日本語はダメか2

日本語はダメか2

2011.03.16
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しょんぼり家の中にいても寒いが、被災した方々のことを思えば。
 広い避難所には、数台のストーブしかないという。
 陸路もダメ、海上もダメ、といったって空があるじゃないか。
 なぜさっさと、投下しないのだろう、食べ物や薬や毛布、ラジオ、無線機などなど。
 飛行機は戦争のためにあるのじゃない。
 優秀な輸送機があるじゃないか。
「検討している」「準備している」は、もう聞きあきた。

 世界から日本人への称賛が。ハート
 でも、目の前の空腹や寒さは、どうにかならないか。
 セーフの対応は遅いねえ、セーフじゃない、怒ってるアウトだ。遅い、対応が事務的すぎる、血が通っていない、道理も適っていない。
「やることはやっている」とおっしゃるだろうが、「ただ発している」だけのような言葉、と、後だしじゃんけんのような表現だけのような。

 もう、腹も、立てたく、ない。
 視点を少し変えてみよう。
 我々の先輩は創意工夫想像の塊だった。
 以下に紹介する国芳もそうだが、「へうげもの」と言われた古田織部などもいた。

メール来春の開業を予定する電波塔「東京スカイツリー」(東京都墨田区)が1日に高さ601メートルを超え、従来1位だった中国広東省の「広州タワー」(高さ600メートル)を抜いて世界一の高さとなった。巷に沸き起こる感嘆と驚嘆の声。

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 スカイツリー“世界一”お預け 悪天で…
メール記事本文の続き 天空にそそり立つ尖塔建設へのあこがれは、今に始まったことではない。日本人は江戸時代にも、高い櫓を造っていた。
 大胆な構図や奇抜な発想で人気の浮世絵師、歌川国芳(1797-1861年)は、180年前の江戸の町中にそそり立つ井戸掘りの櫓の上で喜ぶ子供たちの浮世絵を残していた。



「海に近い江戸の町では、浅い井戸だと塩分が混ざってしまう。真水は貴重だった。いい水脈を探り当てるために深い井戸を掘った。深い井戸を掘るには、高い櫓が必要だったのではないか」

 と推測する。

 スカイツリーは現代人に欠かせない電波を届け、江戸の櫓は貴重な真水を提供した。高い櫓の上で、井戸水が湧き出る様を眺めるのはさぞかし、うれしかっただろう。今も、昔も、「めでたいときの図」には、共通する微笑ましい姿がある。

 浮世絵師、国芳はさらに、現代のスカイツリーに酷似した尖塔(せんとう)が描かれた不思議な浮世絵を残していた。
 その作品は、1831(天保2)年ごろに描かれた「東都三ツ股の図」である。
 隅田川の中州から深川方面を望む構図の風景画だ。手前の中州では、男が船底を焼き、上空には煙が立ちこめる。右手には永代橋、その奥の佃島には、係留された無数の船も見える。
 左手の対岸には、小名木川とみられる支流に橋が架かっている。その橋のたもとには2つの塔がそびえ立つ。左側が火(ひ)の見(み)櫓(やぐら)とみられ、その右隣の高い方の塔の形状が、スカイツリーにそっくりである
 前出の悳俊彦氏は、この「江戸のスカイツリー」が先ほどの高く造られた井戸掘りの櫓ではないかと推測する。
 国芳は、風景画に加え、出世作「水滸伝」シリーズの錦絵や武者絵、妖怪、擬人化した猫などを描いたほか、当時は非常に珍しい外国の銅版画のスタイルも取り入れて洒落(しゃれ)た作品を創ったりもした。国芳自らが取材のためにスケッチをしたり、次々と新しい題材に挑戦したりと、モダンな思考法を身につけていた奇抜な異才であった。

 悳氏は「国芳は浮世絵の伝統的な良さを踏襲する一方で、海外にも目を向ける斬新な側面を持ち合わせていた。そこが、多くの人たちにいま受け入れられている理由だ。伝統をただ復古するのではなく、未来を見据えたまなざしが、国芳の作品には感じられる」と指摘する。
 今年は、国芳の没後150年にも当たる。180年前に描かれた「江戸のスカイツリー」が今年に話題となり、人々を喜ばせているのもまことに不思議な巡り合わせだ。
 こういうご時世だからというわけではないが、伝統と未来の両方を大切にした国芳のまなざしと生き方に学ぶことは少なくないのではないか。

セーフよ頭をもっと使え、寒い夜。東北の人よ、負けるな。







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最終更新日  2011.03.16 21:47:46 コメント(1) | コメントを書く


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