ペクの部屋

ペクの部屋

2002.01.29
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変な話ばかり書いてきたが、私は過去住んだ国の中では、


最初の英国では、まだ日本が今のように、世界に認められていない時代、有色人種は矢張りさげすまれていたようでした。

バスに乗った子供達が「イエローモンキー、ホワイト、ソックス」「チャイニーズ、ジャパニーズ、ダーティニーズ」
と言って、野次られたり・・・・・

それに比べると、ここでは逆に「ルック、イースト」日本を見習い追いつけと言うスローガンのもとで・・・・・

とはいえ、矢張り、戦争でわが国のしたことは、かなりの傷をここにも、残しているようで、其れに対する、気遣いは、日本人学校にも大きな影響を与えていた。

敷地の確保が難しく、当時世界一 大きな日本人学校は1600名の生徒を抱えて、運営も大変だったようだ!

また、現地人との融和も大事な課題で、学校では事あるごとに、シンガポール国家を歌い、父兄である私さえも、覚えてしっまたくらいだ。


この人数で、運動会をする時は、其れはもう、オリンピックの入場式のような状態。
大きなスタジアムを借り、小中学生同時に行なわれたので、自分の子供を一目見ようと、いろいろ工夫をする親たち・・・・

髪に赤いリボンをつけたわ!
靴下を赤くして目立つようにしたの!

そんな苦労も、豆粒のように小さくて大勢いる中では何の役にもたちません。
お昼のお弁当で約束場所で迷子になる子。とうとう子供の演技をしているところは見れなかったわと嘆く親たち・・・・

これも今の、子供の少ない都心の学校には無い良い経験だったと思う・・・

こんな運動会の鬱憤を晴らすべく、父兄会などがあると、息子のクラスでは若い先生が、親子競技を考えて、遊ぶ時間を作ってくれる。これが私にとってはえらい迷惑な事だった!

あっちの椰子の木からこっちの椰子の木までおんぶして競争~!

うちの息子は、小さく産んで大きく育ってしまっていたので、1年生と言えどもかなり重かった!

30度近くある蒸し暑い炎天下で、ひたすら、苦行に耐えた、私の目は血走っていたに違いない。


今度は楽しい話にきっとなるでしょう!
良い事も一杯あったから・・・・






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最終更新日  2002.01.29 15:03:32
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