海法秀一氏少飛十三期生 航空機画家
(東京新聞平成十二年十月二十四日掲載)
『武士道』 日米パイロット感激の対面
http://members.jcom.home.ne.jp/ochozt-t/ikihtm/KaihoBusido.htm 大空の敬礼から55年、再会が実現したB29の搭乗員だったハローランさん(右)と
敬礼した海法さん=千葉県船橋市で日米パイロットが再会
首都圏一帯で、日米の激しい空中戦が展開された太平洋戦争末期の一九四五(昭和二十)年一月未、千葉と茨城県境の上空で機体を損傷した米軍のB29爆撃機から脱出した米兵が、パラシュート降下した。急接近する旧日本軍機に機銃掃射を覚悟した米兵だが、旧日本軍機の乗員は機中から敬礼し、旋回して帰還した。「武士道に命を救われた」と感じた米兵は、戦後も敬礼した旧日本軍機の元乗員を捜し求め、二十三日、五十五年ぶりの再会が地上で実現。
千葉県船橋市内の元乗員宅を訊問し、丁重に″返礼″した。 B29爆撃機の航法士だったのは、米カリフォルニア州在住の陸運会社元社長R・H・ハローランさん(78)。ハローランさんに空で敬礼したのは、当時、千葉県の陸軍飛行教育隊所属の伍長で、現在、船橋市に住む海法秀一さん(75)。 ハローラJさんのB29爆撃機は四五年一月、サイパン島を出撃したが、旧日本軍機に迎撃され、高度約七千mで脱出した。
その際、敬礼した海法さんの姿に、死を覚悟していたハローランさんは「これが日本の武士道なのか」と感激.著者「ハップス(私の)戦争」のなかでも詳述した。 記述が米国の戦史研究家らの目にとまり、兵庫県宝塚市の航空戦史研究家、高木晃治さん(67)ら日米の有志がインターネットで情報交換、敬礼した元乗員が海法さんだったことを突き止めた。二十三日、持病で病床に就く海法さんと対面したハローランさんは
「あの時は撃たれると思い震えていた。ありがとうございます」と、念願の礼を返し
海法さんと固い握手。
敬礼について海法さんは、「部隊長から落下傘降下中の米兵を撃ったり、
落下傘のひもを切ってはならない。日本には武士道、西欧には騎士道があると諭されていた」と説明。ハローランさんは、あらためて感服したようだった。
マッカーサーを叱った 唯一 従順ならざる 日本人
白洲次郎 ・・・骨太なダンディズム 己の良心のみを信じ、輝かしい未来を夢見て
「我々は 戦争に負けたが 奴隷になった訳ではない」 と 言った男
吉田茂の側近として GHQ と最後まで堂々と正面から渡り合った唯一の日本人
英国の名門 ケンブリッジ大学で人類学を学んだ 。
有名なサンフランシスコ講和条約。吉田茂の受諾演説が英語であった事に激怒
「講和条約というものは、戦勝国の代表と同等の資格で出席できるはず。
その晴れの日の原稿を、相手方と相談した上に、
相手方の言葉で書く馬鹿がどこにいるか!」と一喝。
急遽原稿は日本語に変更して、随行員が手分けし、和紙に毛筆で書いたものをつなぎ合わせ、その長さは30m、直径は10cmにも及ぶ巻物になった。
古いニュース動画に この巻物を広げ、読み上げる 吉田茂 首相の姿が有る。
現在の奄美諸島、沖縄諸島、小笠原諸島・・の返還が盛り込まれたという。
英国のカレッジでの愛称は 「オイリー・ボーイ」
無類の自動車好きで、暇さえあれば油まみれで車をいじっていたと言う。
日本で初めてジーンズを穿いた人・ちなみにラッパズボンも愛用していた。
「 葬式無用 戒名不用 」 これが 遺言だ
プリンシプル
彼の墓碑に戒名は無い