名が行方不明。田越川に津波が襲来し、橋が流された。
葉山の真名瀬・中川亀三郎氏の話
「地震後、海水が沖合へ後退。海底が現れた。そのうち、6~7mくらいの黄褐色に泡だった波が猛烈な速さで海岸、には家を乗り越え、かなり内陸まで押し寄せた。避難していたが、すぐそばまで波が押し寄せた。」

p62
三浦半島の隆起。
小網代、諸磯、二町谷、宮川の港の潮は沖に引いた。それから十数分して沖から津波が押し寄せた。皆、争って丘の上に逃げた。その後2回津波が襲来。
このせいで、あわび、いせえび、海草が死んだ。また東京湾では重油が漏れて、かき、あさり、ウナギが被害にあった。

三崎の漁師が10月4日に出漁したら城ヶ島の南300mの海中(水深約13m)で幅約20m、長さ約160mのガスの噴出を発見。水路部が調査して発見。しかし16日の再調査では消滅していた。



かまくらこども風土記 中
p.7
円覚寺の仏殿は1923年の関東大震災で壊れる。(円覚寺の位置は北鎌倉駅付近で内陸。)
p.47
神明神社の社殿は1648年の大地震で神燈が倒れ燃えた。
p.251
勧行寺は1923年の関東大震災でつぶれた。
p.263
龍口明神社(りゅうこうみょうじんしゃ)は1923年の関東大震災で全壊。このときは現在の場所ではなく、藤沢市片瀬地域内にあった飛地にあった鎌倉市津一番だった。
p.265 龍口寺は、その明神社が昔隣にあったとされる。住所は藤沢だが、腰越とほぼ一緒。1923年の関東大震災で本堂と五重塔“以外”は全壊。


かまくらこども風土記 上
p.169
海蔵寺にある本堂「龍護殿」は関東大震災で倒壊。
p.212
今から約700年前(本書は平成5年刊行)に、地震や火事などの災害が続いたので、日蓮が「立正安国論」を書いて、思想を正そうとした、それが1260年のこと。
p.218
鎌倉の大仏は1238年に木造の大仏となり、9年後に倒れた。これは嵐によるものという説がある。1252年い青銅の大仏を鋳造。その後地震や台風にあう。1495年の津波で流され、露座となる。1923年の関東大震災では約50センチすべった。
p.242
極楽寺は1259年に造られたといわれている。1333年に鎌倉攻めで寺は焼け、壊れた。その後も地震や大風で崩れ落ち、今は吉祥院のみが残る。
p.259
1910年 逗子開成中の生徒が七里ガ浜沖で遭難。この日は西風が強く暴風になった。行合川の沖で山のような大波によりボートが転覆した。(相模湾に入る潮流と行合川が海に注ぐため注意が必要とのこと p.270)
p.268
鎌倉高校前駅の背後の墓地にはかなり古い年代の墓もある。墓地の中央はこの海で遭難した無縁墓がある。
p.328
1180年源頼朝が鎌倉幕府を開くが、そのころから由比若宮とよばれる地域が元八幡と呼ばれるようになった。もともと由比ガ浜の八幡宮と呼ばれていたとされ、当時の地形からするとこのあたりは海になっており、神社は海に面していたと思われている。
p.330
妙長寺はもともと1299年に日蓮の弟子が船出した材木座の沼浦(由比ガ浜の沼ヶ浦)にあった。しかし1681年に大津波で寺が流され、今の場所に移った。
p.341
九品寺のあたりにある、ふだらく寺は別名竜巻寺といわれている。竜巻にあったり火災にあったりして寺のいわれを書いた文書が失われ、寺の由来がよくわからない。
p.346
光明寺にあった二尊堂は関東大震災で倒れてしまった。
p.371
鶴岡八幡宮の一の鳥居は、1923年の関東大震災のときに倒れた。

かまくら風土記 別冊
p.61
1241年に鎌倉の大地震が起こる
p.69
1495年に鎌倉で大津波が起こり、大仏殿が壊れ、大仏が露座になる。
p.72
1681年に大津波で妙長寺が流される
p.78
1923年に関東大震災で津波にも襲われる


新版
神奈川県の歴史散歩 上 
新全国歴史散歩シリーズ14 
山川出版社
p.3
878年第二次国府が大地震で、第一次国府(海老名あたりが有力)から大住郡へ移った


増補 鎌倉の海

p.94
中村光夫の「鎌倉今昔」によると、震災前の鎌倉は別世界だったという。震災前の「きれい」で透明な海を懐かしく思うとのこと。(ただこの「キレイ」は震災というよりも、都市の発展で汚れた、という意味?)
p.102
那須良輔の「海と魚と漁師」によると、海がひどく荒れる夜は海鳴りの音が扇が谷の奥まで「ゴーッ」と聞こえる。翌朝になると海岸に死んだ魚やウミウが海草の中にくるまって転がっている。坂ノ下の岸壁でつり、七里ガ浜で夜釣りをし、由比ガ浜や材木座で投げつりを行った。黒鯛、イシモチ、シロギス、スズキがつれた。
 鎌倉の海はナライ(北風)が理想。潮が緩くなる。東風(こち)になると海水温が下がって食いがとまる。夏場は南風が多く、晴れた日の正午ころから強く吹く。晩秋の西風は怖く、これは季節風である。伊豆に靄がかかっていれば風は出ないが、これが晴れ上がって富士山の姿が見えるようになると、風の速度が速くなり、波のうねりも大きくなる。
鎌倉の海は遠浅で水深は7、8メートル。沖に出ても20メートルほど。
鎌倉の沖で船釣りをすると釣れる魚の種類は大変多く、数十種類はいるだろう。渡り蟹が水面を泳いでいるのを見たことがある。
p.146
長谷の加藤さん→坂ノ下の「海月」さんという海水浴旅館の下の左脇に、いなり山が小屋(浜の小屋。文章のニュアンスでは茶屋のこと?)を造っていました。いなり山の小屋は古かったですよ。あそこの名前はなんといったか。
司会の木村さん→関東大震災のときに津波で一家全滅した家ですね。
坂ノ下の長田さん→そうです。あの小屋の看板はうちの親父が書いたんだ。
p.147
腰越の野村さんの話→海水浴場に適したのは大正12年の関東大震災で陸が2メートルほど隆起したから。七里ガ浜の磯伝いといっても、私の子供のころは磯には出なかった。それが1メートルの隆起で七里ガ浜の遠くの磯まで見えるようになった。地震による隆起で砂浜が広がったことが現在海水浴場に最適になった理由だろう。
(今はむしろ海岸が侵食?)

p.147の続き 極楽寺もドンブリ坂で、西浜も適していません(ドボンと深くて波が荒い)。東浜は腰越から鎌倉にかけては波が穏やか(東浜は海が遠浅。海水浴に適している)で、子供の遊泳に最適な場所ですが、海水浴に最適となったのは大正12年の大震災後です。地震で隆起したことで、井戸の水位が下がり、私の家は井戸側を二測も深くした。

p.172
吾妻鏡によれば1201年暴風雨によって由比が浦破船多し。
p.173
江ノ島旧記によれば1216年江ノ島の海、変じて道路となる(大干潮?)
p.173 吾妻鏡によれば同年の3月7日に海水が赤変する
p.173 吾妻鏡1222年由比ガ浜、腰越の海に死んだ鴨が大量に漂着する。
p.173 吾妻鏡1224年近海で大量に魚が死んで、由比ガ浜に漂着する。
p.173 吾妻鏡1227年腰越の海が赤変する。
(このへんの記述を見ると、黒潮などで水温が高めに推移して、赤潮が発生し、魚が大量に酸欠で死んだのかなあ、などと思う)

p.174 吾妻鏡1231年11月海が鳴動し、音雷のごとし。
p.175 吾妻鏡1251年の1月と2月に由比ガ浜、和賀江、腰越あたりの海が赤変
p.176 吾妻鏡1263年8月に暴風雨
p.178 1293年に鎌倉大地震、本朝通鑑によれば1303年に鎌倉大風水、武家年代記によれば1305年にも鎌倉大地震、1316年に鎌倉大地震


鎌倉市史 近世通史編
p.295
1703年、京都の賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)の社家・梨木祐之が江戸からの帰りに地震にあい、鎌倉の惨状を「祐之地震道記」にまとめた。切り通しの山が崩れ、円覚寺では泥水が吹き出た。
p.297
同。由比ガ浜には津波が寄せて往来ができないと言われ、向かわなかった。この地震の規模は関東一円におよび、津波の被害が沿岸地域に及んだ。
p.303
「東路の日記(明和4年1767年に書かれた江戸の富裕な婦人による紀行)によると、潮が引くと江ノ島に渡ることができる。左右から寄せる洲の道を渡って岩本院にいくという。

p.436
1703年の大地震は鎌倉の大仏が3尺ほど下がった。



続きはまたいずれ。





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Last updated  2011.04.07 09:23:05
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