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February 21, 2008
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カテゴリ: ファッション


バレンシアガ-France-
BALENCIAGAによるデザイン「ベイビー・ドール・ルック」

歴史
バレンシアガの創業者、クリストバル・バレンシアガ(Cristobal Balenciaga Eisaguirre)は、 1895年 1月21日、スペインのサンセバスチャン(San Sebastian)、Guetariaに生まれた。父親は漁師で、 1910年 までお針子をしていた母親から仕立てとドレスメイクを習い、独学で裁断と縫製を学ぶ。14歳の時、カサ・トレス侯爵家(Marquesa de Casa Torres)で見た夫人の衣装を複製したのがきっかけで、 1915年 、夫人の支援を得て、テーラーリングビジネスを開始する。
マドリードのテーラーを経てサン・セバスチャン、マドリード、バルセロナにメゾンを開き、 1930年 頃には、既にスペインファッション界をリードするクチュリエになっていた。
しかし、 1936年 、スペイン市民戦争が起き、バレンシアガは3店に増えていた彼のクチュール・ハウスを閉め、スペインを去る。ロンドンでしばらく過ごした後、 1937年 、彼はパリのジョージ5世通り(アヴェニュー)10番地に「ハウス・オブ・バレンシアガ」を開業。
シンプルで完璧なシルエットはたちまち評判となり、パリファッションの象徴として世界的な名声を得る。
1938年 、後のディオールの「 ニュールック 」の前身ともいえる スタイル、ウエストシェイプされ、なだらかなワイドスカートのスーツを発表 。

第2次大戦後、彼の名はさらに高まり、クリスチャン・ディオールとともに、国際的な名声を得る。デッサンはせず、マヌカンに生地をまとわせて直接、裁断するといった形で生み出された。バレンシアガは「 マスター・オブ・イルージョン(Master of illusion) 」と呼ばれ、 繊維素材を立体的に捉えることができる と評された。

彼はプライベートを大事にし、公の席で個人的生活について語ることがなかった。しかし、ココ・シャネルは彼との論争で「彼は女性を好きじゃないのよ。彼のブラウスは、首のしわをわざと見せるためにあんなデザインなのよ」とココらしい主張した。

一方で、彼の服は女性の欠点を露出するのではなく、隠すような服だった。彼はしばしば、クライアントとの当初の約束を守らずに、女性の身体にあわせてシルエットを変更。バレンシアガは「 女性は完全である必要はなく、また私のドレスを着用するためには美しくある必要はない。私のドレスが女性を美しくする(A woman has no need to be perfect or even beautiful to wear my dresses, the dress will do that for her) 」と語る。

バレンシアガは完全主義者で、「 顧客に披露する前に彼の衣服は完全であるべき 」と主張。さらに、彼はスケールとプロポーションに加え、バランスこそが最も重要であると考えており、極端に大きいか、驚くほど小さい帽子( 1946年 に発表され、錠剤箱と呼ばれた)は彼の特徴的なシルエットのために使われ、彼は、他のファッション・デザイナー以上に、シルエットを変更した。ニュールックが発表された後の 50年代 には、あえてアンシェイプなソフトスーツ、ジャケットを発表。他にウエストラインを持たない「ばれる・ルック」やシンプリシティを追求した「 サック・ドレス 」を発表。

特に、 1957年 に発表した「 ベイビー・ドール・ルック(baby doll look) 」は、彼の名を一層高めた。ベイビードールはスペインの芸術と民族衣装からインスピレーションを得たもので、彼の才能を最もよく表現しているものである。

時流や他のデザイナーに迎合することなく、 1963年 にはあえて ビニールのレインコート を発表。一部のプレスが「あまりにもこれはチープではないか」と質問しようとすると、あるバイヤーがそれをさえぎり、「 バレンシアガが発表したならこれはハイファッションである 」と語ったという伝説も伝えられている。

しかし、 1968年 、バレンシアガは「 プレタポルテを始めるには年を取りすぎている 」との名言を残し、オートクチュール事業を閉鎖。 引退 してスペインに戻った。「 バレンシアガのモードに影響を受けないデザイナーはいない 」と言われ、メゾンからは ジバンシー、クレージュ、ウンガロを輩出した 。
1972年 3月23日死去。

その後、「バレンシアガ」は ジャック・ボガート(Jacques Bogart) によって所有され、彼が率いるフランスのフレグランスとファッションのグループによって引き継がれる。 1986年 までは、香水ブランドとして継続された。
しかし、「バレンシアガ」のプレタポルテコレクションは、 1987年 に リスタート し、 1989年 にはブティックも再オープン。
1995年 、同グループに現在のデザイナー ニコラス・ゲスキエール が入社する。






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Last updated  February 21, 2008 03:38:15 PM
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