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あ・・・なんか久しぶりすぎて何から始めたらいいのやら・・・。まずは前の日記へのコメント、ありがとうございました。とっても嬉しかったよぉ~~。さて、それでは軽く近況のご報告をば。南部(=ロス)で住むアパートを見つけ、契約書にサインしました。引越しは今週末。というわけで引越しの手伝いのためにAは明日北上してきてくれます。引越し屋さんは日曜日に来てくれるはず・・・。(ちょっと不安要素が満載で万が一来てくれなかったらどないしよ、とちょっと不安・・・。)そしてその後、日曜の夜はAと共に車で南下予定。すぐにオーバーヒートするポンコツなので涼しい夜中を狙って南下します。そぉ~れから??え~~っと、ここのお友達が火曜日にちょっとした前祝いをしてくれました。それですでにたっくさんの贈り物を手に入れ、かなりホクホク気分。そぉ~れから?え~~っと、相変わらず未完了の論文作成に追われてる・・・。(おいおいおい・・・。汗)結婚式の準備は着々と進み、もうだんだんスーッとゴールイン体制に入りつつある。今はプログラム作成とかそういう細かい作業に移ってます。いろんな人に不可解な部分が多い、説明が多分に必要な式なので。(そのくせまだ招待状を出し続けてる状態。あう~~~。滝汗)こんなこと一生に何度もやってられんわ、と、ホントーに切実に思う。(笑)なんかここ何ヶ月かの精神状態の浮き沈みは壮絶なものがあります。あ、そういえば、このあいだ、Aが私の後頭部にでっかめのハゲ・スポットを発見したんだった・・・。え~~~、マジ~~~~???Aってば、「いつできたの、そんなの?」ってかなぁ~~り心配そうな顔してて・・・。そんなの知らんわ、と思ったけどちょうど次の日、健診日だったのでそこで見せてみたら「ああ、なるほどね。白髪とかいろんな色の毛が生えて来てますねぇ」と言われて、始めてやばいと悟った。私は若白髪の出る家系ではない。それどころか片親は60過ぎまで白髪が一本もなかった黒髪ふさふさの人だ。そんなわたしにハゲスポットが発生するだけでなくそこから生えてきている髪の色が白髪も含めてさまざまなんてのは極めて異常・・・・。と思っては見たけれど・・・、実際ね、今の今まで気づかなかったし、去年の今頃は丸坊主だったのでそこまではげてたら絶対気づくはずでってことは発生は早く見積もっても10ヶ月以内、ということでそんなに長期にわたってないのでどうしようもない。とりあえず目をつけとくぐらいか・・・。っちゅー感覚で行ってます。確かに去年はさまざまな理由でストレスのたまった一年だったからなぁ~。それのせいかなぁ~~~。さて、また「考えちゃうこと」用のものを書いたのですが、(もちろん論文を書くべきだったときに。苦笑)またここにタイプするのもちょっと面倒なのでまだしばらく待って。それと引越しと結婚式のためのニューヨークへの移動とかに体力や精神力を吸い込まれる可能性が非常に高いのでまたしばらくレスなどが非常に遅れたらすみません、すみません、すみません!!!!と前もって平謝りしておきます。(っていい加減でごめんよ。)さて、ついに100位以下に落ちたランキング。(当たり前ですが。逆に未だにびりから50位以上にいるのが不思議だ。)今日は復活して見ます。それでは、プチッとね、よろしくね。
2005年07月27日
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kanavistaさんのところから回ってきたのを見たときからやりたくてたまらなくてうずうずしていたこのバトン!!ついにやってみます・・・。1. アメリカのどの地域にお住まいですか?7月末までカリフォルニア北部。8月頭からは南部に移動。北部とのつながりはまだまだ消えませんが。2. 在米何年目ですか?う~~~ん、日本在外期間はいい加減10年目になろうとしてますが、実はその間の在米期間は7年間でしか(?)ないの。最初の2年間はカナダで、去年は日本の実家・ソウル・ロスを渡り歩いたからねぇ~。3. アメリカの好きなところ・便利なところは?アメリカ全体として言えば、理想が多文化共生主義なところ。実情はどうあれ、やっぱり公に認められた理想がそうである、っていうのはいざというときに心強いよね。あと、人の気持ちを尊重してくれるところ。「宗教」という言葉自体は異端視されていないところ。これ以上詳しく言ったら、地域別になっちゃうなぁ~。4. ぶっちゃけアメリカの不便・嫌いなところは?一部の大都市部分を除いて、公共交通手段が未発達。許せん!!ファーストフードがはびこってるところ。食生活や栄養に関する基礎知識の欠落。ー男女ともに、家庭科を絶対やらせたほうがいいように思うぞ。医療制度の不備。はっきり言ってプロテスタント国家なのにその認識が低いところ。鈍感な人が多い・・・。5. これから先、日本に帰国して生活をしたいですか?それともアメリカにこのまま永住したいですか?日本には永住できないと思う。私自身が日本に対して複雑な気持ちを抱きすぎ。でも将来子供ができたら、子供がまだ小さいうちに日本で何年か住む経験はさせてあげたいなぁ。様子見い見い、か・・・。アメリカということにもこだわってません。たぶんそれが一番ありそうだけど。そもそも私の就職口にも寄るしねぇ。5年後にまた聞いてください!!さて、バトンを渡す相手、か。う~んと、wmmjさん、Kyokoさん、saicuccioさん、TCK2004さん、かな?他にもここを読んでいて、質問項目をちょっと手直ししてでもやってみたい方はどうぞ!トラックバックもしてねぇ~~~。それではここでもプチッとよろしく。
2005年07月26日
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期間はどれぐらいになるかわからないけどやっぱりね、ちょっと最近、気が散りすぎでやるべきことに集中できない。こうしてお休みを宣言でもしない限り本当に休まなさそうなのでここは思い切って宣言してしまおうと。(笑)この前の書き込みが後味の悪いものでちょっと気が引けないでもないけれどこういう機会でもない限りきっかけもできそうにないし。書き込みで気分を害してしまった方々には本当にすみません、というしかないです。いつ戻るかは不明だけど、どうせそんなに長いこと我慢できるわけがない、と自分で踏んでみてる。(笑)多分続いて2ヶ月ちょっと、早々と折れたら3週間ぐらいかなぁ~~。まあ、相変わらずロムりはしますしコメントも残すつもり。フリーページはある程度更新していくかもしれないし・・・。うん。そんなこんなでお餞別に今日もプチッ!とよろしくね☆
2005年07月10日
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他の人が書いたテロについての書き込みを読んでいると「甘いな」と思わざるを得ない。暴力が暴力を呼ぶから暴力のサイクルを止めなくては、とか虐げられている人を追い詰めたら余計にひどいことをしでかすんじゃないか、とか。基本的には私も同意だし、結果的な政治的意見には同意することが多いけれども世の中には自分の常識で測れない相手もいるんだ、ということを知らなさ過ぎる人が多いような気がする。あとさ、一般的に言われるけど平和ボケ?って言ったら失礼かもしれないけど人間、追い詰められるとさ、何するかわかんないよ、ほんと。で、この「追い詰められる」って状態は人がよく使ってるみたいに「戦争をふっかけたから」とかそういう状態でおきるわけでなくてそういう戦争地域に生きてる人ってたいていの場合、もうすでに「追い詰められてる」わけよね。経済的貧困って、ただものじゃないよ。生活は貧しくても心は清く、なんてあるていどの生活水準に達してる人の幻想だよ?そういうことができる人がいないわけではないけれど、生活が貧しくても「清く」生きてられる人がそんなに有名になっちゃうのはね、それがそれだけ難しいことだから。だって毎日の食事にも困ってるような状態が「追い詰められてる」って状態にならないかい?なるでしょ?自分の身の周りがほぼ貨幣社会に突入しちゃって生活を維持していくのにお金が必要だってのにそれが手に入らない状態ってかなり苦しいよ。でさ、周りもそうであればみんな助け合っていけるじゃん、って思うかもしれないけれどそれは状態の良いときだけね。あとは、農地が人数分ある場合。自給自足の生活ができるところに住んでる場合とか。状態が悪化したり、元々自給自足の生活が営めないようなところに人が密集して生きている場合、みんな自分や自分の家族のことだけしか面倒見切れないから、場合によっては要領の悪いご近所さんのことは見放すしかなくなる。貧困って毎日が戦闘状態だよ?テロ組織ってそういう人を狙って誘惑するんだよ?思想だけで人を自爆するようになんて仕向けられない。思想だけでせっかくここまで築き上げた「外国」での可能性を見捨てさせる気にはなかなかさせられない。思想だけでそういうのに巻き込まれる人がいないわけではないと思うけれど一般的には多数派がそうだと思われてるような気がする。私は逆だと思う。思想だけで動く人はごくごく少数派だと思う。実際は世界的な経済格差が問題の根源にあるのではないかと思う。あとね、力で持って力を制す、って昔からある、今でも世界のほとんどでまかり通ってる常識ね。これもさ、自分の「家族」が生きるために必要としてるものを他の(「家族」外の)人が持ってると見たら、力ずくでも奪い取る、って常識ね。これ、そんなにわかりにくいことじゃないよ。わかってる。他のやり方がある、って言ってる人はそういう「昔の」常識から一歩「進んだ」お互い仲良くやっていこうや、喧嘩は力でなく、言葉でやっていこうや、ってところに行き着こうって言ってるんでしょ?でも、そりゃあ、喧嘩相手の承諾のもとじゃなきゃいけないわけよ。喧嘩相手がオッケーしてないのに勝手に「あ~~、ダメダメ、それがルールですから。それやったら違反ですからねぇ~」なんて言って聞くような相手だったらそもそもこういう状態になってないわけでしょ?(笑)外交的な話し合いだけで解決する問題じゃないと思うよ。だからさ、あるお国のある首脳さんが大バッシング食らってますが、(私もバカっぽくてあまり好きな人じゃないけれど)一概にその人のせいかしら?いやあ、問題はもっとずっと深いと思うわね。そもそも貧富の差の激しい国・地域って(世界のほとんどですが。苦笑)政治的判断を下してる層とそれに影響されてる層が(わざと)断絶されてて市民は一方的に振り回されてる場合が多いから。私は、誰であろうと、文句を言ってる人の場合、まずは自分が思ったことを自分の身の安全を心配せずに好き勝手に言える・書けるところに住んでること自体に感謝してね、と思う。そういうところも世の中すごく少ないからねぇ~、本当に。そうでないところの情報はなかなか漏れませんから。そんなことを思いました。返事の遅さを前もって謝っておきます。遅くなるの必須だから!ちなみに政治的なことはこれ以上書かないつもり。ちょっと私は過激すぎ。(笑)今日もプチッ!とよろしくね。
2005年07月08日
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書き込みアップ。どうも、イマイチ集中できん。やっと集中できたと思ったらもう遅すぎてダメ、とか。どうも「あれについても書きたいこれについても書きたい」と欲求がたまりまくる。特に今日はいろいろとあったしね。今朝一番はロンドンテロについていろんな方面から読み、いろんなことを思い出したり考えたり。ロンドンテロのことを読んだときに最初に思い出したのは4年前のニューヨークとワシントンDCでの同時テロのことね。私はちょうどニューヨークから2ヶ月ちょっと前に出たばかりのころで徐々に大好きなニューヨークから自立しようとがんばりだしていた矢先の話。あのときほど医師とか救急隊員とか消防士とかもっと現場で即戦力になるようなことをやっていない自分を呪ったことはなかった。救急隊員だったらボランティアでもちゃんと訓練してくれて大学のころだってできたのになんでやっておかなかったのだろう、と本当に後悔した。今でもそういう気持ちにさいなまされることはある。ニューヨークの友人・知人が他の人からの連絡で忙しいというのを知っていても連絡を取ろうとせずにはいられなかった。その付近で働いている人はあまり知らなかったけど恐かった。大学や留学先の高校関係の人たちがセーフリストと言ってメールで自分も含めたほかの人の安否の確認を送り出した。今回のロンドンでの場合もそのセーフリストは流通しだしそれを読みながら4年前を思い出して切なくなった。と同時に、阪神大震災が起きたときに留学先での阪神出身の先輩が顔を真っ青にさせながら「家族と連絡が、連絡が取れん!大丈夫やろか!」とばたばたと走り回ってたのを思い出した。次の年にはイスラエルのテルアビブのカフェで自爆テロが起きたときにテルアビブ出身の子が近所の人がテロに遭って亡くなったらしい、と肩を落としていたのも思い出した。今回のロンドンには私の知っている人はいない(はず)。4年前のニューヨークの場合は私の知っている人はほとんど無事だった。仲の良い友人の奥さんが危ないところだった、とやっと連絡の取れた3日後に興奮気味にまくし立てたのと事件直後に連絡の取れた大学時代の友人が命からがら避難している最中に話せたのと事件の2日後、ワールドトレードセンターで働いていた知人が自分は無事というマスメールのもと、自分に何が起きたかを仔細に説明したものを受け取ったのとなぜか、連絡の取ろうとした何人もの知人よりもずっと親しくしていた友人なのに嫌な予感がして連絡を取ろうとしなかった友人が一人。その友人の伴侶が事件の5日後になってもまだ見つかっていないらしい、と連絡をくれたのは元々わたしたちを引き合わせてくれた当時はすでに日本に戻っていた共通の友人だった。すぐさまニューヨークに戻りたいと思った。人には「迷惑になるだけ」ともっともなことを言われたり、現地にいる人には「今、ここにはいないほうが幸せだよ、そんなことを言っちゃいけない」とたしなめられたりしたけど本心は変わらなかった。11月にはもう人の重荷にも迷惑にもならないだろう、と思ってニューヨークに戻った。件の友人にも会い、もちろん他の友人たちにも会いに行った。泣いてしまったりもしたけれど、楽しかった。即戦力になる技能を持ち合わせてない私にできる一番のことはニューヨークをめいっぱい楽しむことだと自覚していた。私がニューヨークを出る日にはたまたまプエルトリコ行きの飛行機が墜落し、またテロかと思った人々が騒ぎ出しそうになったがそれで私のニューヨーク滞在も一日伸びた。飛行機墜落事故のこともラジオでこと細かく報道されていて、乗客のうちの一人にあの日、2001年9月11日にワールド・トレード・センターにいたにも関わらず助かった乗客が含まれていたと聞いたときには運命のいたずらはひどいことをする、と思った。私がニューヨークと持つような関係をロンドンと持つような人も世の中にはたくさんいるだろうと思う。同時に思うのは、こういう、世界の中心地で起きるテロに関してはみんな敏感なんだな、ということ。こういうときにも国家間の権力・経済力・文化力の違いを思わずにいられない。それはつまりどれだけ多くの人がそこに行ったことがあり、住んだことがあり、行き来することがあり、またはそうした人を知ってるかという人数に相当するわけだから。一応、続けるつもりだけどとりあえず休憩。ところでランキング順位、下がりまくってますが、懲りてないです。(笑)プチッとよろしく。
2005年07月07日
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思うことはいろいろとあるのだけど最近ははっきり言って、結婚式の準備と本業との両立兼引越しの準備とやらでやたらに忙しい。しかも週に数時間だけだけどバイトもしているし・・・。あんだよぉ~~~、時間はどこに逃げて行ってるんだぁ~~~!!って感じ。今朝なんかなんだかんだで本業にもバイトにも手が出せず。(そしていい加減しなきゃならない洗濯もの、買い物も片付けられず。)午後はバイト一色で。内容が面白いからやってて楽しいんだけど頭の片隅で「早く自分の仕事にもとりかからなきゃならないのに!」ってイライラした声がささやいている。夜は武術のお稽古に行こうかとも思ったけれど、どうもやることが山積みなのに行っても集中できず、かつ余計にイライラしそうだと思って行かなかった。果てしてこれが正しい判断だったのかどうかはわからん。とりあえず明日は絶対行くぞと自分に指きりげんまん。(でないと何日も行かなかったことでまた自分にイライラしだすから。笑。)で、明日はまた朝っぱらから予定が入ってる。これは、来年のためを思えば絶対に抜けられない説明会。面倒くさい。でも行かないわけにはいかない。そんなこんなで今一番やらなきゃならない(=未完了のレポートその一を片付ける)ことに手が回ってない。良くないよなぁ~~~。っちゅーことでこれからやるよ?下調べとして目を通しておかなくちゃならない本があるんだよね。借りてきたのはもう何日も前だからいい加減早く目を通して目ぼしい部分をチェックしておきたいもんだ。今日もプチッとよろしくね。
2005年07月05日
コメント(9)
まずは結論から。うん、すばらしい映画だと思った。うまい、と思った。何がって。適度の現実味、希望、失望感の表現法、期待の持たせ方、話のヤマの作り方。もう、なんか、語りの方法をとっても表現法をとっても信条の表現法をとってもうまいなぁ~~~~、と言うしかなかった。嫌な現実や状況をサラッと見せる。西欧の、ルワンダで起きている惨事への無関心。その無関心の底にある各政府の人々の偏見、計算高さ。現地で働くボランティアや社会活動家たちの無力感。ヒーローとされた人の人間臭さ。それから、取引のうまさ。政治とカネ・権力のつながり。紛争や内戦の理不尽さ、不毛さ、うそ臭さ。私にとってはあまりによくできすぎていて本当の話に基づいている、と言われなければ「よくできた話だなぁ~」と思ってちょっと冷めちゃうぐらい。(そういう態度もおかしいんだけど。よく言うように「現実は小説よりも奇なり」って場合のほうが多いわけだから。)テーマは明らかだったわねぇ。それを嫌味なくサラッと見せたところが本当にすごいと思った。各俳優たちも本当にすごかった。主役の人なんて本当に発音がうまいからさ、私、本当にアフリカの人かと思ったらさ、全然。(笑)生粋のアメリカ人でした。もう、そこからしてすごかった。そうねぇ、この映画を見て何を考えてたかと言うと、高校で留学してたころにルワンダから来てた同じ学年の子のこと。その子はやっぱりわたしたちの高校の卒業生で当時そこで数学を教えていた先生の妹だったのだけれどわたしたちは1995年9月入学生。そうすると、その子も命からがらあの状態から抜け出してきた難民だったんだろうか。そういえば、あのころ、あの数学の先生のところには妹と一緒にその先生の弟も来ていた。でも弟のほうは別に学生とかでなくてたんに居候。で、一体どうして来てたのかなんだか状況がはっきりしていなくて、学校では(全寮制だったので)ちょっと邪魔者扱いされてたような気がする。もしや、難民だったのかもしれない、と今になって思う。別に、あの学校では難民の人は珍しくなかったけどね。スーダンの黒人の子もいて、(スーダンの現状についてはこちら。)その子は夏休みに家族に会いにスーダンに帰るはずだったのが政情が不安定すぎて入国できない、と2ヶ月間、ケニヤで足止めを食らい、結局、家族の安否も確かめられないまま新学期とともに学校に帰ってきたらしい。あとでそのことを聞いて私は17歳やそこらのみそらで立身出世やとにかくサバイバルするためにこんな遠い外国で家族が安全かどうかもわからない状態で勉強するなんて想像もつかない、と思ったし私はいろんな意味で、甘ちゃんだと思った。その学校はみんな奨学金をもらって来てるところだったからなんかさ、競争の厳しさとか国家間の貧富の差が個人に与える影響とかサバイバルすることの厳しさとかをかなり見たような気がする。一度外国に出てしまったからにはもう後に戻れない、って人がいっぱいいた。あと、現実問題として高等教育を受けたいのなら外国に出るしかない立場の人もいっぱいいた。まあ、そういう人たちってたいていいわゆる発展途上国出身の人だった。でも、その学校に来れるまでの教育を受けてる人ってことで本当に貧困層の人はまずいない。学校に行けるだけの財力と時間はある家庭や地域出身じゃなきゃいけないわけだから。でも、地元の学校に行けるだけの余裕のある家庭出身でもそのうち、海外の学校に送るお金のある富裕層の人はごくごく少数。ってことは、地元で学校に行けて、実力的にはもっと上まで進める人でもそこから先の道が閉ざされてる人もいる社会的には中間層の人たちがいるわけだ。私の行った学校は、とりあえずみんな全額奨学生。(実情は出身国によって違ったようだけど。)私の行った学校はそのうちの何人かを掬い上げることはできた。でも、卒業した後の道は保障されていない。自力でさらにまた外国(たいていはアメリカ・イギリス・カナダ)の大学に進み、かつ「外国人」として奨学金を勝ち取らなきゃいけない。辛いよね。私たちの学校はそういうところ、ガイダンスがしっかりしていなかったし「地元に帰る」っていう選択肢のない人は本当に大変だったと思うな。その学校の修了証書を持っていっても高校卒業の資格にならないところはあったからね。マレーシアとかトルコとか。いやあ、後に戻れない、って人たちは本当によく勉強してました。死活問題だからね。私みたいに日本やほかの裕福な国出身の人たちみたいに「まあ、受験で失敗したら家に帰ればいいし~~」って選択肢がない。まあ、(前述の難民学生のように)本当にそういう選択肢がない場合とあっても実際に「故郷に帰って」しまった場合、非常な屈辱感と恥辱にまみれる場合とがあるんだけど。どっちのほうがより大変かは計れるものではないんではないかなぁ~。昔、田舎から出て立身出世するしか道がない、と感じつつ勉強してた人たちもこんな感じだったのだろうなぁ、と思う。私がよく親に言われるのはハングリー精神がないってことなんだよね。確かにそうだと思う。私はそこまで追い詰められたことがないからね。幸せに育つとある程度ボケボケしてしまうのは仕方がないかと思う。しかし、ハングリー精神を養うような環境に育ちたかったと言うと・・・う~~~ん、思わない。もう、私は十分大荷物を背負ってこの世に現れたような気がする。ハングリー精神の欠如でできた穴はそれなりの埋め方があると見た。さて、映画の話に戻るけど、思ったのはこれだ。だからセンセーショナリズムは嫌だ。みんな、自分の身近にある問題に関わってそれ以外のことは聞き流す程度にしてほしい。そうでないとこうして、取り残され、無視される大問題が出てくる。人間は、絶えず喧嘩や戦争を繰り返すおろかな存在なのだと思う。だからこそ、その喧嘩の仲裁に入る人はいつも必要だし、その喧嘩法に関する取り決めはいつも必要。映画見て、ひたすらノスタルジックになってしまったよ。その学校での英語の先生もさ、政情が不安定だったから東アフリカ諸国を転々とした人だったんだよね。非常に教育熱心で優しいけれど、厳しい人で私は劣等生だと思われていたようだが(まあ、無理もないけど。苦笑。)私は先生の授業が大好きだった。先生が授業中に言うことにものすごく興味をそそられたのよね。その先生の英語の発音が映画の主人公の発音にそっくりだったの。ルワンダ出身の数学の先生は非常に信心深い人で同時に人道主義者でもあり、「信じる」とか「目に見えないものの存在について考える」という行動を通して、人間同士をつなぐ活動をキャンパスでやっていて、いろんな話をした人だった。そんなこんなで私に多大な影響を与えた人間二人を思い出しつつ、「ああ、もしかしたらあの二人やあの二人の家族もああいう悲惨なことを経験したのかなぁ」と考えずにおられんかった。私にとってはそんな映画でした。チャンチャン。今日もプチッ!とよろしくね。最後に・・・ごめん、かなり疲れてるんで、前の書き込みへのコメントはもう少しだけ待ってください。Aが遊びに(?)来てかなり楽しかったんだけど、やること盛りだくさんでかなり大変な毎日でし・・。
2005年07月03日
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