アッカド ・ シュメール人 の イシン王朝 と、その後の カルデア人の海の国の人々 は、 アッシリア
バジ王家、エラムなどに敗れたのち、【 ビト・アデイニ 】 という王国を建てて抗戦しますが
これが【シウイン】で、【イン】はアデイニの【イニ】を表します。
この人々が後に 箕子朝鮮 になりました。
【ビト・アデイニ】は【旧約聖書】では、ベテ・エデンとなっていて、その住民は、エデンの人々と
呼ばれています。【ビト・アデイニ】は、ユーフラテス河がタウロス山脈に発して西南に流れ
徐々に南東に向かって曲線を描くところであり、その両岸に跨っていたといいます。
ビト・アデイニの南部、ヒンダンの北部、大河西方に ラケ の町があって
非常に古いアラム人の根拠地でした。カルデア人たちがイシンの末王の従弟である
箕子を奪って築城したという【 カラキ 】は、この ラケ でした。
バジ王家の軍とエラムが攻撃したので、ビト・アデイニの人々は、シルクロードを伝わって
イリ地域の イッシク・クルに逃れ、箕子朝鮮を建てたのです。
イリのアルタイは、シルクロードで一番の 金山でしたので、アラム人たちは此処を根拠に
決めたのです。 この人々の金姓は、ここから始ります。
イッシク古墳からは黄金人間が発掘されましたが、これは箕子国の王族です。
彼の黄金の上衣は、アルタイの金山から採った金塊で作られ、副葬品はバクトリアの
扶余から届けられたものでした。
国常立(クニトコタチ・コマシウ氏)とクニサッチ(カラシウ氏)は、イシン王朝の後の
海の国カルデア王朝の末王の子で、 兄の国常立は、父の従弟であった箕子の養子になり
ラケーに建国したイシン・アラム人の 王家の主家を継ぎ、後にアッシリアに圧迫されたため
バルハシ湖の周辺に還りました。
弟のクニサッチは、その後、海の国のカルデア人を率い、ペルシア湾を越えてマラカンドに
入り、その地で冒頓匈奴と同盟して、サカ殷=後の扶余を建てます。
アッカド人のイザナギは、この時、既に西域にいたアメニギ氏の辰王で、箕子国やサカ殷と
同盟しました。辰王は、辰国連合の王ですが、マラカンドからバルハシ湖にかけての地を
箕子国・サカ殷に譲り、コータンから楼蘭にかけての地を占めました。
イザナギ自らは、国常立の王女シラヤマヒメを娶り、バルハシ湖の南に住みました。
王名のイザナギは世襲名で、アッカドの末王イギの末裔です。
カルデアの人々はイランからペルシア湾を越えて、遠くマラカンド(バクトリア)に建国しました。
この人々の王家は、神話のニギハヤヒで、昔姓・・・・・蘇我氏の祖先にあたります。
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