ぽっぽやのむすめのブログ

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2010.03.03
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海法秀一氏少飛十三期生 航空機画家

(東京新聞平成十二年十月二十四日掲載)

 『武士道』 日米パイロット感激の対面

http://members.jcom.home.ne.jp/ochozt-t/ikihtm/KaihoBusido.htm 大空の敬礼から55年、再会が実現したB29の搭乗員だったハローランさん(右)と

敬礼した海法さん=千葉県船橋市で日米パイロットが再会

首都圏一帯で、日米の激しい空中戦が展開された太平洋戦争末期の一九四五(昭和二十)年一月未、千葉と茨城県境の上空で機体を損傷した米軍のB29爆撃機から脱出した米兵が、パラシュート降下した。急接近する旧日本軍機に機銃掃射を覚悟した米兵だが、旧日本軍機の乗員は機中から敬礼し、旋回して帰還した。「武士道に命を救われた」と感じた米兵は、戦後も敬礼した旧日本軍機の元乗員を捜し求め、二十三日、五十五年ぶりの再会が地上で実現。

千葉県船橋市内の元乗員宅を訊問し、丁重に″返礼″した。 B29爆撃機の航法士だったのは、米カリフォルニア州在住の陸運会社元社長R・H・ハローランさん(78)。ハローランさんに空で敬礼したのは、当時、千葉県の陸軍飛行教育隊所属の伍長で、現在、船橋市に住む海法秀一さん(75)。 ハローラJさんのB29爆撃機は四五年一月、サイパン島を出撃したが、旧日本軍機に迎撃され、高度約七千mで脱出した。

その際、敬礼した海法さんの姿に、死を覚悟していたハローランさんは「これが日本の武士道なのか」と感激.著者「ハップス(私の)戦争」のなかでも詳述した。 記述が米国の戦史研究家らの目にとまり、兵庫県宝塚市の航空戦史研究家、高木晃治さん(67)ら日米の有志がインターネットで情報交換、敬礼した元乗員が海法さんだったことを突き止めた。二十三日、持病で病床に就く海法さんと対面したハローランさんは

「あの時は撃たれると思い震えていた。ありがとうございます」と、念願の礼を返し

海法さんと固い握手。

敬礼について海法さんは、「部隊長から落下傘降下中の米兵を撃ったり、

落下傘のひもを切ってはならない。日本には武士道、西欧には騎士道があると諭されていた」と説明。ハローランさんは、あらためて感服したようだった。

日米交渉妥結の祭は、機動部隊に対して引き返しの命令が発せられることになっていた。
十二月二日、機動部隊に引き返せの命令は遂に発せられなかった。
連合艦隊司令長官山本大将より、祖国日本の生か死かの運命を決するところの
「新高山登レ」の暗号電報を、機動部隊は受信した。
戦争は日本だけが決して悪いのではない「非は双方にあるのだ」と思う。
日本の総理大臣も、靖国神社の祭礼に公人として参拝してしていただきたいものである。そうすることこそ平和日本の国民の義務ではないだろうか。
われわれは戦った。そのわれわれ自身が信じていた大目的は
平和を得ることであり、祖国同胞を安泰のうちに繁栄させんとする、ただそれだけであった。

 マッカーサーを叱った 唯一 従順ならざる 日本人

白洲次郎 ・・・骨太なダンディズム 己の良心のみを信じ、輝かしい未来を夢見て

「我々は 戦争に負けたが 奴隷になった訳ではない」 と 言った男

吉田茂の側近として GHQ と最後まで堂々と正面から渡り合った唯一の日本人

英国の名門 ケンブリッジ大学で人類学を学んだ 。

有名なサンフランシスコ講和条約。吉田茂の受諾演説が英語であった事に激怒 

「講和条約というものは、戦勝国の代表と同等の資格で出席できるはず。

その晴れの日の原稿を、相手方と相談した上に、

相手方の言葉で書く馬鹿がどこにいるか!」と一喝。

急遽原稿は日本語に変更して、随行員が手分けし、和紙に毛筆で書いたものをつなぎ合わせ、その長さは30m、直径は10cmにも及ぶ巻物になった。

 古いニュース動画に  この巻物を広げ、読み上げる 吉田茂 首相の姿が有る。 

 現在の奄美諸島、沖縄諸島、小笠原諸島・・の返還が盛り込まれたという。

 英国のカレッジでの愛称は 「オイリー・ボーイ」

無類の自動車好きで、暇さえあれば油まみれで車をいじっていたと言う。 

日本で初めてジーンズを穿いた人・ちなみにラッパズボンも愛用していた。 

               「 葬式無用 戒名不用 」   これが 遺言だ

                      プリンシプル 

                  彼の墓碑に戒名は無い 






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最終更新日  2010.03.03 20:52:54コメント(0) | コメントを書く


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