Hallelujah☆

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December 27, 2006
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カテゴリ: 思うこと
『セックスボランティア』と横溝正史やらの推理物。




障害者の性について書かれたドキュメントの本を読んだ私の感想を書こうと思う。





セックスボランティアは数年前に出版された時に購入を迷った本だ。


昨日文庫本サイズで再版されていたのを見つけたので読んでみることにした。


小さい本の方が、布団の中やお風呂で読み安いのよね(*゚Д゚) ムホムホ






帰宅してすぐ読み始めて、一晩で読破してしまった。


また寝不足.・ili・. _| ̄|○ .・ili・.












なんか




なんとも言えない。









私はこの本の登場人物の誰にも共感出来なかった。




この本はドキュメントだ。


だがフィクションの小説の登場人物よりも共感しづらい。



具体的にイメージしにくいのだ。



読み進めば読み進むほど納得がいかない。





障害者の性をタブー視するつもりは無いし、性的接触を求めるのは人間として当然の事と思うが、それでも家庭のある女性が、『ボランティア』と称して他の異性と性的な接触を持つ事はどうなのか。




それは、『介護』なのか『感情』なのかは、本人たちも観念が違うだろうし、この事実を知った人間でもそれぞれ観念が違うだろう。



オランダでSARのサービスを利用し続けながらも「これは売春だ」と公言する障害者の言葉もあった。


「介護の一環だ」と言い張る団体、セックスのために国が出す助成金、どれも私には理解できない。


そして「ボランティア」で生計を立てる女性たち。


なんだこれは。








私ももう大人だから、少女のように嫌だ嫌だと稚拙な綺麗事や理想を求めて男性の性欲を批判するつもりは無い。


男性と女性の性に対する意識の違いも解る。








だが、それでも




なんだこれは。








そもそも性的接触にしろ、友人関係にしろ、本人の人柄や魅力に寄って築かれるのが本来の姿であって、国が助成金を出したり、誰かが気の毒などと思って相手をしたりするのは何かが違う気がする。





健常者だって、もてない奴は山ほど居る。



こういった「好意」こそ障害者が最も嫌う「間違えた同情」ではなかろうか。




障害者も風俗業界に働く女の子も差別するつもりは無い。



風俗店のおかげで日本は夜中に女の子が一人でコンビニに行っても「ほぼ、安全」な世の中が成り立っているのだろう。



風俗嬢の友人も居るし、別に本人が割り切れるなら若い内に稼ぐのも悪くないかもしれない。



なぜ障害者専門風俗店は通常の倍の料金を取るのかも理解できない。



とくに介護に関する研修を受けたスタッフが居るわけでも、障害者に向けた高額な設備が店内に有る訳でもない。


にも関わらず、なぜ倍以上の料金なのか。




障害者団体が言うように、風俗業界が障害者を食い物にして居るとも思わない。


利用したい人間だけがするのだから、それは被害妄想だろう。





風俗店を利用するのは身体障害者だけではない。


そして障害者が利用するのは風俗店だけでもない。






知的障害者の夫婦のセックスに立ち会って介助するNPO団体の人も居るらしい。



まったく理解できない。



性教育を受けない障害者に対し、子供の作り方をレクチャーする事までは分かる。


だが、夫婦の寝室に他人が居る異様さは、眉間にしわが寄る。






そして私は知的障害を持つ人は少し怖いというのが正直な感想だ。


これを聞いたら知的障害者やその家族の人は傷つくかもしれない。




でも小学校の頃、仲の良かった女の子は知的障害者の男の子に肩の肉を噛み千切られ、腕が上がらなくなった。


その加害者の男の子は日常的に人に噛みついて、一生残りそうな大きな傷跡をたくさんの人に残してきた。


先生すらも噛まれていた。



噛まなくても人に向かって唾を吐きかけたり、髪の毛を引っ張ったり、人が怯えるような事ばかりするのだ。


何が気に入らないとかじゃなくて、常にやるので、避けるタイミングも分からない。




ビニール傘を槍投げのように人に投げつけたり、恐ろしかった。


彼が3階の窓から投げた傘が、中庭の花壇に、力を入れてぐっと引っ張らないと抜けないほど深く突き刺さり、もしもこの花壇のそばを歩いていた他の生徒に当たったら・・・と想像した時の鳥肌は今でも覚えている。



それを目の前で見てからその子が近くを通るだけでものすごく緊張した。





何が気に入らないのか、皆が静かにしていても唐突に奇声を上げ周りの人間に噛みつくその男の子が私は怖くして仕方なかった。



そして、肩の肉を噛み千切られた女の子は、その怪我のせいで宝塚歌劇団に入る夢を諦めた。



幼稚園に入る前から憧れて夢を語っていたのに。




腕が上がらなくなったので、バレエが踊れ無くなったのだ。




でも、その彼女には何の保証も謝罪も無かった。



「知的障害を持っているから、これは仕方が無い、運が悪かった」


のだそうだ。



納得が行かない。



知的障害を持っていれば、何をしてもいいの?


なんでも仕方が無いの?


周りの人はきちんと止めなくてもいいの?


それって、間違えてない?



何かされて、傷ついた人は、相手が障害者だったら、全て泣き寝入るしかないの?






突然何をするかわからない人のそばに居るのはとても怖い。


言い訳になるが迫害するつもりも無いし、隔離すべきとも思わない。


でも、そういう悲劇を避けるために、十分な配慮は必要ではなかろうか。





本の中にも知的障害者が性を知るとレイプが増えるのではなかろうかという懸念について書かれて居るところが有ったが、私も少なからず不安に思う。


判断力が無かった、では済まされない問題ではなかろうか。


健常者でもレイプする奴は多いけどさ。


リスクを増やす事にならないのかは不安に感じる。









本とは関係ないけれど、


「障害者は権利ばかりを主張して、自分が出来る事を探すのを怠る人も多い」


という声も聞いた。


介助を当然と思い、尊大な態度で「命令」する人も居るのだそうだ。


その態度が気に入らなくて抗議したら「差別だ、人権侵害だ」と大騒ぎするらしい。




周りの人間がフォローするのは当然という考え方はなんというか・・・・・解釈を間違えるととんでもない事のような気がする。




健常者でも、走ってエレベーターに乗ろうとしている人が居たらドアを開けて待ってあげる。

それは別に特別な事じゃない。

そして、エレベーターのドアが閉まりかかっているところを、開けて待ってもらったら「ありがとう」って言うのは当然じゃないか。


手助けは特別な事ではないが、感謝の気持ちを持つ事も当然の事だと思うのだ。





虐げられた経験のある人の「健常者は皆、自分たちを見下している、信用できない」という心がまえ、それが元で傷つかないように、そんな態度に出る人が居るのかもしれないけど、あれも逆に「差別」じゃない?



性別国籍宗教年齢障害の有る無しに関わらず、嫌な奴は居るし良い人も居る。







やってあげている、では無いでしょう。

やってもらって当然、でも無いでしょう。







相互理解って、ものすごく難しいと思う。



ぶっちゃけ、不可能に近いんじゃないかと思う。



ただし、理解しようとするプロセスは決して怠ってはいけないとも思う。





私がもし人の介護や介助が必要になったら、人生を楽しむ自信は無い。


家族や周りの人に負担をかけるのは心苦しいし、屈辱的に思う。

障害者の方もそれで悩んでいる人は多いらしい。





末期癌の実母を介助した際も、母だからしなくてはいけない、という義務感で頑張ったのと、母だって、人に負担をかけているというプレッシャーを感じて居るだろうから、私が大変だと母の前で言ってはいけないと言う思いから続けただけで、それでも性器を拭くのは嫌だったし、汚物等の処理は吐き気を堪えるのがとても辛かった。



たとえ身内でも、人の汚物なんて触りたくないし、人に触られるのも絶対に嫌だ。







ましてや恋愛感情を抱いていない他人の性の処理なんてもっと嫌だ。








長文で文字数オーバーしちゃった。


2へ続く





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Last updated  December 28, 2006 07:52:30 AM
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