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2022.05.05
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コロナ禍に「自分ができることは何もない」と無力感から鬱状態になるひとたちが少なくなかった。
ウクライナ戦禍でも「この世界に自分が干渉できることなんて何もない」と抑うつ状態になるひとが多い。
この状況に年齢的なデータはみていないが、若者が多いのではないだろうか?


目の前に仕事~やるべきことがあり、それが社会に貢献するようなことであれば、それが救いになるだろう。
配送の仕分けであれ、運送であれ、介護職員であれ、看護師であれ、医師であれ、社会に貢献する仕事だ。日本初の緊急事態宣言下では、あらゆる仕事が社会に貢献することを深く理解することとなった。
緊急事態宣言下であっても、医療従事者は公共交通機関を利用して職場に向かい、コンビニで食事を購入し、病院には医療物資が搬入され、帰宅したら通販で購入した商品が届いている。振り返れば、当時はあらゆる職に対して「ありがとう」の言葉があった。
だが、一方ではそのころにも「自分は何もできない」と無力感に苛まれるひとたちがいた。目の前の死にゆくコロナ感染者に対して何もできないという無力感ではなく、社会に対して何もできないという無力感だ。医者であれば、眼科,耳鼻科などの医者は「自分は医者なのにコロナ禍で患者は減っていくのに、コロナ感染症に対してはなにも貢献できない」という無力感。看護師や検査技師や介護士でも、「自分は何もできない」という思いに囚われていた。エッセンシャルワーカーではない職種~殊に観光旅行業などに携わる人々は、無力感に合わせて「自分たちは必要ないのではないか」という疎外感も味わっただろう。


では、当時の若者はどうだろうか?
いつの時代であっても、若者は「まるでなんでもできるかのような口を叩き」「自分の存在が世の中の中心であるかのような甚だしい勘違いをしており」「万能感に浸っている」ものだ。「将来の成功は約束されて」いて「世の中を善くする」ことができ、「あらゆる社会の困難な事象を排除する」ことさえも可能な存在と思いこんだりもする(その一方で、自分など取るに足らない存在だとの思いもあるのだが)。

既に、自分が取るに足らない存在であり、凡庸であり、凡百であり、モブであり、世界に蠢く有象無象の一員でしかないことを心身に叩き込まれた中高年であれば「いつもの無力感」でしかない。「また、なにもできなかった」「無力感は慣れっこだ」「なんら世界に干渉できなかったが、いつものことだ」と思いながら、自分にできることをできる範囲でしながら生きていける。既に翼などないのだから、飛ぶことも無い。
しかし、太陽まで飛べると思い飛び立ったイカロスは、大地に叩きつけられてしまうのだ。
私たちは、大地に死屍累々と築かれているイカロスたちに目を向け、彼らを癒し、救う必要がある。





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最終更新日  2022.05.08 08:45:24
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