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隔週コラム KUNI 【沖縄病】島田紳助や宮本亜門など著名人でも、有名な病気の一つに沖縄病というものがある。沖縄を旅し、沖縄の人、文化、食べ物、海、景色、リズム、音、気候などに肌があってしまうと、その魅力にとりつかれ、内地に帰ってきても、体から沖縄への想いがきえず、沖縄が大好きになってしまう。沖縄料理を食べ、沖縄の音楽を聴き、青い海が恋しく定期的に沖縄へ行ってしまい、移住するしか治療方法がなくなるやばい病気である。さほど、有名ではないが、それと似た病気の一つに波乗り病というのもある。波に乗っている時の浮遊感が頭によぎり、波や天気の事ばかり気になってしまう。一日に何度も天気図を眺め、サーフムービーやサーフ雑誌を飽きるほど見る。街を歩いていても壁があれば波を想像し、ガードレールがあればバランスをとりたくなってしまう。そして、生きていく全てが、サーフィンのために変わってしまい、そのために働き、食べ、眠るサイクルとなる。スポーツや趣味だと思っていたものが、ライフスタイルになってしまうのである。 これらの病気は初体験のような、今まで体験・体感したことがない衝撃や気持ちよさを体にインプットしてしまったことから始まる。その快感に、はまったことがない人には異物を見るような目でみられるが、当の本人達はどのくらい気持ちよいか知っているからあまり気にしていない。波に乗る気持ちよさはかなり特殊なもので宙に浮いたような不思議なバランス感覚だ。潮に流されたり、波に巻かれ溺れたり、金にもならない。失敗すれば海底のリーフにぶつかって大怪我をするリスクがあっても、建物の1階2階から当たり前のように飛び降りるし、ビックウェーバーと呼ばれる人達は、高さ約40m(10階建てビルに相当)からも平気で飛び降りる。登山家やロッククライマーも似た人種だと思われる。大自然のピュアな世界をみればみるほど人は素直になってしまう。それは一見、良いことのように思うが、意外とやっかいなものだ。思い起こせば、海にも旅にも興味がなかった高校生の時、友達2人で沖縄旅行に行った時の体験がこの性質の悪い豊かな病の始まりだったかもしれない。
2008/08/19
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アミーゴコラム 「 スルメイカ 」金沢八景 米本丸にてスルメをターゲットに釣り友のH本sんと出撃。早朝7:00時 船はゆっくりと東京湾へ出航。日ごろの行いが良いのかなこの日は、雲ひとつ無い天気の良さにガスも無く、目の前には大きな房総半島の山々が、見事に連なっている。左を見れば房総、右を見れば三浦、後ろを見れば東京前を見れば太平洋!!キンキン冷えたビールを飲みながらポイントまで,40分のクルーズは、最高にハイになる!まずは金谷沖から、スタートし剣崎、洲の崎、館山沖、富浦沖、金谷沖と大移動。仕掛けをいっきの100mほど落としてそれから40mほど、シャクッていく糸が緩んだときに 「 ドン 」 竿が重くなる軽くあわせるとズリズリと竿がしなっていくそれから、一気にリールを巻き上げると、そこにはスルメイカ♪イカは鮮度が、極度に早いのでそのまま一気に、丁寧にさばく。開いたイカをロープに吊るして、絶品の船上干に♪コレを、あぶって肝醤油食うと旨いのなんのって感じです。結局、この日は渋めの10杯。夕方、船宿に戻りそのままサンセット満喫しながらちょっとした宴会へ。絶品の船上干をつまみビールをグイグイ流しこむ!最高です!!
2008/08/19
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隔週コラム KUNI 究極の遊び人 続きそんなシドニー伝説の遊び人の話を思い出すと決まって、僕の中で浮かんでくる男がいる。その男は、イギリス人とのクォーターで徳川家の末裔、身長も185cmほどの大きく男からみても2枚目だ。小金持ちしかあったことがなかった僕は金持ちのスケールを持ち合わせておらず、家にはプールがあるとかお手伝いさんがいるなどテレビで見たことがある金持ち像しか発想がなかった。当の本人はニヒルな悪ガキ風で金の匂いがまったくしない嫌味ないタイプだ。突然、代々木から2時間かけて原チャリでやってきたり、意外な高級ブランド品を無名ブランドのように身につけていたり、仲良くなるまで噂が先行した脈絡のない変わった奴にしか思わなかった。ある夏、九十九里のサーフスポットに別荘があるから遊びにいった。そこはゴルフ場のような敷地に建てられた、海外のリゾート施設のようなところだった。壁に掛けられた家族の写真には天皇陛下も一緒に写っている。たまに父親もいて、ダディと呼んでいる姿が冗談かと思った。妹も日本の学校には行った事がないと普通にいっていた。高校の時の話を聞けば、新宿を縄張りとしたチーマーだかギャングだかとつるんで遊んでいたようだ。彼らの溜まり場の今はなき新宿キングストーンレゲエクラブにも一緒に遊びにいったが、ボクサーあがりや格闘家がごろごろいる縦社会のグループ内で、気負いもなく飄々と誰にも干渉されない自由な立場だったのも彼だった。卒業後も生活をするために働くという発想がまったくないようで、海外のアンダーグランドサーフポイントばかりをいったりきたりする生活を続けていた。しばらく、会わなくなってから中央?には置いとけないと一族会議で決まって、島流しにあったと風の便りで聞いた。今時?と思いながら意味はわからないが彼らしいと思った。音信不通となってから昨年の今頃、突然の連絡があった。日本人離れした顔がさらに日焼けで何人かわからない風貌になって、南国から浦島太郎状態で渋谷にたっていた。飲み屋にはいるなり小切手しかないといってみんなを呆れさせている姿が懐かしい。島で何やってるの?と話題になるとグアムやサイパンのあるミクロネシア一帯(彼曰くマイクロネシア)に一族が経営しているリゾートホテルが多数あって、その中でも一番無名の島でホテルのマネージャーをしているといった。詳しく聞くと、ボートを運転し無人のサーフポイントで波乗りや素潜りをしたり、世界的にシークレットにされている、その島のサーフポイントにやってくる、名前を聞いてびっくりするような超メジャープロサーファーをポイントへガイドしているらしい。雑誌などのメディアへ露出し、スポンサー獲得をしようとする争いの厳しいプロサーファーの世界で、昨年、アメリカの伝統ある老舗サーフ雑誌の表紙をそんな彼が飾っていたと聞いて、生まれつきとはこういう奴をいうんだなとびっくりを通り越した気分だった。
2008/08/19
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隔週コラム KUNI 究極の遊び人受験勉強をしに通っていた図書館で出会ったロバートハリスの究極の遊び人という話は今でも好きだ。シドニーで伝説の遊び人と呼ばれているギャンブラーで事業家でもあるローニーのエピソードは当時の僕には斬新で未知なる人間像であった。その話の中でも、ローニーがイビサ島で弟子入りした、バックギャモンの達人との出会いが特に記憶に残っている。アーティストの隠れ家だったイビサ島が、金持ちのプレイボーイやヨーロッパのモデル達の遊び場になり始めた頃、島には古代エジプトやローマ時代から遊ばれていた最古のボードゲーム、バックギャモンの達人がいた。達人は小さなゲームや小物とのゲームはやらない。ゲームをやる時は3日間で1ゲーム100ポンドでおこなう。噂を嗅ぎつけた腕に自信のあるアラブの大金持ちとビーチ沿いでゲームがはじまった。多くのギャラリーがいる中、挑戦者であるアラブの金持ちが2日間を圧勝。3日目も達人は脂汗をかきながら苦戦を強いられていた。残り6時間になった所で達人は哀れそうな顔で必死に1点500ポンドでやろうと一発逆転のチャンスをくれと案をだす。大勝しているアラブの金持ちも大勢のギャラリーの中ひけず、しぶしぶと了解し、ゲームが続いた。そこから達人はビーチで寝転ぶトドが海に入った瞬間エレガントに泳ぎだしたように、ダイスの振り方からゲームへの気迫までガラリと人が変わって最後には大勝ちして終わる話だ。この時、ローニーは初めてはめるというものの意味がわかったという。達人に弟子入りした後、最初からこうなることはわかってて泳がされていたにすぎない人を何度となく目撃することになった。偶然にもその伝説の遊び人ローニーが経営するベジタリアンレストランが僕が長期滞在したシドニーから10時間ほど北上した田舎の海辺の観光地バイロンベイにあった。ウエイトレスは美人揃いでいつも満席の流行っているレストランだった。オーナーであるローニーはオンボロ車に乗りながら、バイロンベイの森の中でオーガニックなファーマー暮らしをしているという。 次回に続く
2008/08/19
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アミーゴコラム 「 ボルドー 」昨日はミーティングの為、新橋へ。1軒目は、レバーが美味しかったもつ焼き屋で。2軒目は、ずいぶん昔から一度は行ってみたいと思っていた銀座最古のBARボルドーへ強行突破!場所は少し外れた銀座8町目。まさに銀座最古といわれるだけあって外観も見事。ここだけ時代がとりのこされたと思わせる歴史ある洋館に、まとわりつくツタが、僕好み♪赤オレンジの袖灯が、ほんのりと照らす。まるで牢屋のような鋼鉄でできた扉をギギーと押してみるとそれは、それは、古い映画のワンシーンを見ているようだった。フロアーのど真ん中にまさに、バーテンダーが主役決定の豪華なバカウンターがある。白いスーツを着たマスターに、注文が入るとこちらに向かって一礼し、カクテルを作り出す。ウエイトレスのお母さんもどこかの仮面武道会のようなドレスアップにそれでいて品があり接客も丁寧だった。内観は吹き抜けの2階建ての作りになっていて開放感があり、洋館にめずらしい、はりなどがむき出しになっている。和と洋がうまく溶け合って、素晴らしい和モダンが演出されている。イスやテーブルも一つ一つ丁寧に、から磨きされていることがすぐに分かる、重厚感あふれる色合いに、どっしりとした奥深い美しいツヤが何よりの証拠!まるで、どっかのアンティークショップにいるようだった。ただ、帰る際に、ウエイトレスのお母さんに一言「 次回は、ジャケットでお願いします。 」一昔まえなら門前払いだった思うけど、こんな格好の僕を入れてくれるのだから、時代も変わったんだなと思った。ちなみに、僕は海パンでした。
2008/08/19
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隔週コラム KUNI 海開き桜が咲き、GWが過ぎ、ジメジメと雨が降る合間に、夏の強い太陽が輝き始めると海開き。夏はもうそこまで来ている。東京に住む友達には、駅前は何もないと冷やかされる小さな海の街も、お囃子の練習の太鼓や笛の音色が鳴りはじめ、134号のコーストラインは水着や浮き輪が目に付き、目を覚ましたように活気づく。住む場所や住みたい場所は十人十色だと思うが、僕の場合は暮らしに必要なものの1つに海がある。小走りしたくなるような海を覗く路地、海に向かう時に聞く音や風、海あがりに聴く曲、朝日や夕焼け、日焼けした後のシャワー、その後に着ると気持ち良い生地の服。海遊び後のご飯や酒、友達との会話。潮の香り、海の家の匂い。裸や裸足で歩いてもとがめられない開放感が漂う空気。眺めるだけでも、近くにあるだけでも、海に纏わるだけで心地よくなるのだ。もっぱら、最近は山や川ばかりに行っているが、物事に海のテイストがトッピングされるだけで、いろいろな働きかけが自分にあって、遊びや音楽の趣味から衣食住まで変えられてしまったりする事がある。サーフボードの上に座り海に漬かりながら、ボケっと海を眺めていると、いろんな事が小さな事にみえるのと同時に、いろんな事を知ったきになっている勘違いした自分が、足元にある植物の名前さえ知らない自分に出会ったりして、面白いことは目と鼻の先にもたくさんあると好奇心を開いてくれる。それは、友達や家族とも似てて、海開きをテーマに書き始めたけどれど、よく考えてみると海は年中開いている。まぁーとにかく海開きしたということは、逗子にある海の家も開いたということだから、遊びに行ってみることにしよう。
2008/08/19
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アミーゴコラム 「 ハマのアニキ 」肉体関係 こんなにもストレートにスケベなタイトルのアルバムがかつてあったでしょうか !? もうこれはお子様が寝静まった深夜にひっそりと聴くほかない。そんな表題曲「肉体関係」はインスト中西圭一(a.k.a.ジャッカル)さんのセクシーなアルトサックスが鳴り響く曲バックにはオルガンやギターが軽快に鳴り響きおおよそスケベとは縁遠い。ラテンなムードではあるけどそんな曲に「肉体関係」と名付けるセンスに脱帽。 ってことで昨日は深夜3時までクレイジーケンバンド、トランペッタージャッカルさんと本牧のJUNKで酒を飲んだ。実に不思議なにーさんです。横浜を代表する、いや、東洋一のサウンドマシーンとまで言われる方々ですよ。なのに、音楽の話なんて一切しないんです。まぁー僕もプロ方と音楽のうんちくを語るなんて思いもしないけどね。それにしてもみなさん横浜(本牧)を愛してるんですね。その話になると目をぎらつかせ、身振り手振り熱く語る姿が印象的だった。自分を主張せず全くあの業界人ぽくなさに、みんなひきつけられるんだなと感じた。
2008/08/19
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