わたしの1年とするときには、自分にとっての、自分自身の、そのまま自分のとなるだろう。
自分という使い方では昔も今も変わらない、と思う。
そこで対となる公は何か。
わたし、と、あなた、となるわけではない。
私とアナタには、貴方、彼方、貴女との表記がある。
公は、あなたがた、であるのか。
公私の対は、朝廷方、お上にあるもの、そして役所であった公に、仕える民であった、その民は私であった。
日本人の意識がわたしとあなたになる、それは起こりうるか。
その意味合いは私と対等の、公には取り得ない意識があるからだが。
だから、公そのものを個個の対等にあるあなた方とするか、つまりわたしとあなたの対等の関係をそれを全体に公としうるか、ということだ。
おおやけの語は、しかし、大宅、大屋、大家のケである。
私は人称代名詞となり、パブリックに対するプライベートの意味を持つようになった。
私の秘密となった、言わば、わたしのわたくし、か、わたくしのわたしか。
私と公には秘密はない、わたくしは、個人所有のようなものをさした、おおやけは、みんなのもの。
さて、わたしの、というときに、わたくしにすることのない、そのものとはなにに当たるだろう。
天と人でもある、天下と人間でもある。
その人にはわたしのものはない。
わたしの過ごした、わたしの持つおもいに、私がいる。
わたしの1年には・・・
中国への渡航回数が1984年以来、20回を越えたことがおおきい。
この1年にそれも4回という回数は出費がかさむ結果となった、これまでになかったことで、そういう成果であったということか。
いずれも渡航目的の実現はうまくできたが、これまでのようにはいかなくなった、中国の変化がある、教育事情も社会変化も大きい。
4回の最初は講演行脚、3月のことであった、天津と南京への訪問は成功したかに思うがなかば、おしかけがなかば、と。
あと3回は教育プログラムの指導と支援と講演に出かけた。
個個の訪問にはそれなりの成果があったが、結局のところ、公になりえない私における訪問ということであった。
天にむかっての奉仕は人と人とのつながりを見せた。
人々に、人民に役立つのは難しくなった。
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