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保険の異端児・オサメさん 竹下夢二の恋文を引用したが、さて、恋とは
異なもの、厄介なもの
。
万が一、ある男がぽわーっとなって、恋文を書く、とする。
思いを寄せる相手にすでに好きな男
が、なかなかの技を使う腕達者な男
が、金持ちの男が、破廉恥なくせにヒモのような甘えん坊の男
がいるとしたら……、いかに熱い「恋文」でも、滑稽の代名詞になってしまう。
こちらとあちら、その双方向性が合致しなければ、何事も起きないし、相手に嫌われ迷惑がられ困惑されしらけさせる。
さあて、ここからがむつかしい。相手にそれをどう悟らせるか。
恋は盲目。男は一本槍、一本道。病気で通院している、と言えば、同情がさらに恋心となって燃え盛るかも知れない。
夫がいます、と言えばさらに挑発的になるかも知れない。
すでに好きな人ふぁいまふわ、としどろもどろになれば、恋文に感動した、と勝手に受け取ってしまう、かもしれない。
男が恋心を寄せた相手はすでに恋をしていた、とすれば、その体から恋心が色気が流れ出ていて、それを嗅ぎつけた男:オスの心を揺さぶった、のかもしれない。なにもかも誤解されてしまう相手。応じる文章にも、少しの隙も見せないこと、くらいだろうかしら、応急処置としての一つは。nnnん。でもねえ、相手の「乞い」は燃え盛っている最中だから……始末が悪いddd。
でも、これらがすべて、といってよいほど、名作となって残っている。「赤と黒」も「人魚姫」も「舞姫」も「北回帰線」も「誰がために鐘は鳴る」も「春琴抄」も演歌も。。。。モジリアーニの絵も夢二の絵もゴヤの絵も。
これらは「思いを寄せる」浪漫的な男の仕事だな、女は残さない、あるいは形を巧妙に変える。アナイス・ニンの作品を見れば……。北原ミレイの歌を聴けば……。
書き手と読み手の関係も「恋文の仲」……これに同じ
。
書き手は読み手を求め、読み手は自分に合う書き手を求めている。
書く人よ、請いせよ、乞いせよ、読んでくだされ、こうてくだされ、と。
それに叶うものを書こう、と思う心
が色気となって文章に乗り移る、かもしれない。
神代の昔から、「乞い」し「請い」し「恋」をしてきた人間関係、女と男。シグナルを出し感じる男と女。