
チュルク族(高令)は、遙か昔には、バイカル湖付近にいて、その時はオロッコ族と
いいましたが白鳥の磁場センサーを追って日本に渡来し、鉱脈を掘り当てていた
人々だったようです。
そして後のトルコ族のことで、鉄の車輪を作った製鉄部族でした。
オロッコが高令になり【白鳥】をトーテムとし、匈奴の冒頓部のなかにありましたが
高句麗や扶余に混じって朝鮮半島や日本列島に渡来し、天の王朝の物部氏
新羅の蘇我氏、安曇水軍と対馬の阿比留一族、安部水軍、秋田水軍など及び
メキシコのアステカ人など互いにつながっていたと考えられる伏しがあります。
アストランが白鷺または白亜の地を意味すること、セレベス島南部のマカッサル族と
ブギ族は、彼らの王族には【タクの木の樹液と同じような】白い血が流れていると
信じています。【カタカムナノウタヒ】には初めに
カタカムナ ヒビキ マノスベシ アシアトウアン ウツシ マツル カタカムナ ウタヒ
とあって【アシアトウアン】という者が筆者したといいます。
また、この書を伝えた平十字は【カタカムナ神を祀る一族の王アシアトウアンと
天皇家の祖先が戦い、アシアトウアンは敗けて九州で死んだ】と語ったといいます。
このアシアトウアンという王名もしくは王朝名は、後に芦屋道満の名になって
有名な差別伝承となったものですが、天皇家と戦って敗れたという先王朝は
金官加羅の王朝です。だから【カタカムナ】を信ずれば、【アシアトウアン】は
先王朝が、またはそれ以前の先住民族の王朝ということになります。
先王朝というのは、神武、綏靖、安寧、懿徳という王朝と対立した
孝昭、孝安、孝霊、孝元、開化
という王朝であって、このうち考安天皇が安日彦、
王弟の長足彦が長スネ彦で、安部貞任らはその子孫でした。
このことを認めると、1062年に滅びた安部一族は【アシアトウアン】王朝の
末裔ということになります。【天の王朝】の「アシアトウアン」こそ、アステカ族
の故地アストラン、ではなかったか?
古代メキシコ人のアステカ人が日本列島から出発した安部水軍だったとすれば、
マヤ文明は彼らのもので、この部族には二系あり、その一つはホルヘ・キン(金)
など新羅姓を思わせるものが多く、二系の部族とは倭人系阿曇水軍と
新羅系阿部水軍であったかもしれません。
古代、白鳥トーテムの製鉄部族は欧亜にかけて存在しました。
【白鳥族】は匈奴の中にいました。後の【匈奴】は自称【フン】Hu-unと
いいましたが、これはメソポタミアのウル語の【鳥】=【フ】huに起源します。
彼らはニギハヤヒと共に渡来し、秦氏になりました。
葛城氏・物部氏・蘇我氏などは秦王国( 記紀では大和朝廷 )の豪族でした。
古代より権力者が不老長寿の薬として重宝したのが【水銀】=辰砂・丹でした。
この水銀が手に入るのが【中央構造線】沿いの地域で 三輪、葛城 の地は
この代表地でした。
辰砂の産地 であったから三輪山は聖地とされ、 葛城氏 は力をつけることができました。
また【 三輪、葛城の 鉱山資源 】を基盤にした市場こそが 纏向・箸墓 でした。
葛城氏と縁を結ぶことにより、いつの間にか、この地を手に入れたのが 蘇我氏 です。
蘇我氏が仏教を導入すると、寺院で使用する金箔や朱に、この地の 水銀 が重用され
蘇我氏台頭の経済的バックボーンをなしました。
そしてその時、最新技術を日本に持ち込んだのが 秦氏 です。
奈良時代に、大仏の鋳造や金箔張りに銅や銀を扱ったことから、関係地域や人々に
公害や奇病が発生したので、遷都が行われたと考えられます。
仏像に鍍金(メッキ)するのに、液体の金属である【水銀】に金箔を入れて、
アマルガムを像の表面に塗りつけてから火であぶって水銀を蒸発させて金を定着させました。
水銀を蒸発させるときに、有毒ガスの発生が起こり、
水銀による呼吸困難や皮膚障害が起こりました。
奈良の東大寺建立には水銀中毒が多発したことを疑わせる記録が残されています。
大仏は嫌われ、奈良と京都の境界線が川を避け妙な所で区切られ大和は封印されました。
京都へ移る時は奈良の寺を移さず、僧侶も連れていきませんでした。
香川県の 佐伯氏(ユダヤ・シメオン族・秦氏)出身の空海上人 は大変な山師で水銀鉱脈を
多数掘り当て相当な財を築き宗教組織の維持発展のために費やしました。
空海上人は水銀を扱うプロの技術者集団、丹生一族を巧みに利用する事に成功した
と考えられます。古代イスラエル人の渡来には騎馬民族と関係があるといわれます。
朝鮮半島を経由して流入してきた扶余系騎馬民族(ウガヤ王朝・天皇の祖)は
スキタイ・サカ族に源を発し、アッシリア帝国を盛んに攻撃しました。
このアッシリア帝国には古代イスラエル人が囚われていました。スキタイ・サカ族により
アッシリア帝国が滅亡すると古代イスラエル人はアケメネス朝ペルシアに流入しました。
(秦氏)は渡来し、まず物部氏が次に蘇我氏がそして藤原氏が日本国を支配していきました。
3100年前、殷で交易するエブス人、ヒッタイト人らがタルシシ船で北九州へ渡来し
国東半島重藤に製鉄基地を建て宇佐八幡を都とし東表国となります。
これが日本最古の王朝、【天の王朝】、のちに狗邪韓国となって朝鮮半島の南部にも
領土をもち金官加羅国(伽耶)といわれ、王家は金海金氏と中臣氏になりました。
金官加羅国から金姓王家が分離し【新羅】をたてましたが
金氏の中のヒッタイトが蘇我氏でした。
物部が蘇我に対して【お前は豊国(東表国)に帰ってしまえ】といったとか。
天の王朝を構成した倭人のうち、王朝の本流であるサカ族系は後に山窩となり、
傍流の秦氏は源氏、マラ族は平家を名乗ります。【白鳥族】のチュルク族を思わせる人々は
ルソン島北部のバナウエに高地水田があり、この農民はマンドリンのような弦楽器を
弾きながら田植えをするので、日本の農民に類似するとされているが正式の民族衣装
は頭に牛角をつけハチマキ巻いて
褌をしめ、
銅矛型の槍をもつのであって、この人々は、箕子・サカの一族の末裔と思われます。
箕子朝鮮は、3000年前メソポタミアのイシン王国が滅亡時、カルデア(サカ)人が
イシン王族を推戴し遥々航海して遼東半島に上陸して建てた国。エルミタージュ美術館には
イシク古墳から発掘された金姓の金牛をトーテムとする黄金人間
が保存され、これは箕子国のサカの王族。鉄文化を独占したヒッタイトが崩壊して
この鉄文化がインド・中国大陸へ波及しヒッタイト人はチュルク人の中にも存在しました。
チュルクは白色を聖色としたがユダヤ民族の戦旗でもありました。
サカ族も【鹿】をトーテムとして【犬】を忌んだ。ジンギス汗は、蒼狼と白鹿の末裔だが
【狼】はチュルク、【白鹿】はこれに従う【サカ族】を表わす。古代中国で犬戎と呼ばれ、
北狄と称され、昆夷、匈奴と怖れられた遊牧異民族は古代アーリア種の白人、
即ち印欧系人種だった。【狄】は【犬偏】と【火】の文字、犬偏は犬族を示し、
火は拝火教徒、製鉄部族の狗加を意味する。狗加は製鉄を職種とした部族でした。
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