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小夜子さんに、「ありがとう」とずっと言っていたいから、一言以外もポチポチ打ちます。 青木学院物語 1982年の横浜に在った、ただひたすらに駆けていく彼女たち。 彼女たちが輝いているのは、そこに(どんな方向であれ)意思があったからだと思う。 なんて、堅苦しく書くと夏休みの感想文のように挫折するので、いつもどおりに。 この本、実は地元の書店で手にとっては本棚に戻したことがあるのです。 その後に、秋野真珠さんのサイトからリンクで辿り着き、ブログをむさぼるように読んで、購入したという経緯です。 (ちなみに、むさぼっているのは現在進行形) なんで、ここまでハマってしまったのだろう。 それは、小夜子さん自身や、周りの人たちが私にとって、心惹かれる存在だから。 そして、その人たちを綴ったお話で、私の中にあった固い澱が溶けて流れていってるから。 と、理由をつけてみる。 まとめてしまえば、問答無用でスキ!なんだけれど、今、言葉を組み立てて明確な形として作れるのは少ない。 私の根深いところを突いてきていて、私自身が癒されていることに後から気づくことが多いのだ。 なんて、澱の多いこと(苦笑)。 私にとって因縁の土地・鶴見(ここで苦しい社会人人生が始まった…)の違う面を見せてもらったのは、読み始めた頃の話なのだけれど、つい最近、中学受験にも絡んで癒されていたことが判明。 彼女たちのいる風景は、私が小学生当時、自由が丘の某スーパーから塾宛に苦情をもらうほどに駆け回っていた(今は反省してますよ。)のと似ていて、懐かしいと思っていたのだけれど、そういった楽しい柔らかい思い出だけじゃなかったということ。 私の中学受験は、2/3に2/2校の合格発表を確認して終わっている。 ありがたいことに、2/1校が受かっていたから、2/3校を受けなくて済んだのですね。 基本的にはご都合主義の私、そういったイイコトしか思い出さない。 けれど、時々、不意に隠れた刃のようにイヤ~なコトも思い出す。 それは、合格発表を見た帰り。 渋谷の地下道を母と歩いていて、すれ違った女子大生(くらいの年代)の二人組が私を見て「かわいそうだね~。あれ、小学生でしょう」と話題のネタにしたのだ。 やっと勉強から解放されて漫画もTVも解禁だ~と喜んでいた私は、その場で母と「かわいそうじゃないのにね」と話した。 そう、可哀相じゃない。 可哀相という言葉の裏に隠れた「強制されて、やってたんだろう」という相手の視線に侮りを感じて悔しかった。 どんな受験であれ、親や教師の強制だけでは絶対に試験まで辿り着けない。 試験後に置かれた目標は各自で違うだろうけれど、それに向かって本人の実行する意思がなければ受験なんてできない。 ぶっちゃけてしまえば なめてんじゃねーぞ。ばかやろー。 おやにいわれただけで、いじめにあいながら、まんがやてれびもがまんしながら、やくざまがいのせんせーとべんきょーできるかい! って話だ。 私は、これをさっさと誰かに話せばよかったのに、親の前で「ふん」とプライドだけで笑って見せて、しまっておいたから、20年近く経っても不意に現れる亡霊みたいな澱になっちゃったんですよね。 楓が聞いたら、一刀両断しそうな話です^^; や、実際に小夜子さんが楓にはっぱかけられてるシーンが機となって気づいているので、一刀両断されてますな。はい。 自分の意思とわかってるなら、怒れば良かった。 胸はって「違う」と言い切ってから、笑えば良かった。 気づかせてもらいました。ありがとう。 と、こんなこと考えて読むこともあります。 楓という重要人物をひたすらに考えて読むこともあります。 違う角度から読んでは、するめのごとく味が出てきてじんわりほっこりできるお話。 言葉を紡いだ小夜子さんをはじめ、本の形にするために携わった人たちにも感謝感謝であります。 |
最近のどくしょごとなど。。。 2010.08.31
読書録用ブログをもう一個 2009.04.05
15 years ago 2008.12.10