December 7, 2021
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カテゴリ: 気になるTV番組
2021年NHK大河ドラマ 『青天を衝け』 の感想です。

いよいよ終盤に入った今回は、SNSでは徳川慶喜を
演じる草彅 剛さんの演技が絶賛されていました。
しかし私は今回のタイトルにもなった渋沢篤二(泉澤
祐希さん)のほうを、「こんな子、いるよな~」という
思いで見てしまいました。

父・渋沢栄一(吉沢 亮さん)が社会的地位の高い人で、
自分はその嫡男であるがゆえに、周囲からの期待が重圧


父・栄一もまた裕福な家で育ったが、父の場合は藍農家
として幼い頃から父親(篤二の祖父)と共に仕事をして
いたし、同年代の従兄弟も近くにいて寂しさはなかった。

でも篤二の場合、父が世を動かす実業家になってて子供の
自分が手伝える仕事ではなかったし、同年代の従兄弟が
いなければ学友と競い合って上を目指す性格でもない。

家が貧しければ遊ぶ間なんかなく家の手伝いをし、進学
するとなれば生活費を切り詰めて自分を学校に行かせて
くれる親や他のきょうだいの思いを受けて必死に勉強する。

でも篤二は裕福な家庭で切羽詰まったものがない。
目の前にある楽しいことや興味惹かれるほうに流されて

という思いを快楽に向ける生活の余裕がある。

篤二は勉強や仕事は苦手で父の期待に応えられないけど、
小さい子たちからは好かれる優しさがある。
義弟たちを可愛がり、義弟たちからも慕われる優しい兄。

嫌なことに直面すると我慢できずにすぐ逃げてしまう。

でも自分の勉強や進路のことをうるさく言わない親戚の
おじさんやおばさんには素直になれる。

もしかしたらですが、篤二が血洗島のほうの家に生まれて
いたら、親戚に囲まれて、皆で一緒に農作業をして、また
違った人に成長していたでしょうか。

ところで、番組ラストの「青天を衝け紀行」のBGMが
今回から小学生の鼓笛隊が演奏したものになるようです。
メイキングの動画を見ましたが、小学生が使うあの楽器で
見事に演奏されてて、本当に感動で胸熱でした。

深谷市立常盤小学校鼓笛隊の演奏でお届けします!
 ⇒ ⇒  こちら

こちらは地図のゼンリン社の資料です。
【栄一さん襲われる】  ⇒ ⇒  こちら

大河ドラマ館も2か所でオープンしています。
※埼玉県深谷市  こちら   ※東京都北区   こちら

※こちらも盛り上がっています ⇒  #青天を衝け
 ドラマ内のことが解説されてます  #青天ナビ


明治22年(1889)夏、上野で徳川家康が江戸城に入って300年の節目を祝う「東京
開市三百年祭」が、旧幕臣たちの企画で開かれました。
旧幕臣たちは小栗忠順や井伊直弼をもっと評価されるべきだと偲び、彼らの主君で徳川の
最後の将軍となった徳川慶喜の父である徳川斉昭を偲んでいました。
そこへ渋沢栄一(吉沢 亮さん)が渡欧で随行した徳川昭武(板垣李光人さん)が現れ、
永井尚志の「徳川、万歳」の声をきっかけに渋沢喜作が大きな声で音頭を取り、旧幕臣が
集まったその会場には「徳川、万歳!」と唱和する声が幾度も響き渡りました。



明治時代の半ばになると、栄一は銀行業を中心に製紙・紡績・鉄鋼・建築・食品・鉄道・
鉱山・電力・造船など多くの産業に関わり多忙を極めていました。
また他にも国際化に対応できる女子育成のための学校や病院や養育院など、教育施設や
福祉施設の充実にも力を注いでいました。



東京養育院が主催の慈善会(バザー)が開かれ、栄一の妻の兼子(大島優子さん)の他、
政財界の名士の奥方や娘たちが集まり、張りきって声掛けをしていました。
そしてバザーを盛り上げるべくまず栄一が大金を出して買い求めると、井上 馨(福士
誠治さん)ら会場にいる名士たちも「ならば自分も」と次々と夫人たちの言い値のまま
快く大金を出して、慈善事業に貢献していました。



しかし一方で、栄一の嫡男で渋沢家の後継者でもある渋沢篤二(泉澤祐希さん)は
学業に身が入らず、かといって父の仕事にも興味がわく様子もなく、偉大な父と立派な
義兄たち(穂積陳重、阪谷芳郎)の名声に気圧され、遊興にふけっていました。
姉の穂積歌子は子どもの頃に母・千代を亡くした篤二を厳しく見守っていて、この日も
店の外で待ち構えていて、頼りない弟を説教でした。



明治23年(1890)、国会の開設に向けて第一回衆議院議員選挙が行われ、任命となる
貴族院議員に栄一が不本意ながら任命されました。
そして篤二は、一度東京を離れてみてはどうかと考える穂積陳重の提案で、熊本の第五
高等中学校に行くことになり、出発の時間を迎えました。
篤二に懐いている義弟の武之助(加藤櫻華くん)と正雄(番家天嵩くん)。
遊び呆けていつも姉の歌子に叱られてばかりの篤二だけど、義母の兼子には素直に従い、
義弟たちには優しい良い兄さまだったようです。



心機一転、熊本で寮生活を送っているはずの篤二でしたが、途中で嫌になってしまい
女子を連れて大阪まで脱走してしまいました。
東京に戻った篤二は飛鳥山の邸宅で謹慎、今度は穂積歌子(小野莉奈さん)と阪谷琴子
(池田朱那さん)の二人の姉からの説教でした。
篤二は自分が父・栄一に迷惑をかけてばかりのことを反省し、姉たちにお詫びを伝えて
いたら、そこに血洗島の叔母・渋沢てい(藤野涼子さん)が野菜を持って現れました。
ていは明るく3人の気持ちをほぐしてくれ、篤二も思わず笑みがこぼれました。



兄・栄一から相談を受けていたていは、篤二を血洗島に連れて帰りました。
ていは篤二に父・栄一の子どもの頃の話をしてくれ、それを聞いた篤二も自分が10歳の
ときに母が病になり忙しい父が一緒にいてくれたことが嬉しかった、でも母が旅立った
夏は今でも苦手だと、ていに語りました。
ていは篤二に農作業を手伝わせ、ふだんろくに体を使っていない篤二には少々きつい作業
でしたが、皆と一緒に体を使って働くことに篤二はふだんにはない喜びを感じていました。



血洗島で謹慎の後、東京に戻った篤二は華族の娘・敦子と結婚することになりました。
ところがそんな頃、栄一の乗った馬車が移動の途中で暴漢に襲われました。
栄一を襲った喜十郎(岡元次郎さん)は栄一には深手を負わせずすぐに外に出て警官を
相手に暴れまわり、そのまま逮捕されました。
心配して駆けつけた喜作に栄一は、水道管のことで対立した者が人を使って脅してきたの
だろうと説明し、亡き妻・千代を奪ったコレラが再び蔓延することのないよう衛生には
特に気を配りたいという思いを語りました。  ※栄一を襲ったのは・・  ⇒  こちら



明治27年(1894)夏、徳川慶喜(草彅 剛さん)の妻・美賀子が亡くなり、その話を
高松凌雲から聞いた栄一は慶喜も東京で暮らせば、と思いを寄せます。
しかし慶喜に対する世間の風当たりは、まだまだ慶喜には厳しいものでした。
栄一は慶喜こそが歴史の流れを変えた人物であることを世間の人が知らないことに強く
憤っていて、静岡にいる慶喜を訪ねた折に「世の中が次の世代に移ってすっかり変わって
しまう前に貴方様の伝記を作りたい、戊辰戦争時に逃げた暗君ではない、貴方様の考えを、
偉業を後世に残させて欲しい」と強く訴えました。
慶喜は自分は世間からどう思われてもいいと、このときは取り合ってくれませんでした。



明治28年(1895)3月、日清戦争が日本の勝利で終結しました。
世間の民衆たちは戦争の勝利に酔い、街の至る所で人々は「万歳!」と叫んで軍歌を歌い
勝利の喜びを分かち合っていましたが、篤二は一人冷めた思いで街を歩いていました。



後日、総理大臣(第二次伊藤内閣)の伊藤博文(山崎育三郎さん)を訪ねた栄一は
伊藤から、戦争で清国に勝った日本はもはやアジアの三等国ではない、明治の世になって
わずか30年で今や日本は西洋列強と並ぶ文明国になろうとしてる、この先はイギリスを
味方につけ一刻も早く一等国の仲間入りをせねば、という話を聞きました。
そう聞いた栄一が真っ先に頭に浮かべたのは、ならば徳川慶喜が東京に戻っても差し支え
ないであろうということで、まだ昔の主君をと伊藤は呆れましたが、栄一は「御前様なく
して今の日本はない!」と強く主張しました。



2年後の明治30年(1897)、慶喜は静岡から東京に戻ってきました。  こちら
栄一は妻の兼子と篤二夫妻を伴って慶喜の元に挨拶に赴きましたが、篤二は隠居謹慎の
間に趣味を極めた慶喜が持つ道具類に興味津々のようでした。






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Last updated  December 7, 2021 11:12:33 PM


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