3月18日
中国東方航空の時間は早い、朝の8時30分に南京を発つので、宿舎を6時に出た。
見送りの車に付き添いの人を乗せて、高速道路を空港に向かった。
車内から見える風景にさすがに朝の動きはまだ少ないかなと眺めた。
2時間前は十分、間に合って、すいた機内に乗り込んだ。
民航と言われた時代の飛行機のサービスから考えるとまったく変わってしまった。
乗務員の訓練も、ちょうど、かつての日航のサービスさかんなころの、中国機のサービス向上がある。
もちろん、昨今のことではないだろう、しかし機内食に紙容器に入った、といっても想像ができる方はわずかかもしれないが、その紙弁当は列車内のアイデアであったし、その容器は中国で仕出し食を頼むといまでも包まれてくるものだ、それを経験していたころの、そしてプラスティックの食器類もなかったころを思い出すと、それが変わったからといってサービス向上にはならないとの意見も出てこよう、しかし、あきらかにサービスをすることに自信を見せているのだから、飛行機内の穏やかさは変わった雰囲気である。
それでも見かけてしまったのは乗客のマナーだろうか、ふたつ後ろの客は席を間違えて座っていたらしく、係りの切符を見せての注意に促されて席を移動するように言われ、見せられた切符を手にとって席番の確認をするなり、これは自分のではないと放り投げて席を主張しかけた、それはその通りだ、自分がっもている切符は自分ので、放り投げたのは自分が座っている席の人のもだから、自分のではない、あくまで座った席がもう自分のものといっているようなものだが、切符をぽいと放り投げてしまったところにおかしさを感じたので、笑ってしまった、その客は自分の切符を取り出して番号を見て席を移動していった。
それでも機内のサービスによる応対は20年前の国営百貨店靴売り場の応対から考えると想像もつかないほどの変化だ。
わずか2時間半のフライトだが、関西国際空港に到着して、日本へ帰国した。
着くなり、携帯を取り出して無事の報告をして、さて中国国内にとダイヤルをしてつながらなくなって、帰ってきたことを実感した。
はるか特急で新幹線を乗り継ぎ、午後2時過ぎに名古屋へ戻った。
食事もそこそこに出勤をした。
疲れは3日か、4日後に出るだろうか、それとも比較的ゆったりしたスケジュール消化だったので、このまま、日常性を取り戻せるか、中国国内と日本国内との文化差がなくなった。
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